ボスニア紛争
数日前の新聞に、ボスニア紛争の立役者のひとりが逮捕されたとの記事。
ラドバン・カラジッチ。
あまりおなじみのない名前かもしれないけど、わたしはこの名前に記憶がある。
90年代前半に、かってのユーゴスラヴィア連邦を血に染めたボスニア紛争は、ベトナム戦争やフォークランド紛争、湾岸戦争などとともに、わたしたちの世代がリアルタイムで体験した戦争のひとつだ。
ヨーロッパのかたすみから連日のように送られてくる凄惨なニュースの中に、ミロシェヴィッチ、ツジマン、ムラジッチなどとならんで、カラジッチの名前もひんぱんに耳にした。
この紛争は 「民族浄化」 という言葉を一般的なものにしたことでも有名で、民族間の激しい憎悪や猜疑心が爆発した戦争といっていい。
こうした紛争では当事者のすべてにそれぞれの言い分があるだろうから、わたしはどちらが正義かということはいわないけど、紛争の中でさまざまな民族が殺しあって、20万人の人々が犠牲になり、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争になったことだけは事実である。
この紛争はまた多国籍軍が干渉して、それが戦争終結に寄与した数少ないほうの一例になった。
他国の戦争に参加するのは何がなんでもけしからんという人もいるけど、例外もあるからむずかしい。
セルビアのもと大統領で、紛争をあおったとされるソロボダン・ミロシェヴィッチは、獄中で病死して戦争犯罪人の汚名をこうむるのを免れた。
今回逮捕されたカラジッチの裁判が、なにしろ20年ちかくも前の戦争なので、何か新事実をあきらかにするとも思えない。
たいていの人々は時間とともに凄惨な事件も忘れてしまうものだ。
多くの悲劇を生んだサラエボという都市にしても、いまではノーテンキな海外旅行の目的地のひとつに数えられるほど殺戮は過去のものになった。
わたしの部屋にはこの紛争の記録映画が録画してある。
これは紛争終了後に、当時の映像や代表者たちへのインタビューをまとめたすぐれたドキュメンタリーで、この映画があるおかげで、わたしはいつでもこの悲惨な戦争をなぞることができるのである。
こうした残虐さを記憶することが新たな戦争の抑止につながると思うのだが、残念なことに、いったいどれだけの日本人がこの紛争をおぼえているだろう。
| 固定リンク | 0
コメント
ベトナムについてのブログを書いています。
TBさせていただきました。
有難うございます。
投稿: ベトナム大好き | 2008年8月 2日 (土) 14時58分