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2009年10月

2009年10月30日 (金)

妻籠

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先日、木曽の御嶽山に行って、ついでに妻籠の宿場跡を見物してきたということはこのブログでも書いたけど、やっぱりそのおりの写真も載っけておこう。
宿場風景はネット上にいくらでも写真が見つかるので、ちょっとヘソ曲がり的視点から。
全部妻籠で見かけたものばかりです。

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2009年10月28日 (水)

ブログ

ニュースを見ていたら、謀殺されたらしいプラモデル愛好家の男性が、ブログにいろいろ交際相手の女のことを書いていたという。
結婚サギ、プラス殺人だとしたらわるいオンナだなあなんて思ったけど、ところがこの女のほうもブログを持っていて、そのまえの事件のとき警察にいろいろ訊かれちゃってタイヘンだったわなんて書いていたらしい。
殺すほうも殺されるほうもブログなんて、いやはや大変な時代になったもんだ。
こういう時代なのにわたしの周辺にブログを持っている人があまりいない。
誰かに殺されそうな人は、自分の日常を克明にブログに書いておけば、事件解決の糸口になって、あの世でくやしい思いをしなくてすむんじゃないか。
殺すほうもブログにいろいろ自己弁護を書くかもしれないけど、それはわざとらしいってことで、かえって警察ににらまれるおそれがあるからあまりお勧めしません。

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日本医師会

おっ、いいぞいいぞ、というのは民主党が日本医師会をブッた切ったことについて。
日本医師会というのは圧力団体の最たるもので、これまでも自分たちの利益のために政策をねじねじねじとねじまげてきたことで知られている。
政権が代わって、そういうものの呪縛を切って捨てるのはイイことだ。
医師会のお医者さんたちにも言い分はあるだろうけど、ここはひとつ、無駄な抵抗はやめて、しばらく山本周五郎でも読んでいることだ。
なに、開業医だって、腕さえよければ患者に事欠くことはないはず。
組織にすがって生きているような頼りないお医者さんは、しばらく途上国へ医療支援にでも行っておればよい。
腕はみがけるし、国際貢献にもなるド。

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2009年10月27日 (火)

御嶽山

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行ってきました。 木曽の御嶽山。
当日はすばらしい登山日和。
台風が近いということで、不穏な気象を象徴するように絹雲が乱舞していたけど、秋の空はあくまで高く、森林限界にある駐車場からは、山頂の山小屋までが指呼の間に見えた。
めったにない快適な登山になりそうな予感がしたけど、わたしは神経痛が出たのでリタイヤ。

なんじゃそれはと言われそうだけど、仕方ありません。
ジジくさいのは承知で観光と呑み会に専念することにして、車で妻籠なんて古い宿場町を見物してきた。
妻籠について書こうとしたけど、これはネット上に記事があふれている。
わたしのようなシロートがいまさらエラそうなことを書いてもしようがない。
それでとちゅうで見た南木曽町の奇妙な橋について書こうと思った。

このめずらしい橋は桃介 (ももすけ) 橋というそうで、ひと目見ただけでもずいぶん個性的な橋という感じ。
なんでも架けられたのが大正時代というレトロな橋で、名前はこの橋をかけた電力会社の社長さんの名前からとられたという。

しかしこの橋についてもやはり紹介記事はたくさんある。
それで無難な写真だけど、御嶽山のふもとの秋景色を紹介してお茶をにごすことにする (桃介橋を見たい人はネットでどうぞ)。
http://www.nagiso-town.ne.jp/html/nagiso/momosuke.htm

期待したむきには申し訳ないけど、期待されていないブログであることもよく承知しております。

桃介橋のリンク先については、その後消滅したようなので、ここにネットで見つけた写真を載せておきます。

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2009年10月24日 (土)

山の納会

この夏にむかしの登山仲間から会津地方の山へのキャンプに誘われて、そのさい見物してきた大内宿の写真をこのブログに載せたことがあるけど、同じ仲間から今回は納会のお誘いである。
なんでも木曽の御嶽山に登って、ついでにその近くで呑んで騒ぐのだそうだ。
御嶽山にとっちゃ迷惑な話だろうけど、いちおうネットで下調べをしてみた。
うちの山仲間には無謀という言葉をしらない輩がいて、ときどき時期や険しさや、自分のトシを考慮しないまま計画を推し進めてしまうのがいるから油断できない。

木曽の御嶽山は古くから信仰の山として有名だけど、ちょっと特異な位置にある山で、山好きのわたしにも、東京からどうやって行くのかと訊かれると、ちょいと即答できない山である。
中途半端なところにあるせいで、日本アルプスに入れるかどうしょうかと論争もあるそうだ。
高さは3067メートル、と知って、軟脚派のわたしらにはちょっとヤバイかなと思ったけど、なんでも2000メートル以上の高さまで車で行けるという。
なんだ、そうか、あははと安心するのはまだ早い。

この季節では御嶽山の山頂はもう冬景色ではないか。
ヘタすると雪山だったなんてこともありうるぞ。
むかしこの連中と木曽駒ケ岳に登ったことがあるけど、高速道路を走っているとき、前方にまっ白い雪山が見え、それが目的地とわかって、軽装だったわたしらは腰をぬかすほどたまげたことがある。
そういう点が心配だけど、なに、ヤバイと思ったら即登山中止、呑み会だけに専念するのみだ。
御嶽山のまわりにはいい温泉もありそうだし。

登山が先か温泉が優先か、どんな顛末になるかわからないけど、帰宅したらたぶん写真ぐらいは載せられるんじゃないか。

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2009年10月23日 (金)

地方空港のコマッタ

赤字日本航空の地方空港からの撤退で、地方空港がおたおたしているというニュース。
地方空港の中に茨城空港もあったから、ちょっと錯覚して、へえ、成田も困っているのかいと思ったら、これは霞ヶ浦のそばに建設中のべつの空港だそうだ。
なんだなんだなんだ。
そんな空港が作られているなんてぜんぜん知らなかったぞ。

すぐ近くに成田空港があるのに、どうして茨城にまで空港が必要なんだと、新聞を読んでみたら、そもそものきっかけは40年も前の政策のせいだというから、これもバブルの産物らしい。
つまり景気がよかったころに推進された事業が、大不景気のいまになって問題になっちゃっているということらしい。
こういう問題はなにも地方空港にかぎらないけど、どうもそれだけじゃないようだ。
新聞によると、どう考えても見通しが甘かったといいたくなる空港ばっかりである。

廃止の危機に直面した空港をかかえる県の知事さんらが、あわてて国土交通省に陳情に行ったらしいけど、前原クンは無視のかまえだったという。
これは前原クンのほうが正しい。
飛行場でもダムでも道路でも、作ればカナラズ地方が豊かになるという発想はそろそろ改めたほうがいいんじゃないの。
なんとかなるさで始めちゃった事業はどんどん整理してもらって、浮いたお金は子供手当の財源にでもしてもらうほうがエエ。

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2009年10月22日 (木)

ウインドウズ・セブン

マイクロソフトが新しいOSを出すそうだ。
そりゃまあ、勝手にやってもらってかまわんけど、わたしの周囲にももう浮足だっている人がいる。
ビスタのときも、またその他のたくさんのソフトでもそうだけど、なんでヴァージョンアップのたびに騒ぐんだろう。
ほんとうに価値のあるヴァージョンアップなんてめったにない。
ビスタが出たときも、これがないとデータを読み込めない場合もあるんだと騒ぐ人がいた。
そんなことはほとんどなかった。
たとえばワード文書でも、必要なら古い形式で保存する選択もあったから、互換性についてそんなに心配する必要はなかった。
だいたい、作ったデータが最新のパソコンでしか読めないような、そんな不便なOSをいったい誰が買うか。
というのは、ビスタ発売当時のわたしの意見だった。
どうせマイクロソフトの悪あがきだ。
新しいOSが出たからって、いちいち大騒ぎなんかする必要はないのである。
そんなものはお金のあまっている人、頭のあんまりよくない人が買えばヨロシイ。

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2009年10月21日 (水)

妹よ

  夜、うつくしい魂は涕いて、
    ───かの女こそ正当なのに───
  夜、うつくしい魂は涕いて、
    もう死んだっていいよう・・・・・・といふのであった。

  湿った野原の黒い土、短い草の上を
      夜風は吹いて、
  死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
    うつくしい魂は涕くのであった。

  夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに、
    ───祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった・・・・・・

これは中原中也の「妹よ」という詩である。
ずっとむかし、ある雨の晩にわたしの友人が、出刃包丁を持ち、血相を変えてわたしのアパートへ押しかけてきたことがある。
なんだ、どうしたと、わたしもいささか狼狽して訊いてみたら、これから女を殺しに行くのだという。
おだやかじゃない。
彼は若い娘と同棲していたのだが、その娘がべつの男と浮気したので、彼女を殺して自分も死ぬのだそうだ。
バカいってんじゃないよ、たかが女にふられたくらいでと、まあ、ふつうの人間ならこれを止めるだろう。
わたしの場合は文学青年だったから、この詩を持ち出して、みろ、中原中也という有名な詩人だって女にふられて悶々と苦しんだことがあるんだと言って聞かせた。
ふられることではわたしのほうが彼よりも1日の長があったし、だいたい本気で血を見る覚悟があったのかどうか、彼はその晩わたしと語り明かし、朝になったらツキモノが落ちたような顔をして帰って行った。

めでたしめでたしというところだけど、この話には後日譚がある。
この事件とはちょくせつの関連はないけど、この友人はその後、福井県の山中で心中自殺をした。
心中の相手は出刃包丁の相手ではなかったから、なにをかいわんやだけど、この男の人生について、わたしはブログに何か書きたくて仕方がない。
しかし書こうとすると胸がふさがって、いつになっても文章がまとまらないのである。

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2009年10月20日 (火)

デヴィッド・アッテンボロー

英国BBCにデヴィッド・アッテンボローというプロデューサーがいて、この人は名優リチャード・アッテンボローの弟だそうだ。
そんなことはどうでもいいけど、この人の作るBBCの自然科学ドキュメンタリーはひじょうに定評がある。
昨夜は彼の新しいシリーズが放映されたので、さっそく録画しておいた。

アッテンボローの番組でおどろくのは、野性動物と本人が同じフレームに収まって登場する場面が多いことで、これが彼のドキュメンタリーのひとつの売りものになっている。
たとえばカモノハシというめずらしい動物がいて、この動物はひじょうに用心深く、観光客が見物に行っても容易には姿を見せないそうであるのに、以前観た番組の中で、この動物が嬉々としてアッテンボローの足もとにたわむれるのに驚いたことがある。
昨夜の番組でも、貴重なカエルや大きなトカゲ、あるいはその幼生などが、アッテンボローと同じ画面に出てきて、まるで彼とともに演技をしているようだった。
このあたりは、日本でも昆虫カメラマンの栗林慧さんが開発した、対象とその背景にまで焦点が合うという特殊なクローズアップ・カメラのようなものも使われているのだろう。

これ以外にも、いったいどうやって撮影したのか、いったいどうやってこんな不思議な現象を見つけたのかと思うような、おどろくべき映像がつぎつぎと現れる。
セミから甘い汁をもらうヤモリがいるなんて、自然科学に強いつもりのわたしも知らなかった。
NHKでも自然科学の番組はたくさんあるが、それはBBCの二番煎じという場合が多いのである。
そしていちばん大きな違いは、BBCの自然科学ドキュメンタリーが詩情にあふれた大人向けのものであるのに対し、NHKのそれは(内容はすばらしいものもあるけど)どこか子供っぽくてわたしには物足りないということだ。
最近デジタルに切り替えたばかりのウチのテレビでは、アッテンボローの番組の映像の美しさも特筆すべきだろう。

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2009年10月19日 (月)

百閒先生

関川夏央の 「汽車旅放浪記」 を読んでいたら、内田百閒のことが出ていた。
内田百閒は自分の家の戸口にこんなことを書いておくほど、皮肉屋のユーモリストだったそうである。
 世の中に人の来るこそうれしけれ とはいうもののお前ではなし

百閒が鉄道が大好きだったかどうかは意見の分かれるところだけど、この人は 「阿房列車」 という列車の乗車記を書いている。
紀行記ではなく乗車記であるところがミソだけど、はじめてこの本を目にしたときは 「阿房列車」 の意味がわからず、わたしもむかし乗ったことのある安房方面の列車 (房総線) のことを書いた本かなと思った。
ところがこれはじつは 「あほうれっしゃ」 と読む、人をくったタイトルの本だった。

わたしは旅が好き、旅に関係のあることならたいていのものが好きだから、この本も読んでみたはずだけど、あまり記憶に残っていない。
関川夏央サンによると、なかなかおもしろい本だとあるのに、なんでそれが記憶に残ってないんだろう。

内田百閒は夏目漱石の門下生で、「阿房列車」 のほかに、「冥途」 という夢みたいな (じっさい夢なんだけど) 短編ばかりを集めた本がある。
「冥途」 を読んだのは漱石の 「夢十夜」 を読んだあとだったので、ははあ、百閒先生、こんな小説ならオレにも書けると思いやがったなと感じた。
漱石の 「夢十夜」 は、人間の潜在意識にまで踏み込んだ傑作だと思うけど、なにしろ夢の中の話だから、根拠を問われることもない、苦情がくるわけもない。
マネしようと思えば似たようなものは誰にでも書ける。
しかし漱石の作品にあった曖昧模糊とした夢の特質、走っても走ってもその場からぜんぜん動けていないというような本物の恐怖が、目がさめるととたんに雲散霧消のどんでん返し、そんな特質を巧みに文章化することは、凡庸な作家にできることではない。

自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。

自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」 とこの時始めて気がついた。

書かれている内容が深刻な割には、結末は夢からさめたようにあっけない。
潜在意識については他の多くの批評家にまかせるけど、わたしが 「夢十夜」 で技巧的に感心するのはこんなところである。
「冥途」 を読んで、潜在意識をもたない百閒さんに潜在意識が書けるはずがないでしょと、ちょっと乱暴な見立てだけど、それがそののちわたしの百閒に対する偏見になってしまった。
彼の本が印象に残らないのはそれが原因かもしれない。

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2009年10月18日 (日)

胸のタトゥー

用事があって街へ出た。
列車の中でわたしのまえに、まだ高校を出たばかりのような、ぽっちゃり型の小娘が立っていた。
胸の大きくあいた服を着ていたので、自然とそこへ目がいく。
いやらしいと思われるかもしれないけど、どうしてもそこへ目がいってしまう。
彼女は胸の谷間に、幾何学模様のタトゥー(彫りもの)を描いていた。
とてもヤクザのお姐さんには見えない清純そうな娘だったから、まさか本物の彫りものじゃあるまい。
よく知らないけど最近はシールで転写するだけのお手軽なタトゥーが流行っているらしいから、たぶんそれと思われるけど、これじゃ見るなというほうがムリだ。
いやらしいというほうが理不尽だ。
最近の草食系男子ならいざしらず、まともな神経の男性ならゼッタイそこへ目がいってしまう。
写真を撮りたかったけど、ちょうどカメラが修理中でよかった。
いくらなんでも目の前で写真なんか撮ったら、いかに胸のタトゥーが自慢の娘でも、わたしのことを変態と思って、ヘタすれば告訴沙汰にならないともかぎらない。
それなら最初からそんなものを誇示しなければいいのに、女の子の心理はわからない。

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不気味な家

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カメラがいかれた。
といっても深刻な故障ではなく、内部にゴミが入ってと、デジタルカメラによく起こりがちな障害である。
それでも分解修理をしなくちゃならないから、1週間ほどカメラを預けなくちゃならない。
でも心配はいらない。 ブログに使えそうな写真のストックは腐るほどある。

この写真は国分寺のお鷹の道からはけの道あたりを散策していたとき見かけた民家。
なんか木彫や看板作りを商いにしている家らしいけど、いろんなものが乱雑に積み重なってちょっと不気味。
どんな芸術家が住んでいるのかと思ったけど、無礼者!とどなられそうで、コワくて声をかけられなかった。

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2009年10月16日 (金)

ホンネ

浮世ばなれした福島瑞穂チャンが、アタシの言うことも聞いてえっと叫んでいるみたいだけど、その割にはあまりその声は新政権に届いていないようだ。
彼女はもちろん国民の味方だから、危険と隣り合わせで騒音に悩む沖縄県民のために、普天間基地なんぞはどっか沖縄以外の場所へもっていくべしという固い信念だ。
どうも彼女は、基地をよそに移せば困るのは地元なんだということに気がついてないようだ。

環境破壊の元凶であるダムでも道路でも飛行場でも、誘致にいちばん熱心なのはじつは地元の自治体なのである。
概算要求に民主党の大ナタをふるわれて、おいおいおいとアセっているのは県知事さんの場合が多いのだ。

いくら自然が豊富でも過疎の村じゃ食っていけない。
米軍基地のような巨大な施設が、地元におとすお金 (騒音も) は計り知れない。
地方自治体としてはいっしょうけんめい駄々をこねて、基地をそのまま維持する代わり、前政権からようやく目いっぱいの支援策を引き出したというのに、政権が交代したとたんにぜんぶチャラ。
それどころか金づるの基地をよそに持っていくといわれちゃ、沖縄の知事さんも慌てないわけにいかない。
ホンネとたてまえは違うのである。
瑞穂チャンにかぎらないけど、どうも女性ってのはいちずなところがあって困りモン。

じつはこんなことをずけずけ書いていいものかとわたしも悩んだ。
しかしわたしは有名人ではないし、わたしの意見が世間を左右するものでもなかろう。
あくまで福島瑞穂チャンの肩をもちたいという人は、一言居士のたんなるネゴトだと思ってほしい。

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2009年10月15日 (木)

言論弾圧?

捺天时我买了一个相机Canon50D套机11800元,本来想出去旅行1个月,领导没有批准我的请求。旅行给恍了。

ひさしぶりに中国の知り合いからメールがきた。
なんかよくわからんけど、日本製のカメラを買ったらしい。
向こうは自分の国の言葉でメールを送ればいいが、わたしのほうはそれを日本語に直し、こっちの返事をまた中国語に直さなければならない。
辞書なしですらすら訳せるなら問題ないけど、わたしはそうじゃない。タイヘンなのである。

それにしても一個人がぽいとメールを日本に送ってしまう現状は、言論弾圧の中国にしちゃうかつじゃないか。

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2009年10月14日 (水)

なんだなんだなんだ

補正予算をけずることに血まなこになっている民主党が、「子育て応援手当」 を停止するんだそうだ。
停止して浮いたお金を自分たちの政策である 「子ども手当」 に使おうってことらしい。
今年もらえるはずのお金が、来年からべつの名目でもらえるということかもしれないけど、とりあえず今年もらうつもりだった母子家庭なんか大迷惑じゃなかろうか。
わたしみたいに独身で子供もいなくて、ぜんぜんお金のもらえるアテのない人間でも、まあ、仕方がないか、子育てっていうのはタイヘンなことなんだからと、慈善カンパのつもりでガマンしようと思っているのに、なんだなんだなんだ。
ほんとに子供のことを思うなら、「子育て応援手当」 も停止せず、そのまま 「子ども手当」 に移行すればよい。
前の政権のやったことはなんでも無視すりゃいいってもんじゃない。

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2009年10月12日 (月)

コスモス

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ひと目見ただけで神様の存在を信じたくなってしまう写真がある。
合理的精神のかたまりみたいな宇宙飛行士と、精神世界の所産である宗教というものは、水と油と思われがちだけど、けっしてそんなことはないらしい。
米国の宇宙飛行士の中には地球に帰還したあと宗教にのめりこんでしまった人もいる。
ま、わたしもそうとうの合理主義者だけど、こんな写真を見せられれば、思わず頭(こうべ)をたれたくなる。
地球上の人間が考えだしたもろもろの宗教よりも、もっともっとずっと偉大なものの存在を感じてしまうんだよね。

で、その下になんで昭和公園のコスモスが出てくるんだろう。
それはつまり、宇宙(=cosmos)と、秋桜(=cosmos)のたんなる語呂合わせです。

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2009年10月11日 (日)

秋の休日

わたしは読んだことがないけど、森鴎外の 「伊沢蘭軒」 という小説の中に以下のような文章があるそうである。
  わたくしは学殖なきを憂ふる。
  常識なきを憂へない。
  天下は常識に富める人の多きに堪へない。
この文章のことは、永井荷風がその小説の中でこれを引用しているところから知ったのである。
鴎外はもちろん、この文章を世間に対する苦い思いをこめて書いたのだろうけど、荷風が引用すると苦さがさらに増幅されるようである。
学問をした偏屈者よりも世渡りにたけた常識人のほうが、世間一般の評価が高いということはよくあることだ。
永井荷風の苦い感慨が、そぞろ身にしむ秋の休日である。

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2009年10月 9日 (金)

アカトンボ

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台風で中断を余儀なくさせられていた散歩に、ひさしぶりに出てみたら、どこからともなくキンモクセイの甘酸っぱい香りが鼻をついた。
そういう時期なんだよな、ものさびしい季節の始まりは。

キンモクセイは本来は 「金木犀」 と書く。
こっちのほうが文学的だけど、コンピューターで検索するのにはカタカナ表記に統一しておいたほうが便利だ。
そういうわけで朝日新聞も、動植物の名前はほとんどカタカナ表記になっている。
けしからんとか美しい日本語を使えなんてことはいわない。
わたしのブログもその傾向があるのだから。

散歩道でアカトンボ (カタカナ表記だ) を見つけた。
キンモキセイの出てくる小説や詩は、いますぐに思い浮かばないけど、アカトンボなら三木露風の童謡が有名だ。
アカトンボという言葉は、昔と現代ではイントネーションが微妙に変化して、アカの部分を強める発音と、全体を平たんに発音するものがあるそうだけど、作曲者の山田耕筰はちゃんと古風なイントネーションで作曲したという。
昔の人は日本語のそういう点にもこだわったんだなと思いつつ、カタカナ表記指向のわたしとしては忸怩たる思いがないでもない。

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2009年10月 8日 (木)

ある投稿

わたしのブログを読んだ人は、なんてノーテンキでお気楽なやつがいるもんだと思うかもしれない。
でもそれはヤケッパチの裏返しみたいなものだ。
わたしは死というものをかた時も忘れたことはないし、自殺という考えはつねにかたわらにある。
そんなクラい人生をずっと続けてきて、ある年齢のころ、悟ったのである。
自殺する覚悟さえあれば、人生は気楽なものだ、ちょうどわたしのブログみたいに。

今朝の新聞に白夜書房編集局長の末井さんという人が投稿していて、これが最近増加するいっぽうの自殺希望者に対して、じつに説得力のある忠告になっていた。
自殺防止のための発言をする人は多いけど、中には自殺する者の気持ちなんかぜんぜんわかっていないと思えるものもある。
末井さんはとつとつとした語り口で、自分自身のみじめな子供時代や屈辱的な人生経験までかくさずにさらけだして、自殺をけっして否定せず、そのうえで絶望する人たちにあなたが悪いんじゃないと訴えている。
この投稿は世間を動かすようなものではないだろうけど、いままさに絶壁のふちに立つ人を引き止めるような役割は果たすかもしれない。

こんな書き方で末井さんの考えの主旨をうまく書けたかどうかわからないけど (なにしろ晩飯まえに大急ぎで書いたのだ)、この投稿には感心した。

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台風一過

  夜来の台風にひとりはぐれた白い雲が
  気のとほくなるほど澄みに澄んだ
  かぐはしい大気の空をながれてゆく
  太陽の燃えかがやく野の景観に
  それがおほきく落す静かな翳は
  ・・・・・さよなら・・・・・さやうなら・・・・・
  ・・・・・さよなら・・・・・さやうなら・・・・・
  いちいちさう頷く眼差のやうに
  一筋ひかる街道をよこぎり
  あざやかな暗緑の水田の面を移り
  ちひさく動く行人をおひ越して
  しづかにしづかに村落の屋根屋根や
  樹上にかげり
  ・・・・・さよなら・・・・・さやうなら・・・・・
  ・・・・・さよなら・・・・・さやうなら・・・・・
  ずつとこの会釈をつづけながら
  やがて優しくわが視野から遠ざかる

台風が通過したあとのさやわかな光景をうたった詩で、知人たちにショックを与えるといけないから正直に告白するけど、わたしがつくったわけじゃない。
伊東静雄の 「夏の終り」 という詩である。 わたしの好きな詩である。
台風一過の青い空をみて、思わず叫びたくならない詩人がいるだろうか。

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2009年10月 7日 (水)

ダンス・ミュージックじゃん

むかしオーティス・レディングという人がいた。
こんな書き出しから始めたくなってしまう。
昨夜、テレビで放映されたスティーヴィー・ワンダーのライブを観て。
わたしはロックのファンでソウルにあまり興味がないもんだから、ついそれらしきジャンルの音楽をひとまとめにしてしまうんだけど、ワンダーをソウルに分類したらオーティスが怒るよなあ。
ああいうのはただのダンス・ミュージックじゃないか。
鳴りもの入りの派手な演奏に、なんだかよくわからないボディコンのカワイ子ちゃんをぞろりと並べて、キンキラキンのカンカラコン、ノリだけはさすがのワンダー君。
その前日に録画したクリーム (こちらは純粋のロックだ) のエリック・クラプトンが、ストイックな姿勢で音楽を追求しているように見えるのに対し、最近のソウル歌手のコンサートは徹底的に享楽主義的なものが多い。
どれを聴いてもみな同じ曲に思えるし、あとに何も残らないんだよなあ。 ぼそっ。
わたしだってオーティスの時代にはソウルもよく聴いたんだよ。 ぼそぼそっ。

ああ、台風のせいで散歩にも出られないし、また民主党の悪口でも書こうかと思ったけど、ネタ切れ、いや、ネタがありすぎて、ホント、なにを書いていいものやら。

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2009年10月 6日 (火)

念のため

前夜のクリームのライブに続いて、今夜はスティービー・ワンダーのライブだそうだ。
ワタシ、この手の音楽には興味がないので録画しないことにした。
と思ったけど、ひょっとするとものすごいゲストが参加するかもしれない。
新聞のテレビ欄じゃそこまでわからないので、やっぱし、念のため録画しておくことにした。

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クリーム

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テレビで 「クリーム」 の再結成コンサートを観た。
1960年代の後半から1970年代にかけて活躍したロック・バンドは、それこそキラ星のごとくだけど、ビートルズのように主要メンバーがあの世に行ってしまって、永遠に再結成が不可能になったグループも多い。
なにしろ、えっ、もう40年も経つのかと、確認しようとしてこっちも一瞬おどろくほどの歳月が流れているのだ。

幸せなことにクリームのメンバーは全員 (といっても3人しかいないけど) 存命中。
このうちのいちばん若いエリック・クラプトンでさえ1945年生まれだから、彼らが再結成したってこれは年金老人のバンドである。
そういゃジャック・ブルースなんか足もとがよたついていたみたい。
※写真はネットで見つけた若き日のクリームの写真。 左からジンジャー・ベイカー、ブルース、クラプトン。

わたしはクリームをリアル・タイムで聴いた世代だけど、はじめてその音楽を聴いたときの衝撃を忘れない。
なぜか評判のわりにはラジオで放送されることが少ないバンドだったので、ウワサや批評だけを頼りにとりあえずレコード屋へ行ってみた。
彼らの最高傑作とされる 「クリームの素晴らしき世界」 を手にとってみたら、当時のアナログLPで2枚組だった。
買ってみたあとでつまらなかったら困るなと思ったけど、わたしはレコードを買うとき、その演奏者の最高傑作を最初に買うという音楽グルメであるから、清水から飛び降りる覚悟で購入した。

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家に帰ってレコードをながめると、2枚組の 1枚はスタジオ録音で、もう 1枚はライブ盤だった。
このライブ盤にはたったの4曲しか入っておらず、演奏時間が 15分を超えるものがふたつある。
このふたつがハズレだったら最悪だなと不安なまま、レコードに針を落としてみた・・・・・・

この瞬間から、オーバーな表現をすると、わたしの音楽世界の新しい扉が開いちゃったといっていい。
これ以前のわたしは、せいぜいビートルズやストーンズを聴くていどの、ま、ありきたりのロック・ファンだったけど、これ以降はジャズやクラシックも含めた、あらゆる音楽を積極的に聴こうという、音楽の探究者?になるのである。
わたしが難聴になったのもこれ以降かもしれない。

クリームがラジオで放送されることが少なかった原因は、彼らの神髄が10数分にわたってえんえんと続くジャズのような即興演奏にあったせいだった。
スタジオ録音されたラジオ向けの名曲もいくつかあるけど、ライブ演奏を聴かないかぎり彼らの素晴らしさはわからないといえる。
彼らが短期間の活動期間を終えたあと、似たようなバンドや演奏者がつぎつぎと出現したけど、クリームを超えるどころか、匹敵するようなバンドはひとつも出てこなかった。
ただひとり、クリームと並び立つんじゃないかと思える即興演奏の名手がいて、それはジミ・ヘンドリックスだけど、彼についてはべつの機会に書こうと思う。

添付した画像は、上が説明不要の3人のメンバー。
下は彼らのアルバムふたつで、左がメタリック印刷の 「素晴らしき世界」 と、右がサイケデリック・アートの 「カラフル・クリーム」。

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2009年10月 5日 (月)

気になる

新聞のスポーツ欄を見たら、プロ野球・広島のブラウン監督が退任して、来季は野村氏という見出しが目についた。
おお、そうか。楽天をクビになる野村監督が来季は広島かと思ったら、これは野村は野村でもわたしのぜんぜん知らない野村だった。
あははとわたしの早トチリを笑い、野村沙知代サンの水着姿などを思い浮かべ (おえっ)、べつの欄をながめたら 「野村親子、求める狂言・・・・・」 という見出しが。
ええっと一瞬おどろいたけど、こちらはすぐに野村万作さんのほうだとわかった。
沙知代サンや万作さんはこのさいどうでもいいけど、わたしは楽天の野村監督のファンだから、その去就は気になるのである。

気になるといえば、今夜はNHKハイビジョンで 「クリーム」 の再結成コンサートのもようが放映されるらしい。
すでに YouTube などに映像の断片が載っていて、演奏に往年の迫力はないようだけど、わたしがかって狂っちゃったロックバンドのその後を知ることになる貴重な番組のようだ。

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船上結婚式

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知り合いの(そのせがれの)結婚式に参列してきた。
東京湾クルーズつきの船上結婚式だそうだ。
わたしが他人の結婚式に参列するのはひさかたぶりなので、念のため知人に祝儀の相場について訊いてみたら、ええっと、浦島太郎のわたしが知らないうちにずいぶん値上がりしていたのに仰天。
これでは結婚式が月に2、3回もおそいかかったら、貧乏人は生活が成り立たないなと思う。
それでも祝儀の半分は東京湾をクルーズする費用と考えて、にこやかに、無理にほほえみながら結婚式を見守る。
生涯独身主義のわたしには感心するようなものではないけど、ほとんどが女性である新婦の友人たちは、歌をうたったりして嬉しそう。そのうち順番がまわってくると思っているのだろう。

東京湾クルーズは竹芝桟橋から羽田の沖までの一周である。
天気がよかったし、カモメがひょろひょろ、おまけにしょっちゅう頭上を飛行機まで飛んでいて、そんな中で潮風に吹かれるのはなかなか快適。
海は父親のようにわたしをはげまし、母親のようになぐさめてくれる存在である。
ということを、わたしは子供のころからこのトシになるまで、一貫して持ち続けている。
ということを、ブログでのうのうと宣言していると、どこか幼児精神のまま停滞している詩人のよう (でしょ)。

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2009年10月 3日 (土)

落選

オリンピック誘致に失敗。
なにも泣く必要はないでしょうとつっこみを入れたくなるけど、誘致スタッフはそれだけ根性を入れてたんだろな。
責任を感じてハラキリなんかしなければいいが。

誘致に失敗した理由についてマスコミ (朝日新聞) は、人脈や人材の欠如だとか、スポーツのわくわく感が伝わらなかったとか、いろいろ憶測しているけど、はてね。
わたしの想像する理由は以下のようなものだ。

以前は国家の元首が誘致のアピールをすると効果があったらしいけど、それが行き過ぎて困ったモンというのが IOC委員たちの判断だったかもしれない。
投票の直前にスペインがリオを中傷したなんてことがあって、ブラジルに同情票が集まったのかもしれない。
委員たちの胸のうちに、大穴の候補地をえらんで世間をアッとおどろかすといういたずら心もあったかもしれない。
うちの奥さんは南米に行ったことがないから、ひとつ家族を連れて行ってみるかっていう委員が多かったのかもしれない。

いろいろ理由は考えられるけど、それでもアメリカよりもあとまで残ったんだから、東京都知事さんのメンツもつぶれないですんだんじゃないの。
このつぎからは、どうしてもやりたいんなら東京でやってかまわんですよ、地下鉄もあるしホテルもなんとか、ミシュランの星だっていちばん多かったしと、できるだけそっけなくアピールすると効果があるかもね。

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2009年10月 2日 (金)

古い写真

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ここんところ記事ばっかりで写真がない。
写真のないブログは味気ないものだし、なにより文章を読むのがニガ手な昨今の青年たちに、それだけで敬遠されてしまいそう。
ここ2、3日、雨ばかりの日が続いて散歩にも出られないので、近所の秋景色をちょいと撮ってくるってわけにもいかない。
それで苦肉の策、古い写真の中から、奥秩父・笠取山の山頂ふきんの写真を載っけておくことにする。
甲武信岳や遠方の山に雪が見えるから、時期はもっと冬に近いけど、山頂の草原はそろそろこんな景色になっているはず。
笠取山という山の素晴らしさは、平日にひとりで登るとこの広い草原を独占できることだ。

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野次馬精神

今日はオリンピックの開催地が決まる日だとか。
東京都知事さんに怒られちゃうけど、ワタシ、体育会じゃなくなよなよした文科系だからねえ。
どうもあんまり熱意がわかないのよね。
テレビで観る分には東京でやってもほかの都市でやっても同じじゃん。
それより日本の政治や民主党の今後をながめているほうがおもしろか!

まいど朝日新聞の広告欄だけで読んだ気になってる週刊新潮を、ひさしぶりに買ってみたら、福島瑞穂チャンがパニック、長妻クンは貝になったって。
そんな中、ホントかウソか、小渕優子チャンは頑張っているらしい。
あいかわらずだな、週刊新潮は。
週刊文春と双璧の野次馬精神は健在なりきか。

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2009年10月 1日 (木)

荒馬と女

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ジョン・ヒューストンはわたしが五本の指にあげる映画監督である。
彼の 「荒馬と女」 という映画がBSで放映された。
まだほんのちょっと前にも放映された映画だけど、そのときは録画しそこなったので、今回はありがたく録画させていただいた。
モノクロの現代西部劇で、この映画に出演していたクラーク・ゲイブルとマリリン・モンローの遺作になったと、変な話題で有名になってしまった映画でもある。

この映画の主要テーマは、荒野で野性馬を捕獲するのが商売の男3人と、彼らのモンローをめぐる三角、いや四角関係というトコか。
四角関係といってもそこはそれ、つまらない焼きもちではなく、本来は友情でむすばれた男たちがちらりちらりとみせる大人の確執なのである。
さすがはジョン・ヒューストンといいたいけど、ま、そんなことはどうでもいいや。

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この映画では野性馬の捕獲シーンが見ものである。
複葉機で野性馬を追い込み、トラックから投げ縄を投げ、最後は荒馬をロープでからめとるんだけど、役者はスタントでも馬は本物の野性馬らしく、じつに迫力満点である。
こころやさしい都会女のヒロインにはショッキングな光景で、いろいろ揉め事が生じるんだけど、男たちはそんなセンチな気持ちを受けつけない。
男を描くのが得意なヒューストン監督の真骨頂だ。
やはり男を描くのが得意だったハワード・ホークス監督には、アフリカでサイを捕獲する映画があったけど、こういうことになるとアメリカの監督はインチキをしないので、本物の野性馬やサイが登場するのである。

しかし最近のアメリカではインチキがまかり通る。
例のCG (コンピューター・グラフィック) というやつで、わたしにいわせるとこれは全部インチキである。
ティラノサウルスが登場したってなんだって、そんなもんはコケ脅しで、迫力なんかぜんぜん感じないぞ。

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