たそがれの跨線橋
武蔵境と三鷹をむすぶ線路のわきを歩いていて、電車庫のあたりにさしかかったら、いっしょに歩いていた知り合いが、ここの跨線橋は三鷹市の名所なんだと教えてくれた。
三鷹駅近くの古くからある跨線橋だけど、幼児を連れた母親などがその上で通り過ぎる列車をながめていると、車掌が手をふってくれたり、パォーンと警笛を鳴らしてくれるのだそうだ。
なるほど、わたしが跨線橋に登ったとき、たまたま幼児と母親がいて、列車が警笛を鳴らして通りすぎた。
素朴で人間味の感じられる光景であるなと感心した。
この跨線橋にはこの近くに住んでいた太宰治も子供を連れてよく通っていたそうで、橋のたもとにそれについて書かれたプレートが設置されている。
遠いむかし、永島慎二だったか、宮谷一彦だったか、誰だったかはっきり記憶してないんだけど、抒情ゆたかな作品を描くマンガ家がいて、その作品の中にこの跨線橋が出てきた。
永島慎二もわたしに精神的影響を与えた作家のひとりだけど、すでに故人だ。
おぼろな記憶はさておいて、この橋の上で人生についてさまざまに煩悶した若者は多いんじゃないだろうか。
ちょうどたそがれ時だったのでよけいそんなことを考えてしまった。
たそがれ時だとなんでよけいそんなことを考えるのか?
理屈っぽいねえ、キミ。
人間がいちばん感傷的になるのが夕暮れ時だってことサ。
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