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2010年7月

2010年7月29日 (木)

楽園の日々の2

以前このブログで、アーサー・C・クラークの 「楽園の日々」 という本についてブウたれたことがある。
題名からして、「スリランカから世界をながめて」 みたいな科学エッセイだろうと思ったんだけど、これはじつはクラークが青春をともにした 「アスタウンディング」 というSF雑誌について書かれたものだった。
だましたな、クラーク。 ひっかけやがったな、早川書房。
なんて書いてしまったんだけど、じつはその本はまだ手もとにあって、ヒマなおりに少しづつ読んでいる。
そして時間の経過とともに考えが変化しつつある。

SFファンにとってこれはなかなかおもしろい本である。
以前ブログに書いたときは、科学に通じた現代の作家が、いまから80年もまえに書かれたSFのまちがいや認識不足をあげへつらうのはフェアじゃないと書いた。

たとえば古いSF小説の中には、地球よりもずっと小さい惑星に、海があったり密林があったり、地球なみのたくさんの生きものが棲息しているなんて作品がたくさんある。
小さな惑星には水を保持するだけの重力はないのだ、水がなければ植物も動物も棲んでいられるはずがないのであるなんて理屈を、現代の作家であるクラークが得々として述べるのはどんなものか。

また古いSFには、人間が親指、もしくは顕微鏡サイズに縮小されて、ミクロの世界でさまざまな冒険をするという設定のものも少なくない (映画 「ミクロの決死圏」 もそのひとつだ)。
科学者でもある現代の作家のクラークは、登場人物が縮小されるとき、失われた質量はどうなるのかなんてむずかしい理屈を持ち出す。
これはどうみても公平じゃない。
アスタウンディング誌が創刊された1930年ごろにそんなことをいう人は、科学者も含めて、そんなにいなかったのだ。

そういうわけで 「楽園の日々」 を最初に読んだときは、節制のない本だなと思ったものだけど、そのうちにこの本のおもしろさは過去と現代の現実のズレであることに気がついた。
どうやらわたしもクラークに負けずおとらずのヒトのわるい人間らしく、彼がほじくる重箱のすみが、おもしろくてたまらないのである。
当時のSF作家たちも、自分の作品がずっと後世の読者たちに、こんな予期せぬ楽しみを与えるとは思ってもみなかっただろうなあ。

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2010年7月26日 (月)

あのネ

わたしのこのブログでは、調べれば訪問者数やアクセス回数がわかるようになっている。
最近アクセスが増えていい感じだと思っていたけど、その割に訪問者の数が増えない。
このへんを説明をすると、ある日の訪問者数が10で、アクセス数が50の場合、同じひとりの人間が、1日に平均して5回アクセスしているということである。
それが最近、どうも訪問とアクセスの差が極端だなと思っていたら、原因がわかってしまった。

友人の中にスマートフォンを買った人間がいて、彼が仕事のあい間にしょっちゅうアクセスしているにちがいない。
スマートフォンなら外出先でも車の中からもアクセスできるのである。
退屈なもんだから、彼がひとりで1日に100回ぐらいアクセスしてるんじゃねえか。
おかげで訪問者の数は横ばいなのに、アクセス数がやたらめったら増えてしまった。
べつにかまわないけど、おっ、今日はアクセスが多いなと喜んでいたら、じっさいの訪問者はたったの××人とわかってガックリすることがある。
あまり罪作りなことはしないで欲しいよナ。
えっ、キミ。 キミのことだよ、アーン。

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2010年7月23日 (金)

ブラック・アングルと似顔絵塾

今日の夕刊に、週刊朝日に連載中の 「ブラック・アングル」 についての記事。
これは山藤章二さんの似顔絵をあつかうページだけど、連載が始まってから35年になるという。
といわれてもおどろかない。
わたしはこのページを連載が開始された時から知っているのだ。

司馬遼太郎の 「街道をゆく」 を知ってから、週刊朝日は1号も欠かさず買っていたので、そのあいだに連載が開始された 「ブラック・アングル」 もよく知っていたのである。
とうぜん、その下に付随するようなかたちで始まった 「似顔絵塾」 もよく知っている。

「似顔絵塾」 のほうは読者の投稿欄だけど、世間には異才奇才の似顔絵作家が多い (女性の抒情的な似顔絵もある) ということを、あらためて世間に知らしめたページである。
わたしも絵を描くほうだから、むかしは投稿したこと数知れず。
ということはぜんぜんない。
自分の能力はよくこころえておりますもんで。

夕刊には 「似顔絵塾」 出身の似顔絵作家として、川上哲生さんが取り上げられていたけど、この塾出身者は数えきれないほどいるので、ハテ、どんな絵だったっけとにわかに思い出せない。
週刊朝日も 「似顔絵塾」 の投稿作品を、投稿者にはあらかじめそのことをお断りして、1カ月遅れ、あるいは年 1回でもいいから正式にネットで公開すべきだと思う。
こんなビジュアル系の愉しいサイトはないんじゃないか。

「街道をゆく」 が終了したあと、週刊朝日を毎週買うこともなくなり、しだいに 「ブラック・アングル」 とも疎遠になってしまったけど、連載開始時の強烈なインパクトを知っているわたしは幸せ者である。

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爆睡

トシをとると眠れなくなるとよくいわれるけど、わたしはにかぎってはメチャクチャ眠れる。
逆に考えれば、これはわたしがまだまだ若いということの証明だけど。
とにかく酷暑もなんのその。ベッドで汗びっしょりになったまま平気でよく眠る。眠りすぎて頭がぼんやり思考停止状態。
ブログの更新もてんでやる気がおきません。

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2010年7月21日 (水)

高田敏子さん

昨日の新聞に詩人の高田敏子さんにふれた個所があった。
高田敏子なんていっても名前を知らない人が多いだろうけど、それもそのはず。評論や歴史で語られるほど古い人ではないし、文学史に残るような有名な詩を書いた人でもない。
とはいうものの詩の愛好家のあいだではかなり有名な“お母さん詩人”である。

わたしは1982年に、この人の主催する詩誌「野火」の100号記念祝賀会が、週刊朝日に取り上げられて、そこに作品が引用されているのをみて、はじめてこの人の詩を知ったのである。
作品がつまらないものだったら印象に残らないだろうけど、そのとき引用されていた詩というのは以下のようなものだった。
    かくれんぼ
  れんぎょうの 花下に
  かくれた坊やの まわりを
  お母さんが めぐっている
   坊やは どーこ?

  見つけるときが
  早すぎも
  遅すぎもしないようにと
  お母さんはめぐっている

  あの坊やは 怖い夢を
  見ることなど まだないでしょう

   見いつけた!
  ほら 抱き合った母と子
  れんぎょうの 花枝が揺れて

この人の詩は、ヘソ曲がりのわたしには、買ってまで読みたいものじゃないのだけど、なぜか見過ごせない魅力がある。

昨日の新聞に引用されていたのは以下のような詩だった。
    おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に
    小さな靴は おいてある
    花を飾るより ずっと明るい

これは彼女の「小さな靴」という詩の一部だけど、興味のある方は全文をネットで検索して読んでみればよい。わたしのいう魅力がどんなものかわかってもらえるだろう。
わたしがこの記事を書くことができたのは、その魅力にひかれて、当時の週刊朝日のページを切り抜いておいたからなのである。
※高田敏子さんは1989年に亡くなった。

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裏側

テレビで「イラク巨大油田争奪戦」という番組を観た。
日本がおそまきながら政府まで動員してイラクの油田開発の利権をねらい、契約寸前までいったのだが、土壇場になってよその国にそれをひっくり返されたという顛末のドキュメンタリーである。

最初は、人間関係を大事にしたり義理や人情やヘチマを重要視する、気まじめな日本のやり方がイラクにそでにされた原因かと思ったけど、どうもそれだけじゃなさそうだ。
イラクの石油相が日本の交渉相手にむかって、日本ももうすこし国際競争力をつけたほうがいいとのたまう場面がある。
これはおそらく、日本はもうすこしワイロの相場について勉強したほうがいい、という意味なのだろう。
日本が利権競争に敗れたのは、イラク政府高官へのワイロの額が低すぎたのが原因じゃないか。
そんなことを日本の交渉当事者やNHKテレビが公言するわけにはいかないだろうし、コメンテーターの堺屋太一サンもぜんぜんふれてなかったから、テレビを観ていたかぎりではわからないけど、どうもそのようである。
やれやれだ。

こんな国にいくら援助しても、ザルに水を貯めようというようなものではないか。
日本人はイラクやアフガンについて、復興のための資金援助をしているけど、そのせいでイラクの一般国民が豊かになったという話を聞いたことがない。
日本では政治家に対するワイロについてまだいくらか後ろめたさがあるけど、世界にはそれが当然という国(の政治家)がまだまだ存在するらしい。
裏からみた政治というものは、なかなか理想とはかけはなれていることを、日本人もしっかり銘記しなくちゃいけない。

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2010年7月20日 (火)

ICレコーダー

野坂昭如さんの小説 「エロ事師たち」 は、市井の底辺にうごめく男たちのたくましさを、ユーモアとペーソスをまじえてえがいた傑作だけど、この冒頭に、アパートの新婚さんのむつ言を録音して、エロテープをつくろうと四苦八苦する男が登場する。
ひそかにセットしたマイクの置き場所がわるくて、ひろったのはトイレの排せつや放屁の音ばかり。 えらい気色わるいでーとぼやく男たちが抱腹絶倒。

そんなケシカランことをする気はないけど、今度わたしはICレコーダーを買ってきた。
ICレコーダーというのは、電子版の、つまり録音機である。
テープを使うわけではないから、ひじょうに小さく軽く収まっている。
盗聴にはもってこい・・・・・・・ とっとっと。

盗聴しないんならいったい何に使うんだと訊く人がいるかもしれない。
たとえば、友人たちと呑んでいると、ふだんはあまり知性を感じない連中の会話のなかに、ギリシヤの哲学者も顔負けの警句が、天啓のようにひらめく場合がある。
というのはお世辞の部分もあるけど、酔いがさめるとわたしは、こういう言葉をさっぱりおぼえていないのである。
重要な言葉をおぼえていられないというのは最近のわたしの欠陥のひとつで、おかげで、おぼえていれば社会的地位を高めるのにどれだけ貢献したかわからない言葉が、奔流のように音をたてて忘却の彼方に失われているのである。
それを防ぐというきわめて高尚な役割があるのだよ、ICレコーダーには。

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2010年7月18日 (日)

倫理観

なんとかいう銀行の会長さんが、都合のわるいメールを削除させて逮捕されちゃった事件。
この人はもと、小泉内閣の竹中平蔵金融担当相の下で金融庁顧問を務め、本来ならこういうことを取り締まる立場の人だったそうだ。
よくいるんだよね、こういう人が。
政治家なんかに多いけど、立場が変わると信念もころりと変える人が。
緊縮予算を訴えて政治家になったくせに、どこかの省庁の担当大臣になると、とたんにその省庁の権益を守るために奔走して、できるだけたくさんの予算をぶん取ることに血まなこって人が。

ようするにこういう人は、倫理観でものを考えているわけじゃないんだよね。
自分の地位や仕事をいかに向上させるかっていうことだけに熱心で、そのためならたしかに優秀な人間なんだろうけど、そのかわり立場や仕事が変われば、いくらでもどんなふうにでも変節してしまう。
倫理というのはそうそう変わるものではないから、これを順守し、信念にしておれば、クサイ飯なんか食う必要はなかったはずだけど。
こういう人が幅をきかせる社会ってのも問題ありだけどなあ。

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2010年7月16日 (金)

ジャッキー・チェン

いやあ、すごいもんだねえ。
なにがって? ジャッキー・チェンの映画。
わたしみたいな高尚な芸術映画指向の人間が観る映画じゃないってんで、これまで金を払ってまで観る気がしなかったんだけど、ここんところBSが彼の映画を立て続けに放映してるんで、せっかくだからと録画してみた・・・・・・・

こりゃすごい。おもちろい。
とにかくアクションが人間わざじゃない。
映画だからもちろん痛くないようにいろいろ仕掛けや計算をしてんだろうけど、三階建てのビルから落ちたらやっぱり痛いだろうねえ。
最初はコンピューター・グラフィックかと思ったけど、80年代の香港映画じゃCGは使わないだろう (90年代になるとジャッキーの作品でもCGが使われているみたいだけど)。
生身の人間がやっているとしたら、こりゃサーカスだよ。 プロレスや格闘技以上の迫力だな。
はらはらどきどきっていう映画は、チャップリンやキートンの時代から米国にもあったけど、ジャッキーの映画はそんな米国人のどぎもを抜いたんじゃあるまいか。

どぎもを抜かれたのはわたしもいっしょ。
スカッと気分爽快だなんて感心しながら観ているけど、これってもしかすると、テレビゲームで格闘技にはまっちゃっているアブない若者といっしょかねえ。

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2010年7月14日 (水)

宮武外骨

昨日、今日と、夕刊に宮武外骨の記事。
読書家ならいざ知らず、世間にはあまり知られてない人だ。
さいわいなことに、わたしの読んだ紀田順一郎さんの 「古書街を歩く」 という本に、この人についてかなり詳しいことが書かれていた。

新聞では外骨=ガイコツとルビがふってあったけど、紀田さんの本ではこれはトホネ(トボネ)と読むと説明されている。
読み方なんかどっちでもいいけど (漢字は表意文字なのだ)、この人は明治、大正時代に、ときの政府を強烈に揶揄するような出版物を立て続けに発行した反骨人として知られている。
正真正銘の変人奇人に属する人で、どこかわたしに似ているんじゃないかと思うようなエピソードがたくさんある。

まだ天皇制だった時代に政府や天皇をからかうような新聞を作り、入獄すること4回、罰金や発禁なんか数知れずで、刑務所に入れられると入獄祝賀会を開き、自分の発行している新聞に 「ただいま入獄中」 なんて刷り込んでいたという。
刑務所で印刷工場の校正係をやらされると、ついでに内緒で獄中新聞を作っていたというから、どうにもこりない人である。

わがままで、人に頭を押さえられるのが大キライ。
風刺やユーモア、パロディをもって権力にはむかうのが大好き。
夕刊には書いてないけど、刑務所ではなにをしてましたかと他人に訊かれると、せんずりばかりこいておりましたと平然と答えるほど傍若無人。
絶倫家で、70になっても女性と接するのが可能なくらい元気な人だったそうで、そんな自分の性癖まであけすけに告白し、そのせいかどうか、猥褻物の研究家としても有名な人だそうだ。
こんなふざけたことばかりではなく、関東大震災では朝鮮人虐殺についてかなり早い時期に批判的なことを書いているから、世相を正確に観察することのできる人であったらしい。

夕刊には反骨精神ばかりのきれいごとが強調されていたけど、紀田順一郎さんの本にはもっとおもしろいエピソードがたくさんある。
えっ、どこがおまえに似てるのかって?
ほれ、あそこ。 似てるでしょ。 あそこ。

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2010年7月13日 (火)

ねじれ国会

ねじれ国会だそうだ。
かって自民党時代に民主党がごねまくった状況が、そっくりそのまま民主党にふりかかってきた。
なにしろ当時の民主党は、国のためじゃなく政権奪取のため、ごねるだけごねろ、反対するだけ反対しろという、わからず屋的むちゃくちゃ強引姿勢。
おかげでにっちもさっちもいかなくなった福田首相なんか、とうとう自ら政権を投げ出してしまったくらいだ。
こんな政治にまゆをひそめた国民も少なくないはず。

皮肉なことに、それが攻守を変えてそっくり民主党の上に。
まあ、こういうことはよくあると自覚して、これからはなんでもかんでも反対って姿勢はあらためてもらうんだな。
いっそのこと、民主と自民の大同連立なんてしてみたら?
そしたら圧倒的多数のわがまま政党になってしまうと、管クンにはちゃんとわかっているみたいだけど、ごたごたいって埒のあかない議論をしている場合じゃないでしょ。

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2010年7月12日 (月)

名古屋場所

参院選挙が終わって・・・・・・・
わたしがまた何かいうかと期待した人。
いまはなにも言わんからね、ワタシゃ。

いまテレビで大相撲のダイジェストを観ていた。
かわいそうに場内はガラガラ。
むかしからいちど大相撲というものを観たいと思っていて、メンドくさいもんで出かけることのなかったわたしなので、お、これなら場末の映画館に行くようなもの。
当日券でお気楽に入れるんじゃなかろーか。
ひとつ出かけようと思ったら、いまやってるのは名古屋なのね。
行かんぞ。 行けないよ。 相撲を観るために名古屋までは。

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2010年7月11日 (日)

栗林慧さん

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この写真を観て、おっ、でっかいバッタだなと思った人。
それがマチガイとはいわないけど、ちょっと写真に詳しい人なら、ついでに?と思わなければいけない。

バッタをこれだけ大きく撮るには、ふつうマクロレンズや接写リングを使う。
しかしどっちを使うにしても被写界深度が極端に浅くなるものだから、とてもこんなふうに背景の雲にまでピントが合わないのである。
背景にピントが合っているおかげで、小さなバッタが恐竜のように巨大な生きものに見えてしまう。
写真を見なれた人にとって、これは名状しがたいじつに異様な写真なのだ。

じつはこれは昆虫写真家の栗林慧 (さとし) さんが、自分で開発した特殊レンズを使って撮影したものである。
ずっと以前にも観たことがあるけど、昨夜のBSで再放映された 「幻の黄金クワガタを追う」 という番組は、栗林さんのレンズが、マレーシアの熱帯雨林に棲む昆虫たちを相手に、その威力を十二分に発揮した番組だ。
マクロの視点でながめると、もともと熱帯林というものは驚異がいっぱいなんだけど、この番組に登場する昆虫たちは、わたしたちと同じ大きさで、わたしたちと同じ次元の世界をのっしのっしと歩いているようにみえる。
恐竜や宇宙人の出てくる最近の米国映画よりよっぽどおもちろい。

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2010年7月10日 (土)

天網恢恢

わたしのブログはうさばらしに書いているので、あまり宣伝をしていない。
しかし天網恢恢疎にしてもらさず、ちゃんと見ている人もいるらしい。

前項の 「アエロフロートの機内誌」 という記事について、わたしは最初うっかりして “アエロ” を “エアロ” と書いていた。
飛行機は空気の上を飛ぶというイメージに影響されちまったので、このまちがいはけっこう多いみたいだ。
それについて丁寧なコメントをつけてくれた人がいて、エアロフロートはアエロフロートの間違いであることを、きびしい指摘ではなく、やんわりアドバイス。
あわてて訂正しましたけど、文面からするとこの人は、アエロフロートへの就職をねらっている、ロシア語に堪能な若いコスモポリタンのようである。

わたしが4月26日に書いた、アエロフロートの機内で上映されていた 「Driver for Vera」 という映画についても、ちゃんと調べてくれて、いろいろ教えていただいた。
この映画は、いくつかの断片に分かれているけど、YouTube で観ることができる。
まだ公開されてない映画を勝手にネットに載せちゃって、著作権関係がうるさそうだけど、もういちど観たいと思っているわたしにはありがたいことである。
鼻っぱしらの強いフランス女優みたいなヒロインに興味のある人は、Driver for Vera という言葉を YouTube で検索してみればよい。

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2010年7月 7日 (水)

アエロフロートの機内誌

37200

ロシアに里帰りしていた金髪クンが、アエロフロートの機内誌を見せてくれた。
飛行機の座席のうしろに置いてある、化粧品やアクセサリー、自動車の広告などが満載されたフルカラーのグラビア雑誌である。
ロシアの雑誌でも内容は他の国のものとかわらないくらい立派で、なにかの参考にはゼッタイならないと思うけど、いちおう目を通してみた。

ロシアの飛行機だからもちろんほとんどロシア語で、なにが書いてあるのかさっぱりわからない。
表紙は、これはスペインのフラメンコ・ダンサーが、なにかのお祭りで踊っている写真。
特集記事はわたしが 1月に行ってきたばかりのトルコのカッパドキア。
こういうのは写真を見ればわかるのである。
あるページに 「もののけ姫」 の小さな写真が出ていたけど、ほめているのかけなしているのかわからない。
ま、たぶんほめているんだと思う。
モスクワとサンクトペテルブルクの観光案内ページもあって、詳細な両都市の地図も載っていた。
ロシアを旅したいわたしは興味があるけど、説明はひとつもわからない。

化粧品や酒の広告は、製品にその品物の英語名が入っているからわかる。
自動車の広告も車を見ればどのメーカーのものかわかる。
車の広告は多いけど、BMW、VOLVO、VW、シトロエン、プジョーなど欧米系のものがほとんどで、ワーゲンやオペルは広告ではなく試乗記になっていた。

ただ欧米メーカーの広告は多いのに、日本のメーカーでは化粧品も車もパソコンも出ていないのが気になった。
日本の車はロシアで人気があるらしいけど、それは極東だけの話なのか。
極東では韓国ががんばっているみたいで、サムスンやKIAという耳なれない車メーカーの広告が載っていた。
はっきり日本の商品とわかるのはCASIOのデジカメぐらいである。
どうせロシア人には日本製品は高くて買えないだろうというおごりがあるんではないか。
ま、わたしにはどうでもいいことなのでこれ以上追及しないけど。

最後のほうに、なぜか英語のページが10ページばかりあって、これはわたしみたいにロシア語さっぱりという乗客に読んでもらおうってことらしい。
ここにロシア出身としては初めてのF 1ドライバーの記事が出ていた。
わかるのはそこまでである。
文章をみんな日本語に訳していられるほど、わたしゃヒマじゃないもんで。

※添付した画像は広告のひとつ。
靴とアクセサリーのメーカーらしいけど、下着も扱ってんのかしら。

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2010年7月 6日 (火)

スカッと

ああああ。いかにも梅雨らしいすっきりしない天気。
ブログの更新もやる気がおこらない。だいたい頭を使うのがしちめんどくさい。
気分もどうもすっきりしないけど、昨夜録画したジャッキー・チェンの映画を観たら、スカッとした。

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2010年7月 5日 (月)

コりない人たち

EUをひっかきまわしているギリシアだけど、政府が緊縮財政をすすめようとしたら、数が多すぎてこの国の赤字財政の元凶になっている国家公務員が、火炎瓶を投げてまでして抵抗しているという。
コりない人たちである。

ひるがえって日本をながめると、管クンが消費税増税を持ち出しただけで、今朝の新聞でも民主党の支持率がガタ落ちだ。
日本人の民意はこの程度なのかとがっかりしてしまう。
けっして民主党の肩をもつわけじゃないけど、ようやく世間の反発をおそれずに言いたいことを言う総理が出てきたかと、わたしはこの問題については管クンを支持していた。
鳩山クンが追い込まれたのは、出来もしないことを選挙目当てにぶち上げすぎたからじゃないのか。
出来ないことはできない。 上げなくちゃいけないものは上げる。
選挙の結果をおそれずに、こうどうどうと宣言するのはわるいことではない。

ところが民主党の中からさえ、国民新党やかっての闇の総裁の小沢クンなどから増税反対論が続出で、これが野党にとってかっこうの攻撃材料になってしまった。
亀井クンも小沢クンも選挙のベテランだ。 選挙で不利になることはぜったいに封印しとけってなモンだろう。
そんなに支持率が大事かい、支持率のためならウソもごまかしもありでいいのかい。
と、わたしが怒り狂っても仕方がない。
目先の損得だけにこだわって、増税にじつにすなおに反応してしまう国民のほうに問題ありだ。
こういう国民にわからせるためには、ほんとうに財政がギリシアなみに破たんするしかないんじゃないか。

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2010年7月 1日 (木)

シャガールと六郎さん

370000

わたしの持ってる画集の中では、シャガールは幻想の絵画なんてものに分類されている。
べつに異論があるわけじゃない。
いま東京芸大の大学美術館でシャガール展が開かれている。
だからわたしが出かけるかっていうと、なかなかそうはいかないのだ。
べつにシャガールがキライといわけじゃないけど、どうもわたしにはその絵が、理屈で理解できても感覚では理解しにくいところがあるのである。

添付した絵は2枚の絵がひとつに合成してあるけど、右側がシャガール、左側は日本の谷内六郎さんの絵である。
シャガールのほうは 「私と村」 という絵で、彼の生まれ育ったロシアの村の思い出を描いたものだという。
そういわれてよく見ると、ウシの乳しぼりやロシアの村の生活らしいものが描かれている。
しかし、わたしはロシアの村を知らないのである。
判じ物みたいに、いちいち説明をされないと絵の意味がわからないのだ。

シャガールの絵を観るたびに、わたしは谷内六郎さんの絵を思い出してしまう。
谷内さんの絵は幻想の絵画というものじゃないけど、やはり幼いころのなつかしい記憶にもとずく絵がひじょうに多い。
あちらは国際的な画家で、こちらは (どちらかといえば) 日本のマイナーな画家だけど、描かれているものは谷内さんの絵のほうがはるかにわかりやすい。
谷内六郎さんが描く、なかば幻想をまじえた日本のなつかしい風景は、わたしが子供のころに見たり体験したりしたものがほとんどである。
シャガールの絵を観ておもしろいと思うことはあっても、うける感動については谷内さんの絵のほうがはるかに大きい。
もういちど繰り返すけど、べつにシャガールがキライといわけじゃない。
しかし彼の絵を見ると、わたしはいつも谷内六郎さんの絵を思い出してしまうのである。

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