冷血
キャンザス州ホルカム村で牧場主の家族4人が惨殺されたのは1959年のことである。
と書けば、ピンとくる人は多いはず。
作家のトルーマン・カポーティはこの事件に注目し、くわしい取材をして、「冷血」 という小説を書いた。
現実にあった事件をドキュメンタリーふうに小説にしたので、これはノンフィクション (創作ではない) ノベルと分類されるそうである。
小説の分類なんかをゴタゴタいうつもりはないけど、なんで 「冷血」の ことを書くかというと、テレビから録画しておいたものの、観る時間がなくてHD内にほうっておいた映画 「カポーティ」をようやく観たからだ。
じつをいうと、わたしはこの映画を公開当時に映画館でも観ている。
あまりおもしろいと思った記憶がないんだけど、テレビで放映されたものを観て、やっぱりおもしろいとは思わなかった。
映画 「カポーティ」 は小説の映画化ではなく、小説を書いたカポーティの心理に重点が置かれていて、殺人や絞首刑の場面も出てくるけど、大きなヤマ場があるわけでもなくたんたんと進行する。
そういう映画がわるいとはいわないけど、殺人者のひとりに同情してしまう作家の心理といわれてもよくわからなかったし、売りモノが主演のP・シーモア・ホフマンの、そっくりさん演技だけってんじゃあねえ。
刑務所で熱を出した囚人に作家が水をやって友情をはぐくむとか、囚人に面会中にそのかたわらを死刑囚が絞首台にひかれていくなんて、米国じゃホントにそんなことがありかいと納得できない部分もある。
一見すると思わせぶりな芸術作品のようだけど、これもわたしのキライな、優等生がつくったまじめ一方の未熟な作品にしか思えない。
ユーモアのかけらもないってやつだ。
わたしは原作の 「冷血」 を読んだあと、作家のカポーティに興味をもって、彼の自伝を読んだり、伝わってくるスキャンダルに耳をそばだたせたりした。
スキャンダルが不思議ではないくらい、カポーティは破天荒な作家だったようである。
ヘタすると彼の生きざまはその小説よりもおもしろかったかもしれない。
「カポーティ」 にも作家の講演会の場面などが出てくるけど、ユーモアのある会話をそのまま映像化するなんて誰にでもできることだ。
「カポーティ」 は2005年の比較的新しい映画だけど、小説のほうはとっくの昔に映画化されている。
リチャード・ブルックス監督が1967年につくった 「冷血」 である。
監督はこの映画で、じっさいの殺人犯に似た無名の俳優を起用して、モノクロで徹底的にリアルな映像にこだわった。
こちらは殺人者の軌跡と心理が描かれていて、なかなか見ごたえのある作品になっていた。
ユーモアがないとはいわせない。
添付した写真はじっさいの犯人たちで、左がスミス、右がヒコック。
原作の 「冷血」 は、全編が思わずこぶしをにぎりしめるような緊迫感に満ちているけど、最後の3ページほど (新潮文庫による) で、すうっと肩の荷が下りたように平和な光景で終わりになる。
わたしはこの部分で、エミリー・ブロンテの 「嵐が丘」 のラストシーンを思い出した。
主要登場人物がすべて幕あいに姿を消したあと、あとに新しい人生を迎えようとする若者たちの未来が暗示されて終わるのである。
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