2024年6月16日 (日)

権威主義のクニ

『ゼレンスキー大統領はなぜ対中批難を引っ込めたのか?』
これは今日のネットニュースの見出し。
その記事のなかに
「しかし欧州外交問題評議会(ECFR)が今年1月に行った世論調査では、わずか10%の欧州人しかウクライナの勝利を信じている人はいない」
のだそうだ。
記事はずいぶん長いのでリンクを張るだけにしておくけど、わたしがいいたいのは、日本だけが10%しかロシアの勝利を信じてないんじゃないか。
なんでそうなるかというと、もちろんNHK(とすぺてのマスコミ、SNS)がそう報じているから。

上記の記事は中国問題グローバル研究所の遠藤誉さんのものだけど、日本は権威主義の国で、有名人の意見は無条件で信じる人ばかりだから、こういう人の意見なら信じる人もいるんじゃないかねえ。
逆にわたしみたいな無名のじいさんがなにか言っても、あ、またたわごとおじさんがなんかいってらあでオシマイだ。
くやしいけど、なんだっていいや、とうせ戦争に行くのはアンタたちだ。
前項の文章を読んでもらえば、わたしの推理だってよく当たることがわかるはずなんだけど。

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またありんくりんサン

ココログの「農と島のありんくりん」サンが、いまごろになって韓国の日本自衛隊に対するレーダー照射について書いている。
わたしもこの件は、韓国の強引な捏造だと思っているから、異論はないんだけど、あいかわらず産経新聞だとか鈴置サンだとか、自説に有利な情報を取り上げる姿勢は変わってないなと思う。

わたしは事件の直後にこの事件をミステリー仕立てにしてるから、読んでみるとおもしろいぞ。
ソースが産経であるのが気にくわんけど、今回のありんくりんサンの記事は、わたしの推理がみごとなくらい的中していたことを証明した。
ついでに言っておくけど、いまはある程度以上大きな船舶の行動は、すべて監視されていて、北朝鮮からロシアに兵器が供給されているかどうかもお見通しなのだ。
もちろん貨物列車の運航も、ちょっと便数が増えればたちどころに把握される。
そういうこともちゃんと理解したうえで、ごちゃごちゃいってほしいね。

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2024年6月15日 (土)

中国の旅/張掖

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張掖(ちょうえき)はどんな街だろう。
わたしはたまたま往路で列車の車窓から水田を発見し、シルクロードに田んぼという意表をつく取り合わせに興味をひかれただけで、この旅に出るまでまったくこの街を知らなかったし、もちろんアナタも知らないだろう。
ウィキペディアを見ると
張掖とは「国の臂掖を張り」(『漢書』地理志の応劭注)、西域に通じるという意味でつけられた名前だという・・・・
うーん、わからん。

街の名前の由来に驃騎将軍の霍去病(かくきょへい)の名が出てきたので、こっちのほうはいくらかわかった。
ようするにずっとむかし、中国(漢)が匈奴と争っていたころ、相手を殲滅するために中国の軍勢がどうしても通らなければいけない、河西回廊の要衝だったってことぐらいでいいんじゃないか。
市内や郊外に古刹や歴史的遺物が多く、1986年12月には中華人民共和国で、国家歴史文化名城のひとつに選ばれたそうである。
街の印象は漢族が多く、城壁をとっぱらった西安みたいで、もちろん一歩郊外に出れば、まわりは新疆と変わらない砂漠である。

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列車は定刻に張掖に到着した。
駅は農村みたいなところにあって、市内まで歩くと1時間以上かかるという。
ということは4キロ以上あるということか。
するとタクシー代は・・・・と胸算用をし、駅で話しかけてきたタクシーが15元といったのを、まあ、ふっかけているわけでもなさそうだからOKした。
わたしが下車した張掖の駅は現在どうなってるのかと調べてみたら、その後新しい駅舎に模様替えしたようで、それなり変化はあったようである。
ここに載せた写真は、上がわたしが下りた張掖の駅、下が最近の同じ駅で、あきらかに変わっている。
しかし蘭州からウルムチ方向へは、新しい高速鉄道ができているはずだから、とうぜん張掖にも新しい駅ができているのでないかと探してみたら「張掖西駅」というのが見つかった。

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現在は西駅のほうが乗客の利便性から、メインの駅になっているようだ。
知らないけど、張掖西駅には駅なか商店街なんてものもできているかも知れない。

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やたら広い農地のあいだの道路を15分ほど走ると、建物が増えて街らしい景色になり、正面に寺のような建物が見えてきた。
交差点のまん中にでんと居座っているから、西安にある鐘楼のようである。
あとで調べたら「鎮遠楼」というもので、登ることができないかわり、下部に軽車両でも通れるようなトンネルができていた(車の通行は禁止)。

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「地球の歩き方」を読んで、選んだホテルが「甘州賓館」だった。
“甘州”という名前は、ここはすでに甘粛省だからである。
甘州賓館を選んだ理由は、ここだけはシャワーが24時間使えると書いてあったからだけど、着いてみたら汚いホテルだった。
見せてもらった部屋も汚かったし、ドアの鍵がガタガタなのも気になった。
しかしシャワーが24時間使えるホテルがこの程度じゃ、ほかはもっとひどいだろうとあきらめることにした。
わたしの部屋は2階の212号室で、部屋代は132元。
ただいま別館を新築中で、それは10月に開館するという。
ホテルは鎮遠楼のある交差点の角といっていい場所にあり、にぎやかな通りに面していて、すぐとなりに映画館まである。

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荷物をとき、まず近くにある鎮遠楼のあたりへぶらぶら。
トルファンではウイグルの民族色いっぱいだったのに、ここでは回族の帽子さえ見ない。
なんとなくほかのホテルに未練があったから、鎮遠楼のあたりにたむろしていたタクシーをつかまえ、この町でいちばん大きなホテルを知ってるかと訊いてみちた。
運転手はあるある、連れていくといったけど、たまたま、いくらやってもエンジンがかからなかった。
わたしもあまり遠くに連れていかれても困るので、これ幸いと下りてしまった。

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タクシーに尋ねる必要はなかったのだ。
鎮遠楼から200メートルほど歩いたところに「金都賓館」という、甘州賓館よりきれいなホテルがあった。 
金都というのは張掖の別名らしい。
このホテルに飛び込んでひと晩いくらかと訊くと、180元くらいのことをいう。
これでは甘州賓館とたいして変わらないし、おまけにフロントの女の子も美人である。
いちばん高い部屋はと訊くと、300元プラスだとか。
話のタネに300元プラスの部屋を見せてほしいといって、部屋に行ってみたら、この部屋にはベッドがなかった。
あれれと思ったらベッドルームは別にあった。
ようするに2部屋続きのVIPルームで、豪勢なものだけど、いくらなんでもわたしにそこまで必要ない。
180元の部屋でも甘州賓館よりずっとマシだったから、明日また来ますといっておく。

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このあとは生鮮食品の買い出しに行くことにして、今度は若い女の子の運転するタクシーをつかまえた。
助手席にも若い娘が乗っており、2人ともまだ幼さの残る顔だちで、助手席にいるのが姉で25歳、運転しているのが妹で22歳だとか。
この妹は女優の薬師丸ひろ子によく似ていた。
南関市場というところで野菜や果物を売っているということなので、そこまていくらと訊くと、2元という話である。
走り出して、どこの人ですかと助手席の娘が訊くから、日本人と答えると、日本人は初めてだわと嬉しそうである。
わたしは明日、農村へ水田の写真を撮りに行きたいんだけど、1日借り切ってこのタクシーはいくらかと訊いてみた。
100元と答えたから、そのくらいならいいだろうと口約束で予約をしておいた。

市場でトマト、モモ、あと紫色のアンズを買い、待たせてあったタクシーでふたたびホテルまでもどる。
往復だから4元でいいかと思ったら、運転席の娘が10元だと言い出した。
それもかなり強引な言い方で、こちらの言い分に耳を貸そうとしない。
やれやれ、えらいところへ来て、えらい娘のタクシーを予約してしまったなと思う。

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ホテルの近所をぶらぶらして、そのへんの書店で町の地図を買う。
張液の名物が大きな涅槃仏であることは知っていたから、ヒマつぶしに地図を見て、その像のある大仏寺というところへ行ってみることにした。
リキシャをつかまえ、5元だといってみたが、じっさいには歩いて行ける距離だった。
大仏寺は入山に22元も取る。
幸いというか不幸というか、この日はもう閉館だった。

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仕方ないからこの近くにある木塔寺の塔へ行ってみることにした。
ただこの塔は「地球の歩き方」によると、中学校の倉庫として使われていて、登ることはおろか、境内に入ることもできないということだった。
そんなことはなかった。 
ちゃんと門のわきに受付があり、もう帰り支度をしていた女性が、あわてて切符を売ってくれた。
こちらは外国人さん12元で、塔のまわりにはツバメが群れている。
木塔寺といっても屋根のひさしの部分が木造というだけで、建物本体はコンクリートで、レンガでもなかったから最近になって建て直ししたのではないか(じつは1926年再建のものだった)。

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中国のこうした塔の例にもれず、途中の階にはベランダ以外なにもない。
最上階まで登れるけど、階段は鉄製のおそろしい急勾配で、ほとんど垂直だ。
しがみつくようにして階段を登っていくとき、境内にある別の建物の修復作業をしているのが見えた。
張掖市当局も、この歴史ある文物を中学校の倉庫にしておくより、観光名所にしたほうが利益が上がることに気がついたのだろう。
最上階にもなにもないけど、もちろん景色だけは見る価値がある。

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木塔寺から鎮遠楼のほうへぶらぶら歩いて帰る。
とちゅうにある寺院は塀が傾いていて、太い丸太でつっかえ棒がしてあった。
まだ文化財まで政府や市の手がまわらないころだったのだ。
張掖の名所が鎮遠楼、道徳観、大仏寺、土塔、木塔寺、西来寺などだとすると、これらは徒歩で充分まわれる範囲にある。
郊外には黒水国漢墓群という名所もあるらしい。
しかしわたしにとって、田舎の水田以上に魅力的な場所ではなさそうだ。

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2024年6月14日 (金)

われ思う、ゆえに

年齢的にわたしは団塊の世代ということになるらしい(いまでも若い娘を見ると目ん玉ギラギラなんだけどね)。
わたしは頭がよくないし、学歴もない。
そんなわたしがいまの若者に誇れるものがあるとしたら、経験とそこから導き出した知識ぐらいしかない。
わたしひとりの人生のうちにもいろんな事件が起こった。
敗戦直後の貧しい国から、じょじょに発展し、欧米を追い越し、世界の奇跡といわれ、さらにそれがまたじょじょに衰退していくさまを、リアルタイムで眺めてきたのだ。
さらにベトナム戦争、フォークランド紛争、ボスニア・ヘルツェゴビナのジェノサイド、湾岸戦争など、みんなわたしの時代に起こったことだ。
こういう経験の多さでは若い人たちよりマシだと思う。

だからいまの日本を見ると、黙ってはいられない。
太平洋戦争はわたしが生まれるすこし前まで続いていた。
子供のころ郷里の有名な寺院に行くと、門前で白い浴衣を着た傷痍軍人たちが、アコーディオンを弾きながら物乞いをしていたものだ。
野坂昭如さんの「火垂るの墓」は、まだ現実にわたしの周囲にあったのである。

いまの世間はなにも考えずに、わたしが生まれるまえに来た道をたどっているように見える。
戦争になればわたしが見てきた美しい日本、美しいこの地球を見ないまま、大勢の若者たちがあの世行きになってしまうだろう。
それはあまりにモッタイナイ。
わたしには家族がいないから放っておいてもいいんだけど、たとえ他人の子供や孫たちであっても、わたしが感動した美しい景色とやらを見せてあげたい。
余計なことは承知のうえで、わたしに残された(少しでも)意義あることといったら、経験から学んだことをつぎの世代に伝えるしかないのだよ。
あろうことか、運営者はわたしと同じ世代と思えるにもかかわらず、戦争を煽り、他人に対して憎しみを植えつけるようなブログもある。
わたしも古い常識をそなえた世代だから、忸怩たる気持ちもあるけど、残り少ない時間を考えると、そういうブログを名指しで非難するしかないのだ。

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なりふり構わず

もうなりもふりも構わないという今回のG7。
落ち目のトップばかりが雁首そろえて、ウクライナ支援を継続することで歩調を合わせたって。
仲良しクラブでまとめたアイディアが、制裁によるロシア資産の利子を没収して、ウクライナ支援に充てるということ。
法的に問題アリじゃないのという仲間の意見もものかわ、ほかに方法がないもんだから、強引にこれで話をまとめた。
プーチンは今日の時点では対抗策をとってないけど、とられたら困るというG7のメンバーもあるようだ。

だいたいなんでそこにゼレンスキーさんがいるの?
もはやウクライナ戦争でウクライナは名前を貸しているだけ、戦争は完全にG7とロシアの戦いに移行している。
メンツがからんで止めるにやめられないのがいまのG7だ。
こんな状況を、戦争開始時にいったいだれが予想しただろう。
岸田クンなんかやらんでもいいのに、ウクライナの難民を引き受けましょうと安請け合いした。
日本にウクライナ美人が増えてくれるなら異論はないけど、オレがオレがという粗忽な態度が許せないね。
いま自民党の支持率が最低というのも、自民党が悪いんじゃない、なにも考えずに、アメリカにしがみついていさえすれば間違いないという、見通しのあまい総理の姿勢のせいだろう。

『中露蜜月はなぜ堅固なのか? プーチンは習近平にスパイ極秘情報を渡していた』
なんてネットニュースの見出しを見たけど、スパイ情報なんてどうせ証拠がないんだろう。
それよりアメリカが中国のEVに100%の関税という記事を見れば、米国が中国に難癖をつけたがっていることはアホにもわかる。
ロシアが片づけば、つぎは中国ということもアホにでもわかる。
中国はロシアに代理戦争を戦ってもらっているようなもので、蜜月が堅固になるのは当然じゃないか。

同じウソでももっと上手につけないものか。
わたしがバイデンさんなら、中国をおおいに持ち上げ、もちろんEVは無関税で輸入し、ウクライナ戦争の決着がつくまで相手を油断させておいて、ロシアを片づけてからおもむろに中国と対峙する。
この程度の脳みそもないのか、アメリカ大統領には。
ないわけじゃあるまい。
これが民主主義国家の悲しいところで、つねに国民の顔をうかがわなければならない。
国内のいろんな勢力にまんべんなく色目を使わなければならない。
相手をおだてて油断させるなんて悠長なことはいってられないのだ。
とにかくここんところの西側は、なりもふりも構わないというわたしの見立てはおかしいかね。

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2024年6月13日 (木)

良識を

『アルメニア首相、ロシア主導の軍事同盟から脱退宣言』
これは昨日のネットニュースの見出し。
西側にしてみれば、ザマミロってつもりらしい。
こんなネタを見つけてきて騒いでいるのがアノ朝日新聞なんで、いまいち信用していいものか迷うけど、これこそプーチンが冷静で常識を備えた指導者である証拠だ。
アルメニアの首相であるパシニャンさんは、ナゴルノ=カラバフをめぐるアゼルバイジャンとの争いで、ロシアが味方してくれなかったのが不満なのだ。
しかしプーチンがアルメニアに味方、具体的に兵器の支援などをしたらどうなるだろう。
アルメニアは元気づいて、アゼルバイジャンに徹底抗戦を叫ぶ・・・・と、これではウクライナと同じじゃないか。
ヘタすればかってのボスニア紛争と同じ、民族浄化という凄惨な殺し合いに発展するかも知れない。
アメリカなら兵器を売れるというので、紛争大歓迎、殺し合いなんか知ったことじゃないということになる。

こういう駄々っ子みたいなアルメニアを扱うのはむずかしい。
プーチンはアルメニアを支援しないかわりに、アゼルバイジャンにもそれ以上手を出すなと警告する。
アルメニアには見返りにエネルギー供給などで便宜を図る。
わたしにはこれ以上公平で平和的なやり方が思い浮かばないんだけど、アンタはどう思う?
パシニャンさんも国内の抗戦派の手前、ロシアへの不満をかたちにしないわけにはいかなかったんだろう。
紛争を拡大して、殺し合いの種を撒き、うん、朝日新聞ならそうやって野次馬記事のネタを増やして、部数削減を食い止めようという腹かも知れないな。
世間のみなさんは良識というものを忘れんといて。

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2024年6月12日 (水)

またありんくりんサン

ココログのありんくりんサンが「国境」についてご高説を垂れている。
尖閣諸島の領有権について、証拠となる過去の事例を持ち出して琉球のものだと断定し、その琉球(沖縄)は現在日本の領土だから、尖閣も日本のものだという論法らしい。
わたしも日本人だから、ここでは尖閣の地位については、どっちのものかという論争には加わらないけど、わたしがいいたいのは、ありんくりんサンのブログはカルト宗教みたいなものだから、注意しなさいということだ。

だいたい琉球はいつから日本の領土になったのだろう。
薩摩藩(鹿児島)が琉球を征服して(琉球征伐=1609)自藩領に組み込み、明治維新でそのまま日本政府が日本領土と勝手に宣言しただけじゃないのか。
琉球の歴史をヒモ解くと、ここはつねに日本につくか、中国につくかで揺れ動いていたことがわかる。
この問題は日本が清国との戦争に勝ったおかげで決着したけど、そのあいだ琉球は大国同士が頭越しに自分たちの運命を決めるのを、なすすべもなく眺めていただけだった。
国境というのはつねに強い国が勝手に引いたものだったのだよ。

沖縄が日本領だと主張するなら、中国がチベットや新疆に領土権を主張しても文句をいえない。
これらの土地は清の乾隆帝が征服した土地で、そのまま新中国が引き継いだものだから、沖縄の場合とそっくりだ。
ちなみに清というのは漢族の王朝ではなく、北方の異民族が建てた王朝である。

このことからもうひとつ、国境というのはなんなのかという問題が生じてくる。
長い歴史のなかで中国の国境はけっして永久不変のものではなかった。
よく知られている例を挙げるけど、ジンギスカンのモンゴル軍が中国(それどころか欧州の一部まで)を征服し、版図を大きく拡大したことがあるけど、この場合中国の国境はどこからどこまでといえばいいのか。
モンゴル軍が征服した場所はみんな中国領というのか、それとも一時的に中国の国境は消滅したというべきか。
ありんくりんサンは、国境というのはアメーバのように伸び縮みするものだということを知らないようだ。
アメリカだってアラスカやハワイを領土に組み込んだのは、そんなに古いことじゃないし、それどころかハワイを領土にするために、アメリカはそうとう残酷なことをした。

ありんくりんサンは、中国はかっての朝貢国をみんな属国扱いにしているというけど、歴史のなかにはチベットが強勢になって、逆に中国のほうが貢ぎ物を送った時代もある。
わたしは2005年に中国の青海湖へ旅をして、貢ぎ物としてチベットに贈られた文成公主の悲しみの記念碑を見てきたことがある。
なにか主張をするなら、歴史を大局的に眺めて、かならず公平で客観的であってほしいね。

そんなことは遠いむかしのことで、自分が話しているのは近代的な国際法で国境が画定された、最近の話をしているのだというかも知れない。
しかし領土問題に琉球を持ち出す時点で、ありんくりんサンが、少なくても明治維新後を問題にしていることは間違いがない。
近世のことだけを問題にしても、ありんくりんサンの説が閉鎖的で、せまい視点でしかものを考えてないことは、ここまで書いたとおりだ。
わたしは沖縄の基地問題にも触れないけど、彼の文章は恩着せがましいところがあって、沖縄県民の神経を逆撫でするようなところもある。
しかし日本は表現の自由が保証された国だから、ありんくりんサンがどんな信念を持とうと、それをブログで公開しようと、わたしに口を出す権利はない。
わたしが言いたいのは、彼のブログを読む人たちのほうに対して、彼はカルトの親玉みたいなものだからご注意ということなんだよね。

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中国の旅/また車窓より

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思いきり自転車で田舎を走りまわり、ウイグルについての認識を新たにし、何人かの忘れられないウイグル人と知り合ったトルファンと別れる日がきた。
と感傷的になっても仕方がない。
わたしはこのあと2000年と2002年の2回、またこの土地を訪ねて、“夢のトルファン”が短期間のうちに変貌するのを、目の当たりにすることになるのである。
生きているうちにその紀行記も書きたくてアセっているのだ。

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トルファン市内から駅へのバスは5元だった。
安い理由はすぐわかった。
途中で2回ほどエンコしたのである。
1回目は砂漠のまん中で、エンジンあたりでパンッと音がして、なにか配線がこげたらしく、キナくさい臭いがただよったものだから、乗客の中には停車した車から飛び降りた者もいた。
2回目はようやく駅のある町までたどりついて、バス駅まであと数百メートルというところだったけど、このときも運転手はエンジンカバーを開け、エンジンをなだめすかして、なんとかバス駅まで到達させてしまった。
こんな満身創痍でも、20人ほどの客を無事にトルファン駅に送り届けたのだから、運転手クンのプロフェッショナルぶり、そして車のタフさは称賛に値する。

トルファンの駅に着いたとき、わたしは胸のポケットに入れておいたサングラスがなくなっていることに気がついた。
蘭州で25元で買ったレーバンもどきのサングラスである。
2、3日で壊れてしまうだろうと思っていたのに、ずいぶんもったものだ。
日本に持って帰れれば、中国製品の安さ丈夫さを証明できたものを。
いずれにしてもわたしの目の充血は完全にひけていたから、サングラスの役割も終えたことになる。

駅でわかったことだけど、ホテル内の旅行社の娘が持っていた時刻表は間違っていた。
まさか旅行社の担当員の時刻表が間違っているとは思わないから、わたしのほうが間違っていると思っていたのに、列車の正式な発車時刻は15:48分だった。
わたしは駅へ2時間も早く着いてしまった。
駅の小荷物預かり所は、係員がメシを食いに行って不在だったから、ヤケになって荷物を下げたまま、わたしも近くの食堂でメシを食うことにした。
米飯とトマト、それに生卵をつけてもらって、ひさしぶりの和食である。
生卵を理解させるのに手間はかかったけど、なんとか持ってきてもらって、日本ならこれに醤油を1滴2滴というところだけど、中国の新疆の片田舎にそんなものはない。
テーブルの上をながめたら、無錫でも使ったことのある魚醤が置いてあったから、これを代用したけど、あまり美味しくなかった。
店の経営者は四川省出身という若い男性で、そういう人がよく新彊くんだりまで来て食堂を経営する気になったなと思う。
彼も新疆が景気がいいぞと踊らされて、一山当てようと乗りこんできた山師の類いだったかも知れない。

定刻にトルファンを出る。
こころに残るこの土地を、ゆっくり眺めている余裕はなかった。
発車してすぐに睡魔におそわれ、うとうとと寝入ってしまったからで、わたしは列車の中でなければ熟睡できない人間になってしまったのかしらん。

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18時すこし前、「鄯善」という駅で目をさましたら、右側に石油パイプがあって、炎が天をこがしていた。
遠方に石油タンクや精製プラントのようなものも見えて、このへんは本格的な石油掘削基地らしい。
このあと食堂車へ冷たいビールありましたっけと訊きに行く。
没有(ありません)である。
トルファンやウルムチで当たり前のように冷たいビールを飲んでいたので、列車内の過酷な現実を忘れていた。
食堂車のテーブルの上にはビールではなく葡萄酒が置かれていた。
それじゃ葡萄酒でも飲むかと、いくらと訊いてみると、すごい美人の服務員がなんとかかんとかといって売ってくれなかった。

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19時15分ごろ、右手に褐色の砂漠の中から赤い岩山が、ちょうど大海に浮かぶ小島のようにいくつも顔を出しているのを見た。
オーストラリアのエアーズロックをミニサイズにしたみたいである。
砂だけの本格的な砂漠こそ少ないものの、このあたりでは「さまよえる湖」に出てくる、メサやヤルダンという地形をふんだんに見ることができる。
初めて見る景色だけど、考えてみると往路でこのあたりを通過したのは深夜だったから、なにも見てないのである。
前方にテーブルロックのような岩山が見えてきた。
列車はそれをまっぷたつに切り裂いて、そのあいだを抜けてゆく。
岩山の断面をま近に見ることになるので、断層でも見えるかと思ったら、内部までことごとく乾ききった赤い岩だった。

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21時すこし前に満月が出ているのに気がついた。
太陽はまだ沈んでないけど、今夜は美しい月が見られるだろう。
ただし写真に撮るのはむずかしいし、いっしょに月を愛でる相手がいるわけでもない。
わたしは個室をひとりで占領していたのだ。

21時ごろ、線路のすぐ下の干上がった川べりに1軒の農家があるのを見た。
家のまわりにポプラの林があり、小さいながらも麦畑もあって、20頭ほどののヒツジが飼われており、まるでここだけで独立した小宇宙のようだった。
核戦争で人類が絶滅しても、きっとこの家だけでひとつの家族が生きていけるにちがいない。

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21時半ごろ、だいぶ景色はたそがれてきて、あと20分ほどで「ハミ」に着くというころ、腹がへったので食堂車に行ってみた。
この時間にはもう食堂車は閉まっていた。
それでもうまい具合にハミで停車中にリンゴが4つ手に入った。
うはうはだけど、リンゴはパサパサしていてあまり美味くなかった。
野菜はともかく、果物に関しては偏執狂ともいえる職人芸を示す日本人にはとてもかなわない。

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とっぷり日の暮れたハミ駅には、線路ぎわに夜間照明つきのテニスコートがあったけど、テニスをしている人はおらず、やけに虚しい光景だった。
停車中は蒸し暑いけど、走りだすと夜風がじつにさわやかだ。
ひと眠りしようと横になったものの、なかなか寝つけない。
えいっと飛び起きて部屋の明かりをすべて消し、まっ暗な中でしばらく月をながめる。
夜景を見つめて、また若いころ、自衛艦に乗って何度もながめた夜の海を思い出した。
  ああ おまえはなにをして来たのだと・・・
     吹き来る風がわたしにいう
あれは中原中也の詩だっただろうか。

人間は夜になったら寝なければならない。
昨夜は扇風機がひと晩中まわりっぱなしで、最初はよかったけど、夜中になってからうるさいのと寒いのでうんざりした。
おまけに夜中にドアにはめられていた鏡が割れて(もともとヒビが入っていたのだが)、起きると床に鏡の破片が散乱していた。
ちょうど「玉門」に停車中で、ガラスを踏まないよう注意しながら窓の外をうかがうと、今朝は薄曇りで、空気がひんやりしている。
トルファン盆地のまとわりつくような暑さとはお別れのようだった。

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列車が走り出すと、右側に並行して街道も走っており、40分ほどで沿線に火力発電所やアパートの見える「嘉峪関」に着いた。
ここでキュウリとカップラーメンを買う。
ラーメンは中国のベストセラー「康師傳」というやつで、食欲のないわたしなのに、カップラーメンだけは不思議と食欲をそそられる。
この日の朝食はカップラーメンとキュウリ、前日に買ったまずいリンゴ、それに水でおしまいだ。

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このへんは駅と駅の間隔がせまいようで、カップラーメンを食べ終わったころ「酒泉」に到着して、ここで欧米人のバックパッカーが下車していった。
酒泉(Liquor Fountain)という駅名は欧米人にも興味を持たれるのだろうか。

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酒泉を発車すると右側に、往路で見た祁連山脈が壁のように連なっている。
広い河川敷のような場所があって、そのまわりの荒れ地のあちこちに羊飼いがいた。
ヒツジはロバとちがって、農作物でも平気で食べてしまうから、もっぱら農地からかなり離れた原野で放牧されているのだそうだ。
敦煌の郊外で、夕日をあびながら三々五々家路につく(らしい)ヒツジたちをよく見かけたから、わたしは羊飼いが夜は家に帰るものとばかり思っていた。
ところがアイプ君やアサンサンらによると、羊飼いたちはヒツジとともに野宿の場合のほうが多いそうである。
ということはそうとうに人間社会から隔絶した孤独な職業ということになり、羊飼いが雌のヒツジを追いまわす西洋のジョークも納得。

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2024年6月11日 (火)

菖蒲祭り

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今日は梅雨のあいまの好天気。
東村山で菖蒲祭りをしているというんで、自転車で出かけてみた。
平日だったので見物人は、のんびり見てまわるのにちょうどいい込み具合。
写真バシバシというところ、枚数が多いから組み写真にしてしまった。

いっしょに行った知り合いと、ショウブ、アヤメ、カキツバタの違いについて語り合う。
現地でウィキペディアを調べてみた結果、乾いた土地でも生えるのがアヤメ、田んぼみたいなところに生えるのがショウブ、池みたいなところに生えるのがカキツバタというアバウトな結果を得た。

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オウンゴール

ここんところのヨーロッパ、EUは大混乱じゃないか。
わかりにくいのはEUの選挙に、マクロンさんのフランスも議会を解散・総選挙と、選挙が重なったせいだ。
EUの選挙というのは例のロシア憎しで固まったヨーロッパの27カ国による選挙で、予想される結果は極右政党の大躍進で、ウクライナ戦争の先行きはまるで見通せなくなったそうだ。

そういう事情でいまは取り込み中だから、後にすればいいものを、マクロンさんは議会を解散してフランスも選挙をするといいだした。
日本の自民党を見ればわかるように、ふつうは世間の評判が悪いときは、赤っ恥をかきたくないから選挙はできるだけ先延ばしにする。
マクロンさんの政党の場合、評判はけっしてよくないのに選挙とはいい根性だ。
でも、それでわかったことがある。
ここんとこのマクロンさんが、ウクライナに兵士を派遣するとか、ミラージュを供与するとか、やたらに元気がいいのも、ウクライナ支援という世間のポピュリストたちに受けのいい政策で、なんとかアホたちをだまくらかして、人気を挽回しようというのだろう。
ところが全く効果がないばかりか、時間の経過とともに支持率の差は開くいっぽうだ。
ついにあきらめて議会を解散、総選挙に踏み切った(選挙は6月30日に第1回、7月7日に第2回)。
これはヘタすると議会のねじれ現象を生む危険な賭けだそうだ。

そのあいだにロシアでは、加盟国がさらに増えたBRICSの外相会議。
西側にとっていい報道はまるでない。
NHKはあいかわらず西側の制裁が効果があると信じきっているし、ゼレンスキーさんはスイスで、戦争の一方の当事者が不参加の和平会議だそうだ。
ゴタゴタしてるのは西側だけで、ロシアも中国も静観のかまえ、プーチンが何もしないのに西側のオウンゴール。
追いつめられている西側はぜんぜん危機感がない。
なにも知らされてないのは日本だけ。

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