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2009年11月

2009年11月30日 (月)

餅つき

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この週末は知り合いから餅つきに誘われてきた。
知り合いというのはご亭主を失くした未亡人で、他人を歓待するのが大好きという人である。
そんな主催者の威光をしたって、集まったのは往年の青年男女が10数名。
なんでもかっては日本各地の山を登りまくった山仲間だそうだけど、残念なことに現役という人はあまりいない。
おかげでまだ “若者” のわたしがいちばん杵 (キネ) をにぎらされるはめになってしまった。
でもまあ、最近メタボ傾向のわたしにはいい運動になったといえるかも。

いちばん上の写真は、餅つきを始めるまえに、臼にお神酒を捧げようとしているところ。
2番目は餅つきの前段として、モチゴメを杵でこねくりまわしているところ。

餅つきのあとは宴会である。
未亡人とその娘さんらによる手作りの料理が、テーブルせましとならぶ。
もちろん酒も、ビール、日本酒、洋酒、焼酎と、酒豪の未亡人の嗜好を反映して、いろんなものが大量にならんだ。
はじらいなんてものをとっくに消失した世代がほとんどだから、愉快でにぎやかな会話が乱れ飛ぶ。
場の雰囲気につられて、ついわたしも呑みすぎた。

しかしわたしは酒に強いのである。
酩酊して記憶喪失なんてことはまずないのだ。
だから帰りに府中駅で、ホームへのエスカレーターに足をとられ、階段をころころと転げ落ちたなんてこともちゃんとおぼえているのである。

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2009年11月27日 (金)

似顔絵?

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似顔絵を描く。
人間を描いた場合、似てなければ苦情がくるけど、こういうのが相手だとめったに苦情がこないのはイイ。

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2009年11月26日 (木)

坂の上の雲の5

旅順の攻防戦であまりにも膨大な人的資源を浪費した日本軍について、ほかに方法はなかったのかと考えつつ 「坂の上の雲」 を読んでいる。
仕方がなかったという人もいるかもしれない。
日本にとって近代戦というのは初めてだったし、もともとロシアの強圧においつめられて、ろくな準備も兵器の備蓄もなしに始めざるを得なかった戦争なんだからと。

まあ、そういう同情すべき点はたしかにあるんだけど、わたしはしろうとながら、この本を読みつつ考えてみた。

戦争が始まると、ロシアの太平洋艦隊は旅順の港にひっこんで出てこない。
まともに日本の連合艦隊と衝突すれば、互角、もしくは不利だということで、ロシア艦隊はヨーロッパからバルチック艦隊が回航してきて、それと合流するまで待つ時間かせぎ作戦である。
合流されると日本艦隊に不利だから、日本軍のほうではなんとかそのまえに旅順港にひきこもりのロ艦隊を撃滅したい。
しかし強引に艦隊で旅順港を攻撃すると、港の周囲を要塞化したロ軍の陸上からの砲火によって、かえって撃滅させられかねない。
そこで陸上の砲火を沈黙させるために、乃木大将の率いる陸軍が要塞攻撃ということになるのだけど、これがしかばね累々という戦史に残る悲惨な戦闘になってしまった。

さて、どうだろう。
この状況でほかに方法はなかっただろうか。

要塞攻撃なんかしなければいいじゃないかと思っちゃうけど、これはどうか。
じつはロ艦隊もひきこもりばかりしていたわけじゃない。
「坂の上の雲」 によると、ロシア皇帝の命令と、主としてロ軍司令官の都合で、艦隊はいちどは旅順港を出てくるのである。
このさい日本艦隊にこてんこてんにやっつけられて、沈没こそしないものの、傷ついて旅順港にもどる艦あり、ウラジオストックに遁走した艦あり、座礁した艦、中立国で武装解除された艦ありで、ほとんど艦隊崩壊という状態になってしまった。

にもかかわらず、まだ日本の艦隊は旅順港の完全制圧にこだわっている。
乃木大将はいたずらにロ軍要塞に日本の将兵の命をつぎこんでいる。
旅順港内のロ艦隊はほとんど崩壊寸前なのだから、日本の艦隊は一部だけを残して、さっさと本土へもどってバルチック艦隊との戦闘にそなえる準備をすればよかったんじゃなかろうか。
要塞というのは動けないのだから、乃木陸軍も旅順港周辺の要塞はほっぽらかして、ロ陸軍との会戦にそなえたほうがよかったように思うけど。

やがて日本海に到着するバルチック艦隊も、「坂の上の雲」 を読んだかぎりではあまり強そうに思えないので、このあたりは当時の日本軍の情報不足と、おくびょう風が影響しているような気がしてならない。
後世のしろうとが無責任なことを、と非難されるかもしれないけど、膨大な日本兵の命を費やしたことについて、ついいろいろ考えてしまうのである。

というあたりで 「坂の上の雲」 の話題は閑話休題にしとこ。
じつは文庫本は4巻までしか買ってなかったんだけど、あとの4巻を買おうかどうか迷っている。
ほんとうに読み応えのある本なら、ワタシゃ金にいとめをつけない主義だけど、この本にそれだけの価値があるかどうか。
あとは図書館にでも行って読めばいいじゃないかという気持ちもある。
司馬遼太郎の「街道をゆく」全巻を読んだことのある人間には、「坂の上の雲」 はそれほど新味のある本ではないように思えるのだ。

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2009年11月25日 (水)

坂の上の雲の4

「坂の上の雲」 の文庫本4巻目になって、いよいよ日本海海戦とならぶ日露戦争の有名な旅順の攻防戦になった。
わたしは明治時代にはまだ生きてなかったので、聞いたハナシ、読んだハナシになるけど、この戦役については、まあ、よく知っているほうだと思う。
ぜんぜん関係ないような一例で、たとえば東北地方の民話伝説を集めた 「遠野物語」 にも、旅順の悲惨さにふれた個所がある。
わたしの高校時代の教師にいわせると、相手の機関銃の弾よりこっちがつぎこむ兵士の数のほうが多かったから、ようやく勝てたとのことである。

司馬遼太郎はあちこちで、かなり執拗に、このときの日本の乃木希典大将の無策無能ぶりを書いている。
日本がはじめて体験する近代戦争で、はじめて機関銃のまえに立たされた日本軍に、それほどたくさんの選択肢があったかどうかってことで、乃木大将に同情の余地もないわけじゃないけれど、数万の将兵を死傷させた軍人が、戦後責任をとるわけでもなく、のうのうと出世したことに疑問を感じたんじゃないか。
平成の世に生きるわたしには、もはや乃木大将をほめる、けなすの興味はないけれどサ。

それはともかくとして、「坂の上の雲」 を読んで、わたしがこれまでもっていた歴史認識のいくつかがゆらいできた。
あまり好意的に書かれていないロシア軍も、冷静に読んでみれば、頑迷な日本軍の参謀本部よりもはるかに柔軟性に富んでいたように思えてくる。
たとえば日本軍が手薄な203高地に中途半端な攻撃を仕掛けると、ロ軍はたちまちこの高地の重要性に気がついて、迅速にそこを要塞化してしまう。
これに比べれば日本軍の中に、勇敢な軍人や機転のきく軍人はいても、本格的な軍略家として有能な者はひとりもいなかったのではないかと思えてくるのである。

この戦いで、日本軍が兵士の人命を軽んずることはおどろくほどだし、ロシア軍のほうがまだしも兵士を温存しようという配慮がある。
それが退却という行為になって日本にあなどられることになるのだけど、膨大な人的資源を浪費した日本軍と、どっちが作戦的にも人道的にも上だったといえるだろう。
ロシア軍の思考はまっとうなものであって、軍隊の士気もそれほどひどいものではなかった。
ただ日本軍がやみくもな突進を繰り返し、死体の上に死体を重ねあげるという、ヨーロッパの軍隊からすれば常識はずれの作戦を続けたのが勝因だったんじゃないかと思ってしまう。
このさい秋山兄弟なんて、まるでとるに足りない存在ではないか。

まだあと4巻もあるから、このあとの展開はわからないけど、あまり日本のひいきばかりしていると、作者のコケンにかかわってくるではないかと心配してしまう。

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2009年11月23日 (月)

坂の上の雲の3

「坂の上の雲」 の文庫本3巻目を読んで、わたしの感想が変わってきた。
この本は日露戦争で活躍した軍人の秋山兄弟や、俳人の正岡子規らの青春群像というべき本だそうだけど、3巻目でとうとう子規は死んでしまう。
この本の中の秋山兄弟と子規のきずなは、小説にするほど特殊なものだったのだろうか。
秋山 (真之=弟) と子規は同郷の友人というだけで、おたがいに相手に影響を与えたというわけでもなさそうだし、たんにそれぞれの人生が接近したことがあるだけじゃないかと思ってしまう。

それとはべつに、わたしはほとんど 「街道をゆく」 でしか司馬遼太郎という作家について知らなかったので、「坂の上の雲」 を読んで、これが同じ作家の書いたものかと意外に思った。
歴史というのは登場する人物それぞれの視点で公平にながめなければないないものだし、じっさいに 「街道をゆく」 ではそうした書き方が多い。
ところが 「坂の上の雲」 では、日本とロシアの関係を語るとき、日本がいかにすばらしく、ロシアがいかに愚劣であったかという書き方がめだちすぎる。
ちょっと司馬遼太郎らしからぬ不公平な書き方である。

1巻目を読んだときには、秋山兄弟が、いくらか風変りなところはあるものの、ひじょうに優秀な人間として描かれていたので、この小説はたぶんこの兄弟が日露の戦役において、獅子奮迅の、なかば超人と思える活躍をして、日本の勝利に貢献するのだろうと考えていた。

秋山 (兄) は、騎兵連隊をひきいて、曲家店というところではじめてロシア軍と戦うのだが、相手の弾幕に射すくめられて、身動きもできず、ほとんど部隊が全滅寸前という危機に遭遇する。
小説では、ここで退却すればあとあとの士気に影響をあたえるとか、このさいも本人は悠然として動じることがなかったなんて書いてある。
たとえ動じることがなかったとしても、これでは指揮官として凡庸であるといわれても仕方がない。

秋山 (弟) のほうは海軍にいて、旅順港でロシア艦隊を封鎖しているけれど、ロシア側からすればこれはまっとうな戦術であって、バルチック艦隊がヨーロッパから回航してくるまでの時間かせぎである。
ロシア軍がおくびょうでも指揮官が無能というわけでもない。
日本軍はロシア艦船の動きを研究して、港外に機雷を仕掛け、首尾よく相手の提督を艦もろとも海に没し去ることに成功するけど、このすぐあと、こんどはロシア側にまったく同じことをされて、相手以上の損害をこうむっている。
このあいだ弟はなすすべもなくこれを見守っていただけのようにみえる。
最初の印象とはだいぶちがうのである。

この先が楽しみだけど、なんか頼りない指揮官ばかりで日本の前途が不安になってきた。

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小島烏水

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連休なのでヒマつぶしに書斎 (っていうほどのモンじゃないけどね) を漁って、小島烏水著 『日本アルプス』 という岩波の文庫本をひっぱりだす。
タイトルはちょっと大げさだけど、小島烏水の名前は先日に観た 「剣岳・点の記」 という映画に出てきたし、書物の中ではわたしはこれまで何度もお目にかかっている。
たとえば深田久弥の 「日本百名山」 である。
おかげでわたしはふつうだったら読めないこの人の名前の読み方もちゃんと知っていた。
おそらく “晴登雨読” の山好きで、この名前を知らない人はまずいないだろう。

烏水は “うすい” と読む。
日本山岳史の黎明期に日本アルプスを何度も探検した (この時代にはまだ探検という言葉は不適切ではない) 登山家であり、著述家である。

彼の本を読んで意外に思ったのは、この人が本職は銀行員だったということだった。
わたしの偏見からいえば、かたっくるしい銀行員と、ボヘミアン的要素をもつ登山家かつ作家という職業はもっとも並立しにくいもののはずだったんだけど。
むろん銀行や証券会社あがりの作家がいないわけではない。
詩人の田中冬二や、時事小説を書く江上剛といった人がそうだが、これらの人はわたしにとって意外と思える分野でものを書いたわけじゃない。

しかも烏水は脱サラをしたわけでもなく、無事に銀行業務をまっとうしたという。
明治の銀行員にはそういう野放図な人もいたということだろうか。
もっともよく読んでみると、野放図という言葉はあてはまらない。
非常な探究心、好奇心に満ちた人だったらしいけど、決してクマやイノシシを恐れないような肉体派ではなく、ウサギやニワトリの羽毛をむしって食べるような野性的な人でもなかった。
槍ケ岳に行くということが両親に知られて、おまえみたいな痩せっぽちでは遭難するに決まっていると叱責されているところからして、小島烏水は痩せて強い近視メガネをかけた人だったらしい (出っ歯の人でもあった)。

※添付した絵は、山岳画家の茨木猪之吉が描いた烏水の絵を、わたしがまねたもので、映画で仲村トオルが演じた烏水とはだいぶちがうのだ。。

これではむくつけき山男というより、ひじょうに行動的な学研の徒といったタイプが頭に浮かぶ。
槍ケ岳登山にさいしては、用心のために拳銃まで持参する人であった。

わたしの書斎にあって、小島烏水の名前が出てくるもうひとつの本、山本茂実の 「喜作新道」 では、烏水についてちょっと妙な書き方をしてある。
烏水が地方人に対して優越感を持っていたり、功名のためにいくらか細工することをためらわない人だったように書いてあるのだ。
わたしはまだ烏水の書いた本を 1冊しか読んでいないからめったなことを言えないが、山本茂実という作家はなんでも新聞記者あがりだそうで、「喜作新道」 にしても、たんねんに資料を集めながら、それをまとめる際に想像をふくらませすぎる筆癖があるように思う。
おかげでわたしは、じっさいに烏水の 「日本アルプス」 を読んでみるまで、烏水のことをいやなやつだと思っていた。
しかし 「日本アルプス」 をちょっと読んでみただけで、わたしのそうした考えはさらりと払拭された。

山案内の猟師のことを “土人” と書いているからといって、それが地方人に対する優越感のあらわれといえるだろうか。
当時の東京人はなんの偏見もなしにそうした言葉を使っていたのだろうし、わたしの子供のころは、アフリカの原住民のことを土人と呼ぶことが世間一般の通念であった。
槍ケ岳初登頂の名誉にしても、烏水は文中で、彼らのすぐ前に陸地測量部の測量官が三角標を立てるために登っていることをかくさずに書いている。
烏水がことさら初登頂の名誉にこだわっているようには思えない。
わたしはむしろ、旅の途中でおかした自分たちの失敗や滑稽な体験まで、ありのままに書いている烏水に好感さえいだいてしまう。

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2009年11月22日 (日)

坂の上の雲の2

歴史を考慮しないで、むかしも今も同じ社会だったと錯覚したまま、あそこがケシカラン、ここがケシカランといいはる人が、わたしの周囲にもいる。
たとえば慰安婦問題などがそうだ。
その当時は日本でも、東北などの貧しい農家の娘が身売りをするのが不思議でもなんでもなかったという事実を考えずに、人間を売買したのはケシカランという人が多い。
問題があるとすれば、慰安婦そのものではなく、当時の社会情勢だったんだよ、キミ。

文春文庫版の 「坂の上の雲」 2巻目を読んでいる。
司馬遼太郎は太平洋戦争について、日本の軍部の暴走であったとあちこちで断じていて、この点では冷静かつ常識をそなえた作家であることは明白だけど、明治のころの国際情勢について、この本ではまるで右翼作家のようなかなりはげしい書き方で、当時の日本人の列強 (とくにロシア) に対する恐怖を描いている。
わたしはもちろん列強のアジア蚕食ぶりを知っていたけど、とてもとてもそんな程度ではなかったようである。

ロシアやドイツは英仏よりも遅れて帝国主義に参加したので、そのぶんやり方は乱暴だったとある。
まず被害にあったのは中国で、まるで白昼強盗にあったように強引に領土を奪われ続けた。
中国、朝鮮がロシアの手に落ちれば、つぎはまちがいなく日本だという認識は、このころのすべての日本人がもっていた。
日本の侵略主義の萌芽を明治時代に見出す人もいるけど、日本人にとってみれば座して死を待つより、打って出るよりほかはないというのが現実だったのである。

中国で義和団事変がおこると、列強 (日本も含む) はこぞって出兵したが、ロシアは出兵した軍隊がそのまま満州に居座ってしまった。
これでは早晩日本とロシアが衝突するのは間違いないと思わせるあたりで、「坂の上の雲」 の2巻目は終わる。

さて、このあとはどうなるのか。
必死になって列強に伍する力をつけようとしている、けなげな極東の弱小新興国の運命は。
当時の日本人になったつもりで読んでいこうと思う。

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2009年11月21日 (土)

蕪村

「坂の上の雲」 のその後を読んでいたら、主要登場人物の正岡子規に関連して、俳人の蕪村のことが書かれた箇所があった。
わたしは蕪村が好きである。
芭蕉よりも蕪村のほうが好きである。
このへんの事情については詩人の萩原朔太郎が論じているので、いちいち説明しない。

萩原朔太郎の 「郷愁の詩人・与謝蕪村」 については、目下ネット上の青空文庫に載せるための作業中だそうだから、そのうちタダで読めるようになる。
金を出してまで読みたくないという人はそれを待つヨロシ。

 いかのぼりきのふの空のありどころ

わたしの好きな蕪村の句である。
つかもうとしてつかめない遠い日の悲しみのようなものがうたわれている。
蕪村にあって芭蕉にないものは、この個人の悲しみの感情だと思う。

いつだったか駅のホームで空を見上げたことがある。
よく晴れた秋空の、ちぎれ雲のあいだに小さな黒点が見えた。
あれはなんだろうと思ってじっと見つめたけど、遠すぎてわからない。
鳥にしては動きが少ないし、航空機でもない。
そのうち、その黒点よりもっと近いところに別の点があるのに気がついた。
こちらは赤い色をしていて、それがどこかの運動会かデパートの催し物で、人間の手からはなれたゴム風船であることがわかった。
つまりふたつの風船が空の高いところをただよっていたというわけだ。
いったいどこまで上がっていくのだろうと、風船をしばらく、ぼんやりとながめていた。
“いかのぼり”の句はこのときの心境にぴったり (のような気がするのである)。

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2009年11月20日 (金)

奥巴馬

ネット・ニュースを読んでいたら、オバマ大統領の中国語表記をどうするかという記事があった。
ご存じのとおり (ご存じでない人もいるかもしれないけど)、中国では英語の名前の商品でも人の名前でもみんな漢字で表記する。
可口可楽 (コカコーラ) なんてのは、発音と漢字の意味がぴたりと決まった例として有名だけど、なかなかこうはいかないので、たいていは発音か意味のどちらかを優先させた当て字ということになる。
人の名前はもともと意味なんてないのだから、発音の似ている当て字だけで十分なわけだけど、オバマさんについては、中国は 「奥巴馬」 と表記した。
これに対して、米国側は 「欧巴馬」 にしてほしいといっているそうだ。
鉄拳制裁を国是とする米国のやり方からすれば、わたしは 「殴覇馬」 なんてのがふさわしいと思ってるんだけど、ま、そんなものはなんだっていいじゃないかと思う。

おもしろかったのは中国側の言い分で、日本語のオバサンに由来する 「欧巴桑」 という言葉が中国人の一部で流通しているので、欧という文字を使ったのでは失礼に当たるといっているらしい。
なんで失礼なのかと思ったら、オバサンというのは、年輩でそれほど上品でない女性という意味が中国にもちゃんと伝わっているからだという。
おそるべき日本のオバサン・パワーである。

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2009年11月19日 (木)

イスラムの国

誰でも行ってみたい国というものがあるにちがいない。                
わたしの場合、それはイスラム圏の国らしい。
NHKのテレビ番組で、モロッコのフェズという町を紹介していた。
モロッコはイスラムの国である。
わたしは大きな関心をもって番組を録画した。

録画した番組を最後まで観ていたら、次回は南米チリの乾燥地帯にあるなんとかいう村を紹介するという予告編があった。
モロッコには大きな関心をもったくせに、どういうわけかチリの村についてはあまり興味がわかない。
日本人からするとモロッコもチリも (田舎にかぎれば) 同じ途上国に思えるし、わたしは途上国にばかり行きたがる旅好きなのに、これはどうしてだろう。
やはりイスラムという国にはとくべつの思い入れがあるんじゃなかろうか。

もっともモロッコを途上国といっていいかどうか。
フェズという町は、わたしたちが知っているところとしてはアルジェリアのカスバに似ている。
迷路のように入り組んだ土の民家がびっしりと建て込んでいるところである。
この町の中には、古くからの金属加工や革のなめし職人がいて、古風な人間の営みときびしいイスラムの戒律がまだまだ健在のようである。
しかし番組の中に冷蔵庫が出てくるし、建物の屋上には衛星放送のアンテナが乱立している。
服飾デザイナーをこころざす、肌を露出した娘まで登場するのである。
たしかに高層ビルもエレベーターも車も新幹線もないし、パソコンもケータイも普及していないようだけど、これは質がちがうだけで、そこにあるのは日本の社会にひけをとらない立派な文明のように思える。
ジャングルの中の裸の種族とはわけがちがうのだ。

こうしたことから考えると、たぶん、わたしが見たいのは途上国ではなく、異なる文明というものなのではないか。
めずらしい野性動物を見るためにニュージーランドやマダガスカルに行くのもいいけれど、人間を見るなら、日本とはまったく異質で、やはりあるていど複雑な社会のある国のほうがいい。
イスラムの国はそういうところに思えるのである。

というわけで、わたしはそのうちトルコへ行ってみるつもりである。
貧乏人むきの格安ツアーを見つけたのだ。

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2009年11月18日 (水)

坂の上の雲

まもなくNHKテレビで司馬遼太郎の 「坂の上の雲」 が始まる。
日露戦争で活躍した軍人の秋山兄弟と作家の正岡子規らの青春群像を描いた、なんでも3年も続くスペシャル番組だそうだ。
映画については細部までいちゃもん居士のわたしなので、NHKのドラマに期待なんかぜんぜんしてないけど、原作に興味があったので、とりあえず8巻ある文庫本の1巻目を買ってみた。

わたしは司馬遼太郎のかなり熱心なファンである。
しかし、それは 「街道をゆく」 という紀行記によるところが大きく、じつは小説のほうはあまり好きじゃない。
「街道をゆく」 の中には、森鴎外の歴史小説の直系を思わせる、剛直な文章がいたるところにあるけど、小説のほうはなんか女々しい感じがするからである。
だから無理して読みたいとは思わない。
思わないくせに、読み始めるとついひきこまれてしまう。
女々しいといってはみても、この作家の小説はやはり歴史が基本にあって、その上で人間が右往左往するものだからだ。
わたしは歴史にとっても興味があるのである。

「坂の上の雲」 を読んで・・・・・・ まだ1巻目しか読んでないけど、明治時代というのは豪傑が多かったんだなと思ってしまう。
この場合の豪傑というのは腕っぷしが強いという意味じゃない。
自分のことよりも後輩のために、国家 (この場合の国家というのは、日本全体ではなく、維新以前の藩という小単位の国のこと) のために尽くすという人間がいかに多かったかということである。

物語はやがて、多くの日本人、さまざまな若者たちが、当時世界でも最強のひとつといわれたロシア軍を相手の戦場に出陣していくことになるらしい。
歴史的にはその結果はわかっているけど、「坂の上の雲」 の群像はどんなふうに描かれるのか。
ま、ぼちぼち読んでいくことにしよう。

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2009年11月17日 (火)

バトル

官僚という人たちがいる。
たいていは有名な国立大学出身の俊才だ。
政治家という人たちもいる。
こちらは玉石混淆で、国立大学出身もいれば芸能界上がりなんて場合もある。
国のたてまえでは、いちおう政治家が官僚よりエライということになっている。
しかし優秀な官僚たちは、どうしても政治家を、一段下の人種であるとバカにする。
政治家が天下りを廃止しようとすると、官僚たちはあのテこのテで裏をかく。
先日は嘱託なんて大ワザを考えついた。
これがバレる。
国民の味方を自称する政治家たちは、とうぜん嘱託禁止令を出す。
うわべは恐縮しているようにみせて、官僚たちは、さあ、つぎはどんな裏ワザを考えるかと、またまたその優秀な頭脳をひねくりまわす。
官僚は政治家をバカにしているのである。
官僚と政治家のバトルはこれからもまだまだ続いていくだろう。
ヘタな映画より、見ていてとってもおもしろい。
あっ、これはどっかよその国のハナシですけど。

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自画像

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あまり手のこんだことはやりたくないけど、簡単なイラストぐらいブログに載せたい。
というわけで、街へ出たついでに水彩色エンピツというものを買ってきた。
わたしのウチでは、画材というものは飾っとくためにあるというのが現状なので、これが有効に使われるかどうか保証のかぎりじゃないけどね。

わたしもむかしはよく絵を描いたもんである。
たまたまそんなころの自画像が出てきたので紹介しよう。
まだ20代前半の、世間や体制に対して反抗的気分が横溢していたころのワタシである。
熊本のKさんもブログに自画像を載せていて、それをみると、まだ青くさいものの、芸術家をこころざす青年に特有の、どこか不遜な精神のようなものが見てとれる。
http://warazouri.cocolog-nifty.com/blog/

わたしとしちゃ、その後人間はいくらか丸くなったと思うけど、反抗的気分は反骨精神となって、いまでも衰えちゃいないツモリ。

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2009年11月16日 (月)

味覚について

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前項について追記。

最近は街のレストランも大変である。
ネット上には個人が勝手に書いたレストランの評価記事があふれている。
まるで一億総ミシュランガイドの隠密審査員になったみたいで、中にはこういう記事を参考にして、あっちこっち食べ歩きをしている人もたくさんいるらしい。
店にしてみれば、まずいなんて書かれたら売り上げに影響するだろうし、だからといって書くなともいえない。
しかし味なんて、それこそ個人の主観で、オーバーにいえばその人のこれまでの人生などにも影響される不確実なものなのだから、こういう風潮はいかがなものかと思ってしまう。

たとえば最近は新傾向のラーメン屋が大流行りだ。
たいてい女の子にも好かれそうなこぎれいな店で、今ふうの若者が黒い前掛けなんかして、忙しそうに働いていたりする。
わたしも何度かそんな店に入ってみたけど、味はイマイチ、そのくせ海苔やチャーシューがてんこ盛り。
味よりも添え物で勝負しているみたいである。

そういう店が、どういうわけか、いつもだいたい混んでいる。
わたしはこういうラーメン屋のラーメンを好まない。
わたしの好みは吉祥寺駅前にある、カウンターしかないちっぽけな中華料理店の、あんかけこってりのモヤシソバである。
そりゃお前の勝手だといわれそうだけど、そ、論点はそこにあるのである。
お前の勝手だという味覚というものを、個人がエラそうなゴタクを述べていいんだろうか。
いったい誰の舌が世間一般の評価基準だというんだろう。

というわけで、わたしは食の体験談は書くけど、店の名前はあかさない。
わたしが味覚の分野でも世間の常識はずれな人間であることは、自分でよく承知しているのである。

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2009年11月15日 (日)

ロシアン料理

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最近美食 (というより奇食) に凝っているわたしが、この日曜日に食べてきたのはロシア料理。
ロシア料理も米国料理もあまり食欲がわかない料理だけど、知り合いにいわせると、なんでもすごいロシア美人が給仕してくれるそうである。
午後5時までに行けばランチ・メニューで安いというので、ロシア美人をできるだけ安くあげようと、昼間のこのこと出かけてみた。

ロシア美人は店のすみっこでしずかに食事中だった。
服装からして、彼女はウエイトレスではなく、客のひとりのようだった。
わたしの席にやってきたのはモジャモジャ頭の、ロシアというよりどこかイスラム圏出身みたいな若者である。
まあ、ロシアも多民族国家だから、イスラム教徒がいてもチベット密教の徒がいてもおかしくないと納得。
ロシア料理に詳しいわけではないから、とりあえずランチ・セットを注文した。
ついでに椎名誠の本で馬のションベンとされているロシアン・ビールを、どんな味がするのかと注文してみた。

やがてまっ赤なスープみたいなものが出てきた。
これがボルシチというものらしい。
外観から想像するほど辛くもないし、香辛料も複雑ではなさそうで、食事というにはちょっと物足りないけど、味はなかなかのもの。
ビールも馬のションベンというほどひどいものではなかった。 しかし、ラガービールというには苦みが足りない・・・・・・

ほかに、デザートを含めて3品ぐらい。
ロシア美人はぜんぜん出てこなかった。
客のロシア美人もそのうち出ていってしまった。
不完全燃焼のまま勘定をする。
厨房の中にロシア美人といっていいのかどうか、髪を無造作にたばねた金髪の娘がいて、お釣りをくれるとき無愛想な顔のまま、日本語でアリガトウゴザイマスと言った。
まだ共産党時代のサービス精神欠如という習性が抜けきってないのかもしれない。
ランチで評価するのはケシカランかもしんないけど、わたしだったらこの店にミシュランの三つ星は上げられないと思う。

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2009年11月14日 (土)

すずかけ

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やっと土曜日。
仕事ギライではたいていの人にまけないわたしなので、ほっとひと息。
散歩にいく。
ひさしぶりに自然観察園まで足をのばしてみたけど、花なんかなにも咲いていない季節である。
天気がわるいせいで、ふだんならにぎやかな子供連れの若奥さんたちも家にひきこもり中みたい。
散歩してもぜんぜん楽しくない。

すずかけ (プラタナス) を見た。
米国の画家アンドリュー・ワイエスに、たしかこずえから下を見たような構図のプラタナスの絵があった。
で、わたしも思い切った構図に決めてみた。

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楽器奏者たち

オバマさんの演説は聞かなかったけど、昨夜はBSで放映された「吹奏楽スペシャル2009」というテレビ番組を観た。
プロではない演奏家たち、そのほとんどは学生時代に吹奏楽クラブに入っていたというていどの楽器奏者たちが、プロの演奏家とオーケストラ演奏をするという番組である。

わたしは音楽はまるっきりダメ人間だけど(天は二物を与えなかったんだな、きっと)、だからこそよけい音楽家というものにひじょうなあこがれを持っている。
この番組は、ほとんど素人といっていい演奏者たちの練習風景とその生活ぶりまで紹介しながら、彼らが最後にはクラシックやジャズのオーケストラ演奏を成功させるというドキュメント。
素人だからけっして上手な演奏じゃないんだろうけど、わたしはそんなにこだわって聴くほうじゃない。
テクニックだの感情表現だのという高尚な要求は抜きにして、楽器をいじくりまわしているのを見るだけでも楽しいし、のれるかどうかが勝負っていう音楽だってじゅうぶん楽しめる。
山賊みたいに野放図な音楽好きなのである。
ただしカラオケはキライ。
あれは音楽というより自己満足の騒音という場合が多いので。

わたしは人生をもういちどやり直したいと思っていないけど、楽器演奏者として生まれるならやり直してもいいと思う。

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2009年11月13日 (金)

事業仕分け

民主党が事業仕分けに奮闘しているけど、ひとつひとつの事業は玉石混淆で、なんでもかんでも削ればいいってもんじゃないような気もする。
たとえばわたしは旅行が好きなので、一般にくらべて安い公共の宿の存在はありがたいことだけど、この調子じゃこれもムダってことでバッサリということになるかも。
きれいな施設に安く泊まれるんだから、たしかに収益性を無視しているといえなくもないし、ムダといえば確かにムダなんだけど、ぜい肉落としをあまり徹底されると、人間に必要なゆとりというものを無視した社会になってしまわないかねえ。

そういうなげきはさておいて、国民に公開された事業の仕分けをみていると、これまでいかにアホらしい理由で、アホらしい場所にお金が使われていたかということがよくわかる。
仕分けを担当している行政刷新会議の功績は、個々の仕分けの是非ではなく、そういうことを公衆の面前にさらしたことじゃなかろうか。
民主党であろうとどこであろうと、政権というやつは長く続くとかならず腐敗する(と言ったのはどこかの学者で、わたしじゃない)。
だから政権交代のいちばんのメリットは、これまでの政治の仕組みや慣習、そして利権構造をいちどすっぱりリセットすることだ。
何兆円という予算の不足に比べれば、何億円規模の削減にしかならない仕分けだけど、ここはもうがんばってちょと応援するしかない。
でも公共の宿は残して、オネガイ!

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2009年11月11日 (水)

ツライ

ほんとは酒のつまみのことじゃなく、もっと高尚な政治問題について書きたいんだけど、新聞記事を子細に検証している時間がない。
今日の夕刊には、事業仕分けだとか国費の無駄が××億円なんて、外野からごちゃごちゃといいたい記事がたくさんあるのに、売れ残りの刺身なんて記事を書いているのはツライことである。

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おつまみ

最近、美食にこっているわたしがここんところよく作る酒のつまみ。
スーパーでマグロの刺身の売れ残りを買ってくる。
わたしは夜中に24時間スーパーに行くことが多いので、この時間だと売れ残りの刺身が並んでいることが多いのである。
売れ残りであるから、たいていは××パーセント引きなんて値札がついていて、安いのもケッコウなことだ。
ただし、あくまで売れ残りであるから、刺身のつもりで食べると危険である。
この刺身を3センチぐらいの細切れにして、麺つゆとみりんの出し汁につけておく。これでそれ以上の腐敗菌の増殖をさまたげるのである。

ひと眠りして目をさましたら、出し汁のしみ込んだこの刺身をそのまま煮てしまう。
煮上がったら皿に移して、ポン酢かレモン汁をかけて食べるだけ。
この単純なつまみが焼酎でも日本酒でもワインでもなんでもよく合う(とわたしは勝手に思っている)。
なにしろ手間がかからないから、ものぐさな独身男に適した料理である。
これを読んでさっそくオレもやってみようというずぼら人間がいるかもしれない。
しかし、じつは味のほうはそれほどでもないかもしれない。
それほどでなくても、美味しそうに思わせるところがミソである。
世間に出まわっているレシピの本なんて、たいていそんなものだ。
わたしは肉や揚げものがキライだけど、そういう本を読むとつい美味しそうと思ってしまうのである。

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2009年11月10日 (火)

司馬遷

またぞろ中国の紀行記を再開しようと、その前段として 「史記」 にときどき目を通している。
この本は王朝や人々の伝記を集めた本で、一貫したストーリーがあるわけではないから、つまみ喰いみたいにどこから読んでもかまわないところがいい。

「史記」 を書いたのは司馬遷という人である。
いつごろの人かというと、紀元前の人である (この場合はキリスト紀元)。
紀元前なんて書くと北京原人とあまり変わらないように思われてしまいそうだけど、キリストよりすこし前の時代の人といえばいいか。
もちろん写真もないし、絵画もまだ写実という段階に達してなかったころなので、キリストの顔がわからないように、今となっては司馬遷さんもどんな顔をしていたのかわからない。
絵画などにキリストは繰り返し描かれているけど、もちろんそれらは想像の産物である。
創設時にはキリスト教も官憲からオウム真理教とおなじ扱いを受けていたのだから、キリストももしかすると麻原彰晃みたいな太った男性だったかもしれない。

司馬遷についても肖像画はいくつか残っているけど、これはたぶん後世になってから想像で描かれたものと思われる。
ただ、たいていヒゲもじゃで長髪の男性として描かれるキリストとちがって、司馬遷の顔にヒゲが描かれることはゼッタイになかったはずだ。
なぜかっていう人は、おなじ 「史記」 の中によく登場する宦官という職業について考えてみればよい。
当時の中国には残忍な刑罰があったのである。

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2009年11月 9日 (月)

目からウロコ

夕刊に池上彰さんが「新聞ななめ読み」というコラムを持っていて、今日のそれでは目からウロコの可処分所得という記事。
じつはわたしも9月23日の自分のブログで取り上げたことがあるんだけど、新政権が温室効果ガスの25パーセント削減をすると、日本の家庭1軒について年間36万円の負担増になるっていうアレ。
新政権の安請け負いが心配になって、つい書いてしまったんだけど、あの数字にはじつはカラクリがあるってことはよくいわれていた。
ただそのへんの理屈が、政治家でもないわたしにとってそんなに深く追求するもんでもなかったから、ばくぜんとしか理解していなかったんだけど、彰さんの記事をあらためて読んでみてよくわかった。
25パーセントの負担増になるという試算は、日本のGDPが毎年一定の数値で成長していった場合という条件つきなので、負担が増える一方で所得も増えると考えなければいけないのに、所得が増えるほうは無視した試算なんだそうだ。
うーむ、ケシカランと、わたしも目からウロコ。

こんなことを書いても、だから鳩山クンの肩を持つっていうわけじゃないけど、わたし自身がいいかげんな試算を信用していたことがあるので、おわびのしるしに書いておく。

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秋深しの2

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散歩に出かけてもつまらない季節になった。
花も咲いてないし、めずらしい動物、昆虫も見かけない。
天気は安定して晴天が続いているのにもったいないことである。

わがアパートのベランダにも枯葉がつもる。
これは自然がゆたかな証拠だし、なかなか情緒があって、べつに落葉焚きのヤキイモが食べたいわけじゃないけど、わたしはいい秋景色だと思っている。
ところがおばさんたちはそうじゃない。

以前住んでいたアパートには、玄関わきに小さなケヤキの木があった。
夏はいい日かげになるので重宝していたところ、近所のおばさんたちから苦情がくる。
なんでも葉っぱが落ちてゴミになるからなんとかしてくれというのである。
葉っぱが落ちるのがケシカランといってたら、世間の樹木なんかそうとうに肩身がせまいはずだ。

それに、そんなことをいわれたって、わたしはアパートの間借り人なので、ケヤキはとうぜん大家さんのものである。
文句は大家さんに言ってほしかったが、大家さんは江戸川区に住んでいて、府中在住のおばさんたちの声はなかなか届かないのだそうだ。
たまたまわたしが話のわかりそうな好青年だったせいか、苦情はみんなわたしのほうにくるのである。
自然や樹木を大切にしましょうなんてスローガンはよく聞くけど、おばさんたちにとって自宅の近所だけはそういうものは無視したいらしかった。
こういうところにも世間の本音とたてまえの違いが如実にあらわれるものである。
世間を動かすのはおばさんたちなのだから、わたしも仕方なしにときどき枝を落とすことにした。
おかげで近所でわたしの評判はなかなかよかったようだ。

ベランダにつもった枯葉をながめていると、当時の近所のおばさんたちの顔がつぎつぎに思い出される。
秋は感傷的なものである。

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2009年11月 8日 (日)

秋深し

この週末は、土曜日がわたしの招待で女性と食事、日曜日が女性からの招待で食事である。
モテる男はちがうとうそぶいても仕方がない。
前者はわたしには若すぎる相手、後者はちと妙齢すぎる女性で、両方とも逢わなければすまないそれなりの用事があったのである。
それでもひきこもりぎみのわたしとしては、ひさしぶりに珍しい、華やかな、おそれ多い体験をした。

世間ではいよいよ秋深し。
なにかブログに書かなくちゃ。
遠いむかしの友人が、遠くはなれた土地で、長わずらいのすえに亡くなったとか。

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2009年11月 6日 (金)

古いビデオ

わたしの作った古いビデオ映画が出てきた。
友人たちと塩原温泉に行ったときのビデオで、1993年の制作だからまだウインドウズ95以前、パソコンが本格的に普及するまえのビデオである。
当時のわたしはビデオの編集に凝っていて、ほかにも何本かの映画があったんだけど、なにしろメディアが8ミリのビデオテープだったので、ソニーがプレーヤーの製造を中止したとたんに、その大半が不燃ゴミになってしまった。
わたしはソニーの仕打ちにいまでも怒っている。

さいわいこの塩原温泉のビデオだけはCDにダビングしてあった。
そんならほかのビデオもみんなダビングしておけばよかったと思うかもしれないけど、当時のわたしには貴重なテレビ番組のコレクションが数百本もあって、そっちの保存が優先していたから、自作のビデオ映画のダビングまで手がまわらなかったのである。
塩原温泉のビデオだけがダビングしてあった理由は、よくおぼえていないけど、旅行会社の添乗員がかわいい娘だったので、彼女の思い出のためにということらしい。

CDにダビングしてあるということは、デジタルに変換してあるということで、現代のパソコンで再編集できるということではないか。
まだパソコンが普及するまえのビデオなので、タイトルやBGMのアフレコに不満な点がたくさんあるけど、この過去の思い出が濃縮されたような映像を、パソコンでもういちど編集しなおすことは、わたしにとって価値のあることである。

ということで、またお金儲けにならないことを始めてしまった。
ヒマそうなわたしであるけれど、なんかいつも何かに追われているような気分だ。

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2009年11月 5日 (木)

刑事

Kei

BSで 「刑事」 という古いイタリア映画が放映された。
わたしはこの映画を公開当時に観たというほど老人では、ゼッタイにないけれど、その主題歌だけは公開された直後ぐらいからよく聴いた。
なんせテレビのない時代だったから、映画の主題歌はラジオでしょっちゅう流されていたものだ。
アモーレ、アモーレ、アモーレミヨという哀愁をおびた、どこか日本調のメロディは、学校で教えていたお行儀のよいサンタルチアなどを別にすれば、もしかするとわたしがはじめて聴いた俗っぽいイタリア音楽だったかもしれない。
熱心に聴いたおかげで、わたしは今でもこの歌の最初の部分をソラで歌うことができる。
意味はわからないくせに、耳で聴いて丸暗記したのである。

映画はビデオ時代になってから観たけれど、クラウディア・カルディナーレの体当たりの熱演が、不覚のなみだボロボロという感動をもたらす。
いま観ても、である。
若いころ映画に熱中しなかった人が幸せかどうかしらない。しかし、映画に熱中したわたしはまちがいなく幸せ者である。

この映画は以前にもBSで放映されたので、録画して持っていたけど、デジタル放送の美しい映像に抗しきれず、また録画してしまった。
こういう姿勢は、映画好きならわかってもらえるだろう。

添付した画像は熱演のカルディナーレ。
ソフィア・ローレンもそうだけど、イタリアの女優さんが下町の庶民を演じるとまた格別。

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ススキ

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ひさしぶりに散歩に出て、近所の調布飛行場を一周してきた。
ある場所にはススキが人間の背丈より高く茂っていた。
平安時代の更級日記にこんな記述がある。
この日記を書いた女の子が親父の任官にくっついて関東へ下ったときのこと。
アシやススキの茂る草原を進んでいくと、前方から馬に乗った侍があらわれる。
すれちがってからふりかえると、もう侍のすがたは背の高い草のあいだに見えなくなっていた・・・・・・
そんな当時の関東平野をほうふつとさせるススキの群落である。

この女の子はなかなかの文学少女で、当時のベストセラーである源氏物語が読みたいと、あっちこっちでねだっている。
どんな顔をした子だったんだろうと、ほかに見るべきものもあまりない晩秋の景色の中では、そんなことぐらいしか考えることがない。
だいぶジジくさくなってきたな、わたしも。

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2009年11月 4日 (水)

うまいもの

友人が池波正太郎の “うまいもの” に関する本を貸してくれた。
それが3冊もあったから、友人は池波正太郎の熱烈な信奉者であるとみえる。
最近のわたしは女の子に縁がないもんで、ヤケクソで旨いものに執心しているから、なんかの参考になるかとパラパラと目を通してみた。

写真の多い 1冊の冒頭に、神田の 「松栄亭」 という食堂が出てくる。
店の写真を見ると、なんか路地裏にあって、おもてに出前用のスーパーカブが停まっているようなみすぼらしい食堂だった。
昨今のグルメを自称する女の子たちに見向きもされないような店である。
作家はこの店のメニューについて書いている。
ポークソテーとかカレーライスだとか、オムライス、串カツなどが出てくる。
カラパッチョだとかポワレとか、わけのわからない横文字のメニューでないところがなんともいえずいい。
松栄亭の店主のセリフ。
「こんな値段で大丈夫かなんて、お客さんが心配してくださるんですが、これでも幾らかは儲けさせていただいてますし、ま、一家がなんとか食べて暮らしていけますし・・・・・・」

どうやらこの作家の推奨する店というのは、最近はやりの見てくれ派手な、女の子に好かれるような店ではなく、戦前の古い店構え、そして人情を残している店らしい。
たぶん味が絶品というものではないだろうけど、そもそも味なんてものは、食べる本人の意識でいかようにも変わるものだ。
文章がまじめすぎるのがちと気にいらないけど、この本はなかなか含蓄に富んだおもしろい本のようである。

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2009年11月 3日 (火)

人形劇

以前、シネマ歌舞伎というものを観てきたことはこのブログにも書いたけど、今度は人形劇を観た。
公演のパンフレットには古典狂言とあったから、人形浄瑠璃かと思ったけど、今回観てきたものは糸であやつる人形だから人形浄瑠璃ではなさそうである。
人形によって演じられる劇というものは初めてだ。
さて、どんなものか。

公演の会場は某大学の構内にあるホールだった。
定員百人ていどの中ホールだけど、まわりをながめてみたら、そのすじの研究家と思える熟年男性と同じくらい、大学の生徒らしい若い女の子の姿も多かった。
劇の批評に、わたしのような初心者がこむずかしい理屈やヘチマをならべても仕方がないので、ここは彼女らのような、なんでも興味をもつ美しきミーハーの目で劇を評してみよう。

まずパンフレットに古典狂言とある「茨城」から。
タイトルだけではなんのことやらさっぱりだったけど、解説を読んでみたら、平家物語にも出てくる豪傑・渡辺綱の話だった。

わたしは細部まで観察しようと、この日はわざわざ双眼鏡を持参した。
双眼鏡で観察すると、人形の顔は定型化されたものだけど、こういうものは市販されているのか、専門家に制作を依頼するのかしらと、つまらないことに興味をもつ。
嫗(お婆さん)に化けた鬼が本性をあらわすところがスゴイとあるから、ひょっとするとからくり人形のようなおもしろい仕掛けでもあるかと思ったら、そういうことはぜんぜんなかった。

それでも人形の動きはさすがのものだ。
渡辺綱がはかまのももだちをとって肩をゆすって歩くポーズ、そういう構造になっているのかどうか、嫗が内またで歩いているように見えるポーズなど、微妙なところが人間そっくりである。
これでは人間が演じても同じじゃないかと思うけど、小さな人形のホンモノっぽい動きに芸術性を見出し、それを古典としてれんめんと引き継いできた日本人の、それもふつうの庶民の感覚にあらためて敬意を表してしまう。

この公演のもうひとつの出しものは、ギリシャ悲劇を人形が演じる「バッコイ」という劇だった。
なんのこっちゃと、あらかじめ調べてみたら、これはギリシャ神話の中のバッカス教の信者たちの話。
半裸の狂乱した女たちが男をバラバラにする話なので、かなりひわいな劇になるんじゃないだろうかと下世話な期待をしてしまう。

じっさいには人形の出番はあまりなく、人間の演じる劇の中で一部人形が重要な役をするというものだった。
人間も半裸ではなかった。ツマラナイ。

全体として観念的で意味はよくわからない。
こむずかしい批評に封印をしたわたしに言わせると、芸術家のひとりよがりじゃないかと苦言のひとつも発したいところ。
こういうミーハーにあっちゃ演出家もたまらないだろうけど。

人形の顔を双眼鏡でながめてみたら、こちらはなかなか恨みがましい顔で、個性的といえば個性的だけど、どこかギリシャ彫刻にこんな顔があったなと思ってしまった。
どの彫刻と名指しはできないけど、無数にあるギリシャ彫刻の中には悲劇の主役である母親の彫刻もあるにちがいない。

総括としては、意味はよくわからないけど、初めて観るものなのでそれなりにおもしろかったというところ。
たぶん、わたしの前にぺたんと座っていたミニスカートの女の子の感想もそんなところではなかっただろうか。

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2009年11月 2日 (月)

有田焼

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ヒマつぶしに上野で開かれている佐賀県の物産展を見物にいく。
佐賀県というと有田焼である。
そんなものに凝るほど高尚な人間じゃないので、ま、たんなる冷やかしである。

値段をみてたまげた。
わたしはどっちかというと備前や萩などのような無地の焼きもの、偶然性がそのまま形になったような焼きものが好きなので、細かい絵づけがされた精巧な焼きものはあまり好きじゃない。
好きじゃないからよけい高いと感じるのか。

わたしが子供のころ、親戚の農家に遊びにいくと、ネコのえさをやるのに青い絵模様のついた白磁のお皿を使っていた。
それが有田焼であったかどうか確信はないけど、有田焼によく似ていた。
それが脳中にきざみこまれて、いまでもこういうタイプの焼きものを尊敬できないのかも。

有田焼だなんていったって、むかしはたんなる日常品の消耗品であって、芸術だの貴重品だのと騒ぐものではなかったはずだ。
ネコのお皿になん千円も払うなんて法外ではないか。

帰りに動物園を見て、そのあと街で美味しいものを食べてきたから、充実していない日とはいえなかったけど。

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