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2007年7月

2007年7月31日 (火)

ベルイマン記

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スウェーデンという国のいき方はわが国にも参考にならないだろうか。
経済大国だって肩ひじはって生きるより、身分相応に、じみで堅実な生き方を模索するといういき方である。
スカンジナヴィア半島の国々をみていると、ときどきそんなふうに思ってしまう。
じみで堅実なといってもスウェーデンはあなどれない。
福祉の先進国であることはよく知られているし、ボルボやサーブという名車は本来この国のものである。
また映画産業でもすぐれた傑作をつぎつぎと生み出しているのである。

そんなスウェーデンの誇る映画監督のイングマール・ベルイマン氏が亡くなった。
この人の映画はとにかく難解なことで知られる。
わたしも 「第七の封印」 や 「野いちご」 「処女の泉」 などのDVDを持っているんだけど、わかったような顔をしてすばらしいとほめたたえるにはためらいがある。
彼の映画は詩のようなものといったらいいかもしれない。
個々の場面は理解できなくとも、観終わったあと確実なイメージやメッセージが伝わるのである。
それを言葉でいうのはむずかしい。
しかしわたしのような凡人にも、見終わったあとの清涼感のようなものは理解できる。

「第七の封印」 は、全編が重くいんうつな雰囲気におおわれているけど、登場人物のほとんどが死神にひかれて舞台を去ったあと、馬車で出発する道化師夫妻に、雲の切れ間からようやく晴れ間がのぞいたような気分にさせられる。

「野いちご」 では、主人公の科学者を演じた老俳優がすばらしい名演である。
60、70まで生きた人なら誰でも、過去に幸福だった思い出を、ひとつやふたつはかならず持っているだろう。
映画の最後で、微笑みながら眠りにつく老人の顔が、わたしのような人間にも過去の幸せな思い出をよびさましてくれるのである。

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カルト

わたしは科学を信奉する合理主義者だが、そんなわたしの家に、ときどき理解しがたい考えのご婦人たちがやってくる。
なんとかいう宗教団体の人たちで、わたしをそちら方面に勧誘したいらしい。
しかしわたしの頭の中には、これまでの人生で学んだ知識や経験がしっかりと根をはっていて、いまさらそれらをひっくり返すような、新しい考えを受け入れる余地はないのである。
だいたい、貧乏人ではあるけど三度のメシにはこと欠いてないし、身分不相応な夢や希望をいだいているわけでもない。
つまり、平凡ではあるけどしごく快適な生活をしていて、どこのウマの骨かわからない新しい神様にすがりつく必要も当面はないのである。

あるとき彼女らを部屋に招き入れて、はあはあと話を聞いてみたが、あまりにその考えが深遠すぎてわたしにはとうてい理解できなかった。
凡人の見本であるわたしに理解できないのだから、どうせロクなものではないだろう。

で、この団体について、ネット上のある掲示板にカルトみたいだと書いたら、その掲示板の管理者があわてて連絡してきた。
カルト宗教というのは、自分たちの考えがゼッタイに正しいと信じており、それを中傷する相手には裁判に訴えることも辞さないのだそうだ。
話してわからない相手 (どっちが?) には、よってたかって言論封じみたいなこともすることがあるらしい。
なるほどねとわたし。

米国ではダーウィンの進化論をあたまっから否定し、人類は6000年ぐらいまえにアダムとイヴから誕生したと主張する人たちが、政治を動かすほどの力を持っているという。
よその掲示板に迷惑をかけたくはないし、こんな手合いと宗教論争をするほど、わたしもヒマじゃない。
というわけで、わたしの書き込みから某宗教団体の名前はふせ字にされてしまった。
おお、神様・・・・・・・と、わたしは曲解されている神様のために、いまこそ祈りたい気持ちである。

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2007年7月30日 (月)

似顔絵

Photo テレビで、たまたまわたしのきらいなバラエティー番組を観ていたら、ウクレレ漫談の牧伸二師匠が、共演のハイヒールリンゴ・モモコという漫才師の似顔絵を描いていた。
わたしの知っている牧伸二さんは、へなへなしたスタイルで、漫談の合い間にウクレレをペロンペロンとひく若者という印象だったが、ずいぶん老けたものである。
もっとも師匠のほうがわたしより年上なのだから、とっくに若者を通り越したわたしより老けているのはやむを得ない。
師匠のかくれた趣味が絵描きだそうで、似顔絵もなかなか堂に入ったものだった。

テレビを観ながら、わたしも手近にあったボールペンでさらさらとモモコさんの似顔絵を描いてみたんだけど、ぶっつけ本番で下書きもなしに描いたにしちゃ、こちらもなかなかのものである (と、勝手に思っている)。
えっ、モモコさんがどんな顔をしているのか知らない?
ネットで調べればいいでしょ。
“ハイヒールモモコ” で画像を検索すれば、どんな顔をしているかすぐわかります。

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2007年7月29日 (日)

ドクター中松

夜の9時ごろの時点で、参院選挙の結果は与党の大負けのようだけど、これも国民の健康的なバランス感覚が働いたとみるべきか。
ところで、どこの選挙にも立候補してくる有名人のドクター中松サンはどうなったんじゃい。

ドクター中松サンというとフロッピーディスクの発明者だそうで、わたしの友人のなかにもそれを信じている者がいる。
ホントにそうなのかいと、ヘソ曲がりのわたしは疑問をもつ。
というのは、わたしもずいぶん本を読むほうだが、コンピューターの発達史のなかでこれほど重要な発明について、中松氏が発明したと書いた文章を、わたしは当の中松サンの書いた文章以外にいちども見たことがないからである。
そのへんが気になって、またネット百科事典ウィキペディアで調べてみた。

「フロッピーディスクについては、ドクター中松こと中松義郎が、発明及び特許を取得したと主張しているが、これは正確な表現ではない」とある。
このあとに説明が続くけど、発明者ではなくともIBMとある種の契約をむすんだことは事実のようで、彼の選挙の財源はそのへんにあるのかもしれない。
もっとましなお金の使い道がありそうなものだけど、福祉システムまで金儲けに利用しようという生き馬の目をぬくこの社会で、ひょっとすると彼も人間不信におちいっているのかも。
彼みたいな金持ちだと寄付の依頼なんかがひきもきらないだろう。
わたしだって一日に300も、寄付してくれという手合いが殺到したら、いいかげんにしやがれとわめきたくなってしまう。
中松サンが選挙で浪費するのは、いちばん無難な方法で資産を世の中に還元しているのかもしれない。
うん、リコウな人なんだな、彼は。

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冒険者たち

Bo001

昨日のBS映画劇場は 「冒険者たち」。
アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカス出演の、はっきりいえば2流半のアクション映画だけど、青春まっただなかの多感な時期に観たことと、男2人に美女1人が船にのって気ままな宝探しに出かけるという、一見ロマンチックな映画であること、水着シーンの多いシムカスがひじょうに魅力的だったことなどで、いつまでも記憶に残る映画になった。
ことに、とちゅうで死んでしまったヒロインが、重い潜水服を着せられて暗い海底に沈んでいくシーンは、ほかのシーンがぜんぜん印象に残らないくらい印象的。

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2007年7月28日 (土)

知人のメール

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中国の知り合いからメールがとどいた。
1カ月半以上も東南アジアを旅行していたらしい。
ほんとうは日本に来たかったようだけど、日本のガリガリ官僚は、親戚もいない、ただの観光目的の中国人には、ぜったいにビザを発給しないのだ。

添付してきた写真は、アンコール・ワットのようである。
わたしも元気なうちにベトナムやカンボジアへ行ってみたいんだけど。
あちらのビザはかんたんに取れるのにね。

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2007年7月27日 (金)

イネの花

02_2 先週あたりまでの天気じゃ今年も冷夏かと思っていたのに、ここ2、3日は夏日が続いている。夜型人間の当方としては、たまに散歩に出ると立ちくらみが心配になってしまうくらいである。
先ゆき心配だったお米の成長も、近所の田んぼではちゃんとイネに花が咲いていたから、なんとか可になりそうである。

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谷内六郎さん的風景

0009 近所で見つけた谷内六郎さん的風景。

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2007年7月25日 (水)

検索

アメリカの大学で試験をしたら、複数の回答におなじ間違いが見つかり、教授が調べたら学生たちがネット上の百科事典ウィキペディアを丸写ししていたそうである。
だからウィキペディアを信用してはならないと、これは当のウィキペディアの広報担当が言っているそうだ。

ウィキペディアの情報は誰でも書き込めるものであり、よく目にふれる情報なら誰かが気がついて書き直すだろうけど、あまり目につかない情報だといつまでも間違いがそのままということがおこる、だろうということは、わたしは先刻承知していた。

じつはわたしもウィキペディアやネット上の情報をしょっちゅう利用しているので、これは注目すべき事件である。
ただ、わたしはアメリカの青少年のような軽はずみな行動はとらない。
ネットでものを調べる場合はかならずウラをとる。 ネット上にはさまざまな情報が氾濫しているので、ひとつだけではなく、かならずいくつかの情報にあたってみる。
前々項で 「オイカワ」 という魚のことを書いたが、最初、名前のわからなかったこの魚について、まずネット上の淡水魚図鑑を調べて、オイカワだろうとおおよその見当をつけ、つぎにオイカワという名前でもういちど画像や情報を検索してみた。
ヒットしたたくさんのホームページを調べて、かたち、棲息場所、婚姻色のあらわれる時期など、すべて一致してはじめてオイカワと判断したものである。

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2007年7月24日 (火)

青空

数日来の曇り空がきえて、今日は雲ひとつない青空になった。
ひさしぶりに床屋へ行く。
わたしは床屋にすわっているのがきらいなので、なかなか散髪に行かないのだが、髪を切ればひとなみにサッパリ感がある。
髪を切ったのと青空とで、今日のサッパリ感はふだんより大きい。
わたしの家の近所には園芸農家が多いので、床屋までの往復数100メートルのあいだにもたくさんの花が咲いている。花のあいだには何種類ものチョウチョが舞っている。
花もチョウチョも、青空の下ではぜんぜん別物と思えるくらい新鮮に見える。
このまま梅雨もあけてほしいものだ。
帰宅したらテレビで選挙の政見放送番組をやっていた。
やたら下手に出てくる候補者の顔を何人かながめていたら、またすこしユウウツになってしまった。

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2007年7月23日 (月)

オイカワ

P01 スーパーへ買い物に出かけた帰りに、近所の野川 (固有名詞です) で変わった魚を見かけた。
大きさは10数センチ、ひれが紅色でよくめだつ美しい魚である。
野川にコイはたくさんいるが、こんな魚を見たのは初めてなので、とりあえず写真におさめて、帰宅してからネットで調べてみた。

正解は 「オイカワ」 で、ひれが赤いのは婚姻色らしい。
関東では、利根川、荒川、多摩川あたりに多いというけど、野川は多摩川とつながっているから、先日の台風で迷い込んできたのかも。
なんかヨタヨタしていたけど、悪名たかい河川改修を、むしろ棲息範囲の拡大につなげてしまうタフな魚でもあるらしい。
発情したオスがこんなところでうろうろしていていいのかと、注文のひとつもつけたくなるが、ま、今年の野川ではメスにめぐりあう機会はひじょうに多いようだから、腹がへってはいくさはできないってんで、のんきに餌をつっついているところのようである。

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2007年7月21日 (土)

HYPOCRITE

Hypocrite

このブログでもふれたけど、フランスやイタリアには美少女が活躍するコミックの伝統がある。
そんなことを書いたあと、わが家にはフランスの 「HYPOCRITE」 というコミック誌があることを思い出した。
フランス語はぜんぜんわからないが、ずうっと昔 (30年前だ)、マンガ家をこころざしていたわたしが、参考のために購入したものである。
「HYPOCRITE」 の主人公は、ロリコン・マニアのこころをくすぐるような可愛いオンナの子で、マンガの中では若いオトコの子とけっこういやらしいことでも平気でしているから、このコミックが子供向けのものではないことがわかる。
それともフランスの子供は、30年も前から平気でこんなことしていたのか。

著者はジャン・クロード・フォレ (J.C.FOREST)。
絵がずいぶん気楽なタッチですいすいと描かれているところをみると、この人も天才なんだろうと思う。

さいわいなことに現在では、「HYPOCRITE」 はネットで見ることができる。
興味のある人は著者の名前で検索してみるとよろし (検索するときはフランス語の名前で検索すること。日本語で検索するとワインの銘柄ばかり出てきてしまう)。

最近の日本のマンガ事情は知らないが、このマンガは幽霊や人魚や怪獣、ロボットなどが入り乱れるファンタスティック活劇とでもいうような作品で、日本で類似の作品をあげるとすれば、松本零士の 「銀河鉄道999」 あたりだろうか。
絵を見ているだけでいろんなイメージがわいてくる。
これこそCGアニメにしてほしい作品である。
フォレの作品では 「バーバレラ」 というコミックがすでに映画化されているが、これはマンガの主人公をなま身の人間が演じているので、イメージの飛躍に限界があってつまらない。

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困ったもの

最近ある雑誌で読者投稿欄に、ちとどうかなという記事を見つけた。
中国がキライらしい某氏が、公害たれ流しの中国にオリンピックなんか開催する資格があるのかと怒りの投書である。

わたしは中国が好きだきらいだという論争に加わるつもりがないけど、はてね、そんなことをいえるほど日本という国は立派だったっけと考えてしまった。
日本がオリンピックを開催したのは昭和39(1964)年で、そのころの日本はどんな国だっただろう。
たとえば日本で公害問題のさきがけとなった熊本の水俣病だけど、この病気がはじめて報告されたのは1956年だそうだ。
問題が大きくなっても企業や政府はほとんど有効な対策をたてることもなく、オリンピックの年のころには、さらに新潟でも新しい水俣病が発生している。
政府が水俣病と工場廃水の因果関係を認めたのは1968年で、このとき熊本水俣病が最初に報告されてからすでに12年が経過していた・・・・・・・・

ことわっておくけど、わたしは中国を弁護するつもりじゃない。
ただ他人に文句をいうのに、自分のことは棚にあげてという人がいるのは困ったもんだといってるだけである。

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2007年7月19日 (木)

オカマ猫

夏目漱石の 「我輩は猫である」 を読んでいてふと思ったことがある。
この作品が書かれたのは明治時代であるから、当時の猫界ではまだ避妊手術なんてほとんどされてなかったであろうと思われる。
わたしの子供のころも、猫というのは勝手にそのへんをうろついていているもので、飼い猫といえどもサカリがつけば、おたがいを追っかけまわして盛大にわめきあっていたものだ。

昨今ではそういう風潮がすたれて、たいていの猫は避妊手術をされるのが大流行である。
動物が好きなのか嫌いなのかわからないけど、飼い主の多くが不自然な生きものを量産して恥じることがない。
去勢されたために世をはかなんで自殺した猫の話もあまり聞かないから、まあ、猫のほうもそうとうに楽天家であるようだけど。

わたしの知り合いに猫を3匹も飼っているおばさんがいる。
もらってきたかひろってきたか知らないけど、いわゆる血統書つきの猫さまではなく、そのへんのノラちゃんと同類の猫ばかりである。
おばさんの家にやってきたばかりのころはちゃんとした猫でも、そのうち避妊ずみになってしまう。

近所のメス猫が、おや、今度あのうちに美男子の猫がやってきたな、仲良くなりたいわーと思ったとする。
それでせっせとおしゃれをして、遊びに行ってみたら、いつのまにか当のオス猫がオカマ猫になっていたということである。
「我輩は猫である」 の中には、人間の横暴について猫族の窮状をうったえる箇所があるくらいだから、夏目漱石が生きていたら、きっとこのへんの事情も書き加えたにちがいない。

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2007年7月18日 (水)

会津藩のその後

司馬遼太郎の歴史紀行 「街道をゆく」 をはじめて読んだのは1975年のことである。
たまたま旅行中に、駅で週刊朝日を買い、そのなかにこれが連載されていることを知ってからである。
それ以来、作家が1996年に亡くなって連載が断絶するまで、わたしが週刊朝日をひたすら買い続けたのは、ただただこの紀行記を読みたかったからである。
ありがたいことに週刊朝日に連載中から、このシリーズは文庫本としても読めることになった。 貧乏アパートに文庫本で43巻がずらりと揃っているのはなかなか壮観である。
この本の魅力について書きたいことは山ほどあり、ありすぎとてもいちどに書ききれないので、例をあげつつ、おいおいこのブログでふれていくことにする。

たとえば日本人なら誰でも新撰組のことを知っている。
もうすこし詳しい人なら、新撰組が幕府の直属ではなく、幕府の命をうけた会津藩の直属組織だったことを知っているだろう。
明治維新で薩長による新政府ができたとき、維新まえに薩長の志士たちを多く殺傷した新撰組の、その直属の上司だった会津藩はとりつぶされてもおかしくなかった。
じつは会津藩はとりつぶされていない。
それじゃあどうなったのかと、ここから先の会津藩の運命を知っている人はあまりいないんじゃないか。

「街道をゆく」 の41巻にはこのあたりの事情が出ている。
わたしもこの本を読むまで知らなかったけど、会津藩は藩ぐるみ、青森県の下北半島に移住を命じられ、移住した藩士たちは厳寒の地で、政府の支援もなく、塗炭の苦しみをなめたとある。
そんな事情もあって、いまでも会津若松市と下北半島むつ市は仲がいいらしい。

この話にはさらにおまけがあって、かって長州萩市から会津若松市に、(維新の敵対関係を解消して) 仲直りしましょうという提案があったとき、会津若松市はむつ市の意向もありますからといって婉曲に断ったそうである。
「街道をゆく」 には、こうしたこころ温まるエピソードがたくさんあるのである。

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2007年7月16日 (月)

健康スリッパ

スーパーへ食料の買い出しにいって、ついでに健康スリッパというものを買ってきた。
足うらが当たる部分にイボイボがついていて、これが足うらのツボを刺激し、はいているだけで健康になるんだそうだ。
わたしのように運動がキライ、規則正しい生活もぜんぜんダメという人間にもってこいの健康法ではないか。
さっそく部屋ばきにしてずっとはいたままでいるが、まだ不健康なせいか足のうらが痛くてたまらない。

健康といえば以前にこのブログに書いたニンニクランオウカプセルについて、その後ちゃんとわが家に届き、さらにそのあと九州のおばさんなる人物から電話があった。
いかがでしたかと訊くから、いまのところまだ健康なので飲んでおりません、 不健康になったら飲んでみようと思いますと返事したところ、電話はプッツン。
べつに腹をたてられる原因に思い当たらないけど。

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2007年7月15日 (日)

ニューポート・フォーク・フェスティバル

Bob

台風に降り込められて外出もままならないので、部屋でぼけっと録画したテレビ番組を観ている。
昨夜はBSで 「ニューポート・フォーク・フェスティバル」 という記録映画が放映された。

フォークソングといえばむかし、PPM、ジョーン・バエズ、ブラザース・フォアなどのいろんな歌をよく聴いたものだけど、ニューポート・フォークと聞くと、わたしは有名なボブ・ディランのエレキ事件を思い出してしまう。
わたしはディランがぜんぜん好きじゃないんだけど、フォークといえばアコースティック・ギターと思われていた時代に、彼がいきなりエレキ・ギターを持ち込んで大ブーイングをあびた (という) 事件である。
これはかなりショッキングな事件だったらしく、この記録映画でもディランとそのシーンはかなり大きく取り上げられている。

そればかりじゃない。
わたしの好きなブルース・ロック系のバンド、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドまで登場しており、いまや伝説となったギタリスト、マイク・ブルームフィールドの動く映像を見られたのもうれしかった。

この映画は 1963年から 1966年のニューポート・フォーク・フェスを記録したもので、このフェスティバルがフォークの祭典から、ブルース・ロックのコンサートに変貌していくさまがよくとらえられている。
ハウリン・ウルフやサン・ハウス、ミシシッピー・ジョン・ハートなどの古典的ブルース歌手たちを見られるのもありがたい。
ただし、あまり脱線しちゃ困ると考えたのか、映画のラスト・シーンは日本にもファンの多いPPM (ピーター、ポール&マリー) の演奏だった。
彼らはもちろんエレキ・ギターなんか使っていないのである。

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2007年7月14日 (土)

ケイナ

わたしはコンピューター・グラフィックを使った映画がきらいである。
最近のアメリカ映画は、CGと実写を組み合わせた映画ばかりなのでちっともおもしろくない。
「ベン・ハー」 だとか 「スパルタカス」 のような、かってエキストラとスタントマンを使い、物量作戦で押しまくった歴史大作は、現在ではみんなCGである。
「史上最大の作戦」 や 「バルジ大作戦」 のような戦争映画も、ドンパチはみんなCGで、OO7みたいな活劇も、車が飛んだり船が爆発するようなシーンは全部CGである。
SFやファンタジーになると、もともとCGをいちばんお得意とするところだから、もっとひどくなる。
CGでどんな宇宙人でも怪物でも (液体人間だろうが気体怪獣だろうが) 作れてしまうから、ヒツジにダチョウの足をつけたり、トカゲとヒトデを合体させたり、もうありとあらゆる魑魅魍魎が氾濫し、話がますます荒唐無稽になっていく。
ビリー・ワイルダーやベルイマンやキューブリックなどなど、古典的名画を愛するファンに、こんな映画を観て感動しろというほうがムリである。

Kaena

最近、NHKのBSで 「ケイナ」 という映画が放映された。
なんか思わせぶりなタイトルなのでつい録画してしまったが、あとで観てみたら、これは全編にCGを使ったアニメ映画だった。
CGのきらいなわたしであるが、アニメとなると事情がことなる。
調べてみたらこれはフランス産のアニメだという。
フランスやイタリアには美少女が活躍するコミックの伝統があって、 日本の宮崎駿などのアニメと比べると、いずれもヒロインがどこかイロっぽくて、ロリコンおじさんたちをひきつける魅力をもっている。
「ケイナ」 でも、主人公は半裸で飛びまわる少女で、顔立ちはナオミ・キャンベルのような黒人モデルに似ている。
おさなげな顔におっぱいだけが巨大なのは、日本のアニメの影響だそうだ。
つまらないものに影響を与えたものだ。
それでもヒロインがかわいいってんで、とうとう最後まで観てしまったわたしも、そうとうのオタクのようである。

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2007年7月12日 (木)

出山横穴墓群第8号墓

P012家の近所に龍源寺というお寺があり、そこに近藤勇の墓があるので散歩がてら寄ってみた。
勇の墓のとなりに 「穴佛」 の供養塔というものがあった。 穴佛というのはこの近くにある古墳のなかのホトケ様らしい。
まだ龍源寺そのものさえ建立されてなかったはるか昔のホトケ様を供養しようというのだから、日本人のやさしさに感心する。

古墳というのは、正式にいうと 「出山横穴墓群第8号墓」 というものである。
古い時代のお墓だというから縄文か弥生時代か、ひょっとすると石器時代のものかなと思ったが、7世紀ごろのものだというから大化の改新のころである。 大化の改新なんて言葉を聞くと高校時代の歴史の授業を思い出してしまう。
わたしは専門家ではないので、詳しいことは三鷹市のホームページを見てもらうことにして・・・・・

この横穴墓は昼なお暗いうっそうとした竹ヤブのなかにある。
わたしは以前にも見学したことがあるので、迷う気づかいはないと思っていたが、行ってみたら以前の場所にはなかった、というのはわたしのカン違いだったようだけど、なんとなくキツネに化かされたような気分である。
竹ヤブのなかには小さなほこらもあるので、まだまだキツネや土着神の呪力が残っていてもおかしくない。
横穴墓といっても、現在は見学者に便利なようにコンクリートでかためた室のなかにある。

ギーッととびらを開いてなかに入ると、見学者はわたしひとりで、相手はお墓だから、ホラー映画の雰囲気である。
ガラスごしに暗い墓のなかをうかがうと、丸石がしきつめられた上に大たい骨や頭蓋骨が散乱しているのが見える。
なんとなく背すじがゾクゾクして早々に退散しようとしたら、あれま、ドアがいくら押しても開かないじゃないか。
こんなところで頭蓋骨といっしょに缶ヅメじゃたまらんといささかうろたえたが、冷静に考えたら押すのではなくひくのだった。
おどかすんじゃないよ、おい。
※墓のなかの骨はレプリカです。

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2007年7月11日 (水)

ずぼらのすすめ

先日、テレビを観ていたら、なんだか料理番組のようなものが放映されていた。
先生らしいおばさんが料理、というよりその手順について、こまごまと注意をしている。
アシスタントの娘が包丁を使うと、そのあとの処理についてああだこうだという。
包丁とまな板を使いながら、合い間に冷蔵庫のスイッチにさわったりすると、それはダメです。 細菌をバラまいているようなものですという。
使ったナベや野菜などは、これこれこうやってきちんと洗わなくちゃいけませんとか。
まるでわたしの代わりにアシスタントの娘が怒られているようなものだ。
わたしはずぼらだから、とてもこんなに神経質に清潔に注意することはできないのである。
この先生がわたしの調理方法をみたら、はたして何点つけるかしらと思ってしまう。
この先生が中国の下町にでも行って、屋台や食堂のありさまを見たら卒倒するんではないか。

でもわたしは思うのである。
地球上に棲んでいるのは人間だけじゃない。
いろんな生きものと、共存しながら生きていかないわけにはいかないのである。
清潔に注意するのもいいが、なにがなんでも細菌をシャットアウトというのは行きすぎじゃないか。
そんな生活をしているから抵抗力がなくなって、O157なんて騒ぎになるのだ。
わたしのように日ごろからずぼらな生活をして、いかなる細菌にも抵抗できる体をつくっておくことは必要である。

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2007年7月 9日 (月)

局長

前項を書いたとき、近藤勇のことをつい新撰組の組長と書いてしまい、あとから局長に訂正しておいた。
なんで組のトップが“局長”なんだと疑問をもって、またまたネットで調べたら、同じような疑問をいだいた人がいたとみえて、くわしい理由がわかった。
こんなことはどうでもいいけど、興味のある人は以下に

《江戸時代の幕府の組織における「長官」は普通、「頭」と言います。またその組織は一般に「組」と呼ばれています。
しかし「組長」とは言いわず、ふつう「組頭」とか「番頭」と言いました。また特別な組織の場合は、長官は「奉行」と言います。
「局」というのは「つぼね」と読むと、中世の頃から、宮中や、また江戸城大奥などの女性の役人の詰め所のような意味でした。
また女官や江戸城大奥の女性の取締役などで、それなりの地位があって、「独立した個人の部屋・事務所」を持っている人の、その独立した部屋などを「局(つぼね)」と呼び、この主を「局(つぼね)」とも呼びました。
新撰組の「局長」の起源は何かというと、おそらく、この「局」とよく似た用法から来ていると考えられます。
彼らは壬生屯所で、「会津藩預かり」となりますが、「新撰組」という呼称は、後に功績をあげて、幕府を通じて朝廷から賜った名前です。
壬生屯所を彼らの「部署・事務所・局」と見なし、その統括者を「局長」と呼んだのだと思えます》

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ケヤキ並木

大沢村の一角に古いケヤキ並木がある。
古色蒼然としたそのたたずまいは、この木がこのあたり出身の新撰組局長・近藤勇の波乱の生涯までながめていたんじゃないかと思ってしまう。

最近この木を所有する民家の塀が、ケヤキの外側から内側に移動する工事が始まった。
どうやら道路拡張のために塀の位置をずらしているらしい。
ということは、ケヤキも切り倒されてしまうんではないか。
おいおいと、大沢村の自然を守る会の単独おせっかい委員であるわたしは叫ぶ。
この並木のある街道には、100メートルほどはなれた場所に、立派な歩道までそなえた自動車道が平行しているのである。
それなのになんで古い並木道を改造する必要があるのだ。
ケヤキを切るのは一瞬だが、いったん消滅した風景をもとにもどすのはほとんど不可能なんだぞ。
心配になって調べてみたら、「野崎西まちづくりニュース」というホームページが見つかった。
http://www.mitaka.ne.jp/tmo/publication/nozaki_news/no3/kentou.html

このホームページの中に
《地域の財産でもある人見街道の「ケヤキ」を大切に保全し、沿道緑化をはかり、常に緑のうるおいを感じられるよう街並みを創設する》
という目標がかかげてある。
どうやらケヤキが切り倒されてしまうという心配は杞憂のようである。
現代では(ようやくというか)、魚の棲まない河川工事や水のしみこまない道路建設など、合理性ばかりを追求した土木工事に反省のいろがみられるようになって、各地で人間性を優先した工事が見直されているようだ。
ケヤキ並木を維持したまま、このあたりの景観がどう変貌するか、注意しながら見守っていくことにしよう。

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2007年7月 8日 (日)

おひさしぶり

01_6 おひさしぶりのチミモウリョウさんです。
全長はたしかに2メートルはあります。もはやニシキヘビの風格さえただよっていました。

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2007年7月 7日 (土)

関アジ関サバ

仕事を終えて帰宅するとイッパイ飲む。
ずぼらなので手間のかかるつまみは作れないけど、ここんところ茄子ばかり食べている。
茄子は包丁でたてに切れ目を入れ、わたしの家の電子レンジでは3分間チンするとちょうど食べごろになる。
ショウガおろしに醤油をたらし、これに茄子をびたびたとひたして、食べながら新聞や雑誌を読む。 たいして欲があるわけじゃないから、これがわたしにとって至福の時である。
飲み食いしながら、森鴎外も茄子が好きだったっけなと不遜なことを考えたりする。

酒のさかなといえば以前、熊本に引っ越したKさんがヤリイカの塩辛をくれたことがあった。
彼は釣りの達人で、あっちこっちに出没していろんなものを攻めていた。 わたしもハナダイ釣りに同行して、おこぼれをもらったことがある。
熊本ではまだ釣りを始めてないようだが、地図をながめてみたら、彼の新居からは、あの関アジ、関サバで有名な佐賀関が、東京から銚子や伊豆半島まで出かけるのと大差ない距離だ。
名にしおうブランド魚がどんなものか、早く彼の報告を聞きたいものだ。 あ、また腹がへってきた。

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ニワウメ

前項にとりあげた赤い実だけど、どうもコンメ (ユスラウメ) らしくないので、いろいろ調べてみたら、ニワウメという木の実らしいことがわかった。
ユスラウメに似ているけど、花も実もニワウメのほうが一歩遅いとあるから間違いないだろう。

調査の過程で植物をテーマにしたたくさんのブログに出会ったが、そのうち花や木の実を集めた 「はたざくら」 というブログがおもしろかった。
さても世間には物知りがいるものだ。
「はたざくら」 のアドレスは以下に
http://hatazakura.air-nifty.com/

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2007年7月 6日 (金)

コンメとバッタンキュー

P010 ユスラウメだと思うんだけど、撮影したのは7月6日なので、ちょっと時期が遅いような。

わたしのよく歩く散歩道にはユスラウメの木があって、ほんらいはよそ様の庭から道路に枝をのばしているんだが、共用の場についている実はつまんでもかまわないだろうという勝手な解釈で、散歩のとちゅうによくつまんだりする。
よそ様の庭のユスラウメはとっくに実が落ちてしまったが、べつの場所にこの写真の実をつけた木があって、こちらは熟しすぎだけどまだたくさん実をつけている。
つまんでみると、あまくておいしいが、ユスラウメとはすこし違うような。
これもホントにユスラウメかとすこし疑問があるが、そのうちもっと研究してみよう。

ユスラウメのことを、わたしの田舎ではコンメと呼ぶ。
コンメとはずいぶん安直な名前だな。 小梅とかんちがいしたかなと、大人になったある日にふと疑問に思い、ネットで調べてみたら、やはり地方によってはコンメと呼ぶところがあるようだ。

これとはべつに、子供のころ田舎でよく見かけた黄色い実をつける木があった。
子供というのは好奇心がつよいものだから、アレなんという木なのと大人に訊いてみた。
大人が答えていうのには 「バッタンキュー」 だよと。
このうえなく純真な子供だったわたしは、変な名前だなと思ったものの、すなおにそれを信じてそのまま成人になってしまった。
ところがある日、この世の中には巴旦杏 (はたんきょう) という果物があることを知った。
からかわれたのか、聞きちがいだったのか、いまとなっては確認しようもない。

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新しいカメラ

P009 知人から譲ってもらったコンタックスがいかれてしまったので、新しいデジカメ(デジタル・コンパクトカメラ) を買ってきた。
いまいろんなテストをしているところだが、今度のカメラは28ミリの広角が使えるのが大きい。
これがその28ミリの写真。 見よ、このド迫力。

新しいカメラについてはおいおい紹介することにしよう。 まだわたし自身よく理解してないもんで。

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こういう社会の2

士農工商といって、江戸時代はきびしい階級社会だったと思っている人がいるかもしれない。
しかしまずしい人間でも階級を繰り上がるシステムはちゃんと存在した。
たとえば水飲み百姓の子で、たまたま周囲をおどろかせるほど優秀な子供がいたとする。
システムはこうした子供をほうっておかない。
こうした場合、地域の名主や庄屋さんなどが、とりあえずこの子供を養子として引き取る。
これでまず階級的に一段階アップである。
さらに、ほんとうに優秀な子なら、藩や幕府が工作して、武士の娘と結婚させたり、侍の家に婿養子に入れたりする。
ここまでくれば二段階アップで、まがりなりにも武士階級の仲間入りである。 幕府の役人として仕事をすることも不可能ではなくなる。
こうした例は多い。
それは江戸という時代が、けっして杓子定規な階級社会でなかったことの証明である。

明治時代にも優秀な子供に教育を受けさせるシステムは存在した。
政府の役人や財閥の頭目などは、自分の出身地の優秀な若者を養育するのに懸命になった。
将来を嘱望されるような若者なら、地元出身のお金持ちが、自分の屋敷に書生としてかかえこみ、衣食住のめんどうをみながら高等教育を受けさせるということがふつうに行われていた。
もちろん恩恵を受けるためには本人の努力もかかせないが、国をあげて優秀な若者に教育の機会をあたえようという考えが徹底していたわけだ。
江戸から明治を通じて、政府も国民も教育の重要性をきちんと把握していたことになる。

それがどうだ。
現在では苦学をいとわずに国立大学に通う貧乏人の子弟を、虎の威を借りる木っ端役人が、勉強をするより家に仕送りをしろと迫るのである。
なんでこんな国になってしまったのか。 なんで・・・・・・
明治の日本はけっして豊かな国ではなかったが、教育こそが未来の国家の柱であることを認識して、国民すべからくが苦難をわかちあっていたのに。

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2007年7月 1日 (日)

こういう社会

防衛相が 「原爆投下しょうがない」 と言ったそうだ。
朝日新聞に発言の要旨が載っていて、それを読むと、ひとつの個人的な発言として容認できる範囲のもののように思える。
ところがさっそく言葉の一部だけをとらえて、けしからんという世論が喚起されつつある。
いいかげんにしたらどうだというのはわたしだけか。
大臣というのは型にはまった発言しかしちゃいけんのか、おい。

同じ日の朝日新聞の投書欄にこんな発言が載っている。
長いので要約してあるが要旨は以下のとおり。
《生活保護を受けている母子家庭です。中学生と大学生がそれぞれ2人います。大学生はともに家を出て、奨学金とアルバイトで頑張っています。》
ところが福祉事務所から、ほんらい子供の大学進学は認められない。
進学するくらいなら家に仕送りをすべきだという通告があったそうである。
国立大学に通う長男はアルバイトを頑張ったら学費免除が取り消されたそうだ。
次男は私立なので学費、生活費、アパート代がかかるし、2人ともバイトと奨学金でのやりくりで、仕送りなんて不可能だそうだ。
当然だろう。

この母親という人は、自分もパートの調理員として働いているそうだが、去年調理師の免許をとったにもかかわらず、時給725円、1カ月働いても9万円にもならないという。
この月給に生活保護と児童福祉手当てを加えた18万円で、残された中学生の子供と母親の3人がなんとか生活しているらしい。
どうやら家族全員が向上心をもって必死で生きている家庭のようであるけど、それに比べて福祉事務所の型にはまった仕事ぶりはどうだ。
母親はいう。
《親にお金がないと本人が頑張っても駄目なんでしょうか。》

政治家の発言の一部を取り上げて騒ぐより、こうした悲惨さのほうに目を向けるべきではないかい、おい。

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