夜更けという詩
中原中也は最初、本格的な詩人をこころざして、当時の芸術革新運動だったダダイスムにのめりこみ、いくつかの難解な詩を発表しているけど、わたしはダダイスムなんてものに興味も理解もないので、そのころの彼の詩で好きなものはあまりない。
彼が本領を発揮するのは、ダダイスムなんてややこしいものから脱却し始めたころからである。
それでもこのころの歌でわたしの好きなものを挙げると、たとえば 「朝の歌」 の最終節
ひろごりて たひらかの空
土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢
また「逝く夏の歌」の終わりの部分
風はリボンを空に送り
私は寡て陥落した海のことを
その浪のことを語らうと思ふ
騎兵連隊や上肢の運動や
下級官吏の赤靴のことや
山沿ひの道を乗手もなく行く
自転車のことを語らうと思ふ
ここにあげた詩の断片は、べつに意味がどうのというわけではなく、ただなんとなく口ずさむのが好きなのである。
彼がややこしい理論や崇高な目標をかなぐり捨てて、ぼそぼそと虚無ややけっぱちの心境をうたい始めると、がぜん魅力的な詩が多くなる。
以前、新聞に中原中也の未発表の詩が発見されたという記事が載ったことがある。
「夜更け」 という詩で、わたしはその記事を切り抜いて保存しておいた。
夜が更けて帰ってくると
丘の方でチャルメラの音が・・・・・・
夜が更けて帰ってきても
電車はまだある
・・・・かくて私はこの冬も・・・・
夜毎を飲むで更かすならひか・・・・・・
かうした性(さが)を悲しむだ
父こそ今は世になくて
夜が更けて帰ってくると
丘の方でチャルメラの音が・・・・・・
電車はまだある
夜は更ける・・・・・・
この詩がほんとうに中原中也の詩なのかどうか、その後結論がどうなったのか知らないけど、ここにはアル中患者が呑んだあと悔悟しているような、彼の詩を知る者にとって一目瞭然の個性がある。
たぶん彼の作品にまちがいないんじゃないか。
中原中也の詩をひきあいに出したけど、初期の理屈っぽい難解な詩よりも、こうしたわかりやすい詩のほうが世間の評価が高いということは、芸術家をこころざすすべての人が考えなければいけないことだと思う。
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