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2009年11月23日 (月)

坂の上の雲の3

「坂の上の雲」 の文庫本3巻目を読んで、わたしの感想が変わってきた。
この本は日露戦争で活躍した軍人の秋山兄弟や、俳人の正岡子規らの青春群像というべき本だそうだけど、3巻目でとうとう子規は死んでしまう。
この本の中の秋山兄弟と子規のきずなは、小説にするほど特殊なものだったのだろうか。
秋山 (真之=弟) と子規は同郷の友人というだけで、おたがいに相手に影響を与えたというわけでもなさそうだし、たんにそれぞれの人生が接近したことがあるだけじゃないかと思ってしまう。

それとはべつに、わたしはほとんど 「街道をゆく」 でしか司馬遼太郎という作家について知らなかったので、「坂の上の雲」 を読んで、これが同じ作家の書いたものかと意外に思った。
歴史というのは登場する人物それぞれの視点で公平にながめなければないないものだし、じっさいに 「街道をゆく」 ではそうした書き方が多い。
ところが 「坂の上の雲」 では、日本とロシアの関係を語るとき、日本がいかにすばらしく、ロシアがいかに愚劣であったかという書き方がめだちすぎる。
ちょっと司馬遼太郎らしからぬ不公平な書き方である。

1巻目を読んだときには、秋山兄弟が、いくらか風変りなところはあるものの、ひじょうに優秀な人間として描かれていたので、この小説はたぶんこの兄弟が日露の戦役において、獅子奮迅の、なかば超人と思える活躍をして、日本の勝利に貢献するのだろうと考えていた。

秋山 (兄) は、騎兵連隊をひきいて、曲家店というところではじめてロシア軍と戦うのだが、相手の弾幕に射すくめられて、身動きもできず、ほとんど部隊が全滅寸前という危機に遭遇する。
小説では、ここで退却すればあとあとの士気に影響をあたえるとか、このさいも本人は悠然として動じることがなかったなんて書いてある。
たとえ動じることがなかったとしても、これでは指揮官として凡庸であるといわれても仕方がない。

秋山 (弟) のほうは海軍にいて、旅順港でロシア艦隊を封鎖しているけれど、ロシア側からすればこれはまっとうな戦術であって、バルチック艦隊がヨーロッパから回航してくるまでの時間かせぎである。
ロシア軍がおくびょうでも指揮官が無能というわけでもない。
日本軍はロシア艦船の動きを研究して、港外に機雷を仕掛け、首尾よく相手の提督を艦もろとも海に没し去ることに成功するけど、このすぐあと、こんどはロシア側にまったく同じことをされて、相手以上の損害をこうむっている。
このあいだ弟はなすすべもなくこれを見守っていただけのようにみえる。
最初の印象とはだいぶちがうのである。

この先が楽しみだけど、なんか頼りない指揮官ばかりで日本の前途が不安になってきた。

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