« こういう社会 | トップページ | 新しいカメラ »

2007年7月 6日 (金)

こういう社会の2

士農工商といって、江戸時代はきびしい階級社会だったと思っている人がいるかもしれない。
しかしまずしい人間でも階級を繰り上がるシステムはちゃんと存在した。
たとえば水飲み百姓の子で、たまたま周囲をおどろかせるほど優秀な子供がいたとする。
システムはこうした子供をほうっておかない。
こうした場合、地域の名主や庄屋さんなどが、とりあえずこの子供を養子として引き取る。
これでまず階級的に一段階アップである。
さらに、ほんとうに優秀な子なら、藩や幕府が工作して、武士の娘と結婚させたり、侍の家に婿養子に入れたりする。
ここまでくれば二段階アップで、まがりなりにも武士階級の仲間入りである。 幕府の役人として仕事をすることも不可能ではなくなる。
こうした例は多い。
それは江戸という時代が、けっして杓子定規な階級社会でなかったことの証明である。

明治時代にも優秀な子供に教育を受けさせるシステムは存在した。
政府の役人や財閥の頭目などは、自分の出身地の優秀な若者を養育するのに懸命になった。
将来を嘱望されるような若者なら、地元出身のお金持ちが、自分の屋敷に書生としてかかえこみ、衣食住のめんどうをみながら高等教育を受けさせるということがふつうに行われていた。
もちろん恩恵を受けるためには本人の努力もかかせないが、国をあげて優秀な若者に教育の機会をあたえようという考えが徹底していたわけだ。
江戸から明治を通じて、政府も国民も教育の重要性をきちんと把握していたことになる。

それがどうだ。
現在では苦学をいとわずに国立大学に通う貧乏人の子弟を、虎の威を借りる木っ端役人が、勉強をするより家に仕送りをしろと迫るのである。
なんでこんな国になってしまったのか。 なんで・・・・・・
明治の日本はけっして豊かな国ではなかったが、教育こそが未来の国家の柱であることを認識して、国民すべからくが苦難をわかちあっていたのに。

| |

« こういう社会 | トップページ | 新しいカメラ »

ぼやきのてんこもり」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: こういう社会の2:

« こういう社会 | トップページ | 新しいカメラ »