台湾
朝日新聞の夕刊に、司馬遼太郎の 「街道をゆく」 の番記者だったヒトが思い出話などを連載してるんだが、記者すなわち作家じゃないもんで、読んでもあまりおもしろくない。
13日のそれは巻40 『台湾紀行』 についてで、またブログのネタのきっかけにでもと思ったけど、材料になりそうな話はぜんぜんなかった。
で、またわたしのほうでネタをひねりだすことにした。
日本が統治する以前の台湾は、まだ野蛮で、大半はマラリアや赤痢、ペストの蔓延するしょうけつの地であったそうだ。
そんな台湾に日本が水利事業を起こして、嘉南平野を沃土に変えたことは以前に書いたけど、ほかにも日本が台湾につぎこんだ事業は多い。
台湾の総督、行政官だった児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造 (お札になって有名になったけど、ちゃんと名前の読み方をおぼえてるかな) などの功績は、植民地主義の下では世界の模範といっていいかもしれない。
アヘン吸烟の悪習を根絶したのもそうだし、衛生に関して無関心だった中国人、台湾人にそれを教え、疫病根絶のためにさまざまな制度をつくったこともそうである。
台湾だけではなく、韓国や満州などでも、日本はかならず学校をつくって教育に力をそそいだ。
こういうところは欧米の植民地政策とはだいぶ異なるようである。
『台湾紀行』 の中に、日本の官吏は汚職をしなかったと書いてある。
まるっきりなかったわけじゃないだろうけど、この点では中国人はケタはずれなので、日本人の清潔ぶりが目立ったということだろう。
でも日本人がいいことばかりしていたわけじゃあない。
霧社事件という台湾山地人 (原住民の高砂族) の反乱は、日本人の無知無理解から生じた事件だったという。
この事件についての記述はなかなか興味のあるところだけど、割愛。
『台湾紀行』 は、日本人がおかしたあやまちにもふれているけど、概して日本の統治は公明正大で、いまなお台湾人のこころにいい印象を残していると書いているのである。
この本の中に 「千金の小姐 (シャオチエ=中国語)」 という項があって、そこに日本統治時代に、甲子園にも出場したことのある山地人の野球選手と結婚した台湾人女性が登場する。
ご亭主は早くして亡くなったが、彼女は息子や孫たちとともに司馬遼太郎と会食し、そこで作家に正面から、「日本はなぜ台湾をお捨てになったのですか」 と質問するのである。
この質問には解釈がふた通りあるらしいけど、いずれにしても日本を慕い、そして失望した台湾人の怨嗟のようなものがこめられていて、圧巻である。
戦前の日本の行為をわるくばかりいう人がいるけど、『台湾紀行』 を読んでいると、わたしは現代の日本人よりも当時の日本人のほうが美徳をたくさん持っていたんじゃないかと、つい考えてしまう。
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