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2008年3月

2008年3月31日 (月)

墓参り

身内の入院で帰省した。
わたしはお盆や中日にぜんぜん関心のないバチ当たりだけど、帰省したときぐらい殊勝な気持ちになってお墓参りをする。
わたしもそろそろいいトシなので、親父や親戚や友人知人など、だんだんお参りする対象も増えてきた。
彼らが天国 (や地獄) で語り合っているとは思わないが、墓参りは好きである。
チェコのノーベル賞詩人、ヤロスロフ・サイフェルトも同じようなことを書いていた。
  わたしは墓地へ行くのが いつも好きだった
  はじめは遊びに 栗拾いに
  それからこころをかきむしる 墓碑銘を読みに
  (中略)
  
  初めの信じやすい 衝動にうらぎられて 
  わたしはもう 墓碑銘を読まない
  墓石の上には茶色の栗の実が 音をたてて落ちている
  ああ 栗の実を拾う少年は いまどこに

  しかしわたしはまた墓地にいく
  昔のように
  古い塀づたいに歩いていけば ほぼその中ほどに
  忘れられたひとつの墓が 見つかる

この詩は新聞からの引用で、ちとぎくしゃくしているけど、わたしの意識の反映であると思えばあまり気にはならない。

わたしがわざわざお盆や中日に墓参りをしない理由は、なんといってもその静けさにある。
墓のわきで満開に咲くサクラをながめたり、まわりの畑をぶらついて、青い麦の上を風がさらさらと渡っていくのや、黄色いナノハナ、ホトケノザ、ツクシンボウなど、おびただしい野の花をながめたり。
以前にも書いたけど、あの世など信じていないわたしは、自分自身と語るために墓参りをしているように思う。

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2008年3月29日 (土)

とんぼ返り

できるだけ世の中と関わりをもたず、心身ともに身勝手に生きていこうと考えているけれど、そうもいかない場合がある。
実家から電話がかかってきて、親族のひとりが入院しましたなんて言われりゃ、のんきに花見をしてられないし、ブログも書いていられない。
この週末もまた田舎までとんぼ返りなんである。

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2008年3月24日 (月)

鄧少平

朝日新聞がときどき載せている 「東アジアの150年」 というシリーズが、いよいよ最終章だそうだ。
30日のそれは中国の改革開放政策を推し進めた政治家・鄧少平について。

朝日新聞のこのシリーズで、内容にまったくいちゃもんをつける余地がないものはこれがはじめてかもしれない。
わたしは鄧少平を偉大な政治家だと思っており、朝日新聞の記事は、もろ手こそあげてないものの、それを具体的に裏付ける書き方をしているからである。
政治家のエピソードには後から美辞麗句でつけ加えられたものが多いので、そうしたものの虚実をいちいちうんぬんしないけど、わたしが彼を尊敬するのは、彼が儒教の国の中国で、死後の個人崇拝を自ら拒絶した初めての政治家ではないかと思うからである。
スターリンの遺体はクレムリンにあり、孫文の遺体は南京にあり、毛沢東の遺体もたしかどこかに保存されているはずだが、鄧少平の遺体は焼かれて、遺言どおりその灰は海に撒かれと聞いている。
わたしも変人なもんで、彼の生きざまを見るとつい胸がすく思いがしてしまうのである。

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2008年3月23日 (日)

チベット

チベットの騒動は収まったのだろうか。
わたしは中国のこと全般について関心をもっているので、注意深く見守っているんだけど、さて、何が何してどうなってんのやら。

中国政府はぜんぶダライ・ラマ14世のさしがねだと言い張っているけど、よくわからないのは、そのラマ14世自身にとっても、今回の、デモというか騒乱というか暴動というか(受け取る人の立場によって使い分けなくちゃいけない)が、想定外だったような感触があることだ。
最近の14世は中国との対話を望んでいるようなので、ふつうに考えれば、彼がいまここで騒動を起こすとは考えにくい。
新聞などによると、14世のやり方は手ぬるいというので、強行的に独立をめざす一派もいるらしい。
チベットをめぐる運動もけっして1枚岩ではないということだろうか。

中国では貧富の差が拡大し、くわえて役人の汚職などで国民の反発が強まっているから、チベット人ならずとも、ちょっとしたきっかけですぐ民衆が暴動に走る土壌がある。
オリンピック直前ということで、いまなら中国政府も手荒なマネはできないだろうと、誰かが焚きつけた可能性はもちろんあるけど、今回の騒ぎの本質はそうした不満民衆の暴動と解釈すべきだろうか。
チベット側から明白なメッセージが発信されないことや、はっきりしたリーダーの存在が浮かんでこないことなどからも、なんだかただの暴動のような気がしないでもない。
もちろんダライ・ラマ14世も政治の権謀術数はよく理解しているだろうから、わたしたちのあずかり知らぬところで、誰がどんな策動をめぐらしているかわからない。

中国当局の14世に対する罵倒ぶりも目にあまる。
14世は話し合いを否定していないのだから、それに応じるだけの度量があってもいいんじゃないか。
ひょっとすると、オリンピックが終わるまでは何がなんでも現状維持で押し通し、その後は話し合いに応じるつもりかもしれない。
わたしが心配するのは、チベットに原理主義者のような、目的を達するためなら暴力破壊をいとわない集団が浸透しつつあるんじゃないかということだ。
そういう集団より、ダライ・ラマ14世のほうが、中国にとっても話し合いの相手としてよっぽどふさわしいだろうに。

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2008年3月22日 (土)

土筆ん坊

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土筆ん坊である。
野川のほとりを散歩していたら、どこかのおばあさんが2人、しきりになにか摘んでいる。手にしたビニール袋をのぞいたらツクシだった。
2週間ほどまえに探してみたことがあり、そのときはひとつも見つからなかったから、わが家の近所の野川には生えないものとばかり思っていたけど、探し方が足りなかったようだ。
今日は暖かな日になって、サクラのつぼみもピンク色にふくらみ、もう開花はいつでもOKという塩梅だ。大きな声で公言したくないけど、わが家の近所はかくれたサクラの名所なのである。

話がそれるけど、わが家の近所には国立の天文台がある。
その正門のまえに小さな植え込みがあって、そこに春になるとキンポウゲが咲いた。
キンポウゲは黄色い小さな花だけど、花の表面が金属のような光沢を持っているのでわかりやすい。
ところがここ3、4年、天文台のまえの通りが拡張されて、植え込みも新しく作り直されてしまった。
その後確認に行ってないのでわからないけど、キンポウゲはどうなっただろう。
人間が知らず知らずのうちに絶滅させてしまった動物や植物は多いのだ。ちょっと心配である。

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高校野球

ああ、ああ、ああ。高校野球が始まっちゃった。
以前、高校野球の結果はどうなりましたかと訊かれ、そんなものに興味がないのでわかりませんと答えたら、へえ、変わっているねと言われたことがある。
いったいいつからこの国じゃ、呆けた顔をしてテレビに熱中しないと変人てことになったんだ。
NHKもNHKだ。
どこをまわしても野球ばっかりって状態をなんとかせんかい。

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2008年3月21日 (金)

日銀総裁の不在

政治家でも官僚でも経済評論家でもないわたしが、日本経済について論じることは、天にツバするようなものだけど、日銀総裁、戦後初の不在って、ありゃいったいなんだ。
自民党嫌いで、どっちかというと野党に肩入れの朝日新聞でさえ、民主党をたしなめるような書き方をしているゾ。
あんなもの、誰がやったっておんなじじゃないか(と、これは個人的な考えだけど)。

けっきょくのところ、政権奪取の夢もチボウも失った野党が、ひたすら与党にゴネている図式にしか見えない。
日銀総裁がいなくても何も変わらないというハナシもありそうだけど、外国への手前、この時期に金融政策の責任者がいないってのはやっぱしマズいんじゃないの。
これ以上官僚に牛耳られたくないから、総裁は民間から選出すべきだなんていう意見もあるようだけど、へんな人を選ぶと、都知事さんのように役人に徹底的にいじめられることにならないかしら。
ひっくり返してながめても、財務省のベテランより民間出身者のほうがゼッタイにいいという意見に、絶対的な説得力があるんかねえ。
民主党の小沢代表が沈黙を守っているのも、野党議員のアホさかげんに、いいかげんあきれかえっているんじゃないか。

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2008年3月19日 (水)

アーサー・C・クラーク

夕刊にアーサー・C・クラークの訃報。
ご存じ 「2001年宇宙の旅」 の原作者である。
雑誌や新聞によく映画ベスト100なんて企画が載るけど、わたしはこの映画が10位以内に入っていないベストはいっさい認めない。
「2001年」 はSF映画の金字塔であると同時にわたしにとっての金字塔でもある。

ただ、SF作家としてのクラークはわたしはあまり買ってない。
小説よりも科学者の目で書いたエッセイのほうがおもしろい(これはたいていのSF作家にいえることだけど)。

「2001年」 にしても、傑作であるとの誉れは監督のスタンリー・キューブリックに帰せられるべきもので、クラークの役割は原案とアドバイスていどと考えるべきだろう。
彼はその後も続編をいくつか書いており、それらの中には映画化されたものもあるが、いずれもオリジナルを超えるどころか、キューブリックの偉業をおとしめるようなものばかりで、これでは商業主義を平然と受け入れる作家と思われても仕方がない。
正直いって、わたしは 「2001年」 の続編なんか書いてほしくなかった。

夕刊には書いてなかったけど、クラークは1945年に静止軌道衛星の理論をはじめて提示した科学者でもある。
現代のわたしたちは、アメリカから送られてくる大リーグの野球中継をべつに不思議にも思わないで見ているが、それは彼の理論の成果だ。
あたりまえすぎて、今では誰もその役割の重要性に気がつかないけど、通信衛星が果たした役割の大きさは (功罪を含めて) 計り知れないものがある。

ところがそんな彼にしてさえ、科学の進歩の早さは予知できなかったらしく、自分が生きているあいだに通信衛星が実現するなら、特許をとっておくんだったと、ユーモアをまじえて書いていた。

晩年の彼はスリランカに移住して著作、ダイビング、映画作り、そして宝探しなんかに熱中していたようである。
亡くなったのもその地だった。

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2008年3月17日 (月)

タイ料理

わたしは仲間うちでやっているパソコン同好会の主要なメンバーである。
パソコン同好会といっても、ねらいは会終了後の飲み会にある、というメンバーばかりである。
それはそれでいいけど、いいトシをしたおっさんばかりだから、行くところはだいたい赤チョウチンの和風飲み屋みたいなところばかりだ。
ふだんのわたしは飲むために外出することが少ないので、たまに出かける店がそんなところばかりでは物足りない。
昨日はひさしぶりに、あまり呑ん兵衛ではない別の友人といっしょだったので、変わったものを食べにいくことにした。
食べなれている人には笑われてしまうけど、2人ともこれまで美味の探求には無縁の人である。

吉祥寺の東急デパートの横のほうに 「××タイ」 というタイ式レストランがある。
ちなみにこの店の名前は、13世紀にタイ族によって成立した王朝のことで、幸福の夜明けという意味だそうだ。

タイ料理というとトム・ヤン・クンというものが有名だけど、わたしは食べたことがない。メニューを見たけどもちろんさっぱりわからない。
そこで適当にタイ式雑炊、ホタテとアスパラガス炒め、グリーンカレー、タイ式冷や奴、そしてタイのビールを頼んだ。

最初に持ってこられたのは、上に卵焼きが乗っているカレーライスのようなもので、これはカパオ・カイダーオというタイの人気料理だそうだ。
しかしそんなものは頼んでない。
おかしいとよく確認したら、メニューのホタテ、アスパラ炒めのすぐ上にあったので、コレと指で指したときまちがえたらしい。
さいわいまだ雑炊が作り始めてなかったので、そっちをキャンセルして間違いのほうを食べることにした。
いっしょに行った友人がライスを見て、タイ米だねという。

料理はどれもなかなか美味しかった。
すぐにわかったのはさまざまな香辛料が使われていて、ひじょうに複雑な味ということである。
暑い国のせいか辛いものが多い。
カパオ・カイダーオに福神漬けのような妙なものが添えられていたので、ナンダ、コレといって中身をつまんでみた。
かじってみてそれは唐辛子を刻んだものであることがわかった。
まもなく口の中に火がついた。あわててビールで消火する。
グリーンカレーなるものを注文した友人は、初めて食べるというのでビビっていたけど、これもけっこう美味しかった。
冷や奴は中国の味がした。
友人が香菜だろうという。
なるほど。
わたしは中国にはよく行っているので、そう言われれば、この強烈な香りのする野菜はおなじみである。

どっちかというとわたしは偏食のほうで、食べ物については好き嫌いが多いんだけど、たまに食べる変わった料理はいいものだ。
世間ではファミレスというものが幅をきかせているみたいだけど、なぜか微妙に美味しいと思えない。
東南アジアのエスニック料理は、これからしばらく探究してみようかという気にさせられてしまう。

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2008年3月14日 (金)

西安の城壁

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ややもすると時代に取り残されそうなわたしであるけど、目下は中国・西安旅行の写真の整理におわれている。
なんせ参加者のうち、4人の人間がそれぞれデジタルカメラを持って行ったので、撮影枚数もそうとうのものになった。
それを全部わたしのところに集めて、きちんと並べて1枚のDVDに焼こうというのである。

そんなこんなでブログがおろそかになってるけど、西安の写真を紹介してお茶をにごしておくことにする。

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テレビ電話

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中国の友人から電話がかかってきた。
これだけでもめずらしいのに、なんとテレビ電話である。
じつは最近わたしのパソコンにWEBカメラをつけてテレビ電話を始めたんだけど、インターネットを使えば、いちおう外国とでも無料で話せるというたてまえになっているものの、ほんとにタダなのかいと半信半疑だった。
タダでテレビ電話ができるなら、NTTはどうなっちゃうんだ。
誰も金払って国際電話なんかするやつはいなくなっちゃうんじゃないか。
そう考えると、タダってのはいくらなんでもムシがよすぎるような気がする。
そんなときはじっさいに外国へ電話してみればいいんだけど、そうそう外国にたくさんの友人がいるわけじゃない。
たまたま中国にEメールをやりとりしている友人がいたので、アンタもWEBカメラをやってみたらと勧めておいたら、相手のほうが電脳についちゃ先進的だったようだ。
わたしがうじうじと考えているうちにさっさと電話をかけてきたものである。

この時点でわたしはテレビ電話のために特別な料金は払っていない(カメラは別)。
それなのにパソコン画面にはちゃんと相手の映像が写った。
今度イヌを飼い始めたんだそうだ。
会話が不自由だったので筆談みたいなこともしたが、こちらが書いた文章をカメラのまえにかざすと、相手はそれを読んで返事をしたから、こちらの映像もちゃんと向こうに届いていたことになる。

うーむである。
素晴らしい時代になったつうか、おっそろしい時代になったつうか。
日本の電話会社の命脈も風前のともしびだな。

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2008年3月 8日 (土)

啓蟄

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ようやく土曜日になった。
散歩に最適の日になったので、例によってぶらぶらと散歩に出かける。
野川のあちこちで、水中に小魚の群れを見るようになった。
そればかりか、とうとうイシガメも冬眠からさめたらしい。

二十四節気なんか参考にしなくても、現実の野山で啓蟄はどんどん始まっている。
先日報告したカエルの卵もだいぶ形が変わってきた。
くねくねしたカンテン状の管が崩れて、ひとつひとつの卵が外に飛び出してきたように見える。
いよいよ孵化が近いらしい。

天気がいいので散歩やバードウォッチングをする人も多い。
現在は冬鳥と夏鳥が同時に見られるし、木にはまだ葉が茂ってないから、野鳥観察にはいちばんいい時期だ。
たかが2キロぐらいの往復のあいだに、カワセミなんか6、7回も見たぞ。

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2008年3月 7日 (金)

ぶつくさ

日々の稼ぎのほうは、熱心でない割には快調だけど、ブログを二つもかかえ、おまけにここんところ中国旅行の写真をホームページに貼っつけたりするのに忙しくて、散歩にも出られない。
どうしてわたしはこうお金にならないことに熱中するのか。
それがゲージツ家ちゅうもんさと、へたなごますりをされてもあまり嬉しくない。
早く週末にならないか。
こころおきなく春の野を散歩してやるのに。

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2008年3月 5日 (水)

マンサク

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うちの近くの野川公園ではいま春の幕あけを告げるマンサクが見ごろ。
マンサクという変わった名前は、花のかたちをよく見ると、豊年じゃ満作じゃと踊りくるう農民に似ているからだとか。
そういわれりゃ確かに、手足をくねらせて踊る人のすがたに見えてくるから不思議。
昔の人の観察眼に脱帽である。

ところで花はよく知られているけど、マンサクの葉がどんなかたちをしているか、知っている人はあまり多くないんじゃなかろうか。
マンサクの葉は、花から想像できないくらい丸くて大きいものである。

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2008年3月 4日 (火)

鵜とサギ

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散歩に出かけてユニークな場面に遭遇した。
川の中にサギがいて、その足もとで鵜が潜水を繰り返しているのである。
へー、サギと鵜ってのはこんなに仲がよかったっけといいたくなるくらい、両者の距離は近かった。
サギがその気になれば、足でぐいっと鵜を踏んづけられそうなくらいだ。
悪党の鵜と小心者のサギが謀議をこらしている図に見えなくもないが、ほんとうのところは、鵜が潜水して魚を追いかけ、サギはそのおこぼれを狙っていたんだろう。

陸からながめているかぎり、川の中に小魚なんか見えないけど、そのうち鵜が何か白いものをくわえるのが見えたから、落葉の下あたりに冬眠中の魚がいるにはいるらしい。

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2008年3月 2日 (日)

カエルの卵

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3月になったのでどこかにツクシンボウでも顔を出してないかと、野川のほとりをぶらぶらしてみた。
川の中にそろそろ小魚がわいてもいいころだし、普段より注意して水中をのぞいていて、榛沢橋のすぐ下に1~2センチの小さな魚の群れを発見した。
これがわたしにとって今年の小魚の見始めだ。
ようやくカワセミたちもたらふく食える季節がやってきたようだ。

ところでカワセミはカエルの子供なんか食わないのだろうか。
ワサビ田のそばにはカエルの卵がとぐろをまいていたっけが。
オタマジャクシはのろまだし、大きさからしてもカワセミの餌にちょうどいいくらいなのに。

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中国の農民

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先日、中国の西安へ3泊4日のツアーに出かけてきた。
帰りに飛行機が遅れて上海で予定外の1泊をするハメになったけど、その分のホテルもメシもすべて航空会社持ちだから、旅好きなわたしにとってはおまけをサービスしてもらったようなもの。
その追加のホテルは上海の浦東地区の片田舎にあって、躍進のはなはだしい都市部に比べると、まわりには運河やしっくい壁の民家など、100年くらいむかしの風景がたくさん残っているところだった。

朝早く、ぶらぶらと近所の朝市を見物してみた。
ここでは露天で野菜や川魚などが売られていた。
近所の農民や漁師が、その日の朝とれたばかりの収穫物を売りにきているらしい。
ちょうどいま、日本では中国から輸入された食品や野菜の農薬が問題になっている。
原因について、中国では日本にあるといい、日本ではおめえのところに決まってんだろと、言い分は平行線のようだ。
どっちにせよ、素朴な朝市のようすを見ていると、野菜については問題の基本的な部分は先進国にあるような気がする。

先進国がグローバル化というのか、野菜を大量に作って輸出すれば儲かるなんてことを中国の農民に教えこみさえしなければ、彼らはいまでも柄杓でコヤシをまいて、有機栽培で細々と作った野菜を、近所の町へ売りにいって、貧しいながらもその日その日をこころ豊かに暮らしていたんじゃなかろうか。
ある日とつぜん、農薬を使えば楽して大量の収穫が期待できるなんてことを知れば、無知な農民が飛びつくことは目に見えている。
中国は日本の過去の歴史を忠実に (急速に) なぞっており、そう、日本でもしばらく前までは農民が、同じように危険な農薬に依存していた時期があったのである。

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