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2009年7月15日 (水)

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まだ青い稲田の上をさらさらと風がわたってゆく。
わたしは風を見るのが好きである。
風が目で見えるのかと疑問をさしはさむ向きには、いまの季節の田んぼに行ってみればよいと答えておく。
田んぼでなくてもいい。草原でも海の表面でもいい。風を見ることのできる場所はけっこう多いのである。

宮沢賢治の「風の又三郎」の中に、風を擬人化したすばらしい文章がある。
嘉助という少年が山の中で道にまよい、霧にまかれる場面である。
風がススキの穂をゆらし、草の葉からしずくのおちる音が聞こえてくる。
そこで賢治はこう書くのである。

風が来ると、すすきの穂は細いたくさんの手をいっぱいのばして、忙しく振って、
「あ、西さん、あ、東さん、あ、西さん、あ、南さん、あ、西さん」なんて言っているようでした。

不安にかられる少年を無視して、ススキがざわざわと風にゆれているようすを、詩人でもある宮沢賢治はみごとに擬人化している。

わたしは詩人でも童話作家でもないから、なかなかこんなふうなすばらしい表現はできないけど、稲田の上をわたってゆく風を見ていると、いろいろもの思うことがある。
現在のわたしたちが失ったものはたくさんあるけど、この風だけは、大昔の、自然が自然のまんまであったころから、やはり草木をゆらして通り過ぎていたにちがいない。
人間が稲という植物を育てはじめた弥生時代、やはりわたしのような人間が、ぼんやりと、田んぼのふちで風をながめていただろうと思ってしまうのである。

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