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2009年5月

2009年5月31日 (日)

音楽グルメ

前項でわたしは音楽グルメであるなんてエラそうなことを書いた。
しかし熊本のKさんが自分で作った篠笛でいろんな曲を演奏したり、知り合いの何某みたいにカラオケ大会荒らしをしている人間に比べると、わたしは演奏したり歌ったりすることについてまるっきりダメ人間である。
ただ聴くほうは人並み以上に好きだ。
天は2物を与えなかったんだな、きっと。

レコードを買う場合、いろいろ本を読んで参考にして、その演奏者や作曲家のいちばん評判のいいレコードを買うことにしていた。
もちろん金に糸目はつけない。
廉価版で間に合わせるなんてことはしないのである (例外がいくつかあるけど、それにはそれなりの理由がある)。

はじめてクラシックを聴こうと決意したときは、なにしろまだほとんど知識がなかったもので、レコード屋に行って、いちばんカッコいいジャケットのものを選んだ。
結果的にこれが幸いして、わたしの持っているベルリオーズの 「幻想協奏曲」 は、ピエール・ブーレーズ版で、それなり傑作といわれるレコードだったのである (買った当時としては)。

わたしはビートルズやストーンズをリアルタイムで聴いた世代なので、彼らのレコードはすべてオリジナルで購入した。
だからストーンズのレコードの中には凝りすぎというようなめずらしいジャケットもあった。
評判がいいのにたまたま日本で発売されてないレコードがあると、直輸入店をあさることもあった。
あるていど知識がついてくると、そうやってレコード店をのぞきまわっているうちに、廃盤になっているレコードを見つけたりすることもある。

わたしの音楽遍歴はこんなものだけど、どうじゃあ、グルメだろ。
そのレコードをすべて、いま知り合いの部屋にかつぎこんだばかりだ。
わたしゃ明日から何をささえに生きていけばいいのか。 トホホ。

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アナログレコード

レコードについて悩んでいた。
わたしの部屋にはLPレコード (アナログだ、針で聴くやつだ) が何百枚かある。
最近数えたことがないからわからないけど、最盛期には600~700枚あった。
ビートルズから始まって、ロック、ジャズ、そしてマーラーまで、音楽に関してはグルメのわたしのことだから、すべて名盤といっていいものばかりだ。

しかしいまはCDの時代である。
こんな時代遅れのガラクタなんて、さっさと捨ててしまえばいいのだが、仕事をリタイヤしてからまたゆっくり聴くつもりで、ついずるずると捨てられずにいたのである。
わたしと同じようなアナログレコードのマニアは多いとみえて、今でも最新かつ高性能のプレーヤーも販売されているし、アナログレコードはけっして絶滅したわけではない。
だけど、どうも最近の状況を鑑みると、リタイヤしてからのんびりなんて言ってられないような気がしてきた。
貧乏ヒマなしで、わたしは死ぬまで働かなくちゃいけない運命みたいである。
リタイヤしてから音楽三昧なんてことはありえないんじゃないか。

だいたい部屋がいつまでも片付かないのはレコードのせいだ。
思い切ってレコードをぜんぶ捨ててしまったら、物理的にも精神的にもどんなにすっきりすることか。
オークションや中古レコード屋に出すテもあるけど、2束3文であることは自分がいちばんよく知っているし、欲しい人にタダでくれてやったっていっこうかまわないけれど、音楽をこころから愛してくれる人でなきゃイヤだ。
ムムムである。

わたしにとってどのレコードにも愛着がある。
青春の孤独というやつを癒すのに、これらのレコードがどれだけ貢献してくれたかわからない。 1枚 1枚がほんとうに自分の子供のようなのである。

悩んでいたら、ある知り合いがまとめて引き取ってくれることになった。
さいわいその知り合いはすぐ近所に住んでいて、必要なときはいつでも聴きにきていいとのこと。
安心した。
レコードが、まだ若いその知り合いのために、こころの糧となってくれることを祈る。
ちょうどわたしにそうしてくれたように。

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高村光太郎

土曜日の夜は長湯につかって本を読む。
ここんところ体調がよくないし、無聊をかこつ身なので、こういうときは何を読んでもおもしろくない。
かろうじて詩の解説書みたいな本をみつけて、それをひろい読みする。

彫刻家で詩人でもあった高村光太郎に 「智恵子抄」 という詩集がある。
いまでいう痴ほう症のような状態で亡くなった奥さんの、死の瞬間をうたった 「レモン哀歌」 という詩が有名である。
学生時代に初めて読んで、わたしもこの詩をまる暗記、よくひとりで愛唱したものだ。

まあ、このへんまでは文学青年によくありがちなスタイル。
ところがその後もっとたくさんの詩を読んで、現在ではわたしは光太郎の詩になんだかイヤらしいものを感じるようになってしまった。
うまく説明できないけど、なんつーか、つまり技巧がすぎるのである。
読者を感動させようという作為が目について、すなおに悲しみを感じさせないのである。
宮沢賢治の詩に、妹の死をあつかったものがあるけど、そちらがとつとつと悲しみの感情を訴えてくるのとは大ちがいだ。

高村光太郎のほかの詩を読んでもそうなんだけど、この人はいい詩をつくろうとして、いろいろ工夫をこらし、文章を極限まで磨き上げることに熱中して、そういう作業中に本来の感情をどこかへ置き忘れてきたのではなかろうか。

わたしはヘソ曲りだから、いや、そんなことはない、あれは傑作だという人がいたって驚きゃしないけど。

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2009年5月30日 (土)

S嬢

わたしの車はディーラーで整備をしているけど、そのディーラーでわたしの担当はSさんという、女子大を出たばかりみたいな女の子である。
彼女にあなたメロンパン好きかと訊いたら、大好きと答えたから、ある日メロンパンを差し入れてやった。
メロンパンがきらいな女の子はあまりいないし、そのていどの出費で若い娘と仲良くなれるなら安いものだ。

メロンパンを差し入れてまもなく、彼女から私信で封書が届いた。
おお、もうラブレターかいと感心して封を切ったら、車の名義変更の書類を返すのを忘れてましたと、納税証明書が同封してあるだけだった。
以前からおっちょこちょいだと見ていたけど、やっぱりおっちょこちょいの女の子のようだ。
でもわたしの好みからいえば、カミソリみたいな切れ者より、女の子はおっちょこちょいぐらいのほうが愛嬌があっていい。
若い女の子からは何をされても怒らないのが、わたしの欠点というか長所というか。

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2009年5月29日 (金)

空白

文章を書くときはふつう、書き出しやまとまった一節は、最初のひと文字分をあけて書くのが原則である。
なんてエラそうなことを言ってるくせに、わたしのブログではそうじゃない。
なぜかというと、ブログやホームページは、もともと米国で生まれたインターネットというシステム上のものだ。
米国で生まれたものだから、英語の文章を書くには問題がないんだろうけど、日本語を書くといろいろ不具合が生じる。
やってみればわかるけど、ひと文字分あけたつもりなのにあいてなかったり、半角分しかあかなかったりと、出来上がりを見ると不揃いでひじょうにみっともない場合が多い。
それを気にしないで平然と不揃いのまま文章を書いているブログも見かけるけど、ワタシゃ見た目を気にするタチだ。
なにごともスマートにを基本とするわたしは、自分のブログに最初のひと文字分の空白を置かないことにしたのである。

しかるに最近わたしの知り合いが団体の会報 (ちゃんとした冊子である) に書いている文章を読んでみたら、空白をとったりとらなかったりと、なんかそのへんがバラバラだった。
ブログの文章に影響されているのかもしれないが、この知り合いは、ホントかウソか大学を出ているそうである。
これでは大学の先生も手抜きをしたといわざるを得ない。
正しい日本語はこうやって崩壊していくんだな。

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2009年5月27日 (水)

先にいった者

わたしの友人にМという男がいた。
わたしと似たところもあるし、ぜんぜん似てないところもある男だった。
それじゃあどこにでもいる当り前の友人じゃないかと言われそうだけど、当り前の友人にはめったに共感なんか感じないものだ。
彼はなぜか共感を感じる男だった。
ひょっとすると3月生まれに共通の、よくいえば思索的、わるくいえばネクラな性格がわたしのこころに反応したのかもしれない。
彼とわたしはほんの1日違いの同じ年生まれだったのである。

もっとも彼は表面的にはわたしとだいぶちがっていた。
むしろわたしのような偏屈に比べると、交友関係も広く、仲間うちの評判もよく、みんなをまとめるようなリーダーシップさえ持っていた。
彼はちゃんと家庭を持っていて、家族にもめぐまれていたから、そういう点でもわたしとは違っていた。
世間のいったいどれだけの人が、わたしと彼の共通する部分に気がついていただろう。

わたしとМが同じ職場にいたのは、15年ほどのあいだだったけど、彼とはよく口論をした。
流行り始めたパソコンについて、わたしといろいろやりあったものである。
しょっちゅう口論ばかりしていたものだから、彼のほうはわたしが共感を持っているなんてことに気がついていなかったかもしれない。
たぶん、いなかっただろう。

彼はパソコンのプログラムに執着し、そのうち自分でエクセルの会計表を作成するようなことまでやってのけた。
彼の頭のよさには太刀打ちできなかったけど、机の前に座りこんでひとつのことに没頭してしまう点も、わたしと共通するものがあったのだ・・・・・・と思う。

わたしはМのことを過去形で書く。
それはわたしが別の職業に就いて、彼とはなればなれになったからではない。
彼はその後、奥多摩の目もくらむような橋梁から飛び降りて自殺した。
その直前、わたしは彼にメールを出したのだが、返事はとうとう来なかった。

今日は彼の命日である。
彼が死んだのは7年前の5月27日である。
この日がくるたびにわたしは、三好達治が友人の梶井基次郎の死をいたんだ詩の最後の一節を思い出す。
 友よ ああしばらくのお別れだ・・・・・・・・ おっつけ僕から訪ねよう!

わたしはまだ生きているけど、やはり彼に共感を感じることは変わらない。

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2009年5月26日 (火)

テラ

イテテテと腰と足の痛みをかかえつつ、吉祥寺まで出かけてパソコンの外付けハードディスクを買ってきた。
ビデオの編集なんかしていると、内蔵の250ギガなんてアッという間にいっぱいになる。
それで今度買ってきたのは 1テラ (1000ギガ) というもの。
といってもHDはもうテラ・サイズが標準になりつつあるようで、値段もおどろくほどではなかった。
これだけあるとさすがに余裕しゃくしゃく。
ヒマつぶしでやっている香港のビデオ編集もそろそろ終わりに近づいた。

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2009年5月24日 (日)

レッドクリフの2

M002

なんだなんだなんだ、この映画は。
という 「レッドクリフ (そのパート2)」 をまた観てきてしまった。
そんなにいやなら観なきゃいいんだけど、知り合いがどうしても観たいというもので。

それにしてもこの映画の製作者および監督は、世間を愚弄してんのとちがうか。
いったいどんな観衆のためにこんなアホらしい映画を作ったのか。
原作にない女スパイが敵陣深く潜入し、正体がバレると混乱にまぎれてついと味方の陣にもどってくるとか、時間かせぎのために軍師の女房がたったひとりで敵陣に走るとか、今どきの若者でさえ、多少でも思考能力があれば、そんなのありかヨって思うだろう。
荒唐無稽な映画の本家のアメリカだって、もうすこしつじつまの合うものを作るぞ。

アメリカ映画なら、とうぜん女スパイはとっつかまって裸にされて拷問だ。
ひょこひょこ迷い込んできた女房も、相手の親分に 「おメエの旦那が死ぬところをよく見とけ」 とかなんとか言われて、ねちねちとイタぶられるのだ。
ようするにスリルをたたみかけるという工夫がぜんぜんされてない。
え、ディズニーのお気楽なファミリー映画やってんじゃねえよ、と書こうしたけど、こんなこと書いたらディズニーに怒られてしまう。
ディズニー映画のほうがまだ抒情というものを理解してらあ。

添付した画像は、なんだかよくわからんけど、"赤壁" で検索したらみつかった写真で、アメリカ映画ならとうぜんの場面だ。

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イテエ

腰から右足にかけて異様な痛みが発生。
なんかの祟りか、わたしもいよいよ年貢の納めどきか。
夏目漱石は49歳、長生きの印象のある森鴎外でさえ60歳で死んでる。
もう未練はないけど。 イテエ。

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2009年5月21日 (木)

12人の怒れる男

12ang

裁判員制度がスタートだそうだ。
この制度についてよく引き合いに出されるのが 「12人の怒れる男」 という映画。
わたしのDVDコレクションの中にあるので、あらためて鑑賞してみた。

少年の父親殺しを裁く12人の陪審員 (ぜんぶ男) の物語で、舞台は裁判所の控え室だけ。
ここでえんえんと男たちのかっとうが描かれるのだが、見ていてあきない。
傑作といっていい映画である。

12人のうちの11人までが有罪と認めている中で、たったひとりのガンコなおじさんが異議をとなえる。
裁判は多数決ではなく全員一致が原則なので、他の全員がこのひとりをなだめたりすかしたり、非難、罵倒したりするのに、このおじさんはくじけない。
ほんの小さな疑問を追求していって、ひとりまたひとりと同調者を増やしていき、とうとう最後に全員一致で無罪を勝ち取るのである。
映画は米国の民主主義の理想を具現したものとしても有名である。

問題もある。
写真を見てもわかるように、12人全員が男だ。
現在ならすぐ女性差別だ、セクハラだと文句をいわれる。
そういうササイな問題はべつにしても、日本でこんなふうに理想的にいくんだろうか。
わたしもどっちかというとガンコで有名な人間だ。
ただし、モンスターペアレントのような不条理なガンコと同列にされちゃ困る。
きちんと話し合えば、常識の範囲内で相手を説得する自信はある。
と、こんなことをぬけぬけと言うから (ガンコ+偏屈) と思われてしまうんだけど。
なにごとにも多勢に流されやすい現在の日本で、たったひとりのガンコが、常識や大人の対応をふりまわすその他大勢を説得できるだろうかと、わたしは暗うつな気持ちになってしまうのである。

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2009年5月20日 (水)

ワンダフル・ライフ

この不景気で、タクシーのメーターが1回上がっただけでも悲鳴をあげる人たちがいる昨今だけど、わたしは本 (といっても文庫本がほとんどだけど) につぎこむお金はあまり惜しいとは思わない人間である。
しかし先日、そんなわたしの信念をくつがえすような事件がおきた。

本屋へ立ち寄り、たまたま目についた 「ワンダフル・ライフ」 という本を買ったんだけど、文庫本も最近はずいぶん高くなって、こいつは1000円近くした。
しかしどうも文庫本というと、安い、つまりはした金という認識が抜けないもんで、ためらわずに購入。
念のため申し添えると、これは飼い犬と人間家族のこころあたたまる生活を描いた本ではなく、ダーウィンの進化論に修正や見直しをうながすような、奇妙な生物の化石をたくさん含んだバージェス頁岩 (ケツガン) について書かれた本である。
きわめてまじめな科学書なのだ。
文庫本のくせに、生意気に600ページもある。

帰宅して読んでみたら、同じ本を以前にも買ったことがあることに気がついた。
前回も今回とまったく同じ、イラストなんかがたくさんあっておもしろそうというのが購入の動機。
しかし帰宅して読んでみたら、あまりおもしろくなかったので、そのままついとゴミ箱に叩っこんでしまった本だった。

こうなったら意地でも読むぞというわけで、今回はまだゴミ箱に放り込んでないけど、わたしに倹約家の女房でもいたヒには、いまごろ家庭内で血を見る惨劇になってんだろな。

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2009年5月17日 (日)

二木紘三のうた物語

たとえばお風呂に入っているとき、ふと、子供のむーかしにふたりーしてと、なつかしいメロディのワンフレーズが浮かんだとする。
あれはたしか島倉千代子の歌謡曲だったよなと、そこまではいいけど、どうしても歌詞の全部が思い出せないとする。
そうなると気になって安眠もできないし、食事もそぞろという具合になってしまう。
冗談ではなしに、わたしみたいにチ的な生活をしていると、そういうことはよくあるのである。
そういうとき便利なのはインターネットで、歌手の名前や歌詞の一部がわかれば、歌詞の全体を調べることもむずかしくない。

二木紘三という人がいる。
もの書きをなりわいとしている人らしいが、詳しいことはこの人のブログを。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/

二木さんのブログは 「二木紘三のうた物語」 といって、早いはなしが、パソコン上のジュークボックスである。
歌謡曲からなつメロ、フォーク、外国のポピュラー、童謡唱歌など、いろんな音楽がMP3形式で聴ける。
曲のすべてに、歌詞の全文と、二木さんのコメントがついているので、音楽を聴きながら曲についての知識や話題もふえてしまう。

このブログによると、上記の歌謡曲は島倉千代子の 「逢いたいなァあの人に」 という歌だった。
トシがばれるからあまり触れたくないけど、この歌の中には “紺のもんぺ” や “姉さんかむり” なんていう言葉がでてきて、ひじょうになつかしいものだ。

わたしにわからないのは、これだけの曲をネットに上げたら、著作権の使用料がバカにならないだろうということ。
演奏自体は本人かだれか、身内の人にまかせてタダだとしても、である。
曲を演奏するだけではなく、歌詞を勝手に引用するだけでも著作権にひっかかるのだ。
そのへんがよくわからないが、それでも好きな音楽を聴いたり調べたりできるのは、わたしみたいにチ的かつコウショウな生活をしている者にはありがたいことである。

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2009年5月16日 (土)

八田興一

ちょっと気がつかなかったけど、5月8日は、土木技師・八田興一の命日だったそうだ。
台湾ではこの日に、現総統の馬英九さんも出席して慰霊祭がとりおこなわれ、烏山頭ダム周辺を記念公園にすることが決まったという。
うれしいことであると言いたいが、ハテ、現在の日本の若者のうち、どれだけの人が八田興一の名前を知っているだろう。
わたしの愛読する司馬遼太郎の 「街道をゆく」 の中に 『台湾紀行』 という巻があって、そこにこの人について書かれた部分があるので、そこから経歴を引用すると

八田興一は日本統治時代の台湾で、当時としては東洋最大といわれた烏山頭ダムを建設して、不毛の地だった台湾南部を一大穀倉地帯に変えるのに功績のあった人である。
だそうだ。

彼はダムを建設したあと、太平洋戦争中に軍隊に徴用され、船で移動中、米潜水艦に攻撃されて亡くなった。
彼の奥さんは、外代樹 (とよき) といったそうだけど、終戦の年に自分の夫が作った烏山頭ダムに身を投げて自殺した。
この夫婦の生涯は、気骨をもった古い時代の日本人の生きざまをまざまざとみせつけるけど、それはさておいて。

新聞を読んでいると、わたしは歴史を勉強して真実を知りましたという学生さんの投稿なんかをよく目にすることがある。
そりゃエライと続きを読んでみたら、いかに日本軍が海外で残虐非道なことをしたか、よくわかりましたなんて書いてある場合が多い。
勉強をしてそういうことを知ったのなら、まあ、感心といえなくもないけど、それだけじゃ片手落ちだ。
たとえば八田興一の功績や、当時の日本が台湾 (や韓国) のインフラ整備のためにいかに尽力したかということなども知らなくちゃ。

烏山頭ダムについては、当時の日本にとって史上空前の大工事だったそうである。
大工事として知られる万里の長城は2700キロしかないけど、このダムから嘉南平野にそそぐ灌漑水路の総延長は (「街道をゆく」 によると) 1万6000キロだというから、いかにスケールの大きな工事であったかわかろうというものだ。

台湾でも朝鮮でも、それ以前に自国民のためにこれだけの工事がなされたことがあったかどうか。
日本の海外侵略を正当化する気はないけど、歴史の勉強をするならさらに先へ進んで、功罪の功のほうまで知ってほしいとわたしは考える

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2009年5月15日 (金)

5月のある日

209 210

先日、ちょいとした用事で吉祥寺まで出かけ、ついでに井の頭公園をぶらついてきた。
天気がよかったので見上げる新緑のこずえがとてもキレイ。
丸く重なった葉のあいだから日光がきらきら。
葉っぱの形がユニークなこの木はなんという木だろう。
池のほとりでは、カイツブリがわたしめがけてわらわら。
人なつっこいのはいいが、餌付けされすぎとちがうか。
わたしはエサなんか持ってないし、だいたいカイツブリがパンくずを食べるほど横着していいのか、オイ。

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2009年5月11日 (月)

ナマズの出てきた日

206 207 208

昨日は早すぎる夏日。
トチノキの大きな葉が、強力な陽光をすかしたままさわさわと風にゆれる。
Tシャツと短パンの季節である。

わが家の近所にナマズが生息していることはわかっていたけど、去年は見たいと思ってもそうそうしょっちゅう出会えるものではなかった。
今年はナマズの当たり年なのか、散歩のたびに見てしまう。

買い物がてらぶらぶら出かけたら、コイにまじってゆったり泳ぐナマズに出会った。
しかも2匹いっしょである。
たまたま近くにいた男性に、あれはナマズですねと声をかけたら、フライにすると美味いですよという返事をされた。
あらためて人間は魚類の天敵、それも弱肉強食の頂点にたつ存在であることを思い知る。
そういえば、去年は同じ場所にいすわっていたスッポン大王を、今年はまだいちども見ない。
わたしの知らないあいだにスープにされてしまったのではないか。
ちと心配である。

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にがい青春

「ラ・プラタの博物学者」 を書いたW.H.ハドソンは、べつに 「はるかな国 遠い国」 という自伝を書いている。
この自伝は、ハドソンが子供時代をすごした南アメリカの生活を回想したもので、博物誌としてもなかなかおもしろい本である。
これを読んでいて、その中のみじかいエピソードにこころをうばわれた。

まだ南米にも奴隷制度が残っていた時代、白人の大地主の家にやとわれていたハンサムな黒人の若者がいた。
彼はこの家の若奥さんのお気に入りだったけど、あまり奥さんからひいきにされるので、つい彼女は自分に気があるんじゃないかと誤解してしまい、ある日だんなの留守中に奥さんに胸のうちを告白したというのである。
奥さんにしてみれば、この黒人青年が快活でハンサムということで、ただ便利に使っていただけであり、これを自分に対する屈辱と受け取った。
黒人青年は奴隷の分際でと、雇い主のリンチを受け虐殺されてしまうのだが、うーむと考える。

殺された青年への同情や奴隷制度に対する怒りはもちろんあるけど、それよりも自分の若いころにもこんなことはよくあったということについて。
わたしもどこかの女性が親切にしてくれるのを、変に誤解して、ついその気になって、けっきょく打ちのめされたことが何度もある。
このみじかい挿話は、わたしに青春とはほろ苦いものだということをしみじみと思いおこさせる。

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2009年5月 7日 (木)

トレチャコフ美術館

206

ロシアのサンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館は、パリのルーブルに匹敵するほどよく知られているけど、モスクワにあるトレチャコフ美術館はそれほどじゃない。
じつはわたしもこんな美術館があるなんて知らなかった、1993年の春までは。

この年の4月、上野の森美術館で 「ニューヨーク近代美術館展」 をやっていたので、ひとりでぶらぶらと出かけてみた。
ニューヨークとつくと嬉しがっちゃう人が多いとみえて、美術館はえらい混雑だった。
わたしはわがままだから行列に並ぶのが大キライである。
ふと見ると、やはり上野公園にある東京都美術館で 「トレチャコフ美術館展」 というのをやっていた。
こっちでガマンしておくかと考えたのがとんだ僥倖だった。
なんでもこの年、トレチャコフ美術館は大改修工事をやっていて、本家で公開できずにいた主要な収蔵品が、ごっそり日本に引っ越してきていたのだそうだ。
わたしがたまたま入った展覧会は、日ごろあまり知られていないロシアの画家たちの絵を、まとめて体験できる貴重なものだったのである。

いや、素晴らしかった。
トレチャコフ美術館の収蔵絵画には、風景や人々の生活を写実的に描いたものが多かったので、ずっとロシアにあこがれていたわたしにとって、絵を観ることがそのままロシア国内のバーチャル旅行みたいなものだったのである。

わたしのロシア熱はいよいよ昂じてしまい、そのあとしばらくは、なんとかもういちどこれらの絵を観たいと、本気でロシア旅行を考えたものだった。
ところがパック旅行でもロシアが対象となると、値段がえらく高いのである。
あこがれはあこがれのまま終わるかとあきらめかけていたら、このたび、ふたたびトレチャコフ美術館の絵が日本にやってきた。

というわけでこの連休は渋谷の Bunkamura ミュージアムまで出かけてきた。
そこで昔の恋人みたいな、クラムスコイの 「忘れえぬ人」 なんかに再会してきたのだが、残念ながらちと失望。
前回のトレチャコフ美術館展に比べると、今回はスケールが小さすぎた。
Bunkamura ミュージアムは民営の美術館だし、前回みたいに主要な収蔵品がごっそりというわけにはいかなかったのだろうけど、展示されていた絵の中で感心したものは多くなかった。
わたしはこの美術館にある素晴らしい水彩画も観たかったのだけど、それもひとつもなかった。
もういちどトレチャコフ美術館の神髄にふれたいと思ったら、やっぱりロシアまで出かけなくちゃダメみたいである。
宝クジでも買ってみるか。

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2009年5月 2日 (土)

渚にて

M013

ちょっとウツな気分になりたいと思って、昨夜はひさしぶりに 「渚にて (On the Beach)」 という映画を観てみた。
今朝の新聞を読んだら、この映画の原作が半世紀ぶりに新訳で発売されたとあった。
これはちょっとした偶然だけど、原作はSFファンなら誰でも知っている有名な小説である。
ただ、半世紀ぶりの新訳ということからわかるように、なんせ発表されたのが50年以上前、映画化されたのも1959年だからそうとうに古い。
したがって内容は現代にはそぐわない。
SFでありながら、パソコンもインターネットも出てこないのである (もっとも宇宙人も恐竜も出てこないけど)。

これは米ソ対立の時代の核戦争の恐怖をあつかった、きわめてまじめな小説である。
そんなことは誰でも知っていると、SFファン、もしくはまっとうな知識人の大勢からいわれてしまいそうだ。

いまどき核戦争の恐怖で眠れないという人は、少しはいるかもしれないが、たんとはいないだろう。
つまり、「渚にて」 は、サイエンス・フィクションから、サイエンス・ファンタジーになったのである。
現実からかい離した物語になっているのである。
ファンタジーとして観れば、この映画はまだまだしみじみとした感傷に満ちた、古きよき時代のハリウッド映画の秀作のひとつといえるかも知れない。
エヴァ・ガードナーも若かったし。

昨今の若い人たちがこういう地味な映画を観るかどうかしらないけど、映画はラブ・ロマンスが中心で、ミステリーの要素がすこし。
ドンパチはぜんぜんない。
ミステリーの部分はこんなふうである。
米ソの核戦争で地球の北半球は全滅し、人類は迫りくる死の灰に怯えながら南半球のオーストラリアでかろうじて生き延びていた。
そんなとき人類が死滅したはずの北半球から、謎のモールス信号が発信されていることがわかった (Eメールでもないし、GPS電話でもない)。
生き残っている人間がいるのかどうか、潜水艦の艦長のグレゴリー・ペックが確認に行くんだけど、はたして謎のトンツーツーの正体は?

どうだ、おもしろそうだろう。
しかし結果は教えない。
興味のある人は、本を読むか、映画を観てみればよい。

添付した画像は・・・・・ 知りません。
"On the Beach" って言葉で検索したら出てきた写真で、ウツのときはこういうものもいいんじゃないかと。

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