2023年11月30日 (木)

もうひとつ追加

もうひとつ偏向報道を見つけたぞ。
「プーチン大統領「国民直接対話」は12月14日実施 その場で大統領選出馬を表明か」だって。
なんか文句があるのか。
ということを、プーチンがいわないから、わたしが代わっていう。
プーチンがけしからんのどうのというのは、みんな西側の見方で、ロシア側から見れば、プーチン以外に大統領候補になり得る人物がいるか。
ロシアをオリガルヒの魔手から救い出し、米国やNATOが束になっても勝てないグローバル国家にしたのはプーチンの功績じゃないのか。
わたしはロシアまで行って、あの国にもマクドナルドやケンタッキーがあるのを見てきたから、ロシアが旧弊な共産主義国家ではないことをちゃんと知ってるのだ。
えっ、テレビ朝日、あんたのことだよ。
ふざけるな。

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今日の偏向

今日はネットで「ロシアのミサイル攻撃がウクライナの村を直撃、凄惨な被害に」という記事を見た。
あまったれちゃいけない。
これは戦争なのだ。
というと、わたしのことを血も涙もない残忍な人間だと思う人がいるだろう。
いったい凄惨な被害をもたらしたのは誰なのか。
プーチン?
いや、彼は最初はおだやかに、いつになっても欧米の支援と戦争がやまないものだから、2年かけてじょじょに戦闘をエスカレートさせてきたに過ぎない。
劣勢にあるほうがどうしても降伏しなければ、太平洋戦争でアメリカが日本にやったように、凄惨な被害が出るのは当然なのだ。
責任はすべて、なんとしても戦争をやめようとしないゼレンスキーさんと、和平のタイミングを測りきれず、ずるずると支援を続ける米国にある。

わたしはこれ以上の被害を食い止めたいからこんなことを書いているのだ。
あなたはどうなのだ。
凄惨な被害を止めたいからウクライナの応援を続けているのか。
本当に残忍なのはどっちかということを、みなさんもようく考えてくれないか。

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昨日の捏造

昨日のNHK国際報道を観たら、あいかわらず偏向報道ばっかりだね。
ロシアが大規模博覧会をするといえば、来年の大統領選挙のキャンペーンだろうという。
選挙に近くなればどこだって、たとえばバイデンさんだって岸田クンだって、キャンペーンぐらいするだろう。
このすぐあとにバイデンさんは、米国のサプライチェーンの強化を打ち出すって、これも選挙目当てのキャンペーンじゃないのか。
なんでもかんでもロシアがやるとケシカランということになってしまうのかね。
それも無理やりこじつけたようなニュースばかりで。

プーチンが工業、科学、文化、スポーツなどをひきあいに出して、ロシアの偉大さを強調しているというんだけど、これのどこが間違っている?
ロシアは人間が長期間、安定して生活できる宇宙船や、そこまで往復できる宇宙ロケットを持っているし、文化事業でロシアのバレエに匹敵できる国はなく、フィギュアスケートでは妖精のような女子選手を輩出する国だ。
NHKがいちいちけなすのをみていると、とても勝てそうもない相手に負け惜しみやウサ晴らしをいってるようで、見苦しいったらないね。

モスクワ支局から禰津という特派員の報告があったけど、冒頭の大規模博覧会場でのあたりさわりのない発言部分は、じっさいに会場に行って撮ったものらしいけど、肝心の報告部分になると、ロシアを中傷するようなことばかりなので、おかしいねえ、普通なら“好ましからぬ報道”ということで、ストップがかかってもおかしくないじゃないか。
そう思ってようく観たら合成映像だったよ。
ずけずけいう部分はどこかべつの場所で作ったにちがいない。
ぼさっと見ていたのではわからないだろうけど、手前のアナウンサーと背景の境界部分や、アナと背景の光の当たり方がちがうということなどで、見る人が見ればそういうことはわかるものなんだ。
わたしはそういうことにうるさいのだよ。

この博覧会を観に行かないというロシア国民もいるそうだ。
どこの国にもそういうヘソ曲がりはいるもので、たとえばわたしも混雑がキライなので、いまゴタゴタしている大阪万博なんて観に行こうとは思わない。
ウクライナ戦争に異議をとなえる国民もいるといって、また巧妙に戦争反対の意見だけを拾い出していたけど、これについては以前にわたしのブログでも書いているね。
どうせほんのひとにぎりの造反国民の意見だけを取り上げて、それが大勢であるかのように報道しているんだろうけど、政権に批判的な人がいるということは、その国の健全さのバロメーターでもあるんだよ。
北朝鮮なんか反対意見はひとつもなし、反政府国民は機関銃で皆殺しだ。

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2023年11月29日 (水)

中国の旅/長征列車の2

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朝4時ごろ目がさめた。
張おじいさんをおこさないようにそっとベッドからおりる。
明るくなれば景色を見る楽しみがあると思ったんだけど、そのあと40分たって洛陽に着いてもまだまっ暗だった。
線路と平行して、闇の中にポプラ並木があるのが、車のライトと、わずかに白い空をバックにしてわかった。
月の光のせいか、たまに通り過ぎる村落の家々はみなセメント工場のように白く見える。

昨夜は空いていた上段ベッドでさっさと寝た。
完全に日が沈むと景色はなにも見えないし、車内の明かりは本を読むには暗すぎたのだ。
明かりがついていてはわたしに迷惑と考えたらしく、張おじいさんもつきあって消灯してしまった。
明け方まで10時間以上あったから気のドクなことをした。
ところでわたしは、下段ベッドのほうが寝心地がいいだろうと思っていたけど、そうではなかった。
客が4人満室だったら、下段ベッドはソファ代わりにされて、昼間は横になることもできない。
それがわかってからは、ずぼらなわたしは特段の事情がないかぎり、列車に乗るときは上段ベッドを利用することにした。

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便所はとなりの硬臥車のものを利用した。
軟臥車にもトイレはついていたけれど、どういうわけか明かりがつかず、あまり利用されていなかった。
列車内の便所はきたない。
便所や通路はときどき車掌の朱さんがモップがけをしていたけど、よく絞ってやらないからそこら中が水びたしである。
便器は洋式ではなく日本式で、いちおう水洗であるものの、最近のわたしは長時間ウンチングの姿勢をとっていると足がしびれてしまう。

夜中に小用のためトイレに行ってみたら、硬臥車のトイレは使用中だった。
仕方がないからあまり使われてない軟臥車のトイレを使おうとしたら、こちらも使用中だったので、少しはなれたところで空くのを待っていると、ややあって女性が出てきた。
交代して入ってみると、明かりがつかないので中はまっ暗である。
わたしはドアを半開きにして通路の明かりを利用したからいいけど、あの女性はどうやって用を足したのかと思う。

うとうとして気がつくと三門狭のあたりで、夜がようやく明けていた。
わたしはふらふらと洗面所にいってみた。
洗面所は軟臥、硬臥客共用だから、利用者は多い。
水は過不足なしにちゃんと出たけど、足もとに水たまりができて、列車の動きにあわせて、あっちに行ったりこっちに来たりしていた。
わたしはつま先で立つような格好で、タオルを水でぬらし、それで寝グセのついた髪の毛を起こした。

軟臥車ではコンパートメントの片側が通路になっており、この窓ぎわには折り畳み式の椅子がついている。
座りごこちは悪いけど、個室と反対側の窓から景色を見るのに都合がいいので、わたしはしょっちゅうこれを利用した。
車掌や乗客が通るたびに肩をすぼめなければならないのか難点だけど。

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8時になったら車掌の朱さんが、食堂車がオープンしたと教えてくれた。
中国人の乗客はたいてい弁当を持参していて、食堂車なんか利用する人はほとんどおらず、張おじいさんもいちども利用しなかったけど、わたしは前日の乗車時から、今朝の朝食まで食堂車を利用しそびれ、とうとう20時間、ビスケットとミネラルウォーターだけで過ごしてしまっていた。
ようやくありついた朝食は、インドのナンのような平べったいパン(早油餅)と、お粥(餐稀飯)の定食しかなかった。
料金は8元(百円くらい)で安いけれど、どちらもあまり美味いとはいえない。
食事時になると車掌たちが弁当箱やお碗をかかえてぞろぞろと食堂車へいく。
これでは食堂車は社員食堂だなと思う。
食堂車のテーブルには造花の花とビールの瓶が飾ってあり、窓にはレースのカーテンがかかっていた。
この日のこの列車に乗っていた外国人はわたしひとりのようで、なんとなく痛快な気分である。

食事を終えて個室にもどり、また窓外の景色を見る。
霊宝という街の近くでは線路が大きくカーブしており、窓から前方をうかがうと、ディーゼル車を先頭にして、いま自分の乗っている車両まで、ずっとひとつながりに連なっている列車の全体が見える。
鉄道旅行をはっきりと実感できるダイナミックな景観である。

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目についたのは、畑や農家のまわりをかこむ土の塀で、かなり古いものらしく、全体が風雨で浸食されて、鋸の歯のようにぎざぎざになっているものが多かった。
土の塀も含めて、あたりの色彩は明るい肌色である。
江南地方の民家には、レンガの上から白いシックイを塗ったものが多かったけど、こちらではほとんどレンガがむき出しのままだ。
シックイを塗るのは水分の浸透をふせぐためということだから、乾燥地帯のこの地方の民家がレンガむき出しなのも納得がいく。
列車かときどき切り通しのようなところを抜けていくので、わたしはすぐ近くから土質を観察してみたけど、さらさらした土ではなく、踏み固めればアスファルトのように硬くなる土質らしかった。
土の塀もおそらく土を水で練って固めたものだろう。
中国の西域ではレンガが大量に使われるけど、日干しレンガといって、焼いたものではないそうである。

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張おじいさんは部屋で「若峰茶」というのを飲んでいて、わたしにも勧めてくれた。
わたしは茶碗を持っていなかったことがミスであることに気がついた。
中国ではお湯やお茶っ葉はわりあい簡単に手に入るものの、湯飲みがなくてははなしにならない。
勧められたお茶を飲んでみないのも残念なので、わたしは途中の駅で「洋河」というカップ酒を5元で買い、この空きカップを湯飲みに代用することにした。
ところがこれは45度もある酒だったので、わたしはお茶を飲むまえにいい気持ちに酔っぱらってしまった。
張おじいさんはこの酒のカップを見るとにやっと笑った。
あなたは酒を呑みますかと訊くと、呑まないといっていたけど、歳をとったから呑まないという意味らしかった。
空きカップにお茶っ葉を入れてもらったあと、おじいさんの湯飲みに残っていた出がらしのお茶っ葉を、わたしが気をきかせて捨ててきましょうかというと、おじいさんはいいやといって、その上から平気でお湯をそそいでいた。
そういうものなのか、それとも節約倹約の見本なのか。

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張おじいさんが、この沿線に「華山」という山があることを教えてくれたので、わたしはカメラを構えてその山が迫るのを待った。
この山は中国ではかなり有名な山らしく、NHKの中国語会話テキストの表紙でも、カメラマン、S・L・ライリーが何度か取り上げている。
帰国したあとで華山について調べてみると
華山は陝西省・華陰県にあって、古来より中国五岳(東岳泰山、西岳華山、南岳衡山、北岳恒山、中岳嵩山)のひとつとして数えられている。
複数の峰からなり、主なものは朝陽峰、蓮花峰、玉女峰、雲台峰などで、最高峰は落雁峰の2200メートル。

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線路上からはこの山の全貌を把握するのはむずかしいらしいけど、なにしろ線路のすぐわきだから、ま近にせまった華山は相当の迫力だ。
山頂はひとつではなく、いくつかの峰の集まった山塊で、列車の中からも山肌がむき出しの、かなり険しい絶壁などが見られる。
写真でみると、目もくらむような絶壁のとちゅうに板をわたして登山道がつくられていた。

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景色を見る以外には、あいかわらず張おじいさんと筆記を交えて会話をする。
この列車から黄河は見えますかと訊くと、見えないという返事だった。
北京に行ったことはありますかと訊くと、朝鮮戦争で韓国までなら行ったことがあるよという。
よくぞご無事でといいかけたけど、わたしのボキャブラリーではあとが続きそうもないから、やめておいた。
朝鮮戦争はもう40年前のことだから、計算してみるとおじいさんの20代のころではないか。

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車窓からの景色は、江南地方とだいぶ異なる異様なものになってきた。
このあたりは、スケールの小さいグランドキャニオンというか、あるいはスケールの大きい千枚田というか、いたるところに崖やくぼ地が多く、しかも段々畑のような小さな平地も多い。
平坦な部分はまず例外なしに耕地化されている。
全体を巨人の目でみれば壮大な丘陵地ともいえる。
雨がほとんど降らず、水のとぼしい土地ということで、畑には貧弱な麦のようなものが植えられていた。
木もひょろひょろしたものが多く、ヤドリギ、カバノキ、アカシア、そして畑の中に、すでに実が熟したあとのカキの木が多かった。
動物では白い山羊をあちこちで見た。
まさか野生ではないと思うけど、かなり険しい山の斜面に自由に群れていた。

西安が近づくと原子力発電所のような臼のかたちの煙突をもつ建物が出現し、それも列車で30分足らずの距離に2つもあった。
そして西安到着まえに車掌の朱さんが、乗車券の「引換え札」を回収に来た。
わたしは引換え札(金属製のプレート)のことをけろりと忘れていて、乗車券が見つからないと大騒ぎをした。
張おじいさんもいっしょになって探してくれたけど、こっちは乗車券そのものだと思っているから見つかるわけがない。
バタバタしているうちにポケットから引換え札がぽろりと出てきて、ようやく一件落着した。
西安到着は昼すこしまえで、わたしは駅のホームで張おじいさんと別れた。
おじいさんは荷物が多いから知り合いが迎えが来るという。

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2023年11月28日 (火)

いい傾向

いい傾向だねえ。
ネットに「YouTuberはもう食えないのか」という記事。
最近は極端な話題作りにはしるユーチューバーが多く、世間の評判がますます下落して、広告収入もガタ減りなんだそうだ。
あったりマ〇コの毛じゃん。
ちなみにYouTubeを覗いてみれば、イヤらしそうで、じつはそうでもないというサムネイルが氾濫している。
わたしも期待して何度裏切られたことか。
あ、そんなことはどうでもいいけど、たとえばウクライナ戦争の話題でも西側の情報だけを一方的に信じ、勝ち馬に乗って、世間のバカ共を喜ばせ、それでチャンネル登録を増やそうという輩が多すぎるよ。
どうせやるなら負け馬に乗るような反骨精神を見せてみろ。

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中国の旅/長征列車の1

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西安行きの列車の発車は11時51分である。
わたしは1時間ほどまえに軟座(1等車)待合室に入り、売店などを見てまわった。
列車のようすがまったくわからないので、メシを食いそびれることもあるかもしれないと思い、携帯食として売店でビスケットとミネラルウォーターを買い込んだ。
待合室のすみに無骨というか、イロ気がないというか、緑に塗られたおそろしく頑丈そうなレンタル・ロッカーがあった。
コインかなにかを使用するのではなく、となりで監視しているおばさんにお願いして、刑務所でも通用しそうなデカい鍵をかけてもらうシステムだった。

発車の20分ほどまえになってホームへ移動した。
ホームには鉄のかたまりのような、色気も愛想もない、グリーンに黄色のストライプの列車が待っていた。
上海から中国の西の果て、新疆ウイグル自治区のウルムチに三日三晩かけて向かう、これぞまさしくの“長征”列車である。
いよいよ西安へ出発だけど、今回の旅では長距離列車に乗ることがテーマのひとつであったから、これについてはできるだけ詳細に記しておこう。

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軟臥車両は9号車となっており、最後尾から前方をうかがうと先頭車両ははるかかなたにかすんでいる・・・・ように見える。
ずいぶん長い列車のように思えたけど、ホーム上で数えてみると18~19両くらいらしかった。
先頭までひとっ走りして数えてみればいいんだけど、とちゅうで列車が動き出したら困るので実行できなかった。
列車の構成は、1号車から8号車までが硬臥(2等寝台)車、9号車が軟臥(1等寝台)車、食堂車をはさんであとはすべて硬座(2等の自由席)車という編成で、先頭にディーゼル・エンジンつきの動力車、ほかに郵便車も連結されているようだった。

軟臥車に乗り込むと、すぐにトイレと洗面所がある。
洗面所のとなりに車掌の控え室があって、その前の通路にはボイラーが設置されており、お湯だけはいつでも自由に手に入るようだった。
控え室を過ぎると、8つのコンパートメントが並んでいる。
軟臥車は1両だけで、1両に4人用のコンパートメントが8つだから、この長い列車に軟臥の客は、満員でも32人しかいないことになる。
この日のわたしの座席番号は31で、これは8号室ということだった。
軟臥の下段料金は、空調費と服務費をあわせてトータルで331元(日本円で4千3百円足らず)だからおどろくほど安い。
上海から西安まで距離は1500キロ(東京~西鹿児島にほぼ同じ)もあるから、日本でこのクラスの列車に乗ったら3万円ちかい金が吹き飛ぶだろう。

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軟臥(1等寝台)車から硬臥(2等寝台)車へは自由に行き来できるけど、硬座(2等の自由席)車はそうではない。
硬座車と軟臥車は食堂車ではっきりへだてられていて、そもそも硬座車からは食堂車にも入れないのである。
野次馬のわたしは行き来のできる硬臥車を見学に行ってみた。
こちらはなんとなくうす暗い中に3段ベッドが通路からまる見えで、わたしは子供のころ田舎でよく見たカイコ棚を思い出した。
男も女もみなごちゃまぜだから、硬臥車にプライバシーなんてないに等しい。
わたしは若い娘がぼんやりと硬臥車通路の折り畳み椅子にこしかけているのを見たけど、彼女も夜は着たきりスズメで寝るのだろう。

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このときの旅は1995年の暮れだけど、現在(2023)の上海から西安までは高速鉄道が走っていて、1日に10本の列車があり、最短だと5時間半ほどで行けるようである(料金は1万5千円~2万6千円ちかくかかる)。
まさに隔世の感があるな。
もっとも高速でぶっ飛ばされてもあまり楽しくないかも知れない。

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わたしが個室に入ってみてまずびっくりしたのは、テーブルにまえの客の残したゴミが放置されたままだったことである。
上海が始発のはずなのに、なんじゃ、これはと思う。
さいわい室内にゴミ箱が設置されていたので、わたしはゴミを捨て、テーブルクロスをばたばたと振った。
足もとを見わたしても、新しい乗客が乗り込んでくるまえに掃除をしたようすがぜんぜんない。
日本の新幹線の、東京駅における“7分間の奇跡”を見せてやりたいくらい。

個室の広さはタタミ3畳くらいである。
そのうちの2畳を2段のベッドが占め、まん中の1畳ほどのスペースの窓ぎわに小さなテーブルがついている。
テーブルの下にゴミ箱と、お湯を入れる金属性のポットが2本置かれていた。
ベッドには2つ折りにした毛布が1枚づつ用意されていて、きちんとたたんであったけど、シーツはどうもまえの客が使用したときのままらしい。
ベッドにはカーテンがなかった。

わたしは若いころいちどだけ1等寝台に乗ったことがあるけど、日本の列車なら昼間はベッドが折り畳んであるのが普通で、もちろんシーツは客が変わるたびに交換するのに、ここでは昼も夜もベッドは据えつけられっぱなしである。
したがって昼間はベッドをソファがわりに利用することになる。
ずぼらなわたしには昼間から横になれるのでウレシイけど。

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荷物を個室に置いて車内とホームを行ったり来たりしていると、そのうち5、6人の男たちがたくさんの荷物をどかどかと、8号室にかつぎこんできた。
これがわたしと同室になる連中か。
ひとり旅を愛するわたしとしては、見ず知らずのよそ者といっしょになりたくないんだけど。
わたしはいちおう「日本人です、ヨロシク」と挨拶をした。
みんなびっくりしたようで、また安心したようでもあった。
そして発車時間がせまると、ひとりだけを残してみんなぞろぞろ下りてしまった。
彼らの大半は見送りの人々で、乗客はそのうちのひとりだけだったのである。
わたしと同室になったのは“張”さんという、もと軍人のおじいさんで、牛のように大きな体の人だった。
あとで訊いたら68歳だという。
目的地はわたしと同じ西安で、おじいさんにとっては里帰りということらしい。
張おじいさんの見送りの人たちは、窓の外からわたしにも、よろしくお願いしますと挨拶をしていたから、わたしははいはいとうなづいた。

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列車はほぼ定刻に発車した。
けっきょくわたしと同室は張おじいさんだけだった。
発車してまもなく、女性車掌が部屋にやってきた。
彼女は“朱風蘭”さんといって、歳のころは30代半ばか、子供のいるお母さんといった感じだけど、ちょっと愛嬌のあるかわいらしい人だった。
彼女の名前を3文字すべて紹介するのは、フツー中国人の名前というのは、字づらを見ただけでは男か女かわからない場合が多いんだけど、“風蘭”というと、宝塚の女優みたいにきれいな名前で、いっぺんで女だとわかったからである。

わたしは朱さんに切符を預けさせられ、代わりに小さな金属製のプレートをもらった。
彼女は時々コンパーメントをのぞいて、お湯を持ってきてくれたりして、サービスは悪くなかった。
彼女の写真を撮ろうとすると、ダメダメというふうに手をふる。
しかしあまり強い拒否でもなさそうだったから、彼女が張おじいさんと話をしているときに強引にシャッターを押してしまった。
彼女はわたしに、どうしてそんなに写真を撮るのが好きなのかと訊く。
わたしがただの記念ですと答えると、ノートに「現在能不能取出照片」と書いた。
残念ながらわたしのカメラはポラロイドではないから、その場で写真を取り出すことはできない。

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上海から蘇州、無錫、南京までは過去に見たことのある景色で、日本の関東地方とみまごう農村とムギ畑、日がさしてきらきらと輝いているクリーク、そこをゆく運貨船など、日本の秋とあまり違わない景色がひろがる。
ちょうどイネ刈りが終わった時期で、江南の農村では庭に穀物をいっぱいに広げて乾燥させている家や、家族総出で脱穀をしている農家もあった
昔なつかしい脱穀機が稼働しているのも見た。
わたしは窓辺に座ってのんびり景色をながめた・・・・もっとも目のまえに座っている張おじいさんを無視するわけにもいかないので、時々筆談をまじえていろいろ話をした。
張おじいさんはよくしゃべる人ではなかったけど、べつにわたしを目ざわりと思っているわけでもないらしく、親切にいろいろなことを教えてくれた。
ベッドの下にスリッパがあるよと教えてくれたのもこの人だった。

南京到着は16時半ごろで、このあたりには山が多い。
その山のどれかは、日中戦争のとき、日本軍と中国軍が山頂を争った山かもしれないなと思う。
運河のほとりではヤナギが風にゆれていた。
またあちらこちらで線路ぎわに黄色い花が咲いているを見て、気になったものの、べつの場所でこれが野菊であることがわかった。
ススキも多く、お墓にま新しい花輪が飾ってあるのもよく見かけた。

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停車駅に到着すると女性車掌がひとりづつ、列車の出入り口の下に直立不動で立つ。
彼女らは自分の職業に誇りを持っているようで、なかなかカッコいい。
南京駅では、朱さんは「烏鉄人歓迎你」と書かれた赤いたすきを肩からかけた。
日本のテレビでなになにの鉄人という番組がはやっていたけど、これは「烏魯木斉(ウルムチ)鉄道の職員たちはあなたを歓迎します」という意味らしかった。

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南京を発車してまもなく、列車はがらがらと大きな音をたてて南京大橋を渡った。
橋の下は長江である。
わたしは第1回目の中国旅行で、橋のたもとから橋を渡っていく列車をながめていたものだ。
つまりここまではわたしにとって概知の世界、ここから先はいよいよ見たことのない土地になるわけだ。

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南京大橋をすぎるとまた起伏にとぼしい平野になる。
このあたりでもうたそがれで、窓の外にきれいな夕焼けが見られた。
わたしが日本で見る夕日は、ほとんどの場合奥多摩の山かげに沈むのに、ここでは平野の農地の上にちょくせつ沈んでいく。
あたりが農村であるから、夕日もことさら暖かな色をしているように感じられた。
日が沈むころになると線路ぞいの民家に電球がともる。
ほとんどがオレンジ色の裸電球で、ながめているとなんともいえないなつかしさにおそわれ、おもわず子供のころの自分にもどり、あぜ道をたどって、ただいまとその家に飛び込んでいきたくなってしまう。

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2023年11月27日 (月)

中国の旅/Kクン

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上海に着いて、無事に新亜大酒店に部屋を取ったけど、まだ西安に出発しないぞ。
じつは新亜大酒店でひとりの日本人に会ったので、彼についても書いておこう。
内容が個人のプライバシーに触れることなので、写真は上海市内のもので間に合わせる。

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わたしが両替をしているとき、カウンターの横にいた若者が「日本人ですか」と話しかけてきた。
彼はKクンといって、両替をしようとして営業時間が過ぎているからダメだと断られたのだそうだ。
わたしの場合は、時間外でも両替をしないことにはホテル代を払えないわけだから、両替所も不承々々で時間外営業をしてくれたのである。
わたしはKクンに、部屋に荷物を置いたあと、ちょっとホテル内のカフェで話でもしましょうといっておいた。
相手が初心者とみると、すぐ先輩風を吹かしたくなるのがわたしの欠点なのだ。

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わたしの部屋は前回の旅と同じ4階だった。
荷物をかかえてエレベーターに乗った。
上へあがるときは間違えようがないものの、下るときは注意をしないといけない。
どういうわけか、1階にある新亜大酒店のフロントは0階のボタンを押すことになっている。
フロントに行くつもりで、降りてみたらそこは2階だっということが何回かあって、わたしは最初ちょっととまどった。

4階の服務台で部屋のキーをもらう。
正確にはキーではなく、今ふうの磁気カードである。
これを差込口にさしこんで青ランプがついたら、ドア・オープンだ。
いまでは珍しくないけど、当時としては新しいシステムで、なれないとやはり使いにくい。
カードの使い方を説明をしてくれた、ちょっとしゃくれた顔の服務員の娘に見おぼえがあったけど、前回の旅であっためてあげたいと思ったカワイ子ちゃんの服務員は見えなかった。

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わたしはまた日本に出稼ぎに行ってる上海娘に頼まれて、その実家に渡す現金を預かってきていた。
それを届けてしまわないうちは落ちつけないので、部屋から相手の実家に電話をかけてみた。
ところが部屋の電話は市内は無料のはずなのに、どうしてもつながらない。
あきらめてまた1階にまで下りて、エレベーターのわきにある公衆電話を使うことにした。
公衆電話は市内が10元だった。
こんなことを書くといかにも中国語がペラペラに聞こえるけど、じっさいにはそんなことはないのである。
それでも事情は国際電話で連絡してあったから、なんとかかんとか相手のお姉さんに、こちらのホテルの部屋番号を教えて電話を切った。
お姉さんが金を受け取りに来るまで、ホテルの1階にあるカフェでKクンと話をしていることにした。

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Kクンは千葉県に住む床屋さんで、上海娘と結婚手続きのため訪中しているのだそうだ。
手続きがめんどくさいのでもう訪中3回目ですよなどという。
相手の写真を見せてくれたけど、えらい美人であった。
いまのロシアや東欧の娘たちがネコも杓子も日本に来たがるように、当時の日本は中国娘に絶大な人気があったのである。

話をしていて気になったのは、Kクンがしょっちゅう運勢だとか相性だとかを口にすることだ。
上海娘との結婚についても、2人の姓名鑑定をしまして相性がよかったからなどという。
わたしは奇妙な宗教や迷信が氾濫する最近の世相に批判的な人間だから、Kクンのこういう態度がガマンならず、ずけずけとイヤミをいってしまった。
彼もいちおう参考にしているだけだからと弁解をしていたけど、参考にするだけでもわたしはガマンできないのである。
結婚前からこんな調子では、Kクンの前途はあやしいものだと思う。

そのうちお金の届け先のお姉さんがやってきたから、お金を無事に渡して、すこし3人で懇談した。
ここでKクンが中国語をぜんぜん理解しないことに気がついた。
婚約者とはどうやって意思の疎通をはかっているのと訊くと、英語ですという。
翌日婚約者とデイトだというので、わたしは適当なところで切り上げて部屋に引き下がった。
カフェのお茶代は42元で、わたし持ち(先輩はツラい)。

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この日の夜は新亜大酒店のすぐとなりにある「海島漁村」へ晩メシを食いにいってみた。
この店は前回の旅のときに顔見知りになり、その後も何回か入りびたった店で、庶民的な顔立ちのかわいい娘たちがいるのである。
ところがこの晩は知った顔の娘はひとりしかいなかった。
ひとりだけいた顔見知りの名前は“王”さんらしく、前回の旅で撮った写真を渡すと嬉しそうだったけど、わたしのいちばんのお気に入りだった娘はもういないようだった。
中国の娘たちは写真が大好きだ。
そのうち店の女の子たちがたくさんあらわれて、興味深そうに写真をながめた。

和気あいあいはいいけど、全員が出てくると、このそれほど大きくないレストランに、金のネックレスをぶら下げたママを合わせて、10人も店員がいることがわかった。
こういうのもワーキングシュアというのだろうか。
人件費の安い中国ではまだ機械化や効率化より、人を増やしちまえという安直な姿勢なのかもしれない。

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翌日は、まず西安までの列車の切符を買いに、駅のとなりの龍門賓館へ出かけた。
ホテルの前でつかまえた3輪タクシーは10元。
上海市内のちょい乗りはだいたい10元であることを、わたしはもう知っていた。
駅の近くでタクシーを下り、駅前広場を横切って龍門賓館1階の切符売場へ。
ここで翌日の西安行き列車のチケットを買う。
このころはまだ中国の一般市民で旅行する者が少なかったのか、あるいはわたしが買うのが軟座(1等車)だったせいか、上海を午前11時51分発のウルムチ行き列車、軟臥(1等寝台)、下段ベッドという希望で、西安までなんの問題もなくすんなり買えた。
料金は空調費、服務費を含めて、331元(4千3百円足らず)である。
西安までほとんど一昼夜の行程であることを思えば、予想していたよりずっと、おどろくほど安かった。

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切符を手に入れたあと、安心して駅前をぶらぶらしてみた。
駅前広場はあいかわらず混雑しているものの、特に変わったようすはない。
駅まえの群衆の中に、頭にタオルをまき、紺の上着にまえだれというスタイルの少数民族のおばさんが2人いた。
この服装(と色の黒さ)からして、たしか南のほうのなんとかいう少数民族だったと思うけど、南方、西方だけでも、中国にはペーとかプイとかサニ、ミャオとかいういろんな民族がいる。
おばさんたちは2人して手作りらしい指輪や首輪を売っていた。
ユニークな服装なので写真を撮らせてもらうかわりに、指輪を2つ買うことにした。
わたしが買った指輪は金色で、1個10元である。
おばさんはもっと買わせようとしつこかったけど、どうせすぐメッキがはげるだろう。

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駅前の「名品MP商厦」というデパートにも寄ってみた。
1階は日本の最新のデパートにもまけないくらい華やかだが、2階、3階と、上にいくほどダサい売場になる・・・・と前回の旅のとき書いたけど、今回の印象ではそのダサさが1階づつ下にくり下がってきた感じである。
前よりいっそうダサくなり、いちばん上の階の売場は廃止されてしまったらしい。
デパートのわきあたりで見かけた女運転手のモーター三輪に乗り、15元でホテルにもどる。
八百屋か魚屋のおかみさんみたいに威勢のいいお姉さんであった。

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ホテルにもどり、また海島漁村でビールを飲む。
食事はすんでいるからといって、おつまみにピーナツを頼んだら、塩煮したピーナツが出てきた。
中国にもピーナツがあることはわかったけれど、ぜんぜん美味しくなかった。
厨房の従業員らしい娘が、帰宅する仕度でわたしの近くをうろうろしていた。
ちょっとかわいい娘で、わたしに写真を撮ってもらいたいそぶりだから、用事がないのならどこかそのへんでわたしのモデルになるかいなどとくどいていると、店のママがさっさと帰れと娘を追い出してしまった。
このママは日本から来てスケコマシみたいなことばかりしているわたしに、あまりいい印象を持ってないようだ。

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夜はホテルでKクンとそのいいなづけに会い、ホテルのレストランで会食をした。
この日は2人で動物園に行ってきたそうだ。
目の前で見る彼女は写真で見るより美しく、名前は“兪”さんといい、英語がぺらぺらで、なんだかすごいエリートのようだから、ぶしつけだけど彼女は上海でこれまでいくらくらい給料をもらっていたのと訊いてみた。
2万5千円という返事である。
見栄が入っているかも知れないけれど、上海娘としてはかなりの高給取りだ。
しかし美人で頭がいい、しかもひとり娘となったら、この世でいちばん扱いにくい生きものではないか。
ちょっと気の弱そうなKクンに御せるかどうか。

この晩の会話はややこしい三角関係になった。
兪さんは中国語と英語を話す。Kクンは日本語と英語を話す。わたしは日本語と中国語、英語がカタコトである。
わたしとKクンの会話は兪さんにわからない。Kクンと兪さんが話していることはわたしによくわからない。わたしと兪さんの話はKクンにはさっぱりわからない。
こういう三すくみの状態で、それでもわたしたちは和気あいあいで会話を続けた。

美しい顔をした兪さんはイヌが好きよと平気な顔をしていう。
イヌは美味しいわと嬉しそうで、わたしとKクンが、日本ではイヌは食べるものではないのだと説明すると、なんとなく釈然としない顔つきである。
兪さんに食事の注文をまかせたら、自分はあまり食べないくせにどんどん注文して、全部で231元も食べることになった(さすがに今度はわたしとKクンでワリカンだ)。
中国の女性はよく食べるんですよとは、Kクンも同感。

わたしは兪さんを見て、遠慮や気取りのない人だなと思った。
これはべつに悪いことではないけど、彼女は自分にそうとう自信を持っているようである。
こんな女性に床屋の手伝いなんか勤まるだろうか。
あとで2人だけのときKクンと話したら、そうなんですよという。
彼女は、ワタシも床屋の仕事をおぼえなくてはいけないんでしょうかと心配していたそうだ。
兪さんの父親は彼らの結婚に猛烈に反対しているらしい。
彼女としてはなんとしても日本に行きたいらしいけど、なにしろひとり娘ですからねとKクンはいう。
中国も日本も父親の気持ちは同じである。
厳格な父親が彼女とのデイトを夜8時までしか許可していないというので、そのまえに彼らと別れた。

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2023年11月26日 (日)

捏造ひとつ

とくに書くこともないねと思っていたら、ネットに「消えたロシア戦車の謎、200両のT-90Aは今どこに?」という記事があった。
これを読んで(ヒマつぶしに)またわたしはロシアを擁護するけど、気に入らない人は読まなくてもかまわない。

この記事ではいかにもプロが分析したような書き方で、ロシアの戦車の損失をはじきだしているけど、いちばんの問題はウクライナ側の損害をまったく無視していることだ。
何度も書いているけど、一方的にロシアの被害だけを並べる記事をわたしは信じない。
ロシアの損害が大きかったのは戦争の初期だけで、現在ではウクライナのほうがずっと大きいと思っているからだ。
いくらもっともらしいデータを並べたって、それすら疑うのがわたしの習性なんだよ。
ウクライナの損害に触れないのは、最近多い、ウクライナの話題をつなぎとめようという西側のプロパガンダ記事なのだろう。

だいたい戦車がどうのこうのと話題にしてるけど、制空権を一方が圧倒的ににぎった戦争で、戦車の価値はどのくらいあると思う?
イラク戦争では、フセインの戦車軍は撤退するとき米軍の航空機に一方的に殺戮され、米軍のほうはほとんど損失を受けなかった。
シリア内戦では戦車が重要な働きをしたけど、このときはどちらもはっきりした制空権を確保してなかった。
プーチンが戦車の数にこだわらないのも、ロシアの戦車が最初から存在しなくても驚くことじゃない。
ウクライナ戦争で戦車の役割を過信しすぎだよ。

この記事の追伸
気になる記事を見つけたら、ちょっと考えてみるんだね。
むずかしいことじゃない。
ロシアのことをああだこうだいうなら、それじゃウクライナはどうなのだと考えるだけでいい。
戦車というのは高価な兵器なので、こんなものを大量に刷新できる国は多くない。
おそらくアメリカだって、1年や2年で新しい戦車軍団をつくる能力はないだろう。
ウクライナはどうなのか。
ゼレンスキーさんは、よそからタダでもらえる戦車に頼るだけで、もちろん自前の戦車なんか作る能力はないんだよ。

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2023年11月25日 (土)

中国の旅/新しい旅立ち

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唐の都「長安」を知ってマスカ。
知ってるよね、いまどきのボンクラ大学生でなければ。
それじゃ日中戦争のおりに、蒋介石が腹心の部下だった張学良の“兵諫(へいかん)”にあって、ピンチになった街は知ってマスカ。
こちらは中国の歴史に関心がないと、そう簡単にはわからない。
正解はどちらも「西安市(長安)」である。
という前置きから、わたしの5度目の中国の旅が始まるのだ。

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1995年の1月に無錫からもどって、同じ年の11月に今度は西安に行くことにした。
おまえも中国が好きだなあという人がいるかも知れない。
その理由は、近くて費用が安いからということはこれまでも書いてきたけど、ほかにもみんなが納得するような理由が考えられないだろうか。
自分を国際通であると主張するためには、あちこちできるだけたくさんの国を見てまわらなければいけないという人がいる。
それもたしかにひとつの見識だ。
しかしわたしのように、ある特定の国を、深く徹底的に知ろうというのもまたひとつの見識じゃないか。
4度も訪問したおかげで、わたしはようやく、興奮にとりまぎれて見るべきものを見失ったり、忘れたりすることなしに、たとえば上海の街を、じっくりながめることができるようになった。

なぜわたしはこれほどまでに中国が好きなのだろう。
わたしはずぼらでだらしがない人間なので、ずぼらの極致のような中国の街に来ると、なんとなく古巣に帰ったような安堵感をおぼえるのだろうか。
ある知り合いは、優越感さとかんたんに切り捨てた。
それも当たっているかもしれない。
わたしは貧乏人だから日本にいては、たとえば帝国ホテルやホテル・オークラへどうどうと入っていくだけの勇気がない。またその資格もない。
しかし中国ではわたしは特権階級である。
ここではわたしはうす汚れた賤民の羨望のまなざしをあびながら、さりげなく高級ホテルに出入りすることができるのだ。
これを快感といわなければなんといおう。
しかしわたしはこういうものの考え方が愚劣なものであることもよく承知しているので、大慌てで弁解をする。
それだけじゃないんだ、それだけじゃないんだぜと。

ただ優越感を味わいたいだけなら、ほかにも日本人が特権階級になれる国はいくらでもある。
たとえば貧しいことでは中国より上といわれるインドあたりでもいいはずだし、フィリピンでもベトナムでも、東南アジアの大半の国、いや、アフリカでも中近東でもロシア、南米でも、世界中のほとんどあらゆるところで日本人は特権階級になれるはずだ。
好奇心旺盛なわたしはむろんインドにも行ってみたい。
しかしインドで、中国で感じたと同じ印象をうけるとは思わない。
いったいインドと中国ではどこが違うのか。

わたしが中国語の勉強をしていたころ読んだ中国語テキストの中で、著者の鐘ケ江信光という先生がこんなことをいっていた。
「つまり、すべての人に郷愁をいだかせるふしぎな魅力をもった国と国民なのでしょう」
わが意を得たりという感じがする。
わたしが中国で感じて、たぶんインドでは感じないものは、つまり“郷愁”というやつなのだ。
中国の街を歩いていると、わたしはなぜかとてもなつかしい気持ちになってしまうのである。
たぶんわたしの前世は上海のチンピラやくざで、敵対する組織につかまって簀巻きにされ、蘇州河にでもたたっこまれたことがあり、それがいまでも遺伝子のかたすみに染み込んでいるんじゃないか。

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目的地が西安なのだから、列車に乗るところから始めてもいいんだけど、メモを読み返してみると、やはり上海行きの飛行機のことが、自分で書いたものだけど捨てがたい。
で、今回もまた成田空港から始めることにする。
これまでわたしが中国へ行くのに利用した飛行機は、ユナイトをのぞいてあとの3回はすべてNU(東方航空)だったけど、今回は初めてCA(中国国際航空)を使ってみた。

いつもと同じ手続きをへて、てきとうな時間に乗客待合室に入ると、上海行きの飛行機はおじいさん、おばあさんの団体といっしょだった。
やはり郷愁を誘われる国だとそうなるのかもしれない。

掲示パネルを見ると上海行きは15時55分に出発のはずが、遅延していて、じっさいに搭乗開始したのは16時半だった。
ゲートも変更になっていた。
それでも上海行きはまだいいほうで、14時55分のセブ島行きなんか21時15分に変更になっていた。
もし3泊4日くらいのツアーで6時間の遅延としたら、フイになった時間の割合はかなり大きいゾ。

飛行機はまあまあ混んでいるほうだった。
乗客が全員乗り込んでメインの扉が閉め切られたあと、わたしは首をのばして機内を観察し、気密ドアの横のシートが空いているのを発見した。
そこは出入りの通路に面したハンパな場所だから、いちばん最後に売られるシートなのだろう。
しかし通路に面しているということは、誰に遠慮することもなく、足を思いきりのばせる場所でもある。
わたしは勝手に席を移動してそちらに座ってしまった。
斜めまえには離着陸時に、空中小姐(スチュワーデス)が向かい合わせに座るし、窓からは半分翼に視界をさえぎられるものの、なんとか下界を眺めることもできた。
離陸したのは17時12分。
飛行機が高度を上げていくとき、西の茜空がとてもきれいだった。

離陸してすぐにうとうととしてしまった。
目をさますとひざの上に小さな箱が置かれていた。
なにかと思ったら、小さなジャンボのプラモデルで、中国国際航空(CA)の景品らしかったけど、そんなものを大のおとながもらっても仕方がないから、上海でホテルの服務員にあげてしまった。

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食事のときにながめると、CAのスチュワーデスはスラックス姿で、ストライプのシャツにニットのベストである。
イロ気がねえなと、つまらないことを観察しながら機内食を食べた。
食事のあと、わたしのとなりにひとりの男性がやってきて、いきなりタバコをふかし始めた。
わたしは禁煙席を頼んだはずであり、勝手に席を移動したけれど、そこもやはり禁煙席のはずだった。
わたしが注意をすると、相手は、おかしいなあ、客室乗務員にこっちで吸えといわれたんだけどという。
わたしがチケットを確認しようとすると、すぐ後ろの席のアベックが、ここは禁煙席ですよと口を出したので、喫煙者はそそくさと姿を消した。

外は月夜らしかった。
わたしの席から月は見えないものの、空には星が光り、飛行機は月光に照らされた草原のような雲海の上をゆく。
いつもながらわたしを魅了する幻想的、詩的な光景だ。
イヤホーンで機内放送を聴いてみると、どこかで聴いたことのある印象的な旋律が流れていた。
なんだっけと考えて、しばらくしてようやく、それは“リリー・マルレーン”だったことを思い出した。
機内のアナウンスももちろん中国語だけど、それさえ耳に心地よい。

上海の上空に着いたのは20時ごろ(ここから中国時間)で、夜とはいえ、こちらは雲ひとつない天気で、上空からわたしはまだ10カ月まえにやってきたばかりの上海の街をながめた。
なつかしい街よと、もうこのへんでいいようのない郷愁で胸がいっぱいになる。

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このときの空港はまだ虹橋空港で、タクシー乗り場にいくと、男がひとり、どこへ行くかと訊く。
タクシーの整理係かと思って「新亜大酒店」と答えると、わたしの荷物を持ってこっちこっちという。
ついていくと乗り場から離れた場所に停めてあったタクシーの前である。
いくらだと訊くと200元以上の値段をいう。
こんちくしょうめ、こちらも上海は初めてじゃない、60元がいいところだろといって、わたしは荷物をとりもどし、正規のタクシー乗り場に引き返した。
やれやれ。

ちゃんとメーターで走るタクシーで新亜大酒店へ。
前回の旅で泊まったこのホテルが気に入ったので、予約はしてなかったけど、わたしはまっすぐそこへ行くことに決めていた。
車内でさっそく上海のタクシー事情を考察する。
初乗りが14・4元で、新亜大酒店までは高速道路を使って65元くらいだった。
高速道路は市内循環線で、十六浦のほうから外灘を眺めつつ北上するので、だいぶ迂回することになるけど、日本でいえば新宿から上野に行くのに、首都高速を使って芝浦まわりで行くようなものなので、これはやむを得ない。

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飛行機が遅れたので新亜大酒店到着は21時ごろになっていた。
赤い制服をきたドアガールもフロントの服務員も、両替所の高慢ちきな娘も見おぼえのある顔だけど、メガネをかけた日本語の話せる服務員はいなかった。
予約なしでも宿泊はOKで、ホテル代は1泊が560元(7千円)くらいだという。
もっと安い部屋もあるはずだけど、どうせ2泊だけだということであえて要求しなかった。

この日の円の相場は1万円が約785元で、1元が13円ぐらい。
ホテル代は前払いだそうだ。
両替してもらわないとホテル代が払えないんだけど、ホテルの両替は朝7時から夜9時までだという。
勤務終了まぎわで、帰宅の準備をしていた高慢ちきな娘が不承不承両替してくれた。
わたしは3万円をいちどに両替した。
両替した金のつりを数えてみるとだいぶ少ない。
どういうことかとすったもんだすると、デポジット・マネー(保証金)だという。
つまり“押金”かと紙に書いて、わたしもようやく納得した。
保証金は両替時に2日分まとめて取られた。

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2023年11月24日 (金)

不憫で不憫で

なんだい、なんだい。
発射直後は失敗だなんていっていた北の人工衛星。
それみろ、北の技術でおいそれと打ち上げられるはずはない、わたしのいった通りじゃんと思っていたら、昨日になって韓国とNHKが成功と言いだした(米国は無言)。
ホントかよ。
それも、打ち上げだけは成功だけど、北が撮影したをものを公開しないとわからないとか、周回軌道になにかが上がったらしいとか、妙に曖昧な言い方だ。
人工衛星の場合は、ただ上げれば成功ってわけじゃないんだよ。
それがきちんと機能してなければ、そんなものは粗大ゴミを打ち上げたようなもので、しかも機能しているか、地上と連絡を取り合っているかなんてことは、はたからも観測が可能だ。

うーん。
また壮大なデタラメじゃないのか。
台湾のほうがあてにならなくなってきたので、なんとか極東有事に持っていきたいという・・・・
北朝鮮の人工衛星が失敗しましたじゃ、あ、またかいということで、そんなもの誰も気にしないやね。
ここはどうしても成功したことにして、ロシアの技術支援があったのだろうと、ならず者国家の北朝鮮とロシアをなにがなんでも結びつけ、北とロシアと組んだらこれはオソろしいことになると強調しなくちゃマズイ。
ちなみにNHKのニュースには、御用解説者の小泉悠サンが出てきて、こちらも“かりにロシアが関わったとすれば”という憶測発言だ。
この人は専門家だそうだけど、どうしてそんなことはあり得ないとはっきりいわないのだろう。
はっきりいったら二度とNHKからお呼びがかからなくなり、オマンマの食い上げだからだろうか。
こういうデタラメを吹き込まれる日本の青少年が不憫で不憫で、グスっ。

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