サトウハチロー
土曜日の朝日新聞にはおまけがたくさんついてくるけど、そのおまけ誌面に詩人のサトウハチローの記事。
サトウハチローというと、作家の佐藤紅緑の息子で、やはり作家の佐藤愛子の異母兄であるということは、まあ、たいていの人は知っているわな。
佐藤愛子も豪傑だけど、この兄貴は若いころ手のつけられない不良だったそうだ。
感化院に入ったこともあるっていうからハンパじゃない。
そんなワルでも詩人になれるのがおもしろいけど、彼が1926年に加入した 「銅鑼」 という詩の同人誌に、宮沢賢治の 「永訣の朝」 とならんで詩を発表していたなんてことは知らなかった。
今朝の新聞に載っていたのは 「ちいさい秋みつけた」 という歌の歌詞で、これはなかなかいい歌だけど、歌のよさの半分以上は作曲家の中田喜直の功績だろう。
音楽能力のないわたしは、どうも作詞よりも作曲のほうに無条件の讃辞を与えてしまう傾向がある。
しかしサトウハチローのつくった 「もずが枯木で」 という歌の歌詞については、これは作詞の功績大である。
この歌について、若いころはなんてことのない唱歌だと思っていた。
べつにひとりで口ずさみたくなるほどいい歌とも思えなかった。
ところがある日、わたしはなぜかときどき感情が高ぶることがあるんだけど、この歌詞を詩として読んでみたら、三段目の 『あんさは満州へ行っただよ/鉄砲が涙で光っただ』 という歌詞がグサリときた。
以来、これはすばらしい反戦歌であることに気がついた。
この歌のよさは歌詞によると、いまでも思っている。
話がそれるけど、サトウハチローは若いころ母親にすてられたということが、終生のトラウマになっていたという。
そのせいか母親を歌った詩がやたら多いらしい。
わたしも知り合いの中に、子供のころ母親にすてられた人間を2人知っていた。
お母さんに逢いたいだろうと尋ねると、2人とも、子供をすてるような母親に逢いたくはないよと、吐き捨てるようにこたえた。
これは母親に対する思慕の裏返しじゃないのか。
ほんとうに母親を憎んでいるのかどうか、いちおう両親のもとでふつうに育った人間には想像しにくい部分があるようだ。
このうちのひとりについては以前にもこのブログで書いたことがある。
雨の夜に出刃庖丁をもってわたしの部屋に押し掛けてきた男である。
彼はその後自殺したから、とうとう (生きているのかどうかもわからない) 母親に再会することはなかったようだ。
話がそれすぎたな。
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