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2010年5月

2010年5月31日 (月)

ジャニス・ジョプリン

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ベッド・ミドラーとジャニス・ジョプリンが似てるかどうかは別にして、ミドラーが演じた映画 「ローズ」 の主人公はジャニスがモデルだそうだ。
数日まえに録画した 「ローズ」 を観ながら考える。

わたしにとってジャニスは、ジミ・ヘンドリックスやジム・モリソンと並ぶ、70年代に消滅した彗星のひとつ。
わたしはロバート・クラムがデザインしたポップなジャケットの 「チープ・スリル」 で、はじめて彼女の歌を聴いたんだけど、まず好きになったのが 「サマータイム」。
この曲は黒人オペラ 「ポーギーとベス」 の挿入歌で、この手のロック・バンドが取り上げるにはめずらしい曲だけど、ジャニスのファンはまずこの抒情的な曲にノックアウトされるみたいである。
有名なスタンダード・ナンバーにもなっている曲だから、ジャズやポピュラー界のいろんな歌手が歌っているけど、ジャニスの歌声はアル中患者のようなしわがれ声なので、そのへんがビックリ。
それでもやっぱり、もと歌が美しい歌というものは誰が歌っても美しいものだ。
わたしはこれまでいろんな歌手の 「サマータイム」 を聴いたけど、ハズレはほとんどなかった。

しかし 「チープ・スリル」 の中でほんとうの聴きものは、アルバムの最後に入っているビッグ・ママ・ソーントンの 「ボール・アンド・チェーン」 じゃあるまいか。
タイトルの意味は、鉄の玉と鎖、つまりよくアメリカ映画で囚人の足にくくりつけてある逃走防止の重りである。
この歌では黒人奴隷をしばりつけていた抑圧の象徴といっていいだろう。
ここには押し殺したような悲しみの感情があって、わたしはこの歌のジャニスがとても好きである。
わたしは彼女の伝記映像を観たことがあるけど、歌手として知られたあとも孤独や疎外に苦しんだ人のようだから、この悲しみは彼女自身の悲しみでもあるようだ。

とはいうものの、わたしはジャニスのそんなにいいファンではない。
彼女のアルバムはほかにも持っていたけど、熱心に聴いたのは 「チープ・スリル」 だけだった。
他のアルバム、「コズミック・ブルース」 や 「パール」 を徹底して聴くと、あまりにも強烈すぎる個性が鼻についてくることもある。
彼女が長生きしたとしても方向転換はむずかしかったんじゃなかろうか。
ベッド・ミドラーのほうは、ロックでもバラードでも、ソウルでもポピュラーでもなんでもござれで、しまいには役者としても成功したけど、これはジャニスには無理だろう。
ひょっとすると彼女はいちばんいい時期に死んだのかもしれない。

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バラ

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知り合いが向ケ丘遊園のバラを観に行きたいという。
向ケ丘遊園なんて、とっくに廃園になったんじゃなかったっけと思ったけど、バラ園だけはまだ残っているんだそうだ。
あまりさえない天気だったけど、散歩のつもりなら涼しくていい日。
例によってデジカメのパノラマ機能で遊んでしまう。
そしてバラとくれば、やっぱり深紅。

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2010年5月30日 (日)

iPad

テレビを観ていたら、発売されたばかりの iPad について称賛がしきり。
コンピューターの新しい可能性が広がっただなんて!
これが発売されたとき、行列にならんだ人が1200人だそうだ。
わたしは確信するけど、この中に、まじめな文学を電子書籍で読みたいという人はひとりもいないだろう。
このブログでもふれたけど、本を読むだけならまず iPad は値段が高すぎる。
機械が高いだけじゃなく、なにをするにも通信をして、データやアプリをダウンしなければならない。 通信はもちろんタダではないのである。
読書家というものは、そんなしちめんどくさいことをしたがらない人種なのだ (わたしが典型である)。
ふらりと本屋に入って、目についた本をちょいと購入する。気のむいたときに気のむいたページを繰り、読み終わったらゴミ箱に放り込む。
読書家の楽しみはこういういいかげんさにある (わたしが典型である)。

ほかにもいろいろな使い道があるらしいけど、パソコンでできないことはひとつもなさそうだ。
本格的にパソコンを使う人間にとっては、外付けHDだとかビデオキャプチャー・ボードだとか、いろいろ必要なものがあるんだけど、そのへんはどうなっているのか。
アップルとジョブスさんの精神は好きだけど、わたしは iPad を無条件で称賛する軽薄な人間のひとりにはなりたくない。

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モルモットのその後

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昨日はさえない曇り空だったけど、気になったので前日にモルモットを見かけた場所まで行ってみた。
そのあたりでまず出会ったのが、野良なのか飼い主がいるのかわからないけど、灰色のトラネコ。
こんなのがうろうろしているようじゃ見込みなしだなと観念する。

案の定、モルモットは影もかたちもなかった。
うまくどこかに隠れた可能性もないじゃないけど、人間の庇護の手のおよばない場所に放置された小さな齧歯類が、ネコの目を逃れられたとは思えない。
そのへんにモルモットの毛でも散乱してないかと見まわしてみたが、ない! 
しかしネコは獲物をその場で食べるとはかぎらない。

写真はここ数日のあいだに見かけた花たち。
上から金属光沢をもったウマノアシガタ (キンポウゲ)。
中が時期的にはもう咲き遅れのサクラソウ。
下は子供のころにシャボンの木なんていってよく遊んだエゴノキの花。
自然は美しいこともあるけど、その本質は残酷なものなんであると、しみじみ。
こうなることが予想できたにもかかわらず、モルモットを保護しなかったわたしもそうとうの情け知らずだな。

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2010年5月28日 (金)

起死回生

鳩山クン、辞めないでー。
といっているのはわたしじゃなく、たぶん野党のみなさんの一致した発言でしょ。
なんとなれば、鳩山クンが総理でいるかぎり、つぎの選挙で民主党のボロ負けは確実だけど、直前に総理交代劇でもあると、国民はそれじゃあもうすこし様子を見てみるかってわけで、いくらか支持がもちなおす可能性がある。
逆にいえば民主党にとって起死回生の最善の方法は、選挙直前の鳩山おろしってことになる。
野党にとってこのあたりのかけひきは微妙なものがあるけど、ただ負けが確実の選挙直前じゃ、管クンも総理を引き受けたがらないだろうし、ここはひとつ、いてもいなくても同じの平野クンあたりに、当座の身代わり総理になってもらうか。
憔悴顔の平野クンが起死回生になるかどうか定かじゃないけどねえ。

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モルモット

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わが家の近所にはカワセミだのハクビシンだの、ヘビだ、カエルだ、スッポンだ、サワガニ、メダカ、ホタルなど、じつにさまざまな動物が生息しているけど、今日はなんとモルモットを見た。
こんなのが繁殖しているはずはないから、どこかの誰かがもてあまして捨てたらしい。
やれやれとくらい気持ちになってしまう。
自然界はきびしいのだ。
人間に飼われていた、のろまで無防備な動物が生きていけるほど甘くはないぞ。
野性にかえって穴でも掘る術をおぼえでもしないかぎり、すぐにネコにでも食べられてしまうだろう。
もぐもぐと能天気に草をはむ彼を見ていて、その未来を案ずることしきり。

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2010年5月27日 (木)

大見得

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おお、瑞穂チャンが大見得を切った。
社民党の前身の社会党にいたナントカさんの向こうを張る、ダメといったらダメの再来だ。
どうも最近の政治家の中には、自分の発言で自分の首を絞めちゃうのがいて、ダイジョウブかいとよそごとながら心配になっちゃうけど、そんなにダメならなんで連立にしがみついてんのか。
いうことを聞いてくんないと連立を離脱するわよ、離脱するのよ、いいの? ホントにするのよ、とおどかしているつもりだろうけど、鳩山クンだって自分の首を絞めたあげくになんとか自民党案まで引き返したところだから後にひけない。
首相の周辺では閣議決定を閣議了解にして、あるいは総理発言にとどめてと、なんとか落しどころを探ろうと頭をひねっているようだけど、そこまでして連立を維持したいかね。
ぜんぜん話の合わない夫婦が、おたがいの利益のために無理して手をにぎっているだけじゃないか。
瑞穂チャンもさっさと自立し、社民党は赤い旗をふるどこかの政党みたいに、超現実政党としてかぎられた支持者を相手にしているべきだ。

写真は、ぜんぜん関係ないけど、うちの庭の雨後のタケノコ。

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2010年5月26日 (水)

日々これうっ屈

実現できるかどうかは別にして、とにかく理想を口にする。
理想だから実現できるとはかぎらない。
できなかったら謝る。
誠意をこめて謝ればわかってくれるだろうと考える。
ふつうはそれじゃすまないんだけど、子供のころから乳母日傘で育っているから、世間を見る目が単純である。
鳩山クンを見ていると、この人はけっしてわるい人じゃない、善意のかたまりみたいな人なんだろうと思ってしまう。
政治家よりも教会の牧師さんになればよかったのに。

人間が14万人も殺されれば、これは立派なジェノサイドである。
相手がウシやブタだとそういわない。
どうせ人間のお腹に入っちゃうんじゃないか、で片づけられてしまう。
ジョージ・オーウェルが生きていたら、口蹄疫による惨状をみて、またべつの小説を書いたんじゃなかろうか。

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2010年5月25日 (火)

クリスティナ・ドッドウェル

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クリスティナ・ドッドウェルという女性がいる。
たったひとりで世界各地、それもアフリカだとかパプアニューギニア、中国の新疆ウイグル自治区、トルコの東部など、辺境といっていいところばかりを歩いて、いくつかの紀行記を書いている人である。
彼女はまたカヌーの愛好家で、旅に出るのにわざわざ折り畳み式のカヌーを持参して、危険も規制もなんのその、行く先々で川や湖にこぎだしている。
ウマやロバにも乗るし、家にいるときはウマに蹄鉄を打ったこともあるというから、閨秀というより、なんか西部劇のカウボーイを想像させるような人である。

そんな彼女に興味を持ったのは、彼女の「女ひとり中国辺境の旅」という紀行記を読んだからだ。
この本の中で彼女は新疆のウルムチ、カシュガル、トルファン、敦煌、西安など、わたしも行ったことのある中国の奥地をひとりで旅している。
欧米の探究心に富んだ女性らしく、バックパックを背負い、安宿を求め、二等列車に乗り、ヒッチハイクで移動もためらわないといった、わたしなんぞとはケタ違いのハードな旅だ。
わたしもひとり旅ですこしは冒険をしたつもりでいるけど、彼女の紀行記を読むと、男性でもこうはいくまいと思われるような危険な場所へでも平気で入りこんでいることにおどろく。

すげえなあと感心して経歴を調べているうち、わたしは彼女を見たことがあるのに気がついた。
もう20年以上まえのことになるけど、NHKが英国BBC制作のテレビ番組を放映したことがある。
これは5人の小説家、詩人らが世界各地を旅するシリーズで、作家の独白とともに旅が進行するなかなかしぶい紀行番組だった。
その中の1編が、ニューギニアの山中を流れる激流を、女性作家が他のメンバーとともにゴムボートで下るというスリルいっぱいのもので、このとき出演していたのがクリスティナ・ドッドウェルだったらしい。
彼女がカヌーに凝りだしたのはこのとき以来だという。

というわけで、いま彼女の中国の旅をなぞっているところだ。
それを整理したら、またこのブログに彼女のことを書こうと思っている。

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2010年5月24日 (月)

親子の関係

この土日は田舎に帰省して、介護施設に入っている母親の見舞い。
ついでに兄貴と姪っ子たちをまじえて世間話。
このごろはまともじゃない家族が増えているけど、兄貴の家も夫婦が離婚して、父親といちばん下の姪っ子の2人家族。
ただしもうひとりの姪っ子もその旦那といっしょにしょっちゅう押し掛けてくるそうで、そういうときにわたしが帰省するとけっこうにぎやかになる。

いちばん下の姪っ子は国立医大の大学院生で、わが一族の中の突然変異種。
兄貴はこの姪っ子が卒業したら手もとに置いて、老後の自分の世話をしてもらおうっていう魂胆らしいけど、わたしは自分の子供じゃないから無責任。
そんなことじゃいけんよ。
子供をこんな田舎に置いておこうなんてみみっちい考えだ。
彼女はむしろじゃんじゃん遠くへ出ていくべきだ。
現在の世界は、古風な兄貴には想像もできないくらいせまくなっているのだから、なんだったらアメリカでもヨーロッパにでも雄飛して、人類の未来に貢献するような偉大な学者になってほしいと、ついつい熱弁をふるってしまう。。
ここまでいうと大ボラって思われそうだけど、なにしろ彼女もやる気いっぱいで、まんざらでもなさそう。
残念ながらわが身内にも、子供のころは元気はつらつ、才気まんまんで、おおいに将来を嘱望されながら、手もとにとどめておこうという親の身勝手な考えのせいで、田舎のこじんまりした奥さんに収まっちゃっている実例があるのだ。

年老いた親が心配なので、できるだけその近くに住むという考えがわたしは好きじゃない。
自分の重要な仕事のために親の死に目に会えないとしたら、それこそ本望だと、親も子供も考えるべきじゃないだろうか。
親不幸については、あの世に行ってからたっぷり謝まっときゃいいさ。

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2010年5月22日 (土)

新潮社

「週刊新潮」 に相撲取りの野球賭博についての記事。
本人も相撲協会も否定しているからヤブの中かもしれないけど、新潮のネタにはときどきおどろくほど正確なものがあるから、これをデッチ上げと言い切ることもできない。

かって、同じ新潮社が発行していた 「フォーカス」 という週刊誌があった。
おぼえている人もいるだろうけど、埼玉県の桶川で、女子大生がもとの交際相手が雇った男に刺殺されるという事件があり、この事件を当初から取り上げたのがフォーカスだった。
もっともフォーカスが取り上げたのは事件そのものではなく、被害者の訴えをまともに聞こうとしなかった警察の怠慢やねつ造のほうに主眼があったのだけど、これについては警察も猛省したようだから、さておいて。

事件の発覚後、殺害を依頼したもとの交際相手は逃亡して行方不明になってしまった。
そのころフォーカスは
「やつはロシアに逃走しようとして北海道のヤクザ組織に渡りをつけたが、持っていた大金に目をつけられ、とっくにどこかで消されてるよ」 というそのすじの人間の発言を載せていた。
どこでそんな情報を得たのかしらないけど、やがて交際相手は湖で死体となって発見された。
警察は自殺ということで処理したけど、当時の警察のおかれた状況からすれば、これ以上この事件に関わりたくないものだから、自殺ということでさっさと幕引きを計ったと思われても仕方がない。

この事件では警察もだいぶ痛い目に遭ったようだから、これ以上警察についてはごちゃごちゃいう気はないけど、わたしは新潮社の (その記者連の) 事件をかぎつける嗅覚につねづね感心しているのである。

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2010年5月21日 (金)

電子ブック

作家の京極夏彦サンが iPadで読める本を出すそうだ。
紙の本も同時に発売されるけど、電子版のほうが安いらしい。
安いのはけっこうなことだけど、そもそも iPadがなければ読めないのだから、まずそれを買わなければならない。

だいたい iPadっていくらするんだ。
調べてみたら文庫本が100冊買えてしまう値段だった。
そんなもの買ったとしても、それで読める本の品ぞろえが、わたしでも満足できるほど充実するのはいつのことか。
品ぞろえもないのに iPadを購入したとする。
こういう電子機器の進歩は目まぐるしいものがあるから、そのうちさらに新しい機種やバージョンが出るだろう。
こんなものに関わっていたら、本末転倒で、またまたソフトよりも機械を追っかけまわすはめになるんじゃなかろうか。

紙の本はパルプで作る。
電子ブックはさまざまな原料、部品のかたまりである。
どっちが環境にやさしいかという議論もあるらしい。
電子ブックを 1台買えば、それだけパルプの需要が減るから、天然資源の節約になる。
という意見にはどうもすなおに賛成できない。
じっさいはどうか知らないけど、紙の本と電子ブックを比較して、電子ブックのほうが環境にやさしいなんて。

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ミリオンダラー・ベイビー

録画してあった 「ミリオンダラー・ベイビー」 という映画を観る。
公開当時に映画館で観たし、過去にテレビで放映されたものも観たので、とっくにストーリーのわかっている映画である。
それでもまた観たいと思うほど、最近の米映画としてはわるくない映画なのである。
最近のアカデミー賞はおよそ感心しない映画に与えられることがあるけど、「ミリオンダラー・ベイビー」 については、その受賞にわたしも異論はない。

映画について書くとき、あらかじめネタばれ注意と書くのが礼儀らしいけど、この映画についてはすでに公開されてからだいぶ日にちが経っているし、いまさらネタがバレたから観ないという人がいるとも思えないので、ざっくばらんにストーリーに触れることにする。

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初めて観たときは、女性ボクサーを描いていること、アカデミー賞を受賞していること以外なんの予備知識もなかった。
映画の中ほどまでは、ひとりの女性がボクサーとしてめきめき頭角をあらわす話で、これはこちらの予想通り。
ところが後半になると、一転しておっそろしくクラい話になる。
最近のノーテンキな米国映画の中では出色といえるくらいクラい映画になるのだ。

ヒラリー・スワンク扮するボクサーは、チャンピオン戦で対戦相手 (見るからにコワそう) の反則によって、首から下がマヒした障害者になってしまうのである。
映画の後半は、彼女を見守り、ついに薬物を注射して彼女の苦しみを終わらせるトレーナーの悩みが描かれる。
健康な人たちや世話すべき老人のいない人々には無縁の問題だけど、最近増加傾向の認知症も含めれば、世間には寝たきり、車椅子の患者をかかえた家族も多いはずだ。
たとえそうでなくても、わたしもそろそろ自分自身の未来について考えなければいけない世代である。
「ミリオンダラー・ベイビー」 は楽しい映画ではないけど、いろいろなことを考えさせる映画なのだ。

添付した画像はヒラリー・スワンク。
最近のアメリカ映画にはこんなふうな、わたしなんかが束になっても抑えつけられそうもないアスリート型が多くてねえ。
わたしはもっと可憐なタイプが好きなんだけど。

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2010年5月20日 (木)

荒川修作サン

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新聞に荒川修作って人の訃報。
わたしの親戚でも知り合いでもないけど、どこかで聞いたような名前。
ハテ、誰だっけ?

よく読んでみたら、ウチの近所にある 「天命反転住宅」 というけったいな住宅の設計者だそうだ。
わたしはこの住宅を建設開始のころから知っていて、その奇想天外な様式に度肝を抜かれた人間のひとりである。
写真をみればわかるけど、カラフルな立方体や球体のブロックを積み重ねてあって、球体の部屋は室内まで外見どおりである。壁や天井は丸く湾曲している。
これでは地球上ではヤモリぐらいしか住めそうにない。
反面、宇宙空間や月世界ならこういう建物があってもおかしくない。
修作サンは未来をみすえた建物を作ったのだろうか。
まあ、うちの近所には航空宇宙技術研究所や天文台があるから、無理してこじつければそう考えられなくもないけど。

あるいは、これも芸術というのだろうか。
芸術作品として公園や美術館にでも置くならわかるけど、天命住宅はうちの近所ではちゃんと分譲住宅として売り出されたようだ。
もちろんぜんぜん売れてない。
そんな建物をほんとに作ってしまう建設会社もエライ。

芸術家ならたいてい無条件で尊敬してしまうわたしだけど、もちろん作品の好きキライはある。
ただでさえ神経をさかなでするような絵画や映画が氾濫している昨今、カラフルで住めない住宅なんて、どうもわたしには好きになれそうもない。
芸術にはおよそ実用向きではないものもあるけど、ヨーロッパあたりには実用的で、しかも美しい建物や家具がたくさんある。
荒川修作サンの最後の仕事は 「死なないための葬送」 というもの。
意味がわからないけど、その仕事の最中に死んじまっては、やはり何がなんだかわからない。

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2010年5月19日 (水)

TOKKO

映画としてはぜんぜんおもしろくないけど、昨夜、おとといと、なんか問題ありそうな映画が立て続けにテレビで放映された。
おとといのはブログの前々項に書いた「フォッグ・オブ・ウォー」で、昨夜は「TOKKO」という映画。

TOKKOは特攻のことである。
大戦中に沖縄で空から米軍におそいかかった神風特攻隊のことである。
この映画は特攻隊員を祖父にもつアメリカ人女性がつくったドキュメンタリー映画だ。
いろいろな意味で問題作だし、わたしはこういう映画にも興味がないわけじゃないけど、生存者へのインタビューと戦争の記録映像を組み合わせるだけなら、NHKもよくやっているのでそれほど新味があるわけじゃない。
だから戦争はイケマセンと当たり前の感想を述べる気にもなれない。

この映画を観ていてイスラムの自爆テロを思い出した。
識者の中には、日本の特攻隊と自爆テロを同列に並べるのをいやがる人も多いけど、死にゆく者にとっては、たぶん同じだと思う。

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都心のハクビシン

昨日の夜、青山あたりを車でうろうろしていたら、骨董通りのビルのあいだで、ネコぐらいの大きさで、しっぽの長い動物がちょろちょろしているのを見た。
こいつはもしかするとアレかと、うろうろしているほうがちょろちょろしているほうをながめていたら、こっちを向いた顔の正面にタテに白い線が入っていた。
やっぱり。

このブログでもふれたことのあるハクビシンじゃないか。
タヌキは世田谷で見たことがあるけど、今回はさらに都心に近い。
骨董通りということは、青山墓地にでも住みついているんだろう。
先日、皇居で捕まったアライグマは、もともとの環境に影響を与えるってことで安楽死させられたそうだけど、ハクビシンは無害な動物なのか、そんな手荒な処置はされてないようだ。
でも都心のビルの谷間をちょろちょろしているところは、大きなドブネズミみたいであまり尊敬に値しないぞ。

そういうことはべつにして、東京はますます野性の天国になりつつあるようで、楽しいことである。

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2010年5月18日 (火)

フォッグ・オブ・ウォー

昨夜放映されたテレビ番組の中では 「フォッグ・オブ・ウォー」 が見逃せない。
これは副題が 「マクナマラもと米国防長官の告白」 ということからわかるように、太平洋戦争からベトナム戦争まで、作戦立案者として、あるいは国防長官として、米国の戦争遂行に大きな力をふるった男のドキュメンタリーである。
悲惨な被害をもたらした東京大空襲も彼の立てた作戦といわれる。
こりゃ見逃せないというわけで、録画しておいたけど、あいにく今日はじっくり観ている時間がない。

昼ごろ保険屋さんがやってきた。
新しい保険を持ってきましたそうだけど、ダマされないぞ、ウームと思案中、検討中。
そういうわけで、映画なんか観ているヒマはないのである。
「フォッグ・オブ・・・・」 は、アカデミー賞のドキュメンタリー長編賞を受賞した傑作だというけど、軽々に書くわけにはいかない問題作のようなので、時を改めて書くことにしよう。

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2010年5月17日 (月)

新聞の未来

今朝は月にいちどの古新聞の回収日。
朝のうちに1カ月分の新聞をしばって玄関先に出しておくと、業者が持っていってくれるのである。
わたしは朝刊・夕刊ともに講読しているし、毎日たくさん入ってくる広告もいっしょに束ねて出してしまうから、1カ月分というとかなりの分量になる。
ところが今朝の新聞の量はいつもに比べるとずいぶん少なかった。
新聞そのものはページが減ったわけでもないから、これは広告がいつもの月より少なかったということらしい。
なんでもインターネットに押されて、新聞はどこも青息吐息だそうだ。米国の大手新聞もそうだというから、新聞というものは斜陽産業のようである。
わたしは株式欄以外はすみからすみまで目を通すほうだから、新聞にはがんばってもらわないと困るんだけどね。

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2010年5月15日 (土)

YouTubeへ

今日はわたしがまわりもちの会長を務めるパソコン同好会の勉強会。
本日のテーマは、自分たちで作った映像を YouTube に載せること。
興味のあるお方は、以下のページからドーゾ。
http://www.youtube.com/watch?v=dEi71IgCryw

まだ実験段階なので、あまり期待しないで、問題点には目をつぶってご覧ください。

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2010年5月13日 (木)

詩人の日記

このブログでも彼の 「夏の終り」 という作品を紹介したことがあるけど、今日の夕刊に伊東静雄のことが出ていた。
なんでも彼の青春日記が刊行されたんだとか。
昭和28年に亡くなった詩人の、その若いころの日記ということは、もちろん戦前の青春である。

写真も載っていて、いかにも戦前の学生らしいバンカラ・スタイルの静雄と、若い女の子がならんでいる。
この女の子は静雄の伝記にひんぱんに登場する酒井百合子って人らしいけど、彼が結婚した相手は彼女ではなかった。
静雄はひじょうに惚れっぽい人だったそうである。
おお、そういう点はわたしに似ているなと、変なところで感心。
それ以外はおそれ多いので類似点を挙げないけど、わたしが愛誦する彼の詩の一部を紹介しておこう。
  如何にしばしば少年等は
  各自の小さい滑板にのり
  彼の島を目指して滑り行っただろう
  ああ わが祖父の物語!
  泥海ふかく溺れた児らは
  透明に 透明に
  無数なしやつぱに化身をしたと
この詩は有明海の点景をうたった詩の後半部分で、しゃっぱというのは干潟にすむシャコのことらしい。

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竹ペン

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先日、用事があって銀座に出たとき、そういえば伊藤屋という画材店に、熊本のKさん制作の竹ペンが置いてあるはずだなと思い出し、ちょいと店をのぞいてみた。
7、8階まである大きな店なので、なかなか見つからない。
売れないから撤去されてしまったんではないかと勝手に考えたけど、6階の和紙・和小物売場でようやく発見した。

この竹ペンはNHKの絵手紙コーナーでも紹介されたすぐれモノである。
たまには新しい画材で絵を描いてみたいという人は、買ってあげてね。
ひとつひとつ手作りだから、あまり注文が殺到しても困るそうだけど。
詳しいことは彼のホームページかブログをどうぞ。
http://warazouri.cocolog-nifty.com/blog/

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2010年5月12日 (水)

グーグル

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病院というところへ行ってみた。
べつに行きたくて行ったわけじゃないけど、人間ならたいてい、生涯に2度か3度は行かねばならない理由ができるものだ。
最近の病院は待たされることが多いというから、あらかじめ 「文藝春秋」 を買っていった。
週刊のほうの文春はたまに買うけど、月刊のほうはめったに買ったことがない。
これは、なにしろぶ厚いから読みごたえがある。
病院で半日待たされても退屈しないくらいだ。

内容は週刊とあまり変わらないけど、本が厚いだけ記事も長い。
値段は倍もちがうけど、読みごたえはゆうに3、4倍はあるから、こっちのほうがお買い得である。
もちろん、おなじ政治批判でもこっちのほうが詳細だ。
目次には、ご多分にもれず鳩山政権をボロくそにいう記事、ANAの社長からみたJAL再建のケシカラン、解任された富士通社長のなんじゃこれは、堺屋太一の大阪万博と上海万博の比較、王貞治が初めて語る国籍や先輩の長嶋茂雄についてなど、刺激的あるいはおもしろそうなタイトルがずらりと並ぶ。

そんな中に 「グーグル秘録 『メディアの破壊者』」 という記事があった。
パソコンやインターネットに関心のない人には理解しにくいが、これはネット上でアメリカン・ドリームを実現した 「グーグル」 と、その台頭によって凋落一途の保守的な広告業界、メディアなどについての記事である。

米国のIT企業というと、ネクタイもしめたことがないような若輩によって創立された会社が多いけど、グーグルもそのひとつで、若い研究者が自分たちのアイディアを、まわりに遠慮も会釈もなしに実現化しちゃったような会社である。
こういう企業は、金儲けよりも自分たちの理念を優先させているようなところがあって、ひとり勝ちの大儲けなんて結果も、たまたまその理念に付随してきたオマケみたいなところがある。
音楽や映画、最近では書籍の無料公開まで始めようというグーグルの姿勢をみていると、彼らのコワイもの知らずはいまでも続いているらしい。
年令からするとぽちぽち保守派の仲間入りするわたしなんぞからすれば、そこまでやって大丈夫かいといいたくなってしまうけど、たぶん彼らにとって失敗は、テレビゲームをリセットするようなものだろう。
ああ、やっちゃった、やり直しだってなモン。
こんなグーグルの未来はまだ見極めがつかないけど、病院の待合室で「文藝春秋」を読んでいて、わたしは自分の名前をよばれたのにぜんぜん気がつかなかった。

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2010年5月11日 (火)

リー・クアンユーさん

今朝の朝日新聞に、シンガポールの初代首相だったリー・クアンユーさんの談話が載っていた。
内容はアジア情勢の現在と未来、台頭する中国の影響や日本の安全保障などで、沖縄の普天間問題にもふれている。
将来のASEANは中国のけん引力によって、半島部と島嶼部に分かれるだろうなんていう興味深い推察もある。
東南アジアの小国として、シンガポールも中国の脅威を感じないわけにはいかないから、日本ももっと現実的になって米国と連携し、アジアの安定に貢献してほしいとの願望がにじむような記事である。

カタカナで表記されることが多いので気がつかない人もいるかもしれないけど、リー・クアンユーさんは李光耀と書いて、本来は中国の、それもきっすいの中国人とされる客家 (はっか) の出身である。
名前をカタカナで表記するのは、華僑やマレー人が混在するシンガポールの置かれた政治状況に配慮したもので、支配者は中国人ではないんですよということを、ことさら強調するためのものらしい。
クアンユーさんは自分の名前を英語表記されることを望み、それを日本語に翻訳するとカタカナ表記になるのである。

クアンユーさんの出自である客家というのは、ひじょうに頑固な民族らしく、もともと中国人でありながら中国とは距離をおき、シンガポールもよそに干渉されない独立国という姿勢をつらぬいている。
同じようなことは台湾のもと総裁である李登輝さんにもいえる。
彼も客家だったけど、本家の中国と仲がいいわけではなかった。

ややこしいけど、その本家の中国で改革開放を推進した鄧小平さんも客家だった。
同じ民族なら手をむすぶかというと、そうならないのがおもしろいところだ。
客家という民族について知ると、中国の多様性がまざまざと見えてくるのである。
中国の脅威論をいう人もいるけど、わたしは中国のこんな多様性からして、将来的にもこの国がひとつにまとまって他国の脅威になるかどうか、あまり心配していないのである。

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2010年5月10日 (月)

ロシアへの旅

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ロシアに行きたくていろいろ研究してみた。
わたしの部屋には96年版の 「地球の歩き方」 がある。
この本のころは、ロシアという国を旅行するためにはいろいろ不便なことが多くて、出かけようという気にはなかなかなれなかった。
しかしそれから14年も経っている。
改革派のプーチンが登場し、もっと改革派のメドヴェージェフが登場し、すこしは旅行者への規制も緩和されたのではないか。

で、最新の 「地球の歩き方」 を買ってきて調べてみた。
おどろくべし。
ロシアはぜんぜん変わっていない。すくなくても旅行者に対しては。
この国を旅行しようと思ったら、いまだにバウチャー方式といって、出発前に滞在都市を決め、ホテルを決め、交通機関のキップもぜんぶ手配して、すべてOKですという書類を用意しないと、ビザを出してもらえないそうだ。
そんなきゅうくつな思いをしてまで行きたくない。
いや、行きたいけど、これじゃ結果的にパックツアーしか方法がないじゃないか。

ロシアのために言うんだけどね。
中国を見よ。
改革開放で、すべての都市(ほんの一部をのぞく)を外国人に開放し、誰でも自由にどこへでも行ける。
そんな政策をとったおかげで、外貨はどさどさ、国はひとり勝ちみたいに繁栄しているではないか。
もちろん、おかげで共産党の未来も危ういようだけど、鎖国政策をとっていればその未来が明るいってもんでもないぞ。

中国は恥ずかしいとか不名誉だという考えを無視して、あえて遅れた社会をどうどうと公開した。
現在の地球上には、先進国の文化的生活にくたびれ、うんざりして、昔ながらの素朴な生活にあこがれる人々がたくさんいる。
発展の遅れたお国ぶりがそれだけで観光資源になる時代なのだ。
外国人の自由な旅行も認めない国が、いっぽうで外資の参入は大歓迎なんていったって、そりゃ通りませぬ。
ロシアのためにも、くりかえすけど、外国人に自由な国内旅行を解禁すべきである。

プーチンやメドヴェージェフは、解放政策を支持しているんじゃないかと思っているけれど、おそらくそれをさまたげているのは、ソ連時代につちかったおそるべき頑迷かつ強固な官僚制度じゃないだろうか。
既得権益を手放さない連中のおかげで、旅行者への迫害もそのまま続いているんじゃあるまいか。
つまり、これまでのややこしい手続きシステムをそのままにしておいたほうが、クビにならずにすむ役人がたくさんいるということだ。
そうとしか考えられない。
監視衛星が空を飛びかっている現在、いまどき外国人に見られて困るものがあるとは思えないし。

わたしゃ鉄道王国のロシアをすみずみまで見てまわりたい。素朴なロシア農民の生活にじかにふれたいだけなんだけどねえ。
※添付した画像はロシアの子供向け世界地図から。

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2010年5月 9日 (日)

文章というものは

たとえば伊藤博文という人がいる。
明治時代のえらい政治家で、朝鮮人に鉄砲で撃たれたこともある人だ。
こんな事件以外にもいろんなエピソードが本に書かれているし、古いニュース映像さえ残っているようである。
そんな人だけど、さて、現代のわたしたちが彼の人となりを知ろうと思ったら何がわかるだろう。

ほんとうの伊藤博文というのはどんな人だったのかということは、いまでは美辞麗句の底に沈んでしまってよくわからない。
えらい人だったなんていわれると反発を感じてしまう。
政治家としていろいろ功績があったとしても、ただエライという評価だけの人なんているのだろうか。欠点のない人がいるだろうか。
ずっとあとの政治家に田中角栄なんて人もいて、こちらはまだつい最近まで生きていた人だから、その人となりを知るのは困難じゃないけど、あと百年もすれば伊藤博文と同じような、なかば伝説の人になってしまうだろう。

宮沢賢治という人がいる。童話作家で詩人でもあった人である。
こちらは日本の政治に貢献があったわけでもないし、橋や道路を作ったわけでもない。
つまり形として残るようなものを何ひとつ残していない人である。
しかし彼の人となりを知ろうと思ったら、その作品を読めばよい。
彼がどんな考えを持っていたか、どんな悩みを持っていたか、ほんの些細なこころのひだまで、作品を読めばわかるのである。

まことに文章というものは偉大である。
わたしたちはずっとむかしの名もない兵士が残した万葉集の歌から、現代のわたしたちと同じようなな恋をした人、妻を慕う人、故郷をなつかしむ人などがいたんだなということも知ることができる。
それに比べたら、聖徳太子がどんな人だったかなんてことを、そのこころの動きまでちゃんと説明できる人がいるだろうか。

わたしはブログにしょうもないことを書きつづっているから、それを読めば百年後の人たちも、わたしという無名の人間のこころの動きを知ることができるだろう。
問題はこのブログが百年後まで残っているかどうかだけど。
うーん。

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2010年5月 8日 (土)

出ました

359 ぞろーり。

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2010年5月 7日 (金)

サイバーショット

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新しく買ったカメラ (サイバーショット) だけど、さっそくテストをしてみたら、いくつかの欠点が見えてきた。
最大の欠点が、売りモノの25ミリの広角レンズ。

広角レンズの特性のひとつに、近距離から遠距離まですべてにピントが合うパンフォーカスということがあるけど、日中の日差しの強い場所で試してみたら、近距離にピントが合わないし、遠距離もボケている始末。
なんじゃ、これはとメーカーに文句を言おうかと思ったが、だいたいそんな完璧な広角レンズが、たかが3万円か4万円のカメラについているほうがおかしいと反論されたら、グウの音も出ない。
こういうときわたしはきわめて常識的な人間である。
つまり、あきらめがいいのである。

広角レンズがろくなモンじゃないとなると、かなりあてがはずれてしまうんだけど、ほかの機能についてはなかなかおもしろいものがある。
まず3段階にスピードを変えられる連写機能。
これはなかなかおもしろい。
動きのある被写体をねらうには便利だ。

カメラを購入直後に試してみたパノラマ撮影もおもしろい。
絞りとシャッタースピードが手動で変えられるのもおもしろい。
ただし調整の幅がせまいので、NDフィルターでも活用しないといけないだろう。
動画機能も、ブログや YouTube で使うだけなら、なかなかきれいに撮れる。
まちがえてもテレビで見るときはハイビジョン画質なんて期待しないことだ。
スマイル検出なんて、わたしはまだいちども使ってない。
ニコニコした顔の写真にはあまり興味がないもんで。

まだ完璧にテストしてみたわけじゃないけど、どうもこのカメラは本格的な写真撮影よりも、お遊び用カメラと割り切ったほうがよさそうだ。
これまで使っていた LUMIXも壊れたわけじゃないので、サイバーショットの欠点はそちらでおぎなうことにしよう。

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2010年5月 6日 (木)

願わくば

昨日はわたしが所属する団体の役員選挙。
そんなものをやりたがる人間はあまりいないようで、無理やりそろえた雁首を信任するだけのつまらない選挙だった。
わたしはとくべつに変人だから過去の慣習なんかクソくらえだけど、世間の常識人にとって景気や情勢がどんなに変わろうと、いままでやっていたことはやり続けるべきだいうのが確信らしい。
そのへんがちと気にくわないが、なんでもいいや。どうせわたしも立候補なんかゴメンだし。
というわけで傍観していたけど、どこかこの国の国政に似てるよな。

民主党政権ができるまえから、わたしはこの政権を素人集団だと思っていた。
しかしそういう見方は首相ひとりにしぼるべきだったかもしれない。
普天間の県外移設問題では、ムリだろうと考えて他の閣僚がじりじりと修正案を出しているのに、首相が鶴のひと声でそうした努力をチャラにしてしまう。
博愛だか友愛だか、はたまた自然保護だか知らないけど、さすがに菅クンも岡田クンも(平野クンまで)あきれかえって声もない。
ほかの閣僚は声をひそめて事態を見守っている状態だ。

小沢クンの壮大な遠謀は、なんでもいいからオイシイことをならべたてて選挙に勝ち、政権をとったあとは利権をちらつかせて自民党の支持者をひっぱがし、権力基盤を盤石のものにするということ。
だが、ああ、しかし、節制のない首相のおかげでそのすべてが無に帰する日もちかいようだ。
いまや参院選挙で民主党が勝つ目は皆無。
でもまあ、鳩山クンの首をすげかえることで、政権が持続する可能性はあるわな。
国政に対する国民の失望はどこへ行く? 
行きようがない。
自民党はキライだし、乱立する小政党もどこか頼りないし。
ほかにめぼしい候補がいないから、仕方がない、また民主党にするかっていう人もいるかもしれない。
願わくば、自分に人気があるから当選したんだなんて考えないで、そういう事情を考慮し、ふかく自省のあらんことを。

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2010年5月 4日 (火)

新しいアフリカ

日曜日に放映された 「アフリカン・ドリーム」 という番組を観ていたら、ひじょうに魅力的なアフリカ女性が出てきた。
彼女はアフリカのボツワナに進出した、欧米系ダイヤモンド加工会社の社員なんだけど、工場を視察にきた欧米人社長を、はすっかいに見つめるまなざしの妖しいこと。
といってもべつに彼女はこの社長に気があるわけではなく、たんにアフリカ女性に天性の、くったくのないゆとりに満ちたまなざしだったようだけど、わたしがこんな目で見つめられたらいっぺんで舞い上がってしまいそう。

そんなことはどうでもエエ。
近代的な企業の中で、会社の制服の、さっぱりしたブルーのシャツを着ているアフリカの娘たちを見ていると、一種の感動をおぼえてしまう。
アフリカというと、裸の黒人がヤリを持ってライオンを・・・・・・ とまではいわないまでも、どうしてもしょっちゅうテロだ、内乱だと殺し合いばかりしている大陸じゃないかというという印象がある。
乱立する小さな国の指導者はたいていが独裁者で、富と権力を独占し、きれいな姉ちゃんとベッドの上でいちゃいちゃ・・・・・・ しているときに、べつの新しい指導者に政権をひっくり返される。
ひっくり返した指導者というのがまたどうしようもない奴で、富と権力ときれいな姉ちゃんが繰り返される。
そのたんびにかわいそうな国民は、柱時計の振子みたいにあっちへ右往、こっちへ左往して難民化する。
もうしわけないけど、わたしのアフリカ観はそんな感じだった。 日本に生まれてよかった、とつねづね思っていた。

しかし 「アフリカン・ドリーム」 中には、自分で事業を興したアフリカ人、起業の夢をもつ娘などが登場し、会社を経営するアフリカ人は、診療所も経営していて、そこでみんなが必要とする共同の井戸を掘ろうとするのである。
政治家も、一方的な被搾取の関係から、欧米企業に対してどうどうと国の権利を主張する人たちが出てきた。
私利私欲に走らない近代的な経営者や政治家の登場だ。
わたしの知らないあいだに、いつのまにかアフリカはグローバル化された民主国家になっていたみたいである。

かってしいたげられていた民族が、自立心を持ち始めたとすれば、それはケッコウなこと、いや、歴史的にみるとしいたげられた経験の少ない日本にとっちゃ災難かもしれない。
これまでは経済協力して、相手に貸しをつくって、まあ、頑張りなさいよと大きな顔をしていればよかったのに、これからは対等な関係である。
いや、アフリカは資源大国であるところが多いから、これからは日本のほうが卑屈な笑みをうかべて、相手にすりよるような事態になるかも。
日本や欧米が年寄りのおじいさんになったのに比べて、中国、インド、そしてアフリカなど、新興国家群の若々しいこと。
ボツワナのダイヤモンド加工会社の魅力的な娘を見て、つくづくそう思ってしまった。

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2010年5月 3日 (月)

ナマズも

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ナマズも出てきました。 魑魅魍魎たちがわさわさ。

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ヤモリの

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穴ん中からこっちを見つめているのはヤモリのヤーちゃん。
以前にも紹介したことがあるけど、この季節になるとまた紹介したくなってしまいます。
4月の不純な天候のため、出そびれていた近所の爬虫類のみなさんが、5月の好天気に誘われてぞろぞろ。
そのうちまたシマヘビのシーさんも紹介できることでしょう。

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2010年5月 2日 (日)

新しいカメラ

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カメラを買った。
わたしはカメラが好きだけど、一眼レフだけは買わないことにしている。
一眼レフを買うと、交換レンズやそのほかの周辺機器も欲しくなり、天井知らずのお金がかかることが目に見えているから。
フィルム・カメラの時代にさんざん凝りまくったわたしとしては、当時のニコンF3とレンズ群がガラクタとなって、いまでも部屋の中にホコリをかぶっているのを見るにしのびないのである。
というわけで、買ったのはコンパクトデジカメだ。
だいたい最近のわたしは、カメラをブログに添付する写真の撮影用、あるいはメモとして使うことがほとんどなので、そんなに素晴らしい性能は必要がないのである。

新しいカメラはソニーのサイバーショットにしてみた。
デジカメの世界では日々技術革新が進んでいるけど、中でもコンパクトデジカメはその競争がもっとも激しいところだろう。
中には、こんなものが必要かいといいたくなる技術もある。
たとえば人間の顔を自動的に認識する機能なんてもの、さらに進んでスマイル認識なんてもの。
アホらしい。
わたしは写真の名人なのだ、そんなものに頼らないという自負があるのである。

サイバーショットにはパノラマ機能というものがついている。
めずらしくない。そんなもの、これまでのカメラにもついていたじゃねえかとワタシ。
通常撮影した画像の上下を切っただけで、パソコンさえあれば誰にでもパノラマ写真なんて作れるぞ。
ところがそうじゃないそうだ。
これはカメラを水平に移動させながらいくつかの画面を撮影し、それをカメラ内のコンピューターが自動的につなげて、ひとつの画像にしてしまうのだそうだ。
論より証拠、さっそくやってみたパノラマ写真を紹介しよう。
横に長すぎてブログに 載せるのがムズカシイという事情はあるけど、広角25ミリなんて目じゃないね。

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2010年5月 1日 (土)

ナショナル・ジオグラフィック

街へ出て古本屋をのぞいたら、ナショナル・ジオグラフィック(以後NG誌)のバック・ナンバーが50冊ぐらい並んでいた。
といってもわからない人がいるかもしれないから説明しておくけど、NG誌というのは旅行のガイドブックである。
馬鹿いってんじゃねえよという人がいるかもしれない。
世間ではこの本を、博物学や人文地理が専門の科学誌であると思っている人が多いようだ。
それも間違いではないけど、そういう一辺倒な見方は事実をゆがめてしまう。

わたしが50冊の中から引っこ抜いてきたのは1998年の6月号で、巻頭の特集が「シベリア横断鉄道」、以下に「スコットランド・オークニー諸島」、「ネパールの蜂蜜採り」、「米国本土最大の自然公園」なんて記事がならぶ。
すべてドキュメントで、小説なんてモンはひとつもない。

わたしはロシアに行きたくてたまらず、いろいろ資料を集めたり、研究をしたりしているところだから、ちょっと内容の古いのが欠点だけど、「シベリア鉄道」の記事はガイドブックになるのである。
「オークニー諸島」というのは英国の北のはしにある、時間が静止したような過疎の島で、古い建物のたたずまい、豊富な遺跡、豊かな自然とゆるやかな生活、そのくせ地元の魚介類を使ったレストランまであるというから、旅好きのわたしには思わずむずむずするようなところだ。
「ネパールの蜂蜜採り」という記事は、ネパールの山中で蜂蜜を採って生計を立てている少数民族の話である。
高い木の上にある蜂の巣を、顔だけを手製のネットで被い、そこいら中ハチに刺されながら採集する人たちがいるという厳粛なる事実は、たちまちわたしをネパールに行きたいと思わせてしまう。
「米国本土の自然公園」にはあまり食指が動かないけど、NG誌は写真のすばらしさに定評があるから、机のまえで旅の空想にふけるのにいい。

この号にはほかにも「虹の鳥ケツアール」、「爆走ストックカー・レース」、「伝説の巨大イカ」という記事がある。
「ケツアール」は中米の密林に棲む美しい鳥の話であるから、バード・ウォッチャーのわたしは、とうぜんそんな密林にも行ってみたくなる。
「ストックカー」は映画で観れば十分だけど、こういうものを米国まで、わざわざ金を払って見に行きたいと思う人も広い世間にはいるのだろう。
「巨大イカ」を見るには深海の500メートルぐらいまで潜らなければならないが、NG誌によるとこれが生息するニュージーランドの海岸には、たまにマッコウクジラが乗り上げるそうだから、これはどうしたって見に行きたくなってしまう。

そんなこんなの理由を並べてみたけれど、NG誌が旅行ガイドであることはかくも明白な事実なのである。

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