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2009年11月 3日 (火)

人形劇

以前、シネマ歌舞伎というものを観てきたことはこのブログにも書いたけど、今度は人形劇を観た。
公演のパンフレットには古典狂言とあったから、人形浄瑠璃かと思ったけど、今回観てきたものは糸であやつる人形だから人形浄瑠璃ではなさそうである。
人形によって演じられる劇というものは初めてだ。
さて、どんなものか。

公演の会場は某大学の構内にあるホールだった。
定員百人ていどの中ホールだけど、まわりをながめてみたら、そのすじの研究家と思える熟年男性と同じくらい、大学の生徒らしい若い女の子の姿も多かった。
劇の批評に、わたしのような初心者がこむずかしい理屈やヘチマをならべても仕方がないので、ここは彼女らのような、なんでも興味をもつ美しきミーハーの目で劇を評してみよう。

まずパンフレットに古典狂言とある「茨城」から。
タイトルだけではなんのことやらさっぱりだったけど、解説を読んでみたら、平家物語にも出てくる豪傑・渡辺綱の話だった。

わたしは細部まで観察しようと、この日はわざわざ双眼鏡を持参した。
双眼鏡で観察すると、人形の顔は定型化されたものだけど、こういうものは市販されているのか、専門家に制作を依頼するのかしらと、つまらないことに興味をもつ。
嫗(お婆さん)に化けた鬼が本性をあらわすところがスゴイとあるから、ひょっとするとからくり人形のようなおもしろい仕掛けでもあるかと思ったら、そういうことはぜんぜんなかった。

それでも人形の動きはさすがのものだ。
渡辺綱がはかまのももだちをとって肩をゆすって歩くポーズ、そういう構造になっているのかどうか、嫗が内またで歩いているように見えるポーズなど、微妙なところが人間そっくりである。
これでは人間が演じても同じじゃないかと思うけど、小さな人形のホンモノっぽい動きに芸術性を見出し、それを古典としてれんめんと引き継いできた日本人の、それもふつうの庶民の感覚にあらためて敬意を表してしまう。

この公演のもうひとつの出しものは、ギリシャ悲劇を人形が演じる「バッコイ」という劇だった。
なんのこっちゃと、あらかじめ調べてみたら、これはギリシャ神話の中のバッカス教の信者たちの話。
半裸の狂乱した女たちが男をバラバラにする話なので、かなりひわいな劇になるんじゃないだろうかと下世話な期待をしてしまう。

じっさいには人形の出番はあまりなく、人間の演じる劇の中で一部人形が重要な役をするというものだった。
人間も半裸ではなかった。ツマラナイ。

全体として観念的で意味はよくわからない。
こむずかしい批評に封印をしたわたしに言わせると、芸術家のひとりよがりじゃないかと苦言のひとつも発したいところ。
こういうミーハーにあっちゃ演出家もたまらないだろうけど。

人形の顔を双眼鏡でながめてみたら、こちらはなかなか恨みがましい顔で、個性的といえば個性的だけど、どこかギリシャ彫刻にこんな顔があったなと思ってしまった。
どの彫刻と名指しはできないけど、無数にあるギリシャ彫刻の中には悲劇の主役である母親の彫刻もあるにちがいない。

総括としては、意味はよくわからないけど、初めて観るものなのでそれなりにおもしろかったというところ。
たぶん、わたしの前にぺたんと座っていたミニスカートの女の子の感想もそんなところではなかっただろうか。

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