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2009年5月16日 (土)

八田興一

ちょっと気がつかなかったけど、5月8日は、土木技師・八田興一の命日だったそうだ。
台湾ではこの日に、現総統の馬英九さんも出席して慰霊祭がとりおこなわれ、烏山頭ダム周辺を記念公園にすることが決まったという。
うれしいことであると言いたいが、ハテ、現在の日本の若者のうち、どれだけの人が八田興一の名前を知っているだろう。
わたしの愛読する司馬遼太郎の 「街道をゆく」 の中に 『台湾紀行』 という巻があって、そこにこの人について書かれた部分があるので、そこから経歴を引用すると

八田興一は日本統治時代の台湾で、当時としては東洋最大といわれた烏山頭ダムを建設して、不毛の地だった台湾南部を一大穀倉地帯に変えるのに功績のあった人である。
だそうだ。

彼はダムを建設したあと、太平洋戦争中に軍隊に徴用され、船で移動中、米潜水艦に攻撃されて亡くなった。
彼の奥さんは、外代樹 (とよき) といったそうだけど、終戦の年に自分の夫が作った烏山頭ダムに身を投げて自殺した。
この夫婦の生涯は、気骨をもった古い時代の日本人の生きざまをまざまざとみせつけるけど、それはさておいて。

新聞を読んでいると、わたしは歴史を勉強して真実を知りましたという学生さんの投稿なんかをよく目にすることがある。
そりゃエライと続きを読んでみたら、いかに日本軍が海外で残虐非道なことをしたか、よくわかりましたなんて書いてある場合が多い。
勉強をしてそういうことを知ったのなら、まあ、感心といえなくもないけど、それだけじゃ片手落ちだ。
たとえば八田興一の功績や、当時の日本が台湾 (や韓国) のインフラ整備のためにいかに尽力したかということなども知らなくちゃ。

烏山頭ダムについては、当時の日本にとって史上空前の大工事だったそうである。
大工事として知られる万里の長城は2700キロしかないけど、このダムから嘉南平野にそそぐ灌漑水路の総延長は (「街道をゆく」 によると) 1万6000キロだというから、いかにスケールの大きな工事であったかわかろうというものだ。

台湾でも朝鮮でも、それ以前に自国民のためにこれだけの工事がなされたことがあったかどうか。
日本の海外侵略を正当化する気はないけど、歴史の勉強をするならさらに先へ進んで、功罪の功のほうまで知ってほしいとわたしは考える

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