2024年9月18日 (水)

中国の旅/ドライブ

この項は書きかけです。6時間後に完成の予定。

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武威という街は平野のなかにあるけど、遠方には褐色の山並みが遠望できて、雪山ものぞいている。
ただし天馬賓館の北楼は、まわりをビルにかこまれていて展望はよくない。
昨日はいちにち曇りという印象だったけど、今日はまたいい天気になった。

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美人運転手が迎えにくる前にふらりと散歩に出て、まずホテルの近くの人民公園に行ってみた。
この街の人民公園はあまり大きくなく、入って正面に例の飛燕を踏む馬の像がどーんと立っている。
朝から太極拳をする人、小鳥の鳴かせ競争をしている人、そして物売りなどで、人出は多い。
バスの発着場のようすも見ておこうと大通りをぶらぶら歩いていたら、ガイドブックに旧古城壁が残る、と記されている個所に大きな城門が建設中だった。
ここに西安の城門に匹敵する観光の目玉を造ろうって魂胆らしいけど、現在のそれは足もとこそレンガであるものの、あとはコンクリートである。

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ぜんぜん知識のなかった武威という街だけど、現在はご多分にもれず発展していて、わたしが行った2000年ごろに比べると一転しているようだ。
中国政府は貧困撲滅を計り、繁栄の分け前を地方にも与えるべく、世界の観光地を熱心に研究したらしい。
貧しい辺境に金を落とさせる、それもただバラまくのではなく、持続的に落とさせるためには、辺境であることを逆手にとって、独自の文化や景観を見せる観光地にしてしまえばよいというのは、きわめてまっとうな考え方である。
わたしが中国を旅する以前から、桂林や石林、九寨溝・黄龍、そして敦煌などの景勝地・歴史的遺産は紹介されていたけど、国の繁栄にともなって、こうした動きはますます盛んになってきたようだ。
いまは中国との関係がギクシャクしているけど、将来平和がもどれば、日本人はグランドキャニオンやイエローストーンを見るために、なにもアメリカまで出かけることはないのである。
すこしまえにNHKが放映した「最美公路」というテレビ番組や、わたしの中国人の知り合いが送ってきた新疆の写真などを見ると、中国にはまだあまり世界に知られていない目もくらむような絶景も多いのだ。
ユーチューバーの諸君に言っておくけど、金儲けのネタ、世界に知られていないめずらしい景色は、おとなりの中国にごろごろしているのだぞ。
こういうのは早くやった者の勝ちである。

バスの発着場でようすをうかがう。
いろんなとこへ行くバスがあるけど、蘭州行きもすぐ見つかった。
運転手に訊くと約5時間、25元だとか。
別のもっと大きな車体の蘭州行きにも訊いてみると、時間はほぼ同じで、こちらは料金が20元だというから、やっぱり客をたくさん詰め込むほうが安いらしい。
車なんかなんだっていいけど、ひょっとすると武威から蘭州のあいだは高速道路で結ばれているのかもしれない。
わたしは烏鞘峠や、チベット族自治県が間近に見られるのではないかと期待しているので、あんまり簡単にすっ飛ばされてはおもしろくないんだけど。

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11時に女性運転手の劉さんが迎えに来た。
感心にひとりである。
もっともわたしが強盗かレイプ魔だとしても、彼女相手では簡単に組みしだかれてしまうであろうことは、すでに書いた。
とりあえず100元という約束で市内観光に出る。

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最初に行ったのが文廟というところで、甘粛省最大の孔子廟だという。
庭にアカシア(えんじゅ)の古木があるのが気になっただけで、おもしろくもおかしくもない。
敷地内に博物館があって、西夏文字という歴史的に貴重な文字を刻んだ石碑があるということだけど、どれがそれだかぜんぜんわからなかった。
ここではストリートビューで見つけたそのあたりの写真も載せておく。

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タクシーは万国共通のはずの進入禁止の道路標識を無視して、つぎに鐘楼に向かった。
運転手にもうしわけないから、いちおう見学してみたものの、おもしろいのは鐘楼のまわりの、びっしりは建て込んだ古い住宅くらい。
鐘楼というと西安でも張掖でもメインストリートの交差点のまん中にあったのに、この街の鐘楼は貧民窟の中のような、妙にハンパなところにあるのである。

どこか農村が見たいんだけどねとわたし。
タクシーはゴミ捨場のわきの汚い土壁の民家のわきに出た。
農村だよと劉さんがいうんだけど、彼女は農村と農家を混同しているらしい。

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つぎに向かったのはいくらか郊外にある雷台というところ。
雷台もぜんぜん見たいと思わないのだけど、やはり案内してくれる運転手にわるいので入ってみた。
有名な飛燕を踏む馬はここで発見されたのだという。
わたしが見たときはそれほどでもなかったけど、ここは武威の名を世界に広めた場所なので、最近では大きな公園、地下墓地を含めた壮大な観光名所になったようだ。
建物の中に飛燕を踏む馬のレプリカが飾ってあった。
オリジナルは、甘粛省の省都である蘭州の博物館に収納されているもので、ここにあるのはすでに緑青をふいた本物そっくりの銅製品であるから、なかなかレプリカとわからない。
売店でその像のミニチュアを売りつけられたけど、小さな記念バッチひとつですませた。

車にもどって劉さんに、どこか水の流れているきれいなところはないかと訊くと、うなづいた彼女が連れていったのが、海蔵寺という寺のそばにある公園。
やけに緑の多いところで、なるほど、ここには水のある大きな池があった。
案内された岩のあいだから冷たい湧水が流れ落ちていたけど、乾期で水が少ないらしく、観光用の手漕ぎボートの底がつきそう。
富士山や軽井沢で白糸の滝を見たことのある日本人には、ぜんぜん感動的なところではない。
公園内の売店に2匹のチンがいた。
えらく人なつっこいのでしばらくたわむれたが、劉さんはつまらなそうな顔をしてながめていた。

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こういうところじゃなく、もっと広大な農村風景が見たいんだよというと、運転手は、それじゃあ◯◯公園に行こう、ただしここから30キロあるけどという。
いいとも、そのぶんタクシー代を上乗せしようじゃないかということで、車を走らせる。
こんどはちょっと遠かった。
美しい農村風景の中を車は対向車、トラクター、自転車、歩行者をひらりひらりとかわしながらつっ走る。

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なるほど、今度こそはうるわしい農村風景の中を、川がゆるやかなカーブを描いて流れている風光明媚な景色が見えてきた。
写真を撮るのにもってこいのロケーションだ。
空き地に車を停めて、ヤナギの生える川岸に向かって歩き出したら、たちまち何人かのおばさんたちに囲まれた。
水辺にテーブルとベンチが並べられ、飲み物でも取りながら休憩できるようになっていて、ぜひウチのベンチへとおばさんたちの客引きである。
おばさんたちをひとり残らず無視して、水のそばへ寄ってみて、おどろいた。
まっ黒な、とても川とはいえない汚染されたドブ川だったのだ。
劉さんもびっくりしたらしく、わたしが川を背景に写真を撮ろうというと、あわてて首をふっていた。

チンのいた公園の水は湧水だったからきれいだったけど、このドライブで見かけた川で、きれいなものはひとつもなかった。
そろそろ帰ろうということになり、市内方向に向かっているとき、劉さんがもう1カ所公園があるというので、あまり期待しないままに寄ってもらうことにした。

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市民の憩いの場になっているらしく、林の中にバンガローふうの建物や売店(プールまであった)などが点在していて、行楽している人も多かった。
こんな公園を男がひとりで見たって仕方がない。
しかし公園のすぐわきまで農地がせまっていて、ムギ畑のまん中になにやら古い烽火台のようなものがあるのが目についた。
近づいてみるとレンガと土の建物で、最近の農家にしてはおそろしく頑丈に造られているから、これはやはり、なにか古い建造物ではないか。
ただし頑丈なのは土台だけで、この土台の上に、あとから乗せたような感じの四角い建物が乗っかっている。
わたしの想像では古い時代の烽火台の上に、誰かが勝手に家を造ってしまったというところだ。
そちらは窓もあり、ボロ布で目かくしがされていて、入口近くにはまだ数分まえに撒かれた水の跡まであって、いまでも誰か住んでいるようでもある。
ただしわたしがすぐ近くでじろじろ眺めていも、だれも出て来なかったし声もしなかった。
住人は世捨て人のように声をひそませていたのだろうか。

武威の街までもどって劉さんとともに食事をする。
わたしがビールを注文すると、彼女はフルーツ・ビールというものを注文した。
これは瓶の形こそビールと同じだけど、中身はラムネだった。
彼女はウドンに、わたしが注文したマーボトーフをぶっかけて食べていた。
わたしが長距離トラックの運転手だったころ、よくドライブインでライスにモツ煮込みをぶっかけて食べたことを思い出した。
どうもあんまりロマンチックな光景とはいえないようだ。
きれいな運転手とのデイト料金は200元で、食事はもちろんこっち持ち。

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ホテルへもどって、寝るまえにもういちど街へぶらぶら。
ふだん怠惰なわたしが、それでもあちこち歩きまわっているので、わたしのお腹はだいぶ減っこんだ。
バンドがゆるくてたまらないので、たまたまあったバンド屋の兄ちゃんに頼んで穴をひとつ増やしてもらった。
これで快調、気分よくホテルにもどったものの、武威はつまらない街である。
荒々しい砂漠の景色をずっと眺めてきたあとで評価したのでは気のドクだけど、この街でわたしの記憶に残るようなものはほとんどなかった。
トルファンとコルラのあいだの山間部で見た、険しい山あいで、馬に乗ってヒツジを追う男たちの生活、わたしが見たいのはそういう景色なんだけど。

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しません

『ロシア軍、ウクライナ東部ウクラインスク制圧』
今日、ヤフーをのぞいたら、ニュースのページのトップにこんな表示。
さらにその横に『ウクライナ緊急支援のお願い』だって。
がーんと頭にきた。
なんでいまごろになって緊急支援をお願いするんだよ。
しません、ええ、支援なんてしませんとも。
わたしが残酷なわけじゃないぞ。
わたしはウクライナ戦争が始まったころから、いや最近の3週間ぐらい前からでもいいけど、これ以上犠牲者を増やさないように、戦争をやめろやめろといい続けてきた。
そういう声に聞く耳を持たず、支援の継続だけに熱心で、戦争を引き延ばしてきたのは誰なんだ。

歴史をふりかえっても、戦争を引き延ばせば犠牲者は増える。
戦争が終われば両国の国民が幸福になる場合のほうがずっと多い。
わたしはプーチンがヒトラーではないと信じているから、こういうことをいうんだ。
戦争が終わって幸福になったのは、日本が好例じゃないか。

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2024年9月17日 (火)

アメリカ取材

今朝のNHK国際報道を観たら、キャスターの望月麻美ちやんがアメリカに取材に行ったときのことを話していた。
アメリカには強力なユダヤ・ロビーであるAIPACという組織があって、米国議会にユダヤの息のかかった議員を送り込んでいるそうだ。
この組織の影響で、アメリカではイスラエル批判はしにくくなっているとか、AIPACと考えの異なるユダヤ・ロビーもあって、米国内で両者がゴタゴタしているとか。
とりあえずここではユダヤ・ロビーに対して麻美ちやんも批判的だけど、そこまでわかっているなら、なんでNHKはアンチ・イスラエルになって、パレスチナの応援をしないんだよ。
これほど白黒のはっきりした問題に、NHKはいつも曖昧な態度。
もっと歯切れ良くパレスチナ人の応援をしたらどうなんだ。
ウクライナに対しては、避難民を日本に引き受けたり、車椅子を送ったり(あまり戦局に影響は与えないことばかりだけど)総力をあげて支援しているくせに。
これもぜったいに米国には逆らわないようにという、公平を装うためのカモフラージュじゃないのか。

トランプさんがまたテロリストに狙われた。
しかし今回は単独犯であることが確実。
なんでかって?
犯人はシークレットサービスにも警官にも射殺されず、のうのうととっ捕まっているじゃないか。

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2024年9月16日 (月)

広報する

わたしが楽しいブログと認めている「波平余生録」の波平さんが、いちじブログを止めると宣言していたものを、ふたたび再開した。
そうだ、そうだ、ブログぐらいボケ防止に効果のあるものはないと、わたしも再開に全面賛成なので、再開祝いのコメントをつけようとしたら、あにはからんや、わたしのコメントは書き込み禁止になっていた。
わたしのほかにも再開を祝福するコメントがいくつかついていて、それはちやんと載っているから、こうなるとコメントを禁止扱いにしているのは波平さんではない。
やっとわかってきたけど、おそらくココログのほうで、わたしのコメントが気にくわないと、一括して禁止扱いにしているのだろう。
ま、それだけわたしのコメントの影響力が大きいのだと思えば、腹も立たないし、こうやってそのことさえブログのネタになる。
カウンターの数字はあいかわらず頭を押さえられっぱなしだし、ただただココログの姑息な態度がケシカランので、対抗策として日本のファッショ化はいよいよ進行中だと、うんと広報しちゃうかんな。

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払いたくない

わたしはNHKしか観ない人間である。
偏向していると思われるかもしれないけど、民放のあのギャアギャアしたお祭り騒ぎみたいな番組がキライで、テレビはほとんどNHKしか観ない。
いまでもNHKしか観ないのは一緒だけど、見方が大幅に変わったのはウクライナ戦争のおかげである。
わたしはNHKのファンであると同じくらいロシアのファンでもあったから、この戦争の推移ばかりではなく、それまでのいきさつや、ソ連崩壊後のロシアの歴史もじっと注目してきた。
そういう人間から見ると、ウクライナ戦争の報道が偏向していることも手にとるようにわかった。
公平客観的であってほしいと願うわたしにとって、NHKに裏切られたことのショックは大きい(民放も似たようなものだろうけど、観ないからわからない)。

いったんNHKの欺瞞が鼻につくと、ウクライナだけではなく、対中国の報道や、アメリカの大統領選挙や、アジア・アフリカの国際情勢の分析など、欺瞞があとからあとから出てきた。
いくら世界を2極化して、日本はそのうちの一方のメンバーなのだといっても、プーチンを極悪人、犯罪者扱いするのは、これはちょっとひどすぎる。
公共放送がデタラメを流すようになったら、日本にもふたたび学徒動員や、特攻隊の時代が来るのではないかと、未来をしょってたつ若者たちの運命も危うい。

こう考えると、ウクライナ戦争の意義はまことに大きい。
おそらくこの戦争がなければ、わたしはいまでもNHKだけを判断基準にしていて、その報道が真実であるとばかり思っていただろう。
残念なのは、それがわかったあとも、視聴料をオレだけは払わんといえないことだ。
ウクライナの支援金をわたしたちの税金から出すのをヤメロと、日本政府にもいいたいんだけどね。

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2024年9月15日 (日)

忘れものに注意

戦争は悲惨なものである。
けれど人間というのはなぜか、一定期間以上まえのことはけろりと忘れてしまうものらしい。
もちろん忘れない者もいるけど、そういう人間は変人ということで世間からつまはじきにされるのである(わたしみたい)。

こんなことを書いたのは今夜、録画してあったNHKの「日米プロパガンダ戦争」という番組を観たからだ。
この番組を観て、戦争は悲惨なものであると同時に、当時の国民がいかに簡単に国家のプロパガンダに乗せられたかということをしみじみ考えさせられた。
これがわりかし一方に味方するような描き方をされてなかったのは、ウクライナ戦争よりずっとむかしの太平洋戦争を扱っていたからのようだ。
太平洋戦争をふりかえって、ウクライナ戦争はプロパガンダの戦争でもあるから注意しましょうってことらしいけど、いまのNHKを見ていると皮肉としか思えないな。

プロパガンダの危険性を声高にいうくせに、いまのNHKは徹底的にプロパガンダばかりじゃないか。
なにがなんでもウクライナを負けさせるわけにはいかないと、ウクライナの大本営発表と、西側の偏向報道、さらにプーチンを極悪人にするデタラメまで、執拗に流し続ける。
“一定期間以上のことはけろりと忘れてしまう”というのはこの番組を観ての感想なのだよ。
そうやって台湾有事まで持っていこうとするなら、わたしとしてはもういちど、戦争は悲惨なものだよというしかない。

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待ち遠しい

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わたしの花壇にはこの季節になると、彼岸花が盛大に咲く。
ところがそろそろかと思って見回りに行ってみたら、今年はまだせいぜい10本ぐらいが首を伸ばした程度。
草むしりをするくらいで、ほとんどエサもやらず、新しい球根も補充しないから、ふつうに考えればどんどん花の数は減っていって、あとは野となれ山となれってことになるんだろうか。

心配だから近所の、やはり彼岸花の名所を視察に行ってみた。
うちの近所にはハンセン病の療養所だった全生園があり、その敷地内にもみごとに彼岸花の咲く一画がある。
ところがそこにも今年はひとつも、いやひとつだけという体たらく。
ネットで巾着田の彼岸花で有名な埼玉県高麗の開花状態を調べてみたら、今年は暑さのせいか開花が遅れてますだって。
安心したけど、罪作りな花だね。

それにしてもわたしがここに引っ越してきたときの花壇の素晴らしかったこと。
あれはボランティアのおじさんが、手間ヒマと、花の苗や肥料にそうとうの費用を注ぎ込んでいたんだろうなあ。
というわけでそのころの花壇の写真をもういちど。

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2024年9月14日 (土)

中国の旅/武威

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列車のなかで目をさましたのが朝の8時ごろ。
すぐに小さなオアシスで停車した。
駅名を確認できなかったけど、時刻からすると玉門鎮らしい。
個室の窓からベッドにごろりとしたまま見えるのは左側の景色で、そちらはほとんど起伏のない砂漠、右側の通路側の窓からは砂漠の向こうに山が連なっているのが見える。
こんながらがらの軟臥もめずらしく、客のいる部屋は、8つあるうちの2つか3つのようだった。
最近は中国人も金持ちになって、どうせ軟臥に乗るなら豪華車のほうがいいということか。
わたしはトルファン駅でとなりに停まっていた豪華列車を思い出した。

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そのうち右側の車窓に、まだらな残雪の残る突出した山があらわれた。
この山は列車からよく見え、ちょうどこれから祁連山脈が始まるというあたりにあるから、日本でいえば丹沢連峰のいちばんはじにある丹沢大山みたいなものか。
灼熱の砂漠の向こうに雪山なんて、日本じゃお目にかかれない景色だから写真で紹介しようと思ったけど、このあたりはいちど見たところなのでフィルムがもったいない。
そこでインチキをする。
この写真は1997年に初めてシルクロードを訪れたときに撮った祁連山脈の写真で、それを左右反転すれば帰路に見た景色になる。
どうじゃ、このデタラメなこと。

わたしは山が好きなので、ずっと目を離さないでいると、玉門鎮を過ぎたあたりから山脈の向こうにさらに高い雪山が、わずかに頭を見せ始めた。
これが祁連山脈の盟主たる祁連山らしく、そうだとすれば標高は5547メートルもあるから、わたしが走っている場所も2000メートル以上あるのではないか。

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わたしはいま武威というまったく知らない街に向かっている。
なぜこの街に下車することにしたかというと、1997年の旅でこのあたりを通ったとき、列車の車窓からアヤメに似た花がたくさん咲いているのを見て、それが気になっていたからだ。
帰国してから調べてみると、武威と蘭州のあいだには、上海〜ウルムチ間でいちばん標高が高い烏(からすという字)鞘峠という難所がある。
花が多いのはそういう特殊な地形のせいらしいけど、できることならそれをもういぢど、近くからじっくり眺めてみたかった。

さらに調べてみると、烏鞘峠の近くには“天祝”という町があって、そのあたりはチベット族の自治県になっていることもわかった。
へえ、チベット人はこんなところにも住んでいるのかと意外に思い、ついでにその町も見てみたい。
武威で列車を降りて、路線バスで蘭州に向かえば、もっと近くから烏鞘峠や天祝を眺められるに違いないと考えたのである。

嘉峪関で中国人の農民のおじさんおばさんといった感じの2人連れが乗り込んできた。
ニーハオと簡単な挨拶をしておいだけど、彼らは商丘という街へ行くそうだから、西安、洛陽よりまだ先である。
12時すこし前に清水という駅に到着して、ここで紙パックの乳酸飲料を買う。
同室の夫婦とはあまり口をきかない。
このあたりで列車は不可解な動きを始めた。
まず180度以上あるような大旋回をし、そのあとも大きなS字を描いた。
あたりは山あいといえば山あいだから、これから山に入るぞというウォーミングアップの儀式のようなものかも知れない。
コルラで見たような急峻な場所にも見えなかったけど、やっぱりストレートに突入するにはきついところなのだろう。

17時10分に金昌に到着、このつぎがいよいよ武威である。
金昌を出てまもなく、わたしは麦畑のあいだに、白もしくはブルーの小さな花が植えられているのを見た。
同室のおじさんおばさんはなんとなく農民みたいなので、彼らに尋ねると、おじさんがいうのには「油菜花」だという。
油菜といわれるとつい菜の花を連想してしまうけど、黄色い花ではなかったド。

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時間どおりに武威に到着。
同室の2人に別れを告げてわたしは武威の第1歩を踏み出した。
駅前で寄ってきたタクシー運転手の中にきれいな女性がいた。
わたしはさっそく彼女に天馬賓館、10元だぜという。
天馬賓館はガイドブックで調べてあったホテルで、市内だから5元ぐらいだろうけど、相手が損をしないよういくらか高めにいったのである。
この街で下りた外国人はわたしだけのようだから、ほかのタクシーはみんなあぶれたわけで、どこの国でも美人は得である。
ただし彼女はわたしの想像する楊貴妃のようなタイプではなく、先日のパリ五輪で、日本人として初めて金メダルを受賞したレスリングの鏡優翔ちゃんみたい。
わたしなんか簡単に組みしだかれてしまいそうだ。 

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前述したように、この街は路線バスに乗るために立ち寄ったもので、ほかに目的はなかったから、ついつい駅やホテルの写真を撮り忘れた。
これはストリートビューで眺めた現在の武威駅だけど、駅前はこんなに広くなかったねえ。 
なんでもわたしが行ったあとの2009年に、駅とその周辺がアップグレードされたそうだ。

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路線バスに乗るためといっても、のんびりゆったりを基調にしているわたしの旅だから、到着したその日にバスに乗るほどせっかちじゃない。
せっかくだから武威という街も見物していくことにした。
明日タクシー借りきりで観光したいんだけというと、たちまち運転手はこの餌にくらいついた。
わたしとしても観光するなら美人運転手つきのほうがいいのである。
彼女の名前は劉さんで、女の子がひとりの母親だそうだ。

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武威は小さな街だけど、天馬賓館は3つ星の立派なホテルである。
劉さんを待たせたままフロントに行って、部屋代はいくらなのか尋ねてみた。
ロビーにこの町のシンボルである「飛燕を踏む馬」のレプリカが展示してあった。
この像はいまでは甘粛省全体のシンボルになっていて、蘭州の博物館にも置いてあるけど、もともとは武威の雷台というところで発見されたのがオリジナルだそうだ。
当時のわたしはそんなことも知らなかった。

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ところで天馬賓館ていまでもあるのか。
調べてみると、ちゃんとネットで引っかかるから、いまでもあるらしく、この写真もネットで見つけた最近のものである。
わたしの部屋は北楼の515室で、部屋もダブルベッドだし、いくらか湯の出がわるいくらいで文句のつけどころはなかった。 
カードは使えなかったけれど、これで1泊220元(3000円足らず)というから泊まることにした。

このあと新華書店まで劉さんの車で地図を買いにいき、明日は11時に迎えにくるよう約束して別れた。
もっとも前回の敦煌や張液であったように、相手もこちらを恐れて男の用心棒を連れてこないともかぎらない。
さて楽しいドライブになるかどうか。

天馬賓館の北楼にも売店がある。
愛想のいいおばさんがいて、冷えたビールはないかというと、後ろにあった冷蔵庫で冷やしておくからあとで取りにおいでという。
シャワーを浴び、洗濯をしたらもう暗くなってきた。
まだ21時ごろだから、新疆ウイグル自治区に比べると日没は早い。
わたしはすでにカシュガルから上海までの行程の半分近くまでもどってきたのである。

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ほとんど食事らしい食事もしてないので、ふらりとそのへんまで迷い出た。
ホテルの近くに涼洲(武威の古い名称)市場という、小さな食堂がびっしり建て込んだ屋台街のような場所があった。
酸湯水餃子という看板のある店に飛び込み、それを注文してみたら、日本のふつうの焼き餃子と同じくらいの餃子が20コくらい入っていた。
ほうほうの体でやっと半分くらい食べ終えた。

部屋にもどって、冷やしておいてもらったビールを飲みながら考える(このビールは金黄河といって、640ミリリットル入りの丸々と太ったボトルに入ており、なかなかいけた)。
またほんの少し見てまわっただけだけど、武威の街はわたしの想像とすこし違っていた。
城門を出るといちめんの砂漠といった、国境の町のようなところを想像していたのだけど、いまのところ洛陽のような漢族の町という印象しかない。
街の周囲に農地が多いから農民は多いけど、もはやウイグルではなく、そのほとんどが回族のようだった。

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2024年9月13日 (金)

インチキじゃん

イチョウの木が折れて下を歩いていた人が亡くなったそうだ。
わたしの散歩道にも傾いて生えているカシがあって、その下を通るときはいつもコワイ。
そうかといって、たまたまわたしがその下を歩いているとき、その木が倒れる確率は交通事故に遭うよりずっと少ないだろう。
そんな幸運、いや不運に当たったとしたら、神さまの思し召しと考えてさっさと成仏するワ。

それとはべつに、ニュースを観ていたら、現地派遣のアナウンサーがスタジオから呼びかけられると、ちょっと間をおいてから返事をしていた。
あれって海外の場合、通信事情から間があくのかと思っていたけど、イチョウのニュースは日本の日野からだぞ。
ロシアやウクライナにも特派員が派遣されて、もっともらしいことをいってるけど、インチキじゃないか。
現地にいればさまざまな情報が入ってくるはずなのに、つねにNHKの方針にそった報告しかしない。
やっぱり海外の報告といえども信用しないことにする。

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冷静なブログ

このブログでも何度か紹介したことのある大地舜さんのブログから、またひとつ冷静な目で国際情勢を見つめるブログを知った。
「耕助のブログ」というのがそれで、賀茂川耕助という人が米国の報道を翻訳しているものらしいけど、くだくだしいことはいわない。
わたしがなにをいってもどうせ変人だからと無視されてしまうに決まっているんだから、真実かどうかはあなたが自分で読んで判断すべきだよ。

民主主義の盟主を自認するアメリカにいいところがあるとすれば、ときどき耕助さんの記事のもとネタとなったような、アメリカ政府の方針に反する意見がどうどうと出てくることだな。

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