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2010年6月

2010年6月29日 (火)

ヤマモモ

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お相撲さんが野球賭博の問題はだんだん大きくなってきた。
わたしもこのブログでふれたことがあるけど、先日の朝日新聞にこの問題について3人の識者の意見が載っていた。
このうちでは天野祐吉さんの意見がいちばんわたしの意見に近かった。

ようするにお相撲さんというのは、せまい世界に隔離された特殊な生きものである。
自分たちのつぎこんだお金が暴力団の資金源になるなんてぜんぜん考えず、むじゃきにバクチに取り組んでいたんだろう。
そんな関取りを育てたほうにも責任がある、みたいな意見だった。

琴光喜がクビだってのはちょっと可哀そう。
そんならこれまで角界の不祥事に、つねにもみ消しを計り、結果的に世間知らずのお相撲さんに、オレたちはなにをしたっていいんだなんて認識を植えつけた指導部こそ処分がふさわしい。

だいたいこの事件のきっかけは、角界の内紛だったってうわさもある。
気にくわないグループを蹴落とそうとしたら、火の粉が大火事になっちゃったっていうことじゃないのか。
仲間うちだけでなんでも始末しようとする。
仲間うちからはずれる人間は許さない。
典型的な体育会のなれあい主義、排他主義だ。
だから体育会系はキライなんだよな。

写真はヤマモモ。
うちの近所じゃ散歩道にいろんな果物が実るけど、いまはビワとヤマモモがシーズン。

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2010年6月28日 (月)

新聞

消費税増税について、民主党と自民党の2大政党がガチンコ勝負。
選挙のまえに増税に触れるのはマズイってんで、これまではどの政党もこれに触れずにきたことを思えば、すこしは日本の政治も正直になったかなっていうのがわたしの反応。
少数政党のほとんどはゼッタイ反対だけど、これは政権を担当してないからいえる無責任発言で、あります。

目下のところ、増税した分は社会保障の分野にまわすというのが2大政党の言い分。
社会保障を高福祉と解釈すれば、すぐに引き合いに出されるのがスウェーデンという国。
でも、いい国だ、うらやましい国だというだけじゃ言葉が足りない。
だいたい国家を運営するのにそんなうまい方法があるわけじゃない。
出ていくモノは税金でまかなうしかないはずなのに、なんでスウェーデンばかりが福祉を充実させられるの? と疑問を持たなくちゃ。

今朝の朝日新聞におまけでついてきたGLOOBEという誌面、これにそのへんの事情が解説してあった。
福祉が充実しているかわり、税金も高いということは誰でも知っている。
でも、それだけじゃない。
そこはそれ、たとえば税金を完璧に徴収するためのいろいろなシステムがあることなどがわかった。
問題はそれが日本人には、根本から考えを変えないかぎり容易には受け入れがたいものであることだ。
やっぱり日本には日本のやり方がある。
スウェーデンの真似はすぐにはできそうもない。

とあれ、新聞記事の中にはいろいろ考えさせられるものもある。
こればかりはまだネット・ニュースのおよぶところじゃない。
世間の人のなかには 「赤旗」 しか読まないという人もいる。
しかし赤旗は政党の機関紙である。
どうしても考えが、その政党にいいように偏向させられてしまう。
やっぱり一般紙も読まないと公平客観的な考えはできないものだ。
赤旗を読むなら、それに最低でももうひとつ、どこかの一般紙をあわせて読むことである。逆もまた真ではないから、一般紙を読んでいる人に赤旗を読むべしとはいわないけど。

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ミュシャ

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三鷹市の美術ギャラリーでアルフォンス・ミュシャ展を開催中。
ミュシャはアールヌーヴォー派の画家で、装飾過多のデザインと美しい女性のポスターなどが知られている。
美しいものに対して必要以上に厳格なわたしでも、つい観たくなる絵なのである。

でも、そう思っているのはわたしだけじゃなかったとみえて、あまり大きくない美術ギャラリーはひどい混雑。
日曜日の午後だから混むのかなと思ったら、それはポスターや絵ハガキを買おうという人たちの行列だった。
女性係員がやってきて、絵を観る人はこっちですと入口に案内する。
ま、ギャラリー内部もすいているわけじゃなかったけど。

しろうとのわたしが専門的なことをいうのはおそれ多いので、アールヌーヴォーという芸術についてはウィキペディアでも参考にしてもらうとして、ミュシャの絵で感心したのはリトグラフという表現形式のすばらしさ。

ミュシャの時代、リトグラフ (石版画) という表現技術がひとつの頂点に達して、まるで写真のようにリアルな絵画を大量に印刷できるようになった。
現代ではよりリアルな写真製版の時代になっているけど、そのせいでかえってリトグラフの、絵画と写真の中間をいくような独特の個性が輝いてきたように感じてしまう。

わたしも若いころからリトグラフをやってみたくてたまらなかった。
ただ、これは個人でかんたんに得られる技術、設備ではないので、それがわたしの人生と交差することはいちどもなかった (この点では熊本のKさんがうらやましい)。

ミュシャの絵を子細に観察して、他とちがってやけにリアルな顔の部分の陰影や、服のひだなどの表現に感心してしまった。
小さな美術館の催しものとしてはなかなか楽しめるものだった。

いっしょに行ったわたしの知り合いは、ミュシャというのは女だと思っていたそうだけど、彼は男です、念のため。
※添付した画像は、ブログにあわせるために90度転倒させてあります。

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2010年6月27日 (日)

せん滅作戦

どうも最近、暗くなるとわたしの部屋を魑魅魍魎のひとつが徘徊しているらしい。
座敷わらしでもあればほうっておくけど、こいつは下水管を伝ってくる不潔なやつである。
そこでひさしぶりに絶滅のための一大作戦を実施した。
相手は不屈のゴキブリ軍団である。
世間のやつはいざ知らず、うちのゴキブリはやけに頭がいい。
どうやって情報伝達をしているのか知らないけど、ゴキブリホイホイをしょっちゅう使っていると、そのうち効果がなくなってしまうのである。
だからこの作戦は、じゅうぶんに相手をおよがせておき、油断したとろを見計らって、一気に物量をつぎこんでせん滅する必要がある。

そういうわけで昨夜は台所に5つものゴキプリホイホイを仕掛けた。
朝になって確認すると、成果は大物が3匹。
想像していたより少ないような気がするけど、今回の作戦はこれで終了。
しばらく相手をおよがせておき、1カ月ぐらいしたらまたやっつけてやるのだ。

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2010年6月26日 (土)

ディア・ハンター

数日まえに録画した 「ディア・ハンター」 という映画を観る。
古い映画だし、もう何度かテレビで放映されていると思うけど、じっさいに観たのは今回が初めて。
アカデミー賞をもらったくらい世間の評価の高い映画なのに、これまであまり観ようって気がおこらなかったのは、ホントにそんなに素晴らしい映画かいという疑念が払しょくできなかったから。

この映画のキーポイントは、ベトナム戦争のおりに米軍兵士が体験したロシアン・ルーレットの恐怖にあるけど、じっさいに観てみて、この設定にムリがあるように思った。

ロシアン・ルーレットというのは、回転式弾倉をもつ拳銃に1発だけ弾をこめて、自分の頭をねらう究極の大バクチである。
弾が発車される可能性は 1/6だから、助かる確率のほうが高いけれど、だからといって自分の頭にむけて拳銃の引き金をひける人間はあまりいないだろう。

映画では北ベトナム軍の捕虜になった米兵が、敵兵から 1発だけ弾のこめられた拳銃を渡されて、さあ、やれとロシアン・ルーレットを強要される。
彼は恐怖のあまり精神に異常をきたしてしまうのだけど、ふつうに考えた場合、こんな極限状態においこまれた兵士が、ヤケっぱちになって拳銃を敵兵に向けたりしないだろうか。
その後も何度かロシアン・ルーレットの場面が出てくるけど、どの場面でも自分で自分の頭に拳銃を向けている。
そんなくらいなら敵兵が拳銃を米兵の頭に向けるほうが、あるいは 1対 1でこれをする場合、たがいに相手の頭に向けて 1回づつ引き金をひくほうが理にかなっている。
これでも恐怖は同じだし、確実である。

じっさいに自分の頭に向けて拳銃を発射しても、たいていの人はその寸前に無意識に頭をそらしてしまうという。
敗戦のおりに東条英機が、拳銃で自殺しようとして未遂に終わったのもこれが原因だそうだ。
わたしがやったわけじゃないからホントのことはわからないけど、よっぽど胆ったまのすわった人間でなければ、自分で自分の頭を撃ち抜くのはむずかしいというのが世間の定説らしいのである。

そんなこまかい理屈に拘泥していたのでは、映画を観る資格がないなんていわれそうだけど、そうでなくてもどうも好きになれない映画である。
この映画に心酔している人も多いようだし、そんな人たちと論争をする気もなれないので、理由は省略するけど、わたしにとってはDVDに焼いてまで保存したくなる映画ではない。

映画の中でバクチに敗れた兵士が、頭を撃ち抜いて倒れるシーンがある。
マイケル・チミノという監督は、おそらくベトナム戦争中の、有名な、南ベトナム軍の将校がベトコンを射殺する映像を見たのだろう。
倒れた兵士の頭から血が噴き出すシーンは、そのさいの光景をまざまざと喚起させる。
戦争はどっちもどっちで、一方だけが残忍非道、もう一方はヒーローなんてことはあまりないはずである。

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ぶっ飛んだキー

ノートパソコンのキーがひとつぶっ飛んだ。
修理に出そうかと思ったけど、これ年末のバーゲンで買った外資系のネット通販パソコン。
ちゃんと修理してくれんのか。どこへ電話すればいいんだ。
あまり熱心に修理のアテを探す気になれないのは、これがウインドウズVISTAであること。
起動時間が長くていいかげんうんざりしているので、このさい新しいパソコンに買い代えようかなと思案中。
買ったときの値段を使用した期間でわると、原価償却費は月々3千円ということになる。
これが高いか安いか知らないけど、キーがぶっ飛ぶほどハードに使ったのだから、文句もいえないんじゃないか。

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2010年6月25日 (金)

蹴球の2

昨夜、というか今朝というか、明け方の3時ごろ、コンビニへ行ったら、顔見知りの店員が、サッカーを見ますかという。
見ることは見るけど、日本の試合だけだから明日でしょとこたえると、いまやっていますよという。
ええっとビックリ。
わたしはカン違いしていたようで、日本のデンマーク戦は25日の夜とばかり思っていたのが25日の早朝だったというわけだ。

で、どっちが勝ってんのと訊くと、さっきワーッと盛り上がっていたけど、勝敗はわかりませんという。

あわてて家に帰ってテレビを観る。
日本2点リードのまま折り返し。ええっとまたビックリ。
今回のワールドカップは番狂わせの展開が多いけど、友人の予想では日本はデンマークにボロ負けのはず。
後半が始まってデンマークが 1点を返すと、これじゃ冷静でいろっていうほうがムリ。
逃げろ、逃げろと、イッパイやりながらテレビにくぎづけ。
そのうち追加点が入って逃げる必要なくなり、あとは余裕で観ていたけど、スポーツにあまり関心のないわたしでも、時と場合によっては熱くなるのである。

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2010年6月24日 (木)

増税論議

菅クンが増税論議に踏み込んでいる。
となると弱小政党がいっせいに反発するのは当然のこと。
反発する側の言い分はたいていが、「そのまえにやることがあるでしょ」 ってなもん。
やることってのはムダ使いの洗い出し・禁止ってことらしいけど、それについては民主党が事業仕分けなどをいろいろやってみて、けっきょくムダなんて思ったほどあるわけじゃないってことがよくわかったはず。
ひっくり返せば、自民党の政治もそんなにムチャなものではなかったってことになるけど、それはまあ、さておいて、民主党、自民党の2大政党が、選挙目当てで増税にフタをしているより、それをどうどうと表に出してがっぷり四つに組むのはいいことだ。
四つに組むってのは連立するってことではないぞ。
2大政党が連立したら議席のほとんどを占める圧倒的な政党になってしまい、これでは議会制民主主義が機能しなくなると、管クンもこの点はよくわかっているようだ。

増税されてよろこぶ人はいない。
それでも消費税増税に一定の理解がみられるというのは、国民のあいだに日本の未来についてそれだけ危機感をいだいている人が多いということだろう。
景気対策のほうが先だという政党もあるけど、現在の日本の財政危機は、かっての大英帝国が凋落したような歴史的必然が感じられるので、金をつぎこめばなんとかなるといえないんじゃないか。
だとすれば子供たちの未来を破滅させるよりも、現在の自分たちが負担に応じようというのはきわめて健全な考えである。

にもかかわらず、あいかわらず増税というとハナっから反対する人も多い。
そういう人は、増税にふれずに選挙を乗り越えようという政党と、あまり大差のない無責任だと思う。
増税を口にした菅クンは、また日本が生んだ変人政治家のひとりかもしれないと、わたしゃ彼の資質を見なおしたところだ。
今度の選挙で、増税論議が吉と出るか凶と出るか、政党ではなく、日本の民意が問われる選挙だな。

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2010年6月23日 (水)

処女の泉

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ここんところBSは 「処女の泉」、「野いちご」 と、イングマル・ベルイマン監督の特集。
市販されているDVDも持っているんだけど、それでも録画したくなる傑作ばかりである。
「野いちご」 については、2007年にこの監督が亡くなったとき、このブログでふれたことがあるので、今回は 「処女の泉」 について書いてみる。

この映画、ストーリーは単純だけど、はっきりいって堅苦しい難解な作品なので、誰でも観たくなる映画ではない。
観たいという人がいたら、それはこの映画がオオカミに食べられる赤ずきんちゃんを扱っているからかもしれない。
これは純情な娘が男たちにレイプ (強姦) されてしまう映画なのである。

下世話な話で申し訳ないが、ベルイマン監督はそういう点で世間の常識や良識を飛び越えていた人だった。
1952年というと昭和27年で、日本ではまだ戦後の焼跡が残っていたような時代だけど、そのころのベルイマン映画 「不良少女モニカ」 には、早くも一糸まとわぬすっぽんぽんの娘が登場する。
スウェーデンがヌーディスト天国だという風評は、ひょっとすると彼の映画のせいかもしれない。
「処女の泉」 は昭和35年の映画だけど、そこには上記の強姦シーン。 昭和37年の 「沈黙」 では女性の自慰シーンと、ベルイマン監督はつぎからつぎへと禁断のテーマに取り組んだ。

しかし、裸、レイプ、自慰なんて言葉から、あわててレンタルDVD店に駆けつけようとする人の期待にそえるかどうかは保証のかぎりじゃない。
このすこしあと日本でも新東宝映画が、もっとあとになると日活がピンク映画の製作をはじめているけど、ベルイマンの映画にはいずれにも一貫した重いテーマが含まれていて、こういう安っぽいポルノ映画と同列に置くことはできないのである。

むずかしいテーマはこのさい棚におくことにして、わたしがベルイマンの映画を観たのは、初公開よりずっとあとのビデオの時代になってからだった。
ビデオではじめてベルイマンの映画を観てたちまちとりこになった。
そしてしみじみ残念に思った。
感受性がもっともゆたかな年ごろに、「不良少女モニカ」 や 「処女の泉」 のモノクロ映像を観ていたら、これはいまではなつかしいわたしの灰色の青春の、すてきな思い出になっただろうと思うのである。

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2010年6月22日 (火)

蹴球

ワールドカップで北朝鮮が7-0で負けた。
心配になってしまうぞ、あの国じゃ。
国家に、いや総書記に、いや、もうすぐ襲名しようかっていう若き次期総書記に、恥をかかせたっていうんで、監督は処刑、北朝鮮に住んでいる選手はみんな強制収容所行きなんてことになるんじゃないかって。
北朝鮮の監督・選手の運命に世界が注目している (ことはなさそうだ) けど、わたしも注目しているのだ。

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2010年6月21日 (月)

マルケスとカストロ

昨日、日曜日の新聞にガルシア・マルケスのことが二つほど。
ひとつは書評欄で、もうひとつは筒井康隆の連載エッセイに。

書評欄では、マルケスとキューバのカストロ首相の交情について、意外であったというようなことが書かれていた。
そういうものかなあと、横紙破りで大胆不敵なわたしは疑問を感じてしまう。
マルケスがカストロの擁護をしたのは不思議でもなんでもない。
ロシアのソルジェニーツィンがプーチンの擁護をしたように、抑圧者だからなにがなんでもいけないと、わたしは思わない。
「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ」 や 「シッコ」 なんていう映画を観ていると、カストロは北朝鮮の金正日のようなアジア、アフリカ型の独裁者とは異なり、国民からも多くの支持を得ている、陽気でハナシのわかる独裁者であるような気がしてしまう。
早い話が、米国のブッシュ前大統領と、カストロとどっちが指導者としてふさわしいかという問題だ。
米国という巨大な横暴国家にいじめられる小国を、こころある作家が擁護するのは当然のことじゃなかろうか。

キューバからは現在も米国に密航しようという人がひきもきらないという。
だから米国はすばらしく、キューバは悲惨な国であるとは思わない。
アジアにあって、米国のように発展かつ自堕落した国の代表である日本にだって、無条件で米国の市民権が得られるなら移住したいという人は多いのだ (ボートで密航するには太平洋はちと広すぎるけど)。
つまり現状に満足しない人はどこにでもいるってことだな。

キューバと米国の比較は、物質的には貧しくともお互いが助け合う国がいいか、豊かであっても互いを蹴落とす競争社会がいいかということでもある。
そう考えれば、著名作家のガルシア・マルケスが、キューバの肩をもつのは当然すぎるようにわたしには思えるのである。

そうかといって米国の存在を根っから否定しているわけじゃない。
この世界にアメリカのような国がひとつぐらいあってもいいかもしれない。
現状に満足できない人のために幻影の楽園として、競争社会で生きぬく自信のある人のためになんでも手前勝手なことができる国として、ダブルスタンダードの国として、国民皆保険のない国として、ライフルをぶっ放す国として、「SEX AND THE CITY」 みたいな映画の作れる国として、つまり民主主義や自由主義が極限までいくと、どんな国になるかという見本のために米国の存在価値があるのかもしれない。

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2010年6月18日 (金)

関取りとバクチ

お相撲さんが野球賭博だって大騒ぎだ。
ちと気のドクになってしまう。
賭けたお金からすると、べつにお金に困っているわけでもない関取り衆には、ほんの小遣い稼ぎみたいなもんだったらしいから、これはやっぱり好きで、楽しみのためにやっていたんだろうと思う。
わたしの周囲にも体育会系がいるけど、彼らはたいていバクチが好きだ。
大男総身に知恵がなんとかの体育会系に、もっと高尚な趣味を見つけろ、たとえば小説を書けとか、絵画に親しめなんていったってこりゃムリな話だ。
テレビでそのすじの人が解説していたけど、お相撲さんがその図体で、チョンマゲをしたまま競馬や競輪に通うわけにはいかないだろうから、人目につかない野球賭博は、彼らのささやかな楽しみだったと思われる。
それを禁止するだけで問題が解決するんだろうか。
なんかいい妥協案はないだろうか。

相撲賭博なんてのはどうだろう。
場所中の相撲の勝敗に賭けさせる。
ただし関取り衆が賭けられるのは自分の取り組みだけ、しかもかならず自分が勝つほうに賭けさせる。
負ければ自分が賭け金を失うだけだから、みんな必死になって目の色を変えて、これまでみたいに八百長もどきの勝負もなくなって、大相撲ファンも満足するような白熱した取り組みばかりになるんじゃなかろうか。
そうなると相手に金を渡して、自分を勝たせるなんて八百長が発生するかもしれないけど、そんなことをして賭け金を得るのが楽しいかどうか、バクチに縁のない小生にはよくわからない。

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2010年6月17日 (木)

ロシアの事情

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わたしの夢はロシアという国を自由旅行することなんだけど、調べてみたらこの国は、出発前にすべての宿泊ホテル、移動方法などをきっちり決めておかないとビザがおりないのだそうだ。
だいたい自由旅行をしたがる人間は、そんなしちめんどくさいことはやりたがらないタイプが多いので、このへんからすでに矛盾である。

いったいどうしてそんなに頑固なのか。
厳格な規則で旅行者をがんじがらめにするのは、ソ連時代の硬直した官僚主義の名残りじゃないのか。
中国のように海外旅行者をどんどん受け入れたほうが、けっきょくはロシアのためであるなんてことを、このブログに書いたことがある。
ところがどうもそればかりじゃなさそうだ。

わたしのアパートに住むロシア系の金髪くんが、里帰りしていたロシアからもどってきた。
彼の話を聞いてみたら、ロシアじゃマフィアみたいなのが多くて、女の人もみんな護身用に拳銃を持っていましたよという。
みんながというのはにわかに信じられないけど、現在のロシアにアメリカの開拓時代のような粗暴さがあることは事実らしい。
そんなところへ平和ボケした金持ち日本人が乗りこんだらどうなるか。
たちまち身ぐるみはがれて、穴の中にでも埋められるのが関の山。
国家は外国の観光客を保護する義務がある。
ロシアが外国人の自由旅行を認めないのは、こういう点でまだ治安に自信がないからかもしれない。

わたしはかって中国の辺境の街で、公安警察に足止めをくらったことがある。
なんだ、チベット人大虐殺の痕跡でも残ってんのかと憤慨したが、考えてみればあれも、まだその街の周辺が観光地として整備されていないということだったかもしれない。
わたしは貧乏人だから旅行費用なんてたかがしれているけど、たとえ10万円でも辺境の人々にとっては年収に値する場合がある。
そんな大金を持って、観光地化されていない、治安もよくない場所をうろうろされては、当局としては安全を保証できないというのが、足止めの理由だったのだろう。
そうだとすればやむをえないけど、旅行者のためにもプーチンやメドベージェフには頑張ってもらいたいものだ。

※添付した画像はロシアのカレンダー。
ロシアでも2月はちゃんと28日で終わり。
祭日というのがぜんぜんなかったけど、さすがは勤勉なプロレタリア階級の国?

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2010年6月15日 (火)

読み解く

サッカーで日本が勝ったということや、琴光喜の野球賭博なんて事件があるらしいけど、わたしスポーツ界のことはあまり騒がない主義。
なんかほかのブログネタを考える。

朝日新聞に週刊朝日の宣伝。
「しばらく黙っていたほうがいい」 なんて菅クンに言われっぱなしの小沢クンは、やっぱり怒り狂っているそうである。
まあね。
鳩山クンに抱き合わせ退陣を迫られた小沢クンが、おとなしく抱き合わせに応じたと思うほうがおかしいのだ。

政治家というのは口の達者な人である。
頭のほうはそれほどでもなくてもいいらしい。
ということはサマセット・モームが書いているので、わたしが言ったわけじゃない。
前の米国大統領なんか見ていると、なんとなく納得できてしまうけど。

なにしろ口が達者な政治家だから、突発事件に遭遇しても、時間がたてば、なんのかんのと自分の都合のいいように弁明してしまう。
マスコミも、推測で書くわけにはいかないってことかもしれないけど、その弁明にそった解釈をする場合か多い。
だから、たとえばいきなり総理を罷免されたとしても、その瞬間の当人たちの表情から真実を読み取ることが肝要だ。

このブログでも書いた (6月2日の記事) 鳩山クンと小沢クンの退陣について、その後本人たちはクリーンだの一新だのともっともらしい理屈をこねているけど、いろいろなことを推察すれば、こりゃどうも本人たちの意思に反した出来事だったんだなということがわかる。
前夜まで辞めるなんてことはひとことも言っていなかった鳩山クンの勝ち誇ったような顔。
詰め腹を切らされた小沢クンの複雑な顔など、その瞬間の当人たちの態度が、舞台裏をありありと物語っている。

それにしたって、自民党のやり方をそのまま踏襲した利権団体の抱き込みや、選挙区に複数候補の擁立など、民主党政権をなにがなんでも盤石のものにしようとした小沢クンだけど、盤石にするための必須条件が自分と鳩山クンの退陣だったなんて皮肉なことだ。

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2010年6月14日 (月)

ああああ!

ああああ!
なんか生きる意欲がわかないねえ。
雨が降って出かけようって気にはならないし、国会中継を観ていてもぜんぜんおもしろくなくて、ブログでぶうたれようって気にもなれないし、録画したテレビ番組も見飽きたし、ワールドカップは夜中だし、仕事はほどほどにできているけど、大儲けして海外旅行に行けるほどでもないしねえ。
ゆとりがありすぎて自殺でもしようかなんて考えるのはこういうときなんだろな。
部屋ん中で逆立ちでもするか。

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2010年6月13日 (日)

田んぼヘビ

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うちの近所恒例の、子供たちによる田植えは1週間まえに終わったけど、植えられたばかりの苗のあいだにヘビがぞろり。

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2010年6月12日 (土)

不運な男

友人のひとりが、ベトナム旅行中の最終日に倒れて、現地の病院にかつぎこまれた。
さいわい大事にはいたらなかったようだし、旅行保険にも入っていたようだから、旅行好きなわたしなら費用あちら持ちでベトナム滞在が延期だって大喜びしているところ。
しかし倒れた当人はわたしほど旅行好きじゃない。
彼を病院に置いてほかのメンバーはさっさと帰国してしまったから、いまごろベッドの上で言葉も通じず、無聊をかこっているんじゃあるまいか。
こういうときわたしなら、いい機会だっていうわけでベトナム語の習得に勉めるか、そうでなくても現地の病院のありさま、食事のうまいまずい、女性看護士さんたちの品定め等をしっかり記録して、帰国してから体験記をブログで公表するものを。

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2010年6月11日 (金)

口蹄疫

口蹄疫が猛威をふるっている。
これでは日本中のウシ、ブタが絶滅するんじゃなかろうかという勢いだ。
日本人がウシやブタを食べられなくなる日もちかい。
いや、そっちのほうは輸入肉があるから大丈夫・・・・・・・
と、書いてふと思った。
これって日本に牛肉を輸出したい某国の謀略じゃないか。
日本のウシを絶滅させるために、研究所で培養した強力なウイルスをばらまく。
ウイルスを持ち込むのは覚せい剤よりは簡単だ。
ほんとうは大消費地である中国でブタを絶滅させたかったけど、なにしろ中国のブタは雑に飼われているからウイルスぐらいじゃへこたれない。

と思って調べてみたら、じつは中国や途上国でも何度か発生しているコワい病気らしい。
まあ謀略じゃなさそうだけど、とにかくこればっかりは、すべての都道府県のわかちあうべき懸案事項だ。
普天間みたいにオレは知らんといってる場合じゃない。
新聞の投書欄にもあったけど、これが人間だったらどうなのか。
まさか殺処分てことはないだろう。
必死でウイルス撲滅の研究をするだろう。
殺して埋めるよりも、早く特効薬を開発してもらいたいものだ。
猛威をま近にみていると、これはノーベル賞に値すると思ってしまう。

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2010年6月10日 (木)

ありがたいこと

郵政改革法案が今国会で成立しなけりゃ連立を離脱すると国民新党がごねている。
亀井クンは余裕しゃくしゃくの構えだけど、腹の中じゃ、もうすこし菅クンと仲良くしときゃよかったなんて思っているかも。

国民新党が連立を離脱するならありがたいことではないか。
だいたい前の選挙で大敗した政党が、新しい政権の中で重要な法案を仕切るほうがおかしいのだ。
民主党も民主党だ。
郵政改革法案については、自らは手を出さず、利権団体であることを公言する郵便局長会の票が欲しいもんだから、外様大名である国民新党にぜんぶおまかせ。
いったい国民の支持をなんだと思っているのか。
ワタシは支持率で政治をやっているわけじゃありません。
といったのは、ほかならぬ亀井クンで、ま、ほかの人がいうならこれはそれなりスジの通った発言だけど、亀井クンには言ってほしくなかったねえ。
ここはすみやかに国民新党に退場ねがって、郵政改革法案については民主党が自らの頭で考え、自らの手で処理して、正々堂々と国民の信を問うべきである。

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2010年6月 8日 (火)

もうひとつの旅

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女ひとりで中国の辺境を旅した英国の冒険家クリスティナ・ドッドウェルにはまっちゃっているけど、彼女の書いたもうひとつの本が届いた。
これは 「女ひとりトルコ・イランの旅」 といって、すでに絶版になっていたので、ヤフーのオークションで見つけて落札したものである。

まだページをパラパラとめくってみただけなので内容について詳しく書けないけど、ウマに乗ってトルコを旅しているから、それを聞いただけでおもしろそう。
ただし、これは現在の旅ではない。
現在では中東は、欧米人にとってひじょうに危険な国になってしまった。
米国のアフガン、イラク進攻のあと、イスラムの原理主義者たちが荒れ狂って、手当たり次第にイスラム教徒以外の人間を拉致して首を切るなんてことをやっているから、現在ではいくら勇敢な女性でも、こっち方面の辺境をひとりで旅しようとは思わないにちがいない。
そういう意味では、まだほんの20年ぐらい前のことなのに、これは古きよき時代のセンチメンタル・ジャーニーということになってしまった。
残念なことであるとおおいに憤慨しつつ、わたしもしばらくこの本の中の彼女とともに、バーチャルでトルコ・イランを彷徨ってやろうと思う。 そ、ウマに乗って。

※写真は今年の1月にわたしがトルコで撮ったもの。 トルコの田舎では、人々にとってウマはまだ重要な足である。

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2010年6月 7日 (月)

マサイ族

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少年ケニアというマンガ、じゃないな。 絵物語があった。
アフリカの大地を、日本人の孤児と、マサイ族の戦士、巨大なニシキヘビなどがかけめぐる (ヘビの場合ははいずりまわる) という、山川惣治原作の壮大な物語だった。
若いつもりのわたしとしては、そんなものを読んだということを吹聴したくないんで、大急ぎで先に進むけど、録画したばかりのNHKの新アフリカ紀行というテレビ番組を観ていたら、現代のマサイ族が出てきた。

マサイ族というと一種独特のヤリを持ち、このヤリ 1本でライオンとでも闘う勇敢な人々として知られている。
番組の中には、いまではトラックが地響きを立てて走りまわる街道ぞいで、シマウマがのんびり草をはんでいるシーンがあった。
野生のシマウマがいるならライオンが迷い込んできてもおかしくないはずだ。
じっさいにマサイ族の住居の近くに、いまでもときどきライオンが現れるそうである。

彼らはいまでもサバンナで遊牧生活という伝統的な生活を送っていて、衣装なんかもろに少年ケニアのまんまである。
ちがうところもある。
彼らのあいだで流行っているのが、なんと携帯電話だそうだ。
むかしのマサイ族の生活は、家畜を追ってサバンナをさまよう孤独なものだったけど、現代では草原の中から家に電話して、もしもし、今夜の晩飯はなんだべさとやっているらしい。
グローバル化といえば、わたしが知っているかぎり、中国の奥地や中東の辺境、東欧の田舎なんかより、アフリカのほうがずっと進んでいるようにみえる。
そんなアフリカで、いまなおヤリ 1本で家畜を守る彼らのすてきなこと。
山川惣治さんがいま少年ケニアを描くとしたら、やはり主人公の友人はマサイ族で決まりだろう。

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2010年6月 5日 (土)

ウアルカイシ

Photo

昨日テレビを観ていたら、ウアルカイシが中国大使館に突入して逮捕なんて映像が出てきた。
ウアルカイシというのは1989年の天安門事件で、中国当局から指名手配された学生リーダーのひとりである。
あれから20年以上の歳月が流れ、当時はやせっぽちだった彼も、だいぶいいオッサンになっていて、まるで雄牛が突入しているようだった。

天安門事件のあと彼が中国を脱出できたのは、複雑に入り組んだ華僑のネットワークのおかげということを書物で読んだことがある。
つまり、当時から中国は1枚岩ではなく、政府内にもさまざまな勢力が拮抗していて、そのひとつ、もしくはいくつかのグループがひそかに彼の逃走を援助したというのである。
なるほどと思う。
そう考えなくちゃ、ウアルカイシや、やはりリーダーだった柴玲がやすやすと国外に脱出できた理由がわからない。

それだけじゃなく(わたしの大胆な推測だけど)当局のどこかに、改革開放が平穏に進展すれば、ひょっとすると中国の未来を担うかもしれない優秀な学生たちを、彼らの若気のいたりで処刑なんかしたくないと、逃亡について暗黙の了解があったんじゃないかって気までしてしまう。
やはり学生リーダーだった王丹も、数年間のムショ暮らしのあと、国際的圧力のために釈放されてしまった。
これをどう考えたらいいだろう。
とにかく彼らは処刑なんかされなかったわけだ。

日本でも革命をとなえて浅間山荘にたてこもったり、北朝鮮に亡命した連中がいた。
ただその後の日本は、彼らの主張や存在までもまったく無視したまま順調に発展を続け、最近では行き過ぎて経済悪化の段階に入っている状況。
昭和の反体制活動家たちは、それがいてもいなくても歴史を左右なんかできなかっただろうと思われる。
中国の反体制活動家の王丹や柴玲は、その後アメリカで学者や実業家に転身している。
いまでも民主化運動はしているようだけど、最近の中国の発展ぶりに対抗するには、発言にあまり重みがない。
やっぱり天安門事件の彼らの突出ぶりは、若気の至りだったとしかいいようがないのじゃなかろうか。

天安門では命からがら逃げ出したウアルカイシは、現在は逆に中国にもどらせろとごねているらしい。
彼からみれば、最近の中国なら帰国即処刑なんてことはないだろうとタカをくくっているんだろうけど、中国政府もそのへんはお見通しで、帰国してまた揉め事を起こされては困るから、なんだかんだいって入国を拒否する算段。
逃げ出した女房がもどってきたら、亭主には新しいオンナができていて、帰れ帰れといって家にいれないとおんなじ図。
中国の歴史を左右したのは、若い反体制活動家たちではなく、老練政治家の鄧小平であって、現在の中国の発展ぶりは彼の強権の勝利としかわたしには思えないのである。

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2010年6月 4日 (金)

菅新首相

菅クンが新首相。
けっして好きなタイプじゃないけど、政治について、やる気だけは満々らしいのでしばらく模様ながめ。
わきがあまかったり、勢いよく吠えてみたらそれが自分にまいもどってきて、党代表の地位を棒にふったなんて失敗をしている人だけど、それはまあ人間としての肥やしにすればいいだけの話なんで、わたしはあまり気にしていない。

新聞を読むと、市民運動上がりの政治家なので、外交なんか不得意じゃないかという指摘があった。
鳩山内閣では重かったのか軽かったのかよくわからない役割にあまんじていたけど、消費税増税もやむなしという考えのようだから、けっこう現実的な政治をめざしている人らしい。
鳩山クンよりはましに思えるけど、こういう元気のいいのはずっこける可能性も高いから、とにかく静観しかないのである。
かなりの官僚ギライらしいので、そのへんも気がかり。

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節目

やたらめったらつまんないことを書きなぐって、さぞかし時間の浪費じゃないかと、わたしのブログを見て思う人がいるかもしれない。
心配してくれるのはありがたいけど、時間に関してはそれほど浪費じゃない。
毎日ひたすら株式市場の動向に注目しているわけでもないし、明日の授業のために予習をしなくちゃいけない身分でもないので、どうせ時間はあまっているのだ。
それにわたしは文章を書くのは、(上手いヘタは別にして) わりあい速いのである。
ストレス解消が健康にいいなら、これはわたしにとってすばらしい健康維持の方法でもある。
政治家の悪口なんか書いていると溜飲がすうっと下がり、さあ、明日も元気で生きていこうと新たな決意がわいてくるのである。

というわけで、07年6月3日に再開したこのブログも、いよいよ3周年の節目をむかえた。
あと30年ぐらい生きるとしたら、ブログ記事もいったいどれだけの分量になるだろう。
その間にいったいどれだけの世相、環境、政治と政治家、芸術、書物、映画、音楽、友人、女の子たちがまな板に載せられることだろう。
と、ほざいたところで終り。
あんまり調子に乗るなって声も聞こえないわけじゃないので。

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2010年6月 3日 (木)

前立腺肥大

前立腺肥大という病気がある。
発病しちゃっている人にはもうしわけないけど、老化現象の 1種なので、若い人がかかる病気ではない (らしい)。
とうぜん若い (つもりの) わたしには無縁の病気である (と思っていた)。

ところが最近オシッコの出がわるくなった。
てっきり前立腺肥大であると考え、ネットでいろいろ調べてみたら、『前立腺肥大症の人には若い頃から年をとるまでずっと精力的だった人が多いという結果が出ています』 という記事がみつかった。
これはまあ、納得できないこともないけど、発病してしまったらそっちのほうは控えなければいけないのではないか。 男を廃業しなくちゃいかんのではないか。
そうなったら・・・・・・・ああ、人生お先まっ暗である。

不景気な顔をして病院へいく。
景気のいい顔をして病院へいくやつはいない。
出てきた担当医は、マンガ家のやくみつるさんみたいな顔をした若者であった。
前立腺肥大ですかと訊くと、その病気は、昨日の今日から急になるものではありません。たぶん雑菌による感染症でしょうという。
それで思い出した。

ずっと昔、はじめて海外旅行に行ったさい、現地が猛暑で、旅は強行軍で、グロッキーになって、帰国したとたんに今回みたいな症状を発したことがある。
医者から、なにかわるい遊びをしませんでしたかと訊かれたけど、ぜんぜん心当たりがない。
世の奥さんたちの中には、男が海外旅行に行くのはわるいことをするためだと思っている人が多いらしいけど、わたしは品行方正な人間なのである。

そんなことはどうでもいいけど、なんだ、雑菌かと、とたんに気分は爽快になってしまった。
雑菌に感染して爽快ってのもおかしいが、感染症なら抗生物質の投与で治るのである。
まだまだ男を廃業するのは早そうだ。

この一件で病院に2020円、薬局に薬代として1150円を払った。
この金額が高いか安いかは議論のあるところだろうけど、独身貴族のわたしには文句をいうほどではないし、ちょうど国民皆保険のない米国の実情を描いた 「シッコ」 という映画を観たばかりなので、日本の医療制度に感謝するしかない。

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2010年6月 2日 (水)

舞台うら

鳩山クンの退陣劇をみていると、なんとなくその裏側の舞台が透けてくる。

本人たちはみにくい内輪話をゼッタイに明かさないだろうから、この先はわたしの勝手な想像になるけど、鳩山クンの言い分を本音でいえば、オレを辞めさせるんならアンタも道連れだぜと小沢クンに迫ったんじゃないか。
退陣を迫られてからとってつけたようにクリーンな政治を言い出したこと、前日の新聞では小沢、輿石両名の仏頂面に比べ、親指なんか上げちゃってまだまだやる気まんまんだったこと。
そんな鳩山クンを見ていると、ついそう思いたくなってしまう。

退陣表明では、クリーンな民主党に回帰すべきだなんてきれいゴトを持ち出したけど、そんならなんでもっと早く退陣しなかったのか。
同じ政党の他人も道連れなどということは、政治家なら普通はやるまい。
もちろん鳩山クンが辞めれば、けっきょくは小沢クンも辞任に追い込まれたかもしれないけど、それはまたべつの次元の話である。

オレを辞めさせるならアンタも道連れだ。イヤならオレを続投させろ。
これはまあ、一種の恫喝だけど、そうしてまでなにがなんでも地位にしがみつこうという鳩山クンをみては、小沢クンもついに権力をすべて手放す決意をせざるを得なかった。
「もうみなさんとお会いすることはありません」 という小沢クンの記者団に対する発言は、飼い犬に手をかまれた闇の帝王の悔しさがにじんでいるように思える。
鳩山クンがつぎの衆議院選挙に立候補しないという情報もあるけど、自分の思い通りにいかないと投げ出すという、お坊ちゃまの面目躍如だな。

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退陣

テレビを観ていたら鳩山クンが辞めるという第一報が飛びこんできた。
昨日までは、テレビのインタビューでもうすら笑いをうかべて、やる気まんまん。 まだまだ首相の座に未練がありあり。
最高権力者の地位というのはそんなに快適なものなのか。

問題があるたびに首相を変えていたのでは、かっての自民党と同じになってしまうけど、この人だけはちょっとひどすぎた。
友愛以前にもうすこし謙虚で自省の気さえあれば、オレは総理にふさわしくないと気がつきそうなものなのに、本人はしゃあしゃあとして厚顔無恥の典型みたいなもん。
政治家というのはこれほど恥知らずでないと務まらないものかと、変なところに感心させられた。

慌てているのは野党の皆さんと、ダメダメダメの瑞穂ちゃん。
総理が変われば民主党の人気も盛り返すかもしれないし、ええ! そんなら離脱するんじゃなかったわと、瑞穂ちゃんもほぞをかんでいるんじゃないかしら。
彼女にとっちゃむずかしいところだな。
瑞穂ちゃんが連立離脱をしなければ、鳩山クンもここまで追い込まれなかったかもしれないし。

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2010年6月 1日 (火)

天池

366

英国人の冒険家クリスティナ・ドッドウェルについては、このブログに書いたけど、彼女の 「女ひとり中国辺境の旅」 の中にこんな文章がある。
『人間の姿が見えない風景のなかにいるのは、なんとすばらしいのだろう』
『この風景がすべてわたしひとりのものだと思うと、何ものにもかえがたい深い喜びがこみあげてくる』
『孤独は人に物思いにふける時間をもたらす』
ドッドウェルはぜんぜんわたしに似ていないけど、この部分だけはわが意を得たような気がした。
わたしもよくひとりで奥多摩や奥秩父の山をふらついたことがある。
平日に山に登ると、ひょっとしたらいまこの瞬間、この四方2キロ以内にわたしひとりしかいないんじゃないかと思えて、しみじみと幸福を感じたものである。
こうした感情は孤独を愛する人でないとわからない。

ドッドウェルのこの文章は、中国の新疆ウイグル自治区にある天池という湖のあたりを歩きまわったときの記述の中にある。
わたしもこの湖に行ったことがあるんだけど、彼女はバックパックの中にキャンプ用品と折り畳み式のカヌーまでつめ込み、湖の背後にそびえるポゴタ山の氷河にまで接近している。
おどろくべき積極性 (と体力) である。

ところでドッドウェルが中国を旅したのはいつのことだったんだろう。
なぜか文庫本のどこにもそれが書いてない。
紀行記においては、いつの旅だったのかということは重要なポイントなので、あとがきまで読んでみたけど、どこにも書いてない。
で、内容を詳細に見分して、ヒントを探してみた。

欧米人の女性が比較的自由に中国国内を歩きまわっているから、まず改革開放以降のことだろう。
あるページに兌換券のことが出てきた。
外貨兌換券が廃止されたのは1994年ごろだから、それ以前であることもわかる。
ソヴィエト連邦という言葉も出てくるから、ソ連が崩壊した1991年よりも前らしい。
本の中に、「この地方 (新疆) では1980年から1981年にかけて暴動があったばかりだ」 という記述がある。
本の出版は1985年らしいから、こうしたことがすべて間違いがなければ、彼女の旅は1983年前後ではないだろうか。

わたしがはじめて中国に行ったのは1992年だから、それより10年前ということになる。
じつは1983年に、中国でこんな自由な旅ができただろうかと疑問を感じないでもないんだけど、がむしゃらに突進する彼女のまえに、道はおのずから開いちゃったようだ。

写真は、わたしが撮った天池とその背後の山。
ドッドウェルはキャンプ用品とカヌーをかついで、この山にひとりで分け入ってるのである。

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