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2010年6月26日 (土)

ディア・ハンター

数日まえに録画した 「ディア・ハンター」 という映画を観る。
古い映画だし、もう何度かテレビで放映されていると思うけど、じっさいに観たのは今回が初めて。
アカデミー賞をもらったくらい世間の評価の高い映画なのに、これまであまり観ようって気がおこらなかったのは、ホントにそんなに素晴らしい映画かいという疑念が払しょくできなかったから。

この映画のキーポイントは、ベトナム戦争のおりに米軍兵士が体験したロシアン・ルーレットの恐怖にあるけど、じっさいに観てみて、この設定にムリがあるように思った。

ロシアン・ルーレットというのは、回転式弾倉をもつ拳銃に1発だけ弾をこめて、自分の頭をねらう究極の大バクチである。
弾が発車される可能性は 1/6だから、助かる確率のほうが高いけれど、だからといって自分の頭にむけて拳銃の引き金をひける人間はあまりいないだろう。

映画では北ベトナム軍の捕虜になった米兵が、敵兵から 1発だけ弾のこめられた拳銃を渡されて、さあ、やれとロシアン・ルーレットを強要される。
彼は恐怖のあまり精神に異常をきたしてしまうのだけど、ふつうに考えた場合、こんな極限状態においこまれた兵士が、ヤケっぱちになって拳銃を敵兵に向けたりしないだろうか。
その後も何度かロシアン・ルーレットの場面が出てくるけど、どの場面でも自分で自分の頭に拳銃を向けている。
そんなくらいなら敵兵が拳銃を米兵の頭に向けるほうが、あるいは 1対 1でこれをする場合、たがいに相手の頭に向けて 1回づつ引き金をひくほうが理にかなっている。
これでも恐怖は同じだし、確実である。

じっさいに自分の頭に向けて拳銃を発射しても、たいていの人はその寸前に無意識に頭をそらしてしまうという。
敗戦のおりに東条英機が、拳銃で自殺しようとして未遂に終わったのもこれが原因だそうだ。
わたしがやったわけじゃないからホントのことはわからないけど、よっぽど胆ったまのすわった人間でなければ、自分で自分の頭を撃ち抜くのはむずかしいというのが世間の定説らしいのである。

そんなこまかい理屈に拘泥していたのでは、映画を観る資格がないなんていわれそうだけど、そうでなくてもどうも好きになれない映画である。
この映画に心酔している人も多いようだし、そんな人たちと論争をする気もなれないので、理由は省略するけど、わたしにとってはDVDに焼いてまで保存したくなる映画ではない。

映画の中でバクチに敗れた兵士が、頭を撃ち抜いて倒れるシーンがある。
マイケル・チミノという監督は、おそらくベトナム戦争中の、有名な、南ベトナム軍の将校がベトコンを射殺する映像を見たのだろう。
倒れた兵士の頭から血が噴き出すシーンは、そのさいの光景をまざまざと喚起させる。
戦争はどっちもどっちで、一方だけが残忍非道、もう一方はヒーローなんてことはあまりないはずである。

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