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2008年10月23日 (木)

山男の死

ブログのネタでもないかと新聞の訃報欄をのぞいてみたが、著名なお方ではリーガル秀才さんぐらい。
残念だけどこの人について書くだけの知識がない。
パソコンの中にずっと昔に書いたメモがいくつか残っていたので、なんかネタになるものはないかと調べてみたら、こんなものがあった。
1993年9月1日の新聞記事と、その感想である。

『あれ、この人はまだ生きていたのかと、本人の死亡で初めてそのことを知って驚くことがよくある。
先日亡くなった作家の井伏鱒二氏がそうだし、今朝の新聞を読んでいたら訃報欄に載っていた、穂高山荘の創立者・今田重太郎氏もそうである』

以下、黄色部分は新聞記事のまる写し。
北アルプス・奥穂高岳に穂高山荘を建て、登山者の安全を守り続けた今田重太郎さんが老衰のため、岐阜県吉城郡神岡町の病院で亡くなった。
91歳だった。
17歳からガイドとして活躍。
1924年 (大正13年)、奥穂高に同山荘 (当時は穂高小屋) を建てた。
3年後に 「山の殿下」 といわれた故秩父宮殿下を山荘に迎え、奥穂高岳と槍ケ岳、笠ケ岳を案内した。
戦時中も山を守った。
終戦の年は8月1カ月間でたった2人の登山者しかなかった。
「終戦」 も下旬に山を下りて初めて知った。
戦後、登山ブームを迎え、山荘を拡張し、登山道の整備に努めた。
上高地から岳沢、前穂高岳を経て奥穂高岳へ登る新ルートは 「重太郎新道」 として地図にも残っている

『わたしには 「重太郎新道」 より、その途上にある、早逝した娘の名を冠した 「紀美子平」 のほうがロマンチックで印象に残っている。
あの世で重太郎さんはようやく娘と再会したことだろう。 瞑目』

登山にはいい季節になったけど、ここんところ書斎の人だからな、いや、ベッドの上でごろ寝の人だから、ワタシゃ。

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