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2010年2月

2010年2月28日 (日)

トルコ/チャイ

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酒はだめという人には、トルコではチャイという飲み物がどこにでもある。
ようするにお茶のことである。
透明の小さなグラスに入った茶色の液体で、けっこう入れるのに手間のかかるものらしい。
こんなものは急須にお湯をそそぐだけだろうと思ったわたしは、バスの出発まぎわにこれを注文して、なかなか出てこないのに慌てたことがある。

ふつうは砂糖をいれて飲むらしいけど、いえば砂糖抜きでもOK。
味はちょっと渋みがあるふつうのお茶だけど、ふた口か3口で飲み干せるぐらいの量しかない。
わたしはお茶が好きで、家にいるときは相撲取りが使うような湯のみでガブガブ飲むほうだ。
当然ながら味にうるさいほうじゃない。
チャイについても特別な感動はないけれど、お酒が禁止のイスラム教徒が、しつこい肉料理なんか食べたあとに飲むなら、それなり爽快感をもたらすんじゃないかと思う。

イスタンブールでバザールを見物しているとき、チャイ専用の器具を売っている店でグラスを売り込まれた。
店の人間がそうかんたんには割れませんよという。
じっさい目の前で1メートルほどの高さから落としてみせた。
見た目はガラスだけど、実際はなにでできているのか、グラスはタイルの上に落ちて2、3度飛びはねた。
へえ、すごいねえと感心したけど、だからといって買ってやる義理はなかった。

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トルコ/自己責任

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この日の昼食はギョレメという町の近くにあるレストランでとった。
ギョレメという町はバスの中から眺めただけだけど、民家がびっしりと重なった古い集落で、わたしの見たいのはこういうところなんだけどなあと思う。
こういうところを見たかったらやっぱり個人旅行で出直す必要があるようだ。

ある場所で地震でもきたら倒れるんじゃないかと思うようなキノコ型の大岩が直立しているのを見た。
日本なら危険ということで即刻立ち入り禁止だけど、こちらではその岩の根もとにもみやげもの屋がある。
なんでもかんでも規制という日本に比べると、自己責任ということがはっきりしていて、むしろ気持ちがすがすがしい。
車が崖から落っこちると国土交通省が、川で子供が溺れると河川管理者が、歩道橋で人が押しつぶされると警察が、なんでもかんでも行政を訴えるのが日本の文化なら、トルコのそれは、そんな道路を車で走るほうがワルイ、そんな川で泳ぐほうがワルイ、そんなに歩道橋に集まるほうがワルイと、なかなかすっきり。
考えさせる問題じゃあるまいか。

この大岩の下でチャイを飲んだ。
チャイはトルコ式のお茶だけど、家ではいつも相撲取りが使うような大きな茶碗を使っているわたしには、量がほんのちょいなのがもの足りない。
チャイは4リラだったけど、ちょうど近くに同じツアー仲間のKさんとLさんがいて、オレたちのは3リラ半だったぞと叫んだ。
たちまちわたしのチャイも3リラ半になった。

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2010年2月27日 (土)

トルコ/奇岩めぐり-2

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まだあります。

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トルコ/奇岩めぐり-1

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この日は昼からカッパドキアの奇岩怪石めぐり。
カッパドキアの奇岩は風雨による浸食のなせるわざである。
このあたりの地層は浸食されやすいものらしい。
では、なぜそんな浸食されやすい地層が形成されたのか。

調べてみたら、エルジエス火山の噴火による火山灰や溶岩の堆積という説が見つかった。
火山があるということは地震が多いということではないのか。
火山とキノコみたいにあぶなっかしい岩の存在は矛盾しているぞ、オイ。
説をよく読んでみたら火山の噴火は数億年まえのことだった。
人間より、いや恐竜たちよりはるかな昔、地球の創世記の火山活動が終焉したころから、このあたりはすでに地震のない土地になっていたらしい。
ナットク。

最初に刀の谷というところへ行ってみた。
ここにもまるでキノコのような形をした岩が乱立していた。
おとぎ話に出てくる小人の家みたいである。
このあともラクダ岩だとかなんだとか、名前は忘れてしまったけど、3カ所ぐらい奇岩の景勝地を見てまわった。
正直いって前日にも不思議なかたちの岩を見すぎたせいで、いくらかうんざりという気持ちがしないでもない。
※えいやっと、ここでカッパドキアのそんな景色をまとめて紹介してしまう。

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2010年2月26日 (金)

トルコ/旅は道づれ

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カッパドキアの2日目は、午前中に野外博物館の見学がオプションに設定されていたけど、ゆっくり寝ていたいというわたしはキャンセル。
9時ごろまでぐうぐう寝ていた。

目がさめたあと、ホテルの周辺をぶらついてみた。
ホテルのまわりは低い山にかこまれた素朴な農村である。
わたしは山を見ると登ってみたいという人種なので、前夜に降ったらしい雨で地面がぬかるんでいなければ、そして時間があれば、そのあたりの山に登ってみたくてたまらなかった。

この旅のとちゅう、あるレストランで昼食をとったとき、わたしの前に座ったゴマシオひげの上品な男性は、盛岡の地方山岳部の長老で、日本百名山をすべて踏破し、いまは岩手の百名山を登山研究しているという人だった。
人見知りの激しいわたしだけど、このときばかりは得意分野の話でおおいに盛り上がった。
ただこの人もやはり常識的な人生をまっとうした人らしく、わたしのようにだらしなく生きてきた人間じゃないようだから、山以外の世間話になるとどうも肩身がせまい。
それでもこんなことの積み重ねで、無愛想なわたしに対する同行の人たちの見方に、徐々に好意的な部分も増えてきたんじゃないかと思う。

わたしはトルコ料理がニガ手で、終いには他人のカップラーメンを分けてもらったということはすでに書いたけど、分けてくれた人というのは、この旅の最初のころ、わたしのとなりに座っていろいろ話しかけてきたおじさんである。
このおじさんも当初は無愛想なわたしに閉口していたようだけど、終わりのころにはにこやかに話のできる仲間になっていた。

見知らぬ同士であっても、またどんな変人偏屈でも、10日間もいっしょに旅をしていると、自然と友情のようなものが生まれるものである。
この旅で知り合った人たちとは旅行が終わったとたんにそれっきりになったけど、そのうちの何人かをわたしは10年後まできっとおぼえているだろう。

写真はホテルの近くの山。
樹木のほとんどない山だから、無神経に登っても道に迷ったりなんてことはなさそう。

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トルコ/デデマン・カッパドキア

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カッパドキアのホテルは、4日目にコンヤで泊まったのと同じ系列のデデマン・カッパドキア。
近代的な高層ビルのホテルである。
夜になったら夜遊びにという向きはがっかりすることを保証する。
このホテルは畑のまん中にあって、まわりには完璧になにもない。
しかしこれは歓迎すべきことである。
日本では京都のような古都のまん中に、高層ビルのホテルを作ろうなんてふとどき者がたまに現れるけど、トルコでは世界遺産をぶっこわしにするような建物は建てちゃいけない規則のようだ。
それが遠景の中に入ってもいけないというくらい徹底されているらしい。
※写真はホテルの窓からのサビシイ景色。

こういうトルコ政府の姿勢は、民主主義を考えるうえでの参考にしなくちゃいけない。
日本では民主主義の名のもとに、誰がなにをしようと手前勝手。
自分の金で建てるんだ、文句あっかということで、景観や伝統なんかぶち壊しの家をつくって平然というバカ者が多い。
アタチュルクの項でもふれたけど、指導者がほんとうに国のためを思い、それなりの見識をそなえた人物なら、独裁もそれほどわるいものじゃないというのはこういうときだ。
カッパドキアは、ダメといったらダメという国の強圧的独裁政策のおかげで、世界中から観光客をひきつける魅力を保っているのである。

そんなに観光客が押し寄せたら、ホテルが足りなくなってしまうんではと心配する人もいるかもしれないけど、高層でない、つまり景観に影響をあたえないホテルなら建築が認められているようだ。
また古い住居や洞窟を利用した民宿、ペンションのような宿もたくさんあって、地元民の生活をうるおすのに効があるようである。
一挙両得じゃないかい。

ちなみにトルコではホテルに泊まるたびに、ベッド・メイクとしてチップがいる。
おおむね米1ドル相当でいいそうだから100円くらいだ。

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2010年2月25日 (木)

トルコ/地下都市

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わたしはこの旅に、ひまつぶしに読もうと文庫本の 「ビーグル号探検記」 を持っていった。
そこには博物学者のダーウィンが南米で見聞した、白人とインディアンの悲惨な殺戮戦争が描かれている。
歴史をふりかえると、人間というのはまったく殺し合いばかりしていた動物だなと思ってしまう。

昼食のあと見学に行ったのはカイマクルの地下都市。
モグラ文化もここにきわまれりというところだった。
これはアラブ人たちの襲撃を怖れたキリスト教徒たちが、なんと地下8階まで穴を掘って暮らした、いわば地下要塞というべき遺跡だそうだ。
エレベーターもない時代にそんなところにすすんで住みたいと思う人間はあまりいないだろうから、これも人間が殺し合いばかりしていた歴史の証拠じゃあるまいか。

内部は迷路みたいで、じっさいはモグラよりアリの巣に近かった。
通路はかがまなければ通れないほどせまく、閉所恐怖症の人はあまり入ってみないほうがいいところである。
こんなせまい場所に、礼拝堂や学校、台所、食料倉庫、アルコール醸造所など、都市というにはオーバーでも、人間生活に必要なものはみんなそろっていたそうだ。

ある場所には井戸だったという縦坑があった。
1階から8階まで、どの階からも利用できるようにと垂直に深く作られている。
この地下都市は、現在地下4階までしか公開されていないので、そこからのぞいてみたけど、暗くて底が見えなかった。
この縦坑から人間の執念みたいなものを感じてしまう。

何度もいうけど、トルコにかぎらず世界の歴史のほとんどは、他民族への敵がい心、攻撃、殺戮ばかりだった。
世間が平和であれば穴ぐら生活は、夏は涼しく冬は暖かく、最近はやりのエコ住宅としてなかなか見どころがあるはずなのに。
そんなことを考えつつ、ようやく外へ出ると、いや、新鮮な空気のおいしいこと。

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トルコ/カッパドキア

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バスに乗ってトルコを周遊していると、トルコという国はどこまで行っても丘陵地ばかりだなという印象をもってしまう。
いいかげんそんな丘陵地にも飽きてきたころ、周囲の景色が変わってきた。
険しい山脈や渓谷があらわれ、テーブルロックのような岩山も見える。
昼すこし前、ひときわ大きな集落があらわれた。と思ったらこれがカッパドキアだった。
もっともカッパドキアは街の名前ではなく、このあたり一帯の地方名だそうだ。

トルコのアジア側はアナトリアというロマンチックな名前でよばれていて、カッパドキアはその中央部の高地にある。
標高は1000メートル以上あるというけど、バスで移動しているかぎりそんなことはわからない。
はっきりわかるのは地形の違いである。
それまでのゆったりした丘陵地帯と異なり、このあたりは見た目にもはっきりわかる異様な地形が多い。
これが天然自然のままの景色なら、1回見れば十分ということになるけど、奇岩怪石のあいだに、まるで巨大団地のようにびっしりと人間の住まいが刻まれている。
そのへんがグランドキャニオンと違うところだ。

ある道路わきでバスが停まった。
ここに小さな駐車場があって、太った女性がみやげものを売っていた。
駐車場のすぐ前が深い谷になっていて、対岸の絶壁に不思議な浸食跡が見える。
写真などで見たことがあるけど、この浸食された絶壁にもたくさんの穴があいていて、小鳥の巣みたいである。
この近くには大きな岩山をくりぬいた城塞跡もあって、ようするに岩山という岩山がすべて人間の巣になっているのである。

なんで穴ばかりなのか。
カッパドキアあたりの地質はやわらかい凝灰岩なので、木材や石材をどこかから見つけてくるより、穴を掘ってしまったほうが早いということは誰にでもわかる。
それだけじゃない。
ヨーロッパとアジアの中間にあって、エジプトやパレスチナからも遠くないアナトリアは、古代から中世にいたるまで、他民族や異教徒間の熾烈な興亡が絶え間なかったところである。
住人がモグラのように穴の中にひそまなければならない事情もあったことだろう。
穴の多さからすると、このあたりの土地はかなり大勢の人口を養えたようだけど、もろもろの点を考慮すると、ここがユートピアだったとはとても思えないのである。

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2010年2月24日 (水)

トルコ/キャラバンサライ

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トイレ休憩でキャラバンサライに寄った。
近くにトイレがなかったらここに寄ったかどうか。
キャラバンサライにとって幸か不幸かわからないけど、ここにあるみやげもの屋にとってはまちがいなく幸運。
ツアー客の中には、みやげものを見るとゼッタイになにか買わずにはいられない人種もいるのだから。

キャラバンサライというのは隊商のための宿屋で、むかしは盗賊が多かったそうだから、建物は石造りの頑丈なものである。

内部を見物する時間があったのでのぞいてみたら、窓はほとんどないし、家具調度品も置いてないから、刑務所みたいに殺風景なところだった。
全体の印象は、イスラム建築というより、門の装飾やアーチ型の柱が中世ヨーロッパのお城みたいである。
中庭にサビついた農機具が置いてあったけど、わたしはそんなものに興味がない。
ついでにみやげものにも興味がない。
さて、このキャラバンサライに最後にラクダが泊まったのはいつだろうと、そんなことをぼんやりした頭で考える。

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トルコ/イスラム

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バスの中でガイドのギュダルさんから、イスラムについて説明がある。
イスラムというと、最近は原理主義者たちの活躍があって、コワイものという印象が強いけど、説明を聞いてみるとけっしてわるいものでもないという気持ちになってくる。

イスラム教では、お金持ちは貧しい人たちにほどこしをしなければいけませんとギュダルさんはいう。
それも収入の何パーセントをほどこしにと、細かいところまで決まっているのだそうだ。
貧しい原因が本人の怠けグセという場合はどうするんですかと質問すると、そういう人たちにはほどこしをする必要はありませんとギュダルさん。
ややこしい。

ご存じのようにイスラムの銀行は利子をとらない。
日本の中小企業の経営者が聞いたらナミダを流しそうだけど、利子をとらないでどうやって経営を維持するのか。
これについても神様のいいつけにそむかない必殺ワザがいろいろあるんだそうだ。

誰かがトルコってのはいまでも一夫多妻なんですかと訊く。
この制度についても、その根本は弱者を救済するために生まれた制度だというし、強欲な資本主義国からきた旅行者にはいろいろとためになる話が多い。
ちなみに現在のトルコでは一夫多妻は奨励されてないとか。
このへんはちょっと微妙な言いまわしだったけど。

トルコは世俗主義の国だけど、まだ完全にはイスラムの美点を失っていないようで、わたしは5、60年まえの日本を思い出してしまう。
かっては日本も美徳をたくさん持った国だったと思う。

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2010年2月23日 (火)

トルコ/宗教と世俗主義

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筋肉痛でイテテのまま、翌朝はカッパドキアへ向かう。
コンヤを出発してまもなくは平野の中の1本道。
ガスがかっているせいで、本来なら見えるはずの遠方の山がぜんぜん見えない。
まるで海の上をゆくようである。

話は変わるけど、トルコとそれをとりまく国際情勢にはわかりにくい部分がある。
今日の夕刊に、「トルコ、軍幹部らを拘束」 という記事が載った。
現在のトルコの政権は、世俗を放棄するほど強硬ではないが、イスラムの宗教色がつよいなんとかいう政党である。
これに対し、世俗主義を死守しようとする軍部とは対立が続いているのだそうだ (わたしがトルコを旅しているときは、そんな気配はさらさら感じなかったけど)。
今回はクーデターを企てた軍部に、親イスラム政権が警察権を発動したってことらしい。
これまでことあるごとに腕力に訴えてきた軍部がおとなしく収まるか、これからしばらく目がはなせない。

そこまではいいんだけど、わからないのは欧州の姿勢で、軍部が政治に口を出すようではとてもEU加盟は認められないなんていってるそうだ。
現在のトルコの世俗主義は、欧州へイスラムが浸透するのをふせぐ防波堤になっているように見えるので、ヨーロッパはむしろトルコの軍部に感謝すべきじゃないかと思ってしまうんだけどね。

トルコには警察と軍のほかに、ジャンダルマ (=Jandarma) と呼ばれる準軍事組織がある。
添付した写真に写っているイケメンの若者がそのどれにあたるのかわかりません。

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トルコ/ヤシの実

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デデマン・ホテルのまん前に近代的なスーパー、というより日本でも最近はやりの複合ショッピングモールがある。
トルコまで来てそんなものを見ても仕方ないけど、わたしは日本国内をドライブするときも、地方で「道の駅」なんかがあるとかならず立ち寄るくらい、その土地の特産品に関心がある。
で、食料品売り場にどんなものがあるのか、部屋で洗濯をしたあと見学に行ってみた。

このスーパーには酒は置いてない。
イスラムの国だからということだけど、これまでどこでも酒に不自由してないわたしにはちょっと違和感。

食品売り場に奇妙な果物がおいてあった。
おとなのげんこつよりちょっと大きめで、表面がゴワゴワした繊維質のものにおおわれている。
買って帰って、部屋で食べてみようと思ったけど、考えてみると部屋にはナイフもフォークもない。
トルコのホテルでは食べ物の持ち込みは禁止だそうだから、貸してくれと頼むわけにもいかない。
こんな堅そうなものをどうやって食べたらいいのか。

そこでスーパーを出たあと、ビニール袋に入れたままそのへんのコンクリートに叩きつけて、殻にヒビを入れてしまった。
これであとはなんとかなるだろう。
汁がだらだらと出てきたけど、袋ごと手の中ににぎりしめて、なにくわぬ顔でホテルにもどる。

部屋で苦心して殻をはずしてみると、殻の内壁に白い果肉がついていて、中心部は空洞になっていた。
果肉をかじってみると、生のクルミをもうすこし甘くしたような感じである。
※外側の殻がとりはずされているので見当がつかなかったけど、あとでこれはヤシの実らしいと思いついた。

ところでデデマン・ホテルには屋内プールがあります。
泳いでみたい人は海水パンツと帽子を忘れずに。
わたしも泳いでみたけど、ひさしぶりだったので翌日は筋肉痛でイテテ。

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2010年2月22日 (月)

トルコ/女の子たち

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コンヤに到着して、ホテルに入る前にメヴラーナ博物館を見学した。
この博物館はモスクの建物をそのまま利用していて、内部もモスクそのものである。
なんでもセマーとよばれる旋舞教団の創始者の廟だったところだそうで、それにまつわる遺物も置いてあるという。
しかし海外旅行でそんな説明をされても、わたしはたいていすぐに忘れてしまうのである。
モウシワケナイ。

そんなことよりわたしはイスラムの女性たちが記念写真を撮り合っているのがおもしろかった。
頭をヒジャブ (イスラムの頭巾) でおおっていても足もとはブーツだったりして、トルコの女性もなかなかおしゃれだ。
そんな女の子たちがきゃあきゃあいいながら、写真を撮り合っている。観光地で女性たちが見せるしぐさはイスラムも日本も変わらない。
たまたまヒジャブのすてきに可愛い娘2人が、そのへんに腰をおろしていたから、写真撮っていいかいと訊くとニッコリ。
イスラム・ファッションの若い娘が魅力的ということは、この写真を見れば一目瞭然でしょ。日本の女の子よりよっぽど愛想がいいぞ。

みんなが博物館を見学しているあいだに、わたしは大急ぎで近所をぶらついてみた。
この博物館のまわりは旧市街で、古い街並みが残っている。
すぐ前には大きな墓地もある。
こういうところをぶらぶらしていると興味がつきない。

この日はめずらしく、まだ明るいうちにホテルに着いた。
ホテルはデデマンという近代的な高層ビルのホテルである。

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トルコ/コンヤ

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Newsweek の日本版を読んでいたら、イランのアフマディネジャド大統領について意外な見方がされていた。
頑固な保守派とされる同大統領が、じつは世俗派なんだそうだ。
彼はいま国内の宗教勢力と闘っている最中なんだそうである。

なかなかこころあたたまる見方だけど、あまりアテにしないぞというのは、同じ Newsweek の誌面に、米国の肩をもってトヨタを非難する記事があるからだ。
ここはやっぱり汚い手を使うんじゃないと、米国の政治家、自動車業界をいさめるくらいでなくちゃ。
もっとも Newsweek は昔から米国の提灯もちみたいな雑誌だからなあ。
トヨタ叩きはいよいよ佳境に入ってきた。

気のどくなトヨタはさておいて、トルコの旅の続きだ。
いよいよコンヤの街が見えてきた。
道路がえらく広いわりには車の往来は少なく、路面電車が走っている。
モスクの尖塔が多いのは当然としても、おどろくのはびっしりと建て込んだ高層住宅群だった。
もともとはどの程度の街だったのか知らないけど、そんなに住人がたくさんいるのかいと疑問を感じるくらい、見わたすかぎりアパートである。
カムッパレを出てからほとんど素朴な村落ばかり走ってきたけど、コンヤはかなり大きな新しい都市だった。
どうやらわたしたちは、きちんとした都市計画のもとに開発された新市街のほうから街に乗り込んだらしい。
やれやれ、こんな街になにか見るものがあるのかと思う。

しかしガッカリするのは早合点で、このあと見学したメヴラーナ博物館のあたりには、まだ旧市街の雰囲気が残っていた。
※上の写真2枚はコンヤの新しい部分、下の2枚は古い部分。
この写真には高層住宅がほんの少ししか写ってないけど、じっさいはもっとものすごい

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2010年2月21日 (日)

トルコ/コンヤへ

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このあたりは大理石とサクランボが名産だそうである。
2つも名産をかかえているせいか、村の住宅を見ていると、屋根にBSアンテナやソーラーパネルなんかを乗せて、こころなし豊かそうに見える家が多い。
ギュダルさんの説明によると、このあたりでは共同で家をつくる村民が多いのだそうである。
お金がたまると2階、3階とつけ足していくのだそうだ。
そういえばまだ2階が作りかけの家もけっこうよく見る。

ドライブインでトイレ休憩。
トルコではガソリンスタンド (と併設されたドライブイン) はよく整備されている。貧しい地方の農村では、そのあたりでいちばん近代的な建物がGSである場合も多い。
トイレで用をすませたあと、このあたりはヨーグルトに蜂蜜をかけたものが名物らしいので、わたしもむしゃむしゃ。

バスで走っていると大小さまざまな村や町を通過するけど、そのうちその大きさを判断するコツをおぼえた。
イスラムの国トルコにはどこへ行ってもモスクがある。
モスクにはエンピツみたいな尖塔が付属している。
遠方から見てこの尖塔の数が多いほど大きな集落である。
小さな村では尖塔がひとつもないところもあるし、無数に見えるようならかなり大きな町である。

ひろびろとした平野の遠くのほうに、赤い瓦屋根に白い壁の集落が見えると、しみじみ欧州に来たなと感じてしまう。
あ、わたしはまだいちどもヨーロッパに行ったことないんだけど。

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トルコ/トルコという国

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今夜の宿はコンヤですと、これはガイドのギュダルさんの親父ギャグ。

パムッカラからつぎの宿泊地コンヤまでいく途中、わたしの主観では、この旅最大のハイライトというべき景色を見た。
峠を二つばかり越えていくと、ゆるやかに起伏する広大な丘陵地があって、そんな地平線にぽつんぽつんと冬枯れの孤木が立っているのが見える。
そのずっと遠方には雪をいただいた山脈が連なっている。

中国のシルクロードで見たような景色であるけど、ちがうのはこちらは平地のすべてが耕地であること。
農家はめったに見ないし、冬なので牛馬の類も見えないのに、目路はるかの大地にことごとく鋤のあとがある。 そしてポプラの並木。
ふつうの人なら退屈きわまりない景色かもしれないけど、こういう景色をながめていると、わたしはほとんど恍惚状態。
他人に話しかけてほしくないのはこういうときだ。

それにしてもトルコは土地があまっているようである。
トルコと日本を比較してみると、面積は78:38くらい、人口は75:127。
つまり日本の倍の広さの国に、日本の半分の人口と考えてもそれほどおかしくない。
しかも日本のように人が立っていられないほど傾斜のきつい山や谷が多くはなさそうだから、平地の人口密度はずっと少ないはずだ。
だから住みやすいだろうと考えるのは早計。
人口の多寡は、その国が長期にわたって平和で安定した国であったかどうか、食料の自給率が十分だったかどうかのバロメーターであることが多いから、トルコの人口が少ないのはけっしてほめられることではないのである。
せまい土地に人口が密集している日本は、トルコと正反対の事情とともに、雨が多く、土地のめぐみが大きかったことがその理由であると思われる。

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2010年2月20日 (土)

トルコ/みやげもの屋

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海外旅行に行くとたいてい現地のみやげもの屋に寄る。
安いツアーならなおさらのことだ。
旅行会社は、旅費の安さをこうしたみやげもの屋からのキックバックでおぎなっているという事情もある。

トルコでは毛皮屋、絨毯屋、トルコ石の宝飾店、陶器の店などに寄った。
こういうのが楽しみという人もいるようだけど、あいにくわたしはおみやげをぜんぜん買わない人間である。
買わないんじゃなく買えないのだろうといわれるとそのとおりだけど、だいたい金目のものに興味がない。
数10万円もするみやげを買うなら、その金で海外旅行が何回できるかと考えてしまう。
「白鯨」 という小説の冒頭に、たまたま入ったお金でもって、すりへった靴を新調しようか、それとも海までの旅行の足しにしようかと悩む貧乏詩人のことが出てくるけど、世の中にはそういう人間もいるのである。

絨毯屋や陶器の店では、日本で活躍する欧米人タレントみたいなのが出てきて、日本語でいろいろ笑わせる解説をする。
これはおもしろい。
しかし、いくら笑わせてくれても買わないものは買わないのである。

自分の確固たる信念はさておいて、陶器の店に寄ったときのこと。
イスラムの文様はアラベスクなんていって、虫メガネ的な幾何学模様や唐草模様などがよく知られているけど、この紋様の細部を拡大して観察すると、なんか子供が描いたような稚拙な絵が多い。
けっしてイスラム芸術をけなすつもりはないけど、それがびっしりとお皿や壺を埋め尽くすと、えもいわれぬ美しさが生まれるのである。
余裕があればわたしだって1枚ぐらい買ってきたかったお皿があったことも事実。

うーむと感心して、屋外に出たら、玄関のわきにできそこないの壺や水差しが積み上げてあった。
ふちが欠けたりヒビが入ったものがほとんどだけど、荒削りで素焼きのままで、なかなか傑作のように見えなくもない。
荷物になるのでもらってこなかったけど、できそこないや失敗作に価値を見出すのは、わたしも茶の道をこころえた日本人のひとりだからかもしれない。

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トルコ/石灰棚-2

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足湯の温泉がありますから、すぐに靴下をぬげる準備をしておいてくださいと、これは添乗員のあやちゃんからの伝達事項。
足湯というからあずま屋か、せめてベンチぐらいあるのかと思ったら、ただ石灰棚のお湯だまりをジャブジャブ歩くだけらしかった。
靴下をぬぐのがめんどくさいという理由で、わたしは足湯は敬遠し、仲間からはなれてしばらく気分だけでもひとり旅を楽しむことにした。

石灰棚のある高台の全体が公園のようになっていて、円形劇場や北大浴場などの遺跡、ヒエラポリス博物館などの施設がある。
時間があればじっくり見学したいところである。
世界的観光地であるから観光客の数は多く、あっちこっちで日本語が飛び交っていた。

ここにはパムッカレ温泉というものがあるので、後学のためにのぞいてみることにした。
博物館を右に見ながらとっつきまでいくと、アンティック・プールという看板の出た建物がある。
古風なプールということらしいけど、これがどうやら温泉のようである。
入場無料というので入ってみた。

日本の温泉を期待すると肩すかしで、テーブルの並んだ休憩所があるものの、座敷もないし、浴場も見当たらない。
ここにも例によってノラネコがたくさんいるけど、目的はネコではない。
温泉はどこにあるんだ?

まわりに庭木やシダの植えられた池があった (いちばん下の写真)。
べつになんてことのない池のようだったけど、泳いでいる人がいたのにびっくりした。
これが古風なプールというやつで、湯気はたっていないけど、池の水は温泉だった。
日本で型にはまった浅いプールばかりで泳いでいるわたしは、こんなプールで泳ぐのもわるくないと思う。
団体旅行でなければそうしたに違いない。

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トルコ/石灰棚-1

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バスでパムッカレの石灰棚を見物にいく。
ホテルを出てすぐ、斜面に雪のつもった山があった。
と思ったら、まだ観光地化されてないものの、これも石灰の露出した山であった。
いや、すごい規模のものである。
なにか工事をしていたから、この山もそのうち観光名所になるのかも。

パムッカレ石灰棚は自然にできたもので、歴史がどうのこうのとごちゃごちゃ言うようなものではない。
同じようなものは中国にもあるので、博物学的にも何をいっていいのかわからない。
わたしは素人ナチュラリストを自称しているので、いろいろ自然に興味がないわけでもないけど、石灰の棚ではあまりめずらしい動物がいるようでもない。

じつはこういう天然自然のままの名所というのは、わたしはあまり好きではない。
どこか人間の生活の臭いがしないとつまらないというので、アメリカのグランドキャニオンや、ハワイの噴火口のようなところには行きたいと思わない。
アフリカのサバンナに行くなら、ライオンよりマサイ族の生活を見たいという人間なのである。
しかし団体旅行ではあるし、せっかくトルコまで来て、この有名な名所を見ないわけにもいかない。

荒野の中にある駐車場でバスをおりてぶらぶら歩く。
改札をすぎたところに古い遺跡があって、大きな石を積んだ建物や石垣が残っていたけど、これは無視。
とりあえず石灰棚が優先である。

やがて石灰棚をながめる場所に出た。
幅が500メートルもありそうな山の斜面を、まっ白に石灰がおおっている。
石灰というのは水に溶けやすいので、長い年月のあいだに、洞窟の中ならば鍾乳洞になり、こんな斜面では幾層にも重なった棚になるのである。
見た目は壮大なものだけど、わっ、すげえなあで終わり。
べつにおもしろくもなんともない。

石灰棚からずっと下のほうに集落が見える。
トルコは社会主義国ではないから、たいていの場所には外国人でも自由に泊まれる民宿があるようだ。
できることなら個人旅行であんな集落に泊まってみたいものだと思ってしまう。

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2010年2月19日 (金)

トルコ/トルコ料理

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世界の三大料理というもがあるそうだ。
フランス料理と中華料理はすぐ思いつく。
あとひとつはどこの料理なのか。
これがじつはトルコ料理なのだという。

わたしはそんなこと知らなかったけど、トルコへ旅行しようという人の中には食べ物が目当ての人も多いのかもしれない。
今回のツアーにおけるトルコの食事は、テーブルの上のパンは食べ放題。
そしてまずスープ、そのあと2品ぐらい料理が出て、最後はデザート。
飲み物はそれぞれ好きなものを実費で注文するというのがほぼ定番だった。

しかし、わたしは遠慮会釈のない人間だからつつみかくさずいうけど、今回のトルコの旅でおいしい食べ物はひとつもなかった。
こんなことを書くと、トルコ旅行に絶望してしまう人がいるかもしれないので、大急ぎで付け加えるけど、ツアーに参加した人のほとんどは美味しいといっていたようだから、これは食べ物について好ききらいの激しいわたしの嗜好の問題である。
わたしは西洋料理がニガ手なのだ。

旅のとちゅうでオリーブオイルで揚げた魚料理が出た。
こういうものをみると、なんで塩焼きにしてくれないのかと思ってしまう。
なんでナイフとフォークで魚を食べなくちゃいけないのと悩んでしまうのである。

そういうわけで旅の終わりごろになると、カップラーメンが食べたいと切実に思ったけど、トルコではラーメンを食べる人はいないらしく、売店やバザールをのぞいてもラーメンは置いてない。
徹底的に置いてないのである。
同行の人たちにそんなことをこぼしたら、おお、そんならオレが持っているよという人がいて、2個ばかりわけてくれた。
ありあまるトルコ料理にかこまれて食べるカップラーメンの美味しさ・・・・・・・・
どうもスイマセン。 つまんないことを書いて。

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トルコ/ベリーダンス

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トルコにおける3日目のホテルは、世界遺産の石灰棚で知られるパムッカレのサーマル・コロッセアというところ。

ホテルの近くに小さな村があって、夜だというのに明かりがこうこうとしていて、欧米人の観光客などが屋台のあいだを歩きまわっていた。
時間があればわたしも出かけたかったけど、到着したのが夜の8時で、しかもわたしにはほかにやることがあった。

やることというのは、このホテルではベリーダンスが無料で観られるというので、いそいそと出かけてみたのである。
ダンスはホテル内のクラブで行われ、席料として、じっさいにはドリンク料をとられる。
タダで観ようと思ったらクラブの外で立ち見するしかない(立ち見する人も多い)。
わたしはビールを注文してテーブルにすわった。
日本人の中にはベリーダンスをストリップみたいなものだろうと考えている向きもいそうだけど、欧米人は健全なショーと割り切っているようで、アベックや家族連れで来ている客も多かった。

出てきたダンサーは、ぜんぜんわたしの好みじゃないので、顔写真は紹介しない。
いちばん前に並んで見物しているのは極東系アジア人ばかりである。
そのうちダンサーが、男性ばかりを御指名でステージに引っ張り出してしまった。
あいにくその中にわたしもいた。
こんなことなら少しはベリーダンスを習っておくのだった。

男たちに代わって、つぎに若い娘たちがステージに引っ張り出された。
大リーグの野球中継なんかを見ていると、よく観客席でお尻をくねらせて踊っている娘たちがいるけど、欧米人の女の子たちはこういう点は本職はだしだ。
この晩のベリーダンスでは、本職のダンサーより客の女の子たちの踊りのほうがえかった。

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2010年2月18日 (木)

國母選手

テレビのオリンピック中継で、國母という選手のスノーボードを観た。
服装の乱れや唯我独尊的な言動でいろいろ問題になっている選手である。
わたしは若いつもりだけど、そろそろ人生をふりかえって、自分の人生もそれほど悪いものじゃなかったと、オシャカ様みたいな心境になっているくらいだから、どっちかというと彼を批判する側に立っていそうだけど、かりに彼と同世代だったらどうだろうと考えてみる。
このブログを読んだ人ならわかっていると思うけど、わたしはけっして素直な人間じゃない。

いったい記者会見というのはなんだろう。
最近はなんでもかんでも記者会見が大流行りだ。
政治家も企業の社長さんも、鼻たれタレントまで、慶事につけ弔事につけ、なにかというと記者会見だ。
有名選手なら記者会見で説明する義務があるという人がいるかもしれないけど、國母選手の場合、非難ごうごうのさらし者ではないか。
ざけんじゃねえよで、わたしだったらそんなものには出ない。
国民の税金でオリンピックに派遣されているんだなんてアホな理屈をいう人もいるかもしれない。
アスリートは自分の実力で派遣されているのである。
ましてスノーボードのような、まだマイナーみたいな競技では、先輩後輩の序列もあまりないだろうし、用具のメーカーの世話になることも少ないだろう。
他人の世話になってるからという人がいたら、あ、そうかい、そんなら他人を応援してやんなで、わたしならさっさと欠場して帰国してしまう。
そんなところへもってきて、最近のマスコミのアホらしさはどうだ。
タレントがくっついたのはっついたのと、そんなことが日本の将来に影響を与えるとは思えないのに、うれしがっていつまでもしつこく報道している。
同じことを何度も質問されたら、國母選手ならずとも、ちっ、るせえんだよなとつぶやきたくなるさ。

わたしは國母という選手の人柄まで知らないから、自分にたとえてみたけど、世間の欺瞞に反抗するのは若さの特質といえなくもない。
ちっとは「長距離ランナーの孤独」という映画を見習ったらいいで。

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トルコ/ナチュラリスト

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このブログの 「あやちゃん」 という項にトラックバックがついた。
もてない男にホストがもてる方法を教えますだって。
ホステスならともかく、ホストなんざに教わりたくないね、ワタシゃもてるほうだ。
興味のあるお方は連絡してみたら? 自己責任で。

エフェスの遺跡見学を終えるころ、3個用意していたカメラのバッテリーがすべて上がってしまった。
前夜にもホテルで大急ぎで充電したつもりだったけど、3個のうちの2個はかなり古いものなので、そろそろへばっているらしい。
そういうわけでエフェスのあと見学したアルテミスの神殿と聖母マリアの家は、ぜんぜん写真がない。
※添付した写真はエフェス近郊にあるアヤツルクの古城。
今回のツアーではまったく無視で、映画のセットかと思った。

エフェス一帯はアルテミス信仰が盛んな土地だったそうである。
しかし彼女の神殿の遺跡には円柱が1本立っているだけだった。
柱のてっぺんにはコウノトリが勝手に巣を作っていたので、カメラが使えないわたしは双眼鏡を持ち出してそれを観察してみた。
コウノトリは、西洋では赤ちゃんを運んでくるといわれている鳥で、日本ではすでに絶滅した鳥だから、動物園以外の場所で見られることはあまりないようだ。
双眼鏡で観察したら親鳥のお尻しか見えなかったけど、自然愛好家にはいろんな楽しみがあるものである。

このブログを読んでいる人の中に、キリストのお母さんの亡くなった場所を知っている人がどれだけいるだろう。
息子のほうの亡くなった場所や死亡のいきさつはチョー有名だけど、マリアさんの終焉の地は、じつはエフェスの近郊にありましたと聞いておどろいた。
これはまあ、源義経や弘法大師の伝説みたいなもんだろうと、へそ曲がりの自分に言い聞かせる。

ただイスラムの国のトルコに異教徒の記念物があることに感心した。
これもトルコが大人の国であることの証明じゃなかろうか。
聖母マリアの家には欧米からキリスト教徒の参拝者も訪れるそうである。
これまでの行程ではめずらしく、マリアの家は針葉樹の森の中にあり、多くの野鳥やリスまでいる。
素人ナチュラリストとしては、そっちのほうがおもしろい。

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2010年2月17日 (水)

トルコ/エフェス-3

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出口の近くに、ガイドさんの説明では数万人が入れるという円形の大きな劇場遺跡がある。
ここで剣闘士がライオンと闘ったのかと、ハリウッド製のスペクタクル映画を見すぎのわたしはつい考えたが、本来は市民集会や演劇のためのまじめなホールだったそうである。
ライオンなんか放したら観客のほうに被害が及びそうだし。

大劇場のいちばん上の座席からずっと遠方をながめる。
エフェスの遺跡は一方の入口から入ってもう一方の出口から出ることになる。
この日はすばらしいい晴天になって、遺跡の出口の先に低い山並みと農地がひろがっているのが見えた。
海は遠い。
それでもこの景色はまたまたわたしの想像のつばさをひろげる。

エフェスの遺跡を見て思うのは、いまここに残っているのは無味乾燥な石の建材ばかりだけど、当時は白いケープの男女がさんざめきながら往来していたんだろうな、哲学者たちがはげしく討論をしていたんだろうな、美しい女性たちがたたずみ、小さな子供たちが走りまわり、さんさんと輝く太陽の下に、あきらかで健康的な文化があったんだろうなってこと。
なんかうらやましい気持ちがしないでもない。

大劇場を見終えるころは (老人の多い) ツアーのメンバーはたいていぐったりしている。
エフェスの遺跡はそのくらい広く大きいのである。

どうも、わたしの古代遺跡観光ははなはだ不真面目なものだけど、ようするにわたしは専門家ではないのである。
遺跡でも自然の中でも異国の文化の中でも、ただぼんやりと夢想しているのが好きな旅人なのだ。
エフェスの遺跡について詳しく知りたい人はネットを探せば、アマチュア考古学者の懇切丁寧なブログやホームページがいくらでも見つかるだろう。
そっちを参照のコト。

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トルコ/エフェス-2

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ガイドさんに率いられてぞろぞろ。
石を積んだ塀や家屋、排水路などをながめながらいくんだけど、日本とちがって全部石造りの建物ばかりだ。
しかもそれが、発掘したものをとりあえず組み立ててみましたって感じで、あぶなっかしそうに建っている。
耐震対策なんてちゃんと考えているんだろうか。
地震でもあって石のかたまりが上から落ちてきたらこれは痛いぞと思う。
円柱のかたわらで記念写真を撮っているとき、それがこっちへ倒れかかってきたら、わたしの細腕じゃささえられそうにない。
ちょっと心配になる。

わたしは考古学者ではないので、あまり専門的なことはわからないけど、ガイドさんに案内されて歩いていると、石のベンチにいくつもの穴をあけたような遺跡があった。
ここがなんだったのかすぐにわかるでしょうとガイドさん。
これはトイレの遺跡だそうで、たまたまよその団体の若い娘が、試しに穴の上に座っていたから写真をパチリ。

保護のためのシートでおおわれた遺跡の近くに、ドーム型をしたレンガのちっぽけな建造物があった。
これはクレオパトラの妹アルシノエのお墓だそうだ。
そういえばしばらく前にNHKでそんな番組を観たことがある。
姉との政争に敗れた妹がここで殺されたそうで、それが事実かどうかを検証する番組だったけど、なかなかおもしろかった。
へえ、こんなところにあったのかいとわたし。

奥のほうにひときわ荘厳な建物の遺跡があって、これは図書館だったそうである。
図書館というとエジプトのアレキサンドリアにあったものが有名だけど、エフェスのそれもたくさんの彫刻やレリーフに飾られて、そうとうに立派である。当時の人たちは勉強家だったらしい。

勉強以外にも熱心だったものがあるようで、大理石の歩道のある場所に足うらの絵が刻んであった。
これは売春宿のマークですとガイドさん。
足うら意外にも女性やハートの絵が彫られていて、それぞれ意味があるらしい。
うたぐり深いわたしは、そんな判じ物みたいなことをしなくても、もっと直接的な絵がありそうなもんじゃないかと思ってしまうけど、れっきとした学者さんがそう断定したのだそうだ。
売春が最古の職業っていう根拠はこのあたりにあったんだなと、ムリに納得。

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トルコ/エフェス-1

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トルコの3日目に見学したのはエフェスの遺跡。
エフェソスという古代都市の名前なら、なにかの書物でひんぱんに目にしたおぼえがあるけど、あまりものごとを真剣に考えないわたしは、エフェスとエフェソスは別の地名だと思っていた。
ガイドのギュダルさんの説明ではこれは同じものだという。
エフェスはトルコ語、エフェソスはギリシヤ語だそうな。

なにかの書物でひんぱんにとはいうものの、わたしは乱読の傾向があるので、それがギリシヤ神話だったのか、それとももっと下ったシーザーの時代の書物だったのか思い出せない。
エフェスのあたりは女神アルテミスの信仰で有名なところで、アルテミスといえばギリシヤ神話である。
しかしここにはクレオパトラにちなむ遺物もあるそうだから、ローマ時代の文献だったかもしれない。
また新約聖書にも記述があるという。

こうしたことからすると、かなり長期にわたって繁栄した都市のようであるけど、さて、どんなものなのか。
添乗員のあやちゃんが、これはすばらしい遺跡です。
ワタシもあちこちで遺跡を見てきましたけど、こんなすばらしいものはあまりありませんと力説する。

遺跡に行ってみたら入口にノラネコがたくさんうろうろしていた。
日本ではノラネコ、ノライヌは絶滅危惧種だけど、トルコの人たちはこういう動物たちに寛容であるようで、あっちこっちでこの種をたくさん目にした。
絶滅する動物たちに哀惜を感じるわたしとしては、トルコの人々のこうした寛容さをエライと思わないわけにはいかない。

ネコはともかくとして、エフェスの遺跡だけど、これはあやちゃんのいう通りすばらしいものである。
トロイの遺跡は想像していたより小さいのにがっかりしたけど、こちらは大きい。
チケットを買って改札から入場するのだけど、そのあたりですでに、コリント式というのかイオニア式というのか、たくさんの円柱が並んでいるのが見える。
観光客も欧米人から極東アジア人までたくさんやってきていた。

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2010年2月16日 (火)

トルコ/バスの車窓-2

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まだあります。

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トルコ/バスの車窓-1

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3日目はエフェスの 遺跡を見学する予定だけど、そこまでの道中は、わたしにとってバスの車窓にもたれて恍惚状態というところ。
まとめて紹介してしまう。

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トルコ/あやちゃん

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最近は海外旅行というと、キャスターつきの大きなスーツケースをごろごろと引っ張っていく人が多い。
わたしは旅は精神的にも自由でありたいと思っているので、荷物はいつもできるだけ少なくする。

というわけで今回も下着以外は、防寒コートがひとつ、あとはジーンズとシャツが2つづつ。寒さにそなえてトレーナーとヒートテックのモモシキがひとつ。
男のひとり旅ならこのくらいで十分だと思うけど、巨大スーツケース組の女性たちからは不潔な男と思われたかもしれない。
それでも下着、靴下だけは5セットぐらい持参したのである。
それだけでは足りないからとちゅうで洗濯をすることになる。

わたしのツアーは1月の26日から2月4日までだったけど、トルコの寒さについては、男のわたしはそれほど寒いと思わなかった。
ほとんどバスに乗ったままの旅であるし、ひとつにはこの季節のトルコにしては好天が多かったこともある。
写真を見ると雪ばっかりじゃねえかという人もいるかもしれないけど、防寒装備については冬の東京と同じくらいの準備でOKだと思う。

旅のとちゅうのあるホテルで、パンツや靴下を洗濯し終えたあと、廊下でたまたま添乗員のあやちゃんとばったり。
いやあ、洗濯をしてましてねと話したら、あら、そうですか、ワタシも洗濯はよくするんですよという。
彼女は添乗のあい間に東南アジアあたりの貧乏旅行によく出かけるそうで、やっぱり旅先でしょっちゅう下着の洗濯をしているそうである。
洗濯はともかく、貧乏旅行には感心した。
見た目はスリムな彼女のどこにそんなバイタリティがひそんでいるのか。

添乗員の仕事はひじょうにハードである。
今回の旅の日程表が届いたとき、それを見てあまりの強行軍におそれをなしたわたしなんぞは、オプションを2つばかり省略して、そのあいだホテルで寝ていることにしてしまったほどだ。
そんなきつい旅でも、添乗員はつねに誰よりもあとから寝て、つねに誰よりも早く起きなければいけないのである。
わたしは寝起きはたいてい機嫌がわるいのだけど、添乗員はそうであってはならないのである。
旅が好きというだけでは勤まらないのが添乗員というものなのだ。

そんなあやちゃんであるが、目下旦那を募集中だとか。
こんな美人に旦那がいないとは信じられないが、ひょっとすると彼女もわたしと同じ、旅に恋して旅と結婚したいと願う、筋金入りのアウトサイダーなのかもしれない。
わたしと彼女は話が合いそうだ。
なんならわたしが旦那に立候補してもいい。
相手の迷惑をかえりみずにいわせてもらえば、年令差なんてなんの障害にもならないのである。
若干の問題があるとすれば、あやちゃんの連絡先を聞いておかなかったことだけど。

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トルコ/海辺のホテル

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トロイの遺跡を見学したあと、トルコで2日目に泊まったのはアイワルクにあるハリッチ・パークという海辺のホテル。

このホテルにはトルコ式サウナのハマムがあるけど、添乗員のあやちゃんから注意があって、こちらのマッサージ師は男ばかりなので、女性がマッサージを受けるといやな思いをすることがありますとのこと。
日本のおばさんたちがその程度でたじろぐかどうか疑問を感じないでもないけど、わたしだって男にもみほぐされても嬉しくないので、前日の寝不足をカバーするためさっさと寝ることにした。

おかげで翌朝は、日ごろ寝坊なわたしが、まだ暗いうちから起きだして海岸に出てみた。
ホテルの前から海上の道路がのびていて、それを渡った先の陸地に、山の上まで重なった民家が見える。
映画で観たスペインの古城のある風景を思わせる。
トルコでもやはり健康のためにウォーキングする人がいるのか、早朝であるにもかかわらず、イヌを連れて散歩する人たちがいた。

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2010年2月15日 (月)

トルコ/トロイ-2

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感受性のつよい紅顔の美少年 (わたしのことである) を官能のるつぼにたたきこんだイーリアスの物語であるけど、じっさいにトロイの遺跡に立つと、また意外に思わないわけにはいかない。
イーリアスによるトロイアの描写からすると、遺跡がいささか小さすぎるのである。
遺跡の規模は、わたしが2年前に見てきた沖縄の今帰仁 (なきじん) 城の遺跡とたいして変わらない。
これがトロイの遺跡か?
ギリシヤの英雄アキレウスがトロイアの勇将ヘクトールを殺したのはこの城門のまえの平野であるはずだけど、これが数万の軍勢が国家の浮沈を賭けて闘った戦場のあとか。
これじゃそのへんの山賊同士の争いの場じゃないか。
遺跡の中にはギリシヤ文字の刻まれた柱や建材がごろごろしていたから、そこにイーリアスの登場人物の名前でもあればはっきりするんだけど。

しかし現実はそんなものかもしれない。
きっかけになった都市の興亡は歴史的事実かもしれないけど、イーリアスという叙事詩は半分以上が詩人の創作であるに決まっている。

上から3番目の写真はトロイの城門があったあたりだそうだ。
創作と割り切っても、やはり紅顔のなんとかであるわたしは、その向こうに押し寄せるギリシヤ軍と、かたずをのんで見つめるトロイアの兵士たちを、ありありと想像してしまうのである。
最後の写真は、夏草ならぬ冬の草、つわものどもが夢の跡。
コレほんとにトロイの遺跡に生えていた草であります。

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トルコ/トロイ-1

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トルコで最初に見学したのはトロイの遺跡だった。
知らない人に説明しておくけど、これは紀元前12世紀ごろにギリシヤ人によって滅ぼされたトロイアの遺跡で、ドイツ人考古学者シュリーマンによって発見されたものである。
ということになっている。
ただこれについては論争もあるそうだし、わたし自身ほんとにこれがそうかいと疑問をもってしまったくらいだから、真偽のほどにはあまり触れないことにしよう。

それじゃあ何をほざくのかというと、読書家を自認するわたしのことだから、当然読んでいるギリシヤ神話について、少々たわごとを。

多彩なギリシヤ神話のうちでも、トロイ戦争はホメロスの叙事詩イーリアスにうたわれてひときわ有名である。
この叙事詩によると、イーリアスはまだ神さまと人間が同じ次元で交わっていたころのお話で、トロイ戦争の発端も3人の女神が美を競うところから始まる。
この戦争はあしかけ10年にもおよび、たくさんの英雄豪傑がトロイの城門の前にかばねをさらし、最後はついに木馬作戦でギリシヤが勝利をおさめるのだけど、感受性のつよい紅顔の美少年 (わたしのことである) を魅了してやまないロマンチックな物語であった。

このトロイの遺跡がトルコにあると知ってすこし意外に思った。
快楽主義的なギリシヤの神さまと、禁欲的なイスラムのトルコでは連想がつながりにくかったせいである。
しかしトルコ人が現在のトルコに移住してきたのは11世紀ごろだというから、ギリシヤの神さまたちが人間の女の子を追いかけまわしていたのは、それよりはるか昔のことである。
当時エーゲ海に面したトルコはギリシヤの勢力圏だったのだ。
だいたいギリシヤとトルコはエーゲ海をはさんで目と鼻の先だ。
そんなこと考えてもみなかったわたしの落ち度だったのだ。

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トルコ/変人

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またトルコ旅行の続き。
フェリーでアジア側に上陸して、バスはふたたび丘陵地をはしる。
こういうときわたしは景色をぼんやりながめているだけで幸せで、あまり他人から話しかけてもらいたくないのだけど、たまたまとなりに座ったおじさんがトルコについて猛勉強をしてきた人らしく、ああでしょう、こうじゃないですかといろいろ話しかけてきた。
わたしがあまり乗り気にならないので、彼にはだんだんわたしが無愛想な人間であることがわかってきたらしい。

まわりを見まわすと、今回のツアーの参加者はほとんどが年輩者で、社会的に成功してといわないまでも、それなり常識的な人生をまっとうしてきた人たちばかりみたいである。
つまりわたしのようにいいかげんな人生を送ってきた人はあまりいないようだ。
もちろんわたしもトルコについてはそれなりの勉強をしてきたけど、常識的な会話というやつが芯からキライで、こういう人たちと話を合わせるのがニガ手なのである。

世間にはわたしのような変人はけっして少なくないと思うけど、あいにくツアーの同行者の中にはいそうにない。
いささか苦痛を感じながらとなりのおじさんに相槌を打っていたら、つぎの休憩のあと、このおじさんは話好きらしいおばさんのとなりへ引っ越してしまった。
ホッとしたのはわたしもいっしょ。

わたしは大人になりきれない大人みたいなところがあって、人見知りが激しいのだけど、それでも常識的でないということがかえって常識的に人たちにはおもしろかったらしく、旅の終わりごろにはなんとか彼らのあいだでそれなりの評価を得とくすることができた。
詳しくは後続をお読みあれ。

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2010年2月14日 (日)

春のいぶき

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ここんところトルコ旅行の体験談ばかりだけど、閑話休題というか。
旅行のおかげでだいぶご無沙汰していた散歩コース。
今日はひさしぶりにいい天気になったので、自然観察園までぶらぶらしてきた。
トルコに出かけるまえに開花していたロウバイはもう終わり。
そろそろフクジュソウが咲くころだと思っていたら図星で、観察園にいま咲いているのはこの花ぐらい。

野川の水辺でウシガエルを見た。
いくらなんでもカエルには早すぎる季節のような気がしたけど、やっこさん、何を血迷ったのか。
それでもカワセミも元気、サギも小魚を捕らえていたし、なんとなく春のいぶきを感じる日でありました。

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トルコ/フェリー

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イスタンブールからつぎの目的地のトロイの遺跡へ行くためには、たいていどこかで海を越えなければならない。
わたしたちはチャナッカレという街の対岸にある港町から、フェリーでダーダネルス海峡を渡った。

フェリーに乗るまえにこの港町で昼食をとったけど、これまでアジア以外の海外旅行をしたことのないわたしは、町の雰囲気がマカオに似ていると思った。
ちがうのは町を歩いているのがぜんぶトルコ人であること。
そうか、ここは東南、もしくは極東アジアじゃないんだと思い知る。
でもフェリーの上できゃあきゃあ騒いでいたのは極東系のアジア娘たちで、それだけ見ているとどこの国にいるのかわからない。

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2010年2月13日 (土)

トルコ/スナップ写真

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今朝の新聞に、勝手に他人を撮影しちゃダメなのかという記事。
単純細胞のお方は、あたりまえだろ、撮られる人にも肖像権があるんだから、なんてもっともらしい理屈をいうかもしれない。
しかし写真も芸術と信ずるわたしみたいな人間には、なかなか納得しにくい理屈である。
写真の分野にはスナップ写真という分野があって、これは街角でとらえたなにげない人々の日常や、仕事のあい間にふと見せる表情などを演出なしに切り取ったもので、じっさいにこの分野で傑作とされる作品も多い。

ところが昨今の風潮では、小さな子供たちでさえ写真お断りという。
きれいな姉ちゃんを撮りたいと思ったら、原宿や秋葉原に行って出たがり娘を追うしかない。
こういうのはスナップとはいえないのである。

わたしは高価な一眼レフや望遠レンズで撮る写真を卒業して、最近は安価なコンパクト・デジカメで芸術をきわめようとしているので(ほんとは金がないからだけど)、こうした風潮はゆゆしき問題だ。
ある写真評論家はいう。
スナップは時代の空気を写し取る。
(スナップが禁止では)この時代の記録がすっぽり抜け落ちてしまうと。
これはけっして単純な問題ではないのである。

こういう点トルコの子供たちは寛大だ。イスラムの女の子でも写真を撮られてあまりいやな顔をしない。
なぜかと考えてみた。
トルコは世界でもめずらしい親日的な国のひとつである。
なんでも明治時代にトルコの親善使節が来日したとき、帰りに船が転覆して、それを日本の漁民が命がけで救助にあたったエルトゥールル号遭難事件ということがあって、そのことはトルコの教科書にも載っているそうだ。
また共和制トルコの初代大統領ケマル・アタチュルクは、第一次世界大戦のおり、トルコを2等国とあなどった英国の侵攻をくいとめたことで名をあげたけど、これはやはり2等国とあなどられながらも、日露戦争でロシアの野望をくじいた日本に親近感をもつ理由になっているのかもしれない。

ちょっとオーバーな屁理屈をこねてみたけど、日本のおじさんカメラマンは、トルコでつい感涙にむせんでしまったのでありました。

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トルコ/ラク

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ドライブインで休憩をしたとき、トルコのお酒を飲んでみた。
トルコはワインの産出国らしいけど、それ以外によく知られているのはラクという酒。
そんな酒知らんという人もいるかもしれないけど、いやしくもトルコに旅行しようという人なら誰でも知っていなくちゃいけない酒である。 「地球の歩き方」 にも紹介が出ていたし。

アルコール度数が40度以上あるなかなか強い酒で、薬用酒みたいな香りがして、個人的にはわたしはあまりおいしいと思わなかったけど、値段は安いし、いちおうトルコの名物だってことで、あっちこっちで飲んでしまった。
最初は透明だけど水で割ると白濁する。 それが個性のお酒である。

イスラムの国トルコに、酒の文化はけっこう豊富であるようだ。
政教分離はこういうところにも発揮されていて、こうした柔軟さ (いいかげんさ?) は日本にも通じるところがあり、呑兵衛の日本人を安堵させてしまうんだよね。

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2010年2月12日 (金)

トルコ/イスタンブール発

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イスタンブールでほとんど3時間ぐらいしか寝ないままつぎの目的に出発。
郊外に出ると北海道の富良野を数倍したみたいな丘陵地がひろがる。
なかなか雄大である。
最初の目的地はエーゲ海に面した地方なんだけど、なんかエーゲ海って雰囲気じゃないね、雪ばっかりで。
バスは三菱のハイデッカー。
乗客は29人の日本人プラス添乗員と現地ガイドさん。
写真はバスの中から撮ったものが多いので、ほめられたもんじゃないけど。

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トルコ/セマ先生

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わたしにはトルコに知り合いはいないんだけど、しかしイスタンブールで思いがけない顔見知りに出会ってしまった。
と書くと、おっ、なんだなんだと皆さんの興味をそそって、またブログのアクセスが増えそうだけど、これはけっしてウソじゃないぞ。

前項で、わたしは旅行に出かけるとき、あらかじめ現地のことを徹底的に調べていくと書いた。
たまたまわたしがトルコに行く前に、NHKで上原多香子というタレントさんが、トルコまでベリーダンスを習いに行くという番組が放映された。
本場のベリーダンスをぜひ観たいと考えていたわたしは、この番組を録画しておいて出発前に何度も繰り返して観た。
この番組の中に、上原嬢の師匠として、ベリーダンスのベテランであるセマ・ユルドゥズという女性が登場する。

さて、トルコでわたしがベリーダンスの劇場に行ったときのこと。
ダンサーが演技中に白い洋装の女性が劇場に入ってきた。彼女は地元では著名人らしく、客席のトルコ人たちから拍手で迎えられていた。
ひと目見ただけでわたしは彼女がセマさんであることがわかった。
とはいうものの、まさかこんなところで出会うとは思っていなかったので、そのときは名前が思い出せなかった。
おかげで彼女に近づいて写真を撮らせてくださいというのが精いっぱい。
名前をおぼえていれば、セマさんですね、わたしは日本のテレビであなたのことを拝見しました、こんなところでお会いできて光栄です、ぐらいのことは言ったものを。
そしたらまるで映画の1シーンみたいで、カッコいいわたしがもっとカッコよく見えたことだろうに(ホント)。残念。
※写真はわたしが撮ったセマ・ユルドゥズ先生。

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2010年2月11日 (木)

トルコ/ホテル

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わたしは旅行に出かけるとき、あらかじめ現地の交通事情や宿泊するホテルのことなどを徹底的に調べていく。
もちろん中にはぜんぜん調べたりしないで、ぶっつけ本番のほうが楽しいという人もいるにちがいない。
それは個人の勝手だからどっちがいいとはいわない。
しかしヒマがあったらひとりで夜遊びにでも行ってやろうと考える人には、事前の調査は必要なものだと思う。

わたしも夜遊びに行くつもりでいろいろ調べてみたら、どうも団体ツアーでトルコに行く場合、わたしが行ったコースというのは日本人がトルコを旅行する場合の定番らしくて、ネット上にたくさんの情報が見つかった。
たとえばホテルについて、4日目に泊まったコンヤのデデマン・ホテルは、すぐ目の前に大きなスーパーがありますなんてことが、出かける前からわかってしまった。
トルコまで行ってスーパーを見ても仕方ないような気がするけど、着替えをたくさん持っていくのは大変だから、あちらでパンツでも買おうと考えている人には役にたつ情報だ。

こんなことを暴露するのはあまりいいことじゃないような気もするけど、トルコのホテルってどんな具合だろうと心配している人がいるかもしれないので、先達のひとりとして、わたしが泊まったホテルをざっと紹介しておこう。
なにかの参考になるかもしれない。

ホテルについては、結論をいわせてもらえば、優雅さを要求する口うるさい淑女サンたちにも文句のつけようのないホテルばかりだった。
これから団体ツアーでトルコへ行こうという人は、たぶんこの中のホテルのどれかに泊まることになるんじゃなかろうか。

宿泊順に並べてみたけど、1番上と6番目はイスタンブールのホテルで、バルセロ・エレシンとホリディ・イン。
この二つのホテルははす向かいにあり、ホテルの目の前にトラムとよばれる路面電車が走っているので出かけるには便利。
2番目はアイワルクのハリッチ・パークで、海辺のリゾート・ホテルって感じ。
3番目はパムッカレのサーマル・コロッセア。
この近くにほかに大きなホテルはないみたいだから、日本人団体客がここに泊まる可能性は大。
4番目は上記コンヤのデデマン・ホテル。
5番目はカッパドキアのデデマン・カッパドキア。
これ以外に飛行機の機内泊が2日、列車泊が1日あったから、9泊10日の旅はちゃんと計算が合う。

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トルコ/オリエント急行

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テレビで 「オリエント急行殺人事件」 が放映された。
もう何度もテレビで放映されているので、なにをいまさらって感がなきにしもあらずだけど、今回だけはちょっと気になる。
というのは、トルコ旅行でわたしはオリエント急行の始発駅を見てきたばかりだからである。

イスタンブールはボスポラス海峡をはさんでヨーロッパとアジアの両方にまたがる都市なので、鉄道駅もその両方にあり、オリエント急行の始発駅はヨーロッパ側にあるスィルケジという駅である。
有名な鉄道駅だからどんなに立派かと思ったら、建物は骨董品的でなかなか貫禄があるけど、なんかくすんだボロっちい駅であった。
駅のわきにオリエント急行をけん引する蒸気機関車も展示してあった。
機関車はよく写真などで見る日本のSLに比べると、ひとまわり小さいおもちゃみたいな汽車だった。
※駅舎がボロっちいのも当然で、あまりあてにならないウィキペディアで調べたら、現在オリエント急行は、その名前を冠した特殊な観光列車をのぞいて、すでに廃止されてしまったのだそうである。

映画 「オリエント急行殺人事件」 はスィルケジ駅から始まるので、当然ながらこの駅や汽車が出てくる。
ただ映画では、製作上の都合で、似たようなべつの駅を撮影に使うことがよくある。
いじわるなわたしはホントにスィルケジ駅で撮影したのかいと、疑いのまなこで映画をじっくり検証してみた。
時代設定がずっと昔になっているのでやむを得なかったのかもしれないけど、どうもこの映画のスィルケジ駅はセットだったようだ。
本物の駅はオープンエアで空が見えたのに、映画のほうでは屋根におおわれていた。
汽車のほうも、駅に展示してあった汽車よりもずいぶん大きく見えて、他の汽車をカモフラージュしたんじゃないかと思ってしまう。

オリエント急行とスィルケジ駅が登場する映画でもうひとつ有名なのは、007の 「ロシアより愛をこめて」 だろう。
列車やトラック、モーターボートなどを乗り継ぐ007の逃避行はこの駅から始まるのである。

どれどれと、部屋にあったDVDを引っ張り出して、ホントにスィルケジ駅かいとまた検証してみた。
さすがは007。
この映画に登場するスィルケジ駅は、プラットホームのたたずまいからして、どうやら本物らしい。
違うのは、映画ではホームに人があふれているけど、わたしたちが行ったときホームは閑散としていたことぐらい。
汽車も、展示してあったものとは少し形が違うけど、映画のほうもやっぱりおもちゃみたいだったから、インチキはしていないようだ。

駅を見物しているとき、柱のそばに革ジャンのきれいな女の子がぽつねんとしていたので、スイマセン、写真撮っていいですかと、どうもわたしもほとんどビョーキだね。

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2010年2月10日 (水)

トルコ/時差ということ

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海外旅行をした人ならたいてい、時差というものについて知っている。
わたしがこれまで体験したいちばん遠い海外旅行は、中国の新疆ウイグル自治区で、ここまで行くと3、4時間の時差があるはずだけど、日本と中国の時差は、中国国内にいるかぎりどこでも1時間と決まっている。
しかもわたしは新疆へ行くのに、あっちこっちよりながらのんびり移動したので、あまり時差というものを感じないですんだ。
トルコの場合は、とちゅうモスクワを経由したものの、ひとっ飛びである。
わたしは生まれてはじめて時差というものにぶつかって面食らった。

成田を飛び立ったのは午後の1時ごろのことだ。
機内で夜の8時ごろに日没になった。
まあ、このへんは日本にいるときとそんなに変わっていない。
もちろん外はまっ暗になる。

そして夜中の11時半に乗り継ぎのモスクワに到着したけど、着陸寸前に一方の空がかすかに白んでいるのに気がついた。
はて、これは夜明けなのか日没なのか。
モスクワ時間は17時ごろだというから、これは日没だったんだろうけど、数時間まえに日没を体験している当方としては、つい夜明けと思いたくなってしまう。

モスクワを離陸したのは日本時間で早朝の5時ごろである。
外は依然としてまっ暗。
イスタンブールに到着したのは、その3時間後で、これはトルコ時間では夜中の1時ということになる。
翌朝の出発にそなえてさっさと寝ることにしたけど、外はまだまっ暗だ。
イスタンブールを出発したのは現地時間で朝の7時半 (日本時間では午後2時半)。
このころになってようやく本格的に夜が明けた。

つまり日本を飛び立って、機内で日没を見てから、ほとんど18時間後の夜明けである。
海外旅行のベテランにとっちゃおどろくほどのことはないんだろうけど、こんな長い夜を体験したのは胆石の手術をしてのたうちまわった晩以来だ。
※写真は最初の2枚がモスクワ空港とわが同胞たち、3枚目は帰りの飛行機でみた外モンゴルあたりの雪の原野。

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2010年2月 9日 (火)

トルコ/アタチュルク

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海外旅行をすると現地のガイドさんがついてきていろいろ説明してくれる。
わたしたちのトルコ旅行のガイドさんは愛国者だったのか、それともガイドの義務なのか、トルコ共和国の歴史とトルコ共和国の初代大統領だったムスタファ・ケマルについて、簡にして要を得た説明をしてくれた。
わたしはトルコに関心があり、といってもかならずしもベリーダンスや食べ物にかぎっているわけじゃないので、ここでガイドさんの説明を要約し、トルコという国の基本政策について考えてみよう。
ただケマルのすべてを語るほどわたしは彼について詳しいわけじゃないし、歴史上の著名な人物についてはいろいろ表と裏のあることが多いので、ここではケマルの個人的な評価にはふれず、その改革の成果のほんの一部についてのみ考えてみる。

ムスタファ・ケマルはアタチュルクという尊称で呼ばれることが多いけど、これは 「トルコ人の父」 という意味だそうである。
彼は現在の共和制トルコの生みの親であり、アラビア文字の廃止、ターバンやヴェールなどイスラム風俗からの大胆な訣別など、トルコを西欧化、つまり近代化へと導くために、明治維新の日本に匹敵するようなさまざまな改革を断行した。

中でもいちばん大きかったのは政教分離の政策ということかもしれない。
宗教指導者が政治に口を出して混乱するイスラム国家が多い中で、ケマルは政治と宗教はべつのものであるとして、宗教が政治に介入することをこばんだ。
はやい話が、今回の旅でわたしたちのガイドをしたのはギュダルさんという女性だけど、彼女は理科系の大学から日本語の専門家に転身した才媛であり、30代後半の現在まで独身であるという。
イランやイラク、サウジアラビアのようなイスラム国で、女性がこんなふうに自立して、ひとりで生活していくことができるかどうか。
イスラム国家の多くでは、女性はまともな教育すら受けられないのが現実だけど、ケマルは国家のために女性の力も必要だとして、男女に平等な教育の権利を与えた。
だからトルコでは女性もどんどん社会進出をするし、Tシャツにジーンズの女性もめずらしくない。
わたしは個人的には女性のイスラム・ファッションをとっても魅力的なものだと思っているけど、それが上からの強制ということになると、うーんと考えてしまうのである。

世間には独裁者を非難する人が多いけど、わたしはそれが真の愛国者で、こころから国民のためを思う人物、たとえば中国の鄧小平、トルコのケマル、ロシアのプーチンもそうだろう、そういう人物ならかならずしも非難の対象にすべきだとは思わない。
トルコはケマルのような指導者をもって幸せだった。
ケマルの改革は日本人のわたしにも間接的に恩恵を与えているのだ。
彼の改革のおかげで、いまトルコは安全で快適な先進国のひとつして、旅好きな日本人観光客を迎えてくれているのだから。

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2010年2月 8日 (月)

やれやれ

ブログを書くのは、もちろんわたしの専売じゃない。
わたしの知り合いにもブログを持っていて、せっせと記事を書いている人がいる。
ただ、気をつけなくちゃいけないのは、理屈からすればブログというものは世界中の人が読むものだから、書く内容には注意をしたほうがいい。
とはいうものの、人の考えはさまざまだし、わたしのブログだって間違いやおかしな点がないとはかぎらない。
そういうわけで他人のブログに異論をはさむのはできるだけつつしんできたんだけど。

先日、知り合いのブログに聞き捨てならないことが書いてあった。
この知り合いは江戸時代の大黒屋光太夫の遭難事件を持ち出して、彼が遭難したあと、さまざまな艱難辛苦を乗り越え、厳冬のロシアを経由して、いかに日本に帰国にしたかということを得々と述べている。
どうも書きようからすると、最近になって 「北槎聞略」 を読んで、はじめて光太夫のことを知ったようだけど、この事件のことはちょっと読書家なら誰でも知っていることである。
たとえば井上靖に 「おろしや国酔夢譚」 がある。
こっちのほうが 「北槎聞略」 よりよっぽど読みやすいから読んでみたらどうかと思ってしまう。
でもまあ、世間の誰もが読書家とはかぎらないから、この点については無視しよう。

聞き捨てならないとは、彼のブログの中にこんな一節があることだ。
「光太夫が (ロシアで) 見聞したものを幕府が生かすことが出来たら、日本ももう少し変わっていたのでは、なんて思いました」
どうもこの知り合いは、当時のロシアが日本よりずっとマシな国だったと思っているらしい。
江戸時代の日本とロシアを比べるのは、現代の日本と北朝鮮を比べるようなものだということがわかっていないらしい。
ぜんぜん問題がなかったとはいわないが、江戸時代の日本は貧富の差の少ない法治の国だったけど、ロシアのほうはひとにぎりの王侯貴族が富を独占して、一般庶民は重税にあえぐ人治の国だったはずである。
この悲惨さがやがて十月革命となって爆発するのだけど、ま、そこまで知らなくてもかまわない。
ただあまり無神経に日本を軽蔑するのはやめてほしいと思う。
まるで軽薄な左翼主義者みたいじゃないか。

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2010年2月 7日 (日)

トルコ/カラス

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トルコでカラスを見た。
そりゃまあ、カラスぐらいいるだろう、トルコだってといわれそうだけど、わたしが見たのはスゴイ。
色の白いカラスだ。
正確にいうと、背中から腹にかけてが灰色のカラスである。

添乗員のあやちゃんにそのことを教えてあげたら
あら、そうですか。
ワタシ、何度も見てましたけど、まさかカラスだとは思いませんでした、だって。

これは大発見だと思ったけど、帰国して調べてみたら、トルコのカラスにぶったまげた人がほかにもたくさんいるらしく、ネット上にそんなカラスの写真がたくさん見つかった。
気になる人は 「カラス」 「トルコ」 の二つの言葉で画像を検索してみればよい。
※ここにあげた写真もネットで見つけたもの。

スズメも見たけど、こちらも顔のもようが日本のそれと異なっていた。

せっかくトルコまで行ってきて、カラスだのスズメだののお話じゃつまらんと思うけど、まだ写真や文章を整理中だかんね。

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2010年2月 6日 (土)

リコール

あああ、2時間かけて10日分の新聞を読み終わったトコ。
トルコへ行ってるあいだ、新聞をずっと販売所にストックしておいたもので。
留守中にサリンジャーの訃報記事。
といっても書くことは何もない。
わたしは彼の本を読んだことがないからねえ。
「ライ麦畑でつかまえて」 という本のことを知ったとき、わたしはすでに青春をすぎていたし、この本を礼賛していた友人が軽薄な人間だったので、どうせロクなもんじゃあるまいと (たといそれがベストセラーであろうとも) とうとう読んでみなかった。
もともとひねくれているわたしにとって、「ライ麦畑」 で人生が変わったかどうか。

わたしのブログを読む人の中に、新聞に書いてあることをそのまま信じる人はいないと思うけど、いまトヨタが袋叩きにされている。
問題になっている欠陥など、どんな車だって探せば見つかるていどのものじゃあるまいかって気がしないでもない。
ここはやっぱり、出る杭は打たれる。
ひとり勝ちのトヨタに対して、米国が官民一体になってボコボコにしようという魂胆のほうがみえみえ。
こういう問題になると、本音で反論することはまず不可能だからね。
だからアメリカはきらい。
トルコはえかった。

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夢の余韻

今朝の新聞を読んでいたら 「ブログ市長 根強い支持」 という記事があった。
鹿児島県のほうの地方都市の市長さんが、ブログを活用して情報公開をしてるってことだけど、このヒト、なかなか剛腕の独裁者らしく、思ったこと言いたいことをどさどさ実行に移しちゃって、まわりをいろいろ紛糾させているらしい。
最近はこういう人がかえって頼もしく映るようで、こんな市長さんを支持する市民も多いという。

この市長さんが (昨年のことだけど) 市の職員の給与を、こまかいところまでホームページでどかんと公開したんだそうだ。
それをみて職員の給与の高いことに、一般市民のあいだに衝撃が走ったとか。
この不景気だ。職員の給与のために圧迫される市の予算をなんとかしようという市長の告発なら、それも理解できないことじゃない。
職員の給与をオープンにして市民の目にさらすのも必要なことかもしれない。
こうやって市民にショックを与え、市長のやり方に支持を集め、健全な財政改革に着手しようっていうなら、なかなかの知恵者だと思ってやってもいい。

でもまあ、青春を少々過ぎるくらい長く人生をやっているわたしは、ふと思い出してしまうんだけどね。
かって日本が上り調子で、バブルがいつかはじけるなんてことをまだ誰も信じていなかった時代のこと、公務員なんかやっていられるか、安月給でこきつかわれてと、有為な若者がみんな民間企業に奔っていた、そんな時代もたしかあったことを。

景気のいいころは安い給料でとバカにされ、景気がわるくなるともらいすぎだと非難される。
そんな公務員のみなさんに同情なんかしているわけじゃないけど、願わくば、また好景気が再来したときも、職員の給与の公開は続けてほしいものだ。
ふたたび華やかでまばゆくて、どこかはかないバブルの時代がくるのかどうか、先行きは不透明どころか絶望的であるけどね。
いいんだ、ワタシゃ。
いまトルコの旅の余韻にひたっているところだし。

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2010年2月 4日 (木)

帰国

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トルコから無事に帰ってきました。
人それぞれでしょうけど、旅行好き、自然や古い文化好きのわたしにとっては(ものすごーく)素晴らしいところでした。
旅のてんまつはブログに書くつもりですけど、出発まえにいろいろ調べてみたら、今回のコースはトルコ旅行の定番らしく、ほかにもこのコースについて書かれたブログがいくつか見つかりました。
他人と同じようなことを書いても仕方ありません。
へそまがり人間のわたしは、このコースについて書かれたブログ決定版にするつもりで、これからいろいろ下調べです。
そういうわけでトルコのお話はしばらくお待ちなせえというトコ。

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