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2007年10月

2007年10月31日 (水)

金大中サンの2

このブログにも書いた金大中サンの発言と、その後の日本の反応について、朝日新聞の夕刊が小さく取り上げている。
その書きようが気にくわない。
町村官房長官が 「そういうことはなぜ大統領のときに言わなかったのか」 と言ったそうだけど、それが韓国側の波紋をよぶおそれがあると書いている。
これは一種の恫喝である。
そんなことを言うとまた韓国で大騒ぎになりますよと、暗におどかしているのである。
いいかげんにしてくれ、朝日サン。
日本の政治家は言いたいことも言っちゃいけないのか。

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歌舞伎町のお店

「歴史に学ぶ?」 というのはまじめな意見のつもりだったのに、新宿歌舞伎町のお店からトラックバックがついてしまった。
無害なホームページらしいので削除しないでおくけど、こちらさんのホームページには 「新人紹介」 というコーナーがある。
ここで紹介されている新人さんの顔を拝見すると、どことなく微笑みがわいてきてしまう。
ま、興味のある方はのぞいてみて。
お店の訪問はくれぐれも自己責任でネ。

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歴史に学ぶ?

アノ朝日新聞がときどき 「歴史は生きている/アジアの150年」 という企画を載せている。
なにしろ見開き2ページなので、そうとう力をいれた企画らしい。

先日はここに 「満州事変と 『満州国』」 という記事が載った。
当時の生き証人にいろいろ話を聞いたりしているんだが、まず注意しなくちゃいけないのは、当時 (ひょっとすると) もろ手をあげて日本の進出を歓迎したかもしれない中国人でも、現在ではけっしてそんな証言はするはずがないということ。
この生き証人は、満州の小学校で日本人教師に殴られたり差別されたといってるが、学校の先生にもいろいろある。
わたしも小学校のころ、先生に殴られたことがあるけど、それでもその先生のことをなつかしく思い出してしまう。

たとえそういうことが忘れられないほどの憎しみとして残ったとしても、そもそもこの生き証人が小学校へ行けたのはどうしてかということまで考えてほしかった。
日本が進出するまえの中国東北地方に、まずしい家庭の子供でも通えるような学校がどれだけあったかということである。

日本は中国人や朝鮮人に対して優越意識を持っていたともある。
それはけしからんことだけど、それでは欧米列強はどうだったのか。
イギリスにしてもフランスにしても優越意識は日本どころじゃなかった。 彼らはアジア人そのものをひっくるめて一等下級の民族と見下していた。
つまりそれが当時の状況であって、アジアの中でひと足先に近代化に成功した日本 (の一般庶民) が、旧弊な王朝の下で、抑圧され、生きる望みも失ったような生活をしていた人々を見れば、遺憾なことではあるけど、ある程度の差別意識をもったとしても不思議じゃない。

朝日新聞はつねづね歴史を勉強しよう、歴史に学ぼうと言っている。
しかし歴史を学ぶなら当時の状況を正確に把握することが第一歩であって、朝日新聞のように自分たちに都合のよい状況だけを拾い出して、現代の感覚で処理しようという姿勢は完全にまちがっている。

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金大中サン

アノ朝日新聞に金大中さんが書いている。最近、自身の拉致事件に関して韓国政府が日本に公式謝罪をしたけど、彼の言うのには「日本にどれだけ失望したか」。
これを読むといちばん悪いのは日本政府であるという書き方である。
拉致されたときの本人の恐怖や絶望は理解するけど、いちばん悪いのは拉致を実行した、韓国の当時の朴政権であって、日本に怒りをぶっつけるのはとんだとばっちりという気がする。
もちろん朴政権と親密な関係にあった当時の日本政府にも問題はあることは知っているが、だからといってなんでもかんでも日本に責任をおしつけられたのでは釈然としない。
ノーベル平和賞をもらった金サンもずいぶん老けたものだ。

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2007年10月30日 (火)

古本祭り

057用事があって神田まで出かけたら、たまたま古本祭りをやっていた。
部屋に読みかけの本がたくさんあるくせに、こういうところへ放り込まれると、つい何か買わないとソンしたように思ってしまうのが読書好きの悲しい性だ。

路上に並べられた台の中から、東洋文庫の「島根のすさみ」を見つけ、値段を見たら、古本のほうが新刊当時の値段よりも高かった。
この本はいまでも本屋で新刊が売られており、けっして廃刊とか珍本になっているわけではない。
それなのに奥付けを見ると、600円だった本が古本では1200円になっているのである。

なんでそうなるのと疑問に思ったが、本にくわしい人なら東洋文庫が600円ということはありえないとすぐにわかるだろう。
つまり、ここにあった「島根のすさみ」は、はっきりわからないが、20年とか30年前に発売された本であって、その後東洋文庫はじりじりと値上がりし、現在では同じ「島根のすさみ」が、新刊で買うと3000円ぐらいする。
古本のくせに奥付けに記載された値段よりも高いというのは、この本がたまたまずっと昔に販売された本だからであって、1200円というのは現在のこの本の古本相場だったのである。

なるほどと納得して、わたしがこれを購入したかっていうと、なかなかそうはいかない。
なんとなくケチの本能が働いて、500円ていどの文庫本を3冊ばかりまとめ買いしただけで帰ってきた。

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2007年10月28日 (日)

飛行場祭り

0043a

近所の飛行場で「飛行場祭り」がおこなわれた。
わたしの家から下駄ばきでも行けるところなんで、昼メシでも食ってくるかとふらふらと出かけてみた。
いろんな屋台が出るので、日ごろ粗食にあまんじているわたしとしては、たまに変わったものを食べるチャンスでもある。

0043b 0043c

さいわいなことに夜来の台風はあっという間に去って、飛行場祭りにふさわしいとびっきりの好天気になった。
お祭り自体は小さな子供のいる家族連れのもので、よっぽど軽飛行機などに興味があるならともかく、大のおとなが見てもぜんぜんおもしろくない。
体験飛行でもあればいいんだけど、なんたって前日に堺市のほうで1機落ちたばかりである。
ヘリコプターやセスナなどをすぐ近くでながめて、へえ、これがそうかいと、あまり気の入らない感動をするていど。

0043d

この飛行場から大島や新島へ連絡便があるので、大島のアンコに扮したモデルさんが、気軽にツーショット写真を撮らせてくれるのはうれしかった。

昼メシ代りに屋台でバタジャガを食べた。
こんなでっかいジャガイモがあるのかいといいたくなるような巨大なジャガイモで、これ1個に生ビールを飲んだだけで腹がいっぱいになってしまった。 

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2007年10月27日 (土)

台風

いちにち雨で滅入ってしまいそう。
スーパーへ晩メシの材料でも仕入れに行こうかと考えたが、冷蔵庫の中をのぞいたら、その中のものだけでなんとか晩メシが間に合いそう。
そんなわけでどこにも出かけず、部屋でぼけっとしてる。
明日は近所の飛行場でちょいとしたお祭りがある。
あまりおもしろいものでもないが、家から近いので毎年ぶらぶらと見物にいく。
明日までになんとか天気が回復してもらいたいものだ。

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2007年10月26日 (金)

青衣の女人

趣味が多彩であるというと聞こえがいいけど、ここ数日はなんだかんだで、ブログが手抜きになってしまうそうなくらい忙しい。
こういうときは以前書いておいた記事でお茶をにごしてしまう。

司馬遼太郎はむかし新聞社で宗教部門 (おもに仏教らしい) を担当していたことがあるそうで、「街道をゆく」 にもあちこちに仏教に関係した記述がある。
ただし、かなり専門的になってしまうので、わたしにとって巻16の 「叡山の諸道」 は、このシリーズのうちでもっとも読みにくいものになっている。
叡山というのは、ご存知、比叡山延暦寺のことだから、お寺の話ばっかりになってしまうのもやむを得ないけど。

巻24の 「奈良散歩」 にも、興福寺、東大寺といったお寺の話がたくさん出てくる。
ただこちらのほうがいくらか読みやすいのは、難解な部分をとばしてもまだ興味のあるエピソードが多いせいかもしれない。
わたしのブログには「魑魅魍魎あるいは絶滅危惧種と暮らす」という副題がついているので、この巻からそんなお化けの登場するエピソードを取り上げてみると・・・・・

東大寺には修二会 (お水取り) という年中行事があって、わたしはぜんぜん知らないが、これは2週間におよぶ長いものだそうだ。
この2週間のうちに、東大寺にかかわった人たちの過去帳を読み上げる行事がある。
東大寺を発願した聖武天皇からはじまって、開山の良弁僧正、実忠和尚などのお坊さん、弘法大師、源頼朝などの有名人から、じっさいに作業をした大工や土方までひっからげて読み上げられるという。
そうした名前の中に 「青衣の女人」 という得たいのしれない名前がある。
なんでも承元年間 (1200年ごろ) の修二会のおりに、集慶という坊さんが過去帳を読み上げていたら、とつぜん青い服を着た女があらわれて、なんでワタシの名前を読まないのとごねたらしい。
集慶さんがあわてて 「青衣の女人」 といいかげんな名前を読み上げると、女はかき消すように消えたんだそうだ。
この女がいったい誰の亡霊だったのかという、どうでもいい意見が現在でもかまびすしいらしいが、そんな名前がいまでも残っているというだけでおもしろい。

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2007年10月25日 (木)

ランプの宿の2

054 あんまり紹介したくないけど、八海山の登山に参加した仲間を紹介してしまう。
この写真を見ていたら、どこかの水族館で、ガラスごしにこっちを見つめていたけったいな魚たちを思い出した。

下は宿屋で働いていた娘さん。
なんでこんな山奥の宿にこんなカワイ子ちゃんがいるのと疑問に押しつぶされそう。
ジュンなわたしは彼女の名前も歳も訊けなかったけど、ま、個人情報ってよけいなもんがあるからな。 訊けなくてよかったかもね。055

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2007年10月23日 (火)

ランプの宿

0041 むかしの山登り仲間にさそわれて、ひさしぶりに登山を楽しんできた。
お酒の名前としても有名な新潟の八海山という山である。
わたしは山頂まで付きあわず、とちゅうで引き返した。
わたしの仲間たちはときどき弱脚者に残忍な仕打ちをすることがあるので、うっかり最期までくっついて歩くとひどい目にあう。
うかつにも最期までお付き合いして、息もたえだえになって下山してきた弱脚者を、わたしは何人も知っている。

わたしの楽しみはむしろ夜のほうである。
仲間たちのほとんどは徹底的に不健全な登山者なので、夜の宴会ははでな暴飲暴食となる場合が多い。
下山してから宿泊したのは、「ランプの宿・駒の湯 (写真)」 というところで、いまどき珍しい電気も電話も (ケータイは圏外) 通じない宿である。
ここでひと晩中呑んだくれて、リーダーは翌朝のメシを食いそびれるていたらく。

このブログは宿屋の宣伝をするところではないから、宿の評価については、仲間たちはみんな満足していたとしかいわないし、わたしのほうからは、宿で働いている娘が多岐川裕美みたいなとびっきりのカワイ子ちゃんであったと付け加えるだけにしておこう。
エッ、それは宣伝じゃないかって?
宣伝というのは宣伝料をもらった場合のことをいうのだ。
わたしは宿から1円ももらってないぞ。

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2007年10月21日 (日)

ヤモリ

0040a 野川のほとりを散歩していたら、コンクリートの石垣の水抜き穴から、じっとこっちを見ている小さなまなざしに気がついた。
穴に近づくとやっこさんは奥のほうに逃げこんでしまったが、どうやらヤモリらしい。
つぎの散歩ではあらかじめカメラの準備をしてから近づいた。

0040b そうやって写真におさめたヤモリ君の写真がこれである。
いやがる人もいるけど、ヤモリは目のくりっとした、なかなか愛らしい動物である。

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最期の12日間

友人と酒を飲んだら、彼がわたしのブログを、NHKの宣伝ばかりしていると、まあ、誉めたんだかけなしたんだかわからないことを言った。
それは仕方ない。
わたしは “下らない=グダラナイ” 民放の番組をほとんど観ない人間なんである。

昨夜のBSでは 「ヒトラー・最期の12日間」 という、比較的最近の映画が放映された。
第二次世界大戦末期のベルリン陥落を描いた映画で、世間の評判もわるくなかったようだが、ヘソ曲がりのわたしはあまりいい映画とは思わない。
沈痛な内容をまっ正面から沈痛に描くのは誰にでもできることである。
この映画を観てフォルカー・シュレンドルフ監督の 「ブリキの太鼓」 を思い出したが、そっちはユーモアと寓意に満ちており、作品の価値ははるかに高かった。
だいたいドイツ軍の軍服を着たままの女性が、包囲するロシア兵のあいだをすりぬけるようにして脱出なんか出来たんだろうか。

わたしは昔、シャイラーの 「第三帝国の興亡」 を読んだことがあり、ナチスの宣伝相だったゲッベルスの死に感動(しちゃいけないのだが)したことがある。
そういうわけで最後の12日間の混乱についてもかなりのことを知っていて、この映画に描かれていることは、その本によるところも多いんじゃないかと考えてしまう。

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2007年10月19日 (金)

パオの物語

051前々項で、インドとイスラムの女性が民族服にこだわるのは世界の奇観と書いたけど、昨夜のNHKで放映されたアジア・フィルム・フェスティバルの映画は、ベトナムの少数民族を描いた 「パオの物語」。

世界の奇観といえば中国、ベトナムの国境にすむ多くの少数民族もそうだった。
このあたりの女性も、お祭りのような特別の場合ではなく、ふだんの日常生活で固有の民族服を着ていることで知られている。
もちろん有名なベトナムのアオザイのことじゃありません。

映画はじっくり観ているヒマがないので (最近ブログをかけもちして、著述業みたいな状態になっているので、わたしも忙しいのである)、早送りで観たかぎりでは、ヒロインが大人びているのが気にくわんけど、中国の雲南省、ひいては日本の古い農村を思わせる建物や風景がすばらしい。
古い時代に日本や韓国でおこなわれていた歌垣 (うたがき) という行事も出てくるようで、日本と東南アジアとの関連についても思いをはせることができてしまう。
映画の質についてはまだなんともいえないけど、とりあえず、ここまでわたしの興味が満載なら文句はいわないことにする。
※写真は中国の上海に出稼ぎにきていた雲南省の少数民族のオンナの子。

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熊本のKさん

熊本のKさんについてしばらく言及しなかったけど、わたしは彼のブログをかかさず読んでおり、彼の田舎暮らしがちゃくちゃくと軌道にのってゆくのを驚嘆のまなざしで見つめている。
都会の人間が田舎に行っていちばんむずかしいのは、土地の人たちのあいだにとけこむことだと思うんだけど、彼はものの数ヶ月でそれに成功したばかりか、現地で小規模な事業まで起こしたようだ。
魚釣りをしたり登山をしたり、それらでつねにリーダーシップを発揮するような、もともと付き合いはわるくない人だったので、わたしが心配するほどのことはなかったのだろう。
人間嫌いでとっつきのわるいわたしが田舎に行ったら、土地にとけこむどころか、今ごろは村八分だろうなと思ってしまう。
彼のブログは以下に
http://warazouri.cocolog-nifty.com/blog/

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2007年10月18日 (木)

ナヴァラサ

00ab

NHKが 「アジア・フィルム・フェスティバル」 という企画をして、たくさんのアジアの映画を放映している。
映画が好きで、旅行も好きというわたしには、いながらにしてアジア各国のようすがわかるのでありがたい。

昨日はインドの映画で 「ナヴァラサ」 という映画が放映された。
内容は性同一性障害という深刻なテーマらしいが (まだ全部観ていないのである)、ちらりと観たかぎりでは、おしゃまなハイティーンの女の子が出てきて、なかなか軽妙な映画のようである。

おもしろいのはこの映画の中で、女の子が母親から 「大人になったんだからサリーを着なくちゃだめよ」 といわれることである。
わたしはサリー姿が好きなので、そういう傾向はおおいに歓迎するけど、どうしてインドの女性は、こんな見た感じメンドくさそうな衣服にこだわるのだろうか。
この映画の中では、ミニバイクに乗った活発な若い女性も出てきたが、彼女らもサリーである。 日本の女性が和服でバイクに乗るようなものだ。
椎名誠のインド紀行では、道ばたで土方をしている女性もサリーだったなんて書いてあった。

インドとイスラムの女性が民族服にこだわるのは世界の奇観といえるけど、いずれの国でも男性に対しては、あまり強制されてないようだ。
ということは、これは古くさい女性抑圧の象徴なんだろうか。
その一方で 「ナヴァラサ」 にはゲイたちの祭りが出てくる。
世界はわたしの想像しないところでずんずん進歩しているらしい。

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2007年10月17日 (水)

マタイ受難曲

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だいぶ旧聞に属するけど、タルコフスキーの映画を観ていたら、タイトルバックに、脳天に沁みわたるようなもの悲しい曲が流れていた。
ちなみにわたしはタルコフスキーっていう監督がキライである。
世間には彼をして、偉大な芸術家と評価するむきもいるようだけど、ぜんぜんそうは思わない。
沈痛な顔といかにも意味のありそうな場面ばかりを並べると、すぐ嬉しがっちゃうのは日本人のわるいクセだ。
ほんとうに偉大な芸術家とは、フェリーニやベルイマンやキューブリックや・・・・・・・ (以下10人ぐらい続く) ・・・・・・・などのことを言うのである。
タルコフスキーはいろんな映画祭で賞をもらっているといって、わたしの意見に反対する人もたくさんいるかもしれない。
しかし、賞をくれたのは管理国家ソ連に対するあてつけだろうと、わたしも頑固である。

そんなことはどうでもいいけど、このときの映画のタイトルバックに流れていた音楽は、バッハの 「マタイ受難曲」 のうちの 『あわれみたまえ、わが神よ』 というアリアだった。
「マタイ受難曲」 は、バッハの全作品中の最高峰に位置づけられる宗教作品で、人間的に普遍的なさまざまなドラマが描かれており、その音楽の壮大さ、精緻さ、大胆さ、精神性は、しばしばクラシック音楽、西洋音楽作品中の最高傑作とさえ評される (ウィキペディアにそう書いてある) ほどの、超有名な宗教音楽である。
超有名なといわれたって、バチ当たり無神論者のわたしが宗教音楽なんか聴くはずはない。
はずがなかった、この映画でこの曲を知るまでは。
『あわれみたまえ、』 があまりに感動的だったので、また例によってレコード屋に走ったのだが。

わたしは音楽に関してはグルメである。
このCDを買うときも、いろいろ調べて、いちばん世間の評価の高かったカール・リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団盤にしようと考えた。
しかし原曲は壮大な曲で (なにしろCD3枚組、全部で78曲)、とてもそんなものを全曲聴いているヒマはない。
で、まずレンタルCDを借りてきて、全曲のあたりをつけておき、じっさいに買ったのはCD 1枚のダイジェスト版。
でも、これでいいのだ。
「マタイ受難曲」 の中に、ジャズやロック党のわたしが聴きたい曲は二つか三つしかないし、ダイジェスト版にはそれがみんな入っているのだから。

わたしの推薦したいのは、オープニングの合唱曲と39番のアリア (これが冒頭の脳天に染みわたるもの)。
合唱曲は、無神論者のわたしにさえ、神の影をちらつかせてしまう雄大かつ霊験あらたかな曲である (音楽理論にヨワいので、こんな説明しかできない)。

CD買う余裕はないけど聴いてみたいという人は、ネット上にMIDIの音源があふれているので、そういうもんで我慢しとくんだな。

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2007年10月16日 (火)

ウ(鵜)

0038 どんよりとした曇天の下、はだ寒い風のなかを、ぶらぶらと散歩にいく。
近所の田んぼのあいだの水路に、夏のあいだはドジョウやメダカがたくさんいたものだけど、ここんところさっぱり見かけない。
ま、寒くなって水の中にいたくないっていう心境はわかるけど、いったいどこへ行ったんだろう。 やつらも冬眠するんだろうか。

夏のあいだの野川にはカルガモぐらいしかいなかったが、ぼちぼちマガモやオナガガモのすがたが見られるようになった。
こういう渡りガモたちは、暑いあいだはロシアやシベリアのほうに行っている。
あちらじゃやたらに猟銃をぶっ放す乱暴な人が多いから、日本に帰り着いてホッとしているにちがいない。

連中のあいだにウが 1羽まじっていた。
ウミウだかカワウだかしらないが、こちらは不忍池あたりから飛んできたのかもしれない。
カワセミなんかが食べる魚は小モノだから、いくら食べてもたかがしれているけど、ウはかなり大きな魚でも平気で丸呑みにしてしまうので、このあたりでは嫌われ者である。
本人もそれを自覚しているのか、写真を撮ろうとすると、そしらぬふうでカメラから見えない位置に移動してしまう。
昔から、どこかやましいやつは写真に撮られたがらないものだ。 わかってるって。

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2007年10月15日 (月)

マルバルコウ

049_2 注意している人だけに微笑んでくれる小さな花もある。
これもそうしたひとつで、花の直径は1センチもないくらいだけど、よく見るととてもキレイ。 近所の園芸農家のネット塀にからみついていた。

名前を調べたらマルバルコウというそうなので、マル・バル・コウと読んでいたが、漢字名が丸葉縷紅草だから、マルバ・ルコウと読むのが正解。

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2007年10月14日 (日)

さんざし

0036a ひじょうに態度のでっかい植物です。
秋から冬にかけて花のすくない時期に、よくめだつ赤い実をゴチャゴチャとつけます。
なんていう植物なんだと、名前を調べてみたら、「サンザシ」 という名前でした。
見かけによらないやさしい響きをもった名前で、“さんざしの花咲けば” なんて歌にもなっているようです。
でも花より実のほうが強烈に印象に残るな。
“さんざしの実がつけば” じゃ歌にならんのかしら。

0036b この写真はトキワサンザシという種で、中国ではもっと大きな別のサンザシの実を、串にさして飴をかけたお菓子を売っていました。
※下の写真は中国の洛陽で見たお菓子。

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台湾

朝日新聞の夕刊に、司馬遼太郎の 「街道をゆく」 の番記者だったヒトが思い出話などを連載してるんだが、記者すなわち作家じゃないもんで、読んでもあまりおもしろくない。
13日のそれは巻40 『台湾紀行』 についてで、またブログのネタのきっかけにでもと思ったけど、材料になりそうな話はぜんぜんなかった。
で、またわたしのほうでネタをひねりだすことにした。

日本が統治する以前の台湾は、まだ野蛮で、大半はマラリアや赤痢、ペストの蔓延するしょうけつの地であったそうだ。
そんな台湾に日本が水利事業を起こして、嘉南平野を沃土に変えたことは以前に書いたけど、ほかにも日本が台湾につぎこんだ事業は多い。
台湾の総督、行政官だった児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造 (お札になって有名になったけど、ちゃんと名前の読み方をおぼえてるかな) などの功績は、植民地主義の下では世界の模範といっていいかもしれない。
アヘン吸烟の悪習を根絶したのもそうだし、衛生に関して無関心だった中国人、台湾人にそれを教え、疫病根絶のためにさまざまな制度をつくったこともそうである。
台湾だけではなく、韓国や満州などでも、日本はかならず学校をつくって教育に力をそそいだ。
こういうところは欧米の植民地政策とはだいぶ異なるようである。

『台湾紀行』 の中に、日本の官吏は汚職をしなかったと書いてある。
まるっきりなかったわけじゃないだろうけど、この点では中国人はケタはずれなので、日本人の清潔ぶりが目立ったということだろう。
でも日本人がいいことばかりしていたわけじゃあない。
霧社事件という台湾山地人  (原住民の高砂族) の反乱は、日本人の無知無理解から生じた事件だったという。
この事件についての記述はなかなか興味のあるところだけど、割愛。

『台湾紀行』 は、日本人がおかしたあやまちにもふれているけど、概して日本の統治は公明正大で、いまなお台湾人のこころにいい印象を残していると書いているのである。

この本の中に 「千金の小姐 (シャオチエ=中国語)」 という項があって、そこに日本統治時代に、甲子園にも出場したことのある山地人の野球選手と結婚した台湾人女性が登場する。
ご亭主は早くして亡くなったが、彼女は息子や孫たちとともに司馬遼太郎と会食し、そこで作家に正面から、「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」 と質問するのである。
この質問には解釈がふた通りあるらしいけど、いずれにしても日本を慕い、そして失望した台湾人の怨嗟のようなものがこめられていて、圧巻である。

戦前の日本の行為をわるくばかりいう人がいるけど、『台湾紀行』 を読んでいると、わたしは現代の日本人よりも当時の日本人のほうが美徳をたくさん持っていたんじゃないかと、つい考えてしまう。

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2007年10月12日 (金)

散歩

044_3 夏の終わりを思わせる、たまたまのいい天気に、ひさしぶりの散歩にいく。
ススキの若い穂を見て
 金の茫 はるかなる母の 祷りおり
という石田波郷の句を思い出したり、水車小屋のうえの青い空にうかぶ雲を見て
 夏は青い空に 白い雲を浮ばせ
 わが嘆きをうたう
という中原中也の歌を思い出したり、いろいろ感ずるところの多い散歩だった。045_2

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2007年10月11日 (木)

「ひどい映画」の追伸

「ひどい映画」の追伸だ。
ネットでためしに「パンズ・ラビリンス」の個人批評を読んでみたら、ほめている意見が多いのにガックリした。
戦争の悲惨さを寓意したものだと考えているらしいが、わたしにはグロとしか思えない。
そんな屁理屈よりも、こうした映画ばかり見せつけられる世代について考えてしまう。
わたしがトシとったんかねえ。

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ひどい映画

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月曜日に「パンズ・ラビリンス」という映画を観てきた。
べつに観たくて観たんじゃなく、映画館まで行ったら、たまたま別の観たい映画がやってなかったからである。

“パンズ” のパンは神話に登場する半人半獣の牧神のことで、“ラビリンス” というのは迷宮のことだそうだ。
どうやらコンピューター・グラフィック (CG) を多用した、小さな女の子が主人公のおとぎばなしみたいな映画らしかった。
12歳未満お断りとあったから、ひょっとするとロリコン映画かも・・・・・・

ひどい映画だった。
12歳未満お断りとあったのは残酷シーンが多いせいだった。
おとぎばなしだったらもっと抒情的でなくっちゃいけないし、ホラー映画なら小さな女の子なんか前面に出すべきじゃない。
CGを使えば、ほっぺたを切り裂かれたシーンもリアルに表現できるからって、あのねえ。

こんな映画をつくった人、それをケチョンケチョンにけなさない批評家、嬉しがって観にいく人 (あまりいないと信じるけど)、世の中いったいどうなってんだと絶叫したくなってしまった。
昨日はBSで 「エデンの東」 が放映された。
この両者のあまりの落差に愕然としてしまう。 日本の未来はクラい。

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2007年10月10日 (水)

チベット

わたしの知り合いの知り合いに、中国とチベットの関係について話すと昂ぶっちゃう女性がいる。
中国はチベットを武力で制圧し、資源を搾取しようとしている、というのが彼女の持論である。
この問題についてわたしはあまり関わらない主義だけど、先日、彼女の血圧をさらに上げかねない番組がNHKで放映された。
「激流中国/チベット編」 である。

2006年にチベットと中国をむすぶ鉄道が開通したせいで、チベットに押し寄せる観光客がいっきに増えた。
お金持ちの日本人や、チベットを小説中のシャングリラ (理想郷) と信じる欧米人である。

番組にはラサで近代的なホテルを経営する中国人オーナーが登場する。
このホテルの立派なことといったら、北京や上海のホテルにもひけをとらない豪華けんらんたるもので、列車で到着する観光客がひきもきらない。
中国人が経営するホテルが他人の土地で商売するなんてと、知り合いの女性なら、これだけでも怒髪天をついちゃうだろう。
しかし話はそんなに簡単じゃあない。
ホテルが、なんの地場産業もなかったチベットに、近代的な雇用を創出したことは事実だし、貧しいチベット人にとって年収に匹敵するような給料を払っていることもまた事実だからである。

問題はこの、見た感じ、いかにもこすっからそうなオーナーが、チベットの片田舎をまわって、寺院や農家から骨董品を買いあさっていることである。
ほんの数千円で購入した仏像や古い家具が、ホテルで売るときには数万、数十万になってしまうので、テレビを観ている日本人には、これこそ搾取の典型のように思えてしまう。
宗教心のつよいお坊さんの中には、仏像を売るなんてとんでもないと拒絶する場合もあったけど、テレビで見ているかぎり、どこまで本気なのかあやぶまれる雰囲気だった。

残念ながらこういうことも、時間や空間を超えて世界中で繰り返されてきた歴史的事実である。
ホテルのオーナーが従業員のまえで訓示する 「外から来た者 (中国人) のほうが、早く先進国の経済体制を受け入れたから、ビジネスに関する考え方が進んでいる」 という言葉は、資本主義の冷徹な真理であって、同情や嫌悪感だけで反対するのは客観的な見方とはいえない。

だいたい先進国の観光客たちは、すぐに文化がすたれるとか自然が破壊されるとか騒ぐけど、チベット人だって、いつまでも谷底まで水を汲みにいったり、ウシのフンを集めて燃料にしたがっているわけじゃないだろう。
彼らにも快適な生活をいとなむ権利があるのである。
わたしが願うのは、チベット人たちが早くグローバル化に順応して、みずからの手で世界の仲間入りをしてほしいということである。
そして同時に、グローバル化の悪しき側面にも気がついてほしいということである。

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2007年10月 8日 (月)

3大ギタリスト

000a_2

日本版PLAYBOY誌が 「3大ギタリストを探せ」 という特集を載せていた。
PLAYBOYは音楽専門誌ではないから、あまり期待しちゃいけないけれど、自分の好きなギタリストがどのへんに評価されているのか興味があったので、つい買ってしまった。
こういう本は公共の図書館にはたいてい置いてないのである。

いや、ひどいもんだった。
ジミ・ヘンドリックスがブルーズ・ロック部門の 1位になっているのは、まあ我慢するにしても、マイク・ブルームフィルドがデュアン・オールマンより下位ってのはどういうわけなんだ。
だいたい、この部門にエリック・クラプトンがいないってのは、なんだなんだ。
クラプトンはどこにいるんだいと探してみたが、ブルーズ部門にもハードロック部門にもいなかった。
彼の場合、特集のトップに、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックとならんで大きな写真がかかげられていて、まあ、別に大きく特集されているから文句もいえないけど。

クラプトンというと、メディアはすぐにペイジ、ベックと並べたがる。
この3人が同じような経歴を持っているからだろうけど、わたし個人としてはおおいに不満である。
なんとなれば、わたしはクラプトンのアルバムはたくさん持っているが、ほかの2人についてはそれぞれ1枚買っただけである  (そして失望した)。
ガキ向けのギタリストと大人向けのギタリストははっきり区別しなくちゃいけないのだが、PLAYBOYにそれを期待するのが間違っていた。
うーむ。

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2007年10月 7日 (日)

台湾紀行

土曜日の朝日新聞の夕刊に、司馬遼太郎の 「街道をゆく」 の番記者だった人が、この連載についての思い出を書いていることは、以前このブログでもふれたけど、今週のそれは巻40 「台湾紀行」 について。

「台湾紀行」 は、「街道をゆく」全シリーズの中で、わたしのもっとも好きな巻のひとつである。
ここには台湾の歴史や日本との関わりとともに、有名無名のさまざまな日本人、中国人、台湾人が登場する。
古くは明王朝復興のため清に反旗をひるがえした鄭成功 (彼は日本人と中国人の混血で、近松門左衛門の「国姓爺合戦」の主人公である) がおり、近代においては台湾統治のために腐心した児玉源太郎や後藤新平などの政治家がいる。
鄭成功が儒服を焼き捨てて (つまり文官としてではなく)、軍人として生きることを決意するあたりの描写は、胸がすくような思いがするし、統治というとすぐに侵略や搾取を連想する人がいるようだけど、日本の台湾統治がおおむね公明正大なものであったことは、「台湾紀行」 を読んだだけでもわかる。

この巻は現在まで続く台湾と大陸中国の問題にもふれており、戦後の台湾で、侵入してきた国民党軍のために惨殺された詩人のことや、その後の内省人と外省人の確執など、どのような悲惨な事実があったかも、この本できちんと理解することができる。

そして日本統治時代に、台湾の水利工事のために奮闘し、いまでも台湾の人たちから感謝され続けている日本人土木技師が登場する。
彼は大戦中に戦没したが、彼の妻は終戦時に、夫が作った台湾のダムに身を投じて亡くなった。
台湾の人たちはいまでも夫妻の命日にはお参りを欠かさないそうである。
日本の侵略行為や残虐行為ばかりを問題にする人もいるが、戦争のかげにこうした日本人もいたことも知ってほしいと思う。
「街道をゆく」 が、自虐史観で日本批判の急先鋒である、朝日新聞社の週刊誌に連載されていたのも、歴史の皮肉といえるかも。

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2007年10月 6日 (土)

ひさしぶりの散歩

1週間ばかり部屋にとじこもっていて、ひさしぶりに散歩に出かけてみた。

うちの近所には高級な人種が住んでいるらしく、いつもの散歩道には、血統書つきの高級そうなイヌを散歩させている人が多い。
へそ曲がりのわたしは、血統書つきの雑種犬を連れて彼らのあいだを闊歩してみたいと思ってしまう。
かって巷にあふれていた日本の誇り高き雑種犬はどこへ行ったのだろう。

ぶらぶら歩いていると、どこかからかすかにキンモクセイ (金木犀) が匂ってきた。
しかし花はまだ黄色くなっていない。
10月6日でこれじゃ、今年はちょっと花が完熟するのが遅いようだ。

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道路のはじではセイヨウフウチョウソウ (写真上) が排気ガスをあびていた。
なんでこんなややこしい長い名前をおぼえているかというと、もう故人になったある友人の家に咲いていて、何度か遊びに行ったおりに興味を持ったことがあるからである。
セイヨウフウチョウソウは、漢字で書くと 「西洋風蝶草」 となるので、こっちのほうでおぼえるほうがおぼえやすい。

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近所の園芸農家ではトケイソウ (写真下) の花を見かけた。
名前はべつになんてことがないけど、花の形がずいぶん変わっているのでおぼえやすい花である。
この仲間にパッションフルーツがあり、これは作曲家の團伊玖磨さんが、随筆 「八丈多与里」 でふれていたのでおぼえていた。
むかし八丈島に行ったとき、ぜひこの花を見たいと思ったんだけど、地元の人に訊くと、あんなものはどこにでもあるよと言われただけで、けっきょくいちども見つけられなかった。
仕方がないからパッション・ジュースというものを飲んだだけで帰ってきた。

あいかわらずとりとめのないことを考えながら、定番のコースを一周して今日の散歩は終わり。
もう秋風が肌にしみる季節である。
チミモウリョウたちもそろそろ穴ぐらにこもる準備らしい。

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2007年10月 5日 (金)

ヒジャーズ鉄道

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映画 「アラビアのロレンス」 に鉄道爆破のシーンがある。
映画で観たときは、なんだかトロッコ列車の親玉みたいで、本物の列車を爆破する予算をケチったんだろうと思っていたけど、先日NHKで放映された 「シルクロード/激動の大地をゆく」 というドキュメンタリーに、(今でも現存する) 爆破された列車の残骸が出てきた。
じっさいの列車もトロッコ列車の親玉みたいだったから、映画は時代考証を徹底的にやったらしい。

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今回の 「激動の大地をゆく」 は、アラブの歴史の中でほんろうされたヒジャーズ鉄道と、沿線に生きる人々の過酷な現実をめぐる話。
分断された国境は世界の各地に存在するけど、このドキュメンタリーにも、国境をはさんでスピーカーで叫びあう家族が出てきた。
キリストやマホメッドを生んだ砂漠の国に、神さまはさても過酷な運命を強いたものである。
現在の中東の混乱について英国の二枚舌を問う声もあるけど、「ロレンス」 映画の中にもけんけんがくがく、ぜんぜんまとまらないアラブの円卓会議のようすが出てきた。
多くの遊牧民族がせめぎあうアラブの現実をみると、この国をまとめるのはどんな人間にも国にも、ぜったいに不可能だったんじゃないかと思ってしまう。

わたしが見たことがあるのは中国のシルクロードだけだけど、カシュガルへ向かう列車の中で雨あがりの砂漠を見たことがある。
ぬれた砂漠というものはとっても清潔な感じがした。
わたしはいまでも中東の砂漠の国にあこがれているけど、これらの国のすべてを平和に旅することは、わたしが生きているあいだはムリなのかと絶望的な気分になる。

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2007年10月 4日 (木)

モロッコ

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昨夜のBS映画劇場は、ゲィリー・クーパー、マレーネ・ディートリッヒ共演の 「モロッコ」 でしたよ・・・・・・・・・ なんて言っても、今どきのお兄ちゃんお姉ちゃんにはわからないだろうなあ。
わたしも録画したっきりで、また観ておりません。
名作であると、いろいろと噂は聞いていますけどね。

この映画、アフリカのモロッコが舞台だけど、じつはアメリカで撮影されたんだそうで、その点を記者につっつかれた監督のジョセフ・フォン・スタンバーグさん。
文句あんのかい。
あの映画を作ってから、オレはじっさいにモロッコに行ってみたけど、モロッコてのは、ぜんぶオレの映画のとおりだったよ、といったとかいわないとか。
ま、ひらきなおりもこのくらいやると立派。

1930年のモノクロ映画なんで、さすがにいま観るのはしんどいけど、やはり青春のいちばん多感な時期に観たおじいちゃんおばあちゃんには忘れられない映画なんでしょうな。
でも77年まえの映画ということは、現役でこれを観たおじいちゃんおばあちゃんだって、もうほとんど絶滅しちゃっているってことか。
時間は残酷なものだということをつくづく身にしみさせてくれる映画です。

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2007年10月 3日 (水)

集められた市民

昨日のNHKニュースを観ていたら、韓国の大統領が北朝鮮を訪問して、ピョンヤン (平壌) で沿道にならぶ民衆から歓迎をうけているシーンで、説明が 「集められた市民が」 となっていた。
「集まった市民が」 でないところがおもしろい。
NHKもちゃんとわかってんだね。

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井伏鱒二とつげ義春

井の頭公園にある水生物園にはオオサンショウウオがいる。
別名ハンザキともいって、世界最大の両生類である。
井伏鱒二の 「山椒魚」 という短編小説はこの動物が主人公だ。
ただのサンショウウオといった場合、トカゲやヤモリとたいして変わらない小さな動物になっちゃうけど、カエルにいじわるをするために岩の穴を頭でふさぐくらいだから、これはオオサンショウウオと考えて間違いない。

「山椒魚」 は、若いころ、教科書に載っていたのを読んだことがあるけど、これを読んだおかげで井伏の他の作品も読もうという気にはなれなかった。
これは動物を主人公にした童話のようなもので、井伏流の滑稽な表現はこの作品だけの特徴だろうと思ったし、やはり教科書に載っていた 「屋根の上のサワン」 が、わりあいまともな文体だったので、よけいそう思ってしまったのである。
教科書に載せるなら 「多甚古村」、「本日休診」、「丑寅爺さん」、「シグレ島叙景」 のような、人間が主人公で、なおかつ井伏文学の真骨頂といえる作品にすればいいのに、文部省の役人さんたちはカタブツが多くて、こういうふざけた作品は青少年に有害と考えたのだろう。

最初に読まされたのが 「山椒魚」 だったおかげで、わたしが井伏文学にふれるのはずうーっと遅れてしまったのである。
わたしがあらためて井伏鱒二に注目したのは、じつはあるマンガがきっかけだ。
こう書いただけで、ハハンと思いあたった人もいるかもしれない。
70年代ごろ、「ねじ式」 という異様な傑作を書いて、わたしたちの世代に大きな影響をあたえたつげ義春というマンガ家がいる。
彼がなにかの雑誌で対談しているのを読んだら、井伏鱒二の作品との類似点が話題にあがっていた。

そうかいというわけで、わたしはもういちど井伏鱒二を読んでみたのだが、ナルホド、つげのマンガ 「もっきり屋の少女」 なんか、井伏の 「言葉について」 に出だしがそっくりだし、「オンドル小屋」、「長八の宿」、「ほんやら洞のべんさん」 のように、旅先でのささいな事件をテーマにした作品や、「李さん一家」、「西部田村事件」 など、ひょうひょうとしてどこか人を食った井伏文学を感じさせる作品は多い。
サンショウウオについては、つげに、題名まで同じ 「山椒魚」 という作品もある。
というわけで、つげ義春との出会いが、井伏鱒二を見直すきっかけになったのである。

井伏鱒二は女性を描くのがうまかった。
「集金旅行」 に登場するコマツさんは、川端康成や山本周五郎などの作品に登場する女性たちにくらべてもまったく遜色がない。
その色っぽさにおいて。

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2007年10月 2日 (火)

ケータイその2

ブログにケータイのことを書いてからメシを食っていたら、もうトラックバックがついていた。
ケータイという言葉を見つけると瞬間的 (まるで、美女を見つけた若いころのわたしみたい) に反応して、相手にトラックバックを送るサイトらしい。
しかしパソコンでもゲームなんざやったことのないわたしが、ケータイでゲームなんかすると思ってんのか。 たわけ者。

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ケータイ

9年間使ったケータイがイカれたので、やむを得ず新しいケータイを買った。
わたしはパソコンのカミサマと言われている男だ。
なんの、こんなもん、同じ人間が作ったもんじゃねえか。
と思ったが・・・・・・
沈黙。
今んところ手も足も出ない。

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2007年10月 1日 (月)

ジャッキー・イクス

雨でめちゃくちゃ混乱の富士サーキットを制したのは、けっきょく順当に新人ハミルトンてことになっちゃったようだけど、わたしはじつはF1レースにも興味があり、中天をぼんやりながめて (まだ雨が降っていてお月さんは見えないけど)、遠いむかしのなつかしいヒーローたちを思い出してしまう。
むかしのF1レースはおもしろかった。
なにしろ、年に2人か3人のレーサーが必ず爆死していたから、なんていっちゃマズイかな。

わけてもわたしの脳裏に強烈によみがえるのは、1967年のニュルブルクリンクで、F2に乗り、予選でF1ドライバーたちをもしのぐ好成績を残したジャッキー・イクスというドライバーである。
この人はミック・ジャガーと、当時人気のあった映画俳優のルノー・ヴェルレーを足して2で割ったようないい男?で、F1ではまだ無名の新人だったくせに、そのデビューのあまりの鮮烈ぶりで、わたしはいっぺんにファンになってしまったのである。

彼はその後F1にステップアップして、それなりの成績をおさめるが、F1に関してはトップまで登りつめたとはいえない。
しかし彼はF1と同時にスポーツカー・レースにも出場していて、こちらでの活躍がわたしの関心をひきつけ続けていた。

1969年 (わたしたちの世代にとって栄光の70年代が始まる直前だ)、イクスはフォードGT40でル・マン24時間レースに出場し、ポルシェ908とレース史に残る激戦をくりひろげた。
なにしろ、24時間レースで、ゴールしたとき1位と2位の差が数百メートルしかなかったのである。
レースカーで数百メートルといえば、ほんの数秒の差でしかない。
ル・マンで24時間も走れば、ふつうは10分、20分の差は当たり前であることを思えば、このレースがいかに接戦であったかがわかろうというものだ。
わたしはイクスのファンであると同時に、テキサスの田舎者を思わせるGT40が、欧州の貴公子然としたポルシェよりも好きだった。
だからこの闘いでGT40が勝利したとき、わがことのように肩入れして喜んだものである。

GT40は映画 「男と女」 にちょい役で登場する。
ル・マンで劇的勝利をおさめたのは、この映画の公開から3年後である。

ル・マンでの勝利を最後にGT40はレースからほぼ引退し、イクスはこの後宿敵のポルシェに乗り換え、スポーツカー・レースでは前人未到といえるような活躍をみせるのだが、あまり偉大になりすぎると、わたしの興味はだんだん薄れてしまうのである。

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