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2007年8月

2007年8月31日 (金)

遠野物語

ここ2、3日は雨まじりのかんばしくない天気である。
外に出る気になれないから、部屋で魑魅魍魎 (ちみもうりょう) について考える。

わたしの本棚に 「遠野物語」 がある。
タイトルからして親子3代の開拓農民をあつかった大河小説みたいなイメージだけど、よく知られているように、これは岩手県遠野地方の民話や伝承を集めたスクラップ・ブックみたいな本である。
ほとんどのエピソードは、文庫本で数行、長くても1ページあるかないかのみじかい話ばかりだ。
わたしのブログには 「魑魅魍魎あるいは絶滅危惧種と暮らす」 という副題がついているけど、「遠野物語」 は全編これ魑魅魍魎のオンパレードで、座敷わらしや山男、天狗、河童、仙人、おしら様、人を化かすタヌキやキツネなんてのは、みんな絶滅危惧種でもある。
いやいや、山の神はオレんちにまだ健在だという人がいるかもしれないが、そいつはちょっと・・・・・・

「遠野物語」 のすばらしさは、ひとつひとつのエピソードは断片にすぎないのに、全体としてはいつのまにか、壮大で素朴な民話の世界にひきこまれてしまうことだ。
全部で300ちかくもあるエピソードの中で、わたしのいちばん記憶に残るものは、大津波で妻を失った男が、霧の晩に海岸で死んだ女房と出会う話である。
まるで1幕ものの舞台劇のように、簡潔に、男女の哀しい運命を語っている。

「遠野物語」 の著者は民族学者の柳田国男であることは、これを読んでみようと思うくらいの人なら誰でも知っていると思う。
その弟子の折口信夫 (信夫はシノブと読む) が本のあとがきを書いていることも、まあ、知ってる人は多いんじゃなかろうか。
わたしが感心するのは、この弟子の書いたあとがきがまたなかなか味わいのあるもので、遠野の春のいぶきがじかにきこえてくるような、折口信夫 (=詩人の釈迢空) の面目躍如という名文であることだ。

わたしの世代は (たぶん)、人間が魑魅魍魎たちと共存していた時代を知っている、最後の生き残りじゃないだろうか。
パソコンという、およそ魑魅や魍魎と対極にある道具を使いながら、わたしは複雑な気持ちで過去と未来をながめている。

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2007年8月29日 (水)

豪雨のあと

今度はオーストラリアにでも行ってみるかと、近所の図書館に出かけた。
オーストラリアと図書館では方向がちがうような気もするけど、つまり図書館で 「地球の歩き方」 を借りてきて、いろいろ研究しようというのだ。

大沢村には一般市民の利用できる図書館がふたつある。
ひとつは市の図書館の出張所で、もうひとつはコミュニティ・センター (むかしの公民館みたいなもん) 内にあるものである。
内容は出張所のほうが充実していて、ここにない本は、注文しておくと本館のほうから取り寄せてくれる。
コミュニティ・センターのほうは徒歩5分なのだが、散歩をかねて徒歩30分の出張所のほうへ出かけた。

野川のほとりをぶらぶらしていくと、昨夜の集中豪雨の爪あとがあちこちに見られた。
榛沢橋のスッポン大王も豪雨で流されてしまったのではないかと心配だったが、橋の下でのんきにエサを探しているのを見たから、そういうことはなかったようだ。
その先に調節池というものがあって、ふだんはテニスコートとして使われているけど、豪雨で川が増水した場合はここに水が流れこむようになっている。
昨夜は調節池がよく機能したようで、テニスコートは水びたしのゴミだらけになっていた。
掃除がすむまでテニスはできそうにないが、球を追っかけるスポーツに無縁なわたしには関係ないことである。

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2007年8月26日 (日)

ハナシュクシャ

02野川のほとりを散歩していたら、川岸にショウガのような植物の花が咲いていた。
くきが横倒しになって水につかっているのに花だけは天をさしている。 なかなかけなげな花である。
例によって名前を調べてみた。すぐにわかった。
和名をハナシュクシャ (花縮砂) といって観賞用のショウガだそうな。
花の色はホワイトやオレンジがある。
花縮砂の “砂” を “紗” と書いたブログもあった。
花の名前としては紗のほうがきれいだけど、花縮砂と書かれたブログのほうが多いようである。
西洋ではジンジャーリリーと呼び、キューバでは国花になっているそうだ。

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2007年8月25日 (土)

古八幡の祭礼

02 近所の古八幡社の祭礼です。

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シュープリームス

Dre

昨日、深夜のBSライブは 「ダイアナ・ロスとシュープリームス」。
わたしは基本的にこういうソウル・ミュージックが苦手なんだけど、ちょっと前に 「ドリームガールズ」 という映画を観てきたばかりで、これが 「シュープリームス」 をモデルにした映画というんで、へえ、じゃどれがどの子だいとつまらぬせんさくをしてしまった。

「ドリームガールズ」 のストーリーは、ショー・ビジネス界における黒人3人娘の出世物語。
ヒロインはちょっと太めの女の子で、歌はバツグンなんだけどルックスがいまひとつってんで、主役の座を美人の女の子に奪われちゃう。
BSライブの解説を聞いていたら、じっさいの 「シュープリームス」 にも似たようなことがあったらしい。
ウィキペディアによると (こんなことまでわかっちゃう)、1967年に 「シュープリームス」 はメンバー・チェンジをして、そのときから 「シュープリームス」 の頭にダイアナ・ロスっていう冠がつくようになったんだそうだ。
このときオリジナル・メンバーのひとりがグループを追われたそうで、映画はこのあたりを題材にしているらしい。

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とすれば、映画の中でいちばん美人の女の子 (主役を奪ったほうの子) が演じた役がダイアナ・ロスにあたるのか。
だけど映画の中で美人を演じたのは、歌手やモデルとしても有名な、ビヨンセっていうめっちゃ美貌の女優さんだぜ。
BSライブがいつのステージか知らないけど、ダイアナ・ロスはガリガリでちっとも魅力的じゃない。
サイドの女の子のほうがよっぽどビヨンセ的だっけどな。

ビヨンセについてはネット上に画像があふれてる。
黒人の女の子は、テニスのウイリアムズ姉妹もそうだけど、あっけらかんとして出し惜しみしない子が多いから、かなり大胆な画像もあるみたいだ。

添付した画像は、2枚とも「ドリームガールズ」のもの。

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2007年8月24日 (金)

ツユムシ

02 わが家にはヤモリやクモなど、いろんなチミモウリョウが勝手に入ってきて困るんだが、昨夜まよいこんできたのは、どうやらキリギリスの仲間のツユムシらしい。
ツユムシ自身は植物しか食べない平和主義者のようだけど、この仲間にはカマキリにもひけをとらない凶悪な捕食者の一面を持つものもいる。
ずっと昔に見た記録映画では、キリギリスが他の昆虫をバリバリと頭から食べていたっけ。

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2007年8月23日 (木)

文化大革命

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またまたNHKが深夜に放映している番組の話題なんでもうしわけないけど、ここんとこ連日放映されている 「民衆が語る中国/激動の時代」 という番組は、文化大革命時代の混乱を、当時じっさいにそれを体験した民衆に語ってもらうというものである。
ただし、いまとなっては歴史の彼方といってもいい事件なので、いまどきそんなものに興味のある人はあまりいないだろうと、優秀な番組であるにもかかわらず、この番組が夜中ワクに押し込まれてしまったのは、そういう事情によるらしい。

わたしが中国を旅しているとき知り合った中国人の女医さんも、文化大革命の大波にほんろうされた民衆のひとりだった。
彼女はわたしを洛陽という街の郊外に案内して、自分が下放されていたという農家を見せてくれた。 あっ、下放というのは、文化大革命の時代に青少年を、田舎に強制的に移送したことだかんね。

わたしたちが出かけた洛陽の農村は、激動の時代をみじんも感じさせないうららかな場所であった (写真参照のコト)。
そのあたりの農家は典型的なヤオトンである。 あっ、ヤオトンというのは崖に穴を掘った洞窟住居のことだかんね。

まだ少女だった女医さんは、家族とはなればなれにされて、一軒の農家の庭先にある洞窟に住まわせられていたという。
夜になると天井からいろんな虫が下りてくるので、なかなか眠れなかったよとのこと。
現在のわたしもチミモウリョウと生活しているけど、それはあくまで文化生活のなかでのことで、夜中にムカデやゲジゲジの下りてくる洞窟では暮らせそうにない。

女医さんは知識階級の子供だったから、どっちかというと迫害される側の人間だったようだ。
ただ洛陽あたりでは北京や上海ほど迫害の規模は大きくなかったのか、混乱が終焉し、改革開放政策が始まり、わたしがのこのこと中国へ出かけたころ、まだ彼女の両親は生存していた。
下放される以前、もっと子供のころは、わたしは髪の毛を腰までのばしていたんだよと女医さんはいう。
下放されているあいだにお母さんが訪ねてきて、そんな娘の変わりようにおどろき嘆いたそうである。
下放生活で体が湿疹だらけになり、暑くて寝苦しい夜には、夜中にこっそりと村を流れる川で水を浴びたという説明もあった。
いまでは同じ川でウシやブタが水をつかっている。
いったい文化大革命ってのはなんだったんだと、NHKの番組よりもはるかに雄弁に語る風景である。

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2007年8月22日 (水)

ドアーズ

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ここんところBSの深夜番組で、70年代のロック・グループのライブ演奏がよく放映されている。
深夜というのが悲しいが、現代の若者からみればおじさんといっていいバンドばかりなので、ゴールデン・タイムに放映するわけにはいかないらしい。

先日は 「ドアーズ」 が登場した。
「ドアーズ」 といえば、そのボーカリスト、ジム・モリソンが、ゲイだと噂されたり (本当らしい)、ステージでオナニーをして逮捕されたり (公然猥褻物陳列罪) と、奇矯な所業ばかりが話題になっちゃうトコがあるが、しかし、わたしを魅了したのは彼らのパフォーマンスではなく、サウンドだった。
ライブで聴かれる 「Celebration Of The Lizard」 は、緩急とりまぜた複数の曲がメドレーする大作で、オペラ的曲想がロックとしてはめずらしい。
生前のモリソンの最後のアルバムになった 「L.A.ウーマン」 の中には 「Rider On The Storm」 という曲があり、あいだに流れるピアノ・ソロがじつに耳に心地よく、わたしはこの部分を何度もくりかえし聴いたものだった。
これはモリソンをとりまく3人の楽器演奏者が実力のある人たちばかりだったせいだろう。

だけど彼らの音楽性をうんぬんするなら、やっぱり 「The End」 のように、反社会的で、世間の常識くつがえすような、その演奏をまっ先にあげなくちゃなるまい。
彼らがつまらないグループだったら、わたしもそのスタイルをひややかに見ていたかもしれない。
しかし音楽がすばらしいからわたしは彼らのファンになり、ファンになるとたいていのことは気にならなくなってしまうものだ。
まっとうな人間に常識やモラルをせせらわらうような音楽が作れるわけがないと、わたしは彼らを擁護してしまうのである。

ジム・モリソンは 1971年に死んだが、数年後ローリング・ストーン誌に、彼の妻だったパメラ・コースンの訃報が掲載された。
残された写真でみると、パメラは女優ジェーン・パーキンみたいな美人で、詳しくおぼえてないが、死因はたしかノイローゼか麻薬の過剰摂取じゃなかったろうか。
早くいえば後追い自殺のようなものだったらしい。
ともに27歳で死んだ、若い芸術家とその妻。
彼らの短かった人生が、わたしには画家モジリアーニとその妻ジャンヌの生涯に重なってしかたがない。

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2007年8月21日 (火)

英気と鋭気

前項の文章の中で、「英気をやしなう」 という言葉を使ったら、知り合いのHさんからコメントがついて、その中では 「鋭気をやしなう」 という言葉になっていた。
じつはわたしも最初は 《鋭気》 と書くつもりだったんだけど、ワープロで漢字変換したら、最初に出てきたのが 《英気》 だったのである。
そのへんが気になったので、念のため、わたしの持っているカシオの電子辞書で調べてみたら、正解は 《英気》 になっていた。
で、「英気をやしなう」 にしたのだけど、自信たっぷりのHさんの書きようを見て、また考えがグラついてしまった。
ネットで調べてみると 《鋭気》 を使った文章もたくさんある (むしろこっちのほうが多いくらいか)。

多勢に無勢、言葉の世界では誤用のほうがやがて大手をふってしまうことはよくある。
つまり、007の映画以降、《危機一髪》 が 《危機一発》 になり、村の観光課の配慮で 「代馬岳=しろうまだけ」 の 《代馬》 が 《白馬》 に、さらに 《白馬=はくば》 と、読み方まで乙女チックな名前に変わったのと同じようなもんらしい。
わたしは文部省の役人や学校の先生ではないので、《鋭気》 や 《危機一発》 に関しては、一般に普及しているならどっちでもいいやといういいかげんなスタンス。
しかし 《代馬岳》 については、もともと代掻きのころ、残雪の中に馬の形があらわれる山という意味だったそうなので、こういう民話的で素朴な意味が誤用されるのはつらいなと思ってしまう。

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2007年8月20日 (月)

山小屋のいちにち

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友人に誘われて、五日市にある山小屋でお盆最後の休日をすごしてきた。
山小屋といっても、メーカーから販売されている洗練されたログハウスのようなものではなく、しろうとの手作りによるかなり大雑把な小屋なんだけど、山あいのせまい農地にあり、すぐうしろはそのまま水遊びのできる渓流になっている。
ここへ酒やつまみを持ち込み、手料理をして、のんびり英気をやしなおうというのである。

わたしの家のまわりは東京にしてはめずらしいほど自然の豊富なところだが、五日市までいくとその豊富さはさらに顕著になる。
わたしはまず小屋の背後にある渓流で、水中メガネをつけて泳いでみた。
水は冷たいが、陸上が猛暑のまっ最中とあって、いったん体を水につけてしまえばあとは気持ちイイ冷たさ。
水中にアユ、ハヤ、ウグイなど魚影はかなり濃いので、河童になってしばらく彼らを追いかけまわした。

自然が豊富なのは小屋の周囲もおなじである。
昼食にソーメン流しをしたんだけど、薬味のミョウガはそのへんのヤブをかきわけ、ひょいとつまむだけだった。
大地からちょくせつミョウガをつまみとるなんて、都会の人間にはなかなか体験できないことじゃないか (じつをいえばわたしにも初めての体験だった)。

夕方になって雷雨があり、庭のすみっこから大きなガマがのこのことすがたをあらわした。彼はこちらのチミモウリョウさんで、小屋のアイドルだそうだ。

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ひさしぶりに本物の自然にかこまれて、充満する草いきれと肥やしの匂いをたっぷりと満喫した一日であった。
ソーメンはのびすぎていたが、ミョウガが美味しかったし・・・・・・

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2007年8月19日 (日)

とうろうながし

P026 熊本のKさんのとこでも盛大にやってるが、各地で夏祭りが盛んである。
うちの近所で灯篭流し(精霊流し)がおこなわれるってんで、カメラ片手にぶらぶらと出かけてみた。
とはいうものの、あの世を信じてないバチ当たりなわたしのことなので、あくまで、どんなものかという野次馬的好奇心から。

和楽が流れ、正装のお坊さんや、背中に南無大師遍昭と書かれた法被のおばさんたちがずらりと並んで、まあ、それなり見ものだったけど、流した灯篭はそのままでは川のゴミになってしまうので、見物人が帰ったあと、朝までには全部回収するんだろうなとか、終わったあとそそくさと退席する坊さんたちをながめて、みなさん、お盆は忙しかったんだろうなと余計なことばかり考えてしまう。 P027

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2007年8月18日 (土)

姪っ子

わたしの姪っ子のひとりは極道モンで、不倫をしたり駆け落ちをしたり、男とケンカをして鼻っばしらをへし折られたりと、なかなかの武勇伝の持ち主である。
アノネと、わたしもいちおう人生の先輩として注意をしたことがあるのだが、これが世代の断絶というのだろうか。おじさんの忠告なんてハナもひっかけてもらえなかった。
そんな極道姪っ子でもけっこういいところもあるようで、実家には彼女が祖母のために買った車椅子なんてものがある。
先ゆきみじかい祖母だけは大事にしようという殊勝な気があるらしい。

お盆に帰省して、姉ちゃんはどうしたいと、もうひとりの姪っ子に訊いてみた。
オーストラリアに短期留学しているよ、という返事である。
いっしゅん耳を疑ったが、半年ばかり勉強してくるよと妹に言い残して、今年の5月にふらりと日本を発ったらしい。
父親は貧乏人だし、娘とぜんぜん話のあわない化石人間だから、留学の費用はすべて自分でこつこつ貯めたもののようだ。
おそまきながら少しは向上心をもったのか、それともわが家に伝統の放浪癖が頭をもたげたのか。
なんだっていいやと、わたしのほうもだいぶいいかげん。
結婚して子供を産んで幸せな家庭を、なんていうまっとうな生活を望まないDNAが、わが家のどこかに受け継がれているらしい。

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2007年8月17日 (金)

スッポン大王

Photo近所の川に棲むスッポン大王である(でかいほう)。
となりにいるのは友達なのか奥さんなのか知らないけど、大王は甲羅の長さだけで30センチはある。
スッポンといえば精力増強のスッポン・パワーで知られているくせに、ここんところの暑さでへばっちゃっているように見える。
彼らも近所のチミモウリョウの代表で、わたしがこのあたりに生息し始めた当初はあまり見かけなかったから、もともとこのあたり在住のチミではなく、どこかで飼われていたものが逃げ出したらしい。
しかし現在ではけっこう数が増えていて、もはや近所に根をおろして、恋をし結婚をし、卵を産んで繁殖しているようである。

話は変わるけど、中国ではスッポンはありふれた食材である。たいていの市場で生きたまま売られている。
わたしも中国へ行ったときスッポンを食べてみた。
ただ、一見の客がいきなりレストランへ出かけて、美味しいスッポン料理が食べられるとはかぎらない。
貧乏くさい日本人客が、飛び込みでやってきたってんで、反日思想をもったコック長が手抜き料理をしたのかもしれない。
だいたい有名レストランにしちゃ、むちゃくちゃな料理だった。
あの巨大な中華包丁で、スッポンをぶった切りにして中華ナベで煮込んだだけで、たいそうまずかった。
しかしスッポン料理はほんらい美味しいものである。
わたしは中国人の知人に招かれて、その自宅でスッポンをご馳走になったことがある。
スッポンを裏返しにして、お腹の甲羅に十文字の切れ目をいれ、香辛料をつめこんでスープをとったものであり、これは美味しかった。
だから中国のレストランでスッポンを食べるときは、あらかじめ予約を入れ、相手にもきちんと準備をさせなければいけない。
残念ながらわたしが中国でスッポンを食べたのは、あとにも先にもこの2回だけで、その後この注意を実践する機会がない。

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2007年8月16日 (木)

小さな旅

わたしはNHKの 「小さな旅」 というテレビ番組のファンである。
ほんらいは関東と甲信越の地方都市をメインに紹介する番組だが、夏休み期間中は東京の制作部門も夏休みなのか、先日の放送には三重県の大王崎という小さな港町が出てきた。
この港町には白い灯台や素朴な町並みなど、絵になる風景がたくさんあるというので、絵描きさんがたくさん集まってくるそうである。
それで今回のテーマは、岬に集まる絵描きさんたち。

番組のなかに、合宿にきた高校の美術部の女子高生たちが登場して、中には絵を描くまえにみやげ物屋の店頭で魚の干物をご馳走になって、ついつい絵のほうはそっちのけなんて光景がほほえましい。

どうも最近のわたしは人生に余裕を失っているようで、なかなかのんびり絵を描こうなんて気になれない。
いい景色を見つけるとすぐカメラに収めてそれっきりという場合が多いのだが、こんな番組を観ていると、わたしもまたひとつ絵筆でもなんて思ってしまう。
なにも三重県までも行かなくても、伊豆あたりにも素朴な風景はたくさん残っているのであるよなあ。

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2007年8月13日 (月)

お盆

お盆は人なみに田舎に帰省して墓参りをしてきた。
わたしはあの世なんか信じてないし、儀礼ばったことが大きらいだから、呑ン兵衛だった親父の墓にビールをそそぎ、そのあと自問自答して終わりである。
ついでに世話になった親戚のおじさんの墓と、同じ場所にあるおさななじみの女の子のお父さんの墓にお参りしてきた。
おさななじみというのは、子供のころ、わたしの家のとなりに住んでいた人である。
彼女が結婚してから、同窓会でぐらいしか会ったことがないけど、甘酸っぱい思い出はいまでも残っている。
墓参りをするたびにそういうことを思い出すので、お盆というのはけっきょく、生者が自分をなぐさめるためにあるものだと考えている。

田んぼにはイネが風にそよぎ、空にはあのころと同じ白い雲がうかんでいた。
暑い暑い夏の日の故郷である。

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2007年8月11日 (土)

Tiffany

ジヤズを聴いてきた。吉祥寺のライブハウス 「SOMETIME」 である。
この店にはたまに行くんだけど、今日の出演は、わたしの初めて聴く Tiffany さんという黒人系の女性歌手。
写真で見ると若き日のサラ・ヴォーンて感じなんで、こりゃ行かにゃなるめえと。

Tiffany さんは100パーセント黒人かと思っていたが、じっさいには肌の白さからして、白人かアジア人の血が入っているようだった。
すこぶるつきの美人であるけど、体格がひじょうにいい。
歌手にとって体格がいいというのは欠点にはならない。
ボサノバなんかを歌わせると、ボサノバ本来の軽い調子ではなく、熱っぽく歌ってしまうところがあるようだが、これも欠点とはいえないんじゃないか。
わたしには彼女がときどき、歌の合い間にサッチモのような強烈なスマイルを見せるのがおもしろかった。

彼女について、あらかじめ調べてみたら、これまでに2枚のCDを出している実力派らしい。
歌っているのはスタンダード・ナンバーが多いようで、これはうれしいことである。
落語なんかでもそうだけど、わたしは新作落語より古典のほうが好きなもんで。

バック・ミュージシャンは 「鳥尾さん」。
こういう名前のピアニストかと思ったら、これはわたしの知っている別のライブハウスで、月一コンサートをしているピアノ・トリオだった。
女性ばっかりのピアノ・トリオで、「鳥尾さん」 は 「トリオ3」 のシャレらしい。
このバンドでピアノを担当しているのは中島弘恵さんで、どこか若いころの秋吉敏子みたい。
ドラムは理知的な顔をした安永春美さんで、暴力的なドラムスをこんな美人が担当していいのかと悩む。
ベースの伊東里栄子さんなんか楚々とした少女で、大きなベースにしがみついているのが痛々しいくらい。

Tiffany さんのこの日の歌は 「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」 から始まって、「イパネマの娘」 や 「ス・ワンダフル」 など、スタンダード・ナンバーが 7曲ほど。
これで前半のステージが終わり、ビール1本でねばった気の弱いわたしは、そのへんで店を出てしまった。
わたしの音楽に対する評価の基準は、楽しめたかそうでなかったかの二つしかない。
いい気分で帰路についたのは、まさか1本のビールのせいじゃないだろう。

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2007年8月10日 (金)

空蝉

Photoブログのネタ探しにいく。
うちの近所には崖線という特殊な地形がある。
それとはっきりわかる地面の段差が、となりの街からわたしの街を通って、反対側のとなり街までえんえんと続いているのである。
最初はこれを断層かと思い、こんなものがあるようじゃ地震のときブッソウだなと考えたが、じつは多摩川の河岸段丘のひとつで、危険なものではないそうだ。
崖線の上に遊歩道があって、木がたくさん茂っているから、散歩するには涼しくていい。

ここでセミの抜け殻を見つけた。
今年はセミの当たり年という新聞記事を読んだおぼえがあるけど、いまのところセミがとくべつ多いような雰囲気はない。
セミの抜け殻は、古風でおくゆかしい言い方をすると 「空蝉 (うつせみ)」 ということになる。
ブログのネタに困っていたわたしは、この言葉からたちまちネタをでっちあげてしまう。

「源氏物語」 という平安時代のオンナの人が書いた古典小説があって、これは54のパートに分かれており、それぞれにタイトルがつけられている。
タイトルを最初から列挙すると以下のとおり。
 桐壷 (きりつぼ)  帚木 (ははきぎ)  空蝉 (うつせみ)
 夕顔  若紫 (わかむらさき)  末摘花 (すえつむはな)
 紅葉賀 (もみじのが)  花宴 (はなのえん)  葵
 賢木 (さかき)  花散里 (はなちるさと)  須磨  明石
 澪標 (みおつくし)  蓬生 (よもぎう)  関屋
 絵合 (えあわせ)  松風  薄雲  朝顔  小女 (おとめ)
 玉鬘 (たまかづら)  初音 (はつね)  胡蝶  蛍
 常夏 (とこなつ)  篝火  野分  行幸 (みゆき)
 藤袴  真木柱 (まきばしら)  梅枝 (うめがえ)
 藤裏葉 (ふじのうらば)  若菜・上  若菜・下
 柏木 (かしわぎ)  横笛  鈴虫  夕霧  御法 (みのり)
 幻 (まぼろし)  雲隠 (くもがくれ)  匂宮 (におうみや)
 紅梅  竹河  橋姫 (はしひめ)  椎本 (しいがもと)
 総角 (あげまき)  早蕨 (さわらび)  宿木 (やどりぎ)
 東屋 (あずまや)  浮舟 (うきふね)  蜻蛉 (かげろう)
 手習 (てならい)  夢浮橋 (ゆめのうきはし)

わたしは源氏物語を全巻通して読んだことはないけど、このタイトルを最初から順番に口ずさんでみるのが好きである。
これはタイトルだけで詩になっている。
ひとつひとつが日本の伝統美の象徴のようでもあり、とくに 「夢浮橋」 で終わるところがなんともいえずいい。
なんでえ、吉原の遊女の名札かと思ったよ、なんて人もいるかもしらんけど。

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2007年8月 8日 (水)

キンカン

P023今年の1月に、近所の農家の庭先になっていたキンカンをつまんで食べたおぼえがある。
ちゃんとことわってつまんだかどうかは、ま、深く追求しないことにして・・・・・・

2、3日まえに、散歩していたら、近所でまたキンカンの花が咲いているのを見てしまった。
夏のまっ盛りに花が咲くということは、実はいつなるんだいと、ちょっと混乱した。
調べてみたら、キンカンというのは年に数回花をつけるらしい。
なかなか多情な植物のようである。
そういゃ、キンカンの小つぶな実は、どことなく浮気娘のプリプリしたはだを連想させる。

写真はキンカンの花。
まだこの冬の実も残っている。

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2007年8月 7日 (火)

カタルシス

毎日ブログにせっせとくだらないことを書き込んでいるのに、あまり反応がない。ないのも当然で、わたしは自分がブログをやっていることを他人に公表していない。
公表もしないなら、なぜそんなものを続けているのかと訊く人がいるかもしれぬ。
別段、おおやけにできないような秘密があるわけでもない・・・・・と、このへんは「坊ちゃん」スタイル。

夏目漱石が「我輩は猫である」を書いたとき、この文豪はノイローゼぎみだったという。
心配した知人の編集者(高浜虚子である)が、なにか文章でも書いてみたらとすすめたのが「猫」誕生のきっかけだった。
漱石も、これで名をあげようとか原稿代を稼ごうというつもりはなく、うさばらしに書きつづっていったようなところがある。つまり文章を書くということが、気分転換や欲求不満の解消になっていたのである。
わたしもそういうことである。わたしのブログはカタルシスなのである。

読んでもらいたいという気持ちがないわけでもない。
しかしいちいち宣伝することもないだろう。
わたしはブログの中で「我輩は猫である」について書いたことがあり、そこで明治の画家、中村不折と橋口五葉にふれた。
誰かがこの両画家に関心をもって、いま世界中を席巻しつつある検索エンジンのグーグルで検索したとする。
“中村不折と橋口五葉”というキーワードで検索すると、ガーン! わたしのブログが、唯一わたしのブログだけがひっかかるのである(07年8月現在)。
そんな調子だから、ほうっておいてもいつか誰かが読むだろう。果報は寝て待てなんである。

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2007年8月 6日 (月)

ザリガニ

02今日はひとつ変わった趣向でいこうと、まずコンビニに行ってスルメの足を買ってくる。
これと糸をもって近所の田んぼへ出かける。
前日に確認しておいたのだが、今年はザリガニが豊作のようである。
童心にかえってやつらをからかってやろうというのだ。

魑魅魍魎のばっこするわたしの住まいの近所には、ホタルを養殖している水路がある。
ホタルの幼虫はカワニナという小さな巻貝を食べるので、この貝を放流したり保護したりして棲息環境を守っているのである。
同じ水路にザリガニがいる。
ザリガニはホタルの幼虫の天敵だという。
幼虫の餌のカワニナを増やしても、増えた幼虫をザリガニがせっせと食べる。
おかげでホタルが全滅した年もあったそうだ。
これは困った問題である。
わたしはホタルもザリガニも、ゆたかな自然環境の象徴のように思っているので、痛しかゆしである。

田んぼのわきの水路に、糸でしばったスルメをたらしてみた。
最初、かげもかたちもなかったのに、すぐ灰色の小さなザリガニが何匹かあらわれた。
ただ、こいつらは敏捷で釣り上げるのはむずかしい。
つぎに水中に沈んでいる板のわきにたらしてみた。
まもなく板の下から、赤い大きなザリガニが姿をあらわした。
そのうちもう1匹大きなやつがあらわれた。
食い意地がはってるうえにハサミの力が強いから、水から引き上げてもまだスルメをつかんでいる。
2匹いっしょに釣り上げて記念写真を撮る。
子供のころならそのまま家に持ってかえって、ナベでゆでて食べたものだが、飽食世代のわたしにはさすがにもうそんな気はない。

2匹とも無事に放免してやった。 
写真はスルメの足を奪い合うザリガニ2匹である。

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2007年8月 5日 (日)

関寛斎と山下りん

朝日新聞の夕刊で週に1回、「街道をついてゆく」 という連載が始まった。
これは司馬遼太郎の 「街道をゆく」 をもじったもので、この連載の担当だった記者が連載中のいろいろな思い出をふりかえるものだそうだ。

わたしもそのひとりだけど、「街道をゆく」 のファンは想像以上に多いらしい。
朝日新聞は著者が亡くなったあとも、ワイド版を出したり、週刊朝日に特集を出したり、この遺産をフルに活用している。
今回の「ついてゆく」についても、おっ、またやってるなという印象。 でもファンにはありがたい企画かも。
この本について書きたいことは山ほどあるけど、今回は歴史に埋もれた人や事件に光をあてたという役割について書いてみる。

たとえば巻15 「北海道の諸道」 には、関寛斎という医師が登場する。
わたしはこの本を読むまでこの医師の名前を聞いたことがなかった。
幕末の蘭方医で、貧者への無料の医療で知られる赤ひげみたいな人である。
晩年がすさまじい。
73歳のとき、徳島県から北海道へ開拓民として移住した。
北海道・陸別開拓の第一期生で、その艱難辛苦は察するにあまりある。
83歳の自殺で彼の人生は終わるのだけど、「街道をゆく」 では、なぜそんな生き方を選んだのかと考えつつも、ことさらな賛辞はせず、最後はその墓についてぽつんと描写するだけである。
それがなんともいえない余韻を残す。

巻10 「佐渡のみち」 には小比叡事件というものが取り上げられている。
この本のおかげでわたしは、森鴎外の 「阿部一族」 を思わせる事件が、佐渡島にじっさいにあったことを知った。

明治の女流画家、山下りんの名前を知ったのも 「街道をゆく」 のおかげである。
日本ではめずらしいイコンという宗教画を描いた画家で、女性に教育などとんでもないという時代に、苦学してロシアまで留学もした (させられた) 人である。
彼女の晩年は不遇で、世間にほとんど忘れられた存在だったが、わたし同様、この本でその名前を知ったという人は多いにちがいない。
女性が教育をうけることの困難だった時代については、ほかにも、たとえば巻27 「因幡・伯耆のみち」 に、家政学者・福井貞子さんの記述がある。
短いエピソードだが、感動的な話である。

書かれたエピソードのひとつひとつが、ちょっと脚色すればそのまま小説のネタになりそうで、いいのかい、歴史作家が材料を、こんなに無料で公開しちゃってと心配になったもんである。

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2007年8月 4日 (土)

シュロガヤツリ

02例によって散歩に出かけ、近所にある田んぼのわきの水路のそばで、特徴のある草を見つけた。
カヤツリグサを大きくしたような植物で、背丈は 1メートル以上ある。
見たとたんにパピルスという名前がうかんだ。
パピルスは聖書などによく登場する植物で、モーゼも生まれてすぐにパピルスで編んだ舟に乗せられて難をのがれたとあるし、そもそも古い聖書はパピルスの紙に書かれていたという。

家に帰って調べてみたら、残念ながらパピルスとは葉の形がちがうようである。
それじゃナンダというわけで、ネット上の植物図鑑をいくつもあたってみたが、該当するものがなかなか見つからない。
カラー写真満載の、4000円もしたわが家の植物図鑑にも出ていない。
わが家のもう一冊の図鑑は、牧野富太郎博士の 「新日本植物図鑑」 で、使わないときは枕に好適という1000ページ以上ある大図鑑である。
カヤツリグサ科の植物だけで、なんと100種類以上も出ていた。

ところがこれにもない。
ふたたびネットにもどって “カヤツリグサ” をキーワードに、似たような草の画像をかたっぱしからチェックしていったら、ようやく 「シュロガヤツリ」 という植物が見つかった。
これだ、と断定するにはまだちょっとひっかかるところがあるけど、わたしもメシを食ったり洗濯をしなければいけないので、パソコンにばかりしがみついているわけにいかないのである。

いまのところ 「シュロガヤツリ (棕櫚蚊帳吊)」 で納得しておくことにする。
もともとは観葉植物で、水の浄化に役にたつのだそうだ。
観葉植物がこんなところにひと株だけぽつんと生えるわけはないだろうから、誰かが故意に植えたものらしい。
いまは花が咲いてないけど、咲けば花の形からもっとはっきりするだろう。

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2007年8月 3日 (金)

田植え

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台風が九州地方に上陸したけど、さいわい関東地方はとびこえて北海道のほうへ行ってしまったようである。
おかげでさわやかな風が吹いている。
こんな台風ならいくらでも歓迎なんだけどね。

田んぼではイネの穂が風にそよいで、穂数もいよいよ盛んである。
その田んぼだけど、田植えをしたのは今年の6月3日。
近所の子供たちや市長代理、市の議員さん、教師、野次馬などが集まって盛大におこなわれた。
その田植え風景を撮った写真は、市のほうでコンテストをやって、いい作品には賞品も出るとかいう話だった。
写真なら腕におぼえのわたしのことだから、こんなプロはだしがコンテストを荒らしちゃまずいかなと思いつつ (むふふ)、応募の準備をしていたのに、その後さっぱりコンテストの音さたがない。
市のホームページを調べてみたが、ま、内容の豊富なことはわかったけど、どこにもコンテストの広報はなかったな。
そういうわけで賞品はとらぬタヌキのなんとかだったようだけど、写真をボツにするのもしゃくだから、ちと時期はずれだけどこのブログで初公開だ。
見よ、この大ケッサク。

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2007年8月 2日 (木)

オオフサモ

03 近所の野川を散策していて、水ぎわにちょっと気になる草が生えているのに気がついた。
ヨシやガマとちがって、半分水につかったままひと塊りになっているのでわりあい目立つ。
いったい何という草なのかと、またネット植物図鑑を当たってみることにした。
植物図鑑では範囲が広すぎるし、水草図鑑では分野がちがうようだったので、水辺、植物、図鑑などの言葉で検索してみて、たくさんのホームページを見つけた。
そのうちのひとつからこの植物の名前をつきとめるのに、そんなに時間はかからなかった。
いや、ホント。 わたしは確信するけど、いまやインターネットは、図鑑、辞書、辞典、地図、画集、映画、音楽、マンガ、人名録、過去帳、アダルト画像、ニュース、スポーツニュース、株式ニュース、テロリスト側のニュース、漏れ出した個人情報、落書き、悪口、弁解、主張など、あらゆる情報を網羅した、地球規模の巨大な図書館になってるにちがいない。

さて、つきとめた植物の名前は 「オオフサモ (大房藻)」。
熱帯魚などをあつかうアクアショップでは、金魚鉢のなかの観葉植物として売っているらしい。 そうはいっても、場所によっては嫌われものというくらい繁茂するので、これを売って金儲けしようというのはムリみたいである。

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2007年8月 1日 (水)

アントニオーニ

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イングマール・ベルイマン監督に続いて、今度はイタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニ監督の訃報である。
団塊世代の映画ファンにとってなじみの顔がつぎつぎと消えていく時代となった。

とはいうものの、わたしはこの監督の作品を観たことがない。
この人の作品はアイのフモウ (愛の不毛) が主題だということで、恐竜も宇宙人も出てこないきわめて地味な映画が多く、そうそう気楽に映画館に足をはこぼうという気にはなれないものだ。
うじうじしているあいだに映画は過去のものになってしまったのである。
しかし、ベルリン、ベネチア、カンヌと、三つの国際映画祭で三つの作品が最高賞を受賞しているんだから、この監督も巨匠という尊称に値する人だろう。

映画は観たことはないけど、「太陽はひとりぼっち」 の主題歌はよく知っている。
コントラバスの印象的なイントロのあと、オーケストラが気が狂ったようにツイスト風のブルースを演奏する、シャボン玉ホリデーの世代なら誰でも耳にしたことがある映画音楽である (じっさいに映画の中で使われているものとは異なる)。
日本ではデビューしたての園まりがカバーしていたな。

さいわい 「太陽はひとりぼっち」 はつい先日テレビで放映されたばかりで、こういう傑作はとりあえず録画しておくわたしのことだ。
そのうち失恋するか不渡りでも出して絶望的な気分になったとき、じっくり鑑賞することにする。

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