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2009年9月17日 (木)

広島の思い出

7月31日のこのブログで中原中也の 「逝く夏の歌」 の一部を紹介した。
その中に 「山沿ひの道を乗手もなく行く自転車のことを語らうと思ふ」 というフレーズがある。
このフレーズはいつもわたしになつかしい思い出をよびさます。

かってわたしが海上自衛隊にいたころ、赴任先の広島・呉で、同期の友人と再会したことがある。
この友人はカネコといって、横須賀の教育隊で同じ時期に初年兵教育を受けた。
特別に親しいわけでもなかったので、その後それぞれの勤務地に別れて配属されると、それっきり交際も途絶えたのだが、数年後にわたしが呉の江田島にある術科学校に配属されて、街でぐうぜん彼と出会ったのである。

街で出会ったとき、カネコは当時流行っていたIVルックできめていた。
柄の半そでシャツにつんつるてんのコットンパンツ姿である。
対するわたしは (生意気にも) ロンドンあたりが発生源のモッズルックである。
ダッチボーイキャップにダブルのジャケットで、まるで雑誌から抜け出たよう。
似合っているかチンドン屋かはともかくとして、2人ともそのへんの自衛官には見えなかったことと思われる。

わたしたちはよく呉の街をぶらついた。
前から若い女の子の2人連れが来ると、カネコは、ようっと気安く声をかける。
知り合いかいと尋ねると、ぜんぜん知らない子だそうだ。
こんな調子で反対側の歩道にいる子たちにも、大きな声で呼びかける。
ナンパとすればこんなにストレートなナンパもないんじゃないか。
なにしろわたしたちが好青年だったころではあるし、世間にはヒマをもてあましている娘が多いとみえて、だいたい3割か4割の確率で女の子たちをお茶ぐらいに誘えた。
わたしひとりではとてもそんな勇気はないんだけど、カネコのおかげでわたしの呉における青春はまずまず楽しいものだった。

夏になるとよく江田島の海水浴場へ出かけた。
カネコは島内の弾薬庫の警備員として勤務していたので、わたしのほうが日曜日に外出許可が出ると、彼の勤務先まで訪ねてゆく。
弾薬庫で落ち合ったあと、弾薬庫の備品の自転車を持ち出し、2人乗りして海水浴場まで行くのである。
なにしろ若いころだし、1日中よく泳ぎよく遊んだものだ。

ある日、自転車に2人乗りしたまま、べつに目的もなしに島の奥のほうへだらだらと出かけたことがある。
そのうち夕方になってしまった。
ここで冒頭の中原中也の詩の登場である。
  風はリボンを空に送り
  私は寡て陥落した海のことを
  その浪のことを語らうと思ふ
    騎兵連隊や上肢の運動や
    下級官吏の赤靴のことや
    山沿ひの道を乗手もなく行く
    自転車のことを語らうと思ふ

この詩を読むたびにわたしは、夏の太陽が山の端にかかるころ、坂の多い田舎道で自転車を押していたカネコのすがたをなつかしく思いだす。
自衛隊を退官したあと、主としてわたしのずぼらからカネコとは音信不通になった。
わたしがもういちど会いたいと思う友人は多くないけど、彼はそのひとりである。
彼がこのブログを読む機会はないだろうか。

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