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2010年6月21日 (月)

マルケスとカストロ

昨日、日曜日の新聞にガルシア・マルケスのことが二つほど。
ひとつは書評欄で、もうひとつは筒井康隆の連載エッセイに。

書評欄では、マルケスとキューバのカストロ首相の交情について、意外であったというようなことが書かれていた。
そういうものかなあと、横紙破りで大胆不敵なわたしは疑問を感じてしまう。
マルケスがカストロの擁護をしたのは不思議でもなんでもない。
ロシアのソルジェニーツィンがプーチンの擁護をしたように、抑圧者だからなにがなんでもいけないと、わたしは思わない。
「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ」 や 「シッコ」 なんていう映画を観ていると、カストロは北朝鮮の金正日のようなアジア、アフリカ型の独裁者とは異なり、国民からも多くの支持を得ている、陽気でハナシのわかる独裁者であるような気がしてしまう。
早い話が、米国のブッシュ前大統領と、カストロとどっちが指導者としてふさわしいかという問題だ。
米国という巨大な横暴国家にいじめられる小国を、こころある作家が擁護するのは当然のことじゃなかろうか。

キューバからは現在も米国に密航しようという人がひきもきらないという。
だから米国はすばらしく、キューバは悲惨な国であるとは思わない。
アジアにあって、米国のように発展かつ自堕落した国の代表である日本にだって、無条件で米国の市民権が得られるなら移住したいという人は多いのだ (ボートで密航するには太平洋はちと広すぎるけど)。
つまり現状に満足しない人はどこにでもいるってことだな。

キューバと米国の比較は、物質的には貧しくともお互いが助け合う国がいいか、豊かであっても互いを蹴落とす競争社会がいいかということでもある。
そう考えれば、著名作家のガルシア・マルケスが、キューバの肩をもつのは当然すぎるようにわたしには思えるのである。

そうかといって米国の存在を根っから否定しているわけじゃない。
この世界にアメリカのような国がひとつぐらいあってもいいかもしれない。
現状に満足できない人のために幻影の楽園として、競争社会で生きぬく自信のある人のためになんでも手前勝手なことができる国として、ダブルスタンダードの国として、国民皆保険のない国として、ライフルをぶっ放す国として、「SEX AND THE CITY」 みたいな映画の作れる国として、つまり民主主義や自由主義が極限までいくと、どんな国になるかという見本のために米国の存在価値があるのかもしれない。

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