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2009年3月13日 (金)

中央郵便局の2

Bank

先日、中央郵便局のことについて書いたら、わらぞうりさんからコメントがついた。
わたしの発言には、丸の内のようなオフィス街に古風なビルを残したって仕方がないというようなニュアンスがあるので、それについて彼の考えを述べてきたものである。

彼は東京駅の赤レンガ駅舎や、東京銀行協会ビル、明治生命ビル、第一生命ビル、そして日比谷三信ビルなどの具体名をあげて、これらのビルはちゃんと保存されているのではないかという。
わたしはひとつひとつのビルの名前まで詳しくないので、ここにあげたビルの現状についてネットで調べてみた。
上記のビル、建物はみんな、おおむね現存しているようである。
ちょっと微妙な言いまわしをしなくちゃいけないのは、内部まで建築当初のすがたが残っているものは数が少なく、現代的な高層ビルと古いビルのあいの子みたいな形で残っているものが多いようだからである。

写真はネットで見つけた東京銀行協会ビルの写真だけど、高層ビルの足もとに古いビルがはりついているような感じだ。
ほかにもこうした形で保存されているビルが多いようである。

ここにかってこういう建物がありましたという証拠にはなるかもしれないけど、文化財に値するものなのか、美しいと思えるのかと考えると、ちと疑問を感じてしまう。
銀行協会ビルも戦前までの風景の中におけば、傑出した建物だったと思うけど、まわりが近代的な高層ビルばかりになった現在では、わたしには押しつぶされそうな空間でかろうじて息をついている小動物みたく思えてしまう。

こんな気のドクな形で古い建物を保存するのがいいかどうかわからないけど、丸の内や日比谷あたりで、まわりの建物や風景までそっくり残せというのは絶対に不可能だろう。
それで中央郵便局の発言になっちゃったのだが、そのへんの本心はわかってほしい。
わたしだって文化財や美術品に関心がないわけじゃないし、そうしたものが失われていくについては、わらぞうりさんと同じようにこころを痛めているひとりだ。
ただ、これまで不動産屋やゼネコンと仲良しで、どっちかというと文化財を破壊することに熱心だった政治家が、いまごろああだこうだというのは遅いんじゃないかと、そういう点だけはイチャモンをつけるのである。

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コメント

グーグルマップでみると、日比谷三信ビルは跡形もなくなっているよ。

投稿: 田舎の絵描き | 2009年3月13日 (金) 14時18分

わたしは銀座で仕事しませんからね。
ネットで調べたら、その内部まで含めた三信ビルの写真がたくさん見つかり、美しいビルだなと思っていました。
わらぞうりさんのコメントを読んで、あわててグーグルのストリートビューで眺めてみたら、三信ビルのあった場所は、そっくりさら地の工事現場になっていますね。
ひどい話だな。郵便局を残せといった政治家も民間の建物については口を出せないってワケか。
保存してほしいビルは、どっちかというと民間のビルのほうに多かったんですけどねえ。
この国の民意は文化財の保存なんてもんに関心がないんですよ。ヤレヤレ。

投稿: 酔いどれ李白 | 2009年3月13日 (金) 18時20分

ところでよく混乱しちゃうんだけど、メールやコメントなど、対外的に使用する場合の名前は「田舎の絵描き」さんですか、「わらぞうり」さんですか。
どっちかに統一しないと失礼になるけど、「絵描き」さんのほうは普通名詞みたいにおおざっぱな印象なので、つい「わらぞうり」にしちゃうんですが、これからは「絵描き」さんにすべきでしょうか。

投稿: 酔いどれ李白 | 2009年3月13日 (金) 18時36分

どっちでもいいけど「田舎の絵描き」ですかね。わらぞうりはブログの表題です。
ところで三信ビルはいつ取り壊したのですかね、少なくとも僕がタクシーやってるときはまだあったようですがね。

投稿: 田舎の絵描き | 2009年3月14日 (土) 16時54分

ネットで調べたら、日比谷三信ビルを保存するためのプロジェクトというホームページが見つかりました。ここに三信ビルの古い写真も出ています。
このホームページの最後の更新は07年の4月になっていて、そこにこんな記事がありました。
≪これまで当プロジェクトにさまざまな形でご関心をお寄せくださった皆様に、まず感謝とお礼を申し上げます。すでに皆様もご存知の通り、平成19年3月30日を以って三信ビルは閉館となりました。先月末から当HPのコメントで議論が白熱し、なかなかお答えすることもないままに三信ビルの閉館を迎えてしまいましたが、この場を借りて、頂いているご意見に対するお返事と当プロジェクトの運営についてお知らせいたします≫

ですから、建て替え工事が始まったのは、まだこの1~2年以内ぐらいのようですね。

投稿: 酔いどれ李白 | 2009年3月15日 (日) 12時03分

そうですか、僕は昭和47年4月・日本交通大曲営業所でタクシーをはじめました。
当時はまだ首都高速も一部しか開通していなかったけれど、都心部は現在と比べてもほとんど変わっていませんよ。古いビルが建て替えられてその跡地に高層ビルが建って、その付近の景観が変わっている程度で、道路などは昔のままです。
日比谷通りから、三井・三信ビルの間の通りに入り、丸の内中通りを流すのが僕の営業パターンでしたので、三信ビルはとても懐かしいのです。三信ビルには散髪屋さんもあって何度かそこて理髪してもらったこともありました。
お手洗いなんかも昔風のタイル張りでしたが、いつ行っても清潔で気持ちよかった。
僕にとって、三信ビルは半世紀近くにも及ぶ僕の生業の拠点でもあったのです。

投稿: 田舎の絵描き | 2009年3月16日 (月) 11時29分

わたしはひとつひとつのビルを見たとか、おぼえているとかってわけじゃないけど、写真や映画など、さまざまなメディアを通して、丸の内、日比谷あたりに石造りの重厚な建物が並んでいたということを知っています。
たとえば旧三菱銀行本店も、ギリシヤのパルテノン神殿のようで、パリの建築物にもけっしてひけをとらない、重厚かつ荘麗なビルでした。
帝国劇場と東京會舘も、ネットで検索するとクラシックな石造りのビルだった時代の写真が見つかります。
そりゃいくらなんでも古すぎるというかもしれませんけど、帝国劇場は昭和41年まで、東京會舘は昭和46年まで、古いかたちのままで存在していました。
銀座では日劇の円形ビルも昭和56年まで存在しました。
田舎の絵描きさんのいう昭和47年というと、ちょうど都内のあちこちで都電が廃止されていたころですね。もうちょっとだけ早く仕事を始めていれば、都電の廃止だけでも風景は大きく変わったように見えたと思います。
古いビルを残してほしかったというわたしの感傷は、正直いって時代錯誤かもしれませんけどねえ。

「昭和毎日」というホームページには古い東京の写真がたくさん載っています。
http://showa.mainichi.jp/

投稿: 酔いどれ李白 | 2009年3月16日 (月) 16時07分

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