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2007年11月

2007年11月29日 (木)

紫式部

ずっと以前のことだけど、日生劇場へ観劇に行ったことがある。
「紫式部ものがたり」 というミュージカル!である。
ミュージカルというと、レオタードの姉ちゃんが飛んだりはねたりというのが相場だけど、紫式部といえば十二単 (ひとえ) ではないか。
こんなんで飛んだりはねたりできるのか。
そのあたりがなんとなく不安で、不安なまま席についた。

ストーリーは源氏物語を執筆中の紫式部の苦労話で、登場してくるのは紫式部とその父親のほか、清少納言、和泉式部、赤染右衛門 (女である) という百人一首の著名人から、陰陽師という最近話題の小説中の人物など。
和泉式部なんかちぢれたロングヘアで登場した。
じっさいの和泉式部も奔放でとんでいる女性だったから、現代的に誇張するとこうなるらしい。

それはいいけど、こういう人物たちがみんないっぺんに揃っちゃって、時代考証はまちがってないのだろうか。

いろいろ調べてみたら、彼女らが一堂に会しても決して不思議ではないということがわかった。
彼女らの生没年はたいてい不明だが、いずれも平安時代の一条天皇の御世に活躍し、天皇の后や中宮 (定子や彰子) に仕えている。
ということは年齢もそんなに違わなかっただろう。
一説によると、この中では赤染衛門がいちばん年長で、つぎが清少納言。
紫式部と和泉式部はほぼ同じくらいの歳だったようだ。

彼女らがじっさいに会ったことがあるかどうかは別問題だけど、紫式部が清少納言を意識していたことは間違いない事実のようであるし、清少納言と和泉式部と赤染衛門とは交流もあったらしい。
こうなると彼女らをずうっと後世の (無責任な) 軽喜劇の中で対面させても、時代考証がおかしいとはあながちいえない。
また安部晴明という陰陽師についても、わたしは夢枕獏の小説に登場する架空の人物とばかり思っていたのだが、実存した人物であるという (紫式部よりずっと年上になる)。

彼女らのことを調べていたら、女性が自由恋愛をして文章を書きまくっただけではなく、気にいらない夫と離婚したり、新しい奥さんができて古い奥さんが家出をしたり、子供の認知をめぐって裁判したりと、平安時代というのは女性にとって、じつに自由はつらつとした時代であることがわかった。
まあ、調べてみるものである。

この劇からほかになにか得た知識があるとすれば、十二単のしくみである。
絵巻物などで見ているだけではどんな構造の衣装なのかわかりにくいが、この劇を観ていて、十二単というのは神社の巫女さんの衣装の上に、派手な上っぱりを何枚もひっかけたものであることがわかった。

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2007年11月28日 (水)

風邪の3

前々項で、風邪ウイルスが将来は便秘やアルツハイマーのウイルスに変化するんじゃないかと冗談を書いた。
ところが冗談が冗談ですまなくなってしまったぞい。
現在のところ、風邪はセキとノドの痛みになってるんだけど、トイレに入ってうんと力むと、セキがゴホゴホと出てしまう。
お尻にこめたつもりの力がみんなセキのほうに行ってしまうので、なかなか快適な排便ということにならないのである。
これではほんとに便秘になりそうだ。
ビールも美味くないし、とにかくしつこい風邪である。

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2007年11月27日 (火)

日本と中国

以前のこのブログでも取り上げたけど、アノ朝日新聞が、ときどき 「東アジアの150年」 という大きな特集を組む。
これを読んで気にいらない文章があると、ワタシがいちゃもんをつける。
ワタシのいちゃもんが効いたのか (そりゃないだろうけど)、昨日と今日のこの特集にはとくにいちゃもんをつけるところも見当たらない。
ワタシだってSAPIOの味方ばかりして、なんでもかんでも朝日新聞にいちゃもんをつけているわけではないのだ。

今朝の 「150年」 は、日中戦争のおりに補給路を確保しようとする中国軍と、それを断ち切ろうという日本軍の攻防のハナシ。
極東の小さな島国が、ほとんど東南アジア全域をその占領範囲にひろげていたという事実には、ゴクロウサンといいたくなってしまうほどの一種の感動がある。
こんなことに感動しちゃ、ほんとうはいけないのだが。

この文章の中に聶耳という中国の作曲家が登場していた。
この人の作った曲は中華人民共和国の国歌とされているらしい。
聶耳は戦前の共産党員で、戦前の中国では国民党、共産党が激しくいがみあっていたから、彼も抗争にまきこまれて危害を加えられそうになり、いちじ日本へ避難していたという。
日本へ避難しているあいだに、彼はたまたま湘南海岸で水泳中に溺死してしまった。

ここで、これが日本の謀略だと書けば朝日新聞流の自虐史観になるのだが、そういう事実はぜんぜんなかったようで、さすがの朝日新聞もそこまでは書いてない。
わたしが思うのは、建国の父孫文も日本をしょっちゅう避難先にしていたし、蒋介石は日本軍に籍を置いていたこともある。
いろいろゴタゴタしているけど、日本と中国はもともとけっして仲のわるい関係じゃなかったのだ。
中国の革命家たちにとって、日本はよりどころでもあったのである。

今朝の 「150年」 では最近の中国映画の傾向にもふれている。
ワタシは映画が大好きだし、とくに中国映画はまだ小津安二郎時代の制作手法を踏襲しているんじゃないかというような作品が多くて、昨今のマンガみたいな日本および欧米先進国の映画にくらべて、こころをなごませてくれる作品が多い。
そうした中国映画の中で、最近は日本兵も徹底した悪役というばかりじゃないそうである。
こうした傾向がますます発展するよう、わたしは期待している。
客観的な見方というのはこういうものである。
朝日新聞やSAPIOの意見に毒されるばかりが歴史の勉強じゃない。

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2007年11月26日 (月)

風邪の2

風邪はどうなったのか。
なんとか押さえこんだのか。
なんとか押さえこんだといってもいいくらい、現在は症状は軽い。
でもまだ、完全に治ったわけじゃない。

最初頭にきた、もとい、頭がぐらぐらして微熱と倦怠感におそわれたという症状が、現在はセキとノドの痛みになってきた。
こんなふうにウイルスは刻一刻と性格を変えて、ワタシの体の中の、病原菌を退治する抗体から逃げまわっているらしい。
素手でウナギを掴まえようとしてるようなもんか。

以前にひいた風邪では下痢をしたことがある。
風邪で下痢というのが理解できなかったので、食当たりかと思って正露丸をポクポクかじってみた。
しかしいつになっても下痢が治まらないので、こりゃもっと陰険な病気じゃないかと思い、病院へ行ってみた。
ふつう風邪ぐらいじゃ病院に行くことはないのだが。

診察した女医さん、なぜか女医さん、とにかく女医さんは、一発で風邪であると看破した。
ブスッと太い注射をぶたれて、ウソみたいにあっけなく治ったけど、まったく最近の風邪は油断がならない。
いまの風邪が便秘だとかアルツハイマーに変化しないという保証があるだろうか。

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2007年11月25日 (日)

ビデオ映画

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先日ちょいとした団体旅行に参加してビデオカメラをまわしてきた。
帰宅して2週間ほど、朝から晩まで編集に没頭し、1時間ほどの映画にまとめたんだけど、なんといってもワタシのことであるから、素人がつくった作品にしてはなかなか凝ったものができたと自負している。

そうはいっても観てもらわないことにはハナシにならないから、それをDVDに焼いて旅行参加者の目につくところに置いておいた。
ワタシの腹では、このDVDを参加者に安く販売して、せめて製造原価ぐらいは回収したいところ。
ところがワタシの友人の中には著作権や知的権利というものにまるで無関心という輩が多くて、そういうものはタダでコピーするのが当然とこころえている者が多い。

だいたいちょっとパソコンに詳しくなった初心者が、いちばん先にやりたがるのがこの違法コピーである。
その先に著作権というものがあることを早く理解してほしいのだが、なかなかそこまで到達する者はいないようだ。
なんとなくコピーされているような兆候があったから、コピーはダメだぞと、あとから念を押しておいたらさっそく関係者からまとめて注文があった。

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これとはべつにビデオ撮影に協力してくれた友人に1枚進呈したら、彼はビールを6本持ってきた。
いや、べつにビールをくれというわけじゃないけど、この程度のお礼は常識じゃないかい。
ワタシの希望としては、口コミでうわさが広まって、もっともっと注文が来ることである。
おへそ丸出しのオンナの子が踊りまくるシーンもあるんだぞ。
※写真は2枚とも、そのビール6本の友人によるもの。

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2007年11月24日 (土)

風邪

風邪をひいたらしい。頭がくらくらする。
以前は年に 1回くらい、けっこう重症の風邪をひいていた。
最近あまりひかないなと思っていたらこれである。

風邪のパターンはわかっている。
いったん本格的な風邪にとりつかれるとどんな抵抗もムダである。
部屋でころりんと寝込んでじっとしているしかない。
そのかわり 1週間から10日不愉快な思いをしたあと、ほうっておいても自然に回復するのがいつものことだ。
だから本格的な風邪になるまえに、いかに押さえ込んでしまうかが勝負の分かれ目になる。

そういうわけで昨夜は部屋で布団蒸しになってじっと寝ていた。
よぶんな仕事をせずに、体中のエネルギーをウイルスとの抵抗戦にそそぎこむ。
効果があったのかどうか、朝おきてみると、まだ頭はくらくらするが、そんなに悪化したようでもない。
タマゴ酒をつくってぼんやり夜明けの空をながめる。
俳句になりそうだな。

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2007年11月22日 (木)

カントリー・ミュージック

むかしはカントリー・ミュージックというものに特別な関心はなかったんだけど、最近、ちょっとした縁でそれを聴く機会がふえた。

とはいうものの、カントリー・ミュージックの定義というものがよくわからない。
わたしはロックやジャズならよく聴くけど、そっちの分野にもカントリーからきた音楽はたくさんある。
エルビス・プレスリーもカントリー・ナンバーを歌っているし、CCRやザ・バンドなんてグループもカントリー音楽をルーツに持っているなどとよく言われる。
そういうわけで悩むことも (たまに) あるんだけど、そう呼ばれる音楽は現実に存在するようだ。

最近テレビで、日本の阿蘇で開かれたカントリーのコンサートのようすが放映された。
日本人は音楽を分野別にきっちり仕分けしないと満足しない民族だから、ここに登場したバンドこそ純粋のカントリー・バンドであろう。
これで見るとカントリー・ミュージックというのは
①ジーンズにカウボーイハット(テンガロンハットっていうのか)をかぶった演奏者によって演奏されたもの
②できればバイオリン(フィドル)を含むバンドによって演奏されたもの
③カウボーイハットをかぶったおばさんたちが演奏中にステージ前で踊っていること
④コカコーラがスポンサーについていること
⑤世間にあまり知られていない曲であること
 なんて特徴があるらしい。

じっさいはどうだか知らないが、アメリカン・ミュージックを席巻している黒人が、ほとんど演奏者の中に含まれていないというのも特徴かもしれない。
黒人が入るとジャズやブルースになっちゃうんだろうか。

放映されたコンサートを観ていたら、ミック・ジャガー顔まけにステージを駆けまわる、元気いっぱいの女性フィドラーが登場してきた。
こうなるとまたロックとの区別がつかなくなっちゃうんだよね。

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2007年11月21日 (水)

追伸

前項の追伸である。
わたしはこのブログ以外にもうひとつブログを持っていて、そちらでわたしの中国の旅を日記ふうにつづっているので、駄文ではあるけど興味のある人は参照してほしい。
http://blogs.yahoo.co.jp/libai036/folder/1132098.html

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複雑な心境

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NHKのBSで放映していた 「関口知宏の中国鉄道大紀行」 が、新彊ウイグル自治区のカシュガルにたどりついたところでとうとう終了した。
前回は敦煌まで、今回は敦煌 (もより駅の柳園) からカシュガルまでの旅である。
鉄道に乗ることが目的の紀行番組なので、あまり名所旧跡に寄らないのが欠点だが、この区間は2000年にわたしがじっさいに行ってきたところなので、興味ぶかく、なつかしい気持ちで観た。

わたしが行ったときもそうだったけど、この区間の列車に乗ると、ウイグル人、回族、漢族などがみんないっしょに和気あいあいとした雰囲気で乗り合わせている。
※写真は2枚ともそのときの写真。

わたしの友人の中には中国を毛嫌いして、なにかというと少数民族の独立を口にする輩がいるのだが、その問題についてわたしは複雑な心境である。
チベット、ウイグル、モンゴルなど、どの民族にとっても、独立した国家ができればそれがいちばん嬉しいことに違いない。
しかし現在の中国には、それを認めたら国家が崩壊するという恐怖がつねにある。
また、独立抗争でさんざん血を流したあげく、より抑圧的な独裁政権や人権無視の規律を強制する原理主義が台頭した新興国家の例をわたしはたくさん見てきた。
だからわたしは、独立運動というとなんでもかんでも支持したがる人たちの仲間に入る気にはなれない。
この混乱する世界にさらなる混乱をまきおこすようなことは厳につつしみたいものだ。
わたしの希望は、さまざまな民族がいりまじって平和に暮らしてほしいということで、それは現在の状況のほうにちかいのである。

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「鉄道大紀行」 にも出てきたが、いまは綿花を人力で摘み取っている新彊でも、このまま順調に発展が続けば、やがて機械による収穫になるだろう。
同時にウイグルの素朴で人なつっこい性格も失われてしまうだろう。
それは悲しいことだけど、近代化というものはたいていそういうものだし、彼らだけがいつまでも近代化に取り残されていればいいということにはならない。
わたしのこころはますます複雑に悩むのだ。

現時点では、道路や鉄道をふくめたインフラ整備で、新彊地区に対する経営は中国の赤字であろうと思われる。
かってのアジアに、遅れた帝政主義の国に対して膨大な開発予算を計上し、その国の近代化に貢献したあげく、現在では侵略者とののしられている国家がもうひとつあった。

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2007年11月20日 (火)

刺し身

中勘助の詩なんか読むと、詩人の条件は貧乏であることのようだ。
そういう点ではわたしも詩人であることに絶大な自信がある。

わたしが大沢村の現在地に引っ越してきたのはもう12年もまえのことだけど、その当時は近所に八百屋や肉屋、乾物屋の入った小さな商店街があった。
御多分にもれず、大規模スーパーに猛襲されて、それらの店はひとつつぶれ、ふたつつぶれ、とうとう酒屋を残してすべて一掃されてしまった。
八百屋の主人は、若いころさぞかし “いなせ” だったと思えるすらりとした親父だったが、店仕舞いしたあと、最近では近所のなじみのソバ屋で背中をまるめて世間話をしているようだ。
彼もずいぶんトシをとった。

さいわい八百屋だけはべつの店が開店したから、ちょいとした買い物は間に合うけど、わたし自身も買い出しのさいは、車で大規模スーパーにひとっ走りしてしまうので、地域の商店が圧迫されて消滅していくという問題についてごちゃごちゃいう資格がない。

わたしは刺し身でいっぱいやるのが好きなので、引っ越してきた当時は、刺し身を買うのにわざわざ大規模スーパーまで出かけていた。
ところが20分ほど歩けば魚屋の入ったスーパーがあるよと教えてくれる人がいて、それからは散歩をかねてそこまで歩く。
こちらも八百屋、魚屋、肉屋などの入った地域の小規模スーパーだが、なかなか頑張っているようである。

ここで冒頭の貧乏話にもどるけど、中勘助はひと切れの塩鮭に喜びを感じていた。
今日のわたしはひと舟のマグロの刺し身に幸福を感じているのである。
さて、焼酎のお湯割りでもつくるか。

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2007年11月18日 (日)

夕日

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全身全霊をかたむけていた、といっちゃオーバーだけど、ビデオの編集がようやく終わったので、またブログ再開である。
ひさしぶりにはればれとした気分で野川のほとりを散策してきたので、そのあたりの近況から。

自然を愛する者にとって11月はおもしろくない季節の始まりだけど、それでも夏のあいだは見られないマガモ、オナガガモ、コガモなどが大挙来日して、川面はひじょうににぎやか。

カモたちのあいだを青いカワセミが一直線に飛んでいく。
カワセミというのはよほどせっかちな性分らしく、移動するときはわき目もふらず必死という感じである。
よく目立つ鳥なので、のんびりしていると天敵に襲われやすいという理由でもあるのだろうか。

植物ではあまり印象に残るものがない。
大沢村にはワサビを栽培している土地の名士がいるが、ワサビのとなりでカラーの花がいくつか花をつけていた。
カラーってのは花の時期が定まっていないのか、なんだか 1年中花をつけているような気がする。

帰りにふと空を見上げると、西の空に茜色の鰯雲がのびていてとてもきれいだった。
夕焼けを見ていると、いよいよ冬の到来だなと思う。
写真はレースのカーテンを通して、部屋の中にまでさしこむ夕日である。

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2007年11月14日 (水)

手抜き

ビデオの編集が佳境に入っちゃっているので、ブログはまだもうすこし手抜きですよ。

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2007年11月11日 (日)

ライブハウス

ひさしぶりに古いレコードを引っ張り出した。
名前は挙げないけど、米国のカントリー・ロック系のバンドのアナログLP。
じつは昨夜、ひさしぶりに行ってみた国立のライブハウスでこのバンドの曲を聴いたもんで。

このお店で定期的に演奏しているカントリーバンドから、紅一点だったKE Iちゃんが参加を一時休止だそうで、昨夜は男のメンバーばかり。
イロ気なし。
彼女目当ての客が多いのか、それとも天候が不順だったせいか(たぶんあとのほうだろう)、いつもよりいくらか客の数が少ないような感じだった。
わたしはほかにも用事があったので、KE Iちゃん目当て思われちゃ困るんだが。
いやいや、思われてもべつに困らないけど。

最近のライブハウスは客の飛び入り参加OKというところが多いようで、このお店もなかなかアット・ホームな雰囲気。
ま、中には自己満足みたいな人もいないじゃないが、楽器持参でプロはだしの熱烈なファンもいる。

とくに昨夜は、最期にバイオリンを持った2人のファンが掛け合い演奏をして、これがそんじょそこいらのバンドにひけをとらない大迫力。
聴くだけでもたまに大当たりがあるけど、われと思わん人は、ギターでも尺八でも鳩笛でもいいから持ち込んで、たまには生バンドをバックに演奏してみたらどうだろう。
お店の名前は「はっぽん」と、いちおう宣伝をしといて、興味のある人はあとはネットで調べてちょ!

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2007年11月 7日 (水)

昨今の事情

忙しい。忙しい。
前項で取り上げた旅行のビデオ映画を作ろうと、編集を始めちゃったし、友人から送られてきたその旅行の写真もチェックしなくちゃいけないし、ブログの面倒もみなけりゃならんし、東南アジアの写真をどさどさどさ(DVD5枚も)と送ってくれた中国の友達に返事も書かにゃならんし(日中、中日辞典をひきながらなんでけっこう時間がかかるんよ)、録画したBSの映画も観なけりゃいけないし、関口知宏クンはあいかわらず中国を旅しているし、散歩コースの野川のほとりに秋色は日増しに濃くなっているし、独身のアタシゃ、合い間にメシを作ったり洗濯をしたり、貧乏人だからもちろん本職の仕事をしてその日の糧も稼がにゃいけんのよ。

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2007年11月 6日 (火)

コンパニオンさん

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勤め先の関係で、総勢100人ちかい団体の旅行に参加してきた。
わたしは基本的にこういうにぎやかな旅行は好きじゃないんだけど、目的地が映画「フラガール」の舞台となった、いわき市のもと炭鉱町にある温泉センターだというので、今回だけは参加することにした。
ピチピチしたオンナの子たちのフラダンスを観てみたい。

ところがフラダンスは混雑していて写真どころじゃなかったので、そのかわり宴会にやってきたコンパニオンさんの写真を紹介してしまう。
若くて魅力的な子が多かったけど、なんたって団体のほとんどがシワシワのおじいちゃんばかりだったんでねえ。
こんな写真撮ってニタニタしてるわたしも、もしかするとトシとったのかも知んないなあ。
なにはともあれ、宴会もフラダンスも若いオンナの子がいっぱいで、エカッタ、エカッタ。

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2007年11月 4日 (日)

タマゴかけご飯

関口知宏の 「中国鉄道大紀行」 を観ていたら、即席ラーメンに生タマゴをかけて食べるシーンがあった。
わたしも中国の辺境の町で、ご飯に生タマゴをかけて食ったことがある。
3週間も4週間も旅をしていて、むしょうに日本食が恋しくなったのだ。

辺境の町に日本食レストランがあるわけはないから、考えたすえに、お手軽な日本食としてご飯に生タマゴをかけることを思いついた。
ところが中国人にはタマゴを生で食べる習慣がない。
最初はタマゴチャーハンを持ってこられてしまった。
そうじゃない、生だよ、生タマゴだよと説明しても不思議そうな顔をしている。
なんとか持ってきてもらった生タマゴをご飯にかけると、店員は天地が逆転したような顔をしていた。

ここまではいいが、醤油がなかった。
中国には日本と同じような、大豆から発酵させた醤油は存在しないのである (大都市なら日本からの輸入品がある)。
仕方ないからテーブルにあった醤 (ひしお) のようなものをかけた。
これは塩漬けにした魚肉のエキスのようなものらしいけど、色はまっ黒で、見た感じは醤油によく似ている。
あとは生タマゴの鮮度だが、ご飯にかけるまえにじっくり検分して、表面がザラついていることを確認した。
その後下痢もしなかったところをみると、まあ、大丈夫だったのだろう。

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2007年11月 3日 (土)

鏡子さん

アノ朝日新聞が韓国の大統領への会見記事を載せていた。
すでに韓国でもレームダックとよばれている大統領への会見にどんな価値があるのか知らないけど、一方的な相手の意見を取り上げて得意満面である。
アホらしい。

そんなことはどうでもいいけど、三面記事に猫塚再建記念の映像発見というニュースが載っていた。
猫塚というのは、夏目漱石の 「吾輩は猫である」 の主人公の墓のことである。
この主人公は漱石の家で飼われていたネコがモデルらしいけど、架空の物語のネコだって、有名になればちゃんとお墓ができちゃうのである。

ここに夏目漱石の奥さんだった鏡子さんの写真も載っていた。
鏡子さんというと、漱石に関心のある人にとってさけて通れない存在で、いろいろと漱石を悩ませた人としても知られている。
ただし、鏡子さんの名誉のために言い添えると、ほとんどは漱石が勝手に妄想しただけの悩みだったようだ。

ただ、鏡子さん本人の写真はあまり多くないようで、わたしもこの新聞の写真を見るまで、どんな風貌の人だったのかぜんぜん知らなかった。
美人のほまれ高かった森鴎外の奥さんと比べちゃ気のドクだけど、新聞にはあっけらかんと笑う庶民的な女性が写っていた。
なるほどね。
やっぱり漱石の悩みは当人の思い過ごしだったんじゃないかと考えて、なぜか安堵した。

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原民喜とエノラ・ゲイ

アノ朝日新聞に、広島に原爆を投下したB29エノラ・ゲイの機長の訃報が載っていた。
米国の原爆投下については抗議の声もあるけど、こちらに言い分があれば、あちらにはあちらの言い分がある。
すくなくとも組織の一員として、命令に忠実に従っただけの個人に文句を言っても仕方がない。
機長さんの遺言は、葬式はするな、遺灰は海にまいてほしいとか。
その意思を確認する方法はないけど、ひょっとすると彼なりに心のかっとうがあったのではないかと憶測したくなる。

原爆詩人の原民喜の小説 「夏の花」 の中に、B29が広島を俯瞰したあと、翼をかえしてふたたび青空のなかへ消えていくというみじかい文章がある。
その文章の最期の部分である。

・・・・・・静かな街よ、さようなら。
B29一機はくるりと舵を換え悠然と飛び去るのである。

これはもちろん詩人の想像の産物であって、ここでは原爆を投下はしてないけど、これがエノラ・ゲイの原爆投下前後の描写と考えてもおかしくない。
紺碧の空と白い積乱雲、それらを背景にゆっくりと動いてゆく小さな飛行機、悲しいくらい鮮烈な昭和20年8月6日のイメージである。

「夏の花」 の続編といってもいい「心願の国」の中にも印象的な部分がある。
夢のなかで歯の痛みを気にしていると、死んだ女房があらわれて、どこが痛いのといいながら指でくるりと歯をなぜてくれ、目をさますと歯の痛みは消えていたというものである。
そして踏み切りで列車の通りすぎるのを待っている詩人が、列車の振動にしだいに引き込まれていく心理描写がある。

原爆の惨状を目撃した原民喜は、その後生ける屍のような状態のまま、吉祥寺と西荻窪間の線路に身を横たえた。
エノラ・ゲイの機長は遠くはなれたアメリカで亡くなった。
原爆投下は遠い過去の話になったが、わたしは原民喜の本を読むたびに、戦争の悲惨さについて考えてしまう。

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2007年11月 1日 (木)

キーンさん

アノ朝日新聞に、と書いても今回はケチをつけるわけじゃない。
1日の朝刊に有名な日本研究者であるドナルド・キーンさんが文章をよせている。
キーンさんの著作を読んだことはいちどもないんだけど、この文章がおもしろい。
日本に来てから日本人流のおくゆかしさを身につけたのはいいが、遠慮しすぎて後悔したことがたくさんあると、いくつか実例をあげて、おさえたユーモアで淡々と述べている。
先日、神田の古本祭りで谷崎潤一郎の本を仕入れてきたばかりのわたしには、キーンさんが色紙のかわりに、谷崎の奥さんの狂言小舞を所望するエピソードがおもしろかった。
大谷崎の奥さんといえばいろいろ物議をかもしたこともある人だったけど、ここで踊った人は、時期的に考えて彼の最後の奥さんだったようだ。つまり物議をかもした人ではないようだ。
どたばたしたユーモアばっかりの昨今、わたしゃこういう文章が好きである。

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竹ペン

熊本のKさんが自らの工房で作っている竹ペンを送ってくれた。
このペンについての詳細は以下のホームページやブログを参照のこと
http://ekaki.ina-ka.com/
http://warazouri.cocolog-nifty.com/blog/

写真で見たことはあるけど、実物を見たのは初めて。
ペン先なんかといわれるかもしれないけど、いやどうして、なかなか精巧なものである。
わたしも往年のマンガ家 (のできそこない) だ。
ペンなら使いなれてると言いたいが、竹ペンというのは使ったことがない。
Kさんが送ってくれた竹ペンは6種類。太さがそれぞれちがう。
マンガを描く場合でも太さの異なるペン (金属ペン) を使うけど、わたしの場合せいぜい3種類ぐらいだった。

さっそく送ってもらった竹ペンで絵を描いてみたいが、いくらいいペンがあったって、絵描きの技術がともわなければ傑作なんか描けるわけがない。
うーんと考える。
まず竹ペンの個性から研究しなくちゃいけないなと。
こんなことをじっくり思案してると、いつになっても絵なんか描けないけど、竹ペンに刺激されてゲージツ家の本能がむらむら。
うむ。そのうち大傑作をでっち上げてみせるぞ。

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