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2010年4月

2010年4月30日 (金)

特大号

この時期の週刊誌はゴールデンウィーク特大号である。特大号というのは2週間分がまとめて発行されるのである。
内容も2週間分が圧縮されていればケッコウだけど、どっちかという拡散しちゃっている場合が多い。
週刊文春は新潮とならぶ硬派の週刊誌であると、わたしは思っているけど、特大号といってもふだんとあまり変わらない記事が多い。
巻頭に美女図鑑というグラビアがあるけど、これは過去の図鑑で使いそこねたあまり写真じゃないのか。
今日の新聞の川柳欄にこんな句が載っていたぞ。
  社の都合恥ずかしながら特大号

最近の週刊誌ではワイド特集というのが大流行りで、特大文春の今回のそれは“この女のナゾを解く”。
一見意味深長なタイトルで、30人以上の話題の女性の現状が報告されているけれど、わたしは他人がどうしたこうしたってことにあまり興味がない人間なので、せっかくのワイドもあまり役にたたない。
だいたい「キム・ヨナ/投資で大ピンチ」だとか「浅田真央/デキちゃった婚に」、「上村愛子/夫の事情」、「破局が報道された宇田多ひかる」なんて、読んでみると、なんだ、これといいたくなるようなものばかり。
連載されている小説・エッセイ・マンガの類では、まず小説はぜんぜん読まないし、エッセイやマンガもなんとなく毒のないマンネリぎみのものが多くて、かろうじておもしろいと思った(共感を感じた)のは、中村うさぎサンのだらしない性格への嘆き節くらい。
ま、一週間にいっぺんの頻度で、おもしろい、役に立つ、充実した、新鮮な週刊誌を作れっていうほうがムリか。
370円分のヒマつぶしにもならなかった。

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2010年4月28日 (水)

Lilyさん

ネットを彷徨っていたら、Lilyさんという女性のブログが目にとまった。
ブログ・タイトルはなんてことないが、副題として 「昼間は学生、夜はSM嬢/そんな私の変態日記」 というものすごいタイトルがついている。
ブログを書いている本人の写真もどうどうと載っていて、会いたかったら道玄坂のなんとかいうSM専門店まできてくれとのこと。
わたしはそんな趣味がないから、目下、渋谷まで出かける予定はないけれど、べつにお店の宣伝ブログでもなさそうである。
記事を読んでみると、キューブリックの 「時計じかけのオレンジ」 を評価したり、画家のピカソにふれてみたり、文章に新感覚派みたいなところがあって、まんざらパープーな女性でもなさそうだ。

こんなブログからどんなオンナの子が想像できるだろう。
文学少女くずれの頭のいい子で、人生経験と生活のために平気で割り切ってしまう、そんな勇気あるオンナの子かもしれない。
こういうタイプの先輩の中には、マンガ家の内田春菊、ずっと昔には林芙美子などがいて、そういうデンでいけばLilyさんも将来は文学賞の候補になるかもしれない。
遠くから見守ってみようかと考えたけど、よく見たら、ブログの開設が去年の7月で、ほんの1カ月ばかりのあいだに9つの記事を残して、その後ぜんぜん更新がされていない。
その9つの記事だけ読んでみても、若いのに人生の達人のようであるし、世間に対してどこか冷やかな視線が感じられるので、そのへんの男に入れ込んで更新がおろそかとは思いたくない。
事件にまきこまれて身元不明の死体になってるんでなけりゃいいが。

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2010年4月27日 (火)

コイの季節

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写真は昨日撮ったものだけど、目下コイの季節である。
この季節になると、わたしの散歩道でもヒワイな乱交パーティがあちこちで見られる。
川の浅い流れでコイたちが押し合いへし合い、どれがメスでどれがオスだかわからないけど、サケの産卵といっしょで、1匹のメスのまわりに狂おしく欲情したオスたちが群らがっているのだ。
こんなオージー・パーティの果てに、父なし子が無数に生まれることになるんだけど、その90パーセント以上が、サギやカワセミなどの餌になっちゃうのだ。
つまりコイたちは他の動物のエサを大量生産していることになるのである。
かくて自然の輪廻はくり返し、サギもカワセミも満腹し、野川の平和は保たれるのだ。

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2010年4月26日 (月)

Driver for Vera

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気になっている映画がある。
今年の1月にトルコに行ったとき、モスクワまでの飛行機の中で上映されていた 「Driver for Vera」 というロシア映画である。
ロシア語なのに英語のタイトルがついているのは、搭乗しているかもしれない英語圏の人々のためらしいけど、セリフはすべてロシア語である。
タイトルを直訳すると 「ヴェラの運転手」 ということで、ヴェラというのはヒロインの名前だ。
わたしはロシア語なんてぜんぜんわからないけど、意味不明な結末をのぞけば、だいたい内容が理解できた。

物語の舞台は黒海沿岸と思われる地方都市で、まずこの風光明媚な町の風景がすばらしい。
この町に駐留する軍の若い兵士が、ちょいと娘を迎えにいってくれと上司の軍幹部に頼まれる。
彼はこの幹部の専属運転手なのである。
娘の顔を知らなかったのでちょっとソゴがあったものの、彼は首尾よく娘を車に乗せて父親のところへ連れてくる。
この娘は片足が不具で、そのせいかひじょうに屈折していじわるな性格をもっている。
しかもどこかの男の子供を宿しているのである。
娘を演じる女優は、鼻っばしらのつよいフランス女優みたいでなかなか魅力的。

若い兵士は彼女の専属運転手のようなかたちになって、通院する彼女の送迎を続けるのだが、そのうちしだいにこの娘を好きになってしまう。
このあたり、すなおで好感のもてる兵士と、なかなかすなおにならない娘の関係がうまく描かれていておもしろい。
機内のモニターなので不鮮明だけど、下の写真は兵士と娘が海辺にドライブするシーン。
ここで兵士が娘にキスしようとすると、娘は兵士の耳にかみついて抵抗するという、ちょっとショックな場面に続くのである。

映画の2/3まではこんな具合で、兵士と娘のかっとうが描かれているのだが、ラスト近くになると、娘と軍幹部のその父親が、屋敷に押し入ってきた無法者たち(その中にはそれまで父親と親しそうに話していた男も含まれる)に殺されてしまう。
このあたりの事情は、言葉がわからないとさっぱり意味もわからない。

最後がどうもお手軽で気にいらないけど、それ以外は全体の作りも最近のアメリカ映画みたいにせせこましいものではないし、風景は美しいし、船上のパーティなど牧歌的なシーンもあって、わたしはいい映画だ、もういちど観たいなと思った。

飛行機の機内で上映される映画は、封切まえの最新作である場合が多い。
気になるので調べてみたけど、日本では公開どころか輸入される予定もないみたいで、映画のデータベースにひっかからない。
米国のデータベースでもダメ。
配給会社さん、オネガイ。 「Driver for Vera」 だかんね。 おぼえといてね。

※この記事は映画のタイトルに誤りがあったため、あとで訂正しました。 正しいタイトルで検索すると、米国の映画データベースに記事が見つかります。

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2010年4月25日 (日)

この季節

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寒暖の差のはげしいこのごろだけど、ま、土・日曜日にいい天気になりゃ文句はないわな。
今日はまた暖かないい天気。ぶらぶらと散歩に出かける。
川岸に生える雑草もきらきらと輝いてこの季節を謳歌しているよう。
近所の田んぼに上がったコイノボリは、顔を見るとあまり楽しそうじゃないけど。
八重桜の下では軽自動車が日なたぼっこ。

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2010年4月24日 (土)

デマ・ブログ

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ブログを書いていると、すみっこのほうに検索ランキングというものがつく。
これを見ていたら、トルコ旅行をけちょんけちょんにけなす人のブログが目についた。
http://blogs.yahoo.co.jp/benim_minik_kusum/4367848.html

そのけなし方はそうとうのものがあるけど、内容はほとんど真実と思えない。
トルコのファンで、しかも行ってきたばかりのわたしはつい反論したくなったけど、このブログをよく見ると、記事に対する反論のようなものがほとんど載っていない。
あるのは管理者の意見を読んで、そうなんですか、知りませんでしたと同調するようなコメントばかりである。
こんな過激なことを書けばさぞかし反論も多いと思えるのに、それがないということは、このブログを書いている管理者は、自分の都合のわるい反論はみんな削除してしまうのだろう。
こんなブログに反論しても削除されるのがオチだ。
なにか相手の土俵以外のところで反論する方法を考えてみたけど、いい方法が思いつかない。

このブログはまたべつのことを考える手掛かりを与えてくれる。
このブログを書いている人はどこかの旅行会社の社員だそうだけど、たとえば現地ガイドがみやげもの屋に案内するのはトルコだけなんて、あきらかなマチガイをおかしているところをみると、どうも本当に旅行会社の関係者だとは思えない。
しかもコメントを読んでみると、絵文字やどこかおかしな日本語が氾濫している現在なのに、みんな同じような傾向をもった書き込みばかりで、これはブログの管理者の自作自演ではないかという疑いもある。
本人はトルコ旅行の欺瞞を暴露しているつもりらしいけど、世の中にはこんな手のこんだデマ・ブログを作って喜んでいる人もいるのかと、そう考えて溜飲を下げるしかないようだ。
コマーシャルがついたブログであるところをみると、アクセス数を上げるためにわざと刺激的なことを書いているブログかもしれない。

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2010年4月23日 (金)

ツィッター

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ツィッターを開設した。
わたしのブログにツィッターの案内がきていたので、ヒマつぶしに応じてみたらちゃんと開設されたようだ。
あんまりやる気がないから、友達を探しますかと訊かれてもその気になれない。だいたい友人でツィッターをやっている人間がいるのかどうかも知らないし。
自分のツィッターになにか書けというから、「部屋で引きこもり中」とだけ書いておいた。
こんなんじゃ誰からも書き込みがないだろうなあと思う。

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前原クン

おっ、前原クンも男になったな。
というのは高速道路の新料金に関して、闇の帝王の横車を拒絶した民主党の前原クンについての感想。
政権内に役職をもたない闇の帝王の小沢クンの悲願は、なにがなんでもつぎの選挙で勝って存在感を高めること。そのためには国民にアメをばらまく必要がある。
だからって、マニフェストに書いたことを守らなくちゃいかん、という小沢クンの主張の先に待っているのはどんな未来なのだ。
前原クンの政策がよしとはいわないけど、少なくとも、金がないんだから高速料金を値上げするというのは理にかなっている。
おもしろくないけど、現在の経済状況をみれば、消費税の値上げだってやむを得ない。
というのは、国民のあきらめに似た総意なんじゃないか。
国民はみんな日本の未来、子供たちの将来を真剣に心配してんだよ。
問題はそれを選挙目当てで、姑息な手段を使ってごまかしたり、その場だけをとりつくろったりすることだ。
この問題についちゃ前原クンは男になった。わたしはそう思う。
内心はもうちっと屈折してんだけどね。
わたしは高速道路をよく利用する。それも50キロ未満の近距離がひじょうに多い。
今回の前原クンのアイディアじゃ、もろに値上げの被害者になることは確実。
日本の未来のためにやけっぱちで犠牲になろうと決意してんだから、なにごともオープンに公平にやってほしいやね。

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2010年4月22日 (木)

平野クン

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重箱のすみをつっつくようで申し訳ないけど、新聞に民主党の平野クンの似顔絵が載っていた。
朝日新聞だから描いているのは山藤章二さんである。
画家の技量についてどうこういう資格はないけど、この平野クンについてはそろそろ新しいものと差し替えてほしいと思う。
こぶしをぎゅっとにぎりしめて意気軒昂に見えるこの絵じゃ、平野クンか菅クンかわからない。
画家に対しては僭越ながら、現在の平野クンなら、焦点の定まらない目で中空をぼんやりながめる、憔悴した老人って具合に描かなければならない。
失礼いたしました。

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忘れられた女神たち

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「紳士は金髪がお好き」 という映画がテレビで放映された。
古い映画なのでいちども観たことがなかったけど、巨匠ハワード・ホークスの映画だからたぶん傑作だろうと思われる。
録画して、これから観るところだ。

この映画の原作を書いたのはアニタ・ルースという女性作家である (添付したのはネットで見つけたルースの写真)。
古い作家なので現代の日本ではほとんど知られてないけど、わたしは川本三郎さんの 「忘れられた女神たち」 という本で彼女のことを知っていた。
この本の中には戦前から戦中、そして戦後まもないころに活躍した、俳優、作家、画家、デザイナーなど20人の女性が取り上げられている。
著者の川本三郎さんは、わたしがよく読むSAPIOという雑誌で、映画と本の批評を連載しているから、ぜんぜん馴染みがないわけじゃないけど、「女神たち」 については、原著があって、その翻訳にいくらか新しい知識やエピソードを加えたものかなという疑問もないじゃなかった。

そう思えるほど、この本に取り上げられた女性たちは、日本人がとりあげるにはめずらしいラインナップである。
この本を読むまえからわたしが知っていた女性は、かろうじて名前を知っていた人を含めても5、6人しかいない。
具体的に全員の名前を挙げると、ヘディ・ラマー、デューナ・バーンズ、バーバラ・ハットン、イデス・ヘッド、ドロシー・ダンドリッジ、マリオン・ディヴィス、エルシー・ド・ウルフ、タルラ・バンクヘッド、キャサリン・アン・ポーター、ジプシー・ローズ・リー、レナ・ホーン、リビイ・ホルマン、メイベル・ノーマンド、マーガレット・バーク・ホワイト、キャロル・ロンバード、アニタ・ルース、ドロシー・パーカー、グロリア・ヴァンダービルト、ドロシー・ブレット、ジーン・リイスである。
内容はいちおう彼女らの伝記であるが、伝説の部分も多いんじゃないかと思えてしまうのは、それぞれがあまりにも数奇な生涯をおくった人ばかりだからだろう。

彼女たちはいずれもその時代を、パイオニアとして、自立した女性として、あるいは天真爛漫で自由奔放な女性として生きた。
ただし、このうちに自殺や不遇な晩年を送った人が7、8人はいる。
確実に幸せな晩年をまっとうしたといえる人は6人ぐらいしかいないのである。
わたしも小説や映画によって、この世の中には幸福なもの、不幸なもの、平凡なもの、奇妙なものなど、さまざまな人生があることを知っているつもりだけど、この女性たちの人生は創作ではなくすべて本物であるところがスゴイ。

人生についてしみじみと考えるのに好適な本なので、わたしはこれまでにこの本を2冊購入した。
1冊は自分が読むため、もう1冊は知り合いの文学少女に読ませるためである。

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2010年4月21日 (水)

解決方法

「決めました」
「もう日本に外国の基地は要りませぬ」、「どうぞ米国はお引き取りください」
鳩山クンが米国大統領のオバマ君にこう宣言したらどうなるだろう。
社民党や共産党さえ言いだせない普天間の決定的な解決方法だけど、こんなことが可能かどうかシュミレーションしてみよう。

米国の基地にお引き取りねがうということは、日本の防衛は自前の軍備でまかなうということである。
軍備なんぞは要らないという弱小政党もあるけれど、それが現実的な選択であるとは、ワタシにはぜんぜん思えないので、自前の軍備ということで話を進めよう。

じつは現代のこの世界で軍備ぐらい金のかかるものはないのである。
これまでの日本はそっちのほうはぜんぶアメリカに負んぶに抱っこ。 ひたすら経済発展に専念していればよかった。
そのかわりいろいろ口実をもうけて、お世話になっている米国に儲けを還元なんて密約までしていた。
最近外務省の密約が問題になっているけど、ようするに国防を米国にお世話になっているそのお礼の約束といえばわかりやすい。
密約なんかせずに、最初からそういうものなんですと断っておけばよかったのに。

軍備を自国でまかなうとすると、さあ大変な出費だけど、これはひょっとすると最上の景気刺激策になるかもしれない。
問題は平和憲法とのかねあいと、先の戦争で被害を受けたというアジアの周辺国家が大騒ぎするということだな。
平和憲法のほうは人間が決めたことだから変更は可能だ。
植民地主義の時代ならいざ知らず、いまどき武力を備えた日本が他国を侵略するとも、それが可能だとも思えない。
防衛のための軍備はこれを無制限に容認すると、憲法に書きゃいい。
ヨーロッパでは英国もフランスもドイツもロシアも、スイスだってみんな軍備をもっていて、それで最近侵略戦争が増加したって話は聞かないぞ。
現代は侵略以外の要素で戦争のおこる可能性のほうが高いのだ。

中国だってやっているじゃねえかと、軍備増強を正当化すれば、とうぜん韓国も増強するだろう。
極東に軍拡競争の出現だ。
軍備にはますます金がかかるようになる。 天井知らずの金がかかるようになる。
そのかわりどうどうと世間に認知された軍需工場が、膨大な雇用を生みだし、バブルの好景気よもういちどってな具合にならないともかぎらない。
基地というと目くじらを立てる地方だって、日本の軍隊の基地ならなんとか納得するのではないか。
もちろん振興策として、地方へたんまりお金を落とすことを約束するんだけど。

そうなりゃもう米国にだって親分風なんか吹かせない。
イエローなんて馬鹿にされることもなくなり、トヨタ叩きなんてこともなくなるかも。
文句をいったら米車の欠陥を百ぐらい並べたてればいいのである。
だいたいアメリカって国は、どうどうと抵抗する国には、それがたとえ敵対国でも敬意をあらわすが、シッポを振るだけの国は馬鹿にする傾向がある。
これは人間も同じだけど。

ここはやっぱり 「どうぞ米国はお引き取りください」 というのがが最善の策かもしれない。
ハトヤマも男になったとオバマ君がうそぶくあたりで、シュミレーションは完結、にしましょうよ。

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2010年4月20日 (火)

人工衛星

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アイスランドの噴火の影響、じゃないけど、山崎直子さんのスペースシャトルがもたもたしているようである。
閑話休題ってわけで、今日は科学のお話。
わたしは専門家じゃないし、大学も出てないからあまりあてにされても困るけど。

人工衛星については誰でも知っている。
それがなんで宇宙空間に浮いていられるのか。
無重力だからってのは答えにならないし、だいいち正解じゃない。

SF少年だったわたしは、子供のころたくさんのSF小説を読んだ。
小説の中によくロケットで宇宙へ飛び出すシーンがある。
こういうときものすごい遠心力がかかるそうで、乗員はたいてい苦痛に顔をゆがめるのである。
なんで遠心力がかかるかっていうと、地球の引力圏から脱出するために猛スピードを出さなければならないからである。
脱出スピードが足りないとロケットは地球に落下してしまう。

なるほどねと、このへんまではふつうの感想。
しかしわたしならずともちょっと考え深い子供なら、そのうちちょいとした疑問を持つんじゃなかろうか。
速ければ地球を脱出できる、遅ければ落下してしまう。
それじゃあその中間はどうなんだ。
うまくスピードをコントロールすれば、脱出も落下もしない中間点に浮いていられるんじゃないか。

その通り。山崎直子さんはスペースシャトルに乗ったまま地球に向けて落下していたのである。
ただスピードを微妙にコントロールしていたため、外へ向かって飛び出そうという力も働いていたので、地球をながめる場所で宙ぶらりんになっていたというわけだ。
素人が断言していいものかどうか心配だけど、人工衛星というのはこういうものである。

SFだけではなく、いろんな科学技術の本を読みふけっていると、人工衛星についてさらなる疑問がわいてくる。
空の高いところを飛ぶ人工衛星は、地球のまわりをゆっくりまわってもいいけど、地球に近づけば近づくほどスピードを上げないと、やっぱり落下してしまうのだそうだ。
地球からのある高さを境にして、それより高いところを飛ぶ人工衛星は地球の回転よりもゆっくり飛んでかまわないが、それより低く飛ぶものは地球の回転よりも速く飛ばなければならない。
なるほどねと、このへんまでもふつうの感想。
しかし、それじゃあその中間点はどうなんだ。
つまり、「ある高さ」 にちょうどぴったりの高さを飛ぶ人工衛星はどうなるのだ。

こういう疑問も、ちょっと考え深い子供なら必然的の帰結である。
この高さを飛ぶ人工衛星は地球の回転と同じ速さで飛ぶので、地上から見ると同じ場所に静止しているように見える。
最近はいろいろ種類が増えているのでいちがいにいえないようだけど、このタイプの人工衛星は通信衛星として重要な役割を担っている。
わたしがアーサー・C・クラークより早く生まれていれば、通信衛星の特許をとって、いまごろはスリランカで悠々自活だったのにと悔やまれてならない。

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2010年4月19日 (月)

シッコ

観たいと思って観ていなかったマイケル・ムーア監督の 「シッコ」 がテレビで放映された。
一部の人たちが理想とする自由主義大国アメリカの、医療や保険業界の実態にせまるドキュメントだけど、いやはやひどいもんだ。
米国で拝金主義に汚染されているのは金融・証券会社ばかりじゃなかったようだ。
あの国では営利を目的とする私企業ばかりではなく、人の命を救うべき医療機関まで、すべて金、金、金だ。
だから保険に入ってない (入れない) 貧乏人の患者を、病院が路上にほっぽり出すという乱暴な処置も行われる。
この映画はきっと誇張されているんだと思わなけりゃ救いがない。

おりしもオバマ大統領の医療保険改革が始まっている。
米国の国民全員に日本みたいな国民皆保険を義務づけようというものらしい。
けっこうなことじゃないかと思っていたら、米国にはこの法律に反対する人が国民の半分ぐらいはいるんだそうだ。
反対する人の意見は、自由の国アメリカでは健康は自分で責任をもつべきだ、医療保険は自己責任で加入すべきだということだそうだ。
国家が末端の国民の世話までするようになったら、それは彼らの大キライな社会主義だという気分があるらしい。
そんな高尚?な意見を、あまり利口ではない米国民がみんな共有するはずはないから、反対する人たちってのは医師会や保険業界の、金にあかせた反対運動に乗せられちゃった人なんだろう。

「シッコ」 を観ていて思ったのは、人間というのはどこかで管理をしなければ、強者が自分の際限のない欲望を満たすために、行きつくところまで行ってしまう動物だということ。
この映画を観れば、米国はわるい意味で自由主義が極端にまで到達してしまった国であることがよくわかる。
管理を徹底すれば崩壊した社会主義国のようになってしまうけど、それを微妙な線でコントロールするのが政治というものじゃなかろうか。
あー、米国にだけは住みたくねえ。

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2010年4月17日 (土)

4月の雪

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雪である。
4月の積雪である。
たぶんと思ったけど、東京では41年ぶりの最も遅い降雪日だったそうだ。
こんなに寒暖の差が極端じゃ野菜が値上がりするよな。
わたしの田舎でも、後継者のいないおじいさんおばあさんが、防寒用のムシロやビニールシートをかけたりはずしたり、必死でかけずりまわっているんだろうなあ。
いたいたしい。
日本の若者よ。
いまこそ農村をめざすべきじゃないかい。

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2010年4月16日 (金)

火星探検

また出勤まえにちょこちょこっと簡単に書けるブログ・ネタ。
米国が30年代に火星へ人を送る方針だそうだ。
おっ、いいぞいいぞとSF少年(だった)のわたしは喝采をさけぶ。
火星については、これまでも探査船の着陸などでいろいろ知識はあるけど、やっぱり生身の人間がその眼で見るのとはわけがちがう。
火星人はともかくとして、火星生命ってのは存在するのかどうか、火星の表面にはっきり残る水が流れた跡ってのはいったいなんなのか、ほんとに水があるのかどうか、地球をふくめた太陽系の最高峰オリュンポス山を平地からながめるとどう見えるのかなどなど、火星についての興味はつきるところがないのだ。

火星のつぎは木星をめざすことにすれば、いよいよ映画 「2001年宇宙の旅」 も現実のものになる。
問題はただひとつ、科学の力で不老長寿の薬でも発明してくれないかぎり、それまで生きていられるかどうかあまりアテにならない・・・・・のではなく、木星のころには確実にわたしゃお亡くなりになっちゃっているってことだよなあ。

ところで YouTube で見つけた火星のアニメがおもしろい。
過去の火星探査の歴史を知っていれば、おもしろさも倍増なんだけどねえ。
http://www.youtube.com/watch?v=j5Ie7i6vRUM

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2010年4月15日 (木)

甃のうへ

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暖かくなったり寒くなったり、今年の天気はテレビの特集になるくらい異常である。
今日はまた雨だし、サクラもそろそろ終わりだから、ちょっと時期を失した感もあるけど、ある詩にこの写真を添えてみたいと思っていた。
三好達治の「甃のうへ」という詩である。
日本語の美しさを体現したような詩なので、あえておくゆかしい原文のかなづかいどおりに載せると
  あはれ花びらながれ
  をみなごに花びらながれ
  をみなごしめやかに語らひあゆみ
  うららかの跫音空にながれ
  をりふしに瞳をあげて
  翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
  み寺の甍みどりにうるおひ
  廂々に
  風鐸のすがたしづかなれば
  ひとりなる
  わが身の影をあゆまする甃のうへ

時期としてはもうすこしあとのようだけど、この詩では和服を着た女性たちがしのびやかに寺院の境内をあゆむ姿がうたわれている。
その足もとにはきっとこの写真のような光景が見られたのではないか。

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2010年4月14日 (水)

ハクビシン

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タヌキが都内に生息しているのは周知の事実で、わたしも世田谷の豪徳寺あたりで、夜中にタヌキと出会ったことがある。
自然の豊富なわが家の近所にもタヌキは生息しているそうだけど、不幸?にしてまだ見たことはない。
わが家の近所ではタヌキのかわりにハクビシン(白鼻芯)をよく見かける。
正面から見ればすぐにわかる個性的な顔をした動物だけど、いつもうしろ姿ばかりなので、はっきり顔を見たことがない。
しかし大きさやしっぽの長さ、わりあい平然とうろつきまわっているところからして、ハクビシン以外に該当する動物はなさそうだ。

外来の動物だとか、いやいや昔から日本にいた動物だとか、意見が分かれているらしいけど、わたしの子供のころにはハクビシンなんて名前を聞いたことがなかった。
昔はいまより自然が豊富だったから、田んぼのあいだでイタチなどはよく見かけたし、キツネやタヌキもわりあいポピュラーな動物だったのに、ハクビシンはいちども見た記憶がない。
最近では増えすぎて作物の被害が大きいそうだけど、そんなら昔のほうがよけい被害が大きかったのではないか。
そういうわけで、どうもわたしの印象では日本にもともといた動物とは思えないのである。

中国では果子狸といって食用にするそうである。
机以外の四本足はなんでも食べる中国のことだからおどろくこともないけど、SARSなんてウイルス性の伝染病の原因という説が出て、最近では食べるのがひかえられているらしい。
ネットで調べてみたら、こいつが他のハクビシンの子供を食べている映像があったから、ペットにしたくなるような見かけより、残忍な雑食性の獣のようである。

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漢字の使い方

ふつうなら漢字で書くべきところをカタカナ表記にしたり、こまかいところにこだわって意識的に別の漢字を使ったりする例が、わたしの知り合いの中に目立つ。
これは文学的にちゃんと確立された用法だから、まちがいなく使いさえすればそれなりおもしろい効果を生むものだけど、まちがって使うとどこかおかしいということになってしまう。
「気の毒」と書くところを「気のドク」と書くのは、毒という字の凶悪さをうすめるためのものだし、「生き物」を「生きもの」と書くのは生きているものに対するやさしい配慮である。
このへんはまだしも、「御苦労さま」を「ゴクロウサマ」、「大変ですね」を「タイヘンですね」と書くのは、相手を揶揄しようという場合が多いので、注意をしなければならない。
こちらにそんな気はなくても、書かれた相手はいい気持ちがしないはずだ。

知り合いの書いた文章に「(民主党の政治を)国民は観ています!」とあった。
この使い方は、ひょっとするとわたしの影響かもしれないけど、「見る」と「観る」ではイメージが異なるということを本人はわかってないようだ。
政治をちゃんとミテイルというなら、この場合は「見る」を使うべきだろうし、もうすこしいじわるく書きたければ「視る」なんてのもいい。

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2010年4月12日 (月)

菜の花と海棠

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カタカナ表記はやめて、漢字で菜の花と海棠と書く。
両方ともわたしの好きな花である。
菜の花は子供のころに聴いたなつかしい童謡を思い起こさせ、海棠は和服の模様にしたくなるようなグラデーションのかかった色の美しさから。
そういうわけで、以前にも紹介したけど、またあえて紹介してしまう。

桜のはかなさや狂騒ぶりもわるくないけど、その樹下におとなしく、こんな花も咲いている季節なんだよねえ。

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2010年4月11日 (日)

美人すぎる〇〇

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ひさしぶりにジャズを聴きに行ってきた。 吉祥寺のSOMETIME。
この晩の出演は野本晴美ピアノ・トリオ。
最近のわたしは音楽全般から足が遠のいているので、遺憾ながらこのピアニストについて知るところナシ。

あらわれたのは白いジーンズをはいたスレンダーな美人だった。
美人すぎる市議だとか、美人すぎるなんとかというフレーズがあるけど、このピアニストもそういう表現が適切。
近くでじろじろながめたわけじゃないけど、顔立ちはフィギュアの浅田真央みたいにあまり女っぽさを強調しないタイプ。
しかし立ち上がった腰のあたりはなかなか女っぽい。
旦那がいても不思議じゃないと思う。
イヤらしいところばかりに注目しているみたいだけど、ジャズを聴くにもいろいろ楽しみ方はあるものである。

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井上ひさし

井上ひさしさんが亡くなったけど、あまり感慨がないんだよな。
その作品は一冊も読んでないし、劇も観たことがない。
まじめで誠実な作家だったらしいけど、わたしにいわせるときわめて体制的で、あまり読もう、観ようという気がおきない作家のひとりなのである。
共産党のイデオロギストがなんで体制的なんだと苦情がくるかもしれないけど、良識派の作家なんて、わたしにはすべて体制的に思えてしまう。

知り合いの中に、政治というのはダンボールの箱を右から左に移すようなものと心得ている人がいるけど、憲法9条の順守などと、複雑な問題を庭石のように単純化して考えられる人を、わたしはあまり信用しないのである。

そんな印象だったけど、いろいろ調べてみると、そんな説明におさまらない火宅の人の一面も持っていた人らしい。
本人が亡くなってそういうことの全貌がさらけ出されることになれば、わたしの見方も変わるかもしれない。

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2010年4月10日 (土)

要約すると

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わたしは恐怖なしに老年を待っている。
完全なる一生は青年、壮年時代とともに、老年時代も含んでいるからである。
朝の美しさや真昼の輝きもよかろう。しかし夕べの静謐さをしめだすためにカーテンをおろし、灯りをつける人ははなはだ愚かな人であろう。
老年には老年の楽しみがある。
それは異なったものであっても、青年の愉しさに劣るものではない。
愚者の老年は愚かであろう。しかし若いときも愚かだったのである。
老人がもはやアルプスに登ることも、きれいな女をベットにころがすこともできないのは事実だけど、そのかわり失恋の痛みや嫉妬の苦しみから解放されている。
老年には積極的な償いもある。
逆説的に聞こえるかもしれないが、老年のほうが時間の余裕がある。
若いときには判断を歪める個人的な偏見なしに、美術や文学を享受することもできる。

エラそうな言葉をならべたが、これはわたしの発言ではなく、サマセット・モームの「要約すると=THE SUMMING UP」の中からひろった文章である。
土曜日の夜は風呂に入って本を読む。
長風呂でじっくり書物を読み、こんな言葉をひろい、さまざまなことを考え、自己をみつめなおしていると、うん、血圧を下げる効果もあるものだ。

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2010年4月 9日 (金)

与謝野クン

自民党を飛び出した与謝野馨クンを見ていて、つい思うところあり。
彼が飛びだしたあとの自民党をみると、総裁が谷垣クンで、そのほか舛添クンや河野クンが表に出てくれば、なんとなく若返ったような雰囲気がある。
ひょっとすると憂国の志士である与謝野クンは、長老とよばれる自らの限界を感じとり、同じように悪評ふんぷんの老人をまきぞえに自民党を飛び出すことによって、古巣のイメージを刷新させようとしたのではないか。

とてつもない空想だけど、シロート集団みたいな民主党に比べると、わたしは与謝野クンをプロの政治家としてそれなりの評価しているのである。
惜しむらくは彼もトシをとりすぎて、世間から (身内の自民党からさえ) 老害政治の原因としか思われていないことだ。

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厳罰主義

中国で日本人が死刑になった。
犯罪者にも家族がいるだろうから、あまりかるはずみなことはいえないけど、中国の厳罰主義について考えてみる。
歴史認識でも法律の解釈でも、日本にあてはめて考える人が多い。
そういう人はやり方が日本とちがうというだけでケシカランと言いだす。
日本の政策・法律は、いちおう、まがりなりにも、まあまあ国際標準に近いみたいだから、それはマチガイといえなくもないけど、中国の場合も同じ視線で考えていいものだろうか。

日本は、すくなくとも徳川時代以降は法治の国だったけど、中国では人治の歴史がケタちがいに長かった。
つまりトップやそのとりまきの都合でどうにでもなる政治ということである。
こういう国では、民衆はそれこそ生きるために法律のうらをかくことが必要になる。
法律を守ってまじめにお金を稼いだりすると、かえって役人に目をつけられて、財産没収なんてことが数えきれないくらいあったのである。
「上に政策あれば下に対策あり」というわけで、中国人の法律軽視もまた歴史的なものだった。
わたしがはじめて中国に行ったころ、感心したのは、歩行者も自動車もまず信号を守らないということだった。
極端にいえば中国では全員が法律を守りたがらない国民ばかりで、こういう相手に法の順守を教えこむのが大変であろうことは容易に想像できる。
悪いことをしたら死刑だとおどかさないかぎり、こういう民衆のこころがけはなかなか改まりそうにないのである。
厳罰主義はこうしたところから発しているように思う。
もちろんそれ以外にも、阿片戦争時代の屈辱的な過去や薬害意識、「一将功なって万骨枯る」とたとえにあるような人命軽視の伝統もあるだろうけど、はっきりいえるのは日本の常識や法律にあてはめても仕方ないということだ。

今回死刑になった日本人は、つい日本にあてはめて、日本ならこの程度では死刑になるはずはないとたかをくくっていたのではないか。
麻薬の密輸なんて誰が考えたって犯罪なのだから、そりゃやるほうがワルイとしかいいようがない。
小市民的にまじめに地道に生きている当方としては、犯罪者が大手をふってシャバにまいもどる日本の法律の手ぬるさにイライラすることもあるくらいなので、中国の厳罰主義に喝采をさけびたくなってしまうこともある。

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2010年4月 8日 (木)

川上未映子

あまり時間がないので、なんかお手軽に書けるブログネタはないかと夕刊を読んでいたら、川上未映子という作家が書いている小さな記事が目についた。
この人は、写真でみると作家なのかタレントなのかわからないくらいのカワイ子ちゃんである。
なんでもいつもスカートしか履かないのだそうだ。
そんな彼女のサイン会で大阪のおばさんが質問してきた。

未映子さんてさ、スカートしか履かないっていってるけど、お風呂上がりはどうなのさと、なにしろ大阪のおばさんだからあけすけ。
未映子さんもたじたじで、必死でネグリジェですなんて答えたらしいけど、なぜかわたしはこのやりとりに官能的 (っていうほどオーバーなもんでもないけど) かつヒワイなものを感じてしまった。
ま、作家だからな。世間のおじさんにそう思わせたくって書いたってトコもあるだろ。
わたしは典型的な世間のおじさんなのである。

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2010年4月 7日 (水)

魚市場

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ネット・ニュースによると、築地の魚市場が見学休止だそうだ。
なんでもマグロの競り市が外国人に大人気の観光スポットで、見学エリアに人が殺到し、安全確保や市場業務に問題が生じたからだとか。
これだけ外国人が押し掛けるってのは、最近のクロマグロ問題も影響したんじゃあるまいか。
わたしは市場が好きで、外国に行っても機会があればかならずそういうところをのぞくタチだから、魚市場に興味をもつ外国人の気持ちはよくわかる。
その国のほんとうの姿を知りたかったら、壮大な寺院や古い遺跡より、市場や屋台街や駅周辺の雑踏のほうがずっといいのである。
そんなわけで、このあいだトルコへ行ったときも、わざわざタクシーを飛ばしてイスタンブールの魚市場を見学してきたくらいだ。
トルコの市場にマグロはいなかったのが残念だけど、あちらの魚河岸の若い衆と仲良くなったから、それはそれでおもしろかった。
※写真はイスタンブールの魚市場にて。

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2010年4月 6日 (火)

CAR GRAPHIC

わたしはかなり年期のはいったカー・グラフィック=CAR GRAPHIC(以後CG誌)の愛読者である。
はっきり年代はあかさないけど、つばさを高くかかげたシャパラル2Fがル・マンを走っていたころからの読者であるといえば、見当のつく人もいるだろう。
ずいぶん長くこの雑誌を購読していたけど、いちおう啓蒙される部分はされ尽くしたってわけで、なん年かまえに買うのをやめてしまった。

最近ガソリンスタンドでこの本を立ち読みする機会があったんだけど、あいかわらず掲載されている写真がすばらしい。
そんな写真を見ていて不思議に思ったことがある。
車の写真には流し撮りというテクニックがある。
車自体はピタリと静止しているのに背景が流れるようにぶれているというもので、動きを表現するときによく使われる。
もちろんCG誌の写真でもいたるところでこのテクニックが使われている。
ところがよく見ると、わたしのような世代には理解しがたい流し撮りの写真が、最近は多いのである。
たとえばS字カーヴを車が走っていて、車はもちろん止まって見えるけど、背景がこのS字にそってぶれているのである。
こんな撮影方法があっただろうか。
また並走する車から撮影したような写真で、撮影者がどの位置からどんな姿勢で撮影したのかと疑問に思う写真もある。

ひょっとするとこれはコンピューターで加工した写真ではないか。
ひょっとするとそういう写真を取り入れることになった事情を、CG誌自身が過去に説明したことがあるかもしれない。
もしあるならそのバックナンバーを教えてくれる人はいないだろうか。わたしはそうした技術にひじょうに興味があるもので。

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2010年4月 5日 (月)

新党

与謝野クンや平沼クン、園田クンが新党結成ってことだけど、勝算があんのかねえ。
この顔ぶれをみると、もろに古い自民党という感じだものねえ。
どうせ新党をつくるなら、思い切った若手を総裁にして、自分たちは民主党の誰かさんみたいに、影の総裁に徹したほうがいいんじゃなかろか。

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大沢村

わたしのブログがどのくらい人気があるのかなと、「大沢村」というキーワードで検索してみたら、日本にはたくさんの大沢村がある(あった)ことがわかってしまった。
以下はウィキペディアに載っていたもの。
大沢村(岩手県)=岩手県下閉伊郡大沢村
大沢村(宮城県)=宮城県宮城郡大沢村(現・仙台市青葉区)
大沢村(山形県)=山形県飽海郡大沢村
大沢村(栃木県)=栃木県河内郡大沢村(現・日光市)
大沢村(埼玉県)=埼玉県児玉郡大沢村(現・美里町)
大沢村(神奈川県)=神奈川県高座郡大沢村
大沢村(長野県)=長野県南佐久郡大沢村
大沢村(兵庫県)=兵庫県有馬郡大沢村(現・神戸市北区=オオゾウムラと読む)
わたしのブログのタイトルになっている大沢村は、行政の正式の区画名称ではないので、検索するときは「大沢村便り」まで入れてください。念のため。

つまんないことを調べているもんだといわれそうだけど、雨が降っていてほかにやることがないからねえ。

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2010年4月 4日 (日)

桜の名木

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この季節になると、三春の滝桜とか本巣の薄墨桜とか、あっちこっちから桜の名木の便りが聞こえてくる。
わたしのブログでは、原則として動植物の名前はカタカナ表記だけど、今回は例外。
わたしも有名な桜を見たいと思うけど、観光バスまで押し寄せるそうなので、人ごみギライのわたしはそれだけで遠慮してしまう。
そんなところまで出かけなくても、わたしの家の近くにだって桜の名木はあるのである。
たとえば三鷹市のSECOMという会社の玄関まえに植えられている桜。
これはなかなか形がいい。
形がいいからこそ、わざわざ費用と労力をかけてよそから移植したんだろうけど。
ほかにも、これはいい木だというものが、わが家の近所にいくつもある。

だいたい桜の名木というのはどういう木のことをいうのか。
世間さまの基準では、まず樹齢の古さ、幹の張り具合、花の数など、いろいろ条件があるらしいけど、樹齢◯百年なんていわれると、わが家の近所に合致する名木があるかどうか疑わしい。
わたしの推す条件はもうすこしゆるやかで、縦より横にひろがっている、均整のとれたマッシュルーム型がエエというところ。
添付した写真は3枚ともわが家から徒歩5、6分のところにある桜である。

1枚目は樹齢からしてもそうとうのもののようだけど、惜しむらくは車の往来のはげしい道路ぎわにあって、電線も目ざわりだし、そういう点で尊敬されているようにみえないのが気のドクだ。
2枚目のほうはもうすこし目立たないところにあって、そのひっそりぶりに好感が持てるけど、樹齢からすればまだ青二才といったところである。
3枚めは、マッシュルーム型という条件からはずれるけど、近所の公共施設の中にある桜で、地面すれすれまでに枝をたらした桜の並木が圧巻といえるくらいすばらしい。

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2010年4月 2日 (金)

4月2日

夕刊を読んでいたら、グーグルだとかNASAみたいな企業や公共機関まで、ネットでどうどうと嘘をついてエイプリルフールを楽しんでいたそうだ。
わたしは現役の勤労者なので、そんなアホらしいことを考えている時間はないとうそぶいていたけど、これを読んでいささか動揺。
ユーモリストを自認するわたしが4月バカを否定してしまうなんて。
うーむと思う。
来年はぜったいにわたしも大嘘をつくぞという決心をする。
たとえばこの「大沢村便り」のブロガーが、ついに認知症になりましたなんてのは・・・・・・
これはいまでもときどき自覚しているもんな。ヤバイよな。

以下は嘘じゃありません。
中国の知り合いからまたメールがきた。
じつは、相手は中国語しかわからないので、メールは中国語でくる。
わたしのほうはそれを日本語に直し、返事を今度は中国語に直すという作業をしなくちゃならないので、中国語ペラペラってわけじゃないわたしにはひじょうにめんどくさい。
それで最近は徐々に疎遠になっていたんだけど、このたびヤフーの翻訳サービスを使うことを思いついた。
英語の翻訳などをこのサービスにやらせると、なんだかわけのわからない翻訳になる場合が多いので、あまり信用してなかったんだけど、中国語の場合は翻訳しやすいのか、けっこう役にたつ。
けっして哲学を論じようとか、思想論争をしようというつもりはないので、簡単な日常の報告ぐらいなら、これからおおいに翻訳サービスを活用しようと思う。

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2010年4月 1日 (木)

アニメ

エイプリルフールだそうだから、わたしもなにかバカバカしい嘘をついてみようかと思ったけど、そんなことに使う頭は持ってないことに気がついた。
わたしは世間の慣習なんてものと無縁で生きているのだ。

NHKのBSでここんところアニメばかりやっている。
宮崎駿は好きじゃないけど (そういえばどっかに 「もののけ姫」 が録画してあるはずだけどどこにいっただろう)、先日放映されたのは米国製の、ひとつは人形劇、もうひとつは3Dアニメである。
人形劇はティム・バートンの 「コープスブライド」 で、3Dアニメは 「ロボッツ」 という作品。
ティム・バートンについては 「ナイト・メア・ビフォア・クリスマス」 に感心したし、3Dアニメはディズニーやドリームワークスなど、すでに数えきれないくらい作品が発表されている。
わたしはこういうものに興味があるのだ。 オタクといわれようともだ。
このふたつを並べてみると、ティム・バートンのほうはあいかわらず異様な雰囲気だけど、そうした点をのぞけば人形劇と3Dアニメの区別がつきにくい。
ただ、3Dアニメはスピード感が目まぐるしい水準にまで達しているのに、人形劇のほうはまだいくらかたどたどしいところがあって、その朴訥さがセンシティブな (感じやすいという意味だよ) わたしにはかえって好ましく映る。 お化けの花嫁もどこかイロっぽいし。
宮崎駿もちったあ見習え。

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