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2008年12月

2008年12月31日 (水)

似顔絵

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不景気だからこの正月もあまり浪費しないようにと、金のかからないヒマつぶしを考える。
朝から風呂に入って本を読んでいるなんてのもいいけど、なんか小原庄助サンみたいである。
わたしの場合、つぶすような身上はないからいいけど。

で、ひさしぶりに絵でも描いてみるかと考えた。
わたしはむかし、マンガ家をこころざしたことがあって、そういう道具はまだいくらか残っているから元手はかからない。
ただし、ペンを置いてから十数年たつ。
腕のほうはだいぶナマっちゃっているだろう。
そういうわけで、とりあえず描いてみたのが、このブログでも時々紹介している熊本のKさんの似顔絵。
ま、似てるかどうかはKさんのブログを参照してもらうとして(本人の写真も出ています)
http://warazouri.cocolog-nifty.com/blog/

ひさしぶりにペンをとって思ったのは、描くのは手間ヒマかければそれほどむずかしくないけど、むずかしいのは当人に似せること。
この絵のもととなった写真では、Kさんはモナリザのようにひそやかな微笑みを浮かべているのだが、わたしの絵では描いたわたしの緊張を象徴するように、かたい表情になっている。
で、世間様には、Kさんはもうすこしやさしそうな人でありますとおことわりし、Kさん本人には、ひさしぶりに描いたのだからこの程度でガマンしてねと謝っとこ。

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擁護する

不景気で師走のせわしいこの時期に、解雇、住まいを追い出される人もいる。
ちょっとひどいよなあと友人と話したら、かならずしもそうは思わないと返事をされた。
この友人に言わせると、非正規雇用者というのは、景気のいい時期には企業に拘束されるのがイヤだという理由で、自由きままに生きていた人なのだから、困ったときに慌てて支援を訴えるのはおかしいのではないかということだそうだ。
ことわっておくけど、この友人もけっして血も涙もない人間ではない。
不景気難民についてこころを痛めているふつうのサラリーマンである。

世間にはこういうふうに、同情はするけど、身勝手じゃないのかというわだかまりも持っている、勤勉なサラリーマン・タイプの人が少なくないのではないか。
じつはわたしもどっちかというと、生粋の自由きまま派なので、ウーンと考えてしまう。
こうした人を前にして不景気難民を擁護するにはどんな論陣を張ればいいだろう。

定職にもつかない人たちの中には、ひじょうにまじめなんだけど、ちょっとした失敗でも大きな責任を感じてしまうような人がいる。
そういう人はとても組織の中で生きていけないんだと言ってみた。
そんな人はひとにぎりだろうと友人はいう。それはその通りである。

自由きままに生きている人たちの中には、海外を放浪するのもいとわないような頑健な体の持ち主もいれば、心臓の強さでもわたしなんかよりよっぽどたくましいのがいる。
そういうタイプのほうがずっと多いにちがいない。
彼らのためにどんな論陣を張ればいいのだろう。

わたしは世間がみな一律に同じ考えをもつような社会が好きじゃない。
つまり世間の常識というやつがキライである。
この世の中は、さまざまな考え方、生き方が混在しているからこそ変化や多様性が生まれるとは考えられないだろうか。
戦前の挙国一致体制じゃないけど、みんながみんな同じような考えを持つのは、かえって危険な社会といえないだろうか。
おそらくは、自由きままに生きている人たちも、社会に対してそれぞれなんらかの役割を持っているはずである。
そして彼らはべつに出世をしたいとか金持ちになりたいとか思っているわけではない。
そういう考えがあってもいいのではないか。

今回の景気悪化は、日本を代表するような企業でさえ、予想をはるかに上まわるものである。
しかもその原因をつくったのは、今なら誰にでもわかるようなバカバカしい金融商品を乱発したエリートたちである。
自由気まま派といえど、不景気の被害者にはちがいない。
こんなとき、あいつらは自由きままに生きていたんだからと片付けていいものだろうか。
なにも彼らにいい職業や一戸建てを与えよといっているのではない (彼らにそんなものを要求する権利はない)。
ただ現在の苦境を乗り切るために、生きてゆくだけの仕事や住まいを確保させよと言う論はどうだろう。

わたしの張る論陣はかなり強引かもしれない。
この意見について、もっとほかの人の意見を聞きたいものだ。

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2008年12月28日 (日)

イディス・ヘッド

ちょっと古い映画通ならイディス・ヘッド Edith Headという衣装デザイナーの名前をご存じだ。
ものの本によると、アカデミー賞の衣装デザイン部門で、過去に8コもオスカーをもらっている猛烈おばさんである。
このおばさんは刑事コロンボ・シリーズに本人役で出演したこともあるそうだけど、1981年に亡くなっているから、それ以降は (追悼作品でもないかぎり) 映画との関わりを失っている。
彼女が最後に衣装デザインを担当したのは1978年の 「結婚狂奏曲セクステット」 という映画らしい。

M010

ところが2004年になって 「Mr.インクレディブル」 というピクサーのCGアニメを観ていたら、イディスが堂々と登場していた。
これはアニメだし、クレジットのどこにも彼女の名前はなかったけど、登場する衣装デザイナーは、小柄でおかっぱ頭、たらした前髪とちょっと出っ歯でしんらつな物言いなど、イディス・ヘッドのキャラクターに間違いない。
映画の最後に 「イディス・ヘッドに捧ぐ」 なんて言葉がないかと注意していたけど、残念なことになかったようだ。
日本版、米国版の映画データベースでイディスの経歴を調べても、「Mr.インクレディブル」 についての記載はぜんぜんない。
しかしわたしと同じことを考えた人はほかにもいるらしく、ネット上にアニメのキャラとイディスをならべた画像が見つかった。
古い映画ファンとしては、彼女の最後の出演作は 「Mr.インクレディブル」 で決まりである。

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2008年12月25日 (木)

超不景気

愛車がおかしくなったのでトヨタに放り込んできた。
年末の忙しいときになんたることだ (じっさいにはぜんぜん忙しくない、ヒマ!ヒマ!ヒマ!)。

徒歩で帰宅して、さて今夜は何をしようか。
呑みにでも行くかと考えたが、この不景気のさなか、わたしひとりが散財して景気昂揚のために努力しても、蟷螂がカマをふりまわすようなものだ。
こんなときはひたすら蟄居して、できるだけ金を使わないように生活防衛をすべきである。

ということで、買いおきの酒と作りおきの総菜と炊きおきのゴハンだけで夕飯をすませ、あとはひたすらパソコンでひまつぶし。
おおっと感心してしまう。
なんと、この日のエンゲル係数 (家計の食費が占める割合) はゼロである。
こうやって30日を過ごせれば、未曾有の不景気なんてちょろいもん。

と、いっしゅん考えたけど、カスミを食っちゃあ生きられないし、係数ゼロのしわ寄せは明日、あさってにかならずやってくる。
夕刊を読んでいたら、東尋坊まで自殺しに行ったもと派遣社員の方が、危機一髪でNPOに救われたなんて記事が出ていた。
他人ごとじゃないよ、オイオイってなところ。

夜、部屋の外へ出てみたら星がきらきら。
環境保護やエコ対策に最大の効果を発揮するのが、超不景気であることだけはよくわかりました。

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2008年12月24日 (水)

大掃除

彼女をデイトに誘ってみたら、今日は大掃除をしなくちゃいけないのでダメといわれた場合、男たるものどうすればいいだろう。
答えのひとつが、こっちも大掃除をするってことである。
デイトがダメではどうせほかにやることはあまりない。
そこでふだん不精なわたしであるが、一念発起で年末の大掃除をすることにした。

まずほこりをたっぷりためこんだ部屋のカーテンの洗濯だ。
全部いっぺんに洗濯機に放り込んだら洗濯機がまわらなくなってしまった。
風呂場の天井にはカビがみえる。
カビとり剤を吹きかけ、こっちは水泳用のメガネをかけてあお向いてゴシゴシ。
水泳用のメガネがないと、そそっかしいわたしのことだから目の中に塩素系の薬品がしたたり落ちる可能性がある。
台所のガスコンロや流しのまわりも薬剤を使ってゴシゴシ。
だいぶ以前に仕掛けておいたゴキブリホイホイに大きなゴキブリがかかっていた。
パソコンやテレビのまわりは配線がクモの巣のようである。
このさい2台あった古いVHSビデオデッキは処分することにしたので、これだけで配線は目にみえてすっきりした。

掃除をしていたら 「広辞苑」 が出てきた。
使わないときは枕にでもなりそうなぶ厚い辞書で、買ったとき5000円もしたものである。
ただし最近では電子辞書版が出ているので、こんな厚くて重い辞書を使う人はあまりいないようだ。
だいたいわたしからして電子辞書の愛好家なので、活字版の 「広辞苑」 があることなど最近ではすっかり忘れていた。

つい、なつかしくなってパラパラとページをめくったら、これが活字中毒者のオソろしいところだけど、掃除なんかほっぽらかしてこれに見入ってしまった。

活字版と電子版の最大の違いは、さし絵があるということである。
最新の電子版にさし絵が入っているかどうか知らないが、辞書の場合、さし絵のあるなしは便利さの大きな違いとなる。
たとえばの話、“大篆” “小篆” というモノについて、文章だけの説明ではどんなものかさっぱりわからない。
活字版のほうはさし絵つきなので一目瞭然である。

こいつはおもしろい、捨てるには惜しいというわけで、厚くて重くて、部屋がいつになってもかたづかない元凶である「広辞苑」は、あいかわらず部屋の一角に居座ることとなった。
ああ、早くさし絵つきの電子版を出してくれえ。
部屋の掃除がかんぜんに終わるまでにはまだ日にちがかかりそうだぞお。

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2008年12月21日 (日)

冬の森

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自然の中に花なんかほとんど見られない季節だけど、森の中をよく注意しながら散策していると、赤や青の真珠のような植物の実に出会うことがある。
この2つとも近所の里山で見つけたもの。なんという実だろうか (まん中はマンリョウらしい)。

ソ連映画 「戦争と平和」 は、トルストイの長編を当時のソ連が国の威信をかけて製作した大作だが、その中に主人公のアンドレイが森の中のカシの木をながめて感慨にふけるシーンがある。
彼はナポレオンとの戦争に出征するのだけど、そのとき自宅の近くの森のカシの木は枯れて見るかげもなかった。
落葉した木を見上げてアンドレイはしみじみと人生の無常観を感じるのである。

戦争で負傷した彼はいったん自宅にもどる。
やがて春が来て、カシの木はまた青々とした葉をつける。
それを見た彼は生命のたくましさや復活への希望を知り、ふたたび戦場に出て、そこで戦死するのである。

森の中で木々を見上げると、いまは冬枯れで見るかげもない。
わたしもアンドレイのようにしみじみと無常観を感じるかと思ったら、そうじゃなかった。
わたしにはこの写真から、春を待ちわびる妖精たちのはずむような歌声しか聞こえない。

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2008年12月19日 (金)

お年玉

不景気でもなんでも情け容赦なく正月はやってくる。
年末に解雇、寮を出て行けといわれる非正規労働者の方々には残酷な話だ。
いったい誰がお年玉なんてものを考えついたのか。
こんなものは盆と師走ぐらいしか親元へ帰れなかった年季奉公時代の名残りじゃないのか。
いまどきのガキは年がら年じゅう親のスネをかじり、衣食住のお世話になっていながら、千円や2千円のお年玉じゃ満足しそうにない。
年末年始をどうやって過ごそうかと苦慮する大人にとって、お年玉は悪夢だ。
これがあるばかりに帰省もできない労働者もたくさんさんいるにちがいない。

わたしには子供がいないから、与えることはあっても与えられることはない。
お年玉をめぐる攻防では、わたしは最大の攻撃目標なんである。
このさい法律でお年玉の上限を決めてもらうわけにゃいかんものか。
小、中学生なんざ3千円で十分だ。高校生になってはじめて (ゆとりのある人のみ) 5千円までを認めることとする。
大学生にお年玉なんざ、とんでもない!
不労所得はゼッタイにいかんというルールを子供のころから知らしめて、社会のきびしい現実を体験させたほうが、日本の未来のためにぜったいにエエと思う。

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2008年12月18日 (木)

年賀状のデザイン

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あー、まだ年賀状を 1枚も書いてない。
書いてないだけじゃなく、まだ年賀状そのものを買ってない。
べつに義理や慣例を順守するような人生を送ってないから、そんなもん必要ないんだけど、それでも毎年、来た年賀状にだけは返事を出すことにしている。

年賀状を書くのにわざわざそれ用のソフトを買ってきて、パソコンで制作する人もいるようだが、わたしはほとんどワードや一太郎だけで作ってしまう。
だいたい干支の図柄なんかほとんど使わないし、どうしても必要ならこれまで自分が撮った写真の中に、ウシでもウマでも、はては龍のような空想の動物でも、たいていの画像がそろっているからそれを使う。
なんなら自分で描くことだってできる。

ちょっとばかり工夫して、自分なりの年賀状をつくること。
わたしにとってそれは義務ではなく、年末のささやかな楽しみでもある。
ちなみに過去にわたしがつくった年賀状のデザインを載せてみよう。

2002年と2005年の図柄には中国旅行で撮った写真が使ってある。
2006年はもっとずっと古い北海道旅行の写真から (年賀状に過去の写真を使ってはいかんという法律はない)。
2008年はふざけてイタズラをしてみたもの。
こうした画像の下にちょっとした文章を書きこむ。
そんなわけで、既成の年賀状におさまらないわたしの年賀状の評判はなかなかいい (と勝手に思っている)。
さて、今年はどんなアイディアでいこうか。

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2008年12月17日 (水)

わが家の紅葉

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世間さまの標準ではちと遅いけど、わが家の庭の紅葉がピークである。
なにも奥山まで分け入らなくても、自然豊富なわが家 (アパートだけど) でじゅうぶん紅葉は楽しめるのだ。
風流は動かずあわてず、部屋で寝て待てというところである。

 千早振る神代もきかず立田川からくれないに水くぐるとは

勝手に現代文に直してあるけど、古今和歌集や百人一首で有名な歌である。
紅葉で赤くそまった山のはなやかさをうたった歌で、からくれないはとうぜん “唐紅” かと思ったら “韓紅” だそうだ。
相撲取りの立田川が、女郎の千早におカラをあげないなんて話も世間に流布されているようだけど、それは落語のほうの話である。

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2008年12月16日 (火)

わかちあい

イヤな夢をみた。
勤めていた会社を解雇される夢である。
若いころなら、こっちから辞めてやらあで困らなかったけど、最近ではそうもいかないようだ。
わたしのような無能力者では、いま解雇されたらホームレスにでもなるのが関の山だろう。
ホームレスだって生活費はかかるぞ。
で、首でも吊るしかないかというところで目がさめた。

いまさらながら、いやな世の中になったものである。
最近では非正規社員という存在が増えて、企業は景気の動向に応じて自由に社員の数を調整できるらしい。
おまけにそういう社員の失業保険や厚生年金も払わないのが企業の流行だそうだ。
企業は現状をしのぐのに精いっぱいらしいけど、年金も払えない若者を放置しておけば、けっきょく遅かれ早かれ、社会の破たんは目に見えている。

企業には企業の言い分があり、会社がつぶれたらモトも子もないのだというなら、せめて非正規社員の住まいぐらい確保したらどうだ。
寮を安価な簡易宿泊所として提供したらどうだ。
寮を維持するにも金がかるってえのか。
仕事はなくとも住まいさえあれば、そのあいだは他の仕事をして食いつなぐぐらいのことはできる。
国民ひとしく苦しんでいるとき、そのくらいの苦しみはわかちあってもいいんじゃないか。
日本はほんらい紙っぺらを移動するだけで儲けるような商人の国ではないのだから、景気が回復すればふたたび技術立国として、ほかの国に先がけて立ち直ることも可能だろう。
それまでの辛抱なのである。
それまで石にかじりついても労働者を守るべきなのである。

さいわいわたしは自営業もどきのことをしているから、解雇という事態だけはまぬがれている。
しかし、それだって人一倍努力したわけではなく、ついなりゆきでそうなったようなものだ。
わたしはなんて幸運な時代を生きてきたのかと、いまの若者たちに申し訳なく思ってしまう。

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2008年12月15日 (月)

腕時計

腕時計がイカれた。
安い時計だけど、いちおう防水だった。
それなのに前回の電池交換のとき、防水機能をそのまま保つ気密テストつきの交換ではなく、安い時計だから適当でいいよとお手軽な交換ですませ、しかもそのあとで沖縄へ行ったとき、ついうっかり時計をしたまま海に潜ってしまった。
壊れるのは時間の問題だったわけだ。
こういうときに備えたわけじゃないが、安い時計でよかった。

この時計についてひとつエピソードがある。
あるとき友人がわたしと同じ腕時計をしているのに気がついた。
おお、キミもなかなか目が高いねといってみたら、同じように見えるけどオレのは高いんだよとのこと。
たしかに、比べてみると、彼の時計はわたしのよりずっしりと重かった。
彼の時計はなんとかいうブランド時計で、わたしのはそれを真似て作ったコピー商品だったらしい。
そういえば彼は金持ちの御曹司で、わたしは貧乏人のこせがれである。
しかし、負け惜しみでなくいうが、わたしは宝くじが当たっても高価な時計を買おうとは思わない。
また潜水をしてしまうかもしれないし、それ以上に、ウカツ者のわたしはそういう小道具をすぐ紛失するクセがあるからである。
海外旅行に行くにも要注意だ。
香港あたりの強盗は、高価な時計とみれば、ナタで腕をたたき切っても持っていくそうである。

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2008年12月14日 (日)

釣りと読書

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開高健の 「オーパ!」 は彼の小説エッセイ中の最高傑作である。
といっても過言ではないくらいおもしろい本だ。
彼の書いた本はほかにもベトナム戦記だとか食べ物や酒に関するエッセイがあるけど、トップセールスを記録したのは、ダントツで 「オーパ!」 (とそれに続く釣り紀行記) だと思われる。
だいたい釣りをやらないわたしが読んでもおもしろい本なので、名実ともに最高傑作と断言してしまう。

 

彼の一連の釣り紀行の中に “人生に退屈したくなければ釣りをおぼえなさい” という警句があったはずだけど、そういう点ではわたしは不幸であった。
ただ、ある歳になってから気がついたことだけど、釣りの好きな人がかならずしも釣り紀行を読むとはかぎらないし、読書家が書斎で釣り竿をみがいている光景も想像しにくい。
釣りと文学は同じような形而上学的趣味と思われるのに、じっさいはぜんぜん異なるものであるらしいのだ。

 

開高健や井伏鱒二のように、女房より釣りを愛した作家もいないじゃないけど、夏目漱石から椎名誠にいたるまで、釣りの好きな作家はけっして多くない (椎名誠サンはたまに釣りもやっているけど本質的に好きとはいえないようだ)。
釣りをやらないかわりに読書をおぼえたわたしは、おかげでなんとか人生に退屈しないでいるし、どちらもやらない人よりはマシだろうと考えることにしている。

 

と、釣りに関するゴタクをごたごたと書いてきたのは、熊本のKさんが自分のブログでみごとなタイを見せびらかしているからだ。
http://warazouri.cocolog-nifty.com/blog/

 

忘れずに言っておくけど、釣りをやらないわたしだけど、タイの刺身なんてのは大好物なんである。

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2008年12月13日 (土)

鴎外の「鶏」

前項でふれた森鴎外の 「鶏」 は、すでに著作権が切れているので、ネットで検索すれば丸ごとの文章が見つかる。
タダで読んでみたい人はそうしたものを読むといい。
ネット上では横書きのものが多いので読みにくいという場合は、コピーして縦書きに変換し、自分なりの冊子を作るなんてテもある。
短編ではあるし、鴎外のゆいいつのユーモア小説といわれているので、文豪の作品の中ではわりあい気楽にとっかかれるもののひとつだ。
昨今の乱れた日本語の氾濫の中で、たまにはこうしたきちんとした文章を読むと、精神が洗われるような気分になる。

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エコ対策

知り合いが業界紙(というほどのもんでもないが)に、鍋料理が温暖化防止に効果ありと、風が吹けばおけ屋が儲かるみたいなことを書いていた。
鍋料理をすればコンロの火で部屋が暖まるからストーヴが必要ないってことだそうだけど、ストーヴがコンロに変わっただけで、けっきょくCO2を排出するのはおんなじじゃないか。
これはじつは農水省のキャッチフレーズなんだそうだ。
お役人さんの考えることは判じるにも手間がかかるもんだ。

森鴎外の 「鶏」 という短編は、この作家が書いたゆいいつのユーモア小説だそうだけど、この中にエコ対策や環境保護の模範となるようなことが書かれている。

森鴎外は軍医総監という、軍隊の中のお医者さんとしては最高位に登りつめた人だから、とうぜん軍隊の内情や規律にも詳しかった。
明治の日本軍は朝鮮や満州などに出兵することが多く、現地では水や食糧の供給も思うにまかせないことが多いから、そうしたものをいかに大切に使うかについて、兵士たちに心得のようなものを持たせていた。
そうした心得のひとつに、洗面器2杯の水で体を洗う (つまり入浴をすませる) というのがある。
やり方については 「鶏」 の中で鴎外が説明している。

これなんか現代でも通用するエコ対策の見本といっていいだろう。
豊かな時代には豊かな生き方がある、そこまでしてと反論する人がいるかもしれないけど、現代はそろそろ豊かさにかげりのみえてきた時代だ。
エコ対策というのはまだ余裕のあるときにこそ有効なもので、いやおうなしにエコ対策をしなければならなかった、戦後の焼け跡時代みたいになってからでは遅いのだ。

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2008年12月 9日 (火)

里山歩き

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弔問に行ってもしまいには呑んで騒いでしまうようでは不健康きわまりない。
たまには健康散歩でもしたほうがよかろうと、むかしの仲間に誘われてウォーキングに参加してきた。
目的地はあきる野市にある 「横沢入」 という、ちょいとは知られた里山だそうだ。
わたしはぜんぜん知らなかったけど、四季おりおりの季節の変化が楽しそうなところである。

田んぼの入口に柵があって、立ち入り禁止の看板が出ていた。
まじめなわたしたちは、わざわざ都の管理者に電話して立ち入りの許可をとった。
この里山はかって開発業者の手で住宅地にされそうになったことがあるそうだけど、わたしたちは不動産屋ではありませんとことわる。

昼の11時ごろで日かげにある田んぼの切り株には氷が張っていた。
この季節には小動物はあまり見られないけど、褐色の山の木々にかこまれ、ススキの穂が風に吹かれていて、そろそろ人生の秋を感じ始めたメンバーのいくたりかには、わびさびの俳諧気分が身に染むところである。
里山から、そのへんの低山を登ったり下ったり、市街地のはずれにある公園まで3時間ばかり歩き、最後は立川にまいもどって、けっきょくは呑み屋で呑んだり食ったりの反省会。
やっぱりこれがなくちゃ始まらないといういつもの不健康な里山歩きだった。オイ。

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2008年12月 7日 (日)

団塊のライブ

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昨日の土曜日は、先輩の奥さんが亡くなったので弔問にいく。

焼香がすんだあと、ビールを飲みながら先輩にいろいろ話を聞いた。
男やもめになった先輩はこわもてで有名な人なんだけど、最後までせいいっぱいの奥さん孝行を尽くしたようだから、早死にしすぎたきらいはあるものの、不幸な人生の末路があふれるこの時代においては、まあ、故人の人生は幸せだっといえるのではないだろうか。

先輩をはげますつもりがつい長くなった。
河岸を変えましょうかと、先輩宅の近所にある、ときどき有名なタレントさんもくるというスナックに、総勢6人で繰りこむ。

この店は土曜日の夜はライブハウスになるそうである。
演奏者はエレキのギターとベース、それに店長自らのエレキ・バイオリンのトリオでなかなかユニーク。
レパートリーはベンチャーズやサンタナから東海林太郎まで飛び出して、どっちかというと団塊の世代にとってなつかしい曲がほとんどで、そのせいか客のほとんどが、わたしたちももちろんそうだが、若いとはいえない顔ぶれである。
ベンチャーズこそわたしの音楽遍歴の原点であると信じるわたしには、ひさしぶりに聴くテケテケテケはなつかしい。
この演奏にボーカル担当として、お店のママさん、そしてこの晩はプロの歌手だというきれいな女性も出演した。
客のほとんどが常連だから、最後は演奏者と一体になって、リズムはとるわ、ステップは踏むわ、マラカスやタンバリンを勝手に持ち出しての大騒ぎ。
いや、楽しいライブでありました。

興奮さめやらず帰路につくとき、ふと思い出した。
はて、わたしたちは今日はなんのために先輩のお宅へ訪問したんだっけ。

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2008年12月 4日 (木)

わっからないの2

前項でカウンターのしくみがよくわからないと書いたけど、これはしくみを理解して、それを悪用して、じゃんじゃんカウンターの数値を上げて、スポンサーでもつけて金儲けをしようという深慮遠謀じゃアリマセンからね。
純粋に好奇心から。どう考えてもわからないから。
カウンターを上げる手っ取り早い方法は、ようするにイヤラシ系のブログを作っていやらしい写真を並べるコトってことぐらいわかっているんだけど、そんなコンテンツ持ってないし、そんなもん作っても自分のカタルシスや自己表現にはつながらんしね、うん。

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2008年12月 2日 (火)

わっからない!

カウンターのしくみがよくわからないので、11月30日のブログでテストをしてみた。
ブログのタイトルにいやらしい言葉をたくさん使えば、世の中にはそういうものを偏執狂的に蒐集している人が大勢いるらしいので、検索に引っかかる割合が増えて、カウンターの数字がじゃんじゃん上がるんじゃなかろーか。
結果は、そんなことなかったみたいだ。
「美少女とアダルトとカウンター」 なんて思わせぶりなタイトルにしてみたのに、その日にかぎってアクセス数が増えたってことはなかったようである。
そうなると、あー、わからない。カウンターのしくみがわからない。
なんで気まぐれみたいに、アクセスが (広い範囲で) 増えたり減ったりするんだろー。
カウンターが根拠のあるものなら、その増減にはなにかしら理由があるはずだ。
誰かおせーて。

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2008年12月 1日 (月)

ワイルドライフ

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ちょっと前に米国の画家アンドリュー・ワイエスの個展を観てきて、リアルな自然風景の描写に感心したことがあるけど、彼の絵を観ていてずっと昔に観たある絵のことを思い出した。

いまから30年ちかく前に 「ワイルドライフ」 という月刊誌が発行されていた。
これはナショナル・ジオグラフィックのような、たくさんの写真でもって、自然科学、人文地理などを紹介するもので、日本ではそういう本のはしりのような雑誌だった。
この本で使われている写真があまりに素晴らしかったので、わたしは毎月購読していたのだけれど、惜しいことに数年後に廃刊になってしまった。

この本には写真だけではなく、ときどき野生の世界を専門に描く画家の絵が載ることがあった。
それが写真にもまして素晴らしかったのでおぼえているのだが、ここに取り上げたのは 「ワイルドライフ」 に掲載されたリャン・プルトブリエという画家の絵で、「マガモの生活」 という本から転載されている。
野生の世界を描くのだから、画家自身も野生動物の生態にくわしいのは言うまでもない。
水彩で描かれたその自然風景の描写は、冒頭のワイエスの絵に通じるものがある。
ワイエスは有名だが、地道に活動している画家の中にもすぐれた画家がいるものだ。

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