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2007年8月31日 (金)

遠野物語

ここ2、3日は雨まじりのかんばしくない天気である。
外に出る気になれないから、部屋で魑魅魍魎 (ちみもうりょう) について考える。

わたしの本棚に 「遠野物語」 がある。
タイトルからして親子3代の開拓農民をあつかった大河小説みたいなイメージだけど、よく知られているように、これは岩手県遠野地方の民話や伝承を集めたスクラップ・ブックみたいな本である。
ほとんどのエピソードは、文庫本で数行、長くても1ページあるかないかのみじかい話ばかりだ。
わたしのブログには 「魑魅魍魎あるいは絶滅危惧種と暮らす」 という副題がついているけど、「遠野物語」 は全編これ魑魅魍魎のオンパレードで、座敷わらしや山男、天狗、河童、仙人、おしら様、人を化かすタヌキやキツネなんてのは、みんな絶滅危惧種でもある。
いやいや、山の神はオレんちにまだ健在だという人がいるかもしれないが、そいつはちょっと・・・・・・

「遠野物語」 のすばらしさは、ひとつひとつのエピソードは断片にすぎないのに、全体としてはいつのまにか、壮大で素朴な民話の世界にひきこまれてしまうことだ。
全部で300ちかくもあるエピソードの中で、わたしのいちばん記憶に残るものは、大津波で妻を失った男が、霧の晩に海岸で死んだ女房と出会う話である。
まるで1幕ものの舞台劇のように、簡潔に、男女の哀しい運命を語っている。

「遠野物語」 の著者は民族学者の柳田国男であることは、これを読んでみようと思うくらいの人なら誰でも知っていると思う。
その弟子の折口信夫 (信夫はシノブと読む) が本のあとがきを書いていることも、まあ、知ってる人は多いんじゃなかろうか。
わたしが感心するのは、この弟子の書いたあとがきがまたなかなか味わいのあるもので、遠野の春のいぶきがじかにきこえてくるような、折口信夫 (=詩人の釈迢空) の面目躍如という名文であることだ。

わたしの世代は (たぶん)、人間が魑魅魍魎たちと共存していた時代を知っている、最後の生き残りじゃないだろうか。
パソコンという、およそ魑魅や魍魎と対極にある道具を使いながら、わたしは複雑な気持ちで過去と未来をながめている。

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コメント

若いころ、昔話というか・伝説というか・そういう類の絵を描いてみようと挑戦したことがある。大沢村の李白さんの「遠野物語」の記事でそんな昔の僕を思い出させてくれた。早速ネットで柳田國男の遠野物語を注文した。

投稿: いなかもん | 2007年9月 1日 (土) 23時43分

おお、今度は魑魅魍魎の絵ですか。期待してます。
できればそういうもんのアップだけではなく、霧のたちこめる森の中や、木々のかげを写した川や湖、古い民家のかたすみなどに、そういうもんがぽつんとたたずんでいる光景が、わたしは好きですねえ。
どこの出版社の本を注文したのかわかりませんけど、前半は古臭いカタカナ交じりの文章で書かれているかもしれません。これはひじょうに読みにくい。
しかし後半は、ほぼ同じ内容のものが現代文で書かれていて、こちらは読みやすい。わたしが300のエピソードといったのは、後半だけでそれだけあるということです。
前半と後半はほとんど重複した内容なので、冬の夜などは囲炉裏のわきで、わずかな違いを探してみるのも楽しみになるかも。するてえと、いつのまにか背後に座敷わらしの影が・・・・・・・
わたしも座敷わらしを見てみたいんだけど、ウチにあらわれる魑魅魍魎はゴキブリやヤモリばっかりで。

投稿: 酔いどれ李白 | 2007年9月 2日 (日) 00時41分

是非ご期待にそえる絵を描きたいものですね。

投稿: いなかもん | 2007年9月 2日 (日) 01時23分

追伸
昔を思い出した僕は、鶯笛や・カッコウ笛などのおもちゃつくりに熱中しているところです。

投稿: いなかもん | 2007年9月 2日 (日) 01時27分

さらに追伸、魑魅魍魎のあらわれる空気を描け、ということでしょうね。

投稿: いなかもん | 2007年9月 2日 (日) 01時31分

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