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2009年2月

2009年2月26日 (木)

かんぽの宿

「かんぽの宿」 でゴタゴタ。
わたしは旅行が好きだけど、金のない人間だから、安い宿の存在は切実な問題である。
わたしの所属する団体も共済組合が運営する安い保養所をもっていたのだけど、この不景気の荒波にあっという間に沈没、消滅してしまった。
ケシカラン。
こういう宿は利潤を追求すべきもんではないはずだ。
それより共済のリストラ、幹部の手当を削減しろと八当たりをする。

「かんぽの宿」 は利用したことがある。
たいていは大きくてきれいな建物で、それで値段は安い。
なかなか貧乏人にはありがたい宿だった。
しかしよく考えると、きれいで安いというのは、ひっくり返せば赤字体質ということである。
だから小泉クンはそれを売っぱらって、日本の赤字を減らそうとし、鳩山クンはその売り値が安すぎるといちゃもんをつける。
政治家のやることなんて、あとからアラを探そうと思えばいくらでもみつかるだろう。
どっちがけしからんという問題じゃなさそうだが、ふてぶてしい鳩山クンの微笑みからは、変人の小泉クンに対する反感みたいなものが感じられる。
本心はあかさないが、彼ももともとは誰かさんみたいに郵政民営化には反対の立場だったのだろう。

そのへんはさておいて、わたしは安い 「かんぽの宿」 にぜひ存続してほしい。
売却を白紙にもどしたら、そのあとはいったいどうなるのか。
現状のままでも合理化などで、きれいで安くて、かつ黒字は可能だという人もいないじゃないが、親方日の丸であるかぎりそれは無理なんじゃないか。
公務員改革は、歴代政治家のだれにもなしとげられず、小泉クンみたいなカリスマ総理にさえできなかったみたいに。
そういう点を踏まえた上で、わたしの言わんとすることは・・・・・・・

いいじゃねえか、赤字のまんまで。
安い料金で泊まらせてもらって、損失は郵政にじゃんじゃん補てんしてもらおうじゃねえか、というヤケッパチみたいなもんなんだけど。

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2009年2月23日 (月)

アカデミー賞

「おくりびと」 っていう映画がアカデミー賞だって。
わたしも時間をつぶすのに困って、たまたま上映していたこの映画を観たことがあるんだけど、その感想は08年9月27日の過去ログを参照してもらうことにして、はっきり言ってそんなに大騒ぎするような映画かってなモン。
つい最近、BSで 「欲望という名の電車」 や 「波止場」 といった、古いアカデミー賞作品をいくつか放映したけど、こうした映画と比べると、時代も変わったよなあと思わざるを得ない。
アカデミー賞の質が落ちたのはいまに始まったわけじゃないけど、日本の映画がこの賞 (外国映画賞) をもらうのは初めてというから、持ち回りの順番が来たのかしらと考えてしまう。

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2009年2月22日 (日)

カエルの卵

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土曜日。
部屋の外にはさんさんと陽がかがやいているので、暖かいのかと思い、薄着で散歩に出かけたら、風は手がかじかむほど冷たかった。

まだ水ぬるむころにはほど遠いにもかかわらず、野川の水中にカエルの卵が生みつけられているのを発見した。
3メートルほどの範囲の中ににょろにょろぐちゃぐちゃ、1匹のカエルが産んだとは思えないほどの量だった。
このへんで夏になるとよく鳴き声を聴くのはウシガエルだけど、これはヒキガエルの卵らしい。

カエルの卵は去年もこのブログに載せたけど、その後しばらく観察していると、オタマジャクシになったものは近所の子供たちにどんどん採られて、最後にはほとんどいなくなってしまった。
今年は、はたして何匹が親ガエルになれるだろう。

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2009年2月20日 (金)

トンネル

録画してあった 「沸騰都市」 というテレビ番組を観た。
これは世界の新興都市をリポートしたドキュメンタリーらしいけど、いちばん最近放映されたものでは、わたしがいま住んでいる東京が取り上げられていた。

番組の中に建設中の渋谷~池袋の地下を走る首都高速の山手トンネルがでてくる。
新宿から池袋の区間はすでに完成しているから、わたしもすでに車で何度かここを走ったことがある。

都内に大規模な地下道を作るについては、ちょっと考えると、簡単ではないだろうということは誰にでも思い当たる。
なんとなれば大都会にはすでに地下鉄などが網の目のように走っているので、新しい地下道はさらにさらに地下深く作らなければいけないはずだから。
番組では3Dアニメを使って、そのへんの事情を視覚的に説明していた。
じっさいに走ってみたって運転している者にはほとんどわからないけど、すべて完成したあとの山手トンネルは、田園都市線、井の頭線、地下鉄千代田線、京王線の下をくぐり、おまけに地下水路になった神田川までくぐり、中野坂上あたりでは地下鉄丸の内線と大江戸線のあいだのせまい部分を通りぬけ、さらに中央線、東西線、西武新宿線をくぐり、大江戸線としばらく上下に並行して走り、西武池袋線、地下鉄有楽町線と、障害物を上に下にかわしながら走ることになるのだそうだ。
人さまが知らないうちにやっていることだけど、じつにもう大変な工事らしい。

将来の地下道や地下鉄はもっともっと下に行かなくちゃいけないだろうから、こういう状態が続くと、新しい地下道の建設現場ではあちこちで温泉が湧くのではないか。
東京が草津や別府をしのぐ日本最大の温泉地になる日も遠くはないかも。
石油がないのが残念だけど、間違えてマグマを噴出させなければいいが。

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2009年2月17日 (火)

香港

ちかいうち香港に出かけるかもしれないので、いろいろ下調べをしている。
「地球の歩き方」 はもちろんのこと、香港について書かれた本はかたっぱしから読んでやろうとして、古本屋で見つけたのが、山口文憲サンという人が書いた 「香港・旅の雑学ノート」 という文庫本。
他人の名前にカタカナでサンをつける場合、揶揄するような表現になるので要注意だが、この人の場合はそうしても怒られないだろう。
というのは、この本自体が香港を徹底的に揶揄したみたいな愉快な本だからだ。

だいたい旅のガイドブックというと、ホテルやショッピング、食べ物などと、内容に一定のルールがあるものだが、この本が最初に紹介しているのが、はなやかな香港の看板についての哲学的考察、じゃなくて、ようするに野次馬的解説なのである。
ほかにも、香港の新聞の三面記事を取り上げたり、(今でもこんなものがあるのかと思うような) 映画館や場末の床屋の解説、女学生の風俗についてなど、あんまり役に立たない情報が満載で、ガイドブックと思わなければこんなにおもしろい本はあまりない。
そうかといってウソやでたらめが書いてあるわけではない。
その底を透かしてみると、意外に物事の本質をついているのに驚かされる。

この人の書いた香港に関する本は、ほかにも 「香港世界」 いうのがあるらしいので、ネット・オークションをのぞいてみたら、その文庫本が100円で出品されていた。
10円上乗せして競っておいたら、商品の公開期限をすぎてもナシのつぶて。
110円じゃ梱包手数料にもならんというんで出品者がひっこめちゃったのか、それともわたしの手順にどこかドジがあったのか。
読みたかったけどな。

予定通りならツアーまで残り1カ月。
山口文憲サンの本は返還まえに書かれたものなので、内容に陳腐化したところはあるかもしれないが、そこはそれ、想像という人間さまの特技をおおいに活用して、時空を飛び越え、ゴッタ煮の香港を楽しんでこようと思う。

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2009年2月16日 (月)

ホームレス歌人

朝早くおきて朝刊を読んでいたら、新聞に 「ホームレス歌人さん連絡求む」 という記事が載っていた。
金融危機が悪化した昨年末から、新聞の読者投稿歌壇にほぼ毎週入選している無名の歌人がいて、その人に名乗り出てほしいという記事である。
この歌人さんは目下ホームレスらしく、いつも投稿人の住所にそう記して投稿してくるのだという。
おそらく金銭欲などもたない無口な文学青年、もしくはそのなれの果ての人なのだろう。

朝日新聞では月曜日の朝刊に投稿歌壇があるのだけど、今朝のその欄でもこのホームレス氏の歌が入選していた。
 哀しきは寿町と言う地名長者町さえ隣りにはあり

ちょっと石川啄木を思わせる歌だけど、きびしい時勢に押し流されているホームレスの悲哀がそくそくと伝わってくる歌である。
ひとつだけではたまたま偶然にできた秀歌ではないかと疑う人もいるだろうから、新聞に載っていたこの人の他の作品も引用してみると
 鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ捨てたのか
 パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
 美しき星座の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻
※グレコはシャンソン歌手ジュリエット・グレコのことだろう。

無能力者のわたしには、自分はなんとかホームレスにならずにすんでいるということで、しみじみともうしわけないという気持ちにさせられる歌である。
世間には歌ごころよりも財務能力にたけた人のなんと多いことか。

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2009年2月15日 (日)

ゴッドファーザー

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BSで 「ゴッドファーザー」 放映された。
ネットで調べてみたら
『緻密な人間描写、そして重厚な人間関係・・・・・・・・ この映画が製作されたのは70年代だが、PARTIIと併せ、今に至ってもこれを越えるギャング映画はまだない』 だとさ。
最大級の賛辞ってのはこういうことを言うみたいだけど、ホンマかいな。
わたしの観たところ、たんなる劇画調のギャング映画で、この程度なら日本のヤクザ映画のほうがずっとマシなものがいくらでもある。
それでも録画したのは、70年代を代表するモンダイ作だからってことで、つい記念にと考える映画マニアの悲しいさが。
ああららら。コッポラ君がその後落ち目なのもむべなるかなだと思う。

映画はロクなもんでなくても、この人だけはさすがってのが添付した画像のヒト。

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2009年2月12日 (木)

キューバ

夕刊の訃報欄に知った名前が。
オルランド “カチャイート” ロペス。

すでに忘れられているかもしれないけど、2000年に公開された音楽映画 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」 でベースを弾いていたおじさんである。
映画の中でとくに目立っていたわけじゃないけど、なかなか感動的な映画だったのでわたしは彼の名前もおぼえていた。
もともと骨董品的音楽家たちを主役にした映画だったので、メンバーの訃報はこれが初めてじゃない。
コンパイ・セグンド、ルベーン・ゴンザレス、イブライム・フェレールらもとっくに亡くなっている。
この映画がなかったら、極東の島国の夕刊に彼らの訃報が載ることはぜったいになかったに違いない。

わたしはキューバという国に、他の国にはない思い入れがある。
つい先日NHKがフィデル・カストロの番組を放映したけど、激しい闘争をへて革命に成功した指導者は、たちまち今度は自分が権力をむさぼる抑圧者になってしまう例が多いなかで、カストロは最高指導者になったあとも初心を忘れない稀有な例のように思うからである。

キューバが独立して以来50年、米国の経済制裁で国民生活は苦境にあるようだけど、上記の 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」 にも見られるように、音楽と自由を愛する国民性は失われていない。
社会主義国だけど、中国や朝鮮に比べると、貧しくとも人々は幸福に暮らしているようにさえみえる。
映画を制作したライ・クーダーのように、米国人の中にさえそうしたキューバを愛する人は多いのである。
まして守銭奴のように金にこだわる米国が、金融危機でガタガタになっている昨今、そのすぐ横っ腹で、頑固にわが道をゆくキューバには、わたしはこころから讃辞を送りたいくらいなのだ。

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2009年2月11日 (水)

満韓ところどころ

前項でふれた夏目漱石の 「満韓ところどころ」 だけど、てっとり早くテキスト版をネットからダウンロードしたあと、読みやすいように自分で縦書きに直した。

つぎにやったのは、文章のいたるところにカッコしてふってあるふりがなの削除である。
なにしろ明治の文章だから、現代っ子や漢字の多い文章に不慣れな人には読みにくいだろう。
そう考えてやたらにふりがなをふったらしいけど、わたしにとってひじょうに目ざわりだ。

ただ削除作業の段階で気がついたのは、ありふれた漢字でも明治時代と平成 (昭和もふくめて) では、読み方が違うものがあるということ。たとえば
 『大きな足に牛の生皮 (きがわ) 縫合せた』
 『足を踏込 (ふんご) んだ』
 『向うの甲板にいる乗客 (じょうかく) の』
“なまかわ”、“ふみこんだ”、“じょうきゃく” だっていいじゃないか。
これが明治の読み方なのかと疑問に思ってしまう。

青空文庫に文章を載せて 『入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さん』 だそうだけど、もちろんそれなり見識のある人たちなのだろう。
そしてこの読み方には根拠があるのだろう。
読者の中には明治と平成の漢字の読み方比較論なんてものを研究している人もいるかもしれないから、ふりがなを最初から削除しろとはいわないけど、わたしの場合、わからない漢字はとばして、表意文字である漢字の特権をふりまわした勝手な読み方をする。
ようするに内容がわかればいいのである。
読み方や単語の意味はわからなくても、スジがわかればいいという方法で、わたしはこれまで古典なども読破してきたのだ。
英語ではこの方法が通用しないから、それはネット上の翻訳機能を使う。
もちろんそんなものはぜんぜんアテにならないからサッパリわからないけど。

すっきりさせて読みやすくなったあと、つぎに感じたのは、朝日新聞の連載記事だったとは思えない差別用語の乱発だった。
これはまた別の機会にふれよう。

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2009年2月 9日 (月)

漱石と是公

ちょっと前にこのブログで、ネット上の 「青空文庫」 についてふれたけど、目下それにハマっちゃっている。
ここにはすでに著作権の切れたものを中心に、小説やエッセイなどがおびただしく掲載されていて、パソコンとネット環境さえあればそれらをただで読むことができるのである。
全部読んでいたらきりがないので、とりあえずパソコン内に専用のフォルダをつくって、わたしの関心のある紀行記、旅行記の類を (ダウンロードして) そこへ集めることにした。

ここで夏目漱石の 「満韓ところどころ」 を発見したのはうれしかった。
これは満鉄総裁だった中村是公の招きで、漱石が満州、韓国を旅したときの見聞録である。
わたしは漱石に凝ったことがあるので、この文章の存在は知っていたが、それほど長い文章ではないので、本屋で買おうとすると、けっきょく他の文章と抱き合わせになった全集のようなものしかない。
漱石の他の文章はほとんど読んでいるわたしには購買意欲がわかないものだったのである。
というわけで、これまで読んだことがなかったのだが、はからずも 「青空文庫」 でただで読めることになったわけだ。

小説家の夏目漱石と役人の中村是公の取り合わせを不思議に思う人がいるかもしれない。
漱石が権力ぎらいだったことはよく知られているし、(漱石にいわせると) 是公は小説などぜんぜん読まない男だったそうだ。
ただ、知る人ぞ知る。漱石と是公は学生時代に同じ下宿の釜のメシを食った仲だったのである。
このへんの事情は 「永日小品」 というエッセイに描かれている。
だから 「満韓」 の中で彼は旧友のことを、終始是公と呼び捨てにしている。
とちゅうでまわりの人間がみんな総裁と呼ぶのに気がついて恐縮するのだが、そのあたりもふくめて、この文章には漱石らしいひょうひょうとしたユーモアがあふれている。
まだ全部読んでないが楽しみである。

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2009年2月 7日 (土)

写真2枚

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先週はまだちょっと早いかなという感じだったフクジュソウ。
落葉のあいだから顔を出した春の便りのひとつ。

この季節、川面をのぞきこんでもコイ以外の魚のすがたは見えないけど、どこかへ行ってしまったわけではなく、水にしずんだ落ち葉や石の下にひっそりかくれているようだ。
カワセミやサギの仲間を観察していると、いまでもときどき彼らが小魚をとらえるのを見ることがある。
うちの近所でいちばんよく見かけるサギはコサギだけど、こいつは片足で水底をせせって、飛び出した小魚などをついばんでいる。
ほおっかむりこそしてないものの、なんか人間のドジョウすくいみたいで、なかなか器用である。
もっとも小魚ばかりではないようだ。
どう見ても魚には見えない黒っぽい獲物をくわえることもあるから、川エビや水生昆虫なども食べているらしい。

そういうわけで、今日はまたデジカメを持って野川のほとりをぶらぶら。
ちなみに写真は安いコンパクト・デジカメで撮っている。
野川のほとりでは望遠レンズつきの一眼レフ・デジカメを持って、野鳥の大傑作を狙っているカメラマンも多いけど、ずぼらなわたしはお手軽なコンパクト一辺倒である。

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コンビニの盛衰

わが家の近所のコンビニが閉店した。
原因は近くにもう1軒のコンビニができたからである。
新しいコンビニは駐車場が広く、使い勝手がいいので、最近はわたしもそっちばかり利用している始末だ。
まさかわたしというお得意さんを失ったせいじゃせいだろうけど、資本主義下の過酷な栄枯盛衰をまざまざと見せられたような感じがする。

ふと、こんなことを思い出した。
中国の上海駅のとなりに、かって龍門賓館という高層のホテルがあった (今でもあるけど)。
なにしろ駅まで徒歩5分という立地条件なので、わたしが初めて上海に出かけた1992年ごろには★が4つか5つの高級な部類のホテルだった (はずである)。

10年以上たってからまた泊まってみて、ビックリした。
龍門賓館のすぐとなり、それも駅側に、龍門賓館とそっくりの新しいホテルができていた。
大きさも同じくらいなら外観もそっくり。
ここまでやるといやがらせと思いたくなるようなホテルである。

もともとあった龍門賓館はたちまちさびれ、サービスがやけっぱちみたいに下落して、今じゃ★がいくつか知らないが、じつにリーズナブルなホテルに堕落した。
しかし、こういう場合、中国人はじつに潔い。
もともと資本主義がお得意の国民気質があるから、やられたほうがわるい、ということできっぱりあきらめてしまうのである。
日本のように談合や情実などのつけ入るすきはないのだ。
貧乏なわたしたちにとっては、駅のすぐとなりに安いホテルができたということで、歓迎すべきことであるのだが。

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2009年2月 6日 (金)

エコ・カー

ホンダもハイブリット車だそうだ。
日本車のこの分野の進出ぶりは世界中の自動車メーカーを震撼させているはず。
もちろんベンツもポルシェもボルボもいちように。

金融危機で政府の支援をアテにする米国の自動車メーカーも、言い訳がましく、近いうち電気自動車を発売するからなどと発言している。
残念ながら米国のメーカーの言い分はぜんぜん信用できない。
発売したとしても日本や欧州のメーカーの車に太刀打ちできるはずがないというのがほぼ定説。

むかしの話だけど、安全対策車について今回のエコカーと同じような状況があった。
世界中の自動車メーカーが安全対策にしのぎをけずったのである。
この場合も日本の車はすばやい反応を示し、欧州のメーカーも追従したのに、米国メーカーの反応はにぶかった。
せっつかれてしぶしぶ公開した米メーカーの安全対策車は、戦車のように重く頑丈なものだった。
たぶんそのままイラクの戦場で使えたんではなかろうか。
これでは乗っている人は安全かもしれないけど、ぶつけられるほうはたまらない。
安全というものをまったく身勝手な判断でしかとらえていない。
日本や欧州の車が、操縦性やブレーキ性能、ショックの吸収性で勝負したのと根本的に違っていた。

米国のメーカーはこんなふうにおおざっぱで自己中心的なものの考え方をする。
だからアメリカ人はアホだ、とはいわない。
コンピューターの分野で世界をリードするアメリカに、たかがエコ車の設計ができないはずはない。
問題は経営陣の短期収益主義にある。
株主の配当さえ増やせばイイ経営者という考え方にある。
オレのおかげで何百億も儲けたんだから、オレがその何分の一かの報酬をもらっていいはずだという経営者の身勝手な理屈にある。
アメリカンドリームってのは、いい経営者の下で社員全員が豊かになるもんだというふうに考えを変えないかぎり、やっぱりアメリカ人はアホだ。

今となっては株主の権利より設備や開発の投資が優先することにいちゃもんをつける人はいないだろうけど、こんなところからも日本と米国のメーカーの思想の違いをうかがうことができる。

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2009年2月 2日 (月)

冬の日

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新しい電気釜を買った。
ご丁寧に白米用、玄米用とふたつのカップがついていて、釜の内側には水量の目盛りがついている。
最近の奥さんたちはこんなものがなければメシを炊けないのかいと冷やかに笑いつつ、試しにその目盛りを基準にしてメシを炊いてみた。

旨い。
わたしが目分量の水で炊いていたときより確実に旨い。
うーんである。
目盛りはだてじゃないようだ。

メシが旨いのはいいが、またメタボが進行するんじゃないかと悩んでしまう。
あったかいご飯であれば、アジの開きと、わたしの手作りしているぬか漬けだけでも2膳はいただけてしまいそう。

昨日の日曜日は、なにか新しい花でも咲いていないかと、野川の自然観察園までぶらぶらと出かけた。
天気はいいけど、川面に冷たい風がさらさらと渡っていた。
園内のとある場所で、地面にはいつくばっている人を発見。
訊いたら、セツブンソウの写真を撮っているんだそうだ。
セツブンソウは花径が1センチにもみたない小さな花である。
あまりおもしろくない。
その近くでは落ち葉のあいだからフクジュソウが顔を出していた。
つぎの週あたりにまた出かけて、このブログで写真をご披露しようと思う。

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2009年2月 1日 (日)

ティファニーで朝食を

ひさしぶりにのんびりの週末なので、たまっている映画を観ることにした。
「ティファニーで朝食を」。
オードリー・ヘプバーンのアレである。
原作がカポーティのアレである。

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米国の作家で好きな人はあまりいないのだけど、カポーティは嫌いじゃないので、映画が評判になったあと、まだ映画は観ていないのに原作を読んでみたことがある。
あまりおもしろいとはおもわなかった。
カポーティの本でおもしろいのは (わたしの場合) 「冷血」 と 「大いに語る=インタビュー」 だけらしい。

「ティファニーで朝食を」 もよくおぼえていないのだが、たしか破天荒な不良少女のヒロインをめぐる話だったと思う。
ストーリーはおぼえてなくても、ヒロインがかなり魅力的で、いわゆるオヤジ殺しみたいなタイプだったことだけはなんとか。
この役にふさわしい女優はいくらでも思いつくけど、いくらなんでもオードリーじゃあねえ。
いったいどうやったらニューヨークで、毎日衣装をとっかえるような豪華な生活ができるんだい。
しかし興行的には映画会社のおもわくのほうが正解だったようで、原作通りに映画化していたら、この映画はこれほどの名声を勝ち得たかどうか。

添付画像は、ソックリさんのフィリップ・S・ホフマンではなく、本物の、作家としての、思索者としてのカポーティ。

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