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2009年7月 6日 (月)

剣岳

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映画を観てきた。日本映画で 「剣岳・点の記」 という映画。
鳴りもの入りの日本映画にロクなものはないというのが相場だけど、この映画は登山をテーマにした映画で、日本アルプスの風景がたっぷり出てくるというから、山好きのわたしの関心をひいたのである。
じつはわたしも剣岳 (つるぎだけ) には登ったことがあって、ここに掲げた写真はそのときわたしが撮ったもの。
映画はユーモアのかけらもなし、優等生が撮ったような固っ苦しいものだったけど、期待通り、山の映像のすばらしい映画だった。
オーソドックスなカメラワークも、せせっこましいCG映画ばかりの昨今では、むしろ好ましかった。

剣岳の初登頂は、ある人物をのぞけば、明治時代の日本陸軍内の陸地測量部によるとされている。
陸地測量部の登山は、正確な日本地図作成のため、山頂に三角点を置くためのもので、日本の名だたる山のほとんどは、民間の登山ブームがまきおこった大正時代には、すでに測量部によって登り尽くされていたようである。

「点の記」は、最後に残った地図の空白部分 (剣岳山頂) に三角点をきずこうとする陸地測量部の困難な闘いを描いている。
それだけじゃまじめすぎて映画にならないと考えたのか、測量部と初登頂を競う、出来たばかりの日本山岳会も登場する。
映画の中で道楽息子たちのお遊び登山と揶揄されている山岳会だけど、このリーダーの名前が最後になって小島烏水であることがわかった。
日本山岳史の黎明期に知られた登山家であり、また紀行作家である。
もちろんわたしは彼の本も読んでいる、なんてことはどうでもいいけど、「点の記」 の原作は山岳小説をたくさん書いた新田次郎である。

わたしはこの原作を読んでないのでわからないが、剣岳の初登頂をめぐって測量部と山岳会が競ったという事実は初耳だ。
ただ初登頂を競うという似たような事件は槍ヶ岳の北鎌尾根でじっさいにあり、映画ではドラマを盛り上げるためにそのあたりを粉飾したのではないかという気もする。

そもそも測量部の登山は純粋に地図作成という公務のためのものであって、民間の登山者に勝とうが負けようが関係ない。
負けるなとか、負けたのがケシカランと、陸軍軍人が大声でわめきちらすのは悪しき日本映画の伝統通り。
映画では測量部は山岳会に競り勝つのだが、“ある人物”には負けた。

測量部がようやく山頂に到達したとき、そこに古い時代の錫杖の頭を発見したのである。
やはり有名な山岳紀行作家の深田久弥によると
『古来登山者絶無と見なされていたこの峻険な山に、誰か勇猛果敢な坊さんが登っていたのである』 ということになる。
わたしは見たことがないけど、この錫杖の頭は、いまでも富山県にある立山博物館に行けば見られるという。

そんな剣岳も、いまでは危険な個所にクサリ場などが設けられ、誰でも容易に登れる山になった。
わたしが登ったとき、山頂は歩行者天国のようなにぎわいだった。
「点の記」を観て、そのおりの美しい北アルプスの風景がよみがえってきた。

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