山の遭難=前篇
北海道のトムラウシで登山者の大量遭難死。
トムラウシといえば深田久弥の 「日本百名山」 にも数えられている有名な山だけど、現在では、まして7月の登山では、それほど危険な山とは思えない。
わたしも山は好きだけど、ベテランというほどのもんでもないから、この遭難について、装備が足りなかったとか、夏山をあまく見てとか、エラそうなことは言わないことにする。
遭難者にはどこかに運命の分かれ道があって、たまたま不運な道に踏み出してしまったということだろう。
わたしの友人には馬鹿者が多くて、山の中で道にまよって2日間ばかり同じところをぐるぐるまわっていたなんてのがいるけど、わたしは単独登山の愛好者で、頼れるものは自分ひとりという認識をつねに失わないから、地図なども丸暗記できるくらい研究してから登ることにしている。
そういうわけで迷子になるなんてことはあまりないけど、いちどだけ奥多摩で遭難?しかけたことがある。
その日、日原村あたりをぶらぶらしてから、バス停まで行ってみたら、帰りのバスまでだいぶ時間があるのに気がついた。
そんなら途中のバス停まで歩いちまえ。
そう考えて日原街道をてくてく歩いているうち、奥多摩工業のそばの新しいトンネルにさしかかった。
トンネルの中を排気ガスまみれになって歩くのはイヤだから、トンネルの外側をまわりこむ古い登山道をゆくことにした。
この道は廃道になっていて、立ち入り禁止の看板が出ていたようだけど、日原街道からはなれているわけでもないし、天気はうららか、風もない絶好のハイク日和だったので、看板は無視することにしたのである。
まもなく人間のこぶし大の砕石が山の斜面を埋め尽くしている場所へさしかかった。
横切るのは簡単そうだったけど、万一なにかのはずみで石がガラガラと崩れ始めたら、わたしは谷底の日原川まで押し流されて、そこで生き埋めになるかもしれない。
運命の分かれ道ってのはこういうところを言うのかも。
それまでのわたしの運命はそれほど幸運なものでもないみたいだったけど、まあいいやと、運を天にまかせて、冷や汗をかきながらそこを越す。
こんなガレ場が2カ所ほどあったけど、さいわい無事に通過してさらに前進すると、道はしだいに日原川の流れる谷底へ下りていくではないか。
しかしこのあたりの日原川はささやかな細流であるし、川づたいに下っていけば奥多摩町に出ることもわかっていたから、まだまだ悩んだり心配したりすることはなかった。
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