2026年5月21日 (木)

拝啓アップルさん

iPadがなければ生きていけないというくらい愛用して活用しているんだけど、最近寝ているうちに自動的にOSのバージョンアップがあったようで、朝起きたらパスコードを入力しないと利用できなくなっていた。
それまでは電源を入れるとすぐにトップ画面になって、手間がかからなかったのに、ひとつ敷居が増えた感じである。
まったくアップルという会社は顧客の利便性など考えない。
独占企業がどんなに身勝手かということを、身をもって証明している会社といっていいだろう。
個人が気持ちよく使っているものを、なんでパスコードなんてものが必要に改悪するんだ。
他人に知られて困る暗号資産でも入っているならともかく、わたしのタブレットに侵入しようという“トクリュウ”犯もいそうにない。
こういう会社にはいちど不買運動かなんかで鉄鎚を下したいけど、国民が自主独立のふうを持たず、なにごとも横並びでないと不安というポピュリストばかりの国で、それは不可能か。

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2026年5月20日 (水)

理想

これじゃ今年の夏は乗り切れないなと思わせられた今日の買い物。
足の運動はかねて近くのスーパーまで出かけたんだけど、いい天気だ、といってもまだ盛夏というほどでもない。
帰りにはほとんど半死半生、足が1歩も上がらないという状態で、ようやく部屋に転がり込んだ。

部屋ではちょっと前のめりになったら、そのまま畳の上に倒れ込んで起き上がれない。
まだスーパーでそんな醜態をさらけだしてないけど、それも近いなという感じである。
とにかく手足に力が入らないのだ。
部屋でせっせとリハビリのためにスクワットをしてるけど、どうもスクワットと歩行では使う筋肉がべつらしく、あまり歩行には役に立ってない感じである。

もしも今日が盛夏だったら確実に日射病だよ。
でもそれも悪くないか。
わたしの知り合いはむかし、真夏に開かれた沖縄の祭りエイサーを見に新宿まで出かけ、日射病で死にかけた。
本人にそのときの状況を尋ねると、暑いのでグロッキーになり、ベンチで休んでいるうち頭がポワーンとなって、あとのことは覚えてないそうだ。
あのまま気がつかれなかったらゼッタイに死んでいたねと本人の弁。
ポワーンとなってあの世行き。
まさに理想の死にかた。
今年の夏はその理想を目指すか。

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2026年5月19日 (火)

またコメント禁止

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また新手のコメント禁止機能が発動されたようだ。
コメントをつけようとすると(たぶんわたしの場合のみ)、スパム防止という画面になってしまってコメントが書き込めないのである。
しかもアクセスカウンターが昨日は800台、今日は10時の段階でまた2桁にぎゃくもどりの49だ。
何がなんでもわたしを敵視し、排除しようという姿勢がありあり。
なんたる卑劣なやりかたと思うけど、仕方ないからまたブログ記事として書く。
これは本来、OKCHANさんの5月16日付けの「同じものを見て」という記事のコメント欄に書くべきもの。
以下はそのコメント全文。

黙って聞いていられないので、また横から口をはさみます。
また同じレイシスト同士のやりとりですか。
いったい中国に「神がいない」「論理観ゼロの国」というのは何か根拠があることなのですか。
わたしは去年の10月に上海に行ってきて、静安寺という寺院を見てきましたが、けっこう参拝客でにぎわっていましたよ。
中国政府が宗教を禁じていることは事実でも、それはオウム真理教や統一教会のように国家を危うくする勢力に拡大するまえに抑え込もうという考えからで、けっして庶民に頭から宗教を禁じているわけてはありません。
この迷い多き時代に、神や仏を国民の頭から完全に拭い去るのは不可能でしょう。
「論理観ゼロの国」の国というのも、いかにもレイシストの考えらしい。
何を根拠にゼロというのか、それを示さずにいいたいことをいうのでは、おまえの母ちゃんおお出べそというふうな、子供のケンカの悪口といっしょです。
すべてこちら側が、こちら側に都合の良いことを一方的に並べているだけじゃありませんか。

ディストピアが絵空事でないとすれば、すべて不信感をあおる人間の姿勢にあるでしょう。
ロボット工学三原則はこれまでいちども国際的取り決めになったことがありません。
現代のようにAIを組み込んだ自律型ロボットが戦争で活用されるようになったことからすると、未来永劫にそんなものが取り決めになるとは思えません。
食い止められるのにそうしなかったというのは、核戦争による終末を予想した米国の科学者カール・セーガンの嘆きでしたけど、ディストピアを防ぐのは、ただひとえに、相手の立場を考えるという人類の叡智と、寛容の姿勢にかかっているのでしょう。

ああ、わたしもいちいちこんな下らないことにいちゃもんをつけるのに疲れた。
いつかわたしの正しさがまっとうに評価される時代が来るよう祈ってますよ。
酔いどれ李白という名もないじいさんだけど、ココログの陰湿ないじめにも屈することなく、あいつだけは最後までこの世界の融和と協調を説き続けたってね。
コメント禁止というのは、ひよっとすると、わたしにとって勲章かもしれない。

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2026年5月17日 (日)

思い出

思い出というものがある。
そんなものにこだわるから女々しいといわれるのかも知れない。
女々しくない男というのは、思い出なんかさらりと捨てて、前だけを向いて生きているのかも知れない。
わたしの場合思い出はたくさんある。
いまのように脳梗塞で寝たきりになると、ほぼ朝から晩まで思い出にひたっている。
両手にいっぱいどころじゃない、わたしの場合4トントラックいっぱいはありそうだ。
若いころ奥多摩、奥秩父をひとりで歩きまわったことや、中国、ロシアを旅した記憶、日本各地をドライブしたこと、そういうアクティブな記憶だけではなく、たとえば初めて宮沢賢治の詩を知った瞬間なども、懐かしい思い出だ。
こうやってみると、わたしの過去は、人生のほとんどすべてがなつかしい思い出に満ちている。
もちろん思い出したくない思い出もトラックいっぱいはある。
いま毎日、そういうものに押しつぶされそう。
これでは女々しくなるのも当然かも知れない。
いつ死んでもいいと考えているくせに、自分で死ぬ勇気はないのだ。
最近知り合いの女の人が冷たくなったような気がする。

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2026年5月16日 (土)

不信感

ここんところのOKCHANさんの発言を注意していると、中国への不信感は相変わらず根強いようだ(5月16日の午前の記事=日付をちゃんと書いておかないと、相手はたわいない記事でどんどんブログを更新してしまうので、いつの記事を対象にしているのかわからなくなる)。
こうなると一種のヘイトではないかとさえ思いたくなる。
だから、わたしみたいに正面からの反対意見は、おべんちゃらばかりのコメントより歯応えがあっていいんじゃないか。 
いちゃもんのない意見はヌカに釘を打つようなものだよ。

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表現の自由の保証された日本では誰が何をいおうと自由だ。
いまのわたしは自分の病気のことで手一杯で、他人のブログにまて口を挟んでいる余裕はないんだけど、やはり言っておきたい。
じつは家族のないわたしだけど、姪っ子がいて、最近その子供たちの写真を送ってきたばかりだ。
わたしは子供たちのために平和が未来永劫に続くよう願わずにはいられない。
“いられない”ではなく、それを守るのはわたしの義務だ。
父親の考えが息子に与える影響は大きいという。
わたしは危機感を抱いている.
けってしてOKCHANさんのスマートな息子さんが、父親の影響を受けやしないかという心配だけじゃない。
不信感にあおられて日中間に亀裂が走り、息子さんが二度と上海の食堂で中華料理を味わえなくなったらつまらんでしようが。
わたしだって機会があれば、また上海のレストランでビリ辛サトイモが食べたいし。

それでも、なにがなんでも中国への不信感を言いたいならそれはOKCHANさんの勝手だけど、まだつい100年ばかり前にはそんな勝手なことも言えない時代があった。
太平洋戦争の前は、日本政府に反対の立場なんてていいたくても発することが出来なかった。
私たちは長い平和か続いたおかげで、そういう暗い時代のことを忘れてしまった。
いまではそういうことを想像することもできない。
戦前の詩人小熊秀雄の「馬の胴体の中で」を読んでほしい(メンドくさがりのためにリンクを張っておいた)。
日本にファシズムが復興するのはそれほど難しいことじゃない。
みんながみんな、台頭する中国に対する不信感をいだき、それを誰かが煽ればいいだけだ。
ファシズムは国民の意見をすべて完璧に思う方向に向かわせようとする。
わたしのイヤなことの一番は、全ての人が同じ方向を向かされて、反対の意見を聞かなくなることなんだよ。
日本政府の片棒を担いで、中国への不信感をいうOKCHANさんさえ、いまのように自由にものを言えなくなる恐れがあるということだ。
だからわたしは執拗にOKCHANさんに抗議をして、世の中には異なる意見があることを説明しようとしてるんだ。

それとも二十一世紀というのは新たな帝国主義の時代なのだろうか」と、OKCHANさんは書く。
そのとおり、いまの中国を見ていると、かつての植民地主義とは異なる、やらずぶったくりではない新しいウインウイン時代の始まりとなぜ思えないのか。

わたしはOKCHANさんがわたしのブログを読んでいると確信しているよ。
たとえ無視されても、昨夜のわたしのブログのアクセスは500プラスだ。
それだけの人が読んでくれるなら、わたしのブログもまったく意義がなかったわけじゃない。

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2026年5月14日 (木)

前兆

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不自由な体で、昨日も病院へ行ってきた。
完治するわけがないよ、脳梗塞が治るわけがないと宣告されに行ったようなものだった。
わたしはバカだった。
考えてみれば前兆はあったのだ。
覚えているかな、去年の10月に上海へ行く前、わたしは深夜の散歩に出て、軽いジョギングをするつもりで散歩道で転倒した。
そのまましばらく起き上がれず、顔にすり傷をつくったまま、かろうじて部屋にもどり、上海にはでっかい絆創膏をつけたまま強引に出かけてしまった。
あれほど確かな前兆はなかったのに、わたしには脳梗塞になんかなるはずがないという自信があった。
ふだんのわたしは酒もタバコもほどんと嗜まず、食事は野菜主体の質素なもの、それで夜中にせっせと散歩だ。
わたしが脳梗塞なら日本中の男がみんな脳梗塞さ、という驕りのようなものがあったのだ。
でも今さら後悔しても仕方がない。
脳梗塞でなくてもわたしの晩年はこんなもので、なにかしらの不幸に襲われることは決まっていたのだろう。

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2026年5月13日 (水)

悔悟

わたしは意気地なしである。
それもとびきりの、女の腐ったようなやつと蔑視されるタイプらしい。
沖縄で割腹自殺した軍人のことを書いたばかりだけど、むかしの侍はよく切腹した。
エラいなあと思う。
わたしにはとてもできそうもない。
若いころ民家の解体現場で働いたことがあり、そのさい長靴をはいたまま、五寸釘を足の甲が突き抜けるくらい踏み抜いた。
長靴の中はたちまち血の海だ。
このことを思い出すだけで、いまでも胸がドキドキする。
とても切腹なんかできそうもない。

切腹まで行かなくても、わたしの知っている著名人でも高所から飛び降りたり、首をつったりした人間はいくらでもいる。
女々しいと思われていたフォーククルセダーズの加藤和彦クンも首をつった。
もちろんそこまで追い詰められたということはあったのだろうけど、首をつって足下の椅子をけとばす、そんな簡単なことでも、わたしには出来そうもない。

こんなことを書いたのは、たまたまYouTubeで、郷里の先輩である萩原朔太郎の文章を朗読するチャンネルを観たからだ。
「老年と人生」というその文章は、死ぬに死ねない詩人のなげきを書いている。

気になったので朗読のもととなった原文を読んでみた(青空文庫に出ている)。
どうも人間には侍みたいな度胸のあるタイプと、詩人みたいな軟弱なタイプがいるようだ。
朔太郎の文章も、その前半では、若いころは若さを重要視していて、30になったら死のうなどと乙女チックなあこがれを書いている。
詩人らしいたわごとに近いあこがれで、若いころのわたしも似たような考えを持っていた。
ところがその歳になっても死ぬに死ねず、まごまごしているうちに老年になってしまったと、自分の弱い性格をなげいている。
このあたりにおおいに共感を感じたけど、文章の後半になるとしだいにわたしの人生とは乖離する部分が多くなり、朔太郎自身の人生哲学のようになってきたので読むのをやめてしまった。
朔太郎はいい家のお坊ちゃんで、結婚もしたし、親の遺産を食い潰すほどの道楽もしたけど、わたしはずっと貧乏人の2男のままだったのだ。
付き合っていられないよと、文章の後半は読まなかったけど、さすがは郷里の大先輩、人生の終末になってわたしたちはもういちど似たような嘆きを訴えることになるのだ。

わが草木とならん日に
たれかは知らむ
敗亡の歴史を
墓に刻むべき。
われは飢ゑたり
とこしへに過失を
人も許せかし。
過失を父も許せかし。
わたしの人生も過失だった。
毎晩くやんでも悔やみ切れない悔悟に押し潰されそうだ。
わたしは父だけではなく、母親にも謝らなければならない。
ああ、しかし、わたしをこんな奇形児に産んだのはあなたたちではないか。
ただ願うのは草木に返る日の早からんことをというだけ。
わたしはいったいなんのために生まれたのか。

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2026年5月12日 (火)

Shinzeiさん

あまり触れたくないShinzeiさんがまた新しい本を紹介してるけど、記事がとんちんかん。
「どうして中国はそんなにアヘンなど麻薬類が出回ったのか?という恐らく読者の相当数が抱く疑問には、残念ながら答えられていないどころか、著者自身あえてそれを端折った感があります」
というんだけど、ほかならぬShinzeiさんが二つくらい前のブログ記事で読んだといっていた「阿片王・満州の夜と霧」に答えが出ているではないか。
しかも彼はそのとき
“既に阿片というのはタバコに毛の生えたくらいのものだったそうで、主に金持ち階級が阿片を吸っていました”
“そういう下地があったからこそイギリスは中国に阿片を売れたのだ”と、自分で答えを書いている。
いったい彼は本をちゃんと読んでいるのか。
文字を数えるだけではなく、ちゃんと内容を汲みとっているのかということだけど。
「満州の夜と霧」についてはわたしも読んでいてその感想を書いたことがある。
リンクを張っておいたから、読み比べてほしい。
じつはShinzeiさんにはあまり揶揄するようなことを書きたくなかった。
しかし彼のなにがなんでも日本の左翼をおとしめよう、という姿勢には病的なものを感じるので、たまには他人のブログも、たとえばわたしのブログも読んでみなさいよといっておく。
公平なものの考え方をするには、そうやって自分以外の意見を知ることが必要なんだよ。
ちなみに、やたらむずかしい言葉を使いたがるのも病的の一種かも。
あなたの博識はよくわかるけど、ゴキブリを蜚蠊だなんてどれだけの日本人がわかるんかね。

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2026年5月10日 (日)

廃人の俳人

昨夜のアクセスは最終的に887で終わり。
今日もいまのペースなら800台は確実。
といってもこれまで散々ココログのアクセスを攻撃して来た手前、それが上がったからとすなおに喜べない。
ウクライナ戦争でロシアを擁護するという不思議なブログなんだから、その不思議さだけで、最初からこのくらいはあるはずだった。
女の子がパンツをチラ見させるだけで、いいねが万単位のYouTubeとはSNSのスケールが違うといってもだ。
ローカルSNSのココログで、この数字はいいほうじゃないかしらね(億単位の占い師さんは初めっから無視だ)。

こんな調子でアクセスが推移すれば、そのうちネット社会の有名人になるかも知れないけど、悲しいことに、脳梗塞で半病人になってからじゃ喜べないよな。
 また今朝もいつものごとき憎き朝
川端茅舎や石田波郷と同じ病人俳句のひとつ。

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死なせて

寝ているときだけは健常者と変わらないというんで、寝てばかりいる。
そのせいか昨夜は立ちくらみのようなめまいがひどかった。
もういいかげんに死なせてくれよと大声を出したいくらいだ。
生きながらなぶられている感じ。
しかし無神論者を豪語してきた手前、神様にお願いするわけにもいかない。
年齢からすればもういつお迎えが来てもおかしくないし、わたしと変わらない歳で一巻の終わりになった人も多いんだ。
それなのになんで死なせてくれないんだ(絶叫)。
生きていたってもうわたしに出来ることは何もないよ。
死なせてくれえ。

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