2022年8月 7日 (日)

本日のプロパ

デイリー新潮だったかな。
3、4日まえのネットで、ウクライナは汚職まみれのどうしようもない国だと書いていた。
そんなことはわたしのブログが、この戦争の開始時から訴え続けてきたことだ。
そもそもわたしがロシアの肩をもつようになった理由が、たまたま日本に来ているウクライナ人ユーチューバーが、わたしの国は医者が信頼できない、なぜならワイロを使って医者になった者ばかりだからとこぼしている映像を観たからなのだ。

ウクライナというのはそういう国なのかと、さらに調べてみたら、これを肯定する事実がいくつも見つかった。
ウィキペディアにはウクライナを食い物にするオリガルヒの顔写真まで載っていたし、ウクライナがEUに加盟したいというと、国内の不正を一掃してから来いと門前払をくらっていることなど。
ほかにもロシア周辺の国々を見れば、プーチンのような愛国者で硬骨漢の指導者を得るのがどのくらいむずかしいかわかるだろう。

もうすこし早くマスコミがこうした事実を報道していれば、日本人の戦争を見る目も変わっていたかもしれない。
にもかかわらず、テレビは、NHKは、あいかわらず低脳児向けプロパガンダの垂れ流しだ。

録画しておいた「映像の世紀バタフライエフェクト・難民」という番組を観た。
ずっとむかしにも難民を扱った「映像の世紀」シリーズがあったような気がしたけど、今回は同じ材料を再編集して、新しく作り直した番組だった。
そして、もういいたくないけど、ウクライナ戦争でウクライナ側についたプロパガンダだった。

世界に忘れてはいけない難民問題は多い。
シリア難民の船が地中海で難破して、乗っていた難民の坊やの死骸がトルコの浜辺に打ち上げられたことがあったよな、まだ何年かまえに。
同じころ、押し寄せるシリア難民に、足をかけて転がしたカメラマンのお姉さんもいた。
もっと過去をふりかえれば、生きるか死ぬかの瀬戸際で故国を捨てた人々は枚挙にいとまがない。
世界と歴史を高所から俯瞰すれば、難民という大河は途切れることなくとうとうと流れているといっていい。

そんな中、ウクライナ難民の優先順位はだいぶ下がるぞ。
行った先で仕事がないから、やむを得ずもとの場所にもどったなんて者もいるのに、こういうのも難民としてカウントするべきかしら。
ロシア軍は残酷だというプロパガンダばかり氾濫していたけど、彼らは一般市民の虐殺なんかしていないし、先日のNHKじゃロシアの捕虜になったウクライナ兵を釈放しろなんてデモのニュースもやっていた。
釈放しろってことはまだ生きてるってことだよね。

それなのに、ああ、それなのに、NHKはウクライナ難民こそ現代の最重要難民問題だみたいな報道をしているのだ。
そしてそれにやすやすと乗せられる低脳児はあいかわらず多いのだ。
わたしがジタバタしたってしようがないけど、ホント、受信料返せ。

最近のからかいのネタ。
中国が日本のEEZ内にも落ちるミサイルを発射した。
その発射の映像は中国が提供したもので、ぜったいに台湾本土には命中させず、みごとに的をはずす精巧なミサイルだ。
なんつーか、どうも緊迫感のない、馴れ合いみたいなミサイル発射だねえ。
わたしら本気で怒っていることヨっていう証明のための、やっぱり田舎芝居か。

林外相は中国が会談をキャンセルしたって怒っていたけど、そのまえにはラブロフさんとは食事に同席しないといって、わたしに日本はなんてセコイのかとあざけられていたし、あるいは国葬に招待しないなどと、対談の機会をかたっぱしからキャンセルしてるくせに、自ロ他不(自分がするとロマンスで他人がすると不倫)の見本はどっちなのさ。

広島の平和記念式典にロシア大使も献花したそうだけど、これはまだ日本との関係修復にいちるの望みを託すロシアのシグナルかも知れない。
しかしロシアのポイントになることは、NHKはまるで無視なのだ。
いったいこういう執拗な偏向ぶりはどういうことだろう。
いまこそ民放の、たとえばテレビ朝日あたりが、NHKに対抗する報道をするべきではないか。
いや、テレ朝も偏向しているいることではどっちもどっちか。
こうなるとほんとうに日本人くらい不幸な国民はいないねえ。
NHKはもう戦時統制放送って名前に変えるんだな。
そして日本人をいつか来たと同じ道に導けばよい。
ああ、NHKを愚弄するだけで、ブログのネタも尽きないや。まったく。

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2022年8月 6日 (土)

沖縄/船浮のみぎわ

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翌日の朝8時、儀助たちは崎山村から、さらに西進することにした。
このときのメンバーは儀助と県庁職員の後藤氏、それに案内と警護をかねた木場という巡査の3人だった。
彼らはサバニに乗って八重目(バイミ)崎を越えようとしたけど、ここは西表島の西端にあって、正面から波を受ける航海の難所で、波が高いために船頭がびびってしまい、やむを得ず舟を返して山道を行くことにした。

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当時この先には、南太平洋のカナカ族が移住した(とされる)鹿川(かのかわ)村という集落があったそうである。
この村は明治37年、ということは儀助が尋ねてから10年ほどあとに廃村になった。
しかし衛星写真をじっくり見分すると、鹿川湾のいちばん奥に耕地の跡らしきものがうかがえるから、村はそのへんにあったのではないか。
僻地の村でも人口は50人ちかくいて、男女の比率はほぼ半々だったというから、国家という暴虐者に縛られるのがイヤという厭世家たちが、集団で住みついていたのかもしれない。
仕事熱心な儀助がいろいろ聞き取り調査をしてみると、ほとんどの村人が漁業をおぼえることもなく、海岸で海人草を採ることを生業としており、イヌといっしょのその日暮らしで、生活に進歩や改善の努力がぜんぜん見られなかったそうだ。
憐れむべき人たちであるというのが儀助の感想だけど、彼らが西表島の海浜で、不自由でも幸せに暮らしていたのなら、余計なお世話である。
ここに載せた写真はシュノーケリング・ツアーの広告や、釣り愛好家のホームページから拾った鹿川湾のもので、現在はここに人の生活はまったくない。

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ダーウィン的話題としては、この土地では鹿ノ川貝(ジュセイラ)というめずらしい巻貝が名物だそうで、儀助もいくつか採集していたから、それを紹介しておく。
ネットで調べると、日本では紀伊半島以南(主に南西諸島)に生息するフジツガイ科の貝で、その美しい色と模様から色違いの近縁種ショウジョウラ、バンザイラと合わせ「日本三大美螺」と呼ばれています、とのこと。
似たような巻き貝で、ウミニナというのがマングローブの根もとにたくさんいるけど、灰色の汚い貝である(貝に罪はありませんけどね)。

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この日は宿舎に早めに着いたので、しばらく風呂に入ってなかった儀助たちは海水浴をすることにした。
明治時代の沖縄ならほんとうに手つかずのままのサンゴ礁が残っていて、さぞかし美しかっただろうし、青森県は弘前藩士あがりの儀助にとって、サンゴ礁の海で泳ぐのは初めての体験だったろう。
しかし泳いで気持ちがよかったと書いているだけで、儀助はそれ以上のことは書いてないから、笹森儀助の「南島探検」が、ダーウィンの「ビーグル号航海記」にならない所以はこのへんにある。

海でぽちゃぽちゃしているところへ、石垣島から飛脚船が到来し、与那国行きの汽船・大有丸が入港したからすぐに帰ってこいとのこと。
儀助は西表島のあと与那国島に行くつもりだったので、船が入ったら連絡するよう、あらかじめ話をつけておいたのである。
しかし、すぐ帰ってこいといわれてもすぐに帰れない場所にいるのだ。
帰るのは明日の朝いちばんでいいだろうと勝手に決め、大有丸には船浮港まで迎えに来てくれるよう折り返し連絡を入れて、儀助たちは鹿川村に一泊することにした。

そこまではいいけど、この当時連絡というのはどうやってしたのだろう。
これまで書いてきたことからわかるように、明治時代の西表島には村と村とをむすぶ道路はほとんどなく、往来はもっぱら舟によるばかりで、いまみたいにインターネット通信があったわけでもない。
糸満人のあやつるサバニが、鹿川村にいる儀助に文書を届けたとあるから、手紙1通を届けるために石垣から小舟でやってきたのだろうか。
それとも石垣から西表の祖納まではトンツー式の無線で、そこから舟がやってきたのか。
よくわからないけど、日本中を通信網でくるもうという明治政府の熱意、そしてそれを忠実に実行する電信会社の努力には感心してしまう。

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翌朝の7時、儀助たちは山道を使ってふたたび網取の海岸にもどると、そこからサバニで船浮村の駐在所にもどった。
船浮という部落はいまでもあるけど、西表島の東半分だけにある外周道路のいっぽうのはしである白浜から、さらに連絡船を乗り継がないとたどりつけない、まさに陸の孤島といっていい部落だ。

仕事熱心な儀助はここでまた(明治時代の)船浮村を調査している。
ただし儀助がこの村を訪問するより以前、西表では明和の津波(1771)というものがあり、そのとき船浮村もべつの場所に移転したことがあったという。
災害は忘れたころにやってくるの例えどおりで、台風以外の災害に縁のなさそうな八重山だけど、昭和8年(1933)の大津波といい、けっこう地震や津波の災害は多いみたいだ。
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儀助はすこしはなれた場所にあったその旧船浮村についても調べていた。
船浮の北方600メートルぐらいのところだったというから、この地図の〇のあたりのようだけど、現在は藪が茂っておいそれと確認もできない。
民宿のおかみさんたちは、食用の島タケノコを採るために藪にも立ち入るけど、ハブに噛まれるかも知れないから、都会人はむやみに入らないほうがよい。
蛇足だけど、この島タケノコの煮物はビールのつまみに好適。

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現在では船浮は竹富町に編入され、村という行政単位はつかないものの、まさにユネスコの自然遺産まっただ中のところで、わたしも何度かここの民宿に泊まったことがある。
そういうわけで現在の船浮を紹介しておこう。
これは戦前の写真(に似せて加工したわたしの写真)である。

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船浮の背後の山を越えると、徒歩15分ぐらいで「イダの浜」という無人の砂浜に出る。
わたしがはじめてこの海岸に立ったのは9年まえのことで、その美しさに感動したことは当時のこのブログに書いた。
同じことをまた書くのもナンだから、ここでは別の視点からこの海岸について書いておこう。

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いったいイダの浜のどこがわたしを惹きつけるのだろう。
ひとつ思い当たるのは、イダの浜の周囲には人工の建造物がまったくないということ。
しいていえば遠方の岬に小さな無人灯台が見えるけど、あとは後ろをふりかえっても、儀助が見たころのままの亜熱帯の森である。
人間の気配のまったくないという自然環境は、人間ギライの厭世家には大きな安らぎを与えてくれるもので、英国の女性探検家クリスティナ・ドッドウェルも、そんなことを書いていたのを読んだことがある。

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天然のままの海岸を愛することでは人後に落ちないわたしのこと、人間の気配のまったくないこの海岸で、カニとたわむれているのは幸せなことだっだ。
思えばわたしの世代は不思議な幸運にめぐまれていた。
わたしが子供のころはまだ郷里には、江戸時代から連綿と続いている素朴なアナログ社会が健在だったし、終活時期の昨今では、江戸時代の農民にはとうてい想像もできないデジタル社会も見ることになった。
橋のまん中でまったく異なる両岸の景色をながめたようなものだ。
くだらないことに感心しているという若い世代は、おそらくデジタル時代しか見ることが出来ず、数値でなんでも割り切れる社会が、人間のこころにうるおいを与えてくれるとは、わたしにはとても思えないんだけどね。

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願わくばイダの浜の美しさよ、永遠にというところだけど、そう書いている最中もわたしのこころは逡巡する。
こんなことを書いて、もの好きが殺到したらどうなるだろう。
あの美しい海岸を美しいまま、永遠にわたしだけのものにする方法はないだろうか。
あるじゃないか。
わたしはイダの浜の美しさを永遠に記憶にとどめたまま、あの世に行くんだから、そうか、そうか、案ずるより産むが易しだった。

イダの浜でしばしの陶酔のあと、わたしは船浮集落にもどった。
儀助も船浮にもどって昼メシを食うことにしたけど、彼らのこの日の昼食は、船浮駐在所の川崎という巡査がご馳走してくれた。
彼にいろいろ話を聞いてみると、最初は家族同伴で赴任したものの、2年まえに村の子供が脳膜炎で死んだということがあり、ここはマラリアが猖獗をきわめて危険なので、妻子は鹿児島の実家に帰しましたとのこと。
あなたはマラリアに罹らないのですかと訊くと、わたしはしっかり対策を立ててますからねという。
やはり夜は布団をひっかぶり、汗まみれになって寝るのだそうだ。
ついでに焼酎をあびるほど飲むかどうかは聞き漏らしたけれど、そんなことで蚊に喰われないなら、マラリアなんて恐るるに足らずではないか。
彼は外出するときもかならずいちど沸騰した湯を持参して、生水はけっして飲みませんという。
なーるほどと、登山の最中に川の水を牛飲した儀助が感心したかどうかわからない。

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鹿川村から急いで帰ってきたにしてはのんびりしているけど、まだ迎えの大有丸は影もかたちも見えないから、あわてる必要はなかった。
午後になってサバニに乗り込み、船浮を後にして、儀助たちは祖納の役場に帰り着いた。
ここは西表島における調査の出発点で、最初は時計まわり、つぎに反対まわりで、儀助は島の海岸線をほぼすべて見てまわったことになる。
マラリアには罹らなかったけど、虫に刺された足が腫れ上がって、儀助はだいぶ難儀していたそうだ。

翌日は内離島が目のまえなので、もういちどこの島に渡り、廃鉱間近の炭鉱で責任者の三谷氏から話を聞いた。
汽船の燃料コストや、荷物積み込み人夫の給料については、やっぱり赤字だそうて、起業家になるのも楽ではないようだった。
その後、島の最高地点に登ってみると、沖から汽船が近づいてくるのが見えた。
大有丸が約束どおり船浮まで儀助を迎えにきたのである。

三谷氏や案内をしてくれた木場巡査などに別れを告げ、儀助が大有丸に乗り込んだのは明治26年7月28日のことだった。
これで西表島の探検と調査は終わりなので、彼は船のなかでこれまで見てきた島の総括をした。
とはいっても、貧しい農民を苦しめる税法を改革するにはどうすればいいか、開墾地の必要性、人口を増やす方法など、くそまじめな儀助らしい。
現代のわたしたちには役に立たないことばかりだし、興味のある人もいないだろうから、詳細は省くことにする。

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荷物の積み込みなどで2日間を船上で過ごしたあと、「水落の滝」で給水をしたのち、7月31日に大有丸はつぎの目的地である与那国島に向かって出航した。
この滝はマングローブの森のとっつきにあり、垂直の岩から水が流れ落ちていて、むかしから島の人々にとっては貴重な飲料水の補給場所だったところである。
儀助が旅をしたころは、ここでクロダイやスズキなどが入れ食いで釣れたという。
わたしもいちど行ったことがあるけど、さすがに現在ではそれほど魚影が濃いようには見えない。
この滝を見たい人はシュノーケリング・ツアーにでも参加すれば、寄ってもらえる可能性がある。

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2022年8月 5日 (金)

ティナちゃん

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ロシア人ユーチューバーは多いけど、そして彼女たちのほとんどがふるいつきたくなるような美人ばかりなんだけど、そんなひとりにカチョックTVのティナちゃんという娘がいる。
美人というより愛嬌のある顔といったほうがよく、全体のプロポーションも日本的で、わたしが好きなユーチューバーのひとりだ。
最初のころは水着もケチらず披露していたのに、最近は露出が少なくなってつまらない。
なんてことはさておいて、彼女の最近のYouTube映像に、新疆ウイグル自治区のウイグル娘と対談しているものがあった。

ティナちゃんにもウイグル娘にも関心があるから、さっそく観てみた。
観るまえに心配だったのは、いまのご時世だから、政治的な話に終始するのではないかということ。
とくにウイグル人というと、どうしても中国人(漢族)との対立が強調される場合が多いから、そのへんの事情にもまあまあ詳しいわたしには心配だった。
しかしこれは杞憂で、ウイグル娘は、他の多くの外国人ユーチューバーと同じように、すなおに日本のよさに感心するばかりで、ウイグル問題はまったく出てこなかった。
こうなると、今度は反中主義者にはおもしろくないところだろうけど、政治問題抜きでも、わたしにはいくつか興味のある事実があった。

このウイグル娘が日本に来るきっかけになったのは、出身地のウルムチにいるとき、教師から日本の素晴らしさを教えられ、専門的な勉強をしたければぜひ日本に行くようにと勧められたからだという。
うーん、わたしにも経験があるねえ。
わたしもウルムチに行ったことがあり、レストランで店員とカタコトの会話をしていたら、かたわらにいたウイグル人がいきなり握手を求めてきて、わたしは日本にいたことがあります、日本は素晴らしいと褒めちぎられたことがある。
なんでも日本の大学で農業の勉強をしていたという学者さんだった。
日本人であることが晴れがましいというのはこういうときだ。

手前ミソになるから褒められたことはわきに置いて、ティナちゃんの対談相手にもどると、このウイグル娘は5年まえに日本にやってきたという。
新疆から直行の飛行機便はないから、ウルムチから北京経由で来たというんだけど、こんな話でも中国の現状を知る手がかりになるものだ。
5年まえにはまだそれほど日中間も騒がしくなく、ウイグル娘はふつうに手続きして、とくに問題もなく、ふつうに日本にやってきたということになる。
そしてあこがれの日本に到着したあとは、おおかたの外国人娘と変わらず、街がきれいだった、食事がおいしかったという反応だった。
おもしろかったのはイスラム教徒の彼女のために、レストランの店員が豚肉を使ってない料理をいろいろ探してくれたということ。
日本人はなんて親切なのと、彼女はおおいに感動していた(美人は得である)。

このウイグル娘は長い髪を惜しげもなくさらし、もはやイスラムの戒律とは無縁の欧米人の娘のように見える。
そしてウイグル語と中国語を話すそうである。
あっけらかんとしているところをみると、べつに強制されているわけではなく、中国で生きるにはそのほうが便利だからだろう。

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そのうちまた中国をけなすのに、ウイグル問題を持ち出す日本人がいるに決まっているから、あらかじめいっておく。
正直にいうと、わたしもウイグル人が漢族をきらっている雰囲気を感じることもあったけど、大半のウイグル人は抵抗運動なんぞに興味はないといった按配だった。
駅やホテルで働いているウイグル人も多かった。
この写真のおじいさんはウイグル族の農民で、彼の家の門前にたくさん花が咲いていたから、きれいですねと褒めたら、うれしがって裏の農場で取れたばかりの梨をくれた。
みんないい人ばかりだった。
世の中にはわざわざ不安をあおり、ありもしない危機を強調して、青少年をたぶらかそうという人間も多い。
お願いだから、そんなボンクラのいうことを信じないでくれ。
ほんのいっときでも輝いていたわたしの人生、あれはいったいなんだったのだろうと、わたしはいまでもよく思い出すのだよ。

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2022年8月 4日 (木)

落ちた!

うわ、すごいな。
いまカミナリが落ちたよ、わが家の近所。
あわててベランダから外をながめたけど、雨がざあざあ、とりあえず見える範囲に被害はなさそう。
ジタバタしたってしようがねえやと、わたしはベッドにひっくり返って、電源コードを引っこ抜き、バッテリーだけでタブレットを使っています。
クワバラ、クワバラ。

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ペロシおばはん

例の米国の下院議長のおばはん、中国をひっかきまわし、だいぶ中国政府の怒りを買っているようだけど、しかし、しかしこれはすべて馴れ合いのことだからね。
なにも反応しなけりゃアメリカが気にする。
ひっかきまわそうとして行ったのに、相手がぜんぜん気にしなかったら、おばはんが気のドクだし、こころやさしい中国としては、怒ってます、ええ、わたしは怒ってるんですというポーズを示さないわけにはいかなかったのだ。
だってそうでしょ。
おばはんが台湾を励ましたからといってなんか変わった?
米国は台湾を見捨てないと確約したそうだけど、台湾と中国の関係はあいかわらずゆるい緊張が続いているだけで、飛行機を飛ばした、軍艦を派遣した、当たらないようにミサイルを飛ばしたなんてことはこれまでもやっていたことだ。

マスコミやSNSはおばはんを過大評価しすぎだよ。
いまの中国がアメリカの挑発に乗るわけがないし、機をみて敏なる台湾人のほうが、米国を見捨てる時代が来ないという保障もないんだし、おばはん去ってあとの水のにごりが収まれば、すべてはこれまで通り、中国はひたすら繁栄に邁進し、アメリカが落ちぶれるのを待つだけだ。
また制裁?
G7だけでまたやるか。
歴史というものは、一部の人たちの、こうなって欲しいという願望だけで動かせるものじゃないんだよ。
わたしとしては、せめて30年まえに来てくれれば、もう少しはおばはんに注目できたのにと残念な気持ちだ。

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2022年8月 3日 (水)

ティアラ

愛子さまがティアラを新調しないって。
ティアラってなんだ?
男のわたしには縁も興味もないものらしいから、なんだっていいけど、理由はコロナのおかげで困窮している国民をおもんばかってということらしい。
えらい!

えらくないのは国葬だって大騒ぎをして、ムダ金を使おうっていう、どこかの国の総理大臣だよな。
いまこそわたしが代わりに考えてやった国葬中止の挨拶を使うべきではないか。

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保護動物

夜のニュースを観たら、お、ひさしぶりだね、華春瑩さん。
ちょっと姿を見せないと、すぐ失脚した、粛清されたと中傷する人が多いから、たまには顔を見せて、中国はそんなにひどい国ではないということを証明してほしいねえ。

そんなことはさておいて、アメリカの下院議長のおばさんが台湾を訪問するって大騒ぎ。
いっとくけど、おわかりだろうけど、ここでも先にアクションを起こしているのはアメリカだからね。
中国もロシアもつねに後出しで、相手がケンカを吹っかけてくるから、お付き合いでごたごたいってるにすぎない。
べつにほうっておいてもいいんだけど、無視すると、ケンカを吹っかけたほうはバカにされたと余計怒る場合が多いから、いちおうポーズだけでも怒りを表明しないわけにはいかないんだよな。
だからもうひとりの報道官の趙立堅さんなんか、やれやれ、またかいと、おかしさをこらえるのに必死(とわたしには見える)。

だいたい下院議長のおばさんが台湾を訪問すると、なにかが変わるだろうか。
黙々と大国への道を歩むという、中国の長期戦略に影響があるだろうか。
自分で先に言い出したくせに、とちゅうでひっこめると相手になめられるなんて、自業自縛に陥ってるのは、いつもの米国のパターン。
台湾人が、やっぱり中国についたほうが得だなと思いだしたら、もはや口を出すわけにいかないので、いまがアメリカにとって正念場だ。
ケンカをふっかけては、さらに話をややこしくする。
こんなバカバカしいことばかりしているから、米国はどんどん途上国から見放されるんだよ。
いまやアメリカにこころから心酔しているのは、日本(の宰相とNHK)だけと違うか。

昼間のネットニュースでは、ホオジロザメを食べちゃった中国人女性が、絶滅危惧種になにをするんだということで、中国当局に調べられているらしい。
ホオジロザメというと、あの「ジョーズ」のことだけど、凶悪そうに見えても現在では保護動物である。
これでも中国が、常識の通じない独裁国家だという人がいるか。

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2022年8月 2日 (火)

クローズアップ現代

昨夜のNHKの「クローズアップ現代」には面食らった。
またウクライナ戦争についてだけど、ウクライナのプロパガンダだとしても、内容があまりに幼稚で意味不明で、これでは、ひょっとするとNHKはこころを改めて、ウクライナの宣伝工作がいかにデタラメであるかを、告訴する方向に舵を切ったのではないかと思ったくらいだ。

以前にもこのブログに書いたけど、まだ戦争継続中なのに、ウクライナの警察官や検察官や弁護士が動員されて、ロシアの戦争犯罪を立証しようとする。
たとえばあるウクライナ人は、目隠しをされてこん棒で殴られたというんだけど、そのていどが戦争犯罪になるのやら。
またべつのウクライナ人は、ロシア兵に殺すぞと脅迫されたというんだけど、その証言者は殺されたわけでもなく、これこれしかじかと証言しているのだから、どう見てもトンチンカン。
韓国が慰安婦や徴用工の一方的な証言だけで、日本の戦争犯罪を立証してるのとぜんぜん違わない。

ここまで徹底的におかしなことをされると、ウクライナの言うことはまるで信用できないと思われてしまわないか。
ゼレンスキーさんはもうなりふり構わずという塩梅で、粛々として戦争を遂行するのみのロシアが、冷静さでますます際立ってしまう。
岸田クンは自前の核を持ちたいという欲望をかかえながら、一方ではNPT(核不拡散条約)に参加して、また絶望的に矛盾したことをいってるけど、プーチンが核兵器を使うより、ヤケになったバイデンさんのほうにその恐れが出てきた。
人間というのは前と後ろに敵をかかえて、にっちもさっちも行かなくなったときほどヤケになるもので、プーチンは前方の敵だけでいいけど、バイデンさんは後ろにもトランプさんという敵を抱えており、おまけにコロナにも感染して、まるっきりの袋小路。
ゼンマイが切れなければいいが。

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2022年8月 1日 (月)

暑いぞ

暑いねえ。
部屋でテレビを観ながら、パソコンを使うと、この両者の熱量はハンパじゃないので、暖房フル回転のサウナに入っているようなものだ。
でも大丈夫。
わたしの団地は田舎にあって、まわりに緑が多いところだから、夜はベランダに出るとさわやかな夜風がほほをなでる。
こんな調子でエアコンなしでもすごせてしまうのだ。

今夜もそのつもりだった。
ここんところエアコンの調子が悪いので、エアコンを切って天然エアコンにまかせようとした。
夜の9時ごろで、外にはさわやかな夜風が・・・・

ところが、エアコンを切ってベランダに出てみたのに、まったく温度の変化が感じられない。
つまり屋内と屋外の温度がピッタリ一致していたということだ。
これはたまらん。
つい先日も団地のとなりの棟で、じいさんが死んで発見されたばかりで、わたしもそのうち熱中症で死ぬかもしれない。
やっぱりケチしないでエアコンを修理してもらおう。
アチチ・・・・だらだら(汗の流れ落ちる音)

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決別

岸田クンはどう考えているのだろう。
プーチンが北方四島について、ロシアの領土だから死守するという確固たる姿勢を明らかにした。
好敵手と思っていた安倍クンも死んでしまったし、あとを継いだのが米国べったりの岸田クンでは、こりゃもう遠慮する必要はないなと見限られたようなものだ。

いったいウクライナ戦争で得たものがあるだろうか。
日本にとっては遠い世界の戦争で、勝っても負けてもとくにメリットがあるわけじゃない。
ロシアの横暴を食い止めたんだからいいではないかという人がいるかもしれないけど、おかげでものの値段は上がる、エネルギー価格は暴騰する、北方四島では交渉すら望めなくなる。
これに戦争で死んでいく者、破壊されたインフラ等、おまけに失墜した国際リーダーシップも含めれば、単純に損得計算だけしても、割が合うといえるだろうか。

まあ、岸田クンが悪いわけじゃあるまい。
なんだかんだといろいろな条件が積もり積もって、そういう時代が来るべくして来たような気がするよ。
安倍クンが死んだのもそういう時代の必然だったのかも。
わたしがそのうち老衰で死ぬのも、みんなそういう時代に切り替わるために必要なことなのかも知れないね。
考えれば考えるほどオカルトになってしまうけど、いったいこの世界はなんだろう。
わたしが死んだあとも、ただずるずると続いていくものなのか。
考えても仕様のないことを考えてしまう。

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