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2008年4月22日 (火)

俳句

俳句というのは、作るものなのか、ひねるものなのか、もてあそぶものなのか。
こういう深遠な問題から説き起こして、世間にゴマンとある俳句入門書と一線を画しているのが、江國滋さんの「俳句とあそぶ法」というホン。
あまりまっとうな書き方をされるとなんでも反発したくなるわたしであるけど、この本は、よくぞ書いてくれたといいたくなるくらいおもしろい本である。

俳句というのは5、7、5の17文字で作るものであるといったら、おまえはオレを愚弄するのかと反論されるくらい、日本人は俳句についてよく知っている。
山頭火や一碧楼の作品のようなはみだし俳句は論外としても、やむをえず定型をはみだす場合は、字あまり、字足らずという逃げ道があることもよく知られている。
ほかにも季語を入れろとか、切れ字を重ねて使うなという規則がある。
江國さんの本はこういう規則をことさら無視するような書き方がしてあるのである。

切れ字というのは俳句でよく使われる「や」「かな」「けり」といった、終わりをしめる言葉のことだけど、じつは日本人なら誰でも知っている有名な俳句に、どうどうとこのルールを破った俳句があるとして、中村草田男の句が挙げてある。
  降る雪や明治は遠くなりにけり

なるほどと、まあ、このへんまではわたしも別段感心はしない。
俳句は季語を入れなければならないという規則について、江國さんはこんな季語を持ち出してきた。これにはおどろいた。
  雀海中に入って蛤となる

どれが季語だいと言うのではない。これ全部でひとつの季語なんだそうだ。
バカいうなよ。17文字で作るのが俳句なのに、これじゃあ季語だけでオーバーしているぜと、もちろん江國さんの本にもそう書いてある。

こういうむちゃな季語でも、昔の人はそれなりの作品をちゃんと作っているんだよと、ここでは漱石の句が挙げられている。
    子は雀身は蛤のうきわかれ
うーむ(感心のあまり絶句)。
こういう入門書ばかりだと、すこしはまじめに俳句の勉強でもしようかと考える人が・・・・・・・さて、はて、どのくらいいるだろう。

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