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2009年4月 1日 (水)

十戒

M012

昨夜のBS映画劇場はセシル・B・デミルの 「十戒 (じっかい)」。
ハリウッド全盛期の、聖書に材をとった超娯楽大作のひとつで、頭をノーテンキにすればそれなり楽しめる映画。

わたしは聖書を読んだことがあるけど、娯楽小説として読んだので、そのへんの新興宗教かぶれのように、多感な青少年時代をヘンテコリンな考えに毒されずにすんだ。
もっとも読んだといっても、おおまかなあらすじだけをクローズアップした解説本を読んだのであって、ややこしい人名やくどくどしい言いまわしばかりの原典なんか (日本語に翻訳されてあったとしても) 読む気はしない。

あるいは、わたしの聖書における知識は映画によるものが大きいかもしれない。
上記の 「十戒」 だけではなく、「天地創造」 だとか 「ソロモンとシバの女王」、「サムソンとデリラ」 といったスペクタクル映画を観ていれば、ひとりでに聖書の知識が身についてしまう。
新約聖書でも 「偉大な生涯の物語」、「奇跡の丘」、「ベン・ハー」、「ジーザス・クライスト・スーパースター (!?)」 など映画化されたものが目白押し。

娯楽小説として、あるいはもうすこしまじめに、おごりや堕落に対して自省を促す教訓的な本として読むと、聖書はそれなり役にたつ本だと思うけど、最近この本に書かれたことを、一字一句そのまま、本当にあった話と解釈している人たちがいることに驚いた。
いわゆるキリスト教から派生した新興宗教にこのテの人が多いようだ。
聖書の原作者たちも地下で苦笑しているんじゃあるまいか。

そんなこととは別に、わたしが学生のころ読んだ阿部知二訳の 「白鯨」 の中に、(正確にはおぼえてないんだけど) こんな詩が引用されていて、その韻律の美しさに意味もわからないまま口ずさんでいたことがある。
 あら海のうずまくかなた いろも濃きみどりのいろに
 うるわしの野は広がれり
 ヨルダンの谷はさわげど なつかしのカナーンは見ゆれ

これは聖書の 「出エジプト記」 からの引用であるらしいと、「十戒」 を観て思い出した。

添付[したのは、紅海がまっぷたつに割れる直前のヘストン扮するモーゼで、いよっ、千両役者って声がとぶところ。

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