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2009年5月31日 (日)

高村光太郎

土曜日の夜は長湯につかって本を読む。
ここんところ体調がよくないし、無聊をかこつ身なので、こういうときは何を読んでもおもしろくない。
かろうじて詩の解説書みたいな本をみつけて、それをひろい読みする。

彫刻家で詩人でもあった高村光太郎に 「智恵子抄」 という詩集がある。
いまでいう痴ほう症のような状態で亡くなった奥さんの、死の瞬間をうたった 「レモン哀歌」 という詩が有名である。
学生時代に初めて読んで、わたしもこの詩をまる暗記、よくひとりで愛唱したものだ。

まあ、このへんまでは文学青年によくありがちなスタイル。
ところがその後もっとたくさんの詩を読んで、現在ではわたしは光太郎の詩になんだかイヤらしいものを感じるようになってしまった。
うまく説明できないけど、なんつーか、つまり技巧がすぎるのである。
読者を感動させようという作為が目について、すなおに悲しみを感じさせないのである。
宮沢賢治の詩に、妹の死をあつかったものがあるけど、そちらがとつとつと悲しみの感情を訴えてくるのとは大ちがいだ。

高村光太郎のほかの詩を読んでもそうなんだけど、この人はいい詩をつくろうとして、いろいろ工夫をこらし、文章を極限まで磨き上げることに熱中して、そういう作業中に本来の感情をどこかへ置き忘れてきたのではなかろうか。

わたしはヘソ曲りだから、いや、そんなことはない、あれは傑作だという人がいたって驚きゃしないけど。

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