井伏鱒二とつげ義春
井の頭公園にある水生物園にはオオサンショウウオがいる。
別名ハンザキともいって、世界最大の両生類である。
井伏鱒二の 「山椒魚」 という短編小説はこの動物が主人公だ。
ただのサンショウウオといった場合、トカゲやヤモリとたいして変わらない小さな動物になっちゃうけど、カエルにいじわるをするために岩の穴を頭でふさぐくらいだから、これはオオサンショウウオと考えて間違いない。
「山椒魚」 は、若いころ、教科書に載っていたのを読んだことがあるけど、これを読んだおかげで井伏の他の作品も読もうという気にはなれなかった。
これは動物を主人公にした童話のようなもので、井伏流の滑稽な表現はこの作品だけの特徴だろうと思ったし、やはり教科書に載っていた 「屋根の上のサワン」 が、わりあいまともな文体だったので、よけいそう思ってしまったのである。
教科書に載せるなら 「多甚古村」、「本日休診」、「丑寅爺さん」、「シグレ島叙景」 のような、人間が主人公で、なおかつ井伏文学の真骨頂といえる作品にすればいいのに、文部省の役人さんたちはカタブツが多くて、こういうふざけた作品は青少年に有害と考えたのだろう。
最初に読まされたのが 「山椒魚」 だったおかげで、わたしが井伏文学にふれるのはずうーっと遅れてしまったのである。
わたしがあらためて井伏鱒二に注目したのは、じつはあるマンガがきっかけだ。
こう書いただけで、ハハンと思いあたった人もいるかもしれない。
70年代ごろ、「ねじ式」 という異様な傑作を書いて、わたしたちの世代に大きな影響をあたえたつげ義春というマンガ家がいる。
彼がなにかの雑誌で対談しているのを読んだら、井伏鱒二の作品との類似点が話題にあがっていた。
そうかいというわけで、わたしはもういちど井伏鱒二を読んでみたのだが、ナルホド、つげのマンガ 「もっきり屋の少女」 なんか、井伏の 「言葉について」 に出だしがそっくりだし、「オンドル小屋」、「長八の宿」、「ほんやら洞のべんさん」 のように、旅先でのささいな事件をテーマにした作品や、「李さん一家」、「西部田村事件」 など、ひょうひょうとしてどこか人を食った井伏文学を感じさせる作品は多い。
サンショウウオについては、つげに、題名まで同じ 「山椒魚」 という作品もある。
というわけで、つげ義春との出会いが、井伏鱒二を見直すきっかけになったのである。
井伏鱒二は女性を描くのがうまかった。
「集金旅行」 に登場するコマツさんは、川端康成や山本周五郎などの作品に登場する女性たちにくらべてもまったく遜色がない。
その色っぽさにおいて。
| 固定リンク | 0
コメント