天池
英国人の冒険家クリスティナ・ドッドウェルについては、このブログに書いたけど、彼女の 「女ひとり中国辺境の旅」 の中にこんな文章がある。
『人間の姿が見えない風景のなかにいるのは、なんとすばらしいのだろう』
『この風景がすべてわたしひとりのものだと思うと、何ものにもかえがたい深い喜びがこみあげてくる』
『孤独は人に物思いにふける時間をもたらす』
ドッドウェルはぜんぜんわたしに似ていないけど、この部分だけはわが意を得たような気がした。
わたしもよくひとりで奥多摩や奥秩父の山をふらついたことがある。
平日に山に登ると、ひょっとしたらいまこの瞬間、この四方2キロ以内にわたしひとりしかいないんじゃないかと思えて、しみじみと幸福を感じたものである。
こうした感情は孤独を愛する人でないとわからない。
ドッドウェルのこの文章は、中国の新疆ウイグル自治区にある天池という湖のあたりを歩きまわったときの記述の中にある。
わたしもこの湖に行ったことがあるんだけど、彼女はバックパックの中にキャンプ用品と折り畳み式のカヌーまでつめ込み、湖の背後にそびえるポゴタ山の氷河にまで接近している。
おどろくべき積極性 (と体力) である。
ところでドッドウェルが中国を旅したのはいつのことだったんだろう。
なぜか文庫本のどこにもそれが書いてない。
紀行記においては、いつの旅だったのかということは重要なポイントなので、あとがきまで読んでみたけど、どこにも書いてない。
で、内容を詳細に見分して、ヒントを探してみた。
欧米人の女性が比較的自由に中国国内を歩きまわっているから、まず改革開放以降のことだろう。
あるページに兌換券のことが出てきた。
外貨兌換券が廃止されたのは1994年ごろだから、それ以前であることもわかる。
ソヴィエト連邦という言葉も出てくるから、ソ連が崩壊した1991年よりも前らしい。
本の中に、「この地方 (新疆) では1980年から1981年にかけて暴動があったばかりだ」 という記述がある。
本の出版は1985年らしいから、こうしたことがすべて間違いがなければ、彼女の旅は1983年前後ではないだろうか。
わたしがはじめて中国に行ったのは1992年だから、それより10年前ということになる。
じつは1983年に、中国でこんな自由な旅ができただろうかと疑問を感じないでもないんだけど、がむしゃらに突進する彼女のまえに、道はおのずから開いちゃったようだ。
写真は、わたしが撮った天池とその背後の山。
ドッドウェルはキャンプ用品とカヌーをかついで、この山にひとりで分け入ってるのである。
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