まだまだ
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香港へ行くまえ、いろいろ調べているとき、ヤフーのオークションに香港に関するおもしろそうな本を見つけた。
それで入札に参加したんだけど、じつはわたしはヤフーのオークションに参加するのが初めてで、落札後の手続きについて不慣れだったので、初期ミスってやつで返事をするのを怠ってしまった。
だいぶあとになって気がついたけど、すでに遅し、わたしのヤフー・オークションにおける評価は最低ランク、つまりブラックリスト上の人物か禁治産者みたいな格付けになっているそうである。
名誉挽回するためには、これから何度も入札に参加して、誠意をみせるしかなさそうだ。
というわけで、その本がまだ売れ残っているのを幸い、ふたたび同じ本の入札に参加してみた。
香港にはもう行ってきてしまったのだけど、なにしろ100円という最低価格がついている本だ。
それに10円上乗せして、たぶんわたしの手に落ちる可能性は大。
これっぽっちの値段の本で最低ランクにされたいと思うほど、わたしはあくどい人じゃないんだけどね。
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SF作家のアイザック・アシモフは他人、とくに女性の前では自分の年齢をいつも若くいうクセがあったけど、わたしも今日が誕生日で、ようやく壮年というべき年齢になったド。
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昨日は好天気、今日は大荒れ。
女ごころと春の空ってやつである。
昨日、いつもの散歩道を散策していたら、ある木の枝の切り口からしずくがポタポタと落ちているのを見つけた。
天気がいいから雨に降られたわけではない。
このしずくは、木が吸い上げた地中の水分が、切られた木の枝の先からしたたり落ちているのである。
それにしたってしずくの落ちるテンポはかなり早い。
5秒にいちどのペースである。
水を吸い上げる木の勢いにあらためて感心してしまう。
英国BBCにはデビッド・アッテンボローという有名なディレクターがいて、この人は本職は科学者らしいけど、おどろくような自然ドキュメンタリーをたくさん制作している。
そうしたドキュメンタリーのひとつで、木が水を吸い上げる力を視覚的に表現するために、彼は消防車を持ち出してきた。
何十メートルもあるような樹木でも、てっぺんまで水を楽々と吸い上げるけど、人間が同じことをしようと思ったら、消防車の大型ポンプでも使わなければ不可能ということを証明するためである。
一見なにげなく見過ごしてしまうような冬木でも、その内部では生命がはげしく鼓動している。
わたしの散歩道でも春はいよいよ目前のようだ。
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火曜日 (3月17日) から3泊4日の香港旅行です。
香港なんて、パックツアーだなんて。
スノッブの見本みたいだなという人がいたら、その人もスノッブの上手をゆく俗物なんだと、胸に手をあてて考えてほしい。
本当に旅好きというものは旅行の目的地、種類を選ばない。
孤独なひとり旅も農協の団体旅行も、それが新しい土地を知る機会ならば、けっして参加をためらわないというのがほんとうの旅行好きです。
今回のわたしはスノッブを逆手にとって、ぞんぶんに俗物主義を楽しんでくるつもりでいます。
その旅の顛末はわたしのもうひとつのブログ (下記) に書いてみるつもりなので、あまり期待しないで待っててください。
http://blogs.yahoo.co.jp/libai036/MYBLOG/yblog.html
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先日、中央郵便局のことについて書いたら、わらぞうりさんからコメントがついた。
わたしの発言には、丸の内のようなオフィス街に古風なビルを残したって仕方がないというようなニュアンスがあるので、それについて彼の考えを述べてきたものである。
彼は東京駅の赤レンガ駅舎や、東京銀行協会ビル、明治生命ビル、第一生命ビル、そして日比谷三信ビルなどの具体名をあげて、これらのビルはちゃんと保存されているのではないかという。
わたしはひとつひとつのビルの名前まで詳しくないので、ここにあげたビルの現状についてネットで調べてみた。
上記のビル、建物はみんな、おおむね現存しているようである。
ちょっと微妙な言いまわしをしなくちゃいけないのは、内部まで建築当初のすがたが残っているものは数が少なく、現代的な高層ビルと古いビルのあいの子みたいな形で残っているものが多いようだからである。
写真はネットで見つけた東京銀行協会ビルの写真だけど、高層ビルの足もとに古いビルがはりついているような感じだ。
ほかにもこうした形で保存されているビルが多いようである。
ここにかってこういう建物がありましたという証拠にはなるかもしれないけど、文化財に値するものなのか、美しいと思えるのかと考えると、ちと疑問を感じてしまう。
銀行協会ビルも戦前までの風景の中におけば、傑出した建物だったと思うけど、まわりが近代的な高層ビルばかりになった現在では、わたしには押しつぶされそうな空間でかろうじて息をついている小動物みたく思えてしまう。
こんな気のドクな形で古い建物を保存するのがいいかどうかわからないけど、丸の内や日比谷あたりで、まわりの建物や風景までそっくり残せというのは絶対に不可能だろう。
それで中央郵便局の発言になっちゃったのだが、そのへんの本心はわかってほしい。
わたしだって文化財や美術品に関心がないわけじゃないし、そうしたものが失われていくについては、わらぞうりさんと同じようにこころを痛めているひとりだ。
ただ、これまで不動産屋やゼネコンと仲良しで、どっちかというと文化財を破壊することに熱心だった政治家が、いまごろああだこうだというのは遅いんじゃないかと、そういう点だけはイチャモンをつけるのである。
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わたしはわりあい本を読むほうだから、村上春樹も当然読んでいると思っている人も多いかもしれない。
でもわたしは義務で本を読んでいるわけじゃなく、おもしろいから読んでいる。
だからそうとうに有名な作家でも、おもしろいと思わなければぜんぜん読まないことがある。
たとえば米国のО・ヘンリー。
「最後の一葉」 など、日本でもよく知られた作品があるけど、わたしはこの作家の作品はこれしか読んでない。
読んだ理由も、教科書に載っていたもんでという頼りないもの。
村上春樹クンについては、以前彼が週刊朝日にエッセイを連載していたので、作風もあるていど知っていたけど、それを読んだかぎりではどうもきわめて常識的なヒトらしかったので、それ以上読む気がおきなかった。
この作家は最近エルサレム賞というイスラエルの文学賞をもらった。
この賞はノーベル賞にも影響を与えるような権威のある賞だというけど、ちょうどイスラエルがパレスチナに侵攻して乱暴狼藉を働いていた時期だから、作家にとって賞を受け入れるかどうかの判断はむずかしかったことと思われる。
賞をもらえば、あんな非道なイスラエルの賞なんかもらってと世間から非難される。
そんな世間が、将来日本の作家がノーベル賞をもらえば、拍手喝采するに決まっているのである。
春樹クンがとった方法は、賞はもらうけど、受賞の場でイスラエルのガザ侵攻に抗議するという、いずれの顔も立てる (いずれの顔もつぶす?) ということだった。
9日の新聞に春樹クンの言い分を紹介する記事が載っていた。
わたしは常識というものがきらいだけど、彼のとった行動はなかなか勇気のいるものだし、常識的な作家のとりうる最良の選択肢はこれ以外なかったと思うから、ま、いいんじゃないか。
同じ日の新聞にレバノンの作家の発言が、英訳の和訳というかたちで掲載されていた。
この作家はもちろんアラブ側に立って発言しているのだが、そこはそれ、大人の対応ってやつで、正面から春樹クンを非難するようなことはしていない。
そればかりか、彼に対して敬意すら表明している。
このへんは常識や大人の対応が火花を散らしているという塩梅だな。
わたし自身はイスラエルとパレスチナの問題で、どっちかというとパレスチナ側を非難するという、日本人ばなれした非常識な人間なので、いろいろ考えるところがある。
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新聞の投書欄に、63歳のおばあさん (失礼!) が沖縄で体験ダイビングをして、感動した、やみつきになりそうという記事が載っていた。
えらい。そのトシで、とわたしも感動した。
この人に比べればワタシだってまだ若い。
今度沖縄に行く機会があったら、ぜったいにダイビングをしてやろうと思う。
じつはわたしは PADI のライセンスを持っている。 これでも昔はけっこう鳴らしたダイバーだったのである。
伊豆はわが家みたいなもんだったし、沖縄や小笠原の海も知っている。
カラにしたタンクの本数も100本は超えているだろう。
まだビデオカメラなんてもんがなかったころ、オイミッヒ (わかるかなあ) なんてカメラを持ち込んで水中映画に凝ったこともある。
その後、絶えて久しく潜っちゃいないけど、63歳の女性だって潜っているのだ。
わたしだってまだまだ潜れるハズ。
待ってろ、マンタ。 待ってろ、ナポレオン。
心配なのは信じられないくらい美しかった当時の海が、いまでもそのままあるだろうかってことだけど。
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わたしはこのブログ以外にもうひとつブログを持っていて、そちらでは過去の中国旅行の紀行記を日記ふうに書いていたんだけど、それがようやく決着して肩の荷が下りた。
これからはその紀行記の校正をぽつりぽつり、そしてこっちのブログであいかわらず下らない駄文を弄することに集中できる。
不景気なおり、机のまえでいろいろ書いているだけなら金がかからなくていい。
いい趣味を見つけたもんである。
昨日の土曜日は、出不精なわたしにとって運動をかねたいつもの散歩である。
そろそろコブシの花がふくらんできたし、日当たりのいい斜面ではスミレもいくつか見かけた。
オタマジャクシも見たし、冬眠からさめたイシガメも発見した。
ある場所ではCA32と記入された足輪をつけたウがあくびをしていた。
春とは関係なさそうだけど、道ばたで血統書つきみたいな毛むくじゃらのドラネコも見た。
そんな春は目前という野原を散歩していたら、むしょうに春野菜が食べたくなってしまった。
それも生のままでかじれるようなものが。
ノビルでも摘むかと考えたが、うちの近所のノビルには食用になるほど大きなものがない。
そこでスーパーに寄り、ほれぼれするような肉厚のシイタケと、ホウレンソウ、山ウドなどを買いこんできた。
魚でも野菜でも、できるだけややこしい調理をしていないものがわたしの好物である。
ホウレンソウはさっと茹でるだけだし、ほれぼれするような肉厚のシイタケは火であぶるだけ。
山ウドのレシピはたくさんあるようだけど、油っこいものがニガ手なので、テンプラはどうも。
だいたいテンプラを作るためのインフラが、わが家には整備されてないのである。
山ウドはなんといっても、短冊に切って、生で酢ミソをつけてかじるのがいちばんいい。
こういうものを酒のつまみにして、チンした (つまり電子レンジで燗した) 安い日本酒を飲む。
豊かさってのはこういうことを言うらしいぞ、昔から。
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散歩道で見かけた見慣れない鳥の映像をYouTubeに載せて
http://www.youtube.com/watch?v=VQVgWUXuzq4&feature=channel_page
なんという鳥だろうというコメントをそえておいたら、教えてくれる人がいて、これはバンですという。
じつは図鑑でいろいろ調べているとき、バンも候補に挙げたんだけど、バンなら井の頭公園の池でもよく子育てをしているのを見かけることがある。色がまっ黒で、クチバシだけが赤い個性的な鳥である。
今回の映像に写っている鳥は、これとあきらかに違うので悩んでいたのだが、さらにネット図鑑を調べて以下のような記述を見つけた。
≪冬羽:冬羽では夏羽の鮮やかさが消え、各部の色が淡くなってくる。嘴も黒味を帯びる。バンの生活する環境に応じて保護色として役立った体色である≫
なるほど。
鳥(獣もふくめて)の中には冬と夏では装いがぜんぜん異なるものがある。よく知られているのは高山にすむライチョウで、夏と冬では正反対の色になってしまう。バンの場合もその一例だったようだ。
ううむ。ナルホドなんてYouTubeの映像をながめているうち、ミニスカートの女性教師が生徒たちを魅了する映像なんてのが横のほうに表示されているのに気がついた。
http://www.youtube.com/watch?v=NnceWA4AopU&feature=related
ついついハマっちゃったけど、なんで野鳥と女性教師が同列にならんだのかしら。
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その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。
短命だったアイヌの少女、知里幸恵が残した 「アイヌ神謡集」 の序の一節である。
この貴重なアイヌ文献が、ネット上の無料データベース (著作権の切れた文章をタダで読める) 「青空文庫」 に載っていた。
ローマ字表記したユーカラまで載っていたけど、それはまあ、飛ばして本文だけを読んでみると、ずっとむかし読んだ北欧の神話や、宮沢賢治の童話を思わせる素朴な物語である。
わたしはアイヌ研究に立ち入るつもりがぜんぜんないから、これがもともとアイヌのあいだに伝わっていた口承の叙事詩である、なんてムズカシイ理屈には関わらないけど、同じフレーズを繰り返すような独特の語り口を読んでいると、遠野の語り部おばあさんが囲炉裏のほとりで、「むかしむかし・・・・・・・あったんだと、暮らしてたんだと」 と語る民話みたいなものだったのかしらと思ってしまう。
これが書かれたのはアイヌ研究学者の金田一京助さんが存命のころで(といっても彼は明治、大正、昭和とずいぶん長生きの人だったから)、正確には大正年間である。
にもかかわらず、ここには現代のわたしたちにも通じる問題、新しい文明によって滅びてゆく伝統的生活や風習などへの、かぎりない愛着、悲哀が語られているのにおどろく。
愛するわたしたちの先祖が、日ごろたがいに意を通ずるために用いた多くの言語、言いまわし、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな亡びゆく弱きものとともに消え失せてしまうのでしょうか。
残された写真でみると、知里幸恵は目のくりっとしたかわいらしい顔をしているけど、きりりっとした眉のあたりに意志の強さがありあり。
いずれにしても、晩年は東京に住んだり、アイヌ神謡集の執筆に忙しかったようだから、19歳で死んだことと考えあわせると、恋をするヒマもなく死んだのではないかと推測する。
亡くなったのは神謡集が完成したその晩だったというから、その人生はこの貴重な文献を世に残すためだけにあったようなものだ。
ひょっとすると彼女は、北海道の動物や植物、山や川などさまざまな森羅万象にやどるカムイが、自分たちの物語を残すために、人のかたちを借りてわたしたちの前に姿をあらわしたものかもしれない。
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天気予報が大雪だなんていっていたけど、わが家の近所では小雪ていどの積雪もなかった。
それでもこんな夜は部屋でおとなしくしていて、思い出でもかじっているにかぎる。
雪というとわたしが思い出すのは、むかしオホーツクをひとり旅しているときに見た光景である。
今から25年以上前のことだ。
当時はまだ北海道に深名線なんていう鉄道があった (現在では廃線になっている)。
そのとちゅうにある朱鞠内という土地は、そこで日本の最低気温を記録したということで知られている。
わたしがその最果てのような駅に降り立ったのは2月8日、つまり最低気温が体験できるかもしれない時期だった。
残念ながら最低気温というやつはそうそうしょっちゅう記録されるものではないし、たった 1日滞在しただけで移動してしまったから、おぼえているのは、子供たちがみんなキルティングのジャンパーを着ているのでずいぶん華やかな印象だったことと、そのあたりに積もっている雪の中に、六角形の結晶が肉眼ではっきり見えるほど大きいということだった。
北海道の観光業者さんに進言するけど、あの雪の結晶をなんとか融けないように固定する方法を確立すれば、沖縄の星の砂に匹敵するめずらしい土産物になることは疑いない。
ムリか。
その後オホーツク沿岸に移動して、紋別というところへ1泊した。
夜になって街をぶらついてみたら、駅前広場でひとりの男性が黙々と氷の彫刻を彫っていた。
雪がすこし舞っており、街灯に照らされた氷の彫刻はとても美しかった。
さらに海岸にそって浜頓別という街に移動し、ここでは飛び込みで 「北オホーツク荘」 という国民宿舎に泊まった。
夜中にトイレに起きて、帰りに廊下の窓から見下ろすと、駐車場のすみの街灯に照らされて、雪がしんしんと降っているのが見えた。
なんてことのない光景だけど、今でもはっきりおぼえているなつかしい雪の思い出である。
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鳩山クンが今度は丸の内の中央郵便局建て直しにイチャモンをつけている。
文化財として認知されている建物を気安く破壊してしまっていのかというのである。
この発言自体はなかなか立派なことだ。
すべての政治家がみならうべきだと思う。
しかしちょっとイチャモンが遅すぎる。
文化財をいうなら、東京駅のまえにあった丸ビルもそうだけど、丸の内や日比谷あたりの建物はすべてそうだったといっていい。
内幸町のみずほ銀行本店の近くのビルには、噴水のわきに奇怪な怪物の顔面彫刻がずらりとならんでいるけど、あれもたしか古いビルの外壁からはずされたものを、捨てるにしのびないというので保存したと聞いている。
ほんとうに保存してほしかったのは、その古いビル全体だったのである。
そうしたすでに失われた建物に比べれば、(個人的には) 丸の内の中央郵便局は保存に値するほど美しいとは思えない。
美術的見地からも、ほかにもっと残してほしい建物はたくさんあったのに、そのほとんどが再開発で姿を消した。
中央郵便局をふくむあのあたり一帯は、都心にあって、日本のビジネス街の中枢をなす場所である。
そういう場所で、IT時代に不可欠なインフラも整備されていないままの古い建物を維持するのは、むずかしいと思わざるを得ない。
どうしても郵便局を保存したいなら、地下に大空間を作って、郵便業務はそっくり地下に押し込め、地上の建物は一般に公開してもらいたい。
文化財と郵便局の通常業務を同じ場所に置くのはムリだろうし、見学者が中に入れないような文化財じゃ仕方がない。
中央郵便局を視察にきて、車から降りるなり、なんだ、これは、もう壊しているじゃないかと発言した鳩山クンのようすは、三流役者の田舎芝居のようだった。
それよりも彼が、いよいよ小泉クンの方針に正面きって叛旗をひるがえしてきたなという印象のほうが強いのである。
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土曜日にいつもの散歩に出かけたら、あちこちに張り紙がしてあって、この土・日に野川公園で 「早春フェスタ」 なる催し物が開催され、フラメンコやインドネシアン・ダンスの公演をしますとの広報。
どんなものかと会場のほうへ行ってみたら、公園内の紅梅白梅林の中で、キンキラキンでえらくはなやかな女性たちが記念写真のまっ最中。
彼女たちはインドネシアン・ダンスの踊り子たちだった。
インドネシアン・ダンスというのは、バリ島などでも有名だけど、腕や指をくねらしながら、はすに流し眼をおくる魅惑的な踊りである。
肌の露出も少なくない。
で、今日は、わたしとしてはめずらしく早朝に起きて見物に出かけた。
オープンと同時に会場へ乗り込んで、いちばんまえの席を確保しようという魂胆。
残念ながら最前列はこのあたりの農家のおじさんおばさんに占領されていて、わたしの座ったのは三列目。
といっても混雑なんかしていたわけではない。お客さんはほどほどの入り。
聞いてみたら、踊るのはプロ、セミプロではなく、このあたりの大学の学生さんたちだそうだ。
それでもフラメンコには美女がいたし、インドネシアン・ダンスの衣装もきれいだった。
肝心の踊りについては、ま、ヤボはいいっこなし。
勉学に励む学生さんたちが余暇に練習した成果だ。
熟練や芸術性をうんぬんする踊りではないのである。
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いつもの散歩コースにクイナのような鳥が居ついている。
クイナに似ているけど、ちょっとくちばしが短いので、なんという種類のクイナなのかと図鑑を調べてみたが、該当するものが (わたしの図鑑およびネット上の画像に) 見つからない。
最近どこか都内の河川で、足の黄色いなんとかいうクイナが発見されたという記事を読んだような気がする。なんでも都内で見つかるのはひじょうにめずらしいとか。
それかなあと思う一方、いやいや、そんな貴重なクイナさまがわが家の近所をうろうろしていてたまるかという気持ちもある。
今日はそいつの写真を撮りに出かけてみたが、カメラを構えるわたしを見ると、アシの間にかくれてしまって出てこない。
仕方ないから以前ビデオカメラで撮った映像からキャプチャーした画像を載せる。
あわせてそのビデオ映像も YouTubeに載せておいたから見てほしい。
種類を知っている人がいたらご連絡を。
http://www.youtube.com/watch?v=VQVgWUXuzq4
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