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2008年11月

2008年11月30日 (日)

鯛焼き

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日曜日に家でじっとしているほどわたしは不健康ではない (そのかわり平日は徹底的に不健康なんだけど)。
今日は足腰の鍛錬をかねて国分寺あたりを歩いてきた。
最初に向かったのが駅から徒歩3分の殿ケ谷戸公園だから、鍛錬なんて言葉を使ったら怒られそう。

この公園は紅葉の名所らしく、それ目的の人たちがいっぱいだった。
しかし今年の紅葉はイマイチである。
紅葉するまえに葉がチリチリと枯れてしまっている木もある。
それでも見物のおじいさんおばあさんたちはウレしがっているようだった。

もうかなり昔のことだけど、ある年の台風のあと、近所のカエデの葉がいっせいに枯れてしまったことがある。
これは伝染病か害虫でもわいたかと不思議に思っていたら、そのうち新聞に塩害という文字がおどった。
台風のせいで海の塩分を含んだ暴風雨が荒れて、わが家の近所でも被害が出たのだそうだ。
そんなこと言ったって、べつになめて塩っからい雨が降ったわけでもなく、わたしの家から海まで20キロ以上ある。
植物というのは意外にデリケートなんだなと感心したものである。

殿ケ谷戸公園はとても小さいから30分で見物し終えて、つぎにいにしえの国分寺の旧跡めがけて歩いた。
ここまでは、駅前の地図によると徒歩20分だそうだが、たちまちアゴを出してよたよた。
原子爆弾が炸裂して世界がふたたび弱肉強食の世の中になったら、わたしなんかまっさきに食われるか、そのへんのアシの茂みにかくれてネズミでも追っかけているんだろうなあとしみじみ。

けっきょく国分寺跡まで到達せず、「はけの道」 という国分寺崖線の下に生じる流れの源流をながめて帰路につく。
帰りに駅ビルで鯛焼きを買って、いま部屋でそれをかじりながらこの文章を書いている。
尻尾の先までアンコが入っていておいしいと、いや、もう、怠惰というかエライというか。
意義ある1日をすごすのは本当にむずかしいものだ。

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美少女とアダルトとカウンター

ブログによくカウンターをつけたものがあるけど、このカウンターのしくみがよくわからない。
わたしは夜中まで起きていて、明け方にブログを更新することがしょっちゅうだ。
するとその5分後にはもうカウンターの数字がいくつか上がっていることがある。
夜中に起きて、たまたまわたしのブログを見ている人がどれだけいるだろう。
ひょっとするとわたしのブログをブックマークなどに登録している人がいて、そういう場合、その人が見ていなくてもカウンターが上がるのかもしれない。
しかし、それなら毎日ある一定の数字は確保できるはずなのに、日によってカウンターの数値はばらばらである。
60や70まで行く日もあれば、10に満たない日もある。
なんだ、これ。

ひょっとするとカウンターが上がるのはぜんぜん別の原因かもしれない。
というわけで、今回の記事はそれを確認するためのテストだ。

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2008年11月27日 (木)

胸騒ぎ

最近寝ていると胸騒ぎを感じることがある。
はて、誰か親族が亡くなったかねと考えてみるが、亡くなりそうな親族というと、ウチの年老いたおふくろしか心当たりがないが、彼女はなかなかしぶとく、わたしよりも長生きしそうな頑健なおばあさんである。
それより思い当たるのは、わたしの心臓もだいぶ長く使ってきたので、そろそろガタがきたんじゃないかというコト。
胸騒ぎというのは、心臓がフワフワして頼りないんだけど、痛みはないから気にしても仕方がない。
友人の中にはゲームの最中パソコンの前でポックリというのがいて、そういう死に方はうらやましいと考えているくらいだから、あわてて病院に行こうという気にもなれない。
それよりやりかけの仕事を片付けてしまいたい。
わたしはもうひとつのブログで、過去の中国の旅を日記ふうに書いていて、それがいよいよ終盤に入ったところだ。
これだけはやりとげたい。

わけのわからない因縁みたいな理由で厚生事務次官とその家族を殺傷した犯人は、2Kのアパートでパソコンにふけっていたらしい。
ひとつの部屋は寝室、もうひとつの部屋にパソコンが2台なんて聞くと、わたしの部屋にそっくり。
他人との付き合いもあまりなかったなんて、ますますわたしにそっくり。オイオイ。
こういう人が刃物を振り回すんだよと決めつけられても困る。
今の時代、わたし (やこの犯人) みたいな生活をしている人はそうとういるはずだで、これこそが昨今の独身者の、典型的なライフスタイルかもしれないのだから。

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2008年11月25日 (火)

ストリートビュー

話題、もしくは問題になっているグーグルのストリートビューを見てみた。
なんでも世界中の街角のようすが実写映像で見られるそうで、個人情報がなんのかんのと騒がれているアレである。
ただし世界中というのはあくまで将来のハナシで、現時点で見られるのは米国や欧州の一部、日本などの自由主義圏 (の、それも大都会) だけで、中国やロシアなどどちらかというと反米の国はダメなようだ。
世界中のすべての国がグーグルのカメラの侵入を許すとは思えないから、このシステムは早晩頓挫するような気がする。
それよりもわたしの個人的希望としては、あとのほうで述べる3Dストリートビューのほうが希望がもてそうだ。

なるほど、わが家の近所の映像が現れた。
わたしの車が置いてある駐車場もいくらか見える。
カメラの位置からすると、すぐ近くの交差点で撮影したらしい。
全方位カメラの存在については、ずっとむかし劇場で観たことがあるのでそれほど驚かない。

カメラは道路を前進していき、それにつれて新しい全方位映像がどんどん現れる。
しかしわが家の方向には来なかったようで、まっ正面からわたしの部屋を見ることはできなかった。
カメラで撮影しているわけだから、いくら見えるといっても限界があり、なんでもどんなところでも見えるわけではない。
のぞき趣味があるわけでもないわたしにはあまり役に立ちそうもない。

こんなものを作るより、地形や建物の高さかたちをすべてデータ化して、CGを使った3D  (立体画像) で街の映像を見せてくれたほうがおもしろい。
これならカメラでじっさいに撮影するわけではないし、現在のナビゲーション・システムがそうしているように、あらゆる道路、橋、遊歩道から琵琶湖の湖上や富士山のてっぺんまで自由に歩きまわれることになる。
カメラの映像ほど精緻にする必要はないから、ウチの表札が読まれてしまうなんて苦情もないだろう。

心配なことはただひとつ。
雨の日なんかつい散歩に出かけるのがおっくうになって、パソコン上のバーチャル散歩ですませてしまわないかということだ。

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2008年11月24日 (月)

レッドクリフ

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友人のおつきあいで 「レッドクリフ」 という映画を観てきた。
この映画については新聞に三谷幸喜クンが感想を書いていた。
彼はそれなり影響力のある人だから、もちろん公開中の映画をけなすことのできない立場にいる。
それで映画の内容については当たりさわりのないことを書き、せいぜい孔明と周瑜の友情が前面に押し出されているのが、原作とちがってちと気になると、その程度の感想でお茶をにごしていた。
こうした三谷クンの苦心惨憺の文章、そして本心はけなしたいのだがそれができないという立場を理解してやらなければいけない。
さいわいわたしは世間さまに遠慮も会釈もいらない人間だから、公開中だろうがなんだろうが、けちょんけちょんにけなすことができる立場である。

なんだなんだなんだなんだなんだ、この映画は!
まるでヘタな漫画家が描いた三流劇画みたいな映画だった。
CGを使っているから合戦のスケールだけはやたら大きいが、せせこましいチャンチャンバラバラばっかりで、めったやたらに血しぶきが飛び、スカッとした爽快感なんかひとつもない。
この映画の原作はとうぜん 「三国志演義」 なんだろうけど、お燗した酒がまだ温かいうちに関羽が敵将の首をかき取ってきたとか、諸葛孔明が並みいる論客をたて板に水で論破するといった痛快きわまりない場面が、もったいぶったニヒリズムにすり替えられていて、三国志の愛読者としてはイラつくことばっか。
悠久の中国を舞台にしてんだから、もっとロマンを感じさせる映画になぜせんのだ。
アラビアのロレンスみたいな映画にならんかったのか (唐突にロレンスが出てくるのは、もうすぐこの映画の最新バージョンがリバイバル上映されることがわかったから)。
おまけに、このあとパート2の予告編がありますというセリフで、長いラストクレジットまで付き合わされて、ま、これはそんなものにつられるこっちも悪いけど、予告編で十分だ。
ぜったいパート2なんか観に行ってやらんからな。

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2008年11月23日 (日)

すりこみ

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川のほとりのいつもの散歩コースには、常連のカルガモ以外に、この季節になるとマガモ、オナガガモなどがたくさんいる。
そんな川のほとりを散歩していたらカモたちが、わたしをめがけてわらわらと集まってきた。

はてね、いつからわたしは彼らの輝く明星になったんかねと不思議に思ったけど、考えてみたらこの日のわたしはコンビニで買い物をして、手に白いビニール袋を下げていた。
この川には夕方になるとカモたちに餌を与える篤志家のおじさん、おばさんが出没する。
おじさん、おばさんはいつもパン屑を入れた白い袋を下げてくる。
そういうわけで、カモたちは白い袋を下げた人間を発見すると、それ、またエサがもらえるぞーと集まってくるのである。
鳥には “すりこみ” という本能があるけど、わが家の近所のカモたちには白い袋がすりこまれちゃっているようである。

散歩コースで和服の模様にでもなりそうなきれいな紅葉を見た。
帰宅してざっと調べてみたけど、なんという木なのかわからない。
ナンキンハゼに似ているけど、実の色がちがうようだし。

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2008年11月22日 (土)

ハンマースホイの2

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しばらく前にハンマースホイという画家の個展を観に行って、『うまいのかヘタなのかわからないが、どこかアンバランスな絵だと思った。
デッサンが狂ってるんじゃないか』 などとブログに書いた。
この画家についてNHKの日曜美術館がとりあげて、この画家とその作品の奇妙な特質にもふれていたけど、総体としては静かなる詩情という売り込み文句を全面的に肯定する好意的な評価がされていた。

どうもわたしの見解とこの番組では評価の結論がちがうようだ。
この番組を観た人がわたしのブログの記事を読んだら、やっぱシロートだからな、いいかげんなことを書いてと思うんじゃないか。
弁解しとくけど、じつはわたしも個展のポスターを見て、なかなかすてきな絵だと思い、静かなる詩情というものを味わいに行ったのである。
じっさいに観てみると、詩情よりも、偏執ぎみの不気味さばかりが感じられる絵だったというわけだ。
添付した絵がポスターに使われていた絵で、これだけ見れば誰だって不気味な絵だとは思わない。

しかし彼の絵をもっとたくさん観れば、誰だって 『うまいのかヘタなのかわからないが』 と似たような見解をもつに違いない。
おことわりしておくけど、わたしはハンマースホイの絵をけなしているわけじゃない。
アンバランス、ゆがんだ構図、いびつなデッサン、画家の精神鑑定の必要さなどは、すぐれた絵画によく見られる特質なのだから。

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2008年11月18日 (火)

アブグレイブの虐待

最近、録画したテレビ番組。
オグシオのバドミントン試合。 新日曜美術館。 虐待の女王というドキュメント。 中国語会話。
やたらいろんなものに興味があるというか、分裂症というか。

「虐待の女王」 というのは、アブグレイブ刑務所でイラク捕虜を虐待した米軍兵士へのインタビュー番組で、米国を震撼させたこの事件にもういちど光をあてている。
社会のさまざまな出来事に関心のある人なら、首にヒモをつけた捕虜のわきで微笑む、あるいは裸にした捕虜のまえでポーズをとる女性兵士の写真をおぼえているだろう。
この番組ではその女性兵士へのインタビューもある。
彼女らがどんな証言をするのか興味があった。

結果をみれば、けっきょく巨大組織はほおかむりをし、当事者の兵士だけが罪をひっかぶせられた図式だけがうかびあがる番組だった。
まあ、やらないよりはマシだけど、米国の民主主義というやつは、告発はしょっちゅうある、しかしそれで事態が劇的に改善されるということはあまりないようだ。
ニクソン大統領が辞任したころは (そしてヘンリー・フォンダやジェームス・スチュアート、グレゴリー・ペックが生きていたころは) まだアメリカにも健全な精神が残っていたけれど、最近のアメリカは諸悪の根源といっていい国になってしまったみたいである。

アブグレイブ刑務所の事件でいえば、虐待を告発した兵士は米国の国防長官!から報復といえる態度で名前を暴露され、いまなお身の危険を感じる毎日だという。
これじゃ不正を告発する人間などいなくなってしまう。

わたしが虐待の現場にいあわせたらどうだろう。
エラそうなことは言いたくないが、やはりおだやかではいられそうにない。
正義感なんてものを持ち出さずとも、人間のふつうの感情として見ていられないと思う。
その先にまで踏み出せるかどうかは、まわりのしがらみを考えるとなかなかむずかしい問題で、そんな勇気があるかどうかは定かじゃないけど。

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2008年11月17日 (月)

この日曜日

この日曜日、わたしが所属する団体は泊まりがけの研修旅行だった。
去年はわたしも参加してみたんだけど、研修といってもいわゆる昔の農協さんの団体旅行みたいなもので、旅行ならなんでも好きというわたしにとってもあんまりおもしろいものではなかった。
夜になるとコンパニオンをあげてみんなで騒ぐんだが、参加者の多くがシワシワのおじいちゃんばかりなので、行儀よく、若い娘にお酒をついでもらってうひゃうひゃで終わり。
同じ農協さん主義でも昔のほうが、芸者をあげてのどんちゃん騒ぎで、もっと豪快だったように思う。
こんな旅行でも楽しみにしている人がいるようだからむげに反対しないけど、最近の不景気の中では、たまに出かける旅行も厳選しなくちゃならない。

というわけで今回はわたしは不参加だった。
それじゃあこの週末は、足腰の鍛錬のため秋色の濃い奥山に分け入ったとか、部屋で深遠なる哲学的思索にまみれていたというなら感心なもんだが、スーパーに出かけて安い刺身を買ってきて、ひとりでちびちびというていたらく。
どっちが有意義な日曜日かというと、これはなかなかムズカシイところである。

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2008年11月14日 (金)

帝国オーケストラ

しばらく前にNHKのBSで、大戦下のベルリン・フィルをとらえた 「帝国オーケストラ」 というタイトルの音楽ドキュメンタリーが放映された。
なんとなく興味があって録画しておいたけど、なにしろわたしは忙しい。
ほかにも観なければならない映画は多いし、ヤボ用はたくさんある。
それでこの映画をちらりと観たものの、それほど価値のあるものではないだろうと考え、なにしろBSで放映される音楽番組も多いのであるから、さっさと消去してしまった。

ところが最近になってこれと同じ映画らしいドキュメンタリーが劇場で公開されている。
えっえっえっ、と愕然。
新聞の映画評によるとなかなか感動的な映画らしい。
録画して、いつも通りDVDに焼いておけば貴重なコレクションになったものを。
わざわざお金を払って映画館に観にいく手間がはぶけたものを。
こうなるとほとぼりがさめたころ、またテレビ放映されるのをひそかに待つしかない。
早くほとぼりがさめろさめろと神頼み。
NHKの温情にすがる毎日である。

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2008年11月11日 (火)

ワイエス

先日の日曜日は米国の画家アンドリュー・ワイエスの個展を観てきた。

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ワイエスはアメリカの原風景ともいえる風景・人物を、徹底したリアリズムで描いた画家で、現役の画家としては米国でもっとも人気のある作家のひとりである(のだそうだ)。
アメリカにはアンディ・ウォホールを筆頭に、アクション・ペイントだとか落書きペイントだとか、いわゆるポップ・カルチャーが生んだ一群の画家たちがいるけど、それは技術や才能よりも、どっちかというとひらめきやアイディアが重要な絵である。
わたしは彼らの絵を欲しいとは思わない。
彼らの絵をプリントしたTシャツでもあれば十分だ。
しかしワイエスの絵はそんな軽いものではない。

わたしがワイエスを知ったのは朝日新聞の日曜版に連載されていた 「世界名画の旅」 というシリーズにおいてである。
そこで彼の代表作 「クリスチーヌの世界」 を観たのが最初だった。

添付した絵がそれだけど、観た瞬間はピクニックにでも来た女性を描いた絵かと思った。
そういや、マネの時代からピクニックは絵のモチーフとしてよく使われているもんなと。
しかしピクニックならサンドイッチ入りのバスケットや、草の上の敷物ぐらいあってもいいし、もっと楽しさがあふれていていいはずなのに、この絵では遠方に見える建物からひしひしと迫る孤独感のようなものしか感じられない。

解説を読んで女性が小児マヒの障害者であることを知った。
そういえば、よく見ると女性の手足は異常なくらい細く、奇妙にねじれているようである。
「クリスチーヌの世界」 は障害者の孤独と、それにめげずに生きるこの名前の女性を描いた絵だったのである。

今回の個展には 「クリスチーヌ」 は写真だけしかなく、人物画よりも建物やその習作が多かった。
習作というのは文字どおり、ひとつの作品のための練習作、もしくは下描きだけど、ワイエスのような大家でさえ、しつように習作を繰り返していることにおどろかされた。
彼の絵は基本的には水彩画だけど、老眼鏡を持ち出して絵の細部まで観察すると、ぼかしやにじみだけではなく、ひっかいたりこすったり、乾いた筆で色を塗るドライブラッシュなど、じつにさまざまな技法が駆使されているのがわかる。
いまからまた水彩画でも習おうかしらというわたしじゃ永遠にたどりつけない世界である。

最終作品はテンペラ絵の具で仕上げたものが多かったけど、水彩で描かれる習作の終りのほうのヴァージョンの中には、最終作品にまさるともおとらない傑作といってもいい絵もある。
わたしは水彩画が好きだし、省略の多い荒削りの作品もまた好きなので、とくにそう思ってしまうのである。

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2008年11月 9日 (日)

キャンドルナイト

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いつもの散歩コースの先のほうで 「11万人のキャンドルナイト」 という催しものが開かれるという。
その情報をくれた友人や階下に住む金髪クンとともに、散歩をかねてぶらぶら出かけてみた。

最近日本の各地の棚田などで、無数のローソクをともして風景をいろどるという、これに類した催しものが多い。
写真で観ると、幻想的でなかなか美しいものである。

とうぜんそういうものを期待して出かけたのだが、じっさいの光景はイマイチ。
原因は会場が広すぎて、せっかくのローソクが散漫になってしまっているせいらしい。
会場を周遊するコースはローソクの灯でふちどられていたけど、コース以外の場所にはほとんどない。
わたしは芝の上や池のほとりなど、会場のいたるところにローソクが置かれ、会場全体が満天の星のようにきらめいているのではないかと思っていたのである。
これではどうにももの足りない。

ある場所では川の中にローソクがともされていて、これはまあ、キレイだったけど、規模が小さすぎる。
来年はもっと場所をしぼって、たとえば川とその岸辺だけに限定して、ほんとうに天の川の降臨みたいな景色にしたらどうだろう。
いくつかのローソクはゆらゆらとゆれながら川を流れていくなんて、これこそ幻想的ではないか。

こんなキャンドルナイトだったけど、それでも会場に押しかけたのは家族連れやオンナの子らの大群衆で、金髪クンが、カルト集団かと思いましたよというのがいい得て妙。
人の数が多いので、見物は交通整理されて行列をつくらなければならない。
行列に並ぶのがキライなわたしだけど、いったん列の最後にくっついたら終わりまで行かないと出られないのであった。

列からはなれて写真を撮っていたら、ボランティアの娘が、人民警察みたいな口調で、列からはずれないで下さいという。
見るとなかなか美しい娘だった。
ローソクより彼女のほうがいい写真になりそうだったから、撮らせてくださいとカメラを向けると、あれぇーといって逃げてしまった。
最近のオンナの子はたいていそうだけど、写真を撮られると、それだけで処女膜の2、3枚も失うんじゃないかと恐れているようである。
こんな世の中に誰がしたと、不遇なおじさんカメラマンに思い知らせるキャンドルナイトでありました。

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2008年11月 6日 (木)

黄葉

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熊本のKさんが阿蘇の根子岳に登ったそうで、ブログにみごとな紅葉の写真を載せている。
http://warazouri.cocolog-nifty.com/blog/

わたしもこのあいだの日曜日に奥秩父までドライブしてきたところで、そのおりの紅葉(黄葉)の写真を載せておこう。
ただし、Kさんはじっさいに山に登って撮ったものだが、こちらは街道から撮ったものである。
最近のわたしはだんだん山と疎遠になっている。
疎遠になるから足が弱り、足が弱るからますます山と疎遠になる。
悪循環である。
かっては日帰りで雲取なんか踏破したもんだけど、だらしがないことだ。

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2008年11月 5日 (水)

豆腐

わたしは豆腐が好きである。
夏は冷奴、冬は湯豆腐で、のべつに豆腐ばっかり食べている。
自分でマーボ豆腐を作ることもある。
そんなわたしであるから豆腐の銘柄にもうるさい。
このあいだまで Oyamaという豆腐ばかり食べていたが、どうしたものか、最近いつも行っているスーパーに置かなくなってしまった。
メラニン混入問題でもあったのか。
それならわたしの体調がいちばん先におかしくなってもいいはずなんだけど。

仕方がないからコンビニの豆腐なんかをいろいろ試してみたが、なかなかわたしの嗜好に合う豆腐がない。
先日、駅前のイトーヨーカドーに行ったら、なんとかいうトコ製の 「和ら絹」 という豆腐があった。
こいつを2コばかり購入して、さきほど湯豆腐にして食べてみたら、これがなかなかうまい。
やわらかくて箸でつまむのも難儀するような豆腐だけど、しばらくはこればかり食っていそうな気配がする。
もちろん味覚なんて人それぞれで、豆腐の数だけ個人の嗜好もあるだろうから、あえて他人に薦めるようなことはしないし、豆腐の製造元もあきらかにしない。

朝日新聞の寅さん特集が終わったので、録画してあった 「男はつらいよ」 の第1作を観ながら、湯豆腐でイッパイやる。
よくぞ日本に生まれけりである。

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2008年11月 3日 (月)

新井信太郎さん

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この連休は友人と秩父方面へドライブに行ってきた。
11月のしょっぱなの連休は紅葉の見ごろにあたるので、いちおう紅葉見物ってつもりだけど、今年の色づきはイマイチという感じ。
きれいなのはドウダンツツジくらいで、カエデなどは紅葉というより赤くちぢれて枯れているような葉が多かった。

三峰神社では、なんかイベントをするようで、参道にたくさんのローソクが用意してあった。
わたしはふだん神仏に頼る生活はしていないから、賽銭箱に十円玉を入れた。
バカにしてんのかと神さまが怒らなければいいが。

神社の関係者が、今日はここで雲取山の仙人の講演がありますという。
雲取山の仙人というのは雲取山荘のあるじの新井信太郎さんのことで、いやしくも奥多摩、奥秩父あたりをフィールドとする山好きなら知らぬ者はないだろう。
わたしもかって雲取山に登り、山荘でこの人を見たことがある。
頭にタオルをまいて、天気のいい日に屋根に布団を干していた。
※写真は1989年の雲取山にて。あ、もう20年も前か。

三峰神社は雲取山への登山口のひとつだけど、わたしはこっち方面から登ったことがない。
売店のおばさんに雲取山ってどれですかと訊いてみた。
おばさんが教えてくれたのは、二つばかりピークを越した先にある三角形の山だった。
なるほどと納得するのはかんたんだけど、最近のわたしの足ではなかなか大変なコースのようだ。
こんなところで山荘のオヤジさんに出会ったのもなにかの縁かもしれないが、この日は先を急ぐので講演の開始まで待っていられなかった。

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