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2009年11月23日 (月)

小島烏水

268

連休なのでヒマつぶしに書斎 (っていうほどのモンじゃないけどね) を漁って、小島烏水著 『日本アルプス』 という岩波の文庫本をひっぱりだす。
タイトルはちょっと大げさだけど、小島烏水の名前は先日に観た 「剣岳・点の記」 という映画に出てきたし、書物の中ではわたしはこれまで何度もお目にかかっている。
たとえば深田久弥の 「日本百名山」 である。
おかげでわたしはふつうだったら読めないこの人の名前の読み方もちゃんと知っていた。
おそらく “晴登雨読” の山好きで、この名前を知らない人はまずいないだろう。

烏水は “うすい” と読む。
日本山岳史の黎明期に日本アルプスを何度も探検した (この時代にはまだ探検という言葉は不適切ではない) 登山家であり、著述家である。

彼の本を読んで意外に思ったのは、この人が本職は銀行員だったということだった。
わたしの偏見からいえば、かたっくるしい銀行員と、ボヘミアン的要素をもつ登山家かつ作家という職業はもっとも並立しにくいもののはずだったんだけど。
むろん銀行や証券会社あがりの作家がいないわけではない。
詩人の田中冬二や、時事小説を書く江上剛といった人がそうだが、これらの人はわたしにとって意外と思える分野でものを書いたわけじゃない。

しかも烏水は脱サラをしたわけでもなく、無事に銀行業務をまっとうしたという。
明治の銀行員にはそういう野放図な人もいたということだろうか。
もっともよく読んでみると、野放図という言葉はあてはまらない。
非常な探究心、好奇心に満ちた人だったらしいけど、決してクマやイノシシを恐れないような肉体派ではなく、ウサギやニワトリの羽毛をむしって食べるような野性的な人でもなかった。
槍ケ岳に行くということが両親に知られて、おまえみたいな痩せっぽちでは遭難するに決まっていると叱責されているところからして、小島烏水は痩せて強い近視メガネをかけた人だったらしい (出っ歯の人でもあった)。

※添付した絵は、山岳画家の茨木猪之吉が描いた烏水の絵を、わたしがまねたもので、映画で仲村トオルが演じた烏水とはだいぶちがうのだ。。

これではむくつけき山男というより、ひじょうに行動的な学研の徒といったタイプが頭に浮かぶ。
槍ケ岳登山にさいしては、用心のために拳銃まで持参する人であった。

わたしの書斎にあって、小島烏水の名前が出てくるもうひとつの本、山本茂実の 「喜作新道」 では、烏水についてちょっと妙な書き方をしてある。
烏水が地方人に対して優越感を持っていたり、功名のためにいくらか細工することをためらわない人だったように書いてあるのだ。
わたしはまだ烏水の書いた本を 1冊しか読んでいないからめったなことを言えないが、山本茂実という作家はなんでも新聞記者あがりだそうで、「喜作新道」 にしても、たんねんに資料を集めながら、それをまとめる際に想像をふくらませすぎる筆癖があるように思う。
おかげでわたしは、じっさいに烏水の 「日本アルプス」 を読んでみるまで、烏水のことをいやなやつだと思っていた。
しかし 「日本アルプス」 をちょっと読んでみただけで、わたしのそうした考えはさらりと払拭された。

山案内の猟師のことを “土人” と書いているからといって、それが地方人に対する優越感のあらわれといえるだろうか。
当時の東京人はなんの偏見もなしにそうした言葉を使っていたのだろうし、わたしの子供のころは、アフリカの原住民のことを土人と呼ぶことが世間一般の通念であった。
槍ケ岳初登頂の名誉にしても、烏水は文中で、彼らのすぐ前に陸地測量部の測量官が三角標を立てるために登っていることをかくさずに書いている。
烏水がことさら初登頂の名誉にこだわっているようには思えない。
わたしはむしろ、旅の途中でおかした自分たちの失敗や滑稽な体験まで、ありのままに書いている烏水に好感さえいだいてしまう。

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