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2008年12月31日 (水)

擁護する

不景気で師走のせわしいこの時期に、解雇、住まいを追い出される人もいる。
ちょっとひどいよなあと友人と話したら、かならずしもそうは思わないと返事をされた。
この友人に言わせると、非正規雇用者というのは、景気のいい時期には企業に拘束されるのがイヤだという理由で、自由きままに生きていた人なのだから、困ったときに慌てて支援を訴えるのはおかしいのではないかということだそうだ。
ことわっておくけど、この友人もけっして血も涙もない人間ではない。
不景気難民についてこころを痛めているふつうのサラリーマンである。

世間にはこういうふうに、同情はするけど、身勝手じゃないのかというわだかまりも持っている、勤勉なサラリーマン・タイプの人が少なくないのではないか。
じつはわたしもどっちかというと、生粋の自由きまま派なので、ウーンと考えてしまう。
こうした人を前にして不景気難民を擁護するにはどんな論陣を張ればいいだろう。

定職にもつかない人たちの中には、ひじょうにまじめなんだけど、ちょっとした失敗でも大きな責任を感じてしまうような人がいる。
そういう人はとても組織の中で生きていけないんだと言ってみた。
そんな人はひとにぎりだろうと友人はいう。それはその通りである。

自由きままに生きている人たちの中には、海外を放浪するのもいとわないような頑健な体の持ち主もいれば、心臓の強さでもわたしなんかよりよっぽどたくましいのがいる。
そういうタイプのほうがずっと多いにちがいない。
彼らのためにどんな論陣を張ればいいのだろう。

わたしは世間がみな一律に同じ考えをもつような社会が好きじゃない。
つまり世間の常識というやつがキライである。
この世の中は、さまざまな考え方、生き方が混在しているからこそ変化や多様性が生まれるとは考えられないだろうか。
戦前の挙国一致体制じゃないけど、みんながみんな同じような考えを持つのは、かえって危険な社会といえないだろうか。
おそらくは、自由きままに生きている人たちも、社会に対してそれぞれなんらかの役割を持っているはずである。
そして彼らはべつに出世をしたいとか金持ちになりたいとか思っているわけではない。
そういう考えがあってもいいのではないか。

今回の景気悪化は、日本を代表するような企業でさえ、予想をはるかに上まわるものである。
しかもその原因をつくったのは、今なら誰にでもわかるようなバカバカしい金融商品を乱発したエリートたちである。
自由気まま派といえど、不景気の被害者にはちがいない。
こんなとき、あいつらは自由きままに生きていたんだからと片付けていいものだろうか。
なにも彼らにいい職業や一戸建てを与えよといっているのではない (彼らにそんなものを要求する権利はない)。
ただ現在の苦境を乗り切るために、生きてゆくだけの仕事や住まいを確保させよと言う論はどうだろう。

わたしの張る論陣はかなり強引かもしれない。
この意見について、もっとほかの人の意見を聞きたいものだ。

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