処女の泉
ここんところBSは 「処女の泉」、「野いちご」 と、イングマル・ベルイマン監督の特集。
市販されているDVDも持っているんだけど、それでも録画したくなる傑作ばかりである。
「野いちご」 については、2007年にこの監督が亡くなったとき、このブログでふれたことがあるので、今回は 「処女の泉」 について書いてみる。
この映画、ストーリーは単純だけど、はっきりいって堅苦しい難解な作品なので、誰でも観たくなる映画ではない。
観たいという人がいたら、それはこの映画がオオカミに食べられる赤ずきんちゃんを扱っているからかもしれない。
これは純情な娘が男たちにレイプ (強姦) されてしまう映画なのである。
下世話な話で申し訳ないが、ベルイマン監督はそういう点で世間の常識や良識を飛び越えていた人だった。
1952年というと昭和27年で、日本ではまだ戦後の焼跡が残っていたような時代だけど、そのころのベルイマン映画 「不良少女モニカ」 には、早くも一糸まとわぬすっぽんぽんの娘が登場する。
スウェーデンがヌーディスト天国だという風評は、ひょっとすると彼の映画のせいかもしれない。
「処女の泉」 は昭和35年の映画だけど、そこには上記の強姦シーン。 昭和37年の 「沈黙」 では女性の自慰シーンと、ベルイマン監督はつぎからつぎへと禁断のテーマに取り組んだ。
しかし、裸、レイプ、自慰なんて言葉から、あわててレンタルDVD店に駆けつけようとする人の期待にそえるかどうかは保証のかぎりじゃない。
このすこしあと日本でも新東宝映画が、もっとあとになると日活がピンク映画の製作をはじめているけど、ベルイマンの映画にはいずれにも一貫した重いテーマが含まれていて、こういう安っぽいポルノ映画と同列に置くことはできないのである。
むずかしいテーマはこのさい棚におくことにして、わたしがベルイマンの映画を観たのは、初公開よりずっとあとのビデオの時代になってからだった。
ビデオではじめてベルイマンの映画を観てたちまちとりこになった。
そしてしみじみ残念に思った。
感受性がもっともゆたかな年ごろに、「不良少女モニカ」 や 「処女の泉」 のモノクロ映像を観ていたら、これはいまではなつかしいわたしの灰色の青春の、すてきな思い出になっただろうと思うのである。
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