虚しさ
昨日は知り合いのお通夜。
特別に親しかったわけではないけど、企業でいえば上司にあたる方で、わたしの関わっている仕事のよき賛同者だった人。
そういうわけで元気なころのこの人の残像はいまでも脳裏にまざまざ。
このあいだまで元気だった人が、いまでは無かと思うと虚しさでいっぱいである。
800年も前のそんな虚しさを書いた古典がある。
平家物語の「入道逝去」の項は、平清盛の死を描いた有名な1節だけど、人間の気持は昔もいまもぜんぜん変わっていないなと思う。
・・・・・・・・こういう部分だけは変ってほしくないけど。
同じき7日の日、愛宕(おたぎ)にて煙になしたてまつり、骨をば円実法眼首にかけ、摂津の国へ下り、経ノ島にぞ納めける。
さしも日本一州に名をあげ、威をふるいし人なれども、身はひとときの煙となって、都の空に立ちのぼり、かばねはしばしやすらいて、浜の真砂にたわむれつつ、空しき土とぞなりたもう
わたしたちはまたいつかどこかで知り合いと会えるのだろうか。
それとも順番に地上から消えて、お互いに二度と会えるはずのないものなのだろうか。
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