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2009年7月 9日 (木)

ステレオタイプ

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ステレオタイプという言葉がある。
どんな意味かというと、たとえば中国の少数民族の問題を考えるとき、たいていの人がまっ先に考えるのは、中国は強権でもって少数民族を弾圧しているというものだ。

今朝の新聞に典型的な記事があった。
20年も前のことだけど、新疆ウイグル自治区を取材しているとき、こんな光景をしばしば目撃したと記事は書く。
漢族の運転手は車にウイグルを乗せたがらない。
理由はヒツジの肉を常食するウイグルを乗せると車がヒツジ臭くなるからだそうだ。
なるほど。
それじゃ豚肉を常食する漢族を乗せるとどうなるかは、この記事では触れていない。

自治区政府の役人は、仕事でウイグルと組むのは御免だといっていたそうだ。
ウイグルは怠け者で責任感も乏しいからだという。
20年前といえば改革開放がようやく軌道に乗ったころである。
素朴な前近代的生活を続けてきたウイグル人に、いきなり近代的政策を押し付ければモタモタするのは当然で、このことは決してウイグルが怠惰という証明にはなるまい。
こうしたことを並べて、新聞の記事は、漢族の支配者然とした優越意識が鼻についたと書く。

どうもこの記事を書いた記者には、はじめから漢族はウイグルをバカにしている、漢族はウイグルを抑圧しているという先入観があったようだ。
わたしは新疆に何度も出かけて、たしかにウイグルの漢族に対する反感のようなものは肌で感じたけど、それでも大半の人々は文句もいわずに平和に暮らしていた。
愚劣な個人は別にして、政府が組織だってウイグルを差別しているような事実を見つけることもなかった。

20年前はいざ知らず、現在では自治政府内で働くウイグルの数も多いはずである。
ひょっとすると、20年前ではいまさら確認しようがないから、それを最初から計算にいれてこの記事を書いたのか。
現状を公平にながめれば、中国政府は少数民族に対してハレ物にさわるような姿勢でのぞんでいるというのが事実のようにみえる。
今回のウルムチの騒乱に当局は軍隊を繰り出したが、これもウイグルを弾圧するというより、対立する両者のあいだに割って入ったというのが正しい見方だろう。
それなのに新聞記事の最後は、「中国政府が力づくの弾圧で、民族の声を消すことがあってはならない」 と結んでいる。
こういうのをステレオタイプというのである。
20年も前の見聞を持ち出して、結果的に民族間の対立をあおっているようなものだ。
えっ、朝日新聞。おまえのことだよ。

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