厳罰主義
中国で日本人が死刑になった。
犯罪者にも家族がいるだろうから、あまりかるはずみなことはいえないけど、中国の厳罰主義について考えてみる。
歴史認識でも法律の解釈でも、日本にあてはめて考える人が多い。
そういう人はやり方が日本とちがうというだけでケシカランと言いだす。
日本の政策・法律は、いちおう、まがりなりにも、まあまあ国際標準に近いみたいだから、それはマチガイといえなくもないけど、中国の場合も同じ視線で考えていいものだろうか。
日本は、すくなくとも徳川時代以降は法治の国だったけど、中国では人治の歴史がケタちがいに長かった。
つまりトップやそのとりまきの都合でどうにでもなる政治ということである。
こういう国では、民衆はそれこそ生きるために法律のうらをかくことが必要になる。
法律を守ってまじめにお金を稼いだりすると、かえって役人に目をつけられて、財産没収なんてことが数えきれないくらいあったのである。
「上に政策あれば下に対策あり」というわけで、中国人の法律軽視もまた歴史的なものだった。
わたしがはじめて中国に行ったころ、感心したのは、歩行者も自動車もまず信号を守らないということだった。
極端にいえば中国では全員が法律を守りたがらない国民ばかりで、こういう相手に法の順守を教えこむのが大変であろうことは容易に想像できる。
悪いことをしたら死刑だとおどかさないかぎり、こういう民衆のこころがけはなかなか改まりそうにないのである。
厳罰主義はこうしたところから発しているように思う。
もちろんそれ以外にも、阿片戦争時代の屈辱的な過去や薬害意識、「一将功なって万骨枯る」とたとえにあるような人命軽視の伝統もあるだろうけど、はっきりいえるのは日本の常識や法律にあてはめても仕方ないということだ。
今回死刑になった日本人は、つい日本にあてはめて、日本ならこの程度では死刑になるはずはないとたかをくくっていたのではないか。
麻薬の密輸なんて誰が考えたって犯罪なのだから、そりゃやるほうがワルイとしかいいようがない。
小市民的にまじめに地道に生きている当方としては、犯罪者が大手をふってシャバにまいもどる日本の法律の手ぬるさにイライラすることもあるくらいなので、中国の厳罰主義に喝采をさけびたくなってしまうこともある。
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