2009年12月30日 (水)
わたしは吃音である。
つまり “どもり” である (どもりというのは差別用語だそうだけど、自分のことだからいいだろう)。
おかげで人と話をするのがきらいだ。
人と話をしないからますますどもりがひどくなるようで、そうなるとよけいに人と話をするのがきらいになる。
そういうわけで、わたしは気むずかしい性格である。
しかし無口なのかといわれると、ちょっと違うような気もする。
人とあまり会話しないくせに、文章を書かせたりするとけっこう饒舌なところがあるからだ。
三好達治もどもりだったというし、古い人では韓非子もそうだったという。
たしか作家の野坂昭如さんもそうだったな。
だからどもりというのは頭のいい人のことなんだな、とはいわないけど、いまさらそれを是正するために努力をしても仕方がない。
後期高齢者じゃないし、高血圧も糖尿もないし、若い女の子が相手ならまだまだ頑張る根性はあるけれど、ま、それ相応のトシといわれりゃそのとおり。
もういちど生まれ変わりたいとも思わない。
ずいぶんひねくれちゃったものだと自覚するけど、そんなわたしがひさしぶりに帰省して、ひさしぶりに家族愛を体感してくることになった。
あっちこっちからお年玉を請求されるくらいで、ほかにいいこともなさそうだけど、2、3日ブログ更新も休みである。
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2009年12月29日 (火)

昨日テレビ放映された 「ラスト・エンペラー」。
夜の9時から放映だっていうから、2時間半も録画設定しておけばいいだろうと思ったら、これでも尻切れトンボになってしまった。
ディレクターズカット版ということだけど、監督があらためて編集しなおすと、だいたい元の作品より長くなる傾向がある。
すばらしい作品ならそりゃ結構だけど、すばらしい作品は、特にこのごろはあまり多くない。
わたしは忙しいのだ。
長けりゃいいってもんじゃないよ、ホント。
アカデミー賞を受賞した大作だそうだけど、わたしにはその受賞がどこか信用できない部分がある。
なぜかと考えたら、この監督の映画はずっと昔に 「ラストタンゴ・イン・パリ」 しか観たことがなくて、それが期待はずれの (前評判ではもっとものすごくイヤらしい映画のはず)、つまらねえ映画と思ったことがあるからだ。
すこしは監督も進歩したかいってなわけで、中国の近代史に関心のあるわたしは、最後までガマンして観た (必要な部分以外は早送りで)。
たしかに清王朝のけんらんたる偉容を映像化したという点では見上げたもんだ。
紫禁城で撮影されたという即位式の荘厳、華麗、金ピカピカのシーンは、ロシア映画の「イワン雷帝」の即位式に匹敵するくらいハデだ。
旅行者が北京まで出かけても、せいぜい故宮の殺風景な赤壁ぐらいで、こんな儀式が見られるわけではないから、バーチャル旅行としてもおもしろい。
おそらく西洋人が見たらこれだけで幻惑されてしまうにちがいない。
アカデミー賞を上げてしまおうって気になるにちがいない。
主役の役者はなかなかいい男だ。
実物の溥儀という人はちょっと頼りなさそうな人物だったけど、映画はべつにして、わたしはこの人に、日本のかいらいというだけではない、本物の人間の悲しみみたいなものを感じているので、いろいろと関心を持っているのだ。
映画の中に川島芳子みたいな男装の麗人が登場していたけど、このへんはマンガチック。
それにしても女優はブスばかりで、西洋人が期待するアジア系の美人てのはみんなあんなものかと思ってしまう。
土屋アンナみたいなのがヒロインをやったら、これはエジプト人のクレオパトラをエリザベス・テイラーが演るようなもんだろうけど。
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2009年12月28日 (月)
ひさしぶりに週刊新潮を買ってみた。
ずっと昔のことになるけど、わたしにとって新潮と、週刊朝日、週刊文春の3誌が御三家だった時代がある。
当時はもっとまともな週刊誌だったと思うけど、最近の週刊新潮はかってのアサヒ芸能と同じようなゴシップ誌になり果てたような感じだ (ところでアサヒ芸能という週刊誌はいまでもあるんだろうか)。
この巻末に西原理恵子の連載マンガがある。
正確にはサイバラと、なにか問題を起こしたもと外交官の佐藤なんとかいう人の共同連載だけど、あいかわらずサイバラの毒舌は止むことがない。
女流マンガ家には、ベルばらみたいな系統と、当たるをさいわいなぎ倒すこういう暴力的な系統があるようである。
わたしは恨ミシュランの時代から彼女のファンで、そのころ彼女のご尊顔をちらりと拝見したことがある。
毒舌のマンガ家というと、ついナンシー関みたいな人を想像しちゃうけど、西原理恵子はもうすこしスマートな娘であった。
その後彼女は結婚して子供をつくって、旦那とは死別したらしい。
男運がわるいことは彼女自身が、勝間和代とならべて自覚しているようで・・・・・ あ、わたしは勝間和代という女をよく知らないんだけど。
最近になって、サイバラがテレビに出演しているのを観たこともある。
ぽっちゃり型の、近所のお姉さんみたいな、なかなかいいオンナであった。
ただ出演の理由が、FXとかいう金融商品で1千万円をすったというもので、これはちと気のドクというか、マンガ家というのは儲かるんだなというか。
なんにせよ、こういう美人マンガ家にはこれからもがんばってもらいたいものである。
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ふだんの平日は、なんとなく仕事に出かけるのがおっくうで、どこかわるいのかなあ、ウイルス性肝炎でも患っているんじゃあるまいかと悩む。
それが日曜日だとか年末の休みになると、目はばっちり。
朝の早くから起きだして、洗濯をしたり散歩に出かけたりする。
昨日は新宿まで出かけ、飲み屋でメシを食ったけど、あまり食がすすまない。
これっぽっちでは足りないだろうから、最後にオニギリでも注文するつもりでいたのに、そこまでいかないうちに満腹だ。
なんか胃袋がずいぶん小さくなっているみたいである。
ひょっとすると胃ガンかしらと思う。
しかしべつに痛みもないし、メタボの傾向はあいかわらずだ。
健康であるという自覚はぜんぜんないくせに、わたしはもしかすると80ぐらいまで生きるかもしれない。
どうしてくれんだよ、とボヤきたくなるこのごろである。
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2009年12月27日 (日)
「牡蠣の殻」 というのは蒲原有明の、よく人口に膾炙した有名な詩である。
なんで人口に膾炙したかっていうと、この詩は高校の教科書に載っていたからだ (今でも載っているかどうか知らないけど)。
高校時代のクラスメートのひとりも、この詩の断片を教科書に書きこんでいたから、これに感動した同輩は少なくなかったと思う。
教師に、“遠野が鳩” ってなんですかと質問した者もいる。
昔のことだからはっきりおぼえてないけど、これはやさしいものの象徴ですと、たしか先生はそう答えていた。
わたしに影響をあたえたもっとも初期の詩だけど、ちょっと古風な文語文なのでわかりにくいところがある。
しかしその七五調の韻の美しさから、青二才のわたしは意味もわからないまま暗誦していたものである。
この詩についてブログに書くつもりで、念のため調べてみたら、わたしの知っている 「牡蠣の殻」 と異なる部分があることに気がついた。
ネットに載っていた詩は以下の通りで、これが本来の姿らしい。
牡蠣に殻なる牡蠣の身の、かくも涯なき海にして、
生のいのちの味気なきそのおもいこそ悲しけれ。
身はこれ盲目、巖かげにただ術もなくねむれども、
ねざむるままに大海の潮の満干をおぼゆめり。
いかに朝明、朝じほの色青みきて、溢るるも、
黙し痛める牡蠣の身のあまりにせまき牡蠣の殻。
よしや清しき夕づつの光は浪の穂に照りて、
遠野が鳩のおもかげに似たりというも何かせむ。
痛ましきかな、わだつみのふかきしらべに聞き恍れて、
夜もまた晝もわきがたく、愁にとざす殻の宿
さもあらばあれ、暴風吹き、海の怒りの猛き日に、
殻も砕けと、牡蠣の身の請ひのまぬやは、おもひわびつつ。
わたしがおぼえているのは、たしか第1節が
牡蠣の殻なる牡蠣の身の、かくも涯なき海にして、
ひとりあやうくかぎりある、そのおもひこそ悲しけれ。
となっていたように思う。
第2節以下も、わたしの記憶ではちがっている部分が何か所かある。
身はこれ盲目すべもなく厳のかげにねむれども、
ねざむるままに大海の潮の満干をおぼゆめり。
いかに朝明、朝じほの色しも清くひたすとも、
朽つるままなる牡蠣の身のあまりにせまき牡蠣の殻。
“遠野が鳩” の部分も、遠野が鳩のおもかげに似たりとてはた何ならむ、だったように記憶している。
理由はよくわからないけど、わたしの記憶ちがいでなければ、この詩には別バージョンがあるらしい。
象徴詩ということで、じゃ何を象徴しているのかと考えると、最近ちまたに増えているひきこもり症人間のこころのうちとでもいうか。
高校時代からわたしもそういう傾向があるので、ついしみじみ。
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2009年12月26日 (土)

テレビから録画しておいたリチャード・ブルックス監督、ポール・ニューマン主演の 「渇いた太陽」 って映画、忙しくてなかなか観るヒマがなかったけど、昨夜はそれを最後までじっくりと観てみた。
わたしは 「渇いた太陽」 なんていう映画のタイトルからして、悪徳政治家に牛耳られた街で、ポール・ニューマン扮するワルが、生き馬の目をくりぬくような、リアルな社会派映画だろうと思っていた。
ところが、なんかホテルの一室でのシーンがやけに長い。
映画の2/3を過ぎてもまだホテルの1室である。
そうか、これは舞台劇だったのかと思い当った。
そういえば原作はテネシー・ウイリアムズである。
この人は戯曲作家である。
この映画は失意のうちに郷里を出た青年が、なんとかセレブの仲間入りをして周囲を見返してやろうと、必死になって有名女優に取り入るあたりのかっとうを描いた心理劇だったのである。
そんならもうすこしテネシー・ウイリアムズらしい題名にすればよかったのにと思う。
原題は Sweet Bird of Youth というもので、ウィキペディアには 「青春の甘い小鳥」 なんてタイトルで出ている。
なんかラブ・ロマンスみたいだけど、こっちのほうがまだしもテネシー・ウイリアムズらしい。
映画化されたこの作家の作品はほかに 「欲望という名の電車」、「熱いトタン屋根の猫」 などがあり、どれもありそうでなさそう、なさそうでありそうという意味深長なタイトルばかりなのである。
それでも 「渇いた太陽」 は、舞台劇の映画化としてはなかなかの力作だ。
映画は落ち目の女優と彼女にまとわりつくジゴロのような男が、彼の故郷の街の高級ホテルにたどりつくところから始まる。
この落ち目でのんだくれの女優を演じるジュラルディン・ペイジという年増女優が、なかなか魅力的で、ムヒヒと彼女を見ているだけで退屈しない。
けっしてイロっぽいだけじゃなく、その演技力もたいしたものである。
呑んだくれの酔っぱらいから始まって、甘えたりすかしたり居丈高になったり、ベッドの上で吉報の電話を受け取るあたりのひとり芝居など、アカデミー賞ものじゃないか。
そう思って調べてみたら、彼女はノミネートされたものの受賞はしなかったようだ。
この年は 「奇跡の人」 のアン・バンクロフトという超強敵がいたせいで。
映画の後半でポール・ニューマンのジゴロが、落ち目女優から見下り半をたたきつけられるシーンがある。
このあたりはちょっと図式的で感心しないけど、必死で口利きを懇願するジゴロを、女優はせせら笑って放置していこうとする。
現代の青年ならすぐにプッツンで、女優の首を締めて刑務所行きになるところだけど、そうしないのはさすがに大人の映画。
このあとジゴロ青年が、まっとうな愛にめざめるなんてのは出来すぎだけど、映画なんてものはみんなフィクションと割り切ったって、最近の 「レッドクリフ」 なんて映画よりはるかにマシだ。
女優とジゴロがめでたく退陣したあとのラストシーンで、残った老年男女のやりとりが、ズシンと腹に響くぐらい気持ちイイ。
添付した画像が、イロっぽいその年増。
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2009年12月25日 (金)
金曜日の朝日の夕刊は映画の批評がやたら多い。
そのいっぽうで今年公開された映画の No.1は、なんて一覧表も。
それを見たら、わたしが 「なんだなんだなんだなんだなんだ、この映画は」 と絶叫とともに酷評した 「レッドクリフⅡ」 が第2位になっていた。
ちなみにベストスリーは上記の 「レッド」 のほか、「マイケル・ジャクソンのTHIS IS IT」、「ハリポタと謎のプリンス」 だそうだ。
いまどきの若いモンの脳ミソまで酷評したくないけど、これがいまどきの現実なのかって悲鳴を上げたいくらい。
かりにわたしに子供がいたして、彼が、父ちゃん、レッドクリフって映画おもしろいよ、傑作だよといったとする。
怒り狂ったわたしは、おまえはアホか。 それでも日本の義務教育をまっとうしたといえるのか。
そういって彼を逆さ吊りにし、水道の水にジャージャーとひと晩つけておくだろう。
新聞に映画の批評を書かねばならない (そして決してけなすことのできない) 諸氏の苦労がしのばれるよ、ホント。
表題の 「めたくそ」 というのは、「めためた+ボロくそ」 から派生した造語です。
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2009年12月24日 (木)
首相が献金問題についていろいろ弁解しているのをテレビで観ているけど、「真剣に仕事をしてこの埋め合わせをする所存であります」 と、すごく便利な言い訳で、けっきょく辞任はしないようだ。
野党時代に国会議員の責任問題について、いろいろエラそうなことを言ったのはなんだったのかと疑問を感じてしまうけど、首相や民主党の大臣たちが、対応を検討をしているところであります、目下調査中でありますって言うのは、普天間にしても高校無償化にしても、つねに、どうやってごまかしたら、どういう弁解をしたら、国民が納得するかを思案中ということなんだな。
ま、ダマされるほうがワリいや。
ワタシ、あきらめのいいほうだから。
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2009年12月23日 (水)
日曜日の朝日新聞には、たまにGLOBEというおまけ誌面がついてくるけど、先日のそれに山口スティーブさんという人が記事を書いていた。
この人は米国人だけど、来日して日本人女性と結婚し、日本国籍をとった人である。
結婚相手が建設会社の社長の娘だったので、義父が亡くなったあとは、日本でほとんどゆいいつの米国人による土建会社社長になったという。
土建業界といえば、自民党時代には政・官・業癒着の代表みたいなところだったから、米国人社長にしてみると、不条理にもみくちゃにされる日々だったらしい。
バブルがはじけたあと、公共事業をどんどん減らすという小泉改革のあおりをまともにくって、とうとう会社を整理するはめになってしまった。
それについて、もともと米国人だったこともあって、彼は日本の政治システムというものを外部の目で冷静にながめることができたようで、はっきりとこう書いている。
『悲しいことだったが、小泉を恨むことはできない』
『建設業の仕組みは、どう見ても持続不可能なものだった』
大きな矛盾を含んでいるのにそれを無視してきた社会主義が、やがて必然的に崩壊したように、日本の建設業界はいつか行きづまることが明白だったとスティーブさんはいうのである。
国に甘えて生きることに慣れていた業界、そして地方の人々のほうにこそ問題があるのではないかと彼はいう。
耳の痛い話だけど、納得できる部分が多い意見だ。
わたしは民主党の煮え切らなさを見るにつけ、小泉クンの唯我独尊ぶりを、むしろ頼もしく思い出してしまうのである。
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2009年12月22日 (火)
散歩にいった。
コースのとちゅうにコンビニがある。
べつに買いたいものもないし、店に美人がいるわけでもないけど、ついふらふらと寄ってしまう。
ひとりぼっちの散歩で人恋しさがつのるのかもしれない。
店内をじろじろと眺めても、べつに変わりのないいつも通りのコンビニである。
雑誌をぱらぱらとめくり、べつに食いたいわけでもないけど、たまたま目についた肉マンとアンマンを買ってしまう。
肉マンとアンマンはべつべつに袋に入れますかと訊かれ、自分で食べるんだからどうでもいいんだけど、とりあえずべつべつにしてもらう。
袋をぶらさげて散歩の続き。
買物の前と後で、散歩の合計は1時間ばかり。
部屋には昼メシ用の弁当がすでに買ってある。
これをレンジで温めて食べる。
すると肉マンとアンマンは、今日はもう食べられない。
それは冷蔵庫に入れて、翌日にでも食べることにする。
ウームと、なんだかよくわからないけど、今日も時間が足早に過ぎ去っていったみたい。
最近わたしのブログも好調で、毎日100人ちかくの人が読んでいるみたいだから、もっと有意義かつ高尚なことを書きたいんだけど、意義のあることがそんなに毎日あるわけでもないし、高尚なことばかり書いていたのでは体によくない。
今日のブログ更新はこの程度にしとく。
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2009年12月21日 (月)
めずらしくこの週末は夜の街へ出かけた。
土曜日はパソコン同好会の忘年会、日曜日は知り合いと都内のイルミネーション見物である。
忘年会はさておき、イルミネーションのほうはメタボ対策をかねて、思いきり歩いてやろうと考えた。
まず新宿から歩きだし、代々木から原宿の表参道までぶらぶら歩き、竹下通りをのぞいてから、そのまま恵比寿ガーデンプレイスまで歩き、そのあたりのきざな店でコーヒーでも飲もうと思ったが値段をみて断念し、つぎに六本木ヒルズまで歩こうと考えていたけど、だいぶ疲れたのでタクシーにして、ヒルズからミッドタウンまではまたぶらぶら歩き、このあとは汐留でもイルミネーションをしてるというんで、地下鉄でそっちへ移動した。
最初のいきごみでは山手線を横断する覚悟で、この全部を歩いてまわるつもりだったけど、さすがに息切れ。
で、今回はばしゃばしゃ撮ってきたイルミネーションの写真をブログに載せようと思う。ただしコンパクトカメラで三脚もなかったので、夜景がブレるのはやむを得ない。
しかしそういうときはブレを逆手に、という手がある。
イルミネーションをまともに撮るほど、わたしはすなおじゃない。
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2009年12月19日 (土)
アーサー・C・クラークの 「楽園の日々」 という文庫本を買ってみた。
たぶん 「スリランカから世界を眺めて」 みたいなエッセイ集だろうと思ったんだけど、一読してみたらそうではなかった。
引っかけやがったな、早川書房。
この本はクラークが子供のころに読んだアスタウンディングというSF雑誌についての回顧で、ま、エッセイであることは間違いないけど、内容のほとんどがこの雑誌にかかわることに限定されていてちと物足りない。
しかしSFファンというものはSFに関するものならなんにでも興味を持つものだし、わたしもそうだから、まあ文句もいわずに読んでみた。
読み始めてすぐに気になったのは
クラークが取り上げるアスタウンディングは、創刊が1930年だというから、SFといってもその初期の内容は荒唐無稽といっていいものが大半だ。
それを現代の (なんでも知っている) 科学者、作家が、皮肉や揶揄を多用して論評するのはフェアじゃないんじゃないか。
ところがクラークって人の文章は、小説や通信衛星の理論ではどうか知らないけど、エッセイではまさにこの皮肉や揶揄が売りモノだからたまらない。
たとえば古いSFには、よく巨大昆虫が登場する。
ティラノザウルスなみのクモだのカマキリだのが人間を殺しまくったりするのである。
現在では昆虫が地上でそのままの形で巨大化できないことは、ちょっと科学に詳しい人なら誰でも知っている。
これは想像力の貧困ではなく、物理的にである。
そんな古いSFを、素人ならいざ知らず、科学者といってもいい作家がコケにするのはどんなものだろう。
もうちっと古い作家に敬意、でなければせめて温情のある書き方をすべきではなかろうか。
わたしも当のクラークもそうだけど、いまとなってはバカバカしいそんなSFから、科学への興味を発展させ、ゆたかな感受性をはぐくんだ無数の少年がいたはずなのだ。
といいつつ、そういう部分をわたしは特におもしろがって読んだんだけど。
だいたいアーサー・C・クラークって人の脳みそはフロイト流の分析を必要とするゾ。
以前にも書いたけど、この人は映画 「2001年宇宙の旅」 の原作者である、とされる。
2001年については、わたしは監督のスタンリー・キューブリックのものであるべきだと思っているけど、クラークはまるで自分のもののような顔をして、つぎつぎと続編を書いた。
2001年はそれ自体で完結した単独作品だと信じているわたしは、続編なんか書いてほしくなかった。
案の定、映画化された続編はロクなもんじゃなかった。
映画史に残る金字塔を汚して、クラークは何も感じなかったのだろうか。
続編が書かれ、それが他人によって映画化されることについて、キューブリックはどう考えていたのか知りたいけど、あいにく彼はすでに・・・・・・・
スペースチャイルドにでもなっちまったんだろうか。
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2009年12月18日 (金)
レコードをよく聴く人なら誰でも知っている用語に、本テイク、別テイクという言葉がある。
スタジオでレコードを吹きこむとき、何回か演奏をしてみて、そのうちのいちばんよかったものをレコードに採用する。
最終的に採用されたものが本テイクで、採用されなかったものが別テイクであると、おおざっぱにいうとそんなところらしい。
ジャズの世界では別テイクにも名演奏があったり、資料として貴重なものがあったりするから、けっして別テイクだからいけないということにならないのがムズカシイところだ。
古い話でもうしわけないけど (4、50年まえのジャズ界にブログ・ネタは掃いて捨てるほどあるけど、昨今のジャズ界にそういうものは皆無なので、やむを得ないのである)、オーネット・コールマンに 「フリージャズ」 というレコードがある。
このレコードは集団即興演奏によるものといわれ、管楽器2本にベースとドラムというクァルテットが2つ、合計8人が同時に演奏するという変わったスタイルで、専門用語を使わずに聴きどころを説明するなら、たくさんの楽器によるにぎやかなお祭り的演奏であるとでもいうか。
アナログ時代には、この演奏はぶっつけ本番で、たった1回の演奏がレコードになったと思われていた。
つまり本テイクしかないと思われていた。
ところがCDの時代になって、本テイクとカプリングで、存在しないと思われていたこの演奏の別テイクが日の目をみた。
本テイクのほうはジャズ史に残る問題作で、わたしはアナログの時代に耳にタコができるくらいよく聴いたものだ。
しかしCDに入っていた別テイクはおまけみたいなものだし、演奏も練習のつもりなのか、あまり調子がいいとはいえない・・・・・・・ と思っていた。
そんな別テイクのほうを、ある日たまたまじっくり聴いてみたら、中ほどに、まさに集団即興演奏のだいご味を感じさせる部分があることに気がついた。
ベースのソロが始まるまえの2分間ほどだけど、アンサンブルが終わるのをまちかまえていたように、トランペットがいきおいよく飛び出してきて、それに他の楽器がパカパカピーヒャラとからむ。
この部分に関しては本テイクより別テイクのほうがゼッタイにいい。
たった2分のためにわざわざCDを買ってごらんなさいとは言わないけど、すでにこのCDを持っている人にはお薦めだ。
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2009年12月17日 (木)
民主党のマニフェスト変更や天皇の会見問題についていろいろ言いたいことがあったけど、今朝の朝日新聞がみんな代弁してくれているので、それには触れないことにする。
だいたい民主党のマニフェストなんか最初から実現できるなんて思ってなかったし。
けっきょくこの国でまじめに政治を行おうとしたら、誰がやったってそんなに選択肢はないということなんじゃないか。
国民もそのことをよく承知して、どっかの政党の、ウチが政権をとったら社会のしくみが一変しますなんて甘言には乗らないようにすることだ。
民主党の政策がけっきょく自民党のそれに近づいていくのを見ていると、日本もいよいよ米国型の、極端に違いのない保守の二大政党が、政策のわずかな相違について真剣に討論する社会になるのかなと思う。
それならそれでいいことだ。
少なくとも気宇壮大な、夢みたいなマニフェストにのせられるよりは。
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2009年12月16日 (水)
テレビでリチャード・ブルックスの 「渇いた太陽」 って映画をやっている。
例によってメシを食ったりほかの用事をしながらちらりちらりと観ているので、さっぱりストーリーがわからないけど、いちばんカッコよかったころのポール・ニューマンがワルの役のようで、映画カメラの前で艶然とほほえむ (劇中劇である) きれいな女優さんが、カメラが停まったとたんに不機嫌な顔になるところなど、なかなかおもしろい映画のようである。
わたしはリチャード・ブルックスという監督も好きである。
この監督は 「プロフェッショナル」 や 「ロード・ジム」 のような、一味ちがった娯楽大作も作っているけど、本来は 「熱いトタン屋根の猫」 や 「暴力教室」、「エルマー・ガントリー」、「冷血」 などの骨太な社会派の映画で知られた人である。
いつものぼやきになっちまうけど、アメリカがまだ良心を持っていた時代の監督のひとりなんだよな。
そんな時間があるかどうかわからんけど、録画しといてあとでゆっくり観ようと思ったが、考えてみたら、この映画は以前にも録画してDVDに焼いたものがどこかにあるはずで、それさえじっくり観ているヒマがないんだよねえ。
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わたしは自他ともに認めるへそまがりだけど、そもそもへそまがりというのはどんなことなのかと、今回はへそまがり考。
たとえばレストランに行く。
みんながトンカツを食べようというとき、わたしは刺身がいいなんて言い出す。
刺身にした理由は、わたしが肉がキライで、魚のほうがいいということなんだけど、肉が食べられないという人はあまりいないから、わたしはへそまがりということになってしまう。
たかがレストランぐらいという人がいるかもしれない。
旅行なんかの場合はどうか。
みんながどこか手頃な値段の海外旅行へ行こうといいだす。
手頃な海外というと、韓国、台湾、上海、香港マカオ、タイ、グアムなんてところが誰でも考えそうなところである。
じつはわたしはほとんどビョーキというくらい旅行が大好きで、これについてはこだわりのある人間である。
物見遊山で、酒さえあればどこでもいいやという気にはなれないのである。
友人たちはそこまでこだわりを持ってないから、たいていは、仲間うちで風波を立てても仕方がない、まあどこでもいいんじゃないのと妥協してしまう。
さあ、わたしはどうするべきか。
ぜんぜん関心のない国への旅行でも、お付き合いで参加すべきか。
そういう仲間たちから離脱して、ひとりで好きなところへ行くべきか。
もちろんわたしはひとりで行く。
こんなことがしょっちゅうあるので、ますますわたしはへそまがりということになってしまう。
聞け、万国のへそまがり諸君。
へそまがりというのは、他人に安易に妥協しない、確固たる信念を持っている人のことを言うのである。
妥協という言葉は美しい。
しかしそんなものに幻惑されないアナタ。
キミはなかなか見上げた人物なのだ。
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2009年12月14日 (月)
天皇陛下が中国の次期主席 (とされる) 人物と面会するということでガヤガヤ。
たかが外国の要人と面会するていどのことで、なにを騒いでいるのかと思ったけど、よく聞いてみたら、天皇陛下は特定の外国を優遇するわけにいかないので、すべての国に対して同じ一定のルールを課しているのだそうだ。
なるほどと思う。もっともだと思う。
これはごり押しした民主党がケシカランのだけど、その官房長官がどんな弁解をするかと思ってテレビを観ていたら、厚顔無恥の典型みたいだった。
官房長官をしている平野クンがもしも野党のまんまだったら、おそらく正反対のことを言ったにちがいない。
のほほんと弁解する彼の顔を見ていて、政治家の豹変ぶりにあきれかえってしまった。
玉子でもあったらぶつけたいところだ。
こういうわかりやすいニュースばかりだと、ブログを書くのも楽でいい。
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画家の平山郁夫さんが亡くなって、NHKのアーカイブでその特集をした。
わたしはこの人が大御所になってからその絵を知ったので、それほど作品を買っているわけではない。
だからブログに書くつもりもなかったけど、シルクロードを旅していたとき、敦煌の莫高窟にこの人の大きな肖像画が飾られていたなんてことを思い出した。
となりに某新興宗教の代表の肖像画もならべてあったので、ロクなもんじゃないと思ってしまったのがこの画家には気のドクだった。
この人の絵は、よく場末の中華料理店の壁に貼られているカレンダーになっているのを観ることもある。
東郷青児画伯の絵もそうだけど、カレンダーなんかに使われると、わたしはどうもその絵に尊敬の念をいだけなくなってしまうのである。
おそらくわたしが平山画伯と同世代なら、そして彼のデビュー当時を知っているなら、評価もぜんぜん違っていたことと思う。
生まれた時代がちがうという理由で、わたしは平山郁夫の正常な評価ができないんだけど、けっしてけなす気にもなれない。
画業ではなく、政治方面でこの人はそれなりのことをした人だと思う。
絵がマンネリにならないようにと、どこまでも新しい画風を追求するのもけっこうだが、常識という芸術家にあるまじき個性をもった画家なら、ほかにやるべきことはある。
芸術を保護するためにさまざまな政治運動をしたと、へそまがりのわたしもそういう分野の評価はちゃんとしているのである。
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2009年12月13日 (日)
茨城県までアンコウを食べに行ってきた。
うらやましがることはない。
わたしはそんなにお金持ちじゃないから、他人のおごりである。
えっ、他人におごられるほうがよっぽどうらやましいって?
そりゃそうだな。
あいにくわたしは少食なので、最後に雑炊が出るころには、消化薬がないとそれ以上食べるのが苦痛になってしまった。
もうアンコウなんか見たくないくらい。
帰りに阿字ケ浦で海をながめてきたけど、たいそうな荒れ模様。
わたしがアンコウを食べているころ、北海道のほうでは釣りに出かけた5人が海の藻屑になっていたそうだ。
食うか食われるか、海の人生は非情であるけれど、港の市場ではハトポッポがみりん干しをつっついていた。
海の人生は非情であると同時に、抜け目のないやつの勝ちだ。
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2009年12月11日 (金)
テレビを観ていたら、中国の洛陽の近くにある洞窟住居ヤオトン (窰洞というむずかしい漢字を書くので文字化けしなけりゃいいが) を紹介していた。
これは地面を四角く掘りぬき、その垂直面にさらに横穴を掘って、そこを人間の住居にしたものである。
地面の下の洞窟なんて聞くと、日本人にはさぞかしホコリっぽいんだろうなあと思われるかもしれないけど、じつはそれほどでもない。
それほどでもないということをなぜ知っているかというと、じつはわたしは洛陽へ行ってきたことがあるからだ。
ヤオトンにも入ってみたことがあるからだ。
※写真は西安の近くで見たヤオトンとその内部。
よりによって地面の下なんてと考えるむきは (あまりいないだろうけど)、異文化というものへの認識不足だ。
あちらからすれば、日本人が木造の家屋に住んでいると聞けば、火事になったらよく燃えるだろう、ぶっそうなところに住んでいるもんだなと思うだろう。
それはさておき、夏は涼しく冬は暖かいヤオトンは、天然のエコ住宅なのだ。
そういう快適な住居が不愉快なコンクリートの新興アパートにとって代わられたとは思えないから、まだまだ西安や洛陽近辺には、大地にあけた穴の中で幸福に暮らしている人たちがたくさんいるにちがいない。
テレビではヤオトンは埋め立てられて数が減少したなんて言っていたけど、わたしが中国を旅した1995年から2005年にかけては、まだまだ列車の窓からもたくさんのヤオトンが見られた。
ヤオトンのある村では、いたるところにトウモロコシの種子が広げられ、種子をとったあとの茎や殻が山のように積み上げられていた。
そしてヤギやニワトリや、近所のガキどもが放し飼いで元気に走りまわっていた。
テレビで紹介されていたそのまんまの、どこか郷愁をさそわれる景色である。
あ、また行ってみたいなと、衝動がむらむらだけど、この不景気でわたしのサイフもだいぶ軽くなってるし、郵便貯金の残高もかんばしくないからなあ。
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2009年12月10日 (木)
新聞の夕刊に 「3万人の命に」 という連載シリーズ。
自殺者の増加について考えるシリーズである。
今回は自殺の名所の東尋坊でいろいろ苦労している地元の警察官の話題が出ていた。
警戒中の警察官が年輩の男女の自殺志願者を発見して、市役所の福祉課に行くようにと諭した。
2人は福祉課に行ったそうだけど、県外の方なんてとんでもないと相手にされず、べつの役所に行けと500円だけを渡されたという。
べつの役所でもそのつぎの役所でも500円だけを渡されてたらいまわし。
けっきょくこの2人は、警察官に感謝する手紙を残して首をつったという。
役所の冷血ぶりと役人のことなかれ主義に思わず感心してしまったけど、しかし赤字大国の日本で、国にも地方にも自殺志願者を保護する予算が無尽蔵にあるわけじゃない。
かぎられた予算の中で、そんな金があったら未来をになう子供たちに手当てしたほうがいいというのも道理。
うーむと無言・・・・・・・
自分のめんどうは最後まで自分でみるしかないんだと、ニヒルな結論しか、現在のいそがしいわたしには考えが思い浮かばないんだけどねえ。
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2009年12月 9日 (水)
最近ブログが好調だ。
こんな文章でも読んでくれる人が多いとみえて、アクセス数もうなぎ上りだ。
でも今夜は時間がないので、更新しない、という文章しか更新しません。
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2009年12月 8日 (火)
もう何度もテレビ放映されている 「灰とダイヤモンド」 がまた放映された。
うちのテレビをデジタル放送にしてから初めての放映なので、いちおう録画してみたけど、なんせ古い映画だからデジタル効果で美しい映像になるかっていうと、それほどでもない。
映画の冒頭は主人公のテロリストが要人を暗殺する場面から始まるんだけど、しちめんどくさい説明はナシ、最近の映画のように善悪がはっきりしておらず、しかも内容は文学的かつ哲学的なので、殺すほうと殺される側の関係がわかりにくい。
相手がドイツなら話は簡単だけど、物語はドイツが敗退したあとのポーランドが舞台である。
そこでちょいと当時のポーランドについて、お勉強してみる。
ドイツが敗北したあと、ポーランドにはソ連軍が乗り込んできて、傀儡というべき親ソ政権をつくった。
おさまらないのは英国に亡命していた西側寄りのグループで、映画は内戦状態にあったこの両者の抗争が背景になっている (んだそうである)。
主人公のテロリストはこの西側寄りグループに属し、親ソ派の要人を目標に暗殺を繰り返すのである。
ナルホド、と安心するほど話は単純じゃない。
この映画をつくったアンジェイ・ワイダ監督を含めて、当時のポーランドには新しい抑圧者であるソ連に反感をもつ者が多かった。
しかし、ソ連に反感を持っていたとしても、映画は親ソ政権下で作らなければならないのである。
親ソ体制を中傷誹謗するような映画、この映画みたいに反体制側の若者をヒーローにするような映画は、もちろん当局の検閲にひっかかって製作できないのである。
そこはそれ、「イワン雷帝」 のエイゼンシュタイン時代から、検閲官をいかにごまかして反体制映画を作るかという点が、ソ連や東欧の映画人のうでの見せどころだった。
ワイダ監督は体制にさからう主人公が、最後は虫けらのように殺される設定にして、なんとか検閲を通過させたようである。
それでも結果をみると、主人公はカッコいいし、カッコいい彼を射殺する当局のほうがワルに見えるから、監督がこめた寓意の勝ちだろう。
このころの検閲官は芸術の本質を理解する素養が欠けていたようだ。
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2009年12月 7日 (月)
ろくな食体験もないくせに美食に凝りはじめて、やたらいろんな料理に挑戦しているわたしだけど、ここんところ味噌汁に凝っている。
森鴎外はナスが好きだったそうだけど、わたしもナスが好きである。
だからエライだろうというわけではない。
わたしは野菜ならなんでも好きなのだ。
なんかナスの有効利用はないかと考えていたとき、とつぜん味噌汁がひらめいたのである。
味噌汁くらいなら特別な準備がいるわけではないから、すぐに実行に移した。
独身で家族のいないわたしのことだから、味噌汁の制作費も糸目はつけないのである。
味噌は高級なものを使う。
といってもたかがしれている。スーパーで売っているダシ入りの味噌である。
味噌にダシが入っているのだから、それ以上ダシは要らないように思えるかもしれないけど、これ以外に和風だしの素なんてものも、スティック1本を丸ごと入れてしまう。
ずっとむかし、テレビで 「長江をゆく」 という番組があった。
これは日本の文筆家や女優、料理研究家などを乗せて、中国は長江の船下りを実況中継するものだった。
この船内で食事が出て、乗り合わせた日本人たちはみんな美味しい、美味しい、さすがは本場の中華料理だといってほめていた。
で、船内の調理場を日本の有名な女性料理研究家が見学にいってみたら、調理人は化学調味料をどさどさと使っていた。
ワタシはあんまり化学調味料は使わないんですけどねえと、悲しそうな顔の研究家の顔がいまでも目にうかぶ。
本場でもそういう具合だから、わたしが和風だしの素を使っても文句をいわれるすじあいはない (どうせ自分で食べるんだし)。
菜食主義のわたしだから、味噌汁の具はジャガイモ、タマネギ、豆腐にナスと、これは究極のベジタ汁である。
ほんとはシジミも入れるつもりだったけど、スーパーで買うのを忘れたのだ。
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2009年12月 6日 (日)
「坂の上の雲」 の2回目を録画するついでに、そのすぐあとの 「悲劇の特殊潜航艇」 という番組も録画しておいた。
これはちょっと悲しい番組だけど、それはさておいて。
今月は太平洋戦争の開戦記念日 (そんなもんあったか) がある月だ。
だから真珠湾を攻撃した潜航艇の番組というわけだろうけど、それが愛国心を鼓舞するものでなけりゃ幸いだ。
「坂の上の雲」 にしてもそうだけど、歴史を高いところから俯瞰していると、そこには抵抗のできない大きな流れがあって、人々の考えも、気がつかないうちに同じ方向に流れしまう場合があるのかもしれないと思うことがある。
作家に罪はないけど、「坂の上の雲」 がブームだとしたら、日本もナショナリズム勃興の時期にさしかかっているのかなと、ふと思う。
ちと危険。
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2009年12月 5日 (土)
土曜日の朝日新聞にはおまけがたくさんついてくるけど、そのおまけ誌面に詩人のサトウハチローの記事。
サトウハチローというと、作家の佐藤紅緑の息子で、やはり作家の佐藤愛子の異母兄であるということは、まあ、たいていの人は知っているわな。
佐藤愛子も豪傑だけど、この兄貴は若いころ手のつけられない不良だったそうだ。
感化院に入ったこともあるっていうからハンパじゃない。
そんなワルでも詩人になれるのがおもしろいけど、彼が1926年に加入した 「銅鑼」 という詩の同人誌に、宮沢賢治の 「永訣の朝」 とならんで詩を発表していたなんてことは知らなかった。
今朝の新聞に載っていたのは 「ちいさい秋みつけた」 という歌の歌詞で、これはなかなかいい歌だけど、歌のよさの半分以上は作曲家の中田喜直の功績だろう。
音楽能力のないわたしは、どうも作詞よりも作曲のほうに無条件の讃辞を与えてしまう傾向がある。
しかしサトウハチローのつくった 「もずが枯木で」 という歌の歌詞については、これは作詞の功績大である。
この歌について、若いころはなんてことのない唱歌だと思っていた。
べつにひとりで口ずさみたくなるほどいい歌とも思えなかった。
ところがある日、わたしはなぜかときどき感情が高ぶることがあるんだけど、この歌詞を詩として読んでみたら、三段目の 『あんさは満州へ行っただよ/鉄砲が涙で光っただ』 という歌詞がグサリときた。
以来、これはすばらしい反戦歌であることに気がついた。
この歌のよさは歌詞によると、いまでも思っている。
話がそれるけど、サトウハチローは若いころ母親にすてられたということが、終生のトラウマになっていたという。
そのせいか母親を歌った詩がやたら多いらしい。
わたしも知り合いの中に、子供のころ母親にすてられた人間を2人知っていた。
お母さんに逢いたいだろうと尋ねると、2人とも、子供をすてるような母親に逢いたくはないよと、吐き捨てるようにこたえた。
これは母親に対する思慕の裏返しじゃないのか。
ほんとうに母親を憎んでいるのかどうか、いちおう両親のもとでふつうに育った人間には想像しにくい部分があるようだ。
このうちのひとりについては以前にもこのブログで書いたことがある。
雨の夜に出刃庖丁をもってわたしの部屋に押し掛けてきた男である。
彼はその後自殺したから、とうとう (生きているのかどうかもわからない) 母親に再会することはなかったようだ。
話がそれすぎたな。
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民主党がひっかきまわされているぞ。 亀井クンと瑞穂チャンに。
だからいわんこっちゃない。
沖縄の問題は、市民の期待と行政のおもわくはくいちがう部分があるので、単純に移動すればいいってもんじゃない。
実現はむずかしいだろう。
グアム?
米国にしてみれば、米国以外の国に基地を置くことに意義があるんだろ。
そりゃ怒るぜ。
米国が怒るのはポーズって気がしないでもないけどな。
なんとなれば、あちらは民主主義の本場なので、民意を無視して勝手にことを運べないことや、あいだにはさまれた苦しい民主党の胸のうちはよくわかっているはず。
いっそのこと北海道の夕張に移転したらどうだ。
赤字で市の財政が破たんなんてことはゼッタイになくなるだろう。
亀井クンと瑞穂チャンについては、とにかく参院選挙まではご機嫌をとっておこうという魂胆なんだろうけど、これじゃ民主党の支持ガタ落ちの原因になりかねないな。
選挙協力をとるか、これ以上悪評がひろがるのをくいとめるために、亀井クンと瑞穂チャンを切るか、そのうち決断しなくちゃいけなくなるゾ。
あ、メシ食わなくちゃ。
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2009年12月 4日 (金)
YouTube に自作の映像をアップしようとしたが、なかなかうまくいかない。
以前、かんたんな映像を載せたことがあり、そのときは問題がなかったのに、どうもよくわからない。
今回の映像は編集がしてあって、以前のものに比べればやや複雑。
それが原因かと考え、いろいろ試みてみた。
パソコンもソフトもけっして新しいものではないから、それが原因だとしたら手におえないけれど。
そのうち (べつに変わったことをしたおぼえもないのに)、ひょっこりアップに成功してしまった。
めでたしめでたしだけど、あいかわらずパソコンの気まぐれには悩まされる。
この映像はパソコン同好会で使うためにとりあえずアップしたもので、興味のある人は YouTube で 「パソ会」 という言葉を検索すれば見つかるはず。
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2009年12月 3日 (木)
録画しておいた「坂の上の雲」をときどき、(通して観るほど時間がないもんで) ちらりちらりと観てるんだけどね。
NHKの大河ドラマそのもので、ま、カメラワークなんかには見るべきところもあるけれど、おおむね優等生が作ったようなつまらない映画だ。
もっとも最近は映画界全体から、高度なユーモア、寓意、詩情なんてものがほとんど絶滅したようだから、そんなものを要求するほうが変人か。
そ、わたしゃ変人なんだよねえ。
このドラマの中に、当時の、つまり明治時代の日本が、西洋人から猿とあだ名されていたことが出てくる。
ヨーロッパをまねて自立しようとする姿勢が、西洋から笑止な猿まねと思われていたということである。
そのころの日本の努力にわたしぐらい敬意を表する人間はあまりいないつもりだけど、またそれとは関係のない、つまらないことを考える。
現在の日本ではそうした屈辱的な過去があったことをケロリと忘れて、先進国の仲間入りをしようとする他国を、コピー文化大国だなんてバカにする手合いが多いことである。
こんなことを書くと、また中国ギライのあいだでの評判が悪くなっちまうけど、わたしは現在の中国を、ちょうど明治維新の日本になぞらえて注目しているのである。
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2009年12月 2日 (水)
なんか簡単に書けそうなブログ・ネタはないかと、今朝の新聞を読んでみる。
補正予算が7兆円、といわれてもあまりわたしには関係なさそうである。
日銀の金融緩和もドバイ・ショックも関係ないし、普天間もあいかわらずだし、国際面のほとんどを占拠した中国の言論弾圧もいまさらって感じだし、なかなかネタになりそうな記事がない。
フィリピンで大統領選挙という記事が目についた。
コラソンの息子のアキノ議員が優勢だってところまでは、まあ、そういうこともあるだろうという程度の反応しかないけど、99人!も乱立した立候補者の中には、フィリピン大統領になったあとは米大統領に、それから世界皇帝になるなんて宣言している者もいるそうだ。
来年5月が投票らしいけど、こりゃ目が離せない。
えらく楽しそうな選挙になりそうである。
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2009年12月 1日 (火)

土日に餅つきなんかやっていたら、録画したテレビ番組がたまってしまった。
そんな番組の中に報道写真家セバスチャン・サルガドを紹介する、日曜美術館の番組があった。
サルガドはあまり言葉では語らない人だそうだけど、今回は特別サービスだってことでNHKのアナウンサーにいろいろ話をしている。
じつはわたしは、作品は何度も見たことがあるけど、彼がどんな人なのか知らなかった。
番組に登場した彼は、頭をそりあげた剽悍そうな男性で、CIA長官でも務まりそうな冷酷な感じの人だった。
しかし彼はもともとは経済学者だったそうで、1992年に労働者をテーマに撮影をしていたころの映像でみると、鼻の下にオットセイのようなヒゲを生やした、そのへんの研究所の用務員みたいな人だった。
過酷な現実を追い続けてきたおかげで、肉体と精神のよぶんな部分がそぎおとされてしまったのかもしれない。
わたしがはじめて彼の写真を見たのは、なんかの写真雑誌で紹介されていた、南米の鉱山で働く労働者たちの写真だった。
これは巨大な露天掘りの金山に、アリのようにむらがる労働者をとらえた、ハリウッドのスペクタクル映画を足もとにもよせつけない、おそろしいまでに大迫力のモノクロ作品である。
こういう写真を見ていると、写真が1000の言葉よりも雄弁に物語るものであることをまざまざと教えられる。
というわけで、わたしもサルガドを気取って、モノクロ写真を2枚ばかり。
中国で撮った写真だけど、意味深長そうで、じつはなにも語っていないゾといわれそう。
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