2018年11月18日 (日)

伊良湖岬にて

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ただいま伊良湖岬の宿でメシまえの退屈。
伊良湖岬の灯台をひとまわりしてもどったところ。
今夜は食べて飲んで、また夜中に起きて飲むかも。
ということは、今日の更新はこれまで。
写真は伊良湖岬灯台のたそがれ。

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2018年11月17日 (土)

明日から

Irako

松本から帰ってきたばかりだけど、明日からは伊良湖岬というところに行く。
むかしの山登り仲間たちが納会をやるぞと誘ってくれたもので、なんだか年末になって急に旅行づいてきたみたい。

ところで伊良湖岬ってどこにあるのだ。
たしか名古屋のほうじゃなかったっけ、知多半島のとっつきじゃなかったっけというのが、わたしのうろおぼえの知識。
ググッてみたら知多半島てはなく、渥美半島のとっつきだった。
地元の人にはもうしわけないけど、あんまり聞いたことのない半島だ。
わたしの部屋にはBSの「新日本風土記」や「にっぽん水紀行」、「日本百名山」、「トレッキング100」などの紀行番組が、日本各地のデータベースになるほどたまっているのに、渥美半島がテーマの番組はひとつもない。
位置的にはなんとなくカラッとした温暖な地方という感じだけど、あまり見るもののない場所のようである。

添付した画像はストリートビューで眺めたわたしらの宿。
海側に長い砂浜と防災林、反対側に農地ぐらいしかない。
先日、お伊勢参りに行ってきた同僚たちは、コンパニオンをあげて盛大に騒いだみたいだけど、こちらはそういうもののかかわりをいっさい拒絶するような、きわめて健全な宿舎だ。
まあ、じいさんばかりだからなんだっていいけど。
農作業でも手伝ってくるか。

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2018年11月16日 (金)

松本城へ/総括

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可哀想なコイをお腹におさめたあと、今度はネコおばさんの知ってるコーヒー店に寄っていくことにした。
彼女が松本に住んでいるころからあるというから、骨董品的店ではないか。
その店は「まるも」といって、調べてみたら開業が昭和31年だというから、ほんとうにおばさんが娘のころからやっている店だった。
これも松本市の文化的偉業かもしれない。

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店はなわて通りを川の対岸からながめる場所にある。
スターバックスのような今ふうの店ではなく、かわいい娘が注文を取りにきて、できたコーヒーをテーブルに持ってきてくれるレトロな店だった。
もちろんわたしはこういう店のほうが好き。
客は年配者が多く、壁ぎわに民芸品や、針つきのレコードプレーヤー、クラシックレコードのジャケットなどが飾ってあって、むかしの名曲喫茶的雰囲気。
おとなしくコーヒーを飲みながら、今回の旅の総括をする。

松本市のまわりは日本アルプスを始めとした、日本でも有数の景勝地なので、見物したのが松本城と旧開智学校だけではもったいないという人がいるかも。
じつはわたしも出発まえに、美術館でものぞいてみるかと考えたことはある。
ところが松本市の美術館の展示作品は、この街出身の草間彌生がメインであると知って、いっぺんで見学する気が失せた。
彼女の作品はわたしの趣味じゃないもんでとネコおばさんに説明する。
駅のちかくで赤い水玉模様のバスを見かけて、へえ、さすがと思ったものの、わたしの彌生サンの興味はそのていど。

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松本市内では、あちこちでなまこ壁を見た。
なまこ壁というのは伊豆の松崎でも見たことがあるけど、外壁の塗り様式のひとつで、街の景観としてはなかなか美しいものである。
市内にやたらに多いということは、新しく壁を作る場合はこれでいきましょうというのが、市民のコンセンサスになっているのではないか。
3枚目以降の写真はグーグルのストリートビューで見つけた松本市内のなまこ壁。
城を見物したあと、わたしはてんでやる気がなくなって、写真も撮ってないのだ。
ここに載せたのは最後のブタをのぞいて、すべてネットで収集したものである。

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やっぱり海外旅行を知ってしまった当方には、よほどのことでもないかぎり、日本の都市には好奇心を満足させられない。
最後の写真は市内で見かけた、ちょっとかわいいペットで、今回の旅でゆいいつ好奇心をかられたもの。
これで1歳だというから、エサはどんなものを与えてるんですかと訊いたら、ブタ缶ですといわれ、世の中にはそういうものもあるのかと感心させられたものである。
そういえば来年はイノシシ年だね。

このあとバスに乗って帰京した。
ネコおばさんはもの足りなくても、このペースがわたしにはちょうどよかった。
これじゃ総括にならないかもしれないけど、松本市がいい街であったかどうかは、1泊2日ていどの旅人にわかるわけがない。
でもこの城下町に美人が多いということだけはわかった。

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撮影車

となりの農家のおじさんが亡くなって、その家が取り壊され、あとが更地になって、もはや在りし日のおもかげを留めるのはわたしのブログだけ。
と書いたのはこの8月だけど、昨夜またストリートビューをのぞいたら、農家の画像がもう更地の画像に変えてあった。
いったいどれだけひんぱんに撮影車を走らせているのか知らないけど、これを世界規模でやってるとしたら、グーグルの事業の偉大さが知れようというものだ。

ただ、その後更地になった近所の資材会社の事務所はまだそのままだから、注意していればそのうち撮影車に出くわすこともあるかもしれない。
サインでももらおうかしら。

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2018年11月15日 (木)

古民家の2

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今月4日のオープンの日に見学に行った三鷹市の古民家、今日はいい天気だったのでまた見学に行ってきた。
そのときのブログ記事の写真を貼り替えたので、興味のある人はこちらから。

今日は平日だし、もうブームが去ったのか、見学者はわたしを含めて3人だけ。
壁に張ってある説明などをじっくり読んできたけど、 わさび田を開墾した古民家の持ち主で、家を三鷹市に寄贈した故箕輪一ニ三氏の苦労話が、小説でも読んでいるようでおもしろかった。

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温度管理や水はけの調整、わさびを採るさいの道具の名称、収穫や出荷の手順などで、冷たい環境を好むわさびは、東京の夏を越せないので、収穫は1年ものを4月から6月に出荷していたということなど。
三鷹のわさびは信州や天城のものに負けないくらい高品質で、戦前の最盛期には、1万本ちかくも築地などに出荷していたそうだ。

箕輪氏の顔写真もあった。
苦労を積み重ねたあげく、人生そのものに大成就したようなゆとりのある顔をしている。
ぜんぜん苦労をしていないわたしをなんぞ忸怩のきわみだけど、仕方がない。
サムセット・モームの言葉にあるとおり、人間はその本分にしたがって生きるしかないのだと、負け惜しみをいう。

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2018年11月14日 (水)

松本城へ/なわて通り

城から下りてきて、ネコおばさんと落ち合ったころにはもう昼になっていた。
メシでも食いますかというと、ワタシの知ってる和風レストランがコイのうま煮を食べさせるからという。
おばさんのいう店というのはわたしの口に合わないところが多いんだけど、フランスやイタリア料理でなければ大丈夫だろう。
なんにせよ、彼女のほうがこの街に詳しいのだからと、おとなしくついていくことにした。

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街を流れる田川のほとりに「なわて通り」という、屋台が軒を接したような観光名所がある。
コイのうま煮はこの通りの先だというので、ぶらぶら歩きながら、ついでにその通りも見物してみた。

通りの入口にでっかいカエルの像が鎮座していたけど、なんでカエルなのか、メンドくさいから質問しない。
こういうことは帰京してから調べればたいていわかるのである。
帰京して調べてみたら、田川にたくさん生息していたカジカガエルを、むかしのように増やそうという願いをこめたんだそうで、ウソかホントかわからない。

なわて通りは、若者や女性たちなら興味を持ちそうだけど、わたしみたいにひねたおじさんには別になんてことがないところだった。
300メートルほどのほそい通りの両側に、甘味から喫茶、食堂、骨董品屋、八百屋までがならんでいる。
骨董品はほじくればなにか出てきそうだけど、終活中のわたしがそんなものを買い込むわけにはいかない。
八百屋ではひねこびたような小さい大根を売っており、ネコおばさんにいわせると、煮て食べると美味しいのだそうだ。

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ようやく見つけた店で、ビールやチューハイを飲みながら、串に刺したおでんを食う。
おでんというからコンニャクかと思ったら、これは豆腐だった。
過去に食べた記憶がないから、珍しいといえば珍しいのかも。

松本市のある長野県は海なし県だから、海鮮は期待できないけど、コイが名物だそうなので、コイの洗いとうま煮も注文した。
うま煮は、ぶっ太いコイを輪切りにしてまっ黒に煮込んだものだった。
ブリ大根みたいですね、ブリなら目ん玉をほじくるのが趣味って人もいますねと、どうでもいい話をする。

どうも、わたしの文章を読んでもせんぜん食欲がわかないかもしれないけど、もともとわたしは健啖家ではないし、味覚にうるさいほうでもないから、この店をけなそうとか褒めようかというつもりではない。
わたしの評価が口コミになっても困るから、店の名前は明かさない。

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2018年11月13日 (火)

松本城へ/城のB

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ネコ大好きおばさんは、自分はもう何度も松本城に来てるから、下で待ってるという。
彼女は元祖山ガールで、若いころは穂高から槍ヶ岳まで縦走したこともある人なんだけど、松本城の階段はひじょうに傾斜が急だというので、年齢的なことを考えて遠慮するってことらしい。
そういうわけで今回はわたしがひとりで天守にまで登ることになった。

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なるほど、階段は急で、わたしにも足もとが不安になる箇所がある。
人間ふたりがすれ違うのもむずかしい箇所もある。
しかし足もとさえ気をつければ、まだ息が切れるほどきついわけではない。
とりあえず天守まで行って写真を撮ってきた。

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城の建築構造については、エラそうなことをいっても始まらないし、パンフレットを引き写すのも気がひける。
詳しいことはまたウィキペディアで勉強してもらうことにして、わたしの思いついたことのを少しだけ。

松本城は天守が国宝に指定された五つの城のひとつだそうである。
ほかの四つは、姫路城、犬山城、彦根城、松江城だ。
コンクリート製の大坂城や小田原城が入ってないのは仕方がないとして、わたしが5年まえに見てきた熊本城、あれもそうとう古そうだし、あまり新建材で改築されてなさそうなのに、なんで入ってないのだろう。
調べてみたら、現在の熊本城の天守は1960年にコンクリートで再建されたものだそうだ。
てっきり木造だと思ったのは、やっぱりわたしの眼が節穴だったらしい。

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この日は晴天だったので、逆光になって、かえって天守から北アルプス方向が見えにくかった。
手前にある山がじゃまをして、ここからは槍も穂高も見えないのが残念。

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最後の写真は市中で見かけた天守閣だ。
じっさいは古本屋なんだけど、こういう古風な書店がいまでも存続しているということが、松本市の文化的偉業といっていいのではないか。

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栄枯盛衰

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栄枯盛衰は世の習いというけど、今日の「海外の万国反応記」にちょっと気になる記事が。
八丈島にある日本最大というホテルの廃墟に潜入してきた人がいて、その写真を公開してるんだけど、このホテル、わたしには記憶がある。

それはいまからもう40年ちかく前のことだ。
わたしは仲間8人と連れ立って八丈島までダイビングに出かけた。
旅行中にきれいな娘ふたりと知り合って、みんなで泳いだり、酒を飲んだりしたもんだ。
まだまだわたしたちも若くて魅力いっぱいのころだったんだよ、え、お若いの。

ある日彼女らもいっしょに、底土海岸というポイントに潜りに行ったんだけどね。
この海岸の目の前に、ロイヤルホテルという4階建てのホテルがそびえていた。
もちろん貧乏なわたしたちに縁のないホテルだったけど、このホテルにはいくつかの石像を配したフランスの王宮のような豪華な庭園があり、きれいなプールもあった。
そこで急遽その日の午後のダイブは取りやめて、みんなでプールで遊ぶことにした。
客がほかにいなかったから、わたしたちの貸し切り状態だ。

話はこれだけなんだけど、青春の日の(数少ない)輝かしい思い出のひとつだ。

そのときのホテルが、その後零落して、いまでは廃墟になっている。
栄枯盛衰という言葉がしみじみ胸にせまるね。
ま、当時からあまりはやってなさそうなホテルだったからなあ。
当時の写真があったはずだけど、探して出てきたのが、ほかの目的のためにイラスト化したこれだけ。
いまではおばあさんになっているはずの彼女が見てもわかんないだろうなあ。

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2018年11月12日 (月)

松本城へ/城のA

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松本には何度も来ているくせに松本城を見学した記憶がない。
堀に赤い橋がかかっているあたりでタクシーを返し、あとは堀づたいにぶらぶら歩いた。
天気は晴天になり、暑くてわたしはセーターをぬいだ。

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城というものはその性格上、天守にいたる通路はくねくねと曲がりくねっているのが普通である。
正門から入ったのではまわり道になるから、観光客は大手門ではなく、黒門と呼ばれる入口から入場するようになっていた。
そのあたりの屋根瓦をながめると、三つ巴の紋がついている。
はて、松本城の城主はだれだったっけと考えてみたけど、この城は何度もあるじが変わっているので、これという大名が思いつかない。
もらったパンフレットによると、代々の藩主は石川、小笠原、戸田、松平、堀田、水野、ふたたび戸田氏だけど、このうちに三つ巴の家紋を持った大名はいない。
ひょっとするとこれは瓦屋さんの家の家紋かもしれない。

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黒門から入ると本丸御殿跡という、芝生の植えられた広場になっていた。
最近の日本ブームのせいか、観光客が多かったけど、その半分くらいは外国人だったのではないか。
広場に鎧武者のいでたちをしたボランティアがいて、欧米の観光客が大喜びで写真を撮っていた。
さいわいというか、松本城が後世の語りぐさになるような合戦の舞台になったことはないようだ。

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そうなると城について書くことはあまりない。
松本城について詳しいことは、アマチュアの歴史ファンにすぎないわたしが書くよりも、またウィキペディアを見てもらったほうが早い。
ここでは写真をずらりとならべてごまかそう。

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2018年11月11日 (日)

松本城へ/旧開智学校

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翌朝は朝食をすませたあと、また路線バスでゆるゆると松本市内に引き返す。
ネコおばさんにまかせると、あれも見たい、ここへも行きたいといい出して、疲れるばかりだから、とりあえず松本城に行きましょうと決める。
松本城を見るだけで昼になるだろう。
その後どこかでコイのうま煮を食べ、おばさんがみやげものでも買うのに付き合っていれば、もう午後の2時か3時だ。
その時間にバスか列車に乗れば、東京に着くのが夕方になる。

わたしの考えたスケジュールはこんなものだ。
おばさんは不満そうだったけど、わたしは疲れるために旅行をするわけではないと押し切った。
さいわいというのか、わたしとおばさんは晴れ男と晴れ女だから、この日の天気はのんびり散歩には絶好のものになった。

まずバスターミナルに行って余分な荷物を貸しロッカーに預け、タクシーをつかまえて松本城に行くことにした。
ところがこのタクシーの運転手がわたしと同じような年寄りで、彼が持ち出した市内の観光パンフレットを見ると、城の近くに旧開智学校という明治時代に造られた洋風の建物がある。
おばさんは、ウチの旦那もここに通っていたのよなんていう。
なんでも1963年まで現役だった学校らしい。

そのへんからおしゃべりが始まって、おばさんがワタシもむかしこの街に住んでいたのよと話すと、運転手は自分はいちじ東京にいたことがあると言い出した。
あらあ、すれ違いだったのねとおばさん。
住むならこっちのほうがステキですねと、わたしもお世辞をいう。
しまいにはなんとかさんちの誰それを知っているかいなんて会話がはずんで、おばさんと運転手はすっかり意気投合した。
おかげで松本城に直行するはずが、旧開智学校に寄り道をして、チップまではずむ始末になってしまった。

旧開智学校は柵の外から眺めただけである。
詳しいことはウィキペディアの受け売りになるから、ここでは触れない。
日本はむかしから教育に熱心だった国なので、わたしが見たことのあるものにかぎっても、伊豆の松崎にも似たような学校があるし、同じ長野県では佐久市にも旧中込学校という洋風学校が残っている。

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旧開智学校をのぞいているとき、すぐとなりにある現在の開智小学校の庭で防火訓練が始まった。
消防車がサイレンを鳴らして集まり、校舎から煙まで出る本格的なものである。
それをドローンが空から撮影していた。
こっちのほうがおもしろいと、ついわき目をしていたので、旧開智学校についてはこれ以上のことはわからない。

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